今昔夢想   作:薬丸

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孫策視点です。
改稿済み。


30.強者の憂鬱

 先生との別れからもう八年が経っていた。

 

 あれから私達は転戦しながら袁家に尽くすという不毛な年月を過ごしていた。

 何も成果が無かったわけではない。

 行動するからには何かにつけて利益を見出せ。利益は美味しい所だけを頂くのではなく、まずい所も少し得て両得とするなら敵も作らず万事上手くいく。

 そう先生から教わった事を実践し、得た物自体はかなり多い。

 

 とはいえ最初は何も出来なかったに等しい。

 大々的に動くには権限もなく看板もない。しかし監視の目だけはあったので、準備だけを入念にしていた。

 表向きは袁家の温情に感謝し、滅私奉公を体現してひたすら時を待った。

 すると四年五年と経つ毎に監視の目が減っていった。

 袁隗が袁紹という娘に目をかけ始め、彼女に様々な物を与えた結果、こちらに対する意識が徐々に薄れていったと張昭から聞いた。

 袁家のお家事情と監視の目がどうなったのかを慎重に幾度も調査し、私達と同様に監視が緩められた張昭から行け!という合図が来たらもう止まらない。

 

 袁家から貸し出された兵で不満を抱いている者や優秀な者を少しずつ寝返らせたり、盗賊江賊討伐に赴いた各地で独立した際の流通経路の確保を行ったり、義賊を選別して寝返らせたり支援したり、各地で転戦した時には負傷兵を治療するついでに民も治療して功名を目立たぬよう上げたり、表で出来ない事をやりたい放題してやった。

 

 結果、袁家に隠している兵力は母様が率いていた時よりも増え、袁家の首輪が無ければすぐさま豪商になれる程の人脈及び食料調達経路を獲得し、武漢近辺の長江は支配下に置いたと言っても良い。

 

 ……こうして見ると得た物が半端無く多い。もし袁家の枷がなければ今頃袁家と肩を並べていたり?

 まあ、さすがにそれはないか。袁家の隆盛に陰りはなく、私達の全てが未だ遠く及ばない領域にかの家はある。

 袁隗と袁逢が存命している時点では太刀打ち出来ないと張昭も言っており、彼女達の不遇と娘達の不出来が重ならない限り勝負には出れない。

 

 

 仲間は最上の結果を得た八年と言っている。確かにやれる限界の事をやってきたという自負はある。

 だが一点、不満極まる、憤懣極まる事があった。

 戦士として孫家頭領としては非常に充実していた、だが乙女としてこの八年は不毛に過ぎた!

 

 先生はあれから一度も会いに来てくれず、連絡を寄越してもくれなかった。

 それがなによりも辛かった。

 よく分からん奴にへーこら頭を下げるより、五日間昼夜問わず戦い続けた時より、一ヶ月ほぼ馬上にいた日々より、余程堪えた。

 

 会いに来れない事情は十分に理解してはいるが、それでも辛いものは辛いし会いたいものは会いたい。

 しかもだ、完全に音信不通ならば思いを募らせるだけで済むのだが、一方通行ではあるが連絡を寄越せる状況に彼がいる事に思い煩ってしまう要因が生まれていた。

 

 彼は張昭や私達の時と同じように私塾を開いて回っているらしい。しかも私達の利になるよう動いてくれているようだ。私が知る中で先生が一勢力に加担するの初めての事、とは張昭談。

 うん、嬉しい。

 

 最近やってきた呂蒙や陸遜などは彼の教えを三年もかけて学んだ子達で、周瑜や魯粛が手放しで褒める優秀さだ。

 とても嬉しい。

 

 義賊として活動していた甘寧、蒋欽、周泰が劉表軍に進退窮まる所まで追い詰められていた際、劉表軍の嫌がらせも兼ねて密かに助け出した事があった。

 しかし助けたはいいが、その強さと優秀さゆえに目立ち、多くの人間に顔が割れていた彼女達を匿うのは現状厳しい。

 どうしようと悩むが、監視の目がまだ幾つか残っていた当時は打つ手がなく、とりあえず先生がいそうな場所に勘で送り込むという暴挙、もとい賭けに出た。

 結果なんとか合流できたようで、監視の目が緩んだ頃合いを見計らって送り返されてきた彼女達は驚く程の成長を遂げていた。

 色々な意味ですごく嬉しい……のだが!どこかの折で便りの一つぐらい持たせてもいいんじゃないの?!

 見つかる可能性を鑑みてやめとこう、便りがないのが無事の証だ。とでも思ってたんでしょうけどね!こっちは先生からの簡潔極まる紹介状を読む度に落胆してたんだから!

 

 

「雪蓮、おい雪蓮、聞いているのか?」

 

「あら周瑜、何かあった?」

 

「何かって……戦いの最中なのにぼーっとしてる間抜けがいたから声をかけたのよ」

 

「こんなの戦いとも言えないでしょ」

 

「まあ弱い者いじめの類ではあるがな。だが戦場では何があるか分からん、油断するな」

 

 私達は今現在、袁家の依頼で江賊の討伐に派遣されている。

 略奪殺し何でもあり、近くの商人と繋がりを持っていて人を攫って奴隷に落とすような鬼畜ばかりだ。

 商人との繋がりを吐かせた後、見せしめの為に念入りに惨たらしく殺している最中であったりする。

 

「正しい諫言ね、けどもうすぐ終わりだもの。気を抜いても構わないわ」

 

「また勘か?」

 

「これは勘じゃないわ、一番マシだった闘気が消えたのを感じただけ。

 それに油断というなら貴女もよ、私の事真名で呼んだでしょ」

 

「ぐっ、ぼけっとしていた癖に良く気付く」

 

 仲間内での約束である。皆がもう一度一堂に会するまでは真名を自粛し、外では字も呼ばないようにしていた。

 先取りしてしまった先生との約束を仕切り直し、臥薪嘗胆の気持ちを忘れぬ為に、先生に真名を呼んでもらうまでは戒めようと皆で決めたのだ。

 

「あー先生に会いたいなーぁ!」

 

「死体を量産しながら言う台詞か、相当に溜まってるみたいね」

 

「戦いで欲求不満を解消するはずが、逆に不満になるぅ」

 

「本当にお前は……黄蓋殿や程普殿と肩を並べる力量を身に付けたのに、精神はまだまだお子様だな」

 

「仕方ないじゃない!まだ初恋も終わらせてないのに大人になんてなれないわよ!」

 

「意味が分からん」

 

「私にも訳わかんないわよ、分かるのは先生に惚れ抜くのは仕方ないって事だけ」

 

「…まあ、それは仕方ないのはよく分かるが」

 

 先生と初めて会った時から、私の胸はずっと踊っていた。

 というと少し語弊があるか、対面したばかりの時はすごい美人さんだなーと思ったぐらいだったし。

 実際は張昭の言っていた事が本当なのかどうかに気を取られていたなぁ。

 

 帰還の準備を済ませつつ、私は少し回想に耽る事にした。

 

 

 

 確か始まりは息を切らした張昭が私の部屋に飛び込んできてこう言ったんだ、自分の恩師が南海覇王を届けてくれた、至急恩師に会って欲しい。と。

 

 その時の私は身近に大事な人と大事な物が無いという現実を受け入れる事が出来ていなかった。

 夢見心地で地に足がついていない自覚はあったので、全てを他人に委ね、私は人形のような日々を過ごしていた。

 心の中は空虚で何をするにも気力が湧かず、頭の中では何故生きているのかを問い続ける、そんな廃人同然の私だったのだが、張昭の言葉を聞いた瞬間に心と頭の中が絶望に染まった。

 言い知れぬ感情が胸に渦巻き、襄陽での戦いの記憶が脳内を埋め尽くした。

 

 だが絶望による衝撃で私は生き返る事が出来た。

 もし張昭の言葉が嘘であったなら死のうと本気で考える死に行く生者ではあったが、感情は微かに息を吹き返した。

 

 絶望に染まり、恐れる物はもう何もないと変に冷静になった私は、行き先も告げずに走り去ろうとしていた張昭に乾いた声で、分かった、確か会議室が空いてたからそこを使おうと言った。

 そ、そうですな、忘れておりました、手配しておきます。と焦った風に返す張昭。

 張昭相手にこんなやり取りが出来たのは私の今までの人生でこの時だけ。そして恐らく今後起こり得ない珍事だと思う。

 

 

 会議室には落ち目の孫家に義理と忠義で残ってくれた忠臣達が揃い踏み、先生を迎える準備を行っていた。

 張昭は顔見せ、歓迎の為の準備と単純に思っていたようだが、半数以上は始末の為に準備をしていた。

 この時の私達は張昭の恩師という人物を一切信用していなかったからだ。

 だってそうだろう。

 襄陽にも私達の息のかかった者は少なからずいた。

 だから彼らが黄祖軍の目を盗んで母の遺品を持ってくるというなら分かる。

 けれどもたまたま行きがかった張昭の恩師が、孫家の象徴と名高い南海覇王を黄祖軍の目を盗んで持ってくるというのはどう考えても都合が良すぎる。

 こちらの手の者からまだ情報が届いていない事も不信感が増す一因になっていた。

 

 張昭は一勢力に加担する人ではないし権力にも興味が無い人だから大丈夫と言っているが、その人について何も知らない私達は劉表の手の者である可能性は高いと考えて強く警戒していた。

 張昭の恩師といえど、不純な動機があるのなら即座に切り捨てる。ゆえに音が漏れず、戸に鍵がついている作戦会議室を相対の場に選んだのだから。

 

 

 準備を終え、程普を迎えに行かせる。

 しばらくして戸が叩かれ、二人が入ってきた。

 この時私は先ほど言った通り、凄まじい美人が入ってきたなと思っただけだった。

 だがその手に持っている剣を見て、胸が震えた。

 私は絶望を突き破ろうとしている感情をどうにか宥め、まずは非礼を詫びて下手に出る。

 本物だった場合の保険と敵だった場合の出方を窺う為の挨拶だったのだが、先生はとても誠実そうな対応をしてきて何も探れなかった。

 その後先生は早速と言わんばかりにボロボロの剣を差し出してきた。

 刀身を見ずとも、鞘も柄も辛うじて原型が残っているという具合だったとしても、赤子の頃から見上げ続けた母の剣をこの距離で見間違う筈がない。

 

 南海覇王を見た瞬間に、母が私を庇って岩に潰された時の絶望感を、周瑜と二人で巨岩を押した時の無力感を、私に孫家を任せると言われた時の重圧を突き破って感情が蘇ったのを感じた。

 二ヶ月煮詰めた絶望が、たった一振りの希望によって払われた。

 

 だが、だからこそすぐさま剣を手に取れなかった。

 

 私が殺したに等しい母様の剣を手にとって良いのか、孫家頭領として務まってもいない私が孫家の宝剣を継いで良いのか、あの剣は外もボロボロだが中はもっと酷いだろう、私が触った瞬間に雲散霧消してしまうのでは。その他諸々の不安が躊躇いを生んでいた。

 これでは感情が蘇ったのが良いことなのかも分からなくなる。

 

 そんな私を見かねたのか、先生は母の最期のやり取りを話してくれた。

 伝えてくれた言葉も行動もあまりに母様らしくて、私達はここにきてようやく先生が本物であると認める事が出来た。

 先生は母とのやり取りを話し終え、貴女の魂は折れているか?と問うてきた。

 

 母の言葉を聞いて、その問いに応えられぬ筈がない。

 

 母は私『達』の魂は折れないと言った、それはどれほどの苦境にあろうと私の魂も折れていないと信じたからだ。私に剣を託したということは、頭領が私に務まると信じたからだ。誰よりも南海覇王を知っている母が剣は折れていないと言い切ったのだ。

 ならば何の不安があるというのか。

 

 私は南海覇王を受け取り、抜き放つ。

 刀身が鞘を滑る感覚に魂が震え、掲げた白刃が煌めくのを見た時、私は自身が孫家の頭領として生まれ変わったのを感じた。

 

 

 もし孫家の手の者が後日回収した宝剣だったのなら、私は不安の中で剣を手に取り、これでいいのかという疑問を抱いたまま戦場に出て、若くして死んでしまっていただろう。

 血風残る戦場を患者はいないかーと徘徊するような先生が持ってきてくれたからこそ良かったのだ。

 

 先生の来訪で生き返り、先生の言葉で生まれ変わった、これだけでも十二分に惚れる要素だと言える。

 だけどその後の生活もまた素晴らしかった。

 

 

 先生の訓練はとても私達の性に合っていて、とても刺激的でひたすら楽しかった。

 命の危険性のない訓練ではあったが、今やっている命の取り合いが児戯に感じる程の密度があった。

 母様の代から仕えていた宿将五人と先生の戦闘は今でも脳裏に焼き付いている、あれは攻める側守る側、少数側多数側における戦い方の理想を私に教えてくれた。

 私達年少組も交ざっての戦闘では強者との戦い方と身の程という現実を教えてくれた。

 

 その甲斐あって私は未だ本当の命の危険というものに遭った事がない。周囲から見れば危なっかしい場面は幾度かあったらしいが、これ以上は危ないと思った死線は決して超えなかったし、事実思い通りにならない戦闘は無かった。

 油断どうのと周瑜には諭されるが、決して踏み入れぬ基準をしっかり設けているのだから、油断ではないと思うんだけどなぁ。

 

 

 更に更に、苦手な座学ですら楽しくさせてくれたのだから、先生は本当に偉大だ。

 学ぶ楽しさをまず教えてくれて、私達の出来る事をそれぞれ教えてくれて、短所すら長所に変えてくれた。

 先生の教えがなければ、張紘と共に内政の多くを担っていた張昭が抜けた穴を補えず、袁家からの支援という名の重荷と監視を払うことが出来なかっただろう。そうなっていれば現在行っている飛躍の前準備は遅れ、規模ももっと小さなものになっていた。

 また戦術戦略論が無ければもっと多くの仲間が脱落していた、人心掌握術がなければ取り込みは成功しなかった、嘘と時機を見抜けなければ袁家の食い物にされていた。

 先生の教えの何もかもが必要不可欠なものだったと私は確信している。

 

 私は武から、そして周瑜は文から深い薫陶を得ている訳だ。

 

 だからまあ後に仕えると信じていた主君であり、親友の母を目の前で亡くした周瑜も私と似たような感情の経緯を辿っている訳で、同じように触れられた先生に惹かれるのは仕方ないのだ。

 

 

 

 江賊を狩り終えた私達が武漢の屋敷まで戻ると、そこにはなんと張昭が待っていた。

 

「お帰りなさいませ孫策様。念願が一歩近づいた事、知らせに来ましたぞ」

 

「知らせ?って今はいいや!ああもう!懐かしいなー!今日は宴確定っ!」

 

 互いに喜びを一通り表し合った私達は、互いに旅と戦いの汚れと疲れを取った後に張昭の歓迎会を開いた。

 念願に近づいたという言葉は気になるが、それ以上に八年ぶりに会う戦友との邂逅祝いの方が圧倒的に優先度は高かった。

 その日は朝まで飲めや歌えやの大宴会に発展し……翌日は皆酔いつぶれて何も聞けず仕舞いだった。

 先生が見たら、お前ららしいよ、と笑いながら言うのかな。

 

 張昭の到着から二日後、皆が一堂に会する。だがまだここには先生と孫権が足りていない、真名を呼び合うのはまだ先になるなぁ。

 

 張昭の話を聞いたが、今年は彼女にとって激動の一年だったようだ。

 

 まず袁隗が何らかの理由で中央にかかりきりになる事が決定した。中央と関わりを持つ張昭を連れて行くのは危険と判断した袁隗は、彼女を傍から離れさせた。

 だが放置するにはまずい有能さが張昭にはあるので、実権を持たぬ幼子である袁術の教師役としてつかせる事にした。

 

 武の駒である私は中央に持っていけないので袁紹に委譲される予定だったのだが、張昭が袁術を唆して私をねだらせた。袁紹はどこぞの落ちぶれた地方豪族が手に入るか否かなど瑣末な問題だと、いとも容易く袁術に私と部隊をそのまま移譲した。

 袁隗に事が知れた時は盛大な舌打ちをしただろうが、袁隗が中央を離れるわけにはいかず、納得したやり取りを破棄させるのは同族であっても不和を招く。いや、現状自分達に比類する者は少なく、同族間での友好関係こそを重要視しなければいけない。

 そういった様々な要素が絡み、尚且つ八年の忠誠などを鑑みて、ついに張昭と私達が合流する許可が下りたのだった。

 孫権だけは合流させてはいけないと厳命されたようだが、ちょっと蜂蜜を垂らせば一年二年で籠絡できそうだと張昭は言う。

 

 張昭が凄腕というのもあるのだろうが、これほど容易く手のひらの上で踊らされる袁術という奴はどれだけアレなのだろうか?少し気になる所である。

 

 

 ともかく、今の話がここ一年の動向だそうだ。

 

 ああ苦節八年、ようやく後少しで愛しの妹と会える所まで来た。

 そして妹と合流できれば枷の拘束力は大いに削がれる。

 ならばもう三年もあれば先生に逢い、皆を真名で呼び合う事が出来る!

 

 ……駄目だ、待ち遠しくて待ち遠しくて身体のうずうずが止まらない!

 

「周瑜!見せしめ系盗賊退治に今すぐ向かうわよ!」

 

「喜びを物騒な行為で表すなこの脳筋め!」

 

 私と周瑜の昔と同じようなやり取りに皆が笑う。

 うん、大丈夫、これは絶対に皆無事で揃う。

 そんな楽観が確信できる、とても暖かな空気がそこにはあった。




次回は孫家合流、黄巾の乱予兆になります。

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