今昔夢想   作:薬丸

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47.精密検査

 夏侯惇に曹操と呼ばれた少女は、さて、どう対応しようかしら?といった表情をしながら首を傾げてこちらを見ていた。

 その様は愛くるしい少女にしか見えないが、感じられる覇気は雪蓮以上だ。

 特に力む様子もなく、自然体で人を圧倒する覇気を魅せつけるのだから、これでもし彼女が臨戦態勢になった時、何処までの影響力を発揮するのか想像がつかない。

 

「夏侯惇、私はいつも言っているわよね?どんなに火急の用であろうと、私に一言断ってから室内に入れと」

 

「しかし今は緊急事態です!そんな事を気にしている場合ではありません!」

 

「ぐっ、いつも以上に道理が通じない……」

 

 しかしその覇王曹操も夏侯惇の勢いに押されて覇気に陰りを見せていた。

 

「曹操様!このような時間にまたお仕事をされて!つい先日倒れられたのをお忘れか!」

 

「今回ばかりは姉者に同意せざるを得ません、今は休養を取るべきです」

 

 後から入ってきた夏侯淵も夏侯惇の意見に乗じた。言葉から察するに、いつもは姉を諌める立場なんだろうな。

 曹操はバツが悪いと言った表情で、二人の言い分を聞いている。

 どうやら絶対安静にするようとの言いつけを破った事には罪悪感を感じているらしい。

 

「確かに貴方達の心配も分からないではないわ。この私が弱音を漏らす程の痛みだった事は間違いない。けれど本当にもう良くなったのよ、何処が痛かったのかすら忘れる程にね」

 

「ですがっ、曹操様があのように痛みを訴えるなど、記憶も定かではない幼少よりご一緒している我ら姉妹でも初めて見たのです!何も無い筈ありません!」

 

「あの時私達姉妹は、身を焦がす程の不安に苛まれたのです。曹操様がおられなければ、この陳留も、私達姉妹も死んでしまうのです。ですから原因が分かるまでの一時、お仕事を控えて頂きたく存じます。書類仕事等の疲れが積み重なった結果かも知れませんので」

 

「はぁ、分かったわ、今回ばかりは私に非がある。昨日の今日で無理をするべきではないわよね。

 それで、その後ろにいるのが頭痛の原因を突き止めてくれる人なのかしら?」

 

「はい、この者は近くの村にて、村人全員の身体の悩みを解消させ、また患者がいるならばと夜も危険も厭わなかった信念の持ち主です。腕も性格も信頼できると思い連れてまいりました」

 

「そうなの。貴方、夜に掛かろうという時間に申し訳ないわね」

 

「いえ、昼だろうと夜だろうと、救える人がいるならば駆けつけるのが医者という者です」

 

「そう、貴方達の気遣いを無碍には出来ないし、貴方の信念にも嘘がないようだし、診てもらおうかしら。しかし陳留一の医者ですら分からなかった病状が、流れの医者に分かるのかしらね?」

 

 見た目は少女と言っても差し支えのないのに、試すような物言いと目つきには常人には耐え難い冷気のようなものが込められているかのよう。

 きっとそうやって緊張感を煽り、人の本質を曝け出させようとしているのだろう。

 とはいえ、俺にとっては心地の良い緊張感である。

 俺は彼女の瞳を真正面から受け止め、自信満々に言い放つ。

 

「私に分からぬのなら、かの張術にすら分からぬでしょう」

 

「……合格よ。私の気を浴びてなおそこまでの大言壮語を吐けるのなら、診てもらうのも一興。

 私は曹操、医聖張術と肩を並べる者の名を聞かせて頂戴」

 

「はっ、私は謙信。流れの治療師をしております」

 

 そこで彼女は何故か、眩しい物を見たように目を細めた。

 

「けん、しん?何処かで聞いたような、それに、私は貴方を何処かで……」

 

 何か小声で曹操が呟いたが、彼女は目を手で覆い、何かを払うように頭を振った。

 

「駄目ね、夏侯淵の言う通りどうやら疲れているらしいわ。これは早速診てもらわなければいけないかしら」

 

 疲れた様子でそう零したが、ちょっと待って欲しい。

 

「治療の前に一つ申し上げたい事がございます」

 

「なにかしら?」

 

「診察には触診などもせねばなりませんから、先に申し上げねばなりません。勘違いされやすいのですが、私はこのような見た目をしておりますが、男なのです。その上で判断願います」

 

 これを言っておかなければいけない。黙っていて後々バレたら斬首とか普通にありえる。

 

「「「はっ?」」」

 

 三者同様の反応だった。そしてそれはよく出会う反応だった。

 

「それは本当の事を言っているの?事ここに至って嘘をついていたら承知しないわよ?」

 

「確かめますか?」

 

「……夏侯淵」

 

「はっ」

 

 そして青服の女性が俺の傍までやって来て、胸を触る。服の上からぽんぽんと触り、次いで強めに揉まれ、マジか!という表情に。

 

「曹操様、偽りなく、この者は男です」

 

「貴様!我らを謀ったのか!!」

 

「……確かに人命優先という事で言葉を噤んだ事は認めます」

 

「姉者、馬に乗る前に何かを言いかけた彼を急かしたのは私達だ。責任の所在は私達にもある、だから剣を抜くのは少し待って欲しい」

 

「そうね、説明を求めずに診てもらうと宣言した私にも落ち度はある。ならばここは全て不問としましょう。

 ともかく、一度吐いた言葉は戻せぬ。

 貴方にはしかと私の身体を診てもらう、けれども貴方も医聖張術に劣らぬ腕を見せなさい。それでどうかしら?」

 

 器の大きい事だ。狭量な者なら醜態を見られたとか、謀られたとか言ってその場で口封じをする事態だってあり得た。

 大きな度量を見せられたのだから、この四百年間研鑽を積み続けた腕を披露するのに一切の躊躇いはない。

 

「万事承りました。では診察は明日からに致しましょう。今日はゆっくりと休養を取り、明日は朝食と昼食を抜いた状態で診察を始めます」

 

「あら、何だか面倒な事をするのね」

 

「胃の中を空にする事に意味があります。食事を取るとどうしても気の巡りがそちらに流れますから、出来るだけ身体の中に異物を入れない状態で診察したいのです」

 

「そういう物なのかしらね、いいわ、ここまで来たのなら全て任せる」

 

「それでは明日、またこちらに伺います。夏侯惇様と夏侯淵様もお付き添い下さい、診察をしながら聞きたい事もありますから」

 

「ふん、ならば安心か。もし曹操様に邪な真似をしてみろ、その瞬間に叩き斬ってやるからな」

 

「ご随意に」

 

「では彼を賓客室に案内しなさい。私も今日は休む」

 

「はっ」

 

 そして俺は客室に通され、そこで一夜を過ごすのだった。

 

 

 

 翌日の昼、本格的な診察が始まった。

 身体を調べるにあたって、俺は何をするにも詳しく説明し、結果も漏らさず伝える事にした。

 聡明な曹操にはそちらの方が受け入れ体制を整えてリラックス出来ると思ったからだ。

 思惑は当たり、多少専門的な事を言っても彼女は理解し、俺のやりやすいように動いてくれた。

 

 その結果半日掛かりになると思われた診断は三時間ほどで終わった。

 俺は曹操の部屋にて、調査項目を総合して診断結果を伝える。

 

「頭痛の多くの原因である腫瘍もなく、血管の状態も悪いようには見られませんでした。それ所かその他のあらゆる診断から、曹操様には何一つ異常も見られないと判断しました」

 

「まあ、逐一結果を聞いていたから、そういう総合判断になるのは分かっていたけどね」

 

「何だと!結局貴様も他の医者を同じ事を言うのか!そんな筈はないと言っているだろう!」

 

「姉者の言う通りだ、納得できぬ。まだ何か調べていないのではないか?」

 

「現時点で曹操様の身体について私が知らない事等無いと言い張れる程、出来る限り精密な検査を行いました」

 

「はん、どうだかな。昨日あれだけの大言壮語を吐いておいて原因が分からず仕舞い。後に退けぬと適当に時間を掛け、はったりを通そうとしているだけではないのか?」

 

「……こういう事を口にするべきではないと思うのですが、お二方に納得して頂けるのなら失礼を承知で口に出しましょう」

 

 そして俺は曹操の身体について一から十まで話してみせた。

 身長体重から始まり、月の周期、新陳代謝の活性具合から爪や髪の伸びる速度、食事の好き嫌い、どこそこにある傷は何時どういう場所でどうなってついたのか、二次性徴のタイミング、普段どういう過ごし方をしているのか、どういった服装をしているのか、運動の頻度、運動神経の程度、風呂に入る頻度等等等等、曹操に付きっきりである二人には真実か否か分かる事をこれでもかと並び立てた。

 

 羞恥と怒りで赤らんでいた顔が、途中からは怖さで青くなっていった。

 普段の生活から数年前について薄く残っている傷の来歴までつぶさに語られたら、そりゃ物凄い恐怖だろう。

 

「二人共分かったでしょうから、もう止めて、本当に……」

 

「まさか我ら姉妹でも知らぬ事を知っているとは……医者とは恐ろしい存在なのだな」

 

「謙信殿、先は疑ってすまなかった。貴殿は噂通り、身体の全てを知り尽くす者だったのだな」

 

「ご理解いただけたようで何よりです。ともかく、曹操様の身体は傷病、感染症、細菌、毒等の問題もなく、至って健康であると確信を持って言い切ります。

 ですがその上で頭痛を感じられたとなると、逆に恐ろしくも感じます。

 心因性のものか、はたまた理を外れた何かの影響か、些か気になりますね」

 

「理を外した何か、ね。呪術等の外道の術の事かしら?しかしそんな物……」

 

「私も少し前まで歯牙にも掛けない物でした。ですが極めた術式というものを目にする機会があり、考えを改めました」

 

 管理者は曹操にあの手この手で妨害を仕掛けていたというから、管理者がやっている可能性は有り得なくはない。

 遠くを見通す水晶球なんて代物が作れるのだから、対象が遠くにいたとしても強力な呪いをかける事ぐらい造作もないだろう。

 

「そちらに対しては要調査とするしか有りませんね。次いで心因性による可能性ですが」

 

「その心因性、というのは何なのだ?」

 

「心の病気、とでも言いましょうか。

 例えば、いとも容易く行えていた特技を一度失敗した。すると何故か特技が失敗続きとなってしまう。克服しようと足掻けば足掻くほど成功の兆しは遠のき、いつしかやってみようと思っただけで動悸息切れなどの症状が表れてしまったりするのです」

 

「ふむ、我らが兵の中にもそんな奴がちらほらいたような気がするな」

 

「神経質な人間、自分に自信が持てない人間に出やすい傾向はありますが、しかしほとんどの人間が罹る可能性があります」

 

「私や曹操様がそんな不確かなものに左右される様が想像がつかん。なんかこう、とにかくもっと分かりやすく言え」

 

「夏侯惇様には縁が薄いかも知れませんね。

 例えば……貴方は書類仕事をしていました、そして気付かない程微妙に利き手側の肩が凝っていた。

 翌日剣を振っていると違和感がありました、いつもの型に納得行かないのです。その時貴方はどうしますか?」

 

「身体の違和感に気付かぬなど幼少の頃だけだったが……あの時はひたすら剣を振り続けたな」

 

「貴方は剣を振り続けました。ですが身体の違和感が根本なので、疲労すればするほど違和感は強くなります。ここで一度自身のおかしさを受け入れて休養を取れば、肩の凝りも取れて剣筋は元に戻るでしょう。

 ですがもしひたすらに剣を振り続けたなら、剣に対する自信はどうなるでしょう?」

 

「疑念に変わるかも知れんな」

 

「周囲の人間の助言を聞ける強さがあれば問題はないのですが、自分が弱くなったと他人には話したくない、以前は何も言われなくても出来ていたと考えてしまうと、発覚が遅れて手遅れになりかねません。

 もし後々ゆっくり休息をとって元に戻ったとしても、悩んでいた時から作り上げた理想が以前はもっと上手く振れていたと思い込ませたりして、底無しの泥沼にはまります」

 

「分からなくもないな、そうか、私はあの時曹操様に言われて無理やり休まされたのだった。そうすると剣も無事に振るえたので、あれは気のせいかと思っていたのだが……。

 ふむ、なにはともあれ、私は書類仕事をしてはいけないという事はわかったぞ」

 

「……あーそうですね、そうかも知れませんね。

 心因性、精神的外傷についてまとめますと、自分を強いと思っている人間はこういった心の病に罹りにくいのですが、罹ってしまったら気付かない、気付いても無茶をしてしまって抜け出せなくなる事が多いので注意が必要という事です。

 もし心因性のものであるなら再現性があります。頭が割れるほどの痛みというのなら、早急に原因の究明と克服をしておかなければいけないでしょう。明日明後日にでも頭痛が起こった現場に赴き、似たような状況を再現して様子を見るのが宜しいかと」

 

「ふむ、何から何まで理に適った診断と有益な助言だったわ。

 原因こそ分からず仕舞いだったけれど、私が健康であり、他に原因があると確信を得れたのは大きい。

 感謝するわ、謙信。何か礼として望むものはあるかしら?」

 

「いえ、まだ何も分かっておりません。出来るならば状況再現に私も連れて行って頂き、原因の究明をしたく思います」

 

「中途半端では終わらせたくないという訳ね。主導できる人間がいるといないとでは大違いでしょうし、連れて行っても良いわ」

 

「ありがたく存じます」

 

「今すぐにでも向かいたいけれど、もう夜が近い。今日は大人しくしていましょう。

 それでは謙信、一緒に食事でもどうかしら?朝と昼を抜いているから、夜はかなりの馳走を用意しているの」

 

「そう、ですね。では招待ありがたく受けさせて頂きます」

 

「では食事まで多少時間があるから、それまではゆっくりと休みましょう。

 夏侯淵、以降の段取りを任せる。夏侯惇、彼を部屋まで案内しなさい。案内し終わったら曹仁から今日一日の報告を受けて私の下に戻ってくるように。

 謙信は申し訳ないのだけれど、通達なしに城内を歩かれると憂慮の事態があり得る、今日だけは部屋で大人しく待っていてちょうだい」

 

「「はっ」」

 

 そして俺は夏侯惇の案内の元、客室に戻るのだった。

 途中、疑って悪かったと素直に謝られた。とても真っ直ぐな御仁なんだと安心すると共に、俺の知る夏侯惇じゃねぇなーと思ったりもして胸中複雑な気分になってしまうのだった。


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