今昔夢想   作:薬丸

55 / 95
今日は三話投稿です。


55.理を知る女

 さて、匈奴軍のトップに喧嘩を吹っ掛けられた訳だが、どうしよう?

 

「受けるよ、なんでもござれだ」

 

「良い度胸だ、ならさっさと廊下でケリつけようぜ。ここは廊下一つ取ってみても馬鹿デケェからな!」

 

 そして料理を残し、廊下で対峙する。

 

「料理が冷めるといけねぇから単純な殴り合いと行こうぜ。良いのを二発当てるか、骨が折れる、意識が落ちる、降参で負けだ」

 

「ではいつでもどうぞ」

 

「次は本気で行くぜ!」

 

 地を蹴る彼女は確かに早い。獣のような俊敏さ、態勢は極限まで低く、僅かに頭を揺らして頭部への有効打を散らそうとしている。なるほど、素手での戦い方を心得ている動きだ。熟練ボクサーのような合理性がある。

 だけどまあ俺の力量を把握しきっていないのに勝負を早く決めようと攻め過ぎた。

 隙だらけだったし、というかそもそも遅い。華琳や春蘭に比べると馬と牛だ。

 

 俺は引きつけて引きつけて引きつけて、彼女が振るったボディへの一撃を柔らかく掴み、全身を使って流れを誘導するように捻りを入れ、後ろに受け流す。

 すると於夫羅は後方十mちょっとぐらいまでずさーーーーっと勢い良く滑っていった。

 磨きこまれた床石がよく滑るのもあるが、彼女の突進力が抜きん出ている証拠とも言える。

 後ろではなく下に流していたら、下手をすれば殺していたかも知れないな。

 

 後ろに流して転ばせただけなので衝撃も少ない、彼女はすぐに跳ね起きて態勢を整えた。

 

「人の身体をすり抜けるなんざ初めての体験だ、お前今何をしたんだ?」

 

 そうして警戒心を露わにしながら、開いた十mの距離をじりじりと縮めてくる。

 不安を前に出ることで殺すタイプか、面白い。

 このまま待って我慢比べも面白いが、今度は打って出る。こちらとしても料理が冷めるのは本意じゃないし、先ほどの動きで彼女の身体能力は掴んだ。

 一歩踏み出し、二歩まで普通に、三歩目で床石にヒビが入りそうな踏み込みで一足飛びに近付き虚を突く。

 微速から急速の変化はよく見ようとしてしまうと罠に嵌ってしまう。

 無から急は相手が踏み込む瞬間にすると虚を突けるが、見に回ろうとしている状態では効果が薄い。あえて一歩目二歩目をゆっくり進めて勘違いさせ、観察しても大丈夫だと意識を緩めさせた所で強襲した。

 

 意識の狭間を狙った行動はまんまと嵌まり、彼女はぽかんとした表情をしていた。きっと彼女の目には俺の姿が急に大きく映った事だろう。

 そのまま彼女の顎元に一閃、脳を揺らして意識を飛ばした。

 崩れ落ちる彼女を抱きとめ、お姫様だっこをして厨房へ戻る。

 

 そこには急展開の連続でどうしよう、どうしよう、と小声で呟く料理人がいた。

 そして俺の姿を見てぎょっとした表情を見せる。

 決闘だ! と言われてものの二、三分で対戦相手を担いで帰ってきたら驚きもするだろう。

 狼狽える料理人に対して俺もどうすれば良いのか名案が思い浮かばなかったので、取り敢えず料理を勧めてみる。

 

「あの、自分の作った料理食べてみてくれません? ちょっと宮廷料理人の意見が聞けたらなーって」

 

「あ、ああ、はい、喜んで頂かせて貰いますはい!」

 

 彼は大急ぎで俺の料理の元に向かい、天津飯とパンケーキの皿を引っ掴んで食べ始めた。

 急にどうしたんだろうと思ったが、彼の鬼気迫る表情を見て自分の迂闊さを悟る。

 彼からしたら俺は目にも止まらぬ動きをする異民族を二三分でのした化物であり、後宮を牛耳る卑弥呼に縁のある者でもある。そんな人間に命令されたら毒だろうと美味いと言って食わねばならない訳で。

 

「あっ、すごく美味しい」

 

 という本音から出たであろうトーンの言葉を聞かなければ後ろめたさで死ぬ所だった。

 

「それなら良かった、自分の料理の腕にまた自信がつきましたよ」

 

「あの、この料理、作り方の詳細を教えて頂けないでしょうか? 謝礼は多分に致します」

 

「良いですが、謝礼は要りません、迷惑を掛けたお詫びです。字は読めますか?」

 

「はい」

 

「なら詳しく書き記して後で届けましょう。今はこの料理と匈奴の客人を届けなければいけませんので」

 

「有難う御座います、お手伝いは?」

 

「いえ、何とか持てますので」

 

 そう言って俺は意識を飛ばしたままの於夫羅を肩に担ぎ、お盆を持って二人の待っている部屋まで向かうのだった。

 

 

 

 二人の部屋に戻り、肩に担がれた於夫羅に驚かれたが、料理が冷めるので経緯は食べてから話すと言って料理を食べてもらった。

 於夫羅は今部屋に備え付けられた寝台でぐっすりである。

 二人が美味しいと言って食べ終わり、事情を求めてきたので答える。

 

「……と、いう訳だ」

 

「という訳で連れて来られても困るのだがな」

 

「白様は本当に色々な未来を見せてくれますね」

 

「あのまま放置する訳にも行かないし、何処に連れて行けばいいかも分からない。だからまずは料理を食べてもらいたい欲求を満たす事にした」

 

「はぁ、そうですか。しかし白様の手料理はやはり美味しい。宮廷料理人の飾りばかりの料理とは一線を画します」

 

「スイーツまで作れるとは驚きだ、貂蝉の奴にも食べさせてやりたいぞ」

 

「ベーキングパウダーが手元に少量しか無いから、次作れるのは何時になるやら……いや、確かこれは匈奴の地との交易で得たと言っていたな、匈奴との交流が深まれば容易く手に入るようになるのか、あの便利アイテムである重曹が……これは俄然やる気が出てきたな!」

 

「ふむ、よくわからんが奮起しているようで何より。して、如何なされる?」

 

「全ての友好は満ち足りねばなされない。取り敢えずご飯でご機嫌伺いかな」

 

 

 

 二人が食べ終えると同時に俺もレシピを書き終えた。さてと、於夫羅を起こそうか。

 

「おわ! ちょちょ! ここ何処?!」

 

 気付けをした瞬間に寝台から跳ね起きた彼女。フーフーと臆病な猫のように警戒心を露わにしている。

 

「おはよう」

 

「あ、あんたは、呪い師!」

 

「??

 呪い師?」

 

「身体すり抜けさせたり瞬間移動したり、怪しげな術ばっか使いやがって!」

 

「いや、あれただの体術だから」

 

「嘘だ! あんな不可思議な事が体一つで出来るはずないっつーの!」

 

「だったとして、だ。お前が負けた事に違いはあるのか?」

 

「ない、けど。勝負は勝負だし、けど、納得いかねぇ、けど、うぅぅぅ、負けは負けだ」

 

 憤懣やる方ないといった様子でorzの形になった。まあ納得はしてくれたらしい。

 

「まあまあ、取り敢えずこれでも食って落ち着け」

 

「あ、これ」

 

「元より多めに作ってしまった料理だ、遠慮せず食べてくれ。毒味はいるか?」

 

 その言葉を聞いた彼女は少し複雑な表情をした。

 施し、と思われただろうか?

 

「ん、そっか、なら有り難く頂くぜ。毒味はいらねぇ、アンタ程の呪い師がわざわざ毒なんて仕込まんだろ」

 

 そういって彼女はレンゲを手に取り、天津飯をぱくりと頬張った。

 

「!!!

 なんだこれ! すっげー! なんというか濃いのに全然食える! さっき出された仰々しい料理が吹き飛ぶうまあじだぜ! やっべぇ止まんねぇ!」

 

 そして数十秒で天津飯を食べ終えた彼女はパンケーキに手を伸ばす。

 

「甘っ、甘い、けど胸がムカつかない甘さだ。後この白いのなんだ? 甘くて乳の味がする、あーダメな奴だ、ずっと舐めたくなる奴だ」

 

 心底幸せそうな表情でパンケーキも食べ終え、彼女は物欲しそうな目で残りの二皿を見ていた。

 

「なんだったら食べていいぞ」

 

「ほんとか?! だったら、持って帰っていいか?」

 

「ん、構わんよ。けど日持ちしないから今日中に食べろよ」

 

「おっしゃ! 妹に良い土産が出来たぜ! ありがとな呪い師!」

 

「おう、部屋を出たら右の通路を真っすぐ行けば調理場に着く。食べ終わったらそこに皿を返すよう誰かに頼んでくれ」

 

「分かった、いっちょ行ってくるわ!」

 

 そうして彼女はお盆を持って出て行ってしまった。

 何とも嵐のような人である。

 

「まあけど、退屈しなさそうではあるか」

 

 俺はそう言って開け放たれたままの扉を閉めるのだった。

 

 

 

 翌日、謁見の間。

 本来であるなら皇帝と十常侍が控えるその場には、たった三人の姿だけがあった。

 頭を下げる日に焼けた肌の女性、そこそこの身なりをした役人、ずっと頭を下げたままでいる俺だ。

 

「それでは匈奴の長代理、我らは友好の証として渡すものを用意しておる。金はいらんとの訴えを受け、兵糧等の現物各種を配し、また技術士官を派遣して匈奴の発展に寄与できればと思う次第である。

 以上だ、兵糧は外で受け取れ」

 

「はっ、皇帝陛下のご配慮感謝の至りに御座います」

 

「では兵達の元に戻れ、技術士官の貴様は女の後を付いて行くが良い」

 

 下っ端役人はそう締め括った。

 

 ……なんだこれは。

 俺は初めから叩頭していて、下っ端役人が遅れてやってきて於夫羅を呼び出し叩頭させる。

 そして卑弥呼が綴った木簡を読み上げて一方的に謁見終了である。

 匈奴という一つの国に対する謁見がこれで良いのか? 非礼にも程がないか? 於夫羅が怒り出さなかったのが不思議でならない。

 

 於夫羅が先に退室し、俺はその後を歩く。

 ちらりと下っ端役人の方を見ると、あからさまな侮蔑の表情が浮かんでいた。

 

「朝一から気分が悪い」

 

 小さく呟き、俺は謁見の間を後にした。

 

 

 

 扉の向こうには於夫羅が待ってくれていた。

 出てきた俺をぎょっとした表情で見て、彼女は頭を掻きながら複雑な顔で言葉をこぼした。

 

「底が知れたと思って内心笑ってたけど、アンタみたいなのをぽんと派遣するんだな。やっぱり漢ってのは底が知れねぇなぁ」

 

 いや、底は知れてる。

 だがそれを言う訳にはいかないので、非礼だけ詫びる。

 

「……先ほどの謁見は我が国の落ち度だ、非礼を今ここに」

 

「はっ、詫びなんていらねぇぜ。略奪を繰り返すオレらを蛮族と呼んで蔑んでいるとは知っていたさ。だがまあなんだ、漢の頭がオレ達の姿を目に入れたくもないというのは予想外ではあったがよ」

 

 彼女はにやりと笑った。気遣いでも何でもなく、本当に気にしていないようだった。

 

「まあ何にしろ、だ。これから宜しくな、呪い師兼技術士官殿」

 

「ああ、宜しく。姓名を謙信と言う、好きに呼んでくれ」

 

「おう、頼むぜ謙信!」

 

 

 

 匈奴の兵が駐屯している場所まで馬で移動する。街の中ではさすがに乗り回す訳にはいかないので引くだけだが。

 移動の合間に色々と会話をする。

 彼女はそのノリの良さに隠れ気味ではあるが、腹を据えて会話してみれば、その頭の回転はとても早く、考え方に芯がある事に気付かされた。

 

「オレは利の勘定は下手くそだが、理についてはそれなりに知っている。

 妹は両方そこそこいける口でよ。

 オレが現場を仕切り、妹が単于として上に立てれば、匈奴をそれなりに栄えさせる自信はある。

 

「ん? オレが昨日料理を貰う時に複雑そうだったって?

 あれな、あれは単純に理解できなかったのさ。

 オレ達は何かを余らせるなんて無駄は一切しない、いや出来ない。

 だからなんだろうな、憎らしくもあり、羨ましくもありで表情が曇っちまったのよ。

 料理自体はすっげー美味かったよ、妹もあまりに美味いんで飛び跳ねながら食べていたしな。

 妹は慣れない土地だったからずっと塞ぎ込んでたんだけど、飯食ったら回復したぜ。あんがとよ。

 

「略奪の認識ねぇ、ありゃオレ達にとって必要な行為な訳よ。

 小麦が取れる所、鉱石が取れる所、加工できる所、場所によって作れるものが違う。それを普通に物々交換なりして交易すればいいとアンタらは言うが、それだけじゃあ駄目なのさ。

 例えば、オレ達は身内を決して殺さねぇ。だから漢で平然とやっているような間引きというのはやらない。けれどどうしても食糧が捻出できない場合、攻め入る。そうすると勝てば食料を手に入れ、負ければ口減らしが出来るからな。

 そして人がいれば強姦もするしされる。戦って減った分は生まなきゃならんし、血が濃くなり過ぎないように身内外の血を入れたりもしなくちゃならん。

 自然の摂理だとか必要にかられてだとか思惑が絡み合ったりだとかして、オレ達の略奪ってやつは成り立ってんだよ。

 まあ、オレ達とアンタらの考え方が大きく違うというのは理解している、これで分からないようなら不干渉が最善だろうな。

 

「漢について詳しく知っている理由か。

 単純な話さ、オレ達はずっとずっと昔からアンタらを見ていたのさ。

 張奐を恐れる前から、強大な王たる冒頓単于が漢に取り入る前から、秦が興亡する遥か昔から、オレ達は隣人たるアンタらの事を見て、言い伝えてきた。

 情報の蓄積と、長年馴染ませてきた情報網はアンタらが持つ物よりもいくらか上等かもしれないぜ?

 

「何故簡単に情報を晒すのか。

 負けたからか、胃袋を掴まれたからか、オレの魂は何故だかアンタを素直に認めている。

 妹なら上手く理由を見つけられるんだろうがなぁ……ともかくオレの中で筋道が立っちまったから、理を尊ぶオレとしてはそれに従うまでさ。

 アンタが裏切る可能性? オレの魂が在り得ないと訴えているから、オレの人生経験上在り得ないんだが……まあ口に出すと無粋極まりないが、口先に乗せなけりゃ漢人ってのは満足しないとは理解してる。

 アンタがオレを嵌めるならオレはそこまでの女だったって事さ。だけどここまで胸襟を開いてる訳だから、アンタも裏切らないでくれるとオレとしては嬉しいね。

 

「匈奴の兵は馬を駆るのが上手い? それって褒めてんのか? 馬鹿にしてるのか?

 いやアンタさ、歩くのが上手いね、息するのが上手いね、って言われて褒めてると受け取れるのか?

 オレらは馬と共に生き馬と共に死ぬ、そこに上手い下手なんて無いのさ。

 

 

 

 匈奴の兵が駐屯する場所まで向かう間に色々な話をした。

 彼女の語る匈奴像や物の考え方は匈奴という人種を理解する上で非常に為になった。

 勿論於夫羅から俺に聞いてくる事もあり、彼女はへぇほぉと聞き上手に徹していた。

 理を読み取り、聞き上手、確かに彼女は人の上に立つ人間だった。

 

「さて、アンタについて説明してくるからちょいと待っててくれ」

 

「ああ、頼むよ」

 

 俺は彼女を見送り、見えなくなった所で深い深い溜息をついた。

 強い後悔の念が押し寄せてくる。

 四百年前、俺は融和政策を推し進めていたつもりだったが、何が融和だったのかという話だ。

 

 彼女達には彼女達の考え方、信念、魂があった。

 俺はその事を一切考慮しなかった。漢の物は良い物だとそれを押し付けていただけだ。

 利に聡かった冒頓単于はそれを匈奴に強制させ、理を尊ぶ人間に反発されて殺され、漢と匈奴は戦争になった。

 

 全ては俺の浅慮が招いた事だったのだ。

 

 灯華様を殺した匈奴を心の底から憎めず、強硬手段に訴えなかったあの時点で、実は気付いていたのだ。

 けれど必死に無視してここまでやってきたが、ついに事実を突き付けられた。

 

「灯華様、俺はどうすれば良いんでしょうか……」

 

 思わず吐いた弱音に答えてくれる人は、もういないのだ。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。