明後日までを目処にちょくちょく修正するので、また暇な時に覗いてみてください。
究竟を知る龍、うん、自分で言ってあれだが、少し恥ずかしいわね、これ。
撤回も出来ないので、私はそのまま歩きはじめ、しかし三歩目で止まった。秋蘭が付いてこなかったからだ。
私は振り向き、どうしたのかと問おうとして、言葉を飲み込んだ。
秋蘭の瞳から涙が溢れていたのだ。
「しゅ、秋蘭? どうしたのかしら?」
「華琳さま、私は……私は嬉しいのです。
剣で私を超えられたあの瞬間も嬉しかったですが、それ以上です。
実力で私を遥かに凌ぎ、常に最上の結果を挙げられ、最短距離でここまでやって来られた華琳さま。ですが私は、我らが主はこの程度ではないのだと常々不満を募らせておりました。
ですがあの一戦で我が不満の全てが払拭されました。
天の頂に至る龍に成長された主に最大限の忠誠を、そして主を導いてくれた謙信殿には最大限の感謝を表したく思います」
秋蘭は私の元まで近づき、跪いて私の手をとった。
私は微かに震える彼女の手をしっかりと握りしめて言葉をかける。
「貴方と春蘭がいたからここまで来れた、そして彼も貴方達が連れて来てくれた。
夏侯姉妹、貴方達こそが私の一番の宝だ」
「有難きお言葉です。私達も華琳さまに置いて行かれぬ様、精進を重ねて付いて参ります」
熱き忠誠心に胸を打たれた私は、改めて二人を大事にしようと心に誓うのだった。
それから大過ない日々が一週間ほど続いた。
ここ最近は頭痛もなく、普通に仕事をこなしている。
いや、一つだけ悩みの種があった。白の美貌と治療の腕前が城中に広がり、充てがった医務室が連日長蛇の列を為しているのは何とも頭の痛い話だ。
そうして一週間余裕を持って書類仕事を続け、配置した人員が仕事を覚え始めたので政務が安定して行えるようになると、次は外に目を向けなければいけない。
幾つか陳情が上がってきており、その殆どが盗賊の被害を訴えるものだった。
一週間ずっと城内にこもっていたので、そろそろ外が恋しくなった私は直々に討伐へ赴く事を決定し、準備を進めた。
そして準備が終わる間際、二つばかり問題が浮かび上がってきた。
城に残さなくてはいけない白と準備させていた兵糧の数字が合わないという問題である。
さて、どちらから片付けようか?
白にはここ最近忙しくて会えなかったから、先に顔を見に行こうか。
判断に迷う問題は心に余裕を持った状態で接したい。
そして私は春蘭と秋蘭を引き連れて医務室にやって来た。
そこには薬を擦っている白の姿しかなく、ほっと安堵の息をつけた。
さすがに明日出立するというのに傷をこさえて医務室にやって来る馬鹿はいなかったようだ。
一安心しつつ、早速用件を伝える。
いつもお目付け役として付けていた秋蘭と春蘭を連れて行くので、代わりに役目を引き継ぐ人間について説明しておく。
白に付けるのは曹洪、私の可愛い従妹である。
容姿端麗、軍才も武勇も侮れない、そして何より眼を見張るのは経済に厚い所である。今では内政要員として無くてはならない存在になっていた。
が、有能さに比例して問題点があった。
軍資金についての遣り繰りだけなら良いのだが、個人の金遣いにまで口を出す。
極度の男嫌いで少女愛好家。
割と残念な幾つかの問題点があった。
今回も本人を連れて来る予定だったのだが、美しいが男性であると知れ渡っている白と会う事をどうしても嫌がり、これでもかと用事を作って面会をそれらしく拒否したのだ。
私の命令には基本従順な子なのに、そこまで嫌がるとは……あの子の偏った性格と性癖には困った物である。有能であるからこそ非常に惜しい。
とまあそんな説明をし終わると、白は何とも微妙な表情をしていた。まあ今の説明だとその表情になるだろう。
だが思惑はある、あの子にさえ認められれば私の軍で白を認めぬ者はいなくなる。
そして何というか、あの子の性癖を白なら制御できそうな気がしたのだ。
「何ですか、気がしたというのは……まあ良いでしょう、少し内政方面で口を出したかったので、丁度良い機会と捉えましょう」
そんな怖い言葉が聞こえたが、まあ良い。
彼の韓信としての力は見た、次は張良としての手腕を見られるのだから、非常に楽しみである。
次の用事に輜重隊に向かおうとした所、白も調合した薬を納めに行くというので一緒に向かう事に。
ならついでだし見極めに参加してもらおうかしら。
という事で輜重隊が忙しなく動き回っている現場にやってきた。
私が来た事で騒然としかけたが、明日に向けての準備を優先せよと発して場を収めた。
場が元に戻るのを確認し、近くにいた兵を一人捕まえて責任者を呼ぶよう頼む。
程無くして緊張した面持ちの少女が私の前にやってくる。
ふむ、緊張を滲ませるという事は故意だったか、では売り込みと工作員と愚者のどれだろうか。
覇気を軽く滲ませて脅し、少女の言い分を聞く。すると真っ直ぐな目をして売り込みに来たと言ってのけた。
嘘を言っている様子はないので一先ず信じておく。
熱い目をしているし、良い度胸だし、聡明な受け答えだし、可愛い。うん、非常に好ましい。
だが軍の頂点にいる私が易々と彼女を受け入れては双方にとって宜しくない。妬み嫉みは禍根を残す。
なので公の面前で少女を試そうと思い周囲を見渡すと、難しい顔をしている白の姿が目に入った。
何かこの少女に思い当たる節でもあるのだろうか、と疑問に思った私は白を呼び寄せ、何かあるか? と囁くように尋ねる。
すると彼は、一つ試したい事があると言ってきた。
彼が試したいと言うなら是非もない。
彼に何をするのかを聞き、傍に控えていた春蘭と秋蘭を呼び寄せて協力するよう伝える。
話が終わり、少女に沙汰を伝える。
「軍師として仕えたいならここで資質を問おうではないか。
軍師とは戦場にあって怯えず、常に客観的な推察を行い、随時的確な策を出す者である。
客観的な推察と的確な策はこの場に私を呼び寄せた手腕から評価しよう。
次いで、貴様がどれだけ臆病風に耐えられるか見せて貰おうか」
「はっ、覚悟は出来ております」
ふふっ、とても良い目をしている。
しかしこれからの試練を聞いてその平常心を保てるかしら?
「ではこれから私、夏侯惇、夏侯淵が殺気を放つ。そして私自らお前に武器を振るう。
戦場に満ちる鬼気と目の前に迫る暴力に対して目を逸らさず耐え忍んでみせよ。
髪を切られようが、腕を切り落とされようが、決して目を逸らすな。
一瞬でも逸らしたなら、手足ではなく首を切り落とす」
「私は貴方様の軍師を志す者。この頭と口さえ残りさえすれば、後はどうなっても構いません」
その眼差しの強さに心が滾る。素晴らしい、見事試練を耐え切って貰いたい物だ。
「良く言ってのけた。では行くぞ!」
そして私達三人はある程度抑えた状態で闘気を解放する。
すると遠巻きに眺めていた兵達の多くが胸を抑えてへたり込んでしまった。中には気を失う者もいる始末だ。
まあ、仕方無い事である。
一週間前に私は覚醒しているし、この一週間で夏侯姉妹は以前より恐ろしく研ぎ澄まされている。しかもこの騒動に二人は少し苛立っているようで、私が想定したものより強めに気を発している。
更に明日の盗賊討伐は新人を戦場に慣らそうという思惑もあり、核となる騎兵隊以外は新人達を多く配置している。だから今ここで仕事をしている輜重隊の多くも新人であり、何の覚悟も無しに私達の気に触れればああなるのも已む無し。彼らを責めるのは酷と言うものだ。
だがしかし、その兵達よりも戦いとは縁遠そうな目の前の少女は私達の闘気に耐えていた。
目から涙を流し、極寒の地にいるように震え、唇を血が滲むほどに噛み締め、両手で自身を強く強く抱きしめながら、少女は必死に耐えていた。
もし私が気を抜いていたら、顔には嬉しさが出てしまっていただろう。
才能と度胸を合わせ持つ娘と出会えた事と美しい少女が震える様を見られた事で、特級の嗜虐的笑みを浮かべていたに違いない。
だが今は白に頼まれた事がある。曰く本当に殺す気でやってください、との事だ。
私は白の頼みを聞き入れ、一芝居打つ事にした。
私は殺すつもりで鎌を振い、春蘭、秋蘭、白が直前で止めに入る算段だ。あの三人なら上手く止めてくれるだろう。
とはいえ何事にも事故はあり得る、そうなったら勿体無いなーと思いつつ、私は喜びと甘い考えを殺して意識を切り替え、目の前の少女を殺すつもりで鎌を取った。
少女を殺す為に鎌を振りかぶり、世界が歪んだ。
以前よりはマシだが、それでも頭を鈍器で思い切り殴られたような激痛が私を襲い、思わず呻きを漏らしそうになった。
手が震えて鎌を取り落としそうになるが、渾身の力を込めて握り直し、私は鎌を振るった。
キンッ、と鉄の打ち合う音が聞こえた瞬間、頭痛が消え去った。
痛みから掠れてしまっていた視界が澄み渡り、春蘭の大剣と秋蘭の護身用の小剣が鎌の刃を止め、白が柄を掴んで止めてくれた事が分かった。
表には鎌を勿体ぶるように握り直しただけと映っただろうに、心配そうに見つめる三人の表情から何が起こったのか正確に理解していると察する事が出来た。
全くもって得難い三人である。
そしてそれを目の前の少女は全て見ていた。
何が起こったか分からないが、何かが起こったのだと察したようだ。
彼女の瞳と表情には先程よりも強い意志が滲んでいた。
彼女もまた、私にとって得難い存在となるのだろうか。
私は鎌を降ろし、期待を込めてにこりと微笑み、彼女の士官を受け入れるのだった。
少女にはそのまま明日の盗賊討伐の準備指揮を任せ、私と白は医務室に向かった。
謎の頭痛について憶測が立ったと白が言ったので、薬などを保管する為に鍵が備わっていて、患者の悲鳴が響き渡らないようまた病状などが漏れない配慮の為に防音の対策も施してあるので、秘密談義には都合が良い医務室に向かった訳である。
春蘭と秋蘭も来たがったが、白が止めた。
二人は何故だと強く反発したが、白の「華琳様は二人に話そうとするだろうが、それが出来るのかどうかを確かめたい」と言う発言にぽかんとしてしまった。
何を言っているか理解できない、と二人が言葉を発する前に。
「春蘭、秋蘭。どうせ私から話すのだから、そういきり立つ必要はないわ」
「……むぅ、約束して頂けますか?」
「ええ、話せるようなら一言一句違えずに話すと誓うわ。だからここは白の実験に付き合いましょう」
そう言って丸め込み、二人には明日の準備の確認に向かわせた。
春蘭は言わずもがな秋蘭ですら不満顔を晒しており、白は本当に申し訳無さそうな顔で二人を見送っていた。
医務室に着き、しっかりと鍵を閉め、二人で神妙な顔を突き合わせて囁くように話す。
「早速ですが胸襟を開いて語ります。恐らく、貴方は私と同様に、天の理を外れてしまわれた、または外れかけてしまっているのでしょう」
それは信じ難い話であった。
要約すると、私は太平要術の書を奪った盗賊を手に掛けようとして天の理から外れてしまった。
天の理とは天の加護であり、また天の戒めでもある。
戒めたる枷が外れた事により私は前世の記憶を思い出し、身体能力や事務作業の限界や制限が外れてしまった。
勿論良い事ばかりではない。枷とはつまり生を歩む上での安全装置のようなものである。
天の加護が無くなって天の敵にも成り得る存在になった私は、天が望む歴史を阻害しようとすると天罰が下るようになってしまったらしい。
本当は微妙に異なるらしいのだが、伝えられる言葉で喩えながらの説明をせざるを得ないので、詳細を完全に伝えるのは難しいとの事だった。
彼を十二分に信用し、私自身も前世の記憶覚醒という不思議体験をしている身であるが、そうそう受け止められる話ではない。
なのでとにかく踏み込んで聞いていく。
天の望む流れとは?
天の御遣いが創りだす物語である。
貴方が私に願った一度きりの敗北はその為?
そうです。
天罰とは何か?
意識が断絶するほどの頭痛。記憶の消失から存在の抹消までも有り得る。
天の望みに逆らい続けるとどうなるのか?
最終的には間違いなく存在が消失する。
天とは如何ともし難い存在なのか?
自然現象のようなものだから逆らうのも不可能。
「信じ難い話の連続だけれど、それを証明する何かはあるのかしら?」
「……では天の御遣いを孫策から奪い取る計画を立て、それを実行する明確な意志を持って実行に移ろうとして下さい」
私は暫し黙考し、現実的かつ綿密な計画を脳内に展開していく。
政治的なやり取り、物理的な実行案も立て、自分が持つ手札でも無理なく天の御遣いを回収する方法を思いつき、それを形にしようと机においてあった木簡を取ろうとした所で、ずきりと頭に痛みが走った。
盗賊や荀彧を殺そうとした時の痛みに比べて微々たる痛みではあったが、無視できるような痛みではなかった。
「これは……」
「頭痛が起こりましたか?」
「ええ、貴方の言う可能性は否定できなくなってきたわね。でもこれが以前盗賊の持っていた書に書かれていた呪術的な物、というのもまだ否定はできないわよね」
「そちらに関しては門外漢なので、可能性は潰せません。
私もまだ確信を得た訳ではありませんから、盗賊討伐から戻られたら改めて調査いたしましょう」
「そうしましょう。では最後に聞かせて貰いたい事がある」
「何でもお尋ね下さい」
「貴方は記憶を失ったと言っていた、それはどういう状況だったの?」
「それが何時で誰の事なのかは話せませんので抽象的になってしまいますが、天の望む流れの中で死ぬ定めにあった人を生かし、その結果十数年分の記憶を失いました」
「人一人の運命を変えるだけで記憶が失われるのか……恐ろしい話ね。
けれど希望の見える話でもある。
つまり、運命は変えられるのね?」
「……代償を支払う事さえ出来れば可能です。
ですが決してお勧めは致しません、今でも未遂でありながら意識が飛びそうになるのです、実行したなら死に直結するでしょう。
天罰が貴方だけではなく、周囲にまで及ぼす可能性もあります。
そして何より、貴方に何かあれば悲しむ人は多いのですよ?」
「理解しているし、忠告はありがたく受け取るわ。
けれど座して敗北を待つなんて私には死んでも出来ないのよ。
もしかしたら小さく積み重ねれば天も欺けるかもしれないし、大逆であっても一度なら存在の抹消までは至らないかもしれない。
可能性があるのなら、私は私の持つ全てで運命に抗うわよ」
「華琳様らしい、ですね。ならば私も出来る限り力添えをすると約束いたしましょう」
「心強いわ。
それじゃあ春蘭秋蘭に今の話が出来るかどうか試してくるわ。あの子達の機嫌のためにも、頭痛がしなければ良いのだけれど」
「もし駄目でも言葉を選べば断片だけは伝わるかもしれません。が、決して無理はなさらないでくださいね」
「そうするわ。……白、もう一つだけ聞かせてもらいたいのだけど」
「何なりと」
「白、項羽が劉邦に負けたのは、運命だったのかしら?」
彼は一瞬だけ口を噤み、しかし吐き出した。
「……自身で言う言葉ではありませんが、二勢力の趨勢は私が握っていたと言っても過言ではありません。
先に出会ったのが貴方であれば、間違いなく志を共にして全てを治めていたでしょう。
ですが、先に出会ったのは貴方と同じ英雄である劉邦様だったのです。
それを運命と言うなら、そうだったのでしょう」
彼の言葉に偽りと気遣いを感じた。
私は偽りを追求する事はせず、気遣いを大事に思った。
「……気の迷いで変な事を聞いたわ、忘れて頂戴」
私は歩き出した。
彼との会話で強い強い決意を抱く。
貴方を得た上での敗北など認められるものか、運命など全身全霊を持って捻じ曲げてくれよう。
ダイジェストでなければ、前の話も含めてもう少し華琳の内面を書き込みたい所ですね。