今昔夢想   作:薬丸

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改稿済み。


39.相手もまた傑物

 剣を打ち合わせた五日後、華々しい凱旋パレードが催された。

 旅をして来たとは思えぬ綺麗な皆、汚れ一つない豪奢な衣装、今からでも外を走らせろと気力十分の馬達。

 どこをどう見ても旅帰りではないのだが、民衆はそんな事どうでも良いとばかりに大声を出して歓迎の意を表している。

 皆が通る大通りには警備兵が並び立ち、溢れる民衆を押し返しているが、まあそんな者がいなくとも彼女達に近づくものなどいないだろう。

 気を張り巡らす事で、並の人間を一定以上近寄れなくしているのだ。

 無意識化に働きかけるものなので、分かりやすい警戒を見せるなどして熱狂に水を差さないよう彼女達なりに配慮しているようだ。

 

 そのまま彼女達は城に入り、しばらくして城の広場に民衆を招き入れた。

 こういう場合は何か大きな宣言があるものだ。皆もそれを感じ、声を押し殺して待機する。

 すると高台に孫三姉妹が上がり、声を張り上げて話し出した。

 

 母が亡くなる場面から辛く苦しい十年間を話し、十年間迷惑をかけた民衆への謝罪と労い、ここに至った喜びをそれぞれに謳い上げた。

 民衆はそれを黙々と聞き、多くの人間が涙を流している。

 最後に孫策が自身の領地を呉と呼ぶと独立を宣言、そして呉を繁栄させる宣誓を行った。

 そこで民衆は大いに沸き立ち、張り裂けんばかりの大声で孫家と呉の賛美を叫んだのだった。

 

 

 

 俺はその堂々たる様に、四百年前に劉邦様が中華を統一した際の演説を思い出した。

 そこではっと気付いた。

 孫策を見ていて時折感じていた既視感の正体が分かったのだ。

 

 孫策は快活で、自信に満ちあふれていて、人を惹きつける魅力を備えていて、まるで王になる前の劉邦様を見ているようだった。

 それに極めつけは周瑜である。

 孫策と周瑜の掛け合いに良く感じていた既視感は、四百年前によく見た光景、劉邦様と曹参さんのやり取りまんまだったのだ。

 

「来世で会いましょう」

 

 俺の言った台詞だ。けれど俺は本気で来世があるとは思っていなかった。死に行くあの人達に対する鎮魂と、長く生きるであろう俺に慰めとして向けた言葉である。

 だがもし本当に生まれ変わりがあるのだとして、彼女達がそうであるなら、再び支え合える人達に出会えた喜びを感じるし、出会えた場がまたもや戦乱の時代という事に残酷さを感じる。

 

 まあ、前世について何かを覚えている訳でもないのは、十年前に一年みっちり付き合って分かっているので、この感傷に意味など無い。

 ともかく、デジャヴには理由があったと分かってとてもすっきりした。

 

 

 

 それからは万端に準備された祭りが始まった。

 建業全体が夜通ししっちゃかめっちゃかの喧騒に包まれ、その状態が三日三晩続いた。

 

 祭りが許された三日間の最後の夜、懐かしいメンバーが俺の診療所へ押しかけてきた。

 俺が登城する事が出来ないと言ったので、ならば診療所で宴会だ! と相成った訳である。

 まあ診療所はそこそこの広さがあるので、詰めれば二十人ぐらいの宴会は許容できる。

 俺は快く受け入れ、酒と料理を用意して振る舞い、小さな宴会が始まったのだった。

 

 ぎゃーぎゃー騒ぐかと思われたが、三日続いた祭りであっちこっちに付き合わされ続けた皆様方は結構疲れ果ててしまっていたので、料理に舌鼓をうち、酒は酔う為ではなく味わう為に飲むという至極真っ当な楽しみ方をしていた。

 うん、暴れん坊達は疲れているぐらいが丁度良いのである。

 

 だがしかし、年齢の事もあり、まだ具体的な立場が決まっていない孫尚香だけは祭りを純粋に楽しめており、また子供らしく元気ハツラツだった。

 そして俺は何故だか元気ハツラツの彼女に付きまとわれ、祭りの間ずっと手を引かれて過ごしていた。

 彼女は先日の鍛錬場での一件に関われなかった事を酷く恨んでおり、鬱憤を晴らしているとの事だ。寝ていた孫尚香と起こさなかった面々に責任こそあれ、俺には一切責任がないと思っているのだが……まあ子供心に寂しかったんだろうなーと勝手に納得して甘えさせている。

 今も彼女は俺の膝の上である。

 

 ともあれ、改めて真名を交換し、十年間の溝を埋める為にあれやこれや話し合い、どこまで盛ってあるのかもわからない活躍や武勇伝をぶつけ合い、今後の夢をこれでもかと語り合い、宴は熱く盛り上がった。

 しかし一番白熱した話題がずっと後ろに給仕として控えていた管輅についてだったのには苦笑がこぼれた。

 管輅には呂華という偽名を用意していたのでそれを伝え、記憶喪失だったので拾ったと説明した。胡散臭い設定だったが、この荒れた時代には無くはない話だったので、皆気の毒そうに管輅を労っていた。

 そして何事も無く宴は朝日が昇る直前まで続いた。

 何人かが泊まって行きたーいと駄々をこねたが、風紀取締役である張昭に引き摺られて行った。

 

 

 それからは平穏な日々が続いた。

 朝早くに起き出し、外へ鍛錬に出かけ、朝ご飯を作り、診療所を開け、爺さん婆さんの話を聞き、時たまやってくる患者を診、やってきた子供に絵本を読み聞かせ、気が向いたら水飴などをやり、昼ご飯を作り、やってきた友人知人の話を茶を飲みながら聞き、夕方になれば診療所を閉め、夕ご飯を作り、鍛錬に出かけ、ぐっすり眠る。

 俺個人としてはそんな平々凡々としたサイクルを送っていた。

 

 呉の皆は、かなり忙しかったらしいのだが、それでも誰かしらが診療所に来ては茶を啜って話し込み、ご飯を食べて帰っていくのだった。

 まあ冬の前後は慌ただしくなるのは仕方ない。

 本格的に冬に入る前に食糧事情、民の防寒事情、他国の事情を調べ上げ、限定的な減税、必要物の配布、他領への援助などの対策を練って実行しなければいけないのだから。

 本当なら茶なんてすすってる場合じゃないだろうに。

 

 

 そうして冬がやって来ても俺の生活サイクルは変わらなかった。

 担当地区を周って患者がいないかを探し、居れば治療、居なくても予防をしていった。

 逆に呉の皆はやる事をやりきって暇そうだった。

 雪上訓練、集団鍛錬などは勿論行い続けているそうだが、入ってくる情報が減少するので机仕事がぱったりなくなるのだ。

 人のやり取りそのものが減るので、情報の漏洩も入手もし辛くなり、整理するべき内容が入ってこない。南との交易関係が時たま忙しくなるぐらいだ。

 

 他者を出し抜くにはもっと情報の入手に奮闘したい所だが、冬の長江に隔てられると難しい。

 雪と気候が邪魔して出せる船が少なくなり、出せたとしても非常に目立つ。

 こうなると密入国は紛れる人がいなくて見つかりやすくなるし、商人に扮しようにも人の出入りが少ないので念入りに調べられてしまってボロが出る。

 頼みの綱は既に送り込んである密偵達だが、情報の収集量と持って帰って来るリスクが釣り合わない状況だろう。商人として潜り込んでいる者以外は、人の出入りが少ない中下手に動き回れないし、呉へ帰ろうにもこんな冬に何処に行くの? と怪しまれる。

 雪中であろうと動き回って怪しまれない商人も、戦争が近いからと検問がやけに厳しくなっていて今冬はあまり動けなくなっていた。

 天然の防壁が悪く働く瞬間である。

 

 なので今は南から食料資材を調達し、城壁や砦の建造修復を遅々と進め、兵の鍛錬を行って自国の富国強兵にひた走るしか無い。

 といった訳で、あいつらが俺の所に来る時間がやたらと増えた。

 まあやれる事は一応やっているし、俺も暇だから良いんだけどさ、本当に大丈夫なのかねぇ。

 

 

 

 そうしてその心配は見事に的中した。

 長く長江の渡航を妨げていた雪が解ける頃、ある知らせが建業に舞い込んできた。

 なんと既に袁紹と曹操が戦いを始めていると言うではないか。

 事の重大さにリスクを顧みず明命を直接向かわせたが、明命が情報を持ち帰る間もなく、両者の戦いは官渡で終わり、あっという間に曹操が冀州を統治する事になった。ここまで来ると魔法のような手際だ。

 

 全てが終わった後、明命がその内情を持ち帰ってきたのだが、驚くべき事に、恐るべき事に、曹操は誰にも気付かれる事無く秋の段階で袁紹の懐に手の者を数多送り込んでいたのだった。

 荀彧などの伝を利用し、内部から徐々に食われていた袁紹は、讒言に次ぐ讒言、甘言に次ぐ甘言に惑わされて優秀な人材を失い、組織の空洞化を招いてしまった。

 

 呉の将は冬の内に気付くべきだったのだ。

 反董卓連合で本家を空けなくてはいけなかったとはいえ、明命に容易く袁家最重要区画へたどり着かれる程度の情報管理能力しかもっていなかった袁家が、あの冬の間だけは厳しく激しく細作の摘発に力を入れていた違和感に。

 戦乱の世が始まるという事で力を入れていたと思うのは仕方ない、そう思うように仕向けられていたのだから。

 だがそこで少しでも現状を疑い、曹操と袁紹の緩衝地なども無理して調べてみればすぐわかったのだ。

 本来何より厳しく取り締まらなければいけない曹操側よりも、何故か呉への警備体制が厚かった事に。

 秘密裏に袁家を侵食していた曹操は、袁紹との決戦のその先、呉との戦に備えていた訳だ。

 

 曹操の恐るべき所は、蝗害によって手が広げ辛い状態でありながら、長江での呉に対する水際対処を優先した所だ。

 人材、情報、物資、様々な箇所を侵食していたとはいえ依然袁家は強大であり、官渡での戦いも薄氷を踏むような勝利だったと聞く。

 そこを見極め、情報戦において呉を優先した曹操という傑物。怖気が走るようなバランス感覚、管輅レベルの占い師でも抱えているのではと疑うほどの先見の明である。

 曹操について四百年の積み重ねた情報を持つ管輅にその人格や能力を尋ねると、それをやってのけるのが曹操という存在だと言われた。

 だとしたら間違いない、曹操こそが三国一の強者だ。

 

 

 

 呉の皆が幾ら後悔しようと時は戻らない。

 これからどうするべきかをこそ話し合わなければいけない。

 

「で、なんで俺の所でやるのかねぇ。世間話ぐらいなら構わんが、作戦会議となると所属の明言に抵触しかねないんだが?」

 

「申し訳ありません、皆を止める事が出来る者は先生しか居られず、やむなくだったのです」

 

「それにこれは作戦会議ではありませぬ、結果は既に出ていますからのぅ。あくまで白様は仲裁役です」

 

「あーそうかい」

 

 冥琳と雷火を横に侍らせ、俺は目の前の喧々諤々の論争をぼーっと眺める。

 主戦派と慎重派に分かれて、己の主張をぶつけ合っている。

 主戦派は雪蓮を筆頭に武闘派の面々が、慎重派は蓮花を筆頭に政治にも長けた人間が集まっている。

 しかっしあれだ、一時間もこんな不毛な言い争いをしていていいのかね。

 

 更に三十分ほど経った所で、そろそろ出張医師活動でも始めようと腰を上げた所で、

 

「「先生はどう思われますか?!」」

 

 と姉妹から声をかけられた。

 あまりの剣幕に少し腰が引けてしまった。取り敢えず俺は周囲を見渡す。

 すると皆がこちらに注視し、意見を聞く態勢を取っていた。

 冥琳と雷火に目をやると、お願いしますと目で訴えかけられた。

 結局俺が口を挟むのか。大丈夫かなこれ。

 

「あー正直これは事態を客観的に見れば答えが出てくる。今回は戦わない、いや、戦えないというのが正しい」

 

「それは何故なのか、詳しく教えてちょうだい」

 

「まず満足に軍が送れない事。雪が解けてある程度船は引っ張り出せるようになったが、雪解け水によって増水した川を渡るのは難度が高い。だから軍を送るにしても、もう少し川が落ち着いてからになる。

 そして軍を対岸に渡せたとして、何処に送り込む? 汝南か? 許昌か? 今敵の軍が何処にいるかをちゃんと把握しなければ、挟撃も本拠強襲もやられ放題だぞ。

 だが曹操軍の動きを把握しようにも、曹操が掌握した領土は広く、調査にはかなりの時間がかかる。

 その間に曹操が攻めてこないとも限らないから、兵は薄く広く、長江を睨む形で展開せざるを得ない。そうなると調査が終わり、さあ攻めようと軍を集中すればそこでまた時間がかかる。

 ならば地道に領土を削り取って牽制をするか? まあ不可能だわな。補給路は長江を挟んでいるから時間が掛かる、輸送費も馬鹿にならない、何より狙われ放題で危険と来ている。補給路が確保できなければ奪った領土の統治などが出来るはずもない。

 今までが万事上手く運んでいて、ここに来ての失敗を認めたくないのは分かる、けれど受け入れなきゃいけない。お前達は曹操との前哨戦で完膚なきまでに負け、後手に回らされているんだと」

 

「……そうね、挽回しなきゃって焦りで目の前が見えてなかったわ」

 

「でもせんせ! そういう事は教えてくれても」

 

「そこから先の発言は噤め。白様は我らと付き合うのは不味いと言いながらも、それでもなお付き合いを変えず、世話をしてくださっているんじゃぞ。というかお前が一番世話になっとるじゃろ。

 むしろ謝らねばいかんのは我らの方だと気付け、もう大丈夫だと太鼓判を押してくれた先生の顔に泥を塗った形なんじゃぞ。

 正直ここへ来ることを提案したのは、恥を敢えて白様に見せ、戒める為と言っても過言ではない」

 

 雷火が立ち上がり、厳しい口調で言い放った。

 

「白様、我らのわがままに付きあわせて申し訳ありません」

 

「そういう意図があったのか。まあでも、お前らなら挽回できると信じてるよ」

 

「有難うございます。聞いたなお前達! 我らは今窮地に立たされておる、が、まだ反撃の機会はある。ここから挽回するぞ!」

 

「「「「応っ!!」」」」

 

 それから議論は着実に進み、しっかりとした道筋が立てられた。

 軍は長江を監視、内部の徹底的な洗浄、情報統制の再構築、経済侵略の活性、各地諸侯への曹操の印象操作と繋がりの強化、曹操領地の扇動等の計画が綿密に進められ、全力で実行される。

 

 とはいえ、傑物曹操の前では時間稼ぎにしかならないだろう。

 だがその時間が勝利への一手を育てるのだ。

 天の御遣い達という奇跡の一手を。


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