「だから、オレに真名って奴を付けてくれってんだ」
それが何故贈り物になるんだろう?
俺が首を傾げていると、呼厨泉が厳しい顔で於夫羅に詰め寄る。
「名付けっていうのは家の最上位者からもらうもんだ。単于の長子が家族以外から名を貰う意味、理解してんのか? 黙っとけばバレないとかだったら姉貴でも承知しないぜ?」
「理はちゃんと通しているさ。白とオレ達の繋がりは深くなってると思ってる。けど今は白に対する恩義の方が大分勝っちまって均衡が全然取れちゃいない。
だから信頼を形で返さなきゃ面目立たないだろ? なら何で返す?
信に金で返すのは失礼ってもんだし、そもそも白も望んじゃいねぇ。
自分の子を預けたりなんだりすれば信頼の証にもなるんだろうが、オレもオマエも子が居ない。
だったら渡せる信頼の証なんぞ自分の身しかねぇだろ。
オマエが単于を継ぐのは決まってる、だから自由の身のオレが差し出されてやろうって話だ」
「……それも白さんが望んでる訳じゃない」
「けど」
於夫羅が短剣を取り、自分の首に当てる。
「なあ白、オレの首か名付けの権利、どっちが欲しいよ?」
「いきなりの展開でついていけない……」
「ああもう! 白さん、こうなったらもう姉貴の覚悟を受け取ってもらうしか無い。姉貴が宣言し、単于の後継たるあたいが聞いちまった以上、姉貴の命は白さんのモンだ。姉貴はもう勝手に結婚も出来ねぇし子も残せない。断ったら本当に姉貴は自死しちまう、それだけは勘弁してやって欲しい」
「……受け取らざるを得ない状況を作って迫るって、これ単なる脅しだぞ?」
そう言っても、彼女はとても穏やかに笑うのみだ。
「あーもう、その表情をした人間には昔から勝てないんだよなぁ! 分かったよ、於夫羅の覚悟は受け取るから、剣を仕舞ってくれ」
「へへっ、白は本当にお人好しだぜ」
「それじゃあえっと、理を知る、自由、遊牧民、友好の証、勇敢。こうなると理とゆうの字は使いたいな。
ということで読みは決まったな、ゆうり、後はゆうに何の字を付けるか……。
色々な意味が有る、道理が有るって事で、有理にしよう」
「有理、ね。有り難く受け取らせてもらうぜ!」
「あーあ、姉貴ばっかり美味しい所持って行くんだからホント嫌になるよ。理を弁えてるからより面倒なんだよなぁ。
単于の後継ぎの時もさっさと断髪しちまってあたいに継がせる意思表明しちまうしさー」
ぶー垂れていた呼厨泉だったが、そうだっ、と言ってこちらに向き直る。
「ねえ白さん、あたいが単于の座を誰かに渡したら、そん時はあたいにも名前頂戴ね!」
「分かった、良い名を考えておくよ」
そうして俺は匈奴全員からのお礼を貰う事が叶うのだった。
吹雪に荷を積み、旅装に着替える。
荷は来た時とさほど差はない。多少増えてはいるが重曹などの生活必需品が数点増えただけだ。
旅装も万能白装束に裁縫してもらった上衣を上から羽織っただけである。
だが三年間にもらった思い出と感謝の念は途方も無く、持って帰るのは少しだけ涙腺が難儀する。
ともかく用意も済んだ、そろそろ漢に、陳留に戻ろう。
「それじゃあ二人共、しばしの別れだ」
「白さん、本当に色々と有難う。姉貴も言ってたけど、白さんへの感謝は匈奴の全ての民が忘れない。
あたいは単于を継ぐから漢に直接出向く事は早々出来ないけど、いつかきっと会いに行く。後会いに来てくれるととても楽だし嬉しいよ!」
呼厨泉のそんな冗談とも本気とも取れない一言多いセリフもしばらく聞けないとなると、妙に物寂しく感じる。
「こっちの成果を纏め終わって、漢が落ち着いたらオレが友好の架け橋として出向く。会うのはその時になるか」
匈奴と関わるきっかけとなり、豪放磊落な性格と直感的に理を悟る傑物。
彼女との会話はちぐはぐだが真理を突いていたりして飽きる事は無かった。
「また二人と会話できる日を心から待ち望んでいるよ。それじゃあな」
「ああ、また会える日を待ってるぜ!」
「またね、白さん!」
俺は吹雪の首を撫で、行こうと言う。
その合図を受けた吹雪は疾風のごとく駈け出した。
「あー行っちゃったなぁ」
「だなー。あーやべ、涙出そう」
「泣いちゃえば? 今は誰も居ないし」
「いや、泣くのは白に会ってからにする。感動の再会って奴だな」
「そっか。あーでも残念だなぁ、白さんが残ってくれたら一番だったけど、無理なのは知ってたし。
けど誰かに食いついてくれたらちょくちょくこっちに来てくれただろうにさ」
「ああ、匈奴中から選りすぐりの男達を集めて白に教えを請わせていたのはそういう事か」
「そそ、表向きあたいの婿探しという理由もちゃんとあったけど、白さんが誰かに食いつかないかなーって下心もあった。皆もあたい以上に白さん狙いだったのは衝撃的かつ自信喪失の極みだったけど」
「ぷぷっ、だよなーあれほんと笑ったわ」
「あのね、笑い事じゃないんだよ? 次期単于の婿探しは失敗、んで二次目的の白さん籠絡も失敗で大損こいたんだから!」
「いーや、笑い事さ。だって白、男だもん」
「は?」
「まあ傍から見てたら分からんよな。あれだけ綺麗だったら目も眩む」
「ちょいちょいちょいちょいちょい、それ本当? もし本当だったとして、何で言わないの? 馬鹿なの死ぬの?」
「出会った初っ端から気付いてたさ。んで何で教えないかって?
恋敵を増やしてどうするよ?」
「がーっ! こんな所で利を覚えやがって! あたいの今までの苦労はなんだったんだぁぁ! というかあたいは男に負けたのかぁぁぁ!」
「まあまあ深呼吸深呼吸。
オレの奮闘のおかげで、単于一族の中から名付けをするまでに親睦を深めた人間が出たんだから、ここはむしろ喜ぶ所だろ」
「ぜぇぜぇ。すーぅはーぁ。
まあ、それだけは褒めたる部分だね。というか、じゃないとあたいが姉貴を殺してた」
「おお怖い怖い。
白から聞いた話だと、五年以内に漢でのゴタゴタが片付くそうじゃないか。
そしたらガンガン攻勢かけてモノにしてくるから! だから待ってろよ、白!」
「あーはいはい、期待してるよ。というか、モノにしてこないと殺すから」
「オマエさっきから怖いよ?! 黙ってたのは謝るからそろそろ勘弁してくれ!」
匈奴の地から旅立って二週間、俺は匈奴と陳留の中間地点である冀州の中程、趙の街に居た。
吹雪が本気で飛ばせばもう少し行けたかもしれないが、ここは匈奴と気候も地形も水食料も違う。
なのでゆっくりと環境に慣らすように来たのだが、何故だかもう順応してきている。
早過ぎる気がするが、傑物と言えるコイツだからこそなのだろう。
とはいえ慣れない土地だから心細いのか、一時も離れたがらないのは困り者だ。
傑物とはいえ年若いという話だし、まだ寂しさと無縁ではいられないのだろうな。
一晩過ごした宿から出て吹雪と合流し、必要物資を買いながら次に向かう街についての情報を集める。何件か回っても盗賊出没や自然災害等の緊急情報は出てこなかったので、のんびり昼過ぎに出向こうと決める。
次は本でも見ようかと街を歩いていると、何やら奇妙な違和感を感じた。
少しその違和感を探ってみると、多くなってきた通行人の幾人かが異常にそわそわしているのに気付いた。
更に詳しく観察してみると、そわそわしているのは男がほとんどと分かる。
邪気は感じない……いや、少し邪念がある? んーよう分からんな。皆笑顔な点から危機的状況ではないと思うのだが……。
なんだろうか、この時期に何かお祭りでもやっていたか? しかし全国行脚をしていた時にそんな話をこの辺りで聞いた覚えもない。男ばかりで、男の中でも三割程しかいないという所が祭りの線を消していた。
観察では埒が明かないので、残りの物資を調達するついでに色々と聞きこみを始める。
適当な店に入って買い物をしつつ、話を聞いていたら四軒目にてヒット。
店番をしていたおっちゃんが喜々として語りだしてくれた。
何でも今日の夜に三人組の歌姫による歌と踊りの披露、つまりライブがあるのだそうだ。そしてその三人組がつい一時間前にこの街に着いたそうな。
三人共見目麗しい、明るい歌が多くて上手い、踊りが派手で飽きない、皆が個性的、俺っちの推し面子は地和ちゃん、との情報も得た。
……まんまアイドルユニットだよ、そりゃ男ばっかりそわそわしてる訳だわな。
まあしかしなんだ、このやり口は以前華琳や雪蓮の所で話に聞いた黄巾党旗揚げの様相を思い出す。
華琳の領地で黄巾党が蔓延する余地も下地も無いだろうが、一応注意して見に行くとしよう。
おっちゃんに聞いたライブ会場予定地につくと、舞台の基礎は既に出来上がっており、黄色い頭巾をした数名の女性が忙しそうに舞台周辺を動き回っていた。
そして舞台袖には大きな天幕が張られており、その周囲には黄色い布を腕章にした警備員がおり……って露骨すぎやしないか?
黄巾巻いて黄巾党のようなやり口って……残党なのか面白半分の模倣犯なのか分からんが、やり過ぎだろう。
真意を聞いて拿捕しよう、そう考えた俺は天幕に近付いていく。
すると数名の女性警備員がすぐに天幕周りを固めた、そこそこ統率の取れた動きに警戒度を上げながら問いかける。
「今回この場で歌と踊りを披露するのに許可は得ていますか?」
俺の問いかけに一人の女性警備員が進み出てきた。
他の警備員にない鋭さを持つ背の高い美人さんだ、彼女が隊長かまとめ役なのだろう。
「この街の長には了解を得ている。更に曹操様より指定された領内での活動許可は下りている。何か問題が?」
生真面目そうな隊長さんは端的に答える。
「では曹操様より許可証などが下賜されているはず。それを見せて頂きたい」
「何故そのような事をせねばならん?」
探るような視線を送ってくる彼女。
だが腹の探り合いをしたい訳じゃない、少し切り込むとしよう。
「もしその許可証が偽物ならば、貴方達を黄巾党残党として処理する」
俺の言葉に警備員達の表情が凍り、その内一人が武器に手を伸ばしかけた。
俺はすぐさま気を当ててその一人を昏倒させる。
何が起こったか分からないままざわめく警備員達に最後通牒を突きつける。
「私は謙信、三年前から曹操様と友好を結んでいる者だ。もし領内で曹操様に仇なす存在がいるならば、討伐して友を助けるのは当然の義務だと思っている。
もう一度言う。胸に疚しい物がないならば、許可証を出されよ」
「……すぐに用意する。しばし持たれよ」
そうして隊長さんが天幕の中に入っていった。
俺は気を緩め、気による戒めを解く。
「ふぅ、取りに行ってくれたという事は疚しい気持ちは無いという事か。
皆申し訳ない、無理を言ってしまった。昏倒させた子は武器に手を伸ばしてたから止めざるを得なかったが、後で謝ろう。誰か介抱してあげて欲しい」
そう笑顔で謝る。
皆がぼーっと見惚れたようになり、いえ、全然良いんですぅと小さく返してくれた。
勿論気を緩めたのはわざとである。天幕から武器を持った警備員や毒矢が飛び出してくる可能性は考慮している。敢えて油断していると見せかけて敵を釣り上げようとしたのだ。
しかしこのちょろい反応を見ていると本当に警戒すべき者達ではないような気がしてきた。
って、俺の方が油断しかけているな、気をつけないと。
警備隊の一人が倒れた少女を連れて行くのを見守ったり、天幕の中からぼそぼそ、ごそごそと声と音が漏れてくるのを聞きながらしばし待つ。
しばらくすると天幕に入っていった警備員が戻ってきて、俺の目の前に許可証を広げて見せてくれた。
俺に手渡さず、あくまで見せるに留めるのは俺への警戒を忘れていないからだろう。
文章を読み、判を見る。そこには見慣れた筆跡と判が捺されていたが、一応懐から華琳の手紙を取り出し、それと見比べる。紛れも無く華琳が出した許可証だと分かった。
俺に許可証を見せている警備員が俺の手の中にある手紙に気付き、そこに書かれた文字と判を見て驚愕の表情を見せた。
俺が本当の事を言っていて、自身の主と手紙をやり取りするような人物であると理解したようだ。
彼女は俺が敵じゃなかったと一先ず分かり、ほっと小さく吐息を漏らすが、別の緊張にすぐに顔を顰めた。
「間違いなく曹操様の筆跡と印だ。どうやら私の早合点だったようだ。警務の邪魔をしてしまい申し訳ない」
俺は腰を九十度曲げて謝罪する。
すると生真面目そうな警備員の女性は慌てて、
「頭をお上げ下さい、我らを黄巾残党と見紛うのは仕方のない事です。それにその……」
彼女はそうして言い淀んだ。華琳と手紙を交わすような人物に謝られたとお偉方に知れたら、些か困った事態になりかねない。
「此度の非礼の詫びは必ず報いる。
知識、武芸、顔の広さには多少の自負がある、何か困った事があれば私に知らせをくれ。必ず力になろう。
そしてそれまでは胸に秘めておく、という事で宜しいか?」
「ご配慮感謝致します」
「それで厚かましい願いなのだが、事情を少し話しては貰えないだろうか?」
「それは……正直私の裁量では判断しかねます」
「そうか、済まない、無理を言った。貴君のような忠義に厚い者が曹操様の配下にいる事を嬉しく思う。
曹操様の策略で働いているとは承知した。後は直接お会いした時に詳しく聞くとしよう」
「はっ、申し訳ありません」
「先ほど言ったように、私は貴君の実直さを好ましく思っているのだ、どうか謝らないで欲しい。
しかし残念だ、胸に秘めると言った手前、名を聞けないのだから」
「私のような者の名など……」
「そう謙遜するものでも無いと思うが。
では私は行く。先ほど言った非礼の詫び、ちゃんと果たさせてくれ。
黄色い空と名乗ってくれれば、謙信宛の手紙や言付けは領内で通るようにしておく」
そろそろ出ようとしたタイミングで、
「あのーそろそろ練習したいんだけど、もう大丈夫? 仲良くできた?」
と少し間延びしたような声を発しながら、可愛らしい少女が天幕から顔だけを覗かせた。
真面目な隊長さんはそちらに振り向き、ため息をついた。
「ああもう、出てきてはいけないとあれ程言ったのに。
ですがもう大丈夫です、互いに勘違いだったと和解出来ましたから」
隊長さんがそう言って安心させようとしたが、彼女は固まっている。
彼女はこちらを見た直後に表情が驚愕に染まり、はわわわーと唇を震わせ、固まってしまった。
……なんだろう、そんな、やってしまったー! と言わんばかりの表情を初対面でされる覚えがないんだが。
顔見知りだったか? だが顔を見た覚えは無い筈。いや、誰かに特徴が似ている気はするが、完全に一致する人物はいない。彼女の親か、もしくは幼い日にでも会った事があるのだろうか。
もやもやした感覚と戦っていると、彼女は小さくひぃゃゃぁーと零して顔を引っ込めた。
「ちーちゃん! れんほーちゃん! お化粧! お化粧しなきゃ! 皆今すぐ! じゃないと後悔しちゃうから!」
「ちょちょ、いきなりどうしたの姉さん?!」
「天和姉さんがここまで困惑してるの党解散以来? ねぇ、本当にどうしたって言うの?」
「い・い・か・ら! 今流行りの自然系薄化粧で決めるのっ!
あっ、まーちゃん! その人引き止めておいてね、一生のお願いだから!」
「えっ、あ、はい」
どうやら帰る流れでは無くなってしまったようだ。こうなると格好良さ気に去ろうとしていたのが何とも恥ずかしい。
俺はまーちゃんと呼ばれた隊長さんと顔を見合わせ、気不味げな笑顔を向け合う事となった。