今昔夢想   作:薬丸

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改稿済み。


40.一日休戦

 そうして稼げたのは二年という期間だった。

 呉がなりふり構わず横槍を入れまくったというのに、曹操はたった二年で広大な冀州を完全に手中へ収めてしまった。

 いや、袁家存命の時から内部を侵食していたというのだから、二年も統治の邪魔をした呉の将達を手放しで褒めるべきなのかも知れない。

 

 たかが二年、されど二年である。

 呉が富国強兵を推し進めるには十分だったし、蜀がギリギリ国の体裁を整える時間もあった。

 正直、二年で蜀を作り上げた天の御遣い陣営の辣腕は凄まじいものがある。彼らもまた歴史に名を残す才覚溢れる偉人なのだと再認識する偉業である。

 しかしまだ時間が足りない。国の体裁を整えたとはいえ、まだ人を捻出できる程の余裕はない。

 後一年、どうにか一年を稼いで欲しいと呉に要請があった。

 

 長江から北を完全に手中に収め、もはや小細工ではビクともしなくなってしまった曹操陣営から一年を勝ち取るには、曹操の旗揚げした魏と正面からぶつかり合い、痛打を与える他無い。

 勝たなくてもいい、当たって一度でも押し返せれば、未だ日和っている諸侯の力も纏め上げて、一年の期間を得る事がどうにか可能になる

 とはいえ、それが如何な難事であるかは、周泰が手に入れてきた情報を鑑みれば分かる。

 

 魏軍八十万、呉軍二十万。反董卓連合軍と董卓軍の戦いを思い出せばいい、無茶押しで容易く決着がつく絶望的な戦力差がそこにはあった。

 

 

 現在は厳戒態勢が敷かれ、何時でも戦闘状態に移行できるよう皆がピリピリと警戒していた。

 そんな中、曹魏動くとの報告があった。

 いよいよか、と固唾を呑んで詳細を聞くと、皆が驚愕の声を上げた。

 まさかの蜀方面への侵攻である。軍師との話し合いでも、魏との戦いは恐らく合肥で決まりだろうと推測が立てられ、準備が進められていた。

 だがまさかの蜀への進軍。確かに蜀を潰されれば呉は魏に敵わなくなってしまうが、それにしたって侵略中に許昌を取られたらどうするのだ。

 孫策達は曹魏の不可解な対応に頭を悩ませるが、とにかく蜀救援のためのすぐに軍を編成するのだった。

 

 次の報告は早かった。

 曹魏軍は許昌から蜀方面へ五日程の場所、新野で歩みを止めた。

 更なる不可解な行動に軍師一同が頭を悩ます中、真っ先に理解を示したのは孫策だった。

 彼女は誘われている、と言った。

 どういう事だと話を聞く。

 すると彼女は震える声で話し出した。

 

「本当に蜀を潰したいのなら新野なんかで進軍は止めず、軍を二十万ほど分けてさっさと攻め込めばいい。残った六十万は呉と蜀を隔てる壁として守りに徹する。そうして時間を稼いでいる間に蜀を落せば、もはや私達に勝機はない。

 じゃあ何でわざわざこれみよがしに動きながら、進軍を止めたのか。

 それはね、あいつは私達に最後の抵抗の機会をくれてやると考えているからよ。

 私達と本気で戦いたいのか、蝗害の時に援助したお返しか、妨害工作の意趣返しなのかはわからないけど、舐められたものよね」

 

 孫策は血が滲むほど掌を強く握りこみ、地図の広がった机に拳を振り下ろした。

 

「しかも新野、襄陽のすぐ近くを戦場として選ぶですって? 本当にふざけてるわ!」 

 

 怒りによって震えていた声が、湧き上がる激情によって次第に金切り声のようになっていく。

 

「冥琳、全兵力を新野へ向かわせるわよ!」

 

「馬鹿なっ、守りは」

 

「もう守った所で仕方ないわ。玉砕する気で行かなければ勝てないわよ」

 

「お姉様の言う事が本当なら、私もお姉様と同意見よ。ごめんなさい冥琳、貴女が正しいと分かっているけど、これを見逃してしまえば、私達は孫家ではいられなくなってしまう」

 

「……相手の領土で、我らが本拠から距離もある、罠にはめられたら終わりだぞ?」

 

「裏では足を引っ張るだけ引っ張ったけれど、表では蝗害に苦しむ曹操領民へ援助してきたわ。もしその上で汚い手を使うようなら、彼女の信用は地に落ちる」

 

「確かに覇道に重きを置く曹操ならば、信用については誰よりも理解しているだろうな」

 

「勝算は薄い、けれど皆無ではない。襄陽近辺は周知しているし、袁術の圧政から解き放った事であの一帯の人間の心は掴んでいる。中央への通り道で商人の行き来も多くさせていたから、情報は精度の高いものが多く入る。

 戦わなきゃいけない理由があって、戦える要素があるなら、行かなきゃ駄目でしょう?」

 

「分かった、分かったよ、それで計画を練る。三日後には二十万を引き連れて出立するさ」

 

 こうして戦いの準備が始まった。

 

 

 軍を纏め、出立する際、孫策達が凱旋した時と同じぐらいの民衆の波が訪れ、口々に勝利を信じている、無事で帰ってきてくれとの大合唱が起きた。

 彼女達、また彼女達が率いる兵達もその様子に大いに奮起し、勝利と再会の約束を声高々に宣言した。

 

 そうして孫呉の軍は一ヶ月をかけて襄陽近辺までやってきたのだった。距離、行軍である事を鑑みても異常なまでの速さだ。

 別段飲まず食わず寝ずという訳でもなく、単純にここ何年もの間鍛錬に勤しんできた成果と、この戦いに勝つのだという強固な意志が結果として表れただけである。

 それほどまでに孫呉軍は心技体が充実していた。

 

 

 新野近郊、そこには既に曹魏軍が展開を終えた状態で待ち受けていた。

 さて、戦闘開始か、という所で三人の女性が馬を駆り、魏と呉の丁度中間の地点まで進み出た。

 その馬、装備、雰囲気から、彼女達が曹魏の頂点である曹操、夏侯惇、夏侯淵であると察しがついた。

 呉から進み出るのは孫策、黄蓋、太史慈だ。特に目の良い二人が選ばれた。

 互いの安全確認が済み、互いに今は手を出さないを確約を結び、二人の英傑が互いに一歩前に出た。

 

「此度は我らの誘いに乗って来てもらった事を感謝するわ」

 

 それは舌戦を行う声量ではなく、世間話をしにきたと言わんばかりの気軽な口調だった。

 だがそんな口調で彼女の持つ気配は誤魔化せない、紛うこと無き覇気が彼女から滲み出ている。

 

「来ざるを得ない条件を叩きつけてきた人物の言葉とは思えないわね」

 

 しかし孫策も負けず劣らず、尖った闘気を滲ませながら応える。そのあまりの鋭さに、曹魏の二枚看板が知らず武器に手をかけそうになる。

 

「あら嫌だ、そんな鬼気を漏らさないで貰いたいわ。うっかり開戦しそうになっちゃうじゃない」

 

 しかし曹操は、抑えきれぬ闘気を向けられてなお平然と、むしろ嬉しそうに受け止めた。

 

「何よ、ここでは戦わないのかしら?」

 

「ええ、ここまで素早い行軍ですもの、きっと孫呉の兵も疲れているでしょう?」

 

「今ここで疲れを表に出す孫呉の兵ではないわ」

 

「そうみたいね、闘気に陰りが一切ない所をみるに、虎の軍隊は私達の精兵と並ぶのでしょう。けれど私は、万全の状態の貴方達と戦いたいの」

 

「……嫌味になるぐらい余裕ね」

 

「ええ余裕よ。けれど余裕だからという理由だけでこうしている訳ではないわ。必要だからやっているのよ」

 

「英雄譚が欲しいのでしょう? 千年残る国の礎のために」

 

「……まさかそこまで理解しているとは、やはり貴方達こそが私の最大の敵なのね。そうよ、劉邦には項羽との激戦を勝利し、四面楚歌という夢を見せられたからこそ民衆を纏め上げ、漢建国という偉業を成し遂げる事が出来た。袁紹では作ることの出来なかった幻想を、私は貴方達で作り上げたいのよ」

 

「落ち着いて考えればすぐに思い当たることよ。それに劉邦と項羽を例に出すのなら、全く立場が逆じゃない。弱小の私達が劉邦で、貴方が覇王項羽でしょう?」

 

「あら、それじゃあ私が負けちゃうじゃない」

 

「ええ、私達が勝つから、間違ってないわよ」

 

「ふふっ、この状況で強気に言い切るのね、やはり面白い。

 と、そろそろ皆が焦れ出してきたわね。本題に行きましょう。

 一日あげる。それで兵を最善の状態に仕上げなさい」

 

「良いのかしら? 今の状態でも歴史に残る大戦をしてみせるけど?」

 

「完璧な状態の貴方達を完膚なきまでに打ち負かす。そうでなければ利が薄い。

 それに必要にかられてというのもあるけれど、貴方達と戦いたいと心から思っているのもまた事実。

 だから素直に受け入れなさい。

 約束を反故にして目先の利益を優先する馬鹿ではないと分かっているでしょう?」

 

「……その提案を受けたとして、私達は手を出すかも知れないわよ」

 

「私達からは決して仕掛けないと今ここで宣言するわ、その上で手を出すというのなら構わないわよ。奇襲夜襲朝駆け、何でも来なさい。容易く跳ね返してあげるから」

 

「冗談よ、そんな汚名を残す馬鹿な真似はしないわ。疲れているのは事実だし、夜襲だの朝駆けだの中途半端な真似もしない。兵を徒に殺したくないもの」

 

「そう、では互いに高らかに宣言しましょう」

 

「そうね、期間は明日の中天でどうかしら?」

 

「分かったわ、その時にまた会いましょう」

 

 曹操は距離を取り、声を張り上げた。

 

「我が望むは歴史に名を刻む正々堂々の大決戦!故に孫呉には休息のために一日の時間を与えよう!

 明日の中天まで決してこちらからは仕掛けないと、我が曹操の名を持って天に誓おう!」

 

「孫家頭領孫策、その提案謹んで受けさせてもらおう!

 我らもまた貴軍との決戦を望んでいる!明日の中天まで決して仕掛けないと亡き母に誓おう!」

 

 両軍に響き渡る大将同士の宣誓は、驚きを持って受け入れられた。

 

 

 戻った孫策を皆が無言で迎える。

 

「あれ、何この空気」

 

 孫策は特に厳しい顔をしている周瑜に気付く。

 

「あっ、冥琳……あのー、えっとー、ごめん!勝手な宣誓しちゃって!」

 

「……」

 

「色々と考えてくれていたと思うけど、ああする他無くて!」

 

「……」

 

「だから怒らないで!」

 

「ん?いや、怒ってなどいないぞ。勝手は謝るべきだが、お前の選択は最高のものだった」

 

「えっ、じゃあ何でそんなに厳しい顔してたの?」

 

「ああ、皆お前をどう褒めたら良いか悩んでただけだと思うぞ」

 

「えー謝って損した!」

 

「正直このまま戦いに望むのは厳しいと皆が感じていた、その上であの曹操に一日の猶予を約束させたんだ、褒めるしかないだろうに」

 

「あー私が一日を奪いとったというか、逆なんだけどね」

 

「そうだったのか、やはり曹操とは大した傑物だ。

 改めて聞くが、仕掛けなければ良いんだよな?」

 

「ええ、仕掛けなければいいし、露見しなければ良いのよ」

 

「ふふっ、戦場外の戦か、腕が鳴る。商人等に先んじて撒いてもらっていたものも余裕を持って実行できそうだな」

 

「あははっ、悪い顔してるわねぇ」

 

「色々と仕掛けを潰されているからな、かろうじて通った物は悪辣に利用しなければ。

 そうだ、皆にも言っておくが、何か発想を得たなら何でも言ってくれ。あらゆるものを手を尽くしてようやく戦えるという状況だ、直感的なものでも構わない。亞莎、何かあるか?」

 

「えっ、あっはい、あのー、で、でしたら、例えばですが……開戦前に我らの糧食を焼き、その罪をなすりつけて糾弾し、曹魏の風評と士気を落とし、我が軍には背水の陣として強制的に死兵を作る、など、ありでしょうか?」

 

「唐突で無茶な質問からえげつない答えをぱっと出してきたわね……この子が今冥琳が目を掛けている子?」

 

「そうだ、こういう生臭い作戦も立案実行できる希少な軍師だ。

 だが今回は敵地の真っ只中、糧食を焼いてしまうと負けた後が悲惨になりすぎる」

 

「あぅぅ、ですよね、駄目ですよね」

 

「着眼点と発想は素晴らしい。仕掛けが全て不発に終わればやる価値は出てくるだろう。

 また何か思いついたらどんどん言ってくれ」

 

「は、はい!」

 

「では本格な休息の準備を行わせろ。酒を除いて嗜好品は全て解放して構わん。細作は三交代で周囲の探索に回せ。将は全ての準備、確認が終わった後、全員で作戦会議を行う。以上、散開」

 

「「「はっ!」」」

 

 

 

 そして夜、孫策は激論飛び交う作戦会議を一言断って抜け出し、一人孫堅の墓参りに赴いていた。

 今回呉の者は皆、墓参りに行くのを自粛していた。

 挨拶に来るぐらいなら勝つ為の作戦を考えろと孫堅は言うだろう、だから勝って勝利の報告をしに行こう、と皆で決めたのだ。

 だが孫策はその約束を破った。

 強大な敵を目の前にし、改めて勝算の薄い戦い皆を連れて来てしまったと孫家頭領として苦悩し、因縁の地での戦いという事に孫策個人としても苦悩し、様々な重圧に押し潰されてしまいそうになった孫策は母に縋りたくなったのだ。

 

 足取り重く墓の近くまで来て、気配を感じた。

 細作が探りを入れに来たのか?しかしここは戦場から離れているし、人が紛れるにしては小さな森であり、小川があるぐらいで特別何かある場所ではない。

 しばらく気配を殺して待ってみるが、気配は墓前で動かない。

 細作にしてはそれがまたおかしい。孫堅の墓と言っているが、知らぬ者が見れば小さな岩が置かれただけの場所にすぎない。知る者、つまりは孫呉の極々一部の人間しか、その小さな岩が孫堅を押し潰した岩の破片とは知らない。にも関わらず、その気配は一切動かない。事情を知る人間は全て呉の陣地で明日の準備に奔走している筈だが……。

 気分転換と言って抜け出してきている手前、あまり時間がない孫策は意を決し、墓の前に居る人物と対面するのだった。

 

「って白?」

 

「ん、なんだ、誰か隠れてるなーと思ったら雪蓮だったのか。お前も墓参りに来たのか?」

 

 墓の前に居たのは、戦場に一切近付かないと宣言していた白だった。

 


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