昨日を振り返り終わった俺は袖をまくった。
「さて、それじゃあ久々に手料理でも振る舞ってやろうかね」
とりあえず周瑜と孫策が好きだった物を目一杯作ろう。十年前、孫策達に栄養管理の為と言って毎食俺が作ってやっており、彼女達の好きな物は完全に把握している。味覚が変わってたら知らんけどな。
後、宴は禁止されているので少し豪勢な夕食程度に収めるようには気をつけよう。
「白様、私はどうしましょう?」
「別に寛いでてくれて構わんけど」
「ありがとうございます。それと、孫策達と夕飯を一緒して良いかを聞きたいのですが」
「あーそうだな、うーん、別に気にしなくていいんじゃないか。傍にいるって事は診療所を手伝ってくれる訳だろ? ならいつかは顔を合わせる事になるんだし」
「そうですか、ではご一緒させてもらいますね」
「先生、居られますか?」
料理も終盤といった所で周瑜の声が玄関から聞こえてきた。
管輅の予言通り、直接来たか。実は百発百中の管輅の予言、俺が絡むと的中率は七割ほどに下がってしまう。なのでちょっと不安だったのだが。
まあともかく今はまだ手を離せないので、管輅に出てもらおう。
「管輅、今手が離せないから出迎え頼む。居間に通したら料理ができるまで適当に待つよう言ってくれ」
「えっと、それは……未来を読むまでもなく厄介事の予感が……」
「何か言ったか?」
「いえ、行ってきますね」
躊躇いがちな管輅は表に向かっていった。
しばらくして診療所の方から大きな声が響き渡り、ドタドタと慌ただしい足音が近づいてきた。
「先生! あの女なんなの?! どういう関係?! 何時から一緒なの?! というか誰?! 何よ! もしかして私達が大変だった時も二人で愛を深め合って」
「孫策、そう焦って聞いても先生も答え難いだろう。取り敢えず落ち着いて、それから尋問だ」
「そ、そうね、ごめん、ちょっと気が動転してたわ」
「という訳で、説明して下さい、先生」
鼻息も荒く、何とも言えぬ迫力を醸し出しながら顔を寄せてくる二人の娘っ子。
「はぁ、何が姉上もしっかり成長している、だよ。
分かった、説明するから、取り敢えず飯の仕上げをさせてくれ」
「絶対よ! 絶対だからね!」
そう言って孫策は足音荒く居間へ移動していった。
想定外の出来事に感情を露わにする所はまだまだ子供だなぁ。でも実際二十そこらの小娘なんだし、身内を相手にする時ぐらいは仕方ないかね。
程なく料理を仕上げた俺は、出来上がったばかりのそれを居間まで運び入れた。
居間には市井の家には相応しくないほど着飾った孫策と周瑜の姿が妙に浮いている。後なんだろう、空気が重い。そっぽを向いた孫策に、微かに眉を顰めている周瑜に、無表情の管輅。
何かあったんだろうか? 俺は料理を配膳しながら聞いてみる。
「二人共予想より随分早かったな。まあ料理を温める手間も省けるし、助かったといえば助かったんだが」
「民に見つかってはいけないので、もっと遅くに伺った方が良いとは分かっていたのですが、こいつが」
目で孫策の方を流し見るが、彼女はツンケンしながら明後日の方向を向いている。
「楽しみにしてくれていた感じではないのか。なぁ孫策、お前何をそう不貞腐れてるんだ?」
「ふん! 楽しみにしてたわよ! 先生が思ってる千倍はねっ!」
「正直に言いますと、そちらの女性が気になっているんです。孫策も、私も。色々と聞いてみましたが、先生の許可が必要だと言われてしまいまして」
「そうか、確かにこの子は出自が特殊だからなぁ。しかし、質問に答えないから不貞腐れていたのか?」
「……違うわよ。その美人さんは先生の弟子とかじゃないんでしょう?」
「違うぞ。なんというか、んー説明に困る立ち位置だなぁ。
……しかしなぁ、それって出来立ての料理を冷ましてまで聞きたいことか?」
「うっ、折角の歓迎を台無しにしてるのは分かってるの、けどどうしても気になるの!」
「焦る気持ちもわかるが孫策、とりあえず一番大事なことを聞いておこう。先生、一つだけ質問宜しいですか?」
「ん、なんだ?」
「その人と先生は恋仲なのですか?」
「いんや、違う。親しくはあるが、付き合っているとかはない。接吻もした事も無いし、肌を晒した事もない」
「あれ? そうなの? その人先生に一番近い人よね?」
「まあ、そういう言い方をされればそうだが、どちらかと言えば仲間意識に近い。というか何でそう思った?」
「私達よりも距離感が近かったもの、そりゃ勘ぐっちゃうでしょ。けど仲間意識、ね。嘘じゃないみたいだし、その人も納得しているみたいだし……うん、そっかそっか」
「納得したか?」
「ええ。貴女もごめんなさい、不躾に感情をぶつけてしまって」
「いえ、気にしてませんよ。貴女の気持ちは理解できていますから」
「理解できちゃうのね。うん、色々とわかったわ」
「俺はよく分からんが、両者納得したなら早く食べよう。積もる話も自己紹介も食べながら和気あいあいとやろう。十年ぶりだっていうのに辛気臭い顔をしたくはない」
「ええ分かったわ。あーもう不貞腐れた表情作るの大変だった!」
「さっきからお腹の音を我慢するのが大変でした。しかもこれみんな私達の大好物ですし、覚えていてくれたんですね」
「まあ十年前は毎日作ってたしな。それじゃあ、食べるとしますかね。いただきます」
「「いただきます」」
その後は夜遅くまで話をした。
十年間の出来事、近況報告、政治経済、今後の事。会話は途切れること無く、本当に十年分の会話をしてしまったのでは、という程に話し込んでしまった。
気付けば朝の気配がし始めていて、これには互いに焦ってしまった。
「若い娘さんを留め過ぎたな」
「会話の殆どはこちらの質問からですし、先生の責任ではありません」
「でも皆に見つかっちゃ駄目だし、早く戻らないと」
「そうか、まあこれから会話する機会なんて幾らでも作れるし、また色々と話そう」
「ええ、楽しみにしてるから。あっ、ねぇ先生。今日の夜って空いてる?」
「ん、まあ大丈夫だが?」
「そう、じゃあ今日の夜に城まで来て! 先生に腕を見てもらいたいの!」
「おう、分かったよ。それじゃあ日が暮れたら出向かせてもらうよ」
「ええ、約束よ! それじゃあ待ってるからね」
そう言って二人は薄暗い空の下、城へと走っていくのであった。
翌日は予定通り診療所の開業準備を始めたのだが、これが予想以上に早く終ってしまった。
薬や器材などの医者として必要な物は常に持ち運んでいたし、住居も店舗も孫権へ事前に手紙を送って手配してもらっていたので、そのまますぐに使えるレベルに整えられていた。薬などの材料流通ルートも十年の旅の中で既に構築済みだし、建業の南地区にはまともな医師が居ないと確認済みなので面倒なすり合わせもない。
やった事なんて宣伝用に看板と立て看板を新しく作って設置しただけ。午後が丸々空いたので近隣の人に挨拶していたら、簡単な診療と治療をする流れに。
結果、上々の評価をもらったが、開業予定日が繰り上がってしまった。
二三日ゆっくりするつもりだったのだが……まあ旅ばかりをしていて、腰を落ち着ける状態では気持ちが落ち着かないという妙な具合なので、むしろ丁度良かったといえば良かったのか。
とはいえ、挨拶をしにいった人からの口コミ以上の宣伝はしないつもりだ。下手に大きく宣伝すると物珍しさだけで人がやってきて診察の邪魔になりかねない。
挨拶に行っては治療をし、茶を貰っては話をする、そんな和やかなやり取りをしていると日が暮れ始めた。
俺は老夫婦との会話を切り上げ、診療所に戻る。
そして管理者に合流出来た旨を伝えるために出掛けた管輅のために簡単な料理を作り置きしておく。
蛇足の情報ではあるが、彼女は色々と完璧だが、料理だけは駄目なのだそうで。
自分の未来がこれ以上ないほど鮮明に見えるし感じれてしまう彼女は、自分があの料理を作ろうと思った時点で作って食べた未来が見えてしまうと言う。結果それで満足してしまい、二度味わう手間を考えると面倒になって最終的には最低限の味付けで済ませてしまう。けど未来の見えにくい俺が料理を作ると何もかもが未体験でやって来てくれるのでとても嬉しい。なんて事を言っていた。
分かっている、あれはきっと言い訳だと。だって目が泳ぎまくっていたし。
だけどそれに突っ込むと面倒だと思ったので真実は闇の中だ。
そして具沢山のスープを作って後は改めて温めるだけという所まで用意をし、宇吉謹製の人避け効果を持つ呪符を発動し、城へ向かうのだった。
城の門前には兵士が控えており、名を告げるとそのまま鍛錬場へ連れて行かれた。
満面の星がきらめく空の下、そしてこれでもかと篝火の焚かれた鍛錬場は昼のように明るかった。
そこには懐かしい顔ぶれ全員と、会議室に居た十数人の新顔が待ち受けており、既に多くの人間が戦闘態勢を整えていた。
やる気満々だなーと苦笑していると、周瑜が一歩踏み出して迎えてくれた。
「夜分に来て頂きありがとうございます」
「気にするな、夜にもなればやることもない」
「そう言って頂けると助かります」
「しかしなんだ、随分仰々しい出迎えだな」
「確かに闘気を持って出迎えるなど無礼千万ではありますが、皆十年間の集大成を見せるつもりでここに望んでいます。その気概に免じて許してください」
「許すも許さないもないさ。教え子の成長が見れるというのは教師冥利に尽きる」
さて、向こうの準備は万端みたいだし、俺も準備運動でもしようかなぁと思っていた所に、新顔の少女が疑問を呈した。
「皆で集まって鍛錬をすると伺ったので来たのですが、これはどういう事でしょう。昨日の話ではあちらのお方は医者なのですよね? 怪我を伴うかも知れない訓練をするのでしょうか? 凱旋が控えているというのにそういった無茶は控えるべきだと思うのですが」
「そうだな、我々も当時は丁奉の疑問をそのまま感じていたよ。ではそうだな、疑問の答えと先生の肩慣らしに丁度良いか。丁奉、謙信殿と打ち合ってみろ」
「はい?」
「きょとんとするのは分かるが、ともかく何も言わず謙信殿に向かって行け」
「……周瑜様がそう言われるなら」
思い切り不服そうな顔をしながら中央に進み、丁奉は得物を構えた。その構えの自然さから、丁奉の腕前がある程度見て取れる。
しかし十年前の光景を思い出すな。腕前といい、年齢といい、目の前の丁奉は十年前の黄蓋とかと同じぐらいだし。
なんか懐かしくなってきたし、ちょっと色々と教えたくなってきたよ?
「先生、今日ばかりは教導など考えないで頂きたいのです。それと丁奉は芯の強い子ですから、散々に打ち負かしても大丈夫ですよ」
どうやら俺の考えは相変わらず筒抜けらしい。まあそれなら今は身体を温める事を優先しましょうかね。
「参り、ました」
目の前には大の字で寝転がり、息を荒げた丁奉の姿があった。
「ありがとう。丁奉と言ったかな? 君は筋が良い。何より目と当て感が良いね。遠距離武器にも適正がありそうだから、黄蓋についてそっち方面も鍛えてみるといい」
「は、はい、ご助言、ありがとうござい、ます」
彼女は辛うじて立ち上がり、そう言って頭を下げた後、足を引きずるようにして端っこに進み、壁を背にして座り込んでしまった。
やり過ぎてしまっただろうか……まあ皆が後でフォローしてくれる事を期待しよう。
「それでは次は儂らか」
「時間が勿体無いから二人で行かせてもらうわよ」
進み出てきた黄蓋と程普を見て、思わず笑みが溢れてしまう。
身体の成長は勿論だが、内に秘める闘気が全く違っている。弛まぬ鍛錬でしか得る事の出来ない内の充実が簡単に見て取れる。
十年前にフルボッコにした時と同じ面子という事、その成長が戦う前から分かってしまう事に懐かしさと嬉しさを感じる。
まあけれどだ、ここでは再び積み上げた自信を叩き折ってやるのが礼儀という物だろう。
「ああ、十年前と同じく二人一緒に沈めてあげよう」
「ふっ、あの頃の儂らと一緒だとは」
「思わないことね!」
そうして二人同時に彼女達は動き出した。
「正直俺は感動しているよ。黄蓋、気を込めながら意を自在に消す、その若さで弓の境地に達しているとは思いもしなかった。程普、常に七手先まで読み、巧みに流れを誘導するその技は大陸でも五指に入るだろう。意を汲む黄蓋と流れを作る程普の組み合わせは凶悪の一言だった。
本当に、お前達に教える事はもう無いんだなぁ」
一戦を終えた俺は弟子の成長に感慨深くなり、思わず本音を吐露してしまった。
目頭が熱くなりそうなので、指で擦って熱を散らす。
「そ、その台詞は、逆の立ち位置になって、言ってもらいたいのぅ」
「本当に、化物よね、先生って」
丁奉と同じく大の字で寝転がり息を荒げる二人。けれど先ほどと違い、俺も少なからず汗をかいている。
ここ百年ほどでは無かった事だ。素直に二人を賞賛するべきだが、何とも悔しい。最近は現状維持程度に留めいていた鍛錬を改めようと俺は心に決めた。
ともあれ、今はこの熱さを途切れさせる訳にはいかない。
黄蓋と程普が中央から離れ、三人が進み出てきた。
「次は韓当達か?」
「おうともさ! 本気を出すのは連合以来だし! 体調は一晩ぐっすりして万全だし! せんせと待望の再戦だし! 高まってるぜぇ!」
「祖茂、お前黄蓋達の姿を見てよくそんな元気でいられるな。あっ先生、是非とも手加減よろしくお願いします」
「しかし韓当、祖茂の気持ちも分からなくはないでしょう? 気の高まりを抑えきれてませんよ」
「……まあ朱治の言う通り、一人の武人として高揚はしているけど、しかしそれとこれとはなぁ」
「おいおい韓当よぅ! これで滾らなきゃ虎の臣下失格だぜ! そんじゃ先行かせてもらうかんな!」
「ああもうまた一人で突撃してからに、朱治、間隙埋めを頼むよ」
「任された。二人ならきっと先生を抑えられる、その隙を狙い打たせてもらおう」
突破力のある祖茂、鉄壁の守りである韓当、視野の広い朱治、とてもバランスの取れた三人には結構粘られた。だが朱治に細かく礫を飛ばして集中力と体力を使わせて優先的に狙って疲弊させ、朱治が鈍った所で韓当を弾き、祖茂を孤立させて意識を刈り取った。そうすると火力が足りないと悟った二人はなすすべもなく降参した。
自分の長所を伸ばした戦い方に、俺は非常に満足していた。将の戦い方はそのまま部隊の運用に反映される。こいつらの戦い方は尖っているが全体で見れば調和が取れている。
次の面子は以前年少組と呼んでいた子達に途中合流組だ。しかしその中に孫策は居ない。目で周喩に問いかけるが、彼女は微笑むだけだ。まあ、とんでもない闘気が奥で渦巻いているので趣旨は丸わかりなのだが。
後の事を考えて温存しながら戦おうと思っていたが、若い子達が存外にやるのだ。
武才において軍内屈指の太史慈と甘寧を先鋒に、小回りの聞く蒋欽と周泰を遊撃に、視野の広さと思考の柔軟性のある孫権と周瑜を中央に置いて、変幻自在の戦法でこちらを翻弄してくる。
時には勢揃いで攻め立て、一斉に退いてみたり、孫権が飛び道具を駆使したりと、突撃、迎撃、強襲、反転、誘導、ありとあらゆる手でこちらを揺さぶり、攻撃を往なす。
正しく一心同体、不離一体の攻防に攻めあぐねていたが、負担のきつい前衛組が少しずつ指示についていけなくなり、最後に一か八かの捨て身による波状攻撃を仕掛けてきて、それを避けきって勝負あり。
「全てを使いきった素晴らしい攻防だったな。全く、褒める言葉しか出てこないよ」
「せ、先生は、何故、体力が持つのです、か? 遅延戦法など、なりふり構わない戦術、を取ったというのに……」
「体力を使わない戦い方もあるという事だ。相手の力を使う合気、動きに合わせた呼吸法、無駄を省いた体術、相手の動きに先んじる反射行動。その他諸々を遺憾なく発揮しただけさ」
「まだまだ私たちは、極めきってなど、いないのですね」
「おお、だからまだまだ楽しめるぞ」
「まだまだだと良い笑顔で言われましても……しかし、そう言われて喜ぶ変態が次に控えています。
叩きのめして上げて下さい」
「物騒だな、まあ分かったよ」
いよいよ真打ちの登場である。