何故か今回の流れは呉が恐ろしく強いらしい。
天の御遣いを手中に収めた為か、それとも前回の流れを継いでいるのか、詳しくは分かっていない。
現在は于吉が調査中とのことだ。
ともかく呉が勝利に近づくのは良いが、強大な敵として立ち塞がらなければいけない魏が弱くては舞台が成り立たない。
だからある程度の強化を施して欲しいと頼まれた。
そしてそのある程度、というのは既に実行されている。
恥ずかしい話だが、落ち度を偶然に救われた形だ。
では何故、先ほど華琳に異民族対策に出るという話をしたのかというと……情けない話なのだが、華琳に話した通りであり、華琳が話した通りなのである。
魏の強化は必要だが、しかし育て過ぎると手がつけられなくなってしまうので重々気をつけて欲しいと念を押された。
だが俺には自制する自信が無かった。
医者と同様に教育者としても長くの時を過ごしてきた。だから人にものを教えるのは最早反射行動となっている。
なので知っている事を聞かれると反射的に答えてしまう。
栄華にそろばんや複式簿記を教えてしまったのもその厄介な性質のせいである。
そしてそんな性質の俺に、華琳の生徒としての有能さ有望さはもはや毒。
華琳は知識が豊富でまた知識の活かし方を知っている、だから色々と教えたくなってしまう。そして教えたら本質をすぐに理解し、知識を反芻して進ませ、しばらく話せば自分と同等に知識を育て上げてしまう。
四百年積み上げた教師としての経験、未来の知識を持つ者としての孤独が、彼女の聡明さに惹き付けられて止まないのだ。
二つ言葉を交わせば内容が伝わり、四つ言葉を交わせば解決する。
議事録を記帳する担当をしていた栄華や秋蘭からは言葉が足りなくて私達には伝わらない! と良く注意された。
栄華は経済の話、秋蘭は武術の話をするとその状態になるので、書庫に残してあった議事録を後で確認した桂花に議事録の体をなしていない! と皆で怒られたのは笑いの種である。
楽しい、楽だから沢山話し、そして二言で言いたい事が伝わる。そうして一ヶ月会話をし続けた。
それは他の者とする会話に比べて、どれだけの密度になっただろうか。
そして楽しさだけでなく、心構えにも問題があった。
誰も知らない過去を握り合っている秘密の仲、同レベルだと認め合った者同士のシンパシー、彼女の敬愛する祖父との縁、主従とは違う変わり種の関係性、その他諸々色々な感情感覚が複雑に混ざり合い、二人共がなんというか、互いに意識して良い格好を見せたがる奇妙な空気が出来上がっていた。
互いに落ち度を、無様を、怠惰を、堕落を見せてなるものかと常に気を張り合い、際限なく高め合ってしまう。
相性が良すぎる、というのが問題になるとは思いも寄らなかった。
このままでは病的な依存関係に至るのではという危惧が、互いに距離を置かねばと思った要因でもある。
とまあそんなこんなで、華琳との会話の結果として、陳留は目覚ましい発展を短期間の内に遂げた。
このまま進めば現在ある漢の常識の範疇を大きく変え、効率化した無駄の少ない運営形態に移行していっただろう。
そして都市を作り変えるノウハウを得た彼女達は、新たな領地を手にした際に効率よく変革させていっただろう。
生産性や流通効率が既存の枠組みとは桁違いとなるのだから、他国とは争いにすらならなくなっていた可能性がある。
もし黄巾の乱勃発があと一ヶ月遅れたら手遅れになっていただろう。
だから変な話、黄巾の乱が俺の落ち度を救ってくれた訳である。
これ以降物語は加速度的に展開していく。
新たな領地を短期間でどんどん確保する事になるから、成功事例がない挑戦的な運営を行う判断は下せないだろう。
だから多少効率化された現状の形態が維持され、想定の範囲で魏国は強くなる。
そうなれば天の御遣いが倒すべき宿敵として機能する筈だ。
こうして考えると既にかなりの綱渡りをしていたんだな。
思ってる以上にやり過ぎたので、華琳だけじゃなく春蘭秋蘭も覚醒し始めてるし、武力面でのテコ入れはこの三人だけにしよう。
三人を嵌めたお詫びだし、正しい鍛錬をしばらく続けないと出力が絞られるリミッターみたいのを掛けとけばやり過ぎにはならないはず。うん、きっと大丈夫。
という訳で、翌日の朝。
早朝に料理を仕込み、皆に料理を振る舞った。季衣は殊更喜んで食べてくれたので心が暖かくなる。
ちなみに昨日罰を受けた三人は未だ眠り続けている。
恐怖の受け入れや気脈の強化に脳や体が順応する為に頑張っているのだろう。
三人はそのまま荷台に乗せられて連れて行かれるらしい。
騙し討ちになってしまった罰に対する謝罪と、リミッター解除に至る正しい鍛錬方法を記した手紙を書き残し、昨日よく食べていた好物の仕込みをしておく。楽進にはプラス俺の特製辛み調味料をつけておく、どうかそれで許して欲しい。
皆との別れも淡白だった。華琳以外は俺が陳留に戻るだけだと思っているから仕方ないのだが、少し寂しい。
最後に皆の無事と勝利を願い、彼女達を見送る。
さあ、俺も四百年来の因縁に向い合うとしよう。
最後に管輅と卑弥呼に挨拶をしに行こうと思い、宮中へ向かう。
勝手知ったる宮中である。四百年前から多少改修されているとはいえ、秘密通路などはそのままだ。
隠し通路も綺麗にされているからここも忘れ去られてはいないようで、誰かとすれ違わないかという不安もあり、通路を作った本人としては嬉しくもあり、心中複雑である。
結局そのまま誰ともすれ違うこと無く、四百年ぶりの後宮へと足を踏み入れた。
気配を探ってみると何やら違和感のある場所がある。
なんとなーく行くのが嫌になるその場所、恐らく結界が張られているのだろうと予測する。
気配を探りつつ隠れつつ、違和感の中心地へ向かう。
途中お盛んな大将軍様や皇后様や十常侍やらがいたが気配だけ覚えてスルー。
致している最中に自身の名前や役職を呼ばせたがるのは自己顕示欲の表れなのかね。
そして生々しく毒々しい光景と音を超えた先、後宮の最奥に辿り着いた。目の前には見た目ごくごく普通の扉、だが前にすると圧力のようなものを感じる。
しかし中には良く知った気配があったので、ノックをして声をかける。
「卑弥呼ー、白だ、開けてくれ」
「ぬおっ、は、白殿?!」
驚きの声が扉越しから聞こえ、しばらくして扉が開いた。
「ほぅ、白殿に違わなかったか……于吉や左慈はおらんか?」
「いんや、隠形しながら秘密通路を通って一人で来たよ」
「ふむ、ならば単純に私の修行が足りず、白殿の力が優っているという事か。
では白殿、とりあえず中に入られよ」
「失礼するよ」
妙にファンシーで装飾過多な室内に、厳ついふんどしマッチョが迎え入れてくれた。
「ここは管輅と私の執務室でな、人避けと感知の術式を幾重にも張り巡らしている場所でもある。まあ白殿には意味のない物だったようだが。
して白殿、今日はどうされた?」
「ちょっと匈奴の土地まで向かおうと思ってて、その前に改めて挨拶をしとこうと思ってな」
「ふむ、異民族に対して興味を示されたと管輅から聞いていたが、また急な話である。しかし丁度良いと言わざるを得ないタイミングでもある」
「ん? 何かあったのか?」
「先ほど匈奴より黄巾の乱に対する援軍が送り届けられたのだ。管輅はその対応に向かって今は席を外れておる。
しばらくすれば戻ってくるだろうから、それから三人で改めて今後の相談をするのが良かろう」
「渡りに船、というにはタイミングが良すぎないか?」
「元より黄巾の乱における匈奴の援軍はあった。白殿の行動は私達管理者ですら制御出来んから、白殿以外に意図した行動を取れるものはおらん。故にこれは天運という他ない」
「たまたまねぇ、そういうもんか。
……まあいいや。それじゃあ管輅が戻ってくるまでの間、ちょっと匈奴について教えてくれないか?」
「お安いご用、任されよ」
こうして俺は匈奴への渡りと情報を一度に手に入れる事が叶うのだった。
匈奴の情報は多岐に渡った。
四百年前からの略歴、現在の生活水準、文化レベル、単于の性格と考え、これからどうなるのか、ループで見た彼らの行動パターン。
長く中央で活動していた卑弥呼が持つ情報は広く、また確度も高い。
今後活動するのにとても役に立った。今度から情報は卑弥呼から仕入れよう。
管輅は人の未来も過去も見えるからか、はたまた流れの収束が良ければ全て良いと考えているからか、情報の蓄積を重視していない。過去の情報を聞くとなるとあまり役に立たない面があった。
「それじゃあまとめると、今来ている於夫羅が黄巾党を適当に叩いて手柄を立て、匈奴に戻ったら単于である父が殺され、助けを求めに洛陽に来たら群雄割拠となっていて追い返され、賊に落ち、曹操に討伐されて兄弟共に恭順し、単于の代わりに執政していた老王が鮮卑からの要請を受けて漢を攻める。っていうのがテンプレな訳か」
「そうなる。前回の流れで出てきた五胡の大軍は匈奴と鮮卑の野望が暴走した形だろうな。しかし一つ間違いがある。於夫羅と呼厨泉は兄弟ではなく姉妹だ」
「あ、そうなのね。んーじゃあとりあえず五胡の野望を阻止する方向で動こうかな」
「それで良いと私は思う。
匈奴の侵攻は物語上あっても無くても良い演出なのだ、無ければないでちゃんと漢人はひと纏まりにはなって物語は収束するのでな。
だがそれでは」
「演出で死ぬ民や兵が不憫過ぎるな」
「私もそう思うのだ。
だが管理者一同の大目的は物語の収束であり、それ以外、それ以後の物語については無駄と割り切るのが鉄則だ。
私と貂蝉はその大前提を崩さぬ範囲で少しでも未来が良くなるようにと動いているが、表に出られない故出来ることは限られている。
于吉と沙慈、管輅も苦言を呈するかも知れぬが、白殿が動いてくれるなら私は嬉しく思う」
「そっか、それじゃあ今回でループが無くなるかも知れんし、俺はそっち方面で積極的に動くとするかな!」
「頼むぞ、イイオノコよ」
そうして卑弥呼と初のツーショットを楽しんでいると管輅が帰ってきた。
俺がお邪魔してると知って驚いた様子だったが、何故か納得もしていた。
「於夫羅への未来視に不確定要素が混じって見えていたのは白様の影響だったのですね。
しかし残念です。
白様が近々曹魏を離れる未来が薄っすらと曹操から見えておりましたので、私達の謀略に手を貸して頂けると楽しみにしていたのですが」
「期待に添えなくてすまん。でもこれは四百年来の因縁にケリを付ける良いチャンスなんだ」
「白様の無念、見知って理解しているつもりです。なので邪魔は致しません、好きにおやり下さいませ。
一先ずは白様を漢からの連絡員兼通訳として派遣する形に致しましょうか」
「ふむ、ならば適当な役職に就けねばなるまい」
「あまり高いと自由に動けないから、侮られない程度に留めてくれよ?」
「はい、こちらで調整致します」
「俺の独断で色々迷惑をかける、すまない。そして管輅、君には特にお世話になりっぱなしだ。改めて礼を言わせてくれ、有難う管輅、いつも本当に助かってるよ」
「あっ、は、はい、お褒め頂き、感謝致します」
「いや、俺が感謝してる方なんだが……えっと、それじゃあどうしようか、調整にはしばらく掛かるんだよな? 何か手伝える事はあるか?」
「今はこれといった手伝いは要りませんね。
何処に丁度良いポストが空いているのか調査をし、証明書の手配をするとなるとどれだけ術を駆使して無理押ししても一日は掛かります。
匈奴の軍勢は今日明日と漢の持て成しを受ける手はずになっているので、二日程拘束できます。
ですから今日いっぱいは好きにお過ごし下さい」
「んーそっか、ならお言葉に甘えさせてもらおうかな」
「はい、今日の夜にはおおまかに纏めておけると思うので、改めてその時にお会いしましょう。
守衛には謙信と名乗れば通れるようにしておきます」
「分かった、それじゃあ街でもぶらりとしてくるよ」
そうして俺は街に繰り出すのだった。
洛陽には光武帝となった劉秀に招かれて以来だったので二百年ぶりになる。
仲間達との別れの場所、仲間達の意志が腐敗していく場所という念が強く、また医者や教育者も豊富で立ち寄る必要のない場所だったので足が遠かったのだ。
まあしかし、わざわざここを離れる面倒を行う程の嫌悪感もなく、二百年前から変わらぬ光景があったりして郷愁に耽けれもするし、活気のある町並みに微笑みも零れる。
案外簡単に洛陽を受け入れている自分に気付き、苦笑いが出てくる。
必要な薬等を買って宮中に送ったり、診療所や鍛冶屋に寄って技術レベルを確認したり、暴漢に襲われそうだった儚げな美少女を保護したり、儚げな美少女が街を見たいというので喫茶店デートや夕飯の買い物等に付き合わせて楽しんでいると、夕暮れがやってきた。
予想以上に楽しめたのは儚げな美少女という華があったからだろう。
感謝を述べると彼女も優しい笑みを浮かべて感謝をくれた。
しばらく少女の住んでいるという方向をゆっくり歩いていると、メガネを掛けた勝ち気そうな美少女と腕の立ちそうな数名の護衛が鬼気迫る表情で進行方向からやってきた。
儚げな少女は寂しそうな、嬉しいような笑みで「迎えが来ました、今日は有難う御座いました」と丁寧に礼をしてくれた。
俺も「有難う、楽しかった」と返す。そして少女は綻ぶ笑顔でその人物達の元に歩いて行った。
勝ち気な美少女はほっとした表情をし、そのまま儚げな美少女の手を引っ張って連行していった。
健気少女は貴族か何かで、強気少女はお付なんだろうなーとなんとなくずっと見送っていると、途中事情を聞いたのか、強気少女が振り向いて頭を下げてきたので、こちらも礼を返しておく。
いい娘達だったなーとほっこりしつつ、そのまま帰途についた。
さて、日も暮れてきたがまだ夜というには早い時間。
俺は後宮の調理場にて袖をまくっていた。
皇帝を含めたお偉いさんの為じゃなく、何時も世話になっている管輅と卑弥呼の為に差し入れをしようと思ってだ。
管輅の好物は以前過ごした時に熟知しているし、さっきの会話の中で卑弥呼の好物も聞いている。
なので醤油あんかけ天津飯とパンケーキを作ることにした。
分かりきった話ではあるが、天津飯好きが管輅で、パンケーキ好きが卑弥呼である。
調理場に残っていた宮廷料理人に名前を出すと、渋い顔をされながらも竈を一つ借り受ける事ができた。
彼が渋い顔をしたのは、日が暮れる前に皇帝への料理は作り終え、調理場を掃除し終えた後だったからである。
掃除を終えた調理場に彼が残っていたのは明日使う食材確認のためだった。
俺が後で綺麗にするからと言っても、見知らぬ料理人に何か細工でもされたら自分達の首が飛ぶので、彼は必然的に最後まで監視し、使い終わった後再び掃除する役目を負う事になる。
そりゃ渋い表情の一つもしようものだ。
料理ご馳走するから許してと心の中で思いつつ、さくっと料理を作る。
三十分程でふわとろ天津飯と色彩豊かなパンケーキが完成。
一応天津飯を主食、パンケーキをデザートの計算で、皿は何故か十皿ある。
俺は既に美少女と食べているので要らないので、作るなら管輅、卑弥呼、監視員の料理人の三人分だけで良かったのだが……いやー儚い美少女と一緒に買い物してたら皆が皆すげー出血大サービスをしてくれて、材料が山盛りだったのだ。
そして持って帰ってきたは良いが、宮廷に残しておいても何処から仕入れてきたか分からない食材なぞ捨てられてしまう。結果もったいない精神が発揮されて食材を使い切り、皿が二つずつ余計に増えてしまったのだった。
「おおー良い匂いに誘われて来てみりゃ、何とも美味そうな料理があんじゃねーか!」
やたら威勢のよい女性の声が入り口から聞こえてきた。
振り返って見てみると、得物を見つけた野生動物のような笑みを浮かべる女性が居た。上衣を軽く羽織り、下はズボンという動きやすそうな服装、日によく焼けた肌、しなやかな筋肉、ショートボブ、容貌としてはとても整っている二十代前半ぐらいの女性が居た。
しかし何よりも目を引くのは、傍若無人豪放磊落という雰囲気と、まるで獲物を見つけた野生動物のような笑みだ。
なんというか、とても存在感がある人だなーと見ていると、彼女は獣を思わせる靭やかさで料理に急接近し、お盆ごと掻っ攫おうとした。
余った分なら勘弁してやるが、お盆ごととなると止めざるを得ない。
ぺしんと手を叩き、同時に頭へデコピンを食らわせて転ばす。
女性はいきなり来た衝撃に素早く反応し、後転をして勢いを受け流した。
「あてっ。えっ、ええぇ」
まさか私の動きが見えるとは! と分かり易い驚きの表情でこちらを見る女性に強めの釘を刺す。
「これは俺が日頃世話になっている人に向けて作った料理だ。勝手に手を出されるのは不愉快極まりない」
匈奴の言葉に覇気と嫌悪を込め、威圧する。
彼女は構えを解き、地に伏せた。
「すみませんですはい……って! 何やってんだオレ様!」
一瞬で立ち上がった彼女は仁王立ちで言い放つ。
「匈奴を統べる羌渠の子、黄巾の乱を収めるべく精鋭一万を率いてやってきたこの於夫羅様に頭を下げさせるなんざぁ良い度胸じゃねぇか!」
「自己紹介有難う。叩頭はあんたが勝手にした事なんだけど」
「やいやいうるせぇ! とにかくその料理を賭けて決闘だこの野郎!」
あ、これ春蘭の同類かもわからんな。