今昔夢想   作:薬丸

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改稿済み。


42.天罰

 襲撃犯を尽く転がせ、やって来た巡回兵に襲撃犯を本陣に連れて行くよう頼み、私は先生の元に走った。

 するとそこには意識を無くした先生の姿があった。

 傍らには先生のことを頼んだ兵士が薬らしきものを片手に佇んでいた。何がどうなっているのかを聞くと、先生は朦朧としながらも彼に薬の処方を指示し、なんとか作り上げた後に意識を落としたらしい。

 その後彼は意識が落ちた先生に薬を塗り、携帯していた水に薬を溶かして先生に飲ませたようだ。

 薬を塗るだけでなく、水に溶かして身体の内にも入れる、また極力先生の身体を動かさないよう配慮した彼はお手柄である。冷静な対応をした彼に感謝を表すと『これは以前先生に治療してもらった際に教えてもらったことで、本当、たまたま知っていたんです。それと奴らの武器には毒が塗ってあったらしいので、傷を負われたならこれを使ってください』と聞かされた。だとしたら正に情けは人のためにならずである。

 彼は薬を私に手渡し、改めて状況を話してきますと本陣へ走っていった。

 私はそれを見送り、乱戦で負ったかすり傷に薬を塗り、彼がしていたように水筒に薬を溶かし、飲み込んだ。

 苦い味が口に広がる。すると次第に傷口が熱を帯び始め、じくじくとした痛みへと変化していった。

 身体が毒と戦いだした証、という事は彼の言っていた毒というのは本当だったという事。

 

 私は先生の傍らに座り込み、膝を抱えて涙を零す。

 今回は悔やんでも悔やみきれぬ事が山積みだ。

 墓参りに来てしまった事、安易に気を抜いた事、白に言われたとはいえ白より敵を優先してしまった事。

 私が皆から先生を奪ってしまった。自己嫌悪で死んでしまいそうだ。

 

 しばらくそうしていると、皆がやってきてくれた。

 私は賊に襲われた事、先生が毒を受けた事、賊が転がっている位置、治療は済んでる事を話した。

 そこで安堵のおかげか、薬効のせいかは分からないが、急激に意識が遠のき、私は意識を飛ばすのだった。

 

 

 

 

 苦く、怖い夢で目が覚めた。

 白が死んでしまい、そして世界の意味が崩壊していく夢だった。

 胸が苦しくなり、身体の熱さも相まって呼吸が出来なくなる。

 

「なんで、あんな夢……ああっ、白!!」

 

 急に起き上がろうとして、身体がついて行かずに天幕から転げ出てしまった。

 眩しい太陽の光を感じ、曹操と決めた期限を思い出す。

 身体の熱さに心を焼く焦燥が加わり、自身が燃えて死んでしまうのではと思った。

 

 慌てて身体を起こそうとした所で手が差し伸べられた。

 

「焦る気持ちはわかる、だが敢えて言わせてもらう、何をやっているんだ、雪蓮」

 

「あっ、冥琳!白は?期限は?襲撃犯は?」

 

「落ち着け、今は朝が来たばかりだ、時間はまだまだある。一から説明するからとりあえず天幕に入れ。総大将が朝から泥だらけの姿で焦っているなど、兵達が見たらどう思うか」

 

「え、ええ、そうね。ごめんなさい、混乱してた」

 

「気持ちはわかる」

 

 そして私は冥琳の手を取り、引っ張り起こされ、天幕の中に連れて行かれ、あれからの説明を受けた。

 

 

 毒が回らないようにと慎重に私達は運ばれた。その後巡回兵が呼び出され、事情を聞くが全てが終った後の事しか知らなかった。

 なので襲撃犯の尋問が始まった。

 事の始まりは間違いなく彼らである。我らが師を陥れた彼らは生かさず殺さず執拗に拷問され、その情報を全て吐き出した後には首を刎ねられて首桶に入れられた。

 今はその情報を元にどうしようかと会議が始まる。長くなりそうなので冥琳が代表して私の様子を見に来たら、私が天幕から転がり出てきた。という流れだ。

 

「かすり傷とはいえ毒を受けたようだな。だが動けるようなら会議に出てもらいたい。聞きたい事と話したい事が山程ある」

 

「ええ、もう身体は大丈夫。会議に行きましょう」

 

 

 そうして私は冥琳と連れ立って会議室に向かった。

 しかし道中、なにやら騒がしい場面に出くわした。

 緊迫した状況なので問題があれば逐一把握しておきたいと、二人して向かう。

 するとそこには兵士と白の助手である呂華が問答をしていた。

 恐らく彼女は白を探しにここまで来たんだろうと察する。

 私は足早に向かい、彼女をせき止めていた兵士に交代で対応すると伝えて呂華と対面する。

 

「……そういう事ですか、孫策様、謙信様の元に向かっても構いませんか?」

 

「何も話していないのに、何がわかったというの?」

 

「私にはそういう力があるのですよ。すぐに謙信様について確認しないといけない事が出来ました、お願いします」

 

「信じられないけど、嘘は言っていないみたいね。……吹聴されても困るから、他言無用を約束してくれるなら構わないわ」

 

「有難うございます、では、失礼します」

 

「ちょっと待ちなさい、私も行くわ、冥琳、悪いけど会議室には貴女だけで」

 

「行ける筈ないだろう、使いをやるから私も先生の元に行く」

 

 決して良い事ではないが、白の事になると互いに優先順位が変わる。

 

「それでは向かいます」

 

「って、待て、先生が何処にいるか分かっているのか?」

 

「ええ」

 

 そう言って呂華は迷いなく歩を進める。

 先生が居るのは糧食保管所だ。他所からの人間に分からぬよう隠蔽され、密かに守りが厚く、身内といえど出入りが厳しく制限されているので、兵站所は味方にも何かを隠すには最善の場所なのだ。

 そのような場所に迷いなく進むという事は、どうやら彼女の力とやらは本物らしい。

 

「それで何を確認するというんだ?」

 

「……貴方達は謙信様から色々と聞かされているのでしたね?」

 

「ええ、世俗には関われないとか、そういう事は」

 

「ならば話しても良いでしょう、そして貴方達には身を引いて頂きます」

 

「何よそれ」

 

「話す代わりに身を引けとは、また随分な交換条件だな」

 

「交換条件ではありません、話はします、しかしそれで身を引かぬ愚か者ではないと、ある種信頼しているのですよ」

 

「……意味わかんない、私が、私達がそう簡単に先生を諦めると思っているの?」

 

「思っていません、けれど、愛しているからこそ諦めるという事もあり得ます。

 あちらの天幕で良いのですね?」

 

「本当に分かっていたのか……」

 

 私達は天幕に入っていく、そこには衣服が脱がされ、所々に包帯を巻いた先生の姿があった。

 先生が怪我をしている、そこには違和感しか無い。

 私と呂華は慌てて先生の近くに行き、呼吸を確かめる。

 呼吸はしっかりとしているし、身体も少し熱いぐらい。良かった、助かったんだ。

 安堵に泣きそうになる。

 呂華も強張っていた表情を幾分か穏やかにさせたが、しかし表情には厳しさが色濃く残っていた。

 どうしたと言うのだろうか。

 

「どうやらもう少しで目を覚まされるようです」

 

「えっ、本当?!」

 

「はい、ですが、お覚悟を」

 

「何を……」

 

「ん、ぅ、誰か、居るのか? って、身体いたっ!」

 

「白! 良かった、本当に良かった! あのまま白が死んじゃうんじゃないかって、私……」

 

 思わず私は彼を抱きしめ、涙を流してしまった。

 白からうぐっと声が聞こえたが、気にしていられなかった。

 後ろで冥琳が、仕方ないな、と苦笑交じりで言ってくれた。淑女同盟を破ってしまったけど、今は許して欲しい。

 もう二度と白の前ではみっともない姿を、涙を見せないと誓っていたのに、そんな決心が容易く吹き飛ぶほど安心したんだ。白はおろおろしながら抱きつかれたままだった。

 その様子に違和感を感じたけど、私はそのまま抱きつき、深く深く安堵を噛みしめるのだった。

 

 

 

 しばらく経って心が落ち着いてきたら、今度は気恥ずかしさが蘇ってきた。

 

「あっ、ごめんなさい、ちょっとあまりにも嬉しくて……」

 

「あーえっと、良いんですよ、多分。あの、ちょっとこの状況が分かってないんですが……説明を…って管輅、あれ、何で管輅がここにいるんだ? 確か卑弥呼と」

 

「謙信様、それ以上は」

 

「あーすまん、不用意な発言だった。ん? あれ、俺管輅に謙信と呼んでくれって言ってたっけ?」

 

「……やはり、ですか」

 

「ちょっと待ってよ、貴女が管輅って、あの管輅? ていうか白の様子がおかしいんだけど」

 

 私と冥琳は困惑しきりだ、そしてそれは白も同じ。

 この場で唯一状況を理解していそうな呂華、いや管輅は苦しそうな表情で話し出した。

 

「お三方、冷静になって聞いてください。謙信様、いえ白様は記憶を失われてしまいました」

 

「「「えっ」」」

 

 私達三人は狐につままれたように、ぽかんとしてその答えを聞いた。

 

「白様、貴方の記憶は私達が別れた所から途切れていますね?」

 

「お、おう、お前と別れて、襄陽に向かおうとしたんだが……そこから何かあったのか?何か傷だらけだし、襄陽は戦の気配があったから巻き込まれたか?」

 

「なんだ、ごく最近の事じゃないか、驚かせないでくれ」

 

 冥琳がほっとした表情をするが、齟齬を感じる。

 

「いいえ、白様、それは十五年程前の記憶、孫堅様に会われる直前の記憶なのです」

 

「「「なっ」」」

 

 再び三人の驚きの声が重なった。

 

「先に宣言しておきます、これは一時的な記憶の混乱でも忘却でもありません。完全なる記憶の消失です、十五年間の記憶は一生思い出す事はありません」

 

「「「……」」」

 

 その言葉についに私達は言葉を失った。

 馬鹿な、とは言えない。先生が驚愕しているのが管輅の言葉に嘘偽りがないと物語っていた。

 

「毒の、影響か?」

 

「いいえ、白様には無病息災の神による加護があるので、あらゆる毒に非常に強い耐性を持っておられます。とはいえ何の治療もなされなければ昨日の今日で意識を取り戻す事は無かったでしょう。治療に尽力してくれた方には感謝を述べなければいけませんね。

 そういった訳で、白様が記憶を失われたのは毒のせいではないのですよ。白様が記憶を失われたのは一重に、戦場に出るという禁に抵触したからです」

 

 あっ、と言葉とも吐息とも取れない音が口から漏れた。十数年前に聞いて、つい数年前に再び念を押された先生の言葉。

 

「吹聴するとは思っていませんが、重ねて他言無用に願います。

 私達は仙人のような者達です。あまりに強い力を持つ私達の行動は、天より監視がされているのです。そして禁を破った白様は天からの罰を受けた。存在の消失もありえましたが、大分軽い処罰だったのは不幸中の幸いでした」

 

「えっ、そんな事ぶっちゃけちゃって大丈夫か?」

 

「大丈夫です、私には見えていますから」

 

「なら良いのか? というか俺はやっちまったのか。当日注意されて即破ったみたいな感覚だからすげーバツが悪い」

 

 白の言葉遣いに違和感を感じる。私達の前では常に先生足らんとしていた部分があるのに、今は一切それを感じない。

 そして白は一度も私達と目も合わせてくれない。なんか気まずい、そんな軽い感じで。

 

「今見る白の状況と反応から鑑みて、管輅が嘘を言っているとは思わない。けどごめんなさい、確かめたいの」

 

「ご随意に」

 

 茫然自失の冥琳を引っ張り、先生の前に雁首揃える。

 そして問う。

 

「私達を覚えていますか?」

 

 簡潔な問い、はいかいいえしかない、誤魔化しようのない問いだった。

 先生はしばし視線を泳がせ、唸るようにしていたが、最終的に私達としっかり目線を合わせて言った。

 

「ごめんなさい」

 

 謝罪が答だった。

 答えを聞いた瞬間、何かが崩壊しそうになった。けれど歯を食いしばって耐える。

 

「……私とこの子は貴方に救われた者達です。そして私は貴方をそうさせてしまった者です。ごめんなさい、そして有難うございました。今はゆっくりお休みください」

 

 そこまでなんとか言い切り、私は冥琳を連れて天幕を飛び出した。


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