改稿済み。
考え事がある程度まとまった所で婆さんと男性が家に入ってきた。
俺は立ち上がって二人を出迎える。
男性は恐らく先ほど言っていた息子さんなのだろう。見た目20代後半といった所か。がっちりとした体格と理知的な瞳をしているのが印象的な人だ。
「すみません、外に出ておりまして、来るのが遅れてしまいました」
男性が謝罪の言葉を言ってきたので、
「いえ、急にやってきた私に問題がありますので、お気になさらず」
とりあえず物腰柔らかくおもねっておこう。
さて立ち話もなんだという事で、俺達は床に腰を下ろした。
俺と向き合う形で二人は座り、早速とばかりに男性が口火を切る。
「私はこの一帯を治めております、姓を曹、名を参と申します」
ああ、息子さんが村長さんだったのか。こりゃ色々手間が省ける。
しかし村長さん、やたら丁寧に喋りますね。
「わたしの名前も言ってなかったね、黄だよ」
うん、名前的にここは中国で確定かな。
「私も名を返したいのですが、それすらも失われているようで、申し訳ありません」
「母からどうやら記憶喪失であると聞き及んでおります、決して謝られる事ではありません。ですが確認したい事もありますので、色々質問をさせて頂いても構いませんか?」
「ええ、私も色々と聞かれた方が記憶を思い出すきっかけになるかも知れませんので是非ともお願いします。それと、そこまで形式ばった喋り方だと緊張してしまうので、崩していただけると助かるのですが」
「そうですか、では少しだけお言葉に甘えさせてもらいます」
にこりと人好きのする笑顔を見せる曹参さん。何だか雰囲気も少し柔らかくなった気がする。
とはいえ、目の奥はそれほど笑っていないのだが。
「気付けば家の裏の小川の中におられたという事ですが、経緯などは一切覚えておられませんか?」
「はい、記憶もはっきりしませんし、持ち物も着ている服以外にはありませんでした。服は今裏手にあった物干し竿にかけてあります」
「そうですか、一応何かの手掛かりになるかもしれませんので、後で服の確認をさせてください。
それでは次に、怪我等はなされていませんか?」
「外傷は全くありませんし、痛みなども今のところはありませんね」
「それは不幸中の幸いです。では覚えている事は何かありますか?」
「言葉…ぐらいですかね。ここがどこの国なのかすらわかっていません」
その言葉すら何故しゃべれているのかわからない始末である。
なんだろう、あのアニメキャラクターがそういう能力でもプレゼントしてくれたのだろうか?
文字は未だ見ていないが、それも理解できると楽なんだけどなぁ。
「それはまた難儀じゃのぅ……」
お婆さんの言葉と眼差しには深い同情の色があった。どうやらお婆さんは俺の事を信じてくれているようだ。
見目麗しく、華奢で、手も綺麗な見た目完璧な美少女が困り顔を晒す。それだけで何とも保護欲が湧くよね。
それにそんな上玉の子がわざわざ自分達を騙すメリットがない、と見ているのかも知れない。
だが同情顔のお婆さんに対して曹参さんは難しい顔をして少しだけ下を向いている。なにやら自分の思考に沈んでいるよう?
しばらくして顔を上げた曹参さんは、
「……どうにもちぐはぐな話ですね。記憶を失っておられる割にはとても理性的な部分が気になります、ですが嘘を言っておられるような不実な様子も見られません」
探る様に、瞳に強い意志を乗せて見つめてきた。
「足どころか腰がつく小川で溺れかけるという醜態を一度晒していますので、慌てる事だけはしないようにとどうにか取り繕っているのです」
俺は困ったような微笑で見返す。それ以外の対応が出来ない。
「そうなのですか?」
曹参さんはお婆さんの方向を向き、問いかける。
「ああ、演技じゃなく、本当に溺れそうじゃったのぅ」
お婆さんのしみじみとした言い方に醜態を思い出し、気恥ずかしくなって顔を背けてしまう。
その様子を見てお婆さんはかかっと快活に笑った。
曹参さんは困ったような微笑を浮かべる。
「ふむ、聞きたい事は聞きましたので、後は着ていたという服を見てこようと思います」
そう言って曹参さんは立ち上がって外へ。
ものの数分で戻ってきた曹参さんは再び難しげな顔。
「……ふむ、外に干してあった衣服が手がかりとして、ある程度の状況整理と、無理やりですが一応筋が通った仮説を立てられそうです。
眩いまでに白くとても丈夫な生地、縫合は恐ろしく繊細で解れの一つも無く、飾り気は少ないですが細部の意匠などは丁寧に作り込まれていました。
この辺りで一番大きな都市である沛県にも、貴方が着ていた服を持ちえる人間はいません。あの様な代物、首都咸陽に住まう大商人や上流階級の貴人でしか手にはできないでしょう。
ですので咸陽から来たという可能性が最も高いと思われます。ですがここは交易で良く使われるような整備された道から大きく外れています。あのような服が所持できる裕福な商人や身分の高き方が、たまたまこの村にやってくるという事は有り得ないのです。
結論、交易路から外れる道を通らざるを得なかった身分の高い人物では? という推測が一番可能性が高いと思われます。
何も持っておられなかったと言う話ですので、道中盗賊に教われたか、はたまた夜逃げの最中だったのか、詳しい理由まではわかりません。
ですがこの憶測が当たっているのなら、沛県にいる咸陽に詳しい役人や商人の伝手を頼ればある程度の見当はつく事でしょう」
すごいなこの村長さん、干していた服を見ただけで、そこまで色々考えてたのか。
やたら丁寧に喋っていたのも、俺の身分が高い可能性を考慮してたのね。
「何もかもが分からない状態でしたので、そうした指針となる言葉をもらえたのは非常に嬉しいです。
しかしすごいですね。曹参殿は非常に聡明であられる上、広い人脈をお持ちとは」
「ほほ、息子の聡明さに驚いておられるな! わたしの息子は沛県で役人をしておった俊英なんじゃよ!」
とても嬉しそうなお婆さんの声がカットイン。
役人ってすごいのだろうけど、沛県ってどのレベルの都市なのだろうね?
首を傾げてながら微笑んでいると、
「役人といっても下級役人で、沛県での反乱の余波を恐れて村に逃げ帰った軟弱者ですよ。一応その経歴を買ってもらい、周囲一帯の顔役をやらせてもらっていますが、人の上に立つ器ではありません」
お婆さんの息子自慢を、曹参さんは苦笑いで否定した。
「逃げ帰ったなどと言わんでおくれ。村に戻らなければ殺されていたかも知れんのじゃから……」
……なにやら事情があるらしい。
曹参さんの口は堅そうなので、お婆さんをちょっと揺らしてみると、憤懣やるかたないとばかりに言葉が溢れる。
曹参さんは必死に止めようとしているが、老人のヒステリーには敵わない。
どうやら曹参さんが役人として勤めていた都市でクーデターが起きたそうだ。
そのクーデターを成功させた人物は曹参さんの顔見知りの上司で、その上司さんに都市で一番高いポストに据えられた人物もこれまた知り合いの人であるらしい。
お婆さんがなにより許せないのは、二人とも曹参さんの実直さを知っていながら、村に追いやった事だと言う。
ただ働いていただけとはいえ、一応国側についていた曹参さんを見せしめにする事も無く見逃したんだから、温情があったと言えるんじゃなかろうか?
ともかく曹参さんの事情はわかったのだが、お婆さんの不満は尽きないらしく、役人や国に対する罵詈雑言がひたすら続く。
曹参さんは深いため息をついて、止めるのを諦めてこちらに向き直ってきた。
「どうか、どうかこの事は内密に願います」
深く深く俺に頭を下げる曹参さん。
何で謝るんだろう? と疑問に思い、ああそうかと思い至る。
俺は身分の高い人間である可能性が高いって思われてるんだよな。俺が記憶を取り戻してそれが中央に漏れるのではと思っているのか。
どうやらお婆さんもその事に思い至ったらしく、口を噤んで青い顔をしている。
「私はお婆さんに助けられた身ですから、不利になるような事は決して漏らしません。ですから頭を上げてください」
はっきりとした口調で約束すれば、少し空気が弛緩したのがわかった。
「ありがとうございます。その代わりという訳ではありませんが、この村には記憶が戻るまで幾ら居ていただいても構いません。
今は麦の収穫が終わったばかり、住人全員で脱穀作業にかかりきりなので大した援助は出来ませんが、落ち着き次第出来る限りの援助もさせてもらいます」
「えっ!いえいえ!滞在の許可は非常に嬉しいのですが、援助までしていただくのは心苦しいです」
「ご遠慮なさらず。出来る限りとは言いましたが、私に出来る援助などここを住居として提供する事と、都市部との定期的なやり取りに一言添える事ぐらいですから」
「ここを提供って……ここはお婆さんが住んでおられるのでは?」
「母には本宅に戻ってもらうので、お気になさらないでください」
「わたしはここを出る気は無いよ。持て成すならお嬢ちゃんを本宅に呼べばいいじゃろ。あの家に帰るのはまだ辛いんじゃよ」
「年頃の娘さんなんだから、客人として迎えるのも問題があるんだ。父さんの事を引き摺っているのはわかるけど、少しだけ我慢してくれないか?」
「あっ、事情がおありなんでしたら、お気になさらず。私男なんで、本宅でも構いませんし、ここでお婆さんと一緒に暮らすのも全然苦じゃありませんよ?」
「ほら、嘘までつかせて気を遣わせてしまったじゃないか」
「いえ、嘘じゃないんですが……」
「わたしと一緒に住むのは苦じゃないと言ってくれておるよ。右も左もわからんじゃろうし、世話役も必要じゃろ? わたしが責任を持って世話をしようじゃないか」
俺が女じゃないって所はスルーしちゃうのね。
「う、む。……本当によろしいのですか?」
「ええ、お婆さんさえよろしければ是非」
「決まりじゃ! 娘は育てた事がなかったからね、今から楽しみじゃよ」
呵々大笑と朗らかに笑うお婆さんに釣られて俺も微笑む。
しかし性別を打ち明けるタイミングが無い。
あの、と無理やり挟み込もうとしたタイミングで曹参さんの補足が入った。
「記憶が戻るか、私の伝手で貴女の事が分かりましたら、信用の置ける行商隊などを紹介して故郷に送るよう手配させてもらいます」
「…何から何までお世話をかけます。何か手伝える事がありましたら、家事でも畑仕事でも何でも手伝いますので、言ってください」
「いえ、それは……」
「記憶が戻らない可能性もあります、見つかった私の家が大した家柄ではなくてお礼が出来ない可能性もあります。是非とも何か手伝わせてください」
こういって頭を下げれば折れざるを得まい。
「……そう、ですね。刺激がある事で何か思い出すかも知れません。では数日母についていただいて、色々と見て回ってください。その中でご自身で出来そうな事を探していただきたく思います」
「はい、お心遣い感謝します。それと、出来ましたら色々とお話を聞かせてもらいのです。何か思い出すきっかけになるかも知れないので、お願いします」
「ああ、これは申し訳ない。本来ならそちらを真っ先に話さなければいけないのに、大分脱線してしまいました」
「すまないねぇ、こりゃわたしが悪いね。家族の話になるとつい口を出してしまうんじゃ」
「お気になさらず。それで色々と話を聞かせてもらいたいのですが、変な事、失礼な事を聞くかもしれませんが、記憶が無い故仕方なしと流していただけると助かります」
「はい、どのような事を聞かれても裡に秘めましょう」
「ではこの国の事を大まかで構いませんので、教えていただけますか?」
そうして俺は曹参さんに様々な事を聞いていった。
お婆さんの国に対する苦言から吹っ切れたのか、結構ぶっちゃけた事も答えてくれて非常に助かる。
ついつい聞き過ぎてしまって長い時間拘束してしまったが、曹参さんもお婆さんも嫌な顔せず丁寧に答えてくれた。
「聞きたい事は、大体聞き終わりました。また気になる事が出来たら聞いても良いですか?」
「ええ、私が知っている事でしたら何でもお教えいたしましょう。
それではもう日も暮れる時間です。私は一度本宅に戻って、必要になりそうな物を持ってまたこちらに来ようと思います。母さん、今日はここでご飯をもらおうと思ってるんだけど良いかな?」
「ああ、全然構わないよ。ここ最近忙しくて、家族で揃って食事も出来なかったから嬉しいよ。お嬢ちゃんも構わないかい?」
「ええ、勿論です」
……あっ、話を聞くのに夢中になって俺が男なの説明できてないわ。
「あのっ」
「では急いで行ってきますので!」
ああっ、行ってしまった。
「それじゃあわたしは夕餉の準備でもしようかねぇ」
「あっ、手伝いますよ!」
「ええからええから、お嬢ちゃんは座っとき。色々話を聞いてたから考えをまとめるなりしたいじゃろ?後は考え事ついでに仮の名前なんかも考えてくれると助かるのぅ」
「あー確かに呼び名が無いと不便ですよね。でもそれらしい名前なんていきなり思いつけないですよ」
「名前なんて住んでいる場所、職種、立場なんかで適当に決めているもんさね。例えばあんたは白い服を着てたから白、なんて具合にね」
お婆さんは料理の準備に取り掛かりながら、かなり適当っぽく言う。
俺の負担にならないよう軽く言ってくれているようだ。んー仮名だし、変な意味がなければそれでいいかな。
「他に候補も思いつかないですし、白と書いて【はく】に決めちゃいます」
「即決じゃの。まああんたがそれでいいなら構わんのじゃが。
それじゃあ私は火の加減に集中するよ。白は息子が来るまで適当に考えをまとめるといい」
「お言葉に甘えさせてもらいます」
さて村長に聞いた質問を整理しよう。
Q、まずここは何処なのでしょうか。
A、秦の泗水郡の沛県という場所です。沛県は交通の要衝で、城壁もある立派な都市ですよ。
一番最初にした質問がもう核心でした。
国名を聞いてここが古代中国だと確信。
識さんよ、確かに室町時代じゃないとは聞いたけどさ。
それに秦ですよね、そして貴方の名前ってそうさんでしたよね?
Q、お名前の字を教えてください。
A、曹参と書きます。
良かった。文字もちゃんと読めるよ!
Q、沛県でクーデターを起こした人と、トップについた人の名前を教えてください。
A、反乱を起こした人物は役人である蕭何、県令についた人物は劉邦と言います。
Q、正直この国の事どう思っていますか。
A、このままではいけない、正さなければいけないと思っています。
二個目の質問からはもうただの確認になってたわ。
古代中国の秦末期に来て、劉邦に伝のある曹参と知り合う。
つまり、これが俺の使命って事なんだろうね。
にしても劉邦と来たか……四面楚歌を習った時にちょっと調べたぐらいだなぁ。今では劉邦の略歴とその周辺人物の簡単なプロフィールぐらいしか記憶にない。
その後は国情を詳しく聞いたり、知っておくべき常識を聞いたりと、自身の知識との相違がないかを調べていく。
結果、魔法や超能力が飛び交うファンタジー要素などなにもない、普通の古代中国だと分かった。
一応呪術や祈祷といった物はあるらしいが、眉唾物なので別段注意しなくてもいいだろう。
考え事をまとめて理解した事、それはすぐにでも覚悟を決めなければいけないって事だ。
ここまでお膳立てされているとなれば、争いはすぐさまやってくるだろう。
そして戦いとなった時、戦国武将に転生した俺に求められるのは人をこの手で殺し、人を殺す戦略を練る事だ。
俺はそれをなす為の力を既に持っていて、力を振るわなければいけない使命とやらもある。
後は覚悟を決めるだけだ。
とりあえずの連続投稿終わり。