今昔夢想   作:薬丸

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56.立て直す為に打ち壊す

 後悔と罪悪感で沈む心を殺し、理性をフル稼働させて何が悪かったのか、どうすれば良かったのかを頭の中で反芻する。

 既に終わった事なのだから、それを教訓とせねば前に進めない。

 彼女から聞いた情報を加味し、最善と最優先を改めて模索する。

 

「漢、というより呉の皆や魏の皆の安寧を優先させる為、匈奴への裏切りも已む無しと考えていたが、もう簡単に割り切る事は出来ないな。

 ……結局は於夫羅の言った通り俺は裏切れなくなった訳だ。さすが理を知る女、的を射ていた」

 

 一先ずは匈奴という者達をより知ろう。そして共存共栄の道を見つける。

 それがきっと四百年前にしくじりを犯しながらも放置し、奇妙な形で歴史を繋げてしまった俺が成すべき贖いなのだろう。

 

 

 決意を新たにし、しばらく今後の方針を練る。

 大まかな計画を立てた所で於夫羅が苦笑いをこぼしながらやって来た。

 

「いやー説明してきたんだけどさ、アンタに負けた事を言ったら腕を試させろと皆うるさくなっちまってよ。

 いっちょ力を見せてやってくれ!」

 

「自分が負けた事も言ったのかよ、それは一軍の長としては軽率じゃないか?」

 

 俺は匈奴の慣習も分かっていないので於夫羅に対して何も要求せず、彼女の良いように説明してくれと頼んでいたのだ。けれどまさか自分が負けた事を話すとは思わなかった。

 

 匈奴軍にとって漢は慣れない土地であり、しかも仮想敵国である。そんな神経を尖らせなければいけない場所で良く分からない皇帝に助力しろと言われた。長の命令と言われてもモチベーションは全く上がらない。

 そして苦労して漢のトップに会いに来てみれば、於夫羅と呼厨泉だけが会食に呼ばれた以外は陣に押し込められて、食糧を押し付けられただけ。

 そして案内役を一人派遣され、さあ黄巾党を退治しろと言われた。

 

 少しの事で爆発しかねないこの状況で、更に燃料を注ぐような情報を出してどうするんだ?

 

「オレの胸の内を正直に語る。アンタに手荒い歓迎をする為にアイツラが準備をしている間、オレの話を聞いてくれ。ここが、アンタとオレの選択が、漢にとって、匈奴にとっての境界線になると思ってんだ」

 

 そう真剣な表情で切り出した彼女を見て、湧いた疑問を押し込める。

 聞こう、と目で頷き、於夫羅の話を聞き始める。

 

「今オレ達匈奴は岐路に立たされている。

 四百年前のしこりから、学を疎かにした報いから、オレ達は年を追う毎に弱くなっている。それに一族の数は確実に少なくなってんだ、目を覚ませばすぐに分かる事なんだよ。

 だが少し前までのオレ達はそんな事に気付きもしなかったんだ。

 漢は肥えていている癖に弱かった。だからこのままで良いんだと、不都合な事に目を逸らして生きてきた。

 けどそうもしてられなくなった。

 張奐が来てオレ達の心をへし折ったんだ。

 ずっと漢を観察してきたオレ達は漢が衰えていると知っていた。けれどその死に体の漢が本気になったら、オレ達は簡単に蹴散らされる程度の強さでしか無いんだって思い知らされた。

 

 しばらくは雌伏の時だ、なりふり構わず国力を増すべきだとオヤジと話し合って、根回しもしようとした。

 けれど張奐が追いやられ、漢に黄巾賊が蔓延った事で打倒漢の機運が高くなっちまった。根回しは無駄に終わり、匈奴は死に体のまま立ち上がろうとしている。

 馬鹿な話さ、オレ達に余力はないんだぜ? そんな状況で戦い? 無謀過ぎるわ。勝っても負けても前のめりに死ぬだけだろ。

 それに会食の席で聞いたぜ、黄巾の賊ですりゃ数十万、百万に届くぐらいいるんだろ? そしてそれを順調に漢軍は討伐しちまってるんだろ? んなの勝負にすらなるかっての。

 オヤジとの話し合いは無駄じゃなかったと思った瞬間だったぜ。

 

 だからよ、匈奴の奴らには漢の敵情視察だと言い包めて、漢に擦り寄る為、無謀な戦を仕掛けぬよう匈奴の戦力を削ぐ為、再び張奐が役目について北を抑えてくれるよう頼む為、オレはここまでやって来た訳だ」

 

 大きく息を吸い、目に強い力を込めて彼女は言った。

 

「なあ謙信、アンタが第二の張奐となって、オレと一緒に匈奴を抑えてくれ。そして漢との架け橋になってくれ。

 頼む。アンタなら、アンタと一緒なら、閉塞した現状に風穴を開ける事が出来る気がするんだよ」

 

 真摯な訴えだった。自らの国の為、多くの同胞を騙そうという彼女の強い心に感情が揺さぶられる。

 俺は脳内で描いていた計画を一旦白紙に戻し、彼女の話を軸に組み直す。

 三十秒ほどで道筋を立てた俺は、空いた間に不安の表情を見せ始めていた於夫羅に強く頷いた。

 

「於夫羅、あんたの答えは受け取った。二人で漢と匈奴を立て直そうじゃないか」

 

 大望に胸が踊り、気が漲るのが分かる。

 於夫羅はその様子を見てとても嬉しそうな顔をして頷いた。

 

「ああ、アンタとならやってやれねぇ事はねぇ!」

 

 気勢を上げる彼女に俺も嬉しくなる。そうだ、なんならもう預けとくか。

 

「今後、俺の事は白と呼んでくれ」

 

「おお? あーあれか、真名、って奴か? しっかし良いのか、すっげー大事なものなんだろ?」

 

「良いさ。これからでかい事やってのけようってんだ、相棒に大事なモノを預けなくてどうするよ」

 

「そっか、なら受け取らせてもらうぜ。私に返せる名は無いが、白の為なら命を張ろう」

 

 彼女が拳を突き出してきた。

 俺もまた拳を出し、打ち合わせる。

 今ここに小さくも強固な同盟関係が結ばれたのだった。

 

 

 

「姉貴ー準備出来たぜー」

 

 匈奴陣営から女性がやってきた。

 於夫羅によく似ているが、彼女とは違って長く艶やかな黒髪が印象的な少女だ。

 

「おお、わざわざ呼びに来てくれたのか。白、コイツがオレの妹の呼厨泉だ。読み書きだけじゃなく、計算も少しだが出来る才女様なんだぜ。しかも個人の勇だって大層なモンなのよ。

 んで、一応色々と話している数少ない身内だから、重用してやってくれ」

 

「そうなのか。俺は謙信という、これから宜しく頼む」

 

「あたいは呼厨泉だよ。……なあ姉貴、こんななよなよした奴で本当に大丈夫なんか?」

 

「おうともさ」

 

 そう言ってジロジロと俺の全身を隈なく見る呼厨泉。

 

「んー確かに得体の知れない物は感じるけど……こうなるとやっぱり実際に目にしないと信用出来ないね」

 

「呼厨泉、オレの目が信用出来ないってのか?」

 

「姉貴、それとこれとは別。あたいの命を預けるに足るかを判断するのは姉貴じゃないよ」

 

「まあ、それもそうだな。ならこれから起こる事をしっかり目に焼き付けな」

 

「……なあ、これから何が始まるんだ? そこの所をまだ詳しく聞けてないんだが」

 

「あーそうだったね。なあ呼厨泉、中の様子はどうだい?」

 

「皆やる気になってんよ」

 

「やる気? まさか」

 

「ああ、あんたには今から各部族の腕自慢と素手で戦ってもらう。

 姉貴を倒した腕前を今ここで見せて貰おうって訳。

 決して負けんじゃないよ、負けたら軍の長が姉貴からアンタに勝った奴になる可能性があるからさ」

 

「責任重大ってわけだ。幾つか聞きたいんだが、まず数は?」

 

「皆が皆アンタの受け入れを大反対してるから、全部族の力自慢代表を相手にしなきゃいけない。大体八十人ぐらいかね」

 

「ふむ、じゃあ個人の武力について聞きたいんだが、於夫羅と十戦してどれだけ勝つ?」

 

「んー半数は一度も負けん。二十人ほどは下手をすれば一本取られるか、残りの二十人は二、三本取られる事もあるかな」

 

「ほう、じゃあ戦闘形式は?」

 

「一対一。五連戦で百八十秒の休憩あり。試合の制限時間無し。道具無し。原則殺し、目潰し、金的無し。敗北条件は両手足の内二本折る、倒れて十秒立てない、降参、気絶。

 一応腕試しのていだからこんな感じ。とはいっても、向こうは殺しに来るだろうから気ぃつけな」

 

「うーん、そうか」

 

「なんだい、乗り気じゃない感じだね。怖気づいたかい?」

 

「いや、そんなに緩くて良いのか? 各部族の代表がその程度なら、千人ぐらい同時に相手しても構わんけど?」

 

「「は? 本気で言ってるのか?」」

 

「本気だ。あ、大丈夫だぞ、殺し目潰し金的は一切狙わないから」

 

「いや、オレらが心配してるのはそこじゃなくて」

 

「あんたの頭の方を心配してるんだけどさ」

 

「実力と結果はちゃんと見せるさ。けどそれで皆納得すんのかねぇ」

 

「あたいらは実力こそを尊ぶ、完膚なきまでに叩き潰せば大体の不満も潰えるよ」

 

「おう、それじゃあいっちょ実力というのを見せますか」

 

 

 そうして二人に連れられて行った場所には四角い舞台が作らていた。

 丸太を腰までの高さに組んで五m四方のリングが作られていたのだ。

 色々な罵詈雑言、嘲笑、殺気が四方から投げかけられるが、それに関しては特に感慨も無く、ただ舞台が狭いなーと思うだけだった。

 

 於夫羅は俺に負けているので現状何かを語る資格を持たないとして俺の後ろに控え、代わりにまとめ役をやっているのは呼厨泉だった。

 ルールの確認、戦う順番などを説明し、いざ! という声が発せられたので、舞台の中心に進む。

 目の前には2mに迫ろう巨人さんがやってきた。

 お互い中央に立つと、巨人の彼は俺を睨みつけ、自分の部族名と自身の名前、得意な事を宣言してくれる。

 彼は力自慢だそうで、なら単純に力で潰そうと思う。

 

 試合開始の合図が呼厨泉から告げられる。

 巨人君は俺に手を伸ばし、掴みの態勢。握力に自信があるタイプなのだからオーソドックスな戦法だ。ついでに彼の表情から察するに、殴るよりKOが分かり難いから存分に嬲れる、とでも考えていそう。

 

 俺は率先して彼の手と組みに行く。

 俺の不可解な行動に一瞬間が空く。致命的な隙だが、見逃してやる。

 周囲のやっちまえ! という声に復活した巨人君は俺の手を粉々にしようと力を込める。

 

 うーん、明らかに秋蘭以下だ。剛弓を容易く引く彼女の握力に比べるとか弱い少女のようである。

 巨人ちゃんが顔を赤くして力を込めているので、ここいらが限界かーと落胆の表情を見せ、徐々に力を入れていく。

 ゆっくりと巨人ちゃんの顔が赤から青に、侮りから苦痛と恐怖に変化していき、最後は降参を絶叫して勝負が終わった。

 

 あれだけ騒がしかった周囲がしーんとする。

 呆然とした様子の呼厨泉に続きを促す。

 そして彼女ははっとした表情をして次の人物を呼び出した。

 だが巨人ちゃんが何もかもが抜け落ちた表情をして動かなかったので、彼を優しく抱きかかえ、リングの外に放り投げた。

 彼の巨体を誰も受け止めようとせず、ズシーンと重い音を響かせて彼は背中から着地し、そのまま伸びてしまった。薄情な奴らである。

 

 巨人がいなくなり、舞台に上がってきたのはスピード自慢だった。

 瞬速さんは俺は力だけの奴には負けない、さっき巨人の隙をつけなかったような奴には負けないぞと大声で言った。

 なので彼にはスピードで勝とうと思う。

 

 巨人よりも二歩程距離を置いてスタートする。

 彼は足を忙しなく動かしてステップを刻み始めた。

 見に回るつもりだろうか?

 一歩踏み出し、力を抜き、一応顎を狙ってジャブを放ってみる。

 避けるのかなーと思ったら拳はすんなりと顎に入って彼はダウンした。

 瞬速君……。

 

 その後十人程と相手の得意分野で戦い、速度腕力脚力体術柔術を全て叩き潰した。

 すると次第に誰も得意分野を叫ばなくなった。

 普通に殴りかかってきたので、普通にワンパンで片を付ける。

 

 それが十人続くと、次の者から氏族も名前も言わなくなった。

 場が凍りついているのを感じたので、盛り上げようと派手に気を使ったり、高く高く投げ飛ばしたり、震脚で観客も楽しませてあげたりもした。

 

 それが十人続くと、呼厨泉が指名しても誰も出てこなくなった。

 なのでリングを吹き飛ばし、俺は実力を出しきってないので、皆で掛かって来てみない? と軽くジェスチャーで煽ってみる。

 これからの事もあるので嫌味や貶すような事は言わない、だがそうなると燃料が弱いので皆乗り気にならない。

 停滞した場にどうしようかと困っていると、呼厨泉が恐怖を滲ませた表情で前に出てきた。

 

「あ、あたいが相手をする。誰も名乗りでねぇなら、これで締めになる」

 

「そうか、では漢より派遣された下級技師官、名を謙信。お相手願う」

 

「呼厨泉、単于の娘だ。軍の長たる姉の次に強いと自負している」

 

 周囲が俺の自己紹介にざわつく。

 俺が流暢な匈奴の言葉を話し、下級官吏だと告げた事実に驚愕が走ったのだ。

 今までの罵詈雑言大言壮語が一から十まで伝わっていて、そして化物のような強さを持っている俺が使いっ走りという事実に。

 えっ、今まで相手にしてた漢民族はなんだったの? 漢の将兵やばくね? 俺達後で殺されたりしない?

 そんなざわめきが周囲に満ちる。

 

 周囲とは関係なしに俺と呼厨泉の戦いが始まる。

 於夫羅が推したように、少女と言っても差し支えない若さであるにも関わらず、彼女は他の奴らより余程動けていた。

 けれどもまだまだ荒削りだったので、教導しながら戦う。

 身体の動かし方という根本から、流れの操作方法などの戦術的な事まで。

 そうするとどんどん彼女の動きが冴え始めるのが周囲の目にも分かる。

 どんどん早く、重く、上手くなっていく彼女だが、それが周囲にとって絶望を深くする。多少まともな比較対象が出来た事で、匈奴で一二を争う実力者と漢の下級官吏の間には果てしない溝があるという事実が浮き彫りになる。

 

 最後は息も絶え絶えの呼厨泉が転がされ、立っているのは汗一つかいていない化物。

 それはもう武器を手にしていたらとか、馬上であったらとか、そういう理由をつける事すら出来ない実力差に映った事だろう。

 武器を持っていても、馬に乗っていても、自分の知覚できない攻撃をされたらお陀仏だ。馬で押し潰そうにも、馬に近い体格の巨人を軽々と投げ飛ばす剛力に押し返されるかも知れない。

 そんな奴が漢のトップではないのだ。張奐も位は低かったと聞く、目の前の化物も下級官吏と言う、つまりこのレベルの奴らが漢にはうじゃうじゃいるのだ。

 

 そんな思い違いを彼らはしたのだろう。

 勝てる未来を尽く潰された匈奴の兵達から、何かがポキリと折れる音を聞いた。

 皆が一様に絶望に染まった表情をしていた。

 仲間である筈の呼厨泉や於夫羅ですら引きつった笑みを浮かべていた。

 ……やり過ぎたかな?


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