今昔夢想   作:薬丸

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改稿済み。


43.望まぬ決戦

 愛する人の異常事態、自身の罪の重さ。

 泣いて許しを請いたいが、記憶が消えたあの人には何も伝わらない。それは私の自己満足でしか無い。

 

 頬を伝い続ける涙を気合で止める。

 そろそろ朝ご飯の時間で、糧食保管所には人が集まりだしていた、彼らを心配させる訳にはいかない。

 呆然としていた冥琳もなんとか持ち直したようだが、その身体は小さく震えていた。

 心の整理は全然済んでいないが、とにかく会議に出なければと会議室に向かおうとして、何人かの人間に足止めをされてしまった。

 

「孫策様、昨晩ここに謙信殿が血まみれで運ばれたとお聞きしたのですが、本当ですか?」

 

 巡回兵などには口止めをしたが、さすがにこれだけ人がいれば完全に隠し通せるものではない。

 

「ああ、昨晩に孫策様が直接襲撃されたのだが、たまたま居合わせていた謙信殿が孫策様を庇い、怪我をされてしまった」

 

 下手に誤魔化せば好奇心と猜疑心を煽りかねないし、良い結果に繋がるとも思えない。冥琳は素早くそう判断したようで、流れをこちらから作る事を選択したらしい。

 

「やはりそうでしたか……くそ、曹操の奴、何が正々堂々だ!!」

 

「よりにもよって孫策様と先生に手を出しやがって! 反吐が出るぜ!」

 

「孫策様、御身と先生のご様態はどうなのでしょう?」

 

「私は謙信殿が庇ってくれたお陰でほとんど怪我もなかったわ。

 けれど謙信殿は三本もの矢を身に受け、また毒を受けたの。峠は越えたけどかなり衰弱している状態だから、負担をかけないよう大勢で訪れたりはしないで」

 

「そうでしたか、峠を越されたのであれば一安心です。呂華殿もこちらに来たと聞きました。彼女に任せておけば宜しいのですね?」

 

「ああ、では今話した事をそのまま皆に伝えろ。また決して暴挙には出ず、私達の判断を待つよう言い聞かせてくれ」

 

「しかし謙信殿の一大事とあらば、暴れる者も多くおりましょう」

 

 近くに居た全員が白の身を案じ、また曹操に対して激しく憤っている。

 ここで実感した、白は皆にこれ程までに愛されていたのかと。

 冷静に考えればそれはそうだ。ここ十数年、いや、それ以前から白は各地を巡って治療行脚を行っていたのだから、彼の恩恵を受けていない者など呉にはいやしない。

 なれば彼らの感情も至極当然。

 

「絶対悪いようにはしないと誓うわ、誰よりも曹操に憤っているのは私達よ。だから、お願い」

 

「……そこまで言われるのならば、皆にもしかと伝えます。暴動も抑えてみせましょう」

 

「孫策様、お願いしますぜ!」

 

「卑劣な曹操に目にもの見せてやりましょう!」

 

 その声を背に受け、私達は会議室に向かうのだった。

 

 

 

「お姉様、ようやくご無事な顔が見られましたね」

 

 皆が笑顔で受け入れてくれるが、私はそれを素直に受け入れる事が出来なかった。

 その様子から何かを感じ取ったのか、恐る恐るといった感じで蓮花が尋ねてくる。

 

「しかしやってくるのが大分遅かったようですが、どちらかに寄られていたのですか?」

 

「ええ、白の所に行っていたわ」

 

 笑顔の裏でピリピリと走っていた緊張感が表に出てくる。

 

「まさか!」

 

「いえ、五体満足で意識もはっきりしてたわ。けど記憶の混濁が少しあるみたい」

 

「そう、ですか。一安心ですね」

 

 一時的なものと思っているのだろう。私は曖昧に微笑んで、そうね、と答えた。

 

「今は寝ておられますが、夜通し治療に徹してくれた雷火殿には感謝しなければなりません」

 

「そうじゃのぅ、儂らも随分と走らされたが、一番の功労者はあやつじゃろうな」

 

「後で改めて礼に行くわ、それで、これからの事だけど……」

 

 白の無事を聞いて和んだ空気が一変し、闘気や殺気を超し、鬼気とも言える気配が立ち込める。

 

「随分と舐めた事をされた訳だが、殿よぉ、この落とし前どうつけさせるんだい?」

 

「正直私達、我慢の限界に来てるのよね」

 

 祖茂はまだしも、いつも冷静沈着で泰然としている程普 粋怜までもが気炎を上げる。

 

「先生がそこらの手練程度にやられたのは不可解じゃが、そこについてはもはや論じても仕方がない。儂らは裏切られ、大事な身内を傷付けられたんじゃ、これはもうやるしかあるまいて」

 

「ええ、我らの師であり、孫呉の宝である白先生が傷付けられたのです。代償は曹操の首でもまだ足りますまい」

 

 いつもは無茶を止める役回りの祭と蓮花が烈火の如く憤っている。

 しかし指導者がここで流されては、

 

「雪蓮も冥琳も、抑え過ぎだよ。そんなんじゃあ壊れちゃうよ。悔しいんでしょ、怒りたいんでしょ。だったらもう良いじゃない、どうせ退けないんだから、我慢する意味なんてないよ」

 

 親友の太史慈 梨晏の心を見抜いた一言で、感情が爆発した。

 先生を巻き込んでしまった罪悪感と、先ほど目の当たりにした記憶喪失の衝撃で蓋をされていた感情が、とうとう溢れた。

 違う、溢れた等と生易しい表現では全然足りない。理性という器が壊れた。それぐらいの感覚。

 

「そうよ、そうなのよね。あはははっ、我慢する必要なんて、無いわよね」

 

「そう、だな、今は全てを忘れ、策を練ろう。とはいえ、既に一手打ってあるが」

 

「さすが我らが軍師、手回しが早い」

 

「ふふっ、皆を燃やす火は既に放たれ、後は烈火のごとく燃え上がり、曹魏を飲み込むのみだ。仕上げは任せる」

 

「ああ、あの時口止めをしなかったのはそういう事。分かったわ、それじゃあ頃合いを見て全員を集めてちょうだい」

 

「分かった、皆に先に伝えておくが、先日亞沙の言ったような作戦を取る。何かあるなら今言ってくれ」

 

「全て軍師殿に任せる、儂らはそれに合わせて存分にやらせてもらおう」

 

「そうか、ではまず腹を満たそう。師曰く、腹が減っては戦は出来ない、だからな」

 

 

 

 そうして朝ご飯を孫呉の兵達が食べ終わる頃には、我らが陣営は怖気の走るほどの鬼気に包まれていた。

 手に汗が浮かぶ。正直、戦いにおいて手に汗握る等初めての経験だった。

 母が亡くなった後、長として初めて迎えた実戦でさえ、先生の教えを守っていたら大丈夫と気楽に構えていたのだ。

 負ける心配からではない、二十万の人間を率いる重圧からではない、襄陽という場所の悪縁に怖気づいているからではない。

 そんな物は完全に捨て去った。

 今は二十万の鬼を率いて曹魏に復讐できるのが楽しみで仕方ないのだ。

 

 

 約束の刻限が間近に迫る頃、私は馬に乗った状態で準備を整えた全軍の前に居た。

 鬼気は時をおいても収まる所かより強く、より熱く、より深くなっていた。

 常人では数秒と居られぬ圧力を、私は心地よく感じる。

 そして私は語り出した。

 

「まずは皆が気になっている事を話そう。皆の間で噂になっている事は事実である」

 

 その言葉に二十万の兵が全てざわりと反応した。

 皆の身体から溢れる闘気、殺気、鬼気が、もはや目に見える錯覚に陥るほどの濃密さを持って周囲に漂い始める。

 

「昨晩、私は曹操軍の兵士に奇襲を仕掛けられ、たまたま同道していた謙信殿が私を庇って毒矢を受けたのだ」

 

 私は先生が好んで着ていた白衣、今では血塗られた赤く染まったそれを取り出し、掲げる。

 ざわめきが広がり、所々で怒号が上がる。

 

「謙信殿は身体の三箇所に矢を受けた。常人ならばそこで死んでいる、が、謙信殿はなんとか解毒薬を処方し、命だけは助かった。

 皆の中には見知っている者も多いだろう、あの人はそういう無茶をやってのける人だと」

 

 その言葉に頷く人間が多数居た。そして憤りは更に熱を増す。

 

「無茶をやってのけた謙信殿だが、複数箇所穿たれた傷は重く、今もなお予断を許さない状態である。

 なあ孫呉の同胞よ、こんな無法があって良いのか?

 卑怯な裏切りにより、孫呉の宝が深く傷付けられたのだ、こんな暴挙を我々は許して良いのか?」

 

 否! と全軍が声を張り上げる。

 

「ああ、決して許してはいけない。

 では何故、今の今まで剣を取らなかったのか。ああ、当然の疑問だろう。

 しかし、そこで手を出しては我らは奴らと同じ罪人、畜生に落ちてしまう。故に約束の刻限まで待ったのだ。

 そして今こそ、絶対的な正しさを持って我らは奴らを断罪するのだ。そう、我らは正義の断罪者である!」

 

 我らは正義の断罪者である! 彼らは呼応する。

 

「そうだ、そして必ず復讐を果たす、絶対の復讐者である!」

 

 我らは絶対の復讐者である! 彼らは呼応する。

 

「声を張り上げろ! 我らはなんだ?!」

 

 我らは正義の断罪者! 我らは絶対の復讐者!

 

「そうだ! 正義を振りかざし、罪人の臓腑を地面にぶちまけろ!!」

 

 オォォォォォ!

 先生から、出来るなら使うな、と釘を刺された人心掌握術。

 いつもは国のため、人のため、家族のために戦えと心を奮わせていた、けれど今回は殺すために殺せと言う。

 罪悪感を消すよう、人を人と思わせないような言葉を選ぶ。

 そんな人を別の存在に変えてしまい、引き戻せなくなる可能性がある最悪の弁舌を、私は存分に振るった。

 兵の気炎は自身すら焼き尽くさんと燃え上がり、最高潮に達した。

 私は深く満足し、雄叫びを背に受けるようにして曹操との約束の場へと赴くのだった。

 

 

 以前と同じ面子、祭と梨晏を連れて会談の場へやってきた。

 以前と違うのは、彼女達がそれぞれ襲撃犯の首が複数入った桶を抱えている事だ。

 

「こんにちわ、孫策。上手く仕上げてきた……というには異常な鬼気よね、何をしたの?」

 

 曹操は優雅に話しかけてきた。

 襲撃犯が復讐と手柄欲しさに独断でやってきたというのは、拷問の果てに口を割らせて分かってはいたが、どうやら本当だったらしい。

 とはいえそれで許せる筈もない。私が気を張っていなければならなかったように、曹操もあんな約束をするのなら、もっと細部まで気を張らねばいけなかった。

 

「それを語るには二つ先に話さなければいけないわ」

 

「ええ、気になるので是非教えを請いたいわね」

 

 その余裕が鼻につく。だがそれももうじき消える。

 

「昨日、貴女の所の手の者が私を襲ったわ」

 

「な、に?」

 

 私は後ろに控えた二人に合図を出す。二人は首桶を曹操の方へ投げる、するとその首桶を夏侯淵が矢の早撃ちにて撃ち落とした。

 素晴らしい手際だ。それぞれ十人の首が入った木桶を、ほぼ同時に撃ち落とした。

 首桶は勢いをなくし、地面にぶつかり、中に入った首が地面にぶち撒けられる。

 

「元呉郡太守だった許貢の息子がいるのだけど、分かるかしら? 百万を統べる貴方は把握できていないでしょうけど」

 

「……右翼前線、于禁隊所属の百人長、手勢を連れて最近入ってきた人間ね。書類で強く最前線を打診してきたと知っているけれど、顔までは知らないわね」

 

「そう、そこまで覚えているなら、来歴まで知っているのでしょう? 奴らが私達につくことはない、こいつらと共謀して貴女を陥れようとしている訳ではない」

 

「……首を持って確認をしたい、時間をもらう事は」

 

「不可能よ、もうそこまで待てないわ。だってもう限界なんだもの。ねえ曹操、貴方は謙信という者を知っているかしら?」

 

「……ええ、傷病癒せぬもの無しと謳われた医聖でしょう? 国中を回って治療を施していたけど、孫堅と知己を得たここ二十年ほどは呉を回っていたそうね。かの医聖ならば私の頭痛も治してくれたのかしら」

 

「さすが、良く調べてるわね」

 

「しかし、それが……まさかっ?!」

 

「貴方の部下が撃った毒の矢は私ではなく、我らが宝を撃ち抜いた。

 呉に来てもらって二十年、その中で直接助けられた者も多い。村を、肉親を、恋人を、商売相手を救ってくれたと感謝する者は最早数えきれぬほど。我ら二十万の軍勢その全て、いえ、孫呉の遍く民の大恩人を、貴方達は傷つけたの。

 我らの怒り、その身を持って知れ」

 

 もはや抑えることなく鬼気を発する。

 その鬼気に圧されるように三人は一歩後退した。

 

「でもそうね、八十万を統べきれなかった貴方に非はあれど、私にも非はあるわ。

 だから百数えてあげる」

 

 そう私は出来るだけ優しげな声で言い放った。

 余裕の対応を仕返した、訳ではない。

 私達がここで襲いかかれば曹魏は長を守らんと結束する。だが彼女達が慌てて逃げでもすれば、軍は惑うだろう。そこをがぶりと頂く。

 抗われるとは思っていない、だってもはや彼女達に、戦うという選択肢はないのだから。

 

「春蘭秋蘭、急いで全軍を退かせろ。この戦い、既に勝利はない」

 

「何を言っておいでで」

 

「此度の失態、勝つ方がより覇道の妨げになるという事だ。だから急げ! 無駄な命を散らせるな!!」

 

 その言葉を聞いて、夏侯惇夏侯淵はすぐさま転進し、全軍に指示を飛ばした。

 さすがは英傑、その判断は果断にして的確だ。

 

「貴方は尻尾を巻いて逃げないのかしら?」

 

「逃げるわ、けれど尻拭いはしなければいけないでしょう?

 謝意を表す為、今ここに二つの約束をする。

 一つ、于禁は一兵卒に落とし、于禁部隊百人長から下の者の首を刎ねましょう。

 二つ、二年は決して外征をしない」

 

「二年の時間は魅力的ね。けれど両軍への宣言を破った貴女が、今更何をもって保証とするの?」

 

「我が真名にかけて誓うわ」

 

「……ふぅ、ならば受けざるを得ないわね。この短時間で私達にも自身にも利となる提案を思いつくその胆力と頭脳、ここまで至れば畏敬を感じる。

 黄蓋、太史慈、今より五十数えたら突撃の合図を出すわ、準備に戻りなさい」

 

 はっ、と短く答え、二人は陣地に帰っていった。

 

「我が真名は華琳。此度の失態、八十万を統べる事の出来なかった私の責である。申し訳ない」

 

「受け取りましょう。では残り三十よ、きっかり三十数えたら鬼を放す」

 

「分かったわ。……こんな事になってとても残念よ。それではね、孫策」

 

「私も残念よ、華琳。それではさようなら」

 

 

 

 きっかり三十秒、私達は修羅となって曹操軍を散々に食い千切った。

 その有様は戦いですらなく、狩りという悲惨さで、新野の地は曹魏の兵の血で真っ赤に染まった。

 結果、曹魏軍は十万に近い被害を出し、私達は二万という損害で済む事となる。

 歴史的な大勝利と言えたが、私達に勝利の余韻は一切無かった。

 復讐を依代とした戦意は長続きしない、先生の様態も心配で、これから二年後に再び強大な敵を倒さなければいけない。

 考える事、やるべき事は山積していて、返り血で重くなった身体と心は、言い知れぬ空虚に冷えきるばかり。

 

 ああ、白に会いたい。けれどもう、私は白に会う資格がないのだ。


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