今昔夢想   作:薬丸

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改稿済み。


44.二度目の顔合わせ

 涙を滲ませて去って行く二人の女性を、俺はただ見送るしかできなかった。

 何もかもが分からないが、今の俺に彼女達を追いかける資格が無い事だけは分かった。

 

「なあ管輅、説明してくれ。何がどうなってるんだ?」

 

 俺の疑問に管輅は全て答えてくれた。

 

 

 管理者たちと別れ、襄陽に向かって孫堅に出会ってからの十数年、俺が何をしてどう過ごし、誰と出会い別れたのか、出来るだけ客観的に教えてくれた。

 最後は孫策の過去を読み、俺が何をして、どういった理由で記憶が無くなったのかが語られて締め括られた。

 

「そうか、つまり俺は流れを変えようとして記憶を失った訳か」

 

「意図的に変えようとした訳ではなく、咄嗟の行動が結果流れを歪める事になったようですが、大まかにはそうですね。

 しかし今回は本当に危なかったのですよ。孫策が毒殺される流れを肩代わりしただけだったので、記憶の消失程度で済みました。もし孫策も白様も無事、順当に孫呉が潰されて蜀も飲み込まれ……等と完全に流れを変えるものになっていたなら、存在の消失、果ては外史の崩壊まで有り得ました」

 

「重ねて迂闊だったな。すまん、お前達の努力を水泡に帰させる所だった」

 

「本当に、今度こそ、重々、お気をつけてください」

 

「感覚的には今朝方しっかりと肝に刻んだ筈なんだがなぁ。よし、改めて戒めるよ。と、誰か来たな」

 

「白様、寝たふりをお願いします。詳しい話はまた後に」

 

「おう」

 

 俺は促されるまま寝台に寝転がり、目を瞑る。

 すると兵士が一人、失礼しますと一声かけて天幕に入ってきた。

 

「あの、呂華様、謙信様の容態は?」

 

「呼吸も安定していますので、峠は超えました。謙信様はあらゆる薬を扱っておられたので、毒にも高い耐性があったのでしょうね。

 それでどうされました?」

 

「安心しました、皆も喜ぶでしょう。

 周瑜様からお二人の護衛の命を受け、私を含め十人の小隊が付く事になりました。謙信様の容態が安定しているようなら取り急ぎここから離れましょう。もうすぐここは戦場になります」

「そのようですね。戦場の真後ろに謙信様を置いておく訳にもいかないので、場を離れるのは賛成です。

 ですが護衛は要りません。この辺りの賊は狩り尽くされていますし、兵を連れて歩けば軍と誤認されて曹操軍の標的となりかねませんから」

 

「それはごもっともな意見ですが……」

 

「それに貴方も治療院を訪れていらっしゃるなら分かるでしょう?私も相当に強いですよ」

 

「……確かに治療所で暴れる悪漢を投げ飛ばしていらっしゃいましたし、下手をすれば私達十人は足手まといでしょう。ですが怪我人を連れてとなると話は別です」

 

「ではこうしましょう、ある一定の場所までで結構です。此度の大決戦、十人の勇士すら惜しいものなのでしょう?」

 

「……そこまで仰るならば、呂華様の提案に甘んじさせていただきます。実は我々の小隊も戦闘には是が非でも参加したかったのです。私を含め十人の内五人は直接傷を癒やしてもらい、残りの五人は家族を癒やしてもらったそうです。

 皆曹操の所業には腹を据えかねております故、呂華様の申し出は渡りに船です」

 

 

 

 その後素早く支度を済ませ、俺は馬車の荷台に乗せられて一時間ほど寝たふりをしていた。

 長江に続く川辺りにある村まで送ってもらい、船の手筈を整えた所で護衛達は帰っていった。

 開戦は正午という話だったで、急いで戻れば間に合うだろう。

 俺は密かに彼らを見送り、完全に視界から消えた所で荷台から降り立った。

 

「さて、船の準備が整うまでの一時間、どうするかね。急いで戻れば戦いを見れたり」

 

「……」

 

「冗談です、戦場には近付きません。大人しく荷の整理でもやってます」

 

「ふぅ、今回は絶対に建業へ戻ります。白様の身に記憶喪失以外に影響がないのか、また収束率に変化があったのか管理者を集めて調べなければいけません」

 

「重ね重ね申し訳ない」

 

「考えようによっては今回の件は良いサンプルになりますので、悪い事ばかりではありません。今は記憶を失ってもいらっしゃいますので、もう反省も大丈夫です」

 

「そうか、そう思うとちょっと気が楽になるな。……なあ、少し気になったんだけど、管輅達がループを繰り返していた時、孫策や孫堅ってどうなってたんだ?」

 

「孫堅は九割方亡くなっていましたね、孫策は七割ほどですか。孫策が亡くなった場合は周瑜と孫権が多少の確執を抱えながら何とかやっていた、という印象ですね」

 

「印象ってなんだ?」

 

「呉は放置していても国として建立している場合がほとんどだったので、管理者も特には手を出さなかったんですよ。外側から適当にフォローしたら周瑜が何とかしてくれたので、彼女の能力に頼っていた形ですね」

 

「おーさすが三国トップレベルの名軍師周瑜だな。しかし孫策は亡くなる可能性が高かったのか」

 

「史実でも若くして亡くなられていますから仕方のない流れなのでしょう。しかし……」

 

「ん?しかし?」

 

「今回の彼女の危機は肩代わりされました。私の未来視通りなら、今回のループで彼女が亡くなる可能性は潰えたと言っても良いでしょう。

 そして重要なのは、今回のループには二人の観測者がいるという事です。今までは一点からの不安定な存在認識でしたが、二視点となると精確さが増します。恐らくこれからが収束率向上と存在確定の大きな躍進となるでしょう。

 そういった訳もあり、彼女の生存を観測者二名が最後まで認識出来たのなら、孫策は死ぬ可能性もあるが、生き残る可能性の高い存在として確定される筈です。

 故に彼女が脇役として特に理由もなく亡くなる事態はほぼ有り得なくなりました。もし亡くなられる場合は物語がそれを望んだ時に限られるでしょう。

 小難しい話を長々としましたが、つまり貴方は自分の記憶と引き換えに、孫策の存在を救ったのですよ」

 

「そうか、そうなのか、何だ、記憶が無くなる前の俺やるじゃん」

 

「得意気にならないでください。もう一度言いますが、今回の件は下手をしたら物語の確定失敗から外史の崩壊へと至っていた可能性があったのです。前言撤回、記憶が無くても反省してください」

 

「あっ、はい、すみませんでした」

 

 その後俺達は用意された船に乗って長江対岸に渡り、大人しく建業を目指すのだった。

 

 

 

 

 さて、あれから二年の歳月が流れた。

 

 二年前、あまりに早く帰還すると不自然だったので、ついでとばかりに各地の山や森に入って薬の回収をしてから襄陽へ戻ったら、それはもう街中の人から心配され、お見舞いされとしばらく慌ただしかった。

 だが騒ぎが収まってからは極々普通の医者として穏やかな日々を過ごしていた。

 診療所や出張などで治療し、診療所で無駄話をし、子供たちに読み書き計算だけを教え、兵士の健康診断とリハビリを行い、毎朝オリジナルの体操教室行い、鍛錬をし、引っ切り無しに来る将軍様達に好みの飯を作る。

 まあ騒がしくも楽しいスローライフをエンジョイさせてもらった。

 

 しかし気掛かりが一つだけあった。

 あれから孫策が一度も会いに来てくれない事だ。

 

 他のメンバーはそれこそ毎日誰かしらが来ていた。彼女達は一時的に記憶が無くなっていると思っているので、記憶もいつか取り戻せるさと気軽に昔話や馬鹿話をしては帰っていく。昼時夕時となれば飯をねだられるので作ってやったりもした。

 記憶を失い、若干の居心地の悪さを建業に感じていたが、皆の気遣いのおかげで心穏やかに居続ける事ができた。

 

 周瑜は泣き顔で別れてから半年程経ってやって来た。

 彼女は決意に満ちた表情で、私は今から貴方との関係を始めたい、全部一から積み上げたいと宣言した。

 事情を知る彼女は他の皆とは歩調を合わせられないと悟って、そう決断したのだろう。

 幼少から続く記憶と決別して、改めて俺の前に立ってくれた彼女の意志に、俺は胸をうたれ、救われたのだった。

 

 

 そうして冥琳との新たな関係を始めて一年と半年、孫策と会えないまま二年が経ち、物語の終盤が迫ってきたのだった。

 

 

 歴史に残る大戦、赤壁の戦いへの出立がもう明日明後日と迫る中、俺は早朝から荷造りに励んでいた。

 旅に出るという訳ではなく、戦いへ赴く皆に薬や日持ちのする食料をこれでもかと用意していたので、それらを積み込んでいたのだ。

 管輅の話では赤壁の戦いが終わればあっという間に物語は終わるらしいので、一切の出し惜しみ無しだ。

 あれやこれやと積んでいると気付けば馬車三台分ぐらいの荷物になってしまった。まああればあるだけ良い物だし、昼にでも兵を呼んで持って行ってもらおう。

 

 そんな事を考えていると、そこにぶらりと懐かしい顔がやって来た。

 

「あら、たまたま朝早くに目が覚めて、偶然ぶらりと街を散策していたら何か不思議な光景が、近付いてみたらここは巷で評判の診療所じゃないの」

 

 あからさまに不自然で、全然偶然を装えていない孫策がやってきた。

 

 

 もう少しで荷造りが終わりそうだったので、家の中で待っててくれと孫策に言い、俺は急いで荷を纏める。

 十分で仕事を終えた俺は家の中に戻り、適当なつまみと茶を持って居間に行く。孫策は所在なさ気に座って待っていた。

 

「すみません、お待たせしました」

 

 どう対応して良いのか分からないので、とりあえず敬語で言ってみると、彼女はとても悲しそうな顔をした。

 

「それ、やめて。せめて皆と同じようにして」

 

「あ、ああ、すまん」

 

 それから二人の間に沈黙の帳が下りる。

 あーこれどうしよ? すげー気不味い。何から話そう、きっかけ、きっかけは何か……。と視線を彷徨わせていると、孫策も全く同じ行動をしているのが目に入り、同じ気持ちだったのかと安堵の苦笑いが出る。

 

「そういえばなんだけど、何か散らかってるわね?」

 

「あーそれか。なんか皆が昨日今日と入れ替わり立ち代りやって来ては俺の私物を何か寄越せと言ってきてな。色々と探し回ってたらこの有様だよ」

 

「そうだったの、ごめんなさいね、はく、いえ、せんせい、違うわね、謙信殿。皆が迷惑をかけたわ」

 

「呼びやすい名前で呼んでくれ。それに迷惑になんて思っちゃいない。歴史に名を残す大戦になるだろうからな、俺が出来ることは何でもしてやりたい」

 

「ありがとう、謙信。

 私もだけど、皆不安なのよ。この二年やるだけの事はやってきた。策を練り、情報を集め、仲間を集い、皆を高めた。万全の状態に仕上げて、蜀と合わせても五十万を鍛え上げた。けれど曹魏は私達と同程度にまで兵を鍛え上げ、九十万まで揃えてみせた。船も多く用意されて物資面での準備も万端と来ているわ。

 痛撃を与えた筈なのに、二年で曹操は以前を超える所まで持ち直しちゃうんですもの。畏怖みたいなものを感じちゃうのは仕方のない事よね」

 

「そうか、皆おくびにも出さなかったけど、そういう心持ちだったんだな」

 

「勿論怖さだけじゃなくて、二年前の決着をつけたいって子も多い。謙信の私物を戦場に連れて行って敵討ちがしたいと思ってるのよ」

 

「そうか、それじゃあ孫策も何か貰いに来た口か? 大将がどっしり安心できるなら何でもやってやるぜ?」

 

「えーと、私は……必要にかられてというか、今日を逃したら後がないというか……。

 あーもう! それらしい理由がさっきから全っ然思いつかないから正直に言うわ!

 なんかこの戦いが終わると先生に会えなくなるって予感がした、そしたら居ても立ってもいられなくて外に飛び出してた、気持ちの整理と先生の挨拶を考えてたけどいつの間にか着いてて、そしてこのていたらく!

 ほんと、意を決して会いに来た冥琳に申し訳が立たないわ」

 

 この戦いが終わると会えなくなる、ね。皆の言っていた通り、孫策の勘というのは常軌を逸している。

 

「冥琳もお前の事は気にしてたぞ、いつも微妙に暗くて扱い易い、私のせいで孫策が来づらくなってしまったのでは、とか。ここに来てはお前についてばかり話していた」

 

「そっか、逆に迷惑かけちゃってたのね。というか、もう真名で呼んでるんだ?」

 

「んー真名ってのは互いに交換しても良いと思ったら交わして良いものなんだろ?」

 

「そういえば真名の重要性を忘れてるのよね。男女で真名を交わすって事は、良縁結ばれた、と言っても過言ではないのよ? ちょっと迂闊じゃないかしら」

 

「良縁結ばれる、うん、別に良いじゃないか」

 

「……。

 …。

 あれ? えっ、あれ?」

 

「冥琳は公私完璧な良い女じゃないか。何より俺の事情も知っているし、俺の現状を受け入れてくれている。連れ添うのに何の不満があるって言うんだ?」

 

「……あれ、ちょっと待って。……そういえばちょっと気になってたの、皆から聞けば聞くほど、謙信と皆の距離感が近いなぁ気安い感じだなぁって。それでなんだけど、もしかしてなんだけど、謙信って、自分の生徒についてどう思ってる?」

 

「俺の生徒は俺の子供だよ」

 

「そこからの進展って?」

 

「まあほぼないな。一度育てようと思ったら親心が何よりも先んずる」

 

「あーそっかそっか、そんな感じだったわよねー。

 ……やられた! 抜け駆け、じゃないけど出遅れにもほどがある! あの絶対的な距離が無くなってるなんてっ」

 

「何をやられたってんだ? 冥琳はお前に色々発破をかけたって言ってたぞ」

 

「だから抜け駆けじゃないって分かってるの! ああもう、あれが本当だったなんて! まさかまさよ! 数年間ずっと一緒にいても結局出会った時とそう変わらなかった私達の関係が、急に進展したとか言われて信じられる筈ないでしょ!!

 さすがね、さすがよ、私の最大の理解者、最大の好敵手、稀代の名軍師周公瑾! 先生の記憶が無くなって逆に攻め時と悟っていち早く行動したのね。ああもう、してやられた……」

 

 孫策は頭を抱えながらテンションを乱高下させている。すごく触れたくないなー、怪我しそう。けど逃げ道はない。

 

「あー孫策さん?」

 

「今日で取り返すわ。そうよ、何をしょげているのよ孫伯符。もう罪悪感とか、管輅の忠告とか、知った事か。もっと大事なものが目の前に転がっているのよ」

 

「あの、孫策さん? なんというかこう、お話をしませんか?」

 その言葉に孫策はがばりと顔を上げた。

 

「ええ、話をしましょう。この二年間について、消えた十数年間について、そしてもっと以前の貴方について、いっぱいいっぱい話をしましょう」

 

 鬼気迫る表情に気圧されて、はい、と素直に返事をする。正直震えるほどに怖いです。

 

 

 

 俺は長くなりそうだと思い、診療所の表に行き、急患以外とらないと札を下げた。

 水を瓶に入れ、料理に近いつまみを作り、長期戦に備えて居間に行く。

 そこにはそわそわと、わくわくと言った感じで落ち着きない孫策の姿。所在なさ気だった彼女はもう何処にも居ない。

 面倒になったという気持ちと、楽しそうという気持ちが入り交じる。

 それじゃあ会話をしよう。


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