今昔夢想   作:薬丸

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改稿済み。


38.聞かないから答えない

 鍛錬場の奥、こちらの剣戟など知った事かと、壁に向き合いひたすらに闘気を練っていた孫策がようやくこちらを向いた。

 ある種超然とした雰囲気を纏った彼女はゆっくりとこちらに進み出てきた。

 

「お待たせ」

 

「全然待ってないさ、楽しんでたぞ?」

 

「ふふっ、皆の全力を楽しんでたで済ませちゃうんだから、先生ってやっぱり先生よね。でもなんか不思議だわ、先生が汗をかいてるのを見るのは」

 

「十年前では有り得ない事だったからな、それだけ皆成長していたって事さ」

 

「これは単純に先生の力を畏怖するべきなのか、汗をかくなら倒せる可能性はあるのだと喜ぶべきなのか、ちょっと判断に困る所よね」

 

「なんだそれ、俺も剣で刺されれば死ぬ普通の人間だぞ?」

 

「普通の事なのに、妙に嘘っぽく感じるのは何故かしらね。ちょっと試してみましょうよ」

 

「お前の剣が届くのなら、お好きに」

 

「ふふっ、言ったわね。あっ、お願いなんだけど、南海覇王を使わせてもらいたいんだけどいいかしら?」

 

「いいぞ、あの剣じゃなけりゃ受け止められんだろ」

 

「ありがと、鍛錬用の剣なんて一合ももたないでしょうし、それじゃあ興が冷めちゃうでしょ?」

 

「俺も特製の剣を使わせてもらおう」

 

「ええ、存分に打ち合いましょうね!」

 

 力と狂気に酔ったような様子の孫策。昨日の様子からは分からなかったが、すっかり戦闘狂に仕上がっている。

 戦い尽くしの十年が彼女をそういう風に育ててしまったのだろう、そうあらねば生きていけなかったのだろう。

 仕方のなかった事とはいえ、このまま行けば身の破滅を招きかねない。ここは彼女の先生として再教育してやらねば。

 

「受け止めてやるさ」

 

 互いに真剣を抜き、闘気を滾らせ、勝負は始まった。

 

 

 そして俺は彼女の剣を受け続けた。

 気が込められた剣は避けるのが困難だ。寸で避けると刀身から漏れる気に当てられてこちらの気が変調してしまうので、大きく避けなければならず隙になりやすい。なので同等以上の気を込めて打ち合わなければいけない。

 だがしかし、彼女の募らせた感情を受け止めると言った手前、気を込めすぎて決着を急いではいけない訳で、同等より少し上を狙って気と剣速を調整しなければいけない制約がある。

 これがとてもシビアで集中力と体力を大きく奪っていく。

 

 調整とか制約とか上から目線で言っているが、その垣根は言うほど高くも厚くもない。

 逸話補正、天賦の才、すこぶる健常な身体、正しい鍛錬、驕りのない精神。これらで構成された孫策は恐らく現時点で大陸五指に入る実力を既に備えている。

 俺と彼女の分かりやすい差など経験ぐらいしかないのだ。

 しかもこの戦い、経験をさほど必要としない合理を突き詰めたぶっ叩き合いである。フェイントも何もない、速度と力を出し切って急所を狙う単純な殺し合い。

 つまり彼女の得意分野である、そんな苦境で微妙な調整をし続けるのは本当に骨が折れる。

 

「あははっ、今私全力を出せてるわ! 出し続けて倒せない!」

 

 とても嬉しそうに彼女は笑った。

 一秒で六合を交わし続け、そうしてもう十分程戦っている。互いに気力も体力もまだまだ充実しているが、

 

「付き合ってくれてありがとう、次は先生の土俵で戦いましょう!」

 

 孫策がそう言った直後に戦い方が変わった。緩急を入れ、体術を繰り出し、周囲の物を使う。

 素早い状況判断と相手の心理を読む戦いは経験が物を言う、確かに俺の土俵である。

 整然とした剣戟が、途端にどたばたとしたアクションムービーの様相を呈する。

 鍛錬場を縦横無尽に駆け回り、周囲のあらゆるものを巻き込み、俺達は戦い続ける。

 十年前の孫策が苦手としていた戦い方だ。彼女は天賦の才を存分に発揮しあう事を好み、こういった相手の力を削り、自身の力を相手から眩ませる戦い方を避けていた。

 十二分に戦えていると言えるが、しかし先ほどの斬り合いに比べるとやはり練度が劣っている。

 だが敢えてそうした戦いを挑んできたのは……。

 

「先生、私強くなったでしょう!」

 

 その成長ぶりを見て欲しいのだろう、苦手だった物もこれ程までに修めたのだと。

 

「驚くほど強くなってるよ」

 

「先生が言っていた通りの訓練を毎日欠かさずやって、実戦では死線のギリギリを潜り続けて、私は誰よりも強くなったわ!」

 

「成長ぶりを見れば分かるよ」

 

「無理難題をこなし続けて、いっぱい無茶をして、悪人を殺して、仲間を殺されて、そんな事を繰り返してたら、精神だって強くなった!」

 

「そうか」

 

「私は正しかったんだよね、先生」

 

「そうだな」

 

「私、頑張ったよね?」

 

 孫策の泣きそうな表情を見て、先ほどちらりと見せた狂気が彼女の壊れる前兆だったのだと思い至った。

 

 以前話した集団の中にある孤独に彼女は陥ってしまったのではないだろうか。

 誰よりも頑張って、長だからと強がって、結果本当に誰よりも強くなってしまった。そうして頼るタイミングを逃したのではないか。

 勿論これはただの推測である。

 だが少し彼女の剣について気になっていたのだ。別れてから黄蓋や程普が孫策を鍛えたのなら、彼女の剣には誰かしらの色というものが残るはずなのに、それが一切見受けられなかった。俺は基礎しか教えれていないから、彼女は完全に我流で剣技を洗練させていった事になる。

 そう考えると推測は進む。

 周瑜とは働く役割が違うので離されていただろうし、黄蓋達は孫策に孫堅の姿を重ねて過剰気味な期待をしていた。だから彼女を支える者は厳密にはいなかったのでは、と。

 勝手な推測ではあるが、割りと当たっているのでは、と思う。

 

 ともあれそうであったとしても黄蓋達は責められないだろう。彼女達も一杯一杯だったのだろうし、無意識的に拠り所を必要としていたに違いないのだから。

 

 ここまで考え、ならば孫策に今必要な事はなんだろうと改めて考える。

 誰にも頼らず天辺に手をかけてしまった少女に必要なのは、きっと孤独からの解放だ。

 暗闇の中上へ上へと駆け上がった彼女に、お前よりも上には上がまだまだいるのだと、天辺だと思っていた場所よりも先があるのだと、追いかけるべき背中があるのだと知ってもらおう。

 

 ここで周瑜の言った「叩きのめして上げて下さい」という言葉を思い出した。

 そうか、あれはきっと周瑜は孫策の気持ちを理解しての言葉だったんだな。自分では孫策のテリトリーに至れないと悟ったから、俺にその役割を託したのか。

 分かったよ周瑜、俺が孫策を強者の孤独から引きずり出そう。

 自分はまだまだだったんだと省みてもらい、周囲を見渡す切っ掛けを作るから、後はお前や孫策を取り巻く皆がどうにかしてくれよ。

 

 

 やる事は当初から変わらないが、決意を新たにした俺は集中力を増した状態で彼女と向き合う。

 しばし斬り合いを続け、自然と鍛錬場の中央へと至った俺達は示し合わせたように一足飛びで距離を置き、互いに剣を構えて向き合った。

 

「最後は私に合わせてくれるんだ」

 

「何時だってそうだっただろう?」

 

「そうだった、得意になって鼻を伸ばすとすぐに叩き折りに来てくれた」

 

「今回だってそうさ、お前の成長ぶりは驚嘆するが、俺はお前の先生だぜ?」

 

「そう、それじゃあ行くわよ」

 

 彼女は気を全身に巡らせ、地面を蹴った。

 矢よりも速い突進、タイミングを誤る事無く振るわれた剣、最高の攻撃に、俺は真正面から応える。

 気を最大解放し、振るわれた剣を迎撃する。

 ぶつかり合った剣はこの戦い最大の音を響かせ、そして南海覇王だけが跳ね上がった。

 俺はそのまま孫策の首元に剣を突き付け、

 

「ここまでだ」

 

 終わりを宣言する。彼女は複雑な表情を一瞬浮かべたが、すぐに表情を消した。そして何を言うでもなく肩の力を抜き、顔を隠すように俯きながら一息をはいた。

 俺は剣を仕舞い、孫策の頭に手を置き、優しく撫でる。孫策はビクリと身体を硬直させたが、そのまま俺の手を受け入れてくれた。

「俺に本気の片鱗を出させるとはな、本当によくやったよ、お前は」

 そう言葉をかけると、彼女の身体が小刻みに震え、ぽたりぽたりと涙が地面に落ちた。

 

「私、負けたんだね」

 

「ああ」

 

「私、強かった?」

 

「ああ、項羽と光武帝の次ぐらいに強かったさ」

 

「ふふ、何それ、というか本気の片鱗って何よ。あーもー訳分かんない」

 

 そんな風に涙声での会話はしばし続き、そして最後に、

 

「ありがと、先生」

 

 と一言零し、孫策は無言になって泣き続けるのだった。俺は彼女の頭を撫でながら、彼女の涙にどれだけの意味が込められているのかを宛もなく考えるのだった。

 

 

「もう、大丈夫です」

 

 顔を上げた彼女は目こそ赤くなっていたが、清々しい表情を浮かべていた。

 

「改めて今日はありがとうございます、先生。ここにいる全員にとって実りのある時間でした」

 

 孫策は改めて礼を言って場を締め括った。

 

「一件落着という所か」

 

 周瑜がとても優しい目と表情でやってきて、立っているのもやっとという様子の孫策に肩を貸した。

 

「ありがと、周瑜」

 

「ふふっ、しかし随分と派手にやらかしたものだな。鍛錬場はぐちゃぐちゃで、居合わせた私たちはぼろぼろ、剣戟の音は城の外にも響き渡っただろう。明日には城で何があったんだと問い合わせが殺到するな」

 

「あはは、ごめんね、途中から興が乗りすぎちゃった」

 

「こらこら周瑜、感動したのを誤魔化す為に茶化すのはやめよ。

 謙信殿、此度の戦いは武人にも軍師にも非常に有益なものでした。武人として武の頂きの高さを見ることが出来、軍師として個の戦闘力について新たな認識を得る切っ掛けとなり、臣下として我らが主の強大さを直接感じる事が叶いました。他にも感謝したい点が多々あり、どう礼を尽くせば良い物か考えあぐねております」

 

「礼などいらんさ張昭、教え子の成長を見て取れた、それだけで俺は十分に満足しているよ」

 

「あれだけの物を見せて頂いたのです、何も礼なしとはいきますまい」

 

「以前言った約束さえ守られるなら、俺はお前達の教師で在り続けるよ」

 

「……そうですか、ならば約束を改めて厳命する事で礼としましょう」

 

「しっかしせんせーよぅ、それだけの腕があるのに何で表舞台に出ないんだ? なんつーか、勿体無いぜ」

 

 祖茂が発した十年おきの最もな疑問に、皆が固まった。

 

「詳しくは言えないが、俺は本来世俗に関わってはいけないんだよ。個人的に人と接したり、治療したりするぐらいなら大丈夫だが、どこか大きい勢力に直接所属したりだとか、お偉い人間の知己を得たりだとか、一般人の枠を大きく逸脱するのは厳禁なんだ」

 

 お前聞くんかい、あんた話すんかい、という声がどこからか聞こえてきた気がする。

 

「んーだったら今の状態とか、治療に行脚したりとかってかなりまずいんじゃねーの?」

 

「す、すごいな、儂はここにきて初めて祖茂を尊敬の目で見ておるよ」

 

「私もよ、無神経もここまで極まれば偉大よね」

 

 黄蓋と程普がこそこそとそんな事を話していた。

 

「治療行脚は今の所大丈夫だ、五斗米道の人間なんかでそういう事をしている人間はざらにいる。だが正直お前達との付き合いは少々不味い所まで来ている。幾人もお前達の所だけに塾生を送り込んだ事を咎められた」

 

「えっ、咎められたって、大丈夫かよ? つか先生が誰に咎められるってんだ?」

 

「釘を刺されただけだから俺に何かあったわけじゃない。だが私塾の開講はもう出来ないな。誰か、という問いについては何も言えない」

 

「そっかー先生にも色々事情ってもんがあるんだな。じゃあさ、ウチらとの関わりってどうなるんだ? もう会えないのか? そいつぁちょっと寂しいぜ」

 

「核心しか突かない祖茂に私は慄いているよ、なんというかこう、心臓に悪い」

 

「韓当は特にですが、私達が変に気を回し過ぎているだけなのでしょうかね。先生は何時だって聞けば答えてくれる人だったと今思い出し、納得しています」

 

 韓信と朱治がこしょこしょとそんな事を話していた。

 

「前話した時と変わらないさ、所属を明言しないこと、戦場には連れて行かないこと、これらが守られるなら特に制限はない。診療所で治療を受けに来るのも、話し込むのも大丈夫だ。けどそうだな、城に呼ばれるのはもう不味いかもしれないな、所属の明言に抵触する可能性がある」

 

「そっか、今ここで派手にやらかしちゃったしなぁ。でも診療所まで会いに行けばいいだけなら、まあいいっか。そんじゃあこれからも頼むぜ、先生!」

 

「ああ、お前は他の奴らよりウチへ運ばれて来そうだからな、よろしくしてやろう」

 

 しかし祖茂ばかりが聞いてきたな、もう一人ズバズバと聞いてきそうな人物がいるのに。

 と、孫策を探して周囲を見ると、彼女は周瑜に背負われて眠っていた。

 まああれだけ気を放出し、肉体を酷使したのだ、眠りに落ちるのも仕方ない。

 俺の視線に気付いた周瑜が一歩踏み出した。

 

「我らが君主もこの有様です、そろそろお開きにしましょう。先生、今日は本当にありがとうございました」

 

「いや、構わんさ。それとさっきの話、孫策に伝えておいてくれ」

 

「はい、仔細伝えましょう。送りに人を」

 

「そういう気遣いはいらん、皆疲労困憊らしいからな、さっさとゆっくり休め」

 

「ありがとうございます、ではまたこちらから伺わせてもらいますね」

 

「おう、いつでもどうぞ。それじゃあまたな」

 

 一同が頭を下げて送り出してくれたのだが、そういう偉い人扱いはここ最近ではご無沙汰で、先生らしい事をしたのも久しぶりだったので、妙に気恥ずかしくなってしまった。

 俺は気恥ずかしさから小走りに鍛錬場を後にするのだった。


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