華琳と管輅と卑弥呼を引き合わせた夜、俺は皆の好物を作る為に簡易キッチンで腕まくりをしていた。
今後の方針を夜が更けても話し合っている少女達への気遣いと、別れを少しでも良い雰囲気の中で行いたいという思惑からの行動である。
洛陽近くに駐屯しているので大陸中の様々な食材が入手可能だったのは僥倖。豊富な食材を前にして意気揚々と料理を作りに作る。
糧食集積所にて一人でこつこつと作業を行い、時たまやって来る巡回兵の李典と于禁に味見をしてもらいつつ、一時間半を掛けて料理が完成した。
これから料理を運ぶのだが、持てる皿には限りがあるのでまずは華琳の好物と前菜やお通し的な物を手にする。
俺は寝静まる幕営を抜け、作戦会議室である天幕まで料理を運ぶ。
唐突な夜食だが、喜んでくれるとは思う。料理の腕前は既に披露しており、お墨付きを頂いている。
華琳と出会って一週間ほど経った頃の話。
会話で料理の話になり、話が弾みに弾んでじゃあいっちょ腕前を披露してやるか! と互いに料理の腕前を披露し、その際に華琳の太鼓判をもらったのだ。
美食家の華琳をお世辞抜きで満足させた、これが存外に嬉しい出来事であったりした。
俺の料理はあくまで家庭料理や旅路で作る粗食の延長にあるものだ。しかも四百年前から今に至る経験と遥か未来の日本の価値観が複雑に混在していて、これって俺が美味しいと思ってるだけで皆の舌にそぐわないのでは? と常々疑問に思っていた。
仲間達や生徒達や孫策達、色々な人に料理を振る舞ってきた。その中で皆美味しいと言ってくれたが、ひょっとしたら気を遣われているのでは? と自信が持てず不安に思う事も多かった。
だから、何がどうされてどう調和して、結果ちゃんとこうして美味しくなっている、ときちんと掘り下げて評価してくれた華琳にはとても感謝している。
閑話休題。
作戦会議室となっている天幕の前についた俺は伺いを立てる。
「夜食を持ってきたのですが、入っても大丈夫ですか? 後両手が塞がっているので」
するといの一番で春蘭が飛び出てきた。
「全然構わないぞ! ああ、少し前から糧食所で何か良い香りがし始めて、すっごく楽しみにしていたんだ!」
「いや、糧食所からここまで歩いて五分くらいの距離があるんだが……まあ春蘭だからな。
ついでだ、まだ幾らか持ってこなきゃいけないから手伝って貰えるか?」
「すぐ行こう今行こう!」
「待て待て、取り敢えず両手の料理を置かせてくれ」
「むぅ、早くしろ!」
子供のような催促に苦笑いをこぼしつつ、天幕に入っていく。
「失礼します」
「あら、気が効くわね」
「ああ、またもやお兄様の手料理が食べられるのですねっ! これだけで洛陽に寄った意味が出てくるというもの!」
「先程まで出費がどうのこうのと騒いでいながら……さすがに現金過ぎないか」
「うぐぐ、すごく美味しそうな匂い……白殿の魅力的戦力が高過ぎて辛い、華琳さまの寵愛独占が遠のく……」
好意的な反応が多い事に安心しつつ、俺は料理を並べていく。
あくまで夜食なので、量はそこまで多くない。それぞれの好物を摘んでいれば腹六分くらいになるだろう計算だったのだが……一つ誤算があった。
俺が料理を作ると誰よりも早く反応する元気っ子の反応がなかったのだ。
「季衣はどうしました?」
「あの子は先日までの盗賊狩りで無理が来ていたから早めに寝かせているわ。ここは洛陽だし、盗賊が蔓延る余地はないからと言ってね。
けれど悪い事をしてしまったわね、何より食べるのが好きなあの子だもの。きっとこれを知ると拗ねてしまうわ」
「そうでしたか、季衣の分は明日の朝用に何か仕込んでおきましょう。
しかし困りました、あの子がいると計算して作っていたので、量が多いかもしれません」
「そう、なら追加の料理もあるみたいだし、それを取りに行く際に適当な人間を連れて来なさい」
「宜しいので?」
「少し詰まっていたから、思考の転換も兼ねてね。けれど男は連れて来ちゃ駄目よ」
「承りました。では適当な兵を捕まえて連れて来ます」
そして天幕を出た俺は春蘭を連れて糧食所に帰ってきた。
するとそこには三人の女の子がおり、一人は俺の料理を守るように立ち、二人はあわあわとしながらも視線が料理に釘付けだった。
「二人が糧食所の巡回へやけに行きたがるから疑ってきてみれば、まさか任務中に食事を取っていたとは……これは立派な軍規違反だぞ?」
「ちゃ、ちゃうて、確かに料理を貰ってたのは貰ってたけど、謙信様から味見のお許しがあったんやで?」
「ほう、しかしさっきは謙信様もおられないのに料理に近付き、あまつさえ料理に手を伸ばそうとしていたな?」
「ち、違うの! 謙信様がいないから、料理を守ろうとしてただけなの! 手が伸びてたのは……あれなの! 包丁とかのお片付けをしようとしてただけなの!」
「既に綺麗に片付けられているのに、更に料理へ手を伸ばしていた理由がそれか?」
「うぐっ」
「あうぅ」
……何か面白いやり取りをしているな。
しばらく見ていたいが料理が冷める一方だし、隣りにいる春蘭が爆発しそうなので早めに介入する。
「こらこら、警備隊を任されている三人がこんな所で固まってちゃいけないだろ」
ばっと三人がこちらを向く。
「夏侯惇将軍に謙信様?! も、申し訳ありません」
平伏しようとした所を春蘭が冷たい声で呼びかけて止める。
「楽進、平伏は良いから状況報告をしろ」
「はっ、警備任務中にもふらふらとしていた二人が警備隊の交代時間が来ると同時に、再びふらりと何処かに行こうとしていたので、その後をつけてここまで来ました。
そして二人が糧食所の中に侵入し、そちらに置いてあった料理に手を伸ばそうとした所で声をかけた次第であります」
「それはつまりだ、ここにいる二人は重要区画である兵站所、その中心にある糧食集積所へ無断侵入し、曹操さまに献上される料理に手を出そうとした訳だな?」
「あぅ、まさかまさかの曹操さまへの献上品……というか謙信様の料理がどこ行くとか冷静になれば分かる話やろウチ……」
「うぐぅ、夏侯惇さま烈火の如くなの……沙和死んじゃうかな、でもでもさすがにそれは……」
「さて貴様ら、遺言を聞こう」
「「遺言?!」」
「規則では輜重隊隊長もしくは副隊長、または上級士官以上の許しなく兵站所へ侵入した者は棒打ち三十回、兵站に無断で手をつければ死刑。
また献上品への無断接触は軍の追放または死刑だね。まだ手を出していなかったから死刑は無しかな。
まあ三十回も棒打ちにあって軍から追い出されたらほぼ野垂れ死ぬだろうし、遺言というのも間違ってないよ。完全に故意だから減刑も認められない」
「そ、そない殺生な!」
「つまみ食いで沙和達死んじゃうの?!」
「まあつまみ食いで死ぬのは嫌だよな。だから温情として見逃そう」
「おい白! 規則は順守してこそ意味が保たれるのだ。温情など害悪以外の何物でもないぞ!」
「殆どの場合はそうだろう。けどこのまま最後まで処理をしたとして終わるのは何時になる? 罪を告発して晒し、罰を決定し、罰の実行を当事者として確認しなければならない。そうしたら全て終わるのに一時間じゃ足りないぞ?
それが無事に終わったとして、春蘭は冷め切った料理を食べたいのか? 冷めて不味くなった料理を献上して華琳様は喜ぶのか? 作り直すにもそこから更に時間が掛かるから華琳様の機嫌は悪くなる一方だぞ?」
「うぐ、そ、それはぁ……」
春蘭が頭を抱えて悩みだしたので、さっさと話を進める。
自身が美味しい物を食べたい、料理を華琳へ届けた時の感謝が欲しいという欲求で目が眩み、別の人間に料理を運ばせるという簡単な結論に至れない今がチャンスである。
「楽進、他に二人がここに来たと知る人間はいるか?」
「おりません」
「そっか、ならこの場での事は公にはしない。罪を完全に無くすのはまた違うので、軽い罰は二三受けてもらって仕舞いとしよう」
「ほ、ほんま?! 謙信様の優しさが五臓六腑に染み渡るわぁ」
「有難うなの! 本当に有難うなの!」
「あの、二人にお情けを頂いて有難う御座います」
「君達のような優秀な人材をこんな所で失いたくない。
だけど改めて注意しておく。軍に入った日が浅いから規則というものを軽視しがちになるのは分かる、だが破ると本当に首を切られるから、次からは気を配るように」
「「はい!」」
「それじゃあ第一の罰、この料理を曹操様のおられる所まで運ぶのを手伝ってくれ」
「「あいあいさー!」」
「現金な従順さだな。白、この事は私の胸に仕舞っておく事にした」
「おお、懊悩の果てから帰ってきたか。
まあ見逃すのがここでは上々の判断だろ。規律は人を縛るのではなく、人を律する為にある。やり直せそうな人間ならばやり直させるのが正道というものさ。
それじゃあ早く戻ろう、華琳様も待ってる」
「そうだな。ほらお前ら急ぐぞ! しかしもし転けて料理を台無しにでもしてみろ、その場で斬首するからな」
「ひぃー、圧掛けるのは堪忍したってください!」
「手と足が震えちゃうのっ」
そうして騒がしい三人組をメンバーに加え、俺達は料理を運び込むのだった。
料理を運び終え、皆の会話に混ざりつつ晩餐を大いに楽しむ。
結局士気などの事を考え、俺が一時的にでも陳留を離れるとは知らせない事にした。
黄巾の乱が終わり、陳留に戻るタイミングで華琳が上手く取り成してくれるそうだ。
幾つかのグループを回り終え、最後につまみ食い組に混ざる。
彼女達は仲間に入って日も浅く、将官とまだ上手く絡めないようで、三人固まってひたすらに料理を平らげていた。
来てからずっと美味しい美味しいと三人で料理を頬張ってくれているが、それでも季衣が普段食べる量ととんとんというのが恐ろしい所である。
「美味しそうに食べてくれてるようで嬉しいよ」
「あ、謙信様、ご馳走になっております」
「けんふぃんはま、これ全部めちゃウマでふよ!」
「真桜ちゃん、口に頬張りながら喋るとか、女の慎み忘れ過ぎなの……」
「うっ、もぐもぐ、っと。すみません、ちょっとこれ美味しすぎたもんで」
「気持ちはわかるの。手、止まらないよねぇ」
「なんとも大絶賛で嬉しいね。そろそろお腹は膨れてきたかい?」
三者元気よく首を縦に振ってくれた。
「それじゃあ罰二つ目と行こう」
「えっ、今からなの?」
「料理運ぶだけで罰ゆーのはさすがに在り得へんかー。
けど命の危機に比べればなんのその、やれと言われるなら何でもやりまっせ!」
「良く言った。とはいえ何をするでもない、ただ立っているだけで良いよ」
「??
それで罰になるの?」
「楽進は残りの料理を食べる作業に戻っててくれ」
「いえ、二人を事前に止められなかった自分も責任がありますので」
「んーそうか、ならしっかりと耐えられたら楽進には何かご褒美をあげよう」
「耐える、ですか?」
疑問符を浮かべる三人ににやりと笑いかけ、俺は華琳を呼んだ。
俺と同じようにグループを転々として会話を楽しんでいた華琳は、何かしら? とすぐに来てくれた。
総大将の到来に固まる三人組。
「華琳様、一つこの者達に総大将のお力を見せてあげて欲しいのです」
「また藪から棒に……何かあったのかしら?」
「この者達は逸材であり、将来華琳様を支える柱石となりましょう。
ですから今の内に高みという者を刻んで上げて欲しいのです」
「させたい理由は話すのに、させたいと思ったきっかけは話さないのね。
まあいいわ、それで何をさせたいのかしら?」
「殺気をぶつけて上げて下さい」
「えっ、それだけでいいの?」
「なんや、一発殴られるぐらいは覚悟してたんやけど」
「曹操さまの闘気でしたら、村を救って頂いた時に近くで体感しましたが……」
思わず、と言った感じで三人がこぼす。
その罰を聞いたその他の人間は、あー可哀想に……という顔をしていたが、三人は気付かなかったようだ。
「そう、一度経験しているなら本気を出しても大丈夫かしら?」
華琳の口元にとてもサディスティックな笑みが浮かんでいる。
こりゃ三人のトラウマになるかも知れん。
「華琳様、程々に願いますよ?」
「ええ、程々に、ね」
あ、駄目だこりゃ。いざとなったら割って入ろう。
そして五人で天幕を出る。
三人と相対するように華琳が立ち、その間に俺が立つ。
これから試合が始まるかのような立ち位置につき、幾つか条件をつける。
時間は五秒。接触不可。全員が倒れたら終了。五秒逃げずに立っていられたらご褒美。とルールを決める。
つまらないわ、と言わんばかりの不満顔の華琳女王様。いや、貴方に本気で殺気を出されたら大抵の人間が廃人になっちゃうから。優秀な若手を潰すのは絶対にNGです。
「では、三秒数えますのでお願いします。では、三、二、一、開始」
瞬間、周囲が濃密な死の気配に包まれる。
「五」
自我を押し潰さんとする圧倒的な恐怖から彼女達の理性は脳を凍りつかせた。
「四」
だが身体に残る生存本能は動けと叫び、逃げたがる。しかし麻痺した脳との齟齬により身体はただ異常なまでに震えるのみ。
「三」
脳の凍結による思考の消失、身体の機能不全による五感の消失、感情の抑制による現実味の消失。それらが噛みあい絡み合い、彼女達の時は止まる。
「二」
彼女達が体感する一秒は一体何秒に引き伸ばされているのだろう。十秒だろうか、一分だろうか、一時間だろうか。彼女達は後何時間死に続けるのだろう。
「一」
最後の一秒、これを希望と捉えるか、絶望と捉えるか。
彼女達が壊れないでいてくれる事を切に願う。
「終了」
と言った瞬間に柏手を響かせる。
一瞬で霧散する死の気配。
三人の身体が崩折れ、地面に転がる。
彼女達は指一本動かせない有様で、意識は朦朧としており、体中の水分が無くなるのではないかと心配になるほどの汗を流し、呼吸器官だけがただ荒く動くのみである。
命を燃やして動こうとあがき続けたのはあの尋常ではない震えから察する事が出来る。
「壊れなければ良いけれど……」
「あら、そこら辺は上手く見たつもりよ?」
「そうかも知れませんが、性悪ですよね。
彼女達が逃げたり倒れ伏さないよう一瞬で気を練り上げ、彼女達の動きを縛りましたね?
改めて言います、性悪です」
「あら、嫌われたかしら?」
「何時も思ってる事なので、今更です」
「あら酷い、言いたい放題ね」
「言いたくもなります。やり過ぎでしょうに」
「確かにやり過ぎたかも知れないわね。必要な事だったとはいえ、反省しましょう」
「必要と言い切られたという事は、意図に気付いていらしたのですよね?」
「ええ。窮地を奇跡的な時機を持って援護され、兵の練度が高すぎて道中の賊も相手にならない。
戦いというものに対して甘く見ている様子があったから、私も懸念はしていたのよ。
だから貴方が恨まれ役を買って出てくれて助かったわ」
「……性悪ですよ、ほんと」
「まあこの子達も逃げたりしない、というより出来ないと言うべきかしら。
私を敵に回す恐怖を知ったからには不用意な真似もしないでしょう。
例えば、いざこざを起こして料理を微妙に冷めさせる、なんて事もしなくなるでしょう」
「……はぁ、それでは後は自分が上手くやっておきます」
「頼むわ」
そう言って華琳は天幕に戻っていった。
「罰も兼ねていると理解していたから強くしたのか。
春蘭が話している様子も無かったんだがなぁ、察しが良すぎる上司というのも困り者だ」
残った俺はそう零し、三人を抱えて医務所に連れて行く。
寝台に寝かせ、用意されていた経口補水液を飲ませる。
そして適度にマッサージをし、気脈を調整する。
ここまでは単なる医療行為。
ここからは勝手な強化を行う。曲がりなりにも三人は立っていたのでご褒美である。
俺は気脈に変化を加えていく。
死の恐怖に抵抗する為に気脈が全開になっており、疲労の極致にあって完全に脱力している今だからこそ自由に気脈をいじる事ができる。
なので才能ある者が死に瀕する過酷な修練を長く積み、精神と身体を酷使した先にある秘技、気脈の解放をちょちょいとやってしまう。
「一先ずこれが別れる前の最後の肩入れかな」
管輅と卑弥呼を華琳に合わせる前に会話をした際、色々と言い募られた後に俺は曹魏を強くしてしまった事を謝った。
前回のループでは左慈と宇吉が必死に調整して弱体化させたと言っていたのに、今回は強くしてしまったのだ。
かなり怒られる、失望されると思っていたのだが、彼女達は神妙な顔でこう言った。
ある程度までならむしろ強化して下さった事に感謝せねばなりません。
現状では呉が強すぎ、バランスが取れなくなる可能性があるのです。
と、不思議な事を言われたのだ。