二話更新です。
出城に戻った俺は本気で隠形し、仮面を外して誰にも気づかれない内に白衣を回収する。
そして何事もなかったように帰還した華琳の傍にひっそり控え、各隊代表者の報告をこっそりと聞く。
全ての情報を聴き終え、華琳が二日保たせる為の大まかな方策、予測される動きの対策などを伝え、後の細かい指示は都度行うと言って報告会は解散。
後は敵の出方待ちとなったが、今日一日は間違いなく攻めてこないだろう。
野戦から籠城戦へと移り変わった。そうなると攻城兵器等を引っ張りだして組み立て作業をしなければいけないし、作戦の練り直し、隊列を組み直したりとにかくやる事が多い。
今から準備を行ったとしても確実に作業の途中で日が暮れてしまう。
そんな馬鹿な隙を晒すとは思えないので、今日一日は将は作戦会議に、兵は行軍、戦闘の疲れを癒やす日として当てるだろう。
勿論少人数で忍び込むなどは試してくるだろうから、決して監視の目を緩めてはいけないが。
ともかく、何とか一段落が着いた訳である。
華琳は一言「付いてきて」と呟き、兵を労いながら出城の奥へと向かっていく。
俺は黙ってその後ろを付いて行く。
とある一室の前に着くと、その前で見張りをしていた二人の兵に一言告げて下がらせた。
彼らが扉の前から相当距離を取ったのを確認し、華琳は中に入っていく。俺も付き従い、中に入って扉を閉めた。
中は一人部屋にしてはそこそこ広く、壁際にベッド、机、椅子が何脚かと必要最低限の家具が置かれているだけだった。
必要最低限ながら質はそこそこ高そうなので、きっと将官用の部屋なのだろう。
華琳は無言で椅子を二脚、中央に対面する形で置き、片方に座った。
俺も用意された椅子に座り、華琳と対面する事になる。
その鋭い眼差しに、滅茶苦茶緊張してきたんだが。
「こんな形でごめんなさい。けれど今、感情がぐちゃぐちゃで殊更冷静に努めないとどうにかなってしまいそうなの」
「えっと、良く分からないですが、分かりました」
「それで真っ先に聞いておきたいのだけど、何時合流したのかしら? あと合流するまでの経緯を教えて貰えるかしら?」
なんだろう、この詰問具合。
「本当についさっきですよ。
匈奴からの経緯をざっと話しますと、こちらが一段落付きそうなので帰って来いという手紙が届いた時、丁度匈奴での政策に区切りがついていたのでその翌々日に匈奴の地を発ちました。
匈奴で良い馬を手にしましたので、旅はすこぶる順調でした。
途中、趙という街で数え役満姉妹と出会い、少しいざこざになりかけましたね。黄色い布を巻いていたので黄巾党と思ったのです。
ああ、その時護衛の隊長をしていた人物が華琳様にお礼を伝えたいとの事です。自分をこの護衛の任に就けて頂き感謝の極み、だそうです。
そしてそのまま馬を飛ばし陳留へと戻ってみれば、一昨日に出陣したばかりという話。これは馬を飛ばせば間に合うかもしれないと急ぎここへ。
そして開戦まもなくに到着し、李典に状況を聞いて衛生兵の一員として薬の把握と整理を済ませ、終わった所で城内の把握をしようと城壁通路に出たのです。
すると華琳様が誘い込まれている光景が見えたので、城壁から飛び降りて仮面を被り、駆けつけた次第です」
大まかではあるがこれまでの経緯を話していると、華琳はぶつぶつと、整合性は取れてる、匈奴産の良馬、時間的にも大凡合ってる、証言を揃えればすぐ分かる事、彼の目から見ても危なかった? 等と言っている。
そしてしばし黙りこみ、段々と顔が赤くなっていく。
「白、事情は全部話すから、少しの間部屋の外で待っていて」
「よく分かりませんが、分かりました」
部屋から退出すると、中からくぐもった声と布をばたばたと叩く音が聞こえてきた。
なんだろう、まるで枕に顔を埋めてベッドの上で暴れているような……。
五分ほどで音が収まり、入りなさい、という声が聞こえたので中に入る。
少し息の上がった華琳が椅子に座っていた。
うん? なんだったのだろう?
取り敢えず事情というのを聞かせてもらおう。
「遅れて申し訳ないのだけど、今ここでお礼を言わせて欲しい。窮地を救ってくれて有難う、曇っていた目を晴らしてくれて有難う。貴方に最上の感謝を」
「勿体なきお言葉です」
「全て正直に話すと、飛び込んできた時機があまりに良くて、実は隠れて近くにいたのでは? と疑っていたの。全く、我が不明を恥じるばかりだわ」
あーそういう事か。
確かに、未だ遥か遠くにいるだろう人物が窮地をギリギリの所で救ってくれるなんて、何か仕込みでもしていたのか? と疑われても仕方ない事。
もし俺が逆の立場だったとして考えよう。
匈奴の土地で何らかの危機に陥ったとして、本当にやばいと思った瞬間に陳留にいる筈の華琳が助けに入ってきたらどうだ? 間違いなく目と常識を疑うよな。
ふむ、だからさっきは険しい表情をしていたのか。
「そのような趣味の悪い事、さすがにしませんよ」
「冷静になれば貴方がそういう人物でもないと理解しているから、素直に礼を言えたのだけど、少し冷静ではなかったから」
「何かありましたか?」
「……恥の上塗りだけれど、貴方を疑った後なのだから誠意を見せなければね。
開戦前に劉備と稚拙な舌戦をして、それに引き摺られていたのよ。
退けるものかと感情的になって、関羽と呂布を本当に倒せないか確かめるのに夢中になって……。
はぁ、まだまだよね、私」
陳留一帯を大発展させ、黄巾の乱首謀者の一角を打ち取り、反董卓連合にて実と風評を得、河北の覇者となった偉大な少女は、そう零して天を仰いだ。
その姿が余りに小さく見えてしまった俺は、激しい後悔に見舞われた。
彼女を見ていれば容易に分かる、彼女は三年前からずっと一人で戦い続けてきたのだと。
春蘭秋蘭も彼女の本当に深い位置には立ち入る事が出来ない。だから全てを一人で背負い、試行錯誤し続け、すり減り続けたのだろう。
華琳から離れる判断は間違いではなかった。
以前言ったように、依存関係になる可能性もあった。
向かった匈奴では最上の結果を得た。
管理者サイドとしても寄る辺を失った華琳がこうして弱っている事実は、天の御遣いにとって都合が良い。
だが結果として正しいからと言って、一人の人間に重荷を背負わせた免罪符には決してならない。
気付けば俺は椅子に座る小さな少女の前に屈み、その手を取っていた。
「これからは自分が傍におります。私に出来る事は限られておりますが、貴方を支えさせて欲しい」
彼女の驚いたような表情。それに負けず劣らず俺も内心驚いていた。
四百年ですっかり制御できるようになっていた感情が沸き立つのを感じる。
共依存? 教師としての反射行動? 天の御遣いの動向? そんなもの関係なく動いてみれば良かったじゃないか。
四百年前かの王にやったように、何か穴はないかと試しきればよかったのだ。せめて管理者の皆に止められるまでは……。
稚拙な感情の暴走だと理性の部分は冷静に把握をしている。四百年ぶりに深く深く結びついた人物だからこそ、あの時生きていた感情を思い出し、激昂してしまっているのだとも理解している。
だが止められない。
そうして燃え上がった感情を持て余している自分に戸惑ったまま、次なる言葉を紡ごうとして、俺は頭を抱きかかえられた。
「ふふっ、熱い熱い。珍しく感情的になっているようね」
まるで母親にされるような優しく柔らかい抱擁だった。
「悔やむような表情が見えたわ。似た表情を四百年前の離別の時に見た気がするのだけど」
彼女はやはり聡かった。俺の感情を表情一つで紐解いていこうとする。
「天に抗いきれなかった弱さを恥じております。それで貴方に辛い思いをさせてしまい、悔やんでも悔やみきれません」
「まあ確かに、二人で天に立ち向かうと思っていたから、少し裏切られたとも思っていたわ。
けれど致し方ない理由が確かにあった」
「しかし、もっと何か、出来ていたかも知れません」
「貴方は天に抗って記憶まで消されたのでしょう? そんな人物に手伝えという方が傲慢だと後々気付いたわ。
それに私の為にも何もしていなかった訳じゃないでしょうに。匈奴との国交正常化という快挙を成し遂げてここに来たのでしょう?」
「それは、結局のところ自分の為のものでもありました」
「私の為でもあったでしょう?
結果こそ全てよ。
貴方は私を弱さから守り、後背の憂いを断った。
私は私で天の目を掻い潜りつつ、誰がどんな役割を与えられているのかを炙りだしたわ。
別れてから二人共確かな成果を上げている、なら何を悔やむ理由があるのか」
くそう、まだまだなのは俺だ。
無駄に歳を重ねるばかりで、摩耗するばかりで、すぐに揺れる。頭でっかちの未熟者だ。
「けれど聞き捨てならない事も言っていたわね、さっき言ったのは本当?」
俺の苦悩とは逆に、彼女は何の気負いもなく聞いてきた。
「何がですか?」
「私を一人にしないという言葉よ」
「……ええ、本当です」
「そう。ならあの時私を叱咤した時のように、今からは華琳と呼びなさい。
貴方は何の柵もなく私の友として対等であるように。そしてずっと隣にいなさい」
「ん、分かったよ、華琳」
「改めて宜しくね、白。
ふふっ、遠い昔とは色々と逆ね。今は私が貴方を抱いているわ」
「ふふ、そうだな。けど、これは心地良いものだね」
「でしょう? 死に際でもとても安らかになるんだから」
と彼女は優しく笑った。
俺は困ったように苦笑を返すしか無かった。
五分ほどそのままでいて、どちらからともなく身体を離した。
何とも気恥ずかしいが、悪い空気ではない。
「それじゃあ、私と別れてからの三年間の詳細を頼むわ。
私も今まで掴んだ事のおさらいをしたいし」
そうして俺は匈奴での三年間と歌姫三姉妹について語った。
三姉妹に関しては過去のことは言わず、自分の知っている芸を教えた、まーちゃんは逸材だった、程度の報告に留める。三姉妹が喜和だったと知っても現状メリットがないし、伝える事で信用を失う可能性があるしな。
華琳からは三年間で天が望む流れを弄れないかを試行錯誤していたらしい。
最初は天の御遣いのいる呉の主要メンバーを嵌める策を頭に思い浮かべ、それを書き出せれば殺すか引き込むかしようとしたが、書き出して作戦が実行できたとて不思議なタイミングで阻止されたそうだ。
何度か試しても阻止されるが、段々と深く嵌める事ができているので、これがバタフライ・エフェクトのようになってくれればと継続しているようだ。
呉はどうにも崩せぬので、蜀に対して策略を巡らしてみるが、これもまた空振りばかり。
今回の武将を出払わせての誘い込みは、こちらから手を出すのではなく、向こうからやってきた場合の手応えを知りたかったから起こしたそうな。
結果は散々、関羽の首を落とすタイミングはあったが、実行は出来なかった。頭痛ではなく、呂布、矢、風などが丁度良すぎるタイミングで阻んだそうだ。
ふむ、頭痛は歴史の望む大きな流れを阻止しようとすると現れる。
そして不思議な妨害は、以前管輅が孫策の死について説明していた存在の確定が関わっているのだろう。今までの流れで死なないと観測されたから死ににくい。
けれど頭痛がしなかったという話だから、明確な理由ときっかけがあれば殺せる可能性もあるのだろうな。
とはいえそのまま伝える事は出来なかったので、彼女達に手を出すのは『難しい』とだけ伝えておこう。
そうして会話が一段落した所で廊下から気配がした。
しばらくして桂花、李典、そして華琳と出会う以前に会った程立がいた。
「本当に白殿では無いですか?! あぁまた華琳様の寵愛が遠のくぅぅ!」
「あっ、謙信様、短剣役に立ちました? 後でちゃんと返したってくださいねー」
「おおっ、四年弱ぶりですねー。やはり貴方が曹操軍で幻となっていた謙信殿でしたかー」
彼女は眠たそうな表情を一瞬崩し、目を見開いて驚いていた。だがすぐに納得の表情で頷いていた。
「あら、貴方達は顔見知りだったのかしら?」
「華琳様と出会う直前に会いましたね」
「白? 先ほどの言葉を忘れたかしら?」
「ああ、いえ、皆の前でもですか?」
「ええ、誰に憚るものでもないでしょう?」
「……春蘭と秋蘭に殺されそうですが」
「上手くやりなさい」
「丸投げか。ともかく、華琳に会う数日前に怪我をしている所に出会ってね、治療をした縁があったのさ」
「ぐっ、敬語をやめた? 居なかった筈の白殿に私はどれだけの遅れを取っているというの……これは強硬手段も選択肢に……」
「桂花、遠くに居た友と近くで尽くしてくれた忠臣、私がどちらを重用するかは理解しているでしょう? だからそんな物騒な事を言わないの」
「はっ、はい! 失礼しました!」
途端にデレる桂花。すげーな華琳、ヤンデレの扱いまで完璧とは。
「えっと、改めて治療と健康法の教授をありがとうございました。以前の時機もそうでしたが、今回来てくれた時機も最高の一言です。名医がいると軍の士気も損耗率も目に見えて違ってきます、籠城戦ではなお顕著に違いますからねー」
「それに関しては白殿が誰よりも先に馳せ参じてくれた事を喜ばざるを得ないわね。
本当に、男にしておくのが勿体無い人」
「ええ、白に助けられたのは認めましょう。それで、作戦を統括する立場の人間が揃って自室に来た理由は何かしら? 猶予があるとはいえ、余り褒められた行為ではないわよ」
「ウチは全ての作業が終わった報告と、一の四、二の八、四の五にネズミが幾らか掛かったっちゅー報告に来ました。正直ウチが出張る場面はないですし、謙信様に短剣返して欲しかったしで直接報告に寄らせて貰いました」
「そう、作業引き継ぎも終わっているなら十二分に休みなさい。今回は貴方が一番の功労者だわ、生きて帰ったら報奨に期待なさい」
「マジで?! おーこれは是が非でも生きて帰らんといけませんなぁ!」
疲れからか少し足元がふらふらとしつつ、更に浮かれてふわふわし始めた李典に短剣を返し、ついでに疲労回復のマッサージをしてやる。
あわわわーと気持ちよさそうな声を上げ、施術が終わって艶やかな顔になった彼女は部屋を出て行った。
その間に華琳、桂花、程立が損害、備蓄、敵軍行動予測などを改めて詰めていた。
俺は必要なさそうなので部屋を退出しようとすると、程立が「そういえば大事なことをお聞きしたいのですー」と声を上げた。誰にともなく、しかしはっきりとした声量で。
「華琳様が突出した時、仮面を被った何者かが救いに来たそうですが、何者ですか?」
程立に続いて桂花が詰める。
「軍師である我々も把握しておらず、近衛の者に聞いても誰も答えない、ゆえに華琳様にお尋ねするしかありませんでした。
関羽と呂布を手玉に取る技量、窮状である今でなくとも喉から手が出るほど欲しい人材です。是非ともお答え頂きたい」
「知らぬ」
即答だった。
「……それはどういう意図で?」
「言わねばならない?」
「……いえ、詮索が過ぎました」
「私も桂花、風という得難き軍師との間に不和を招きたくないのよ。けれどそうせざるを得ない事情があると理解して頂戴。
正体の見当もついているでしょうが、確認はしない事。あれは今後一切現れない、いや、現れないように動いて。これは命令ではなく、お願い」
「むぅ、そう言われると追求のしようもありませんねー」
「今後一切ですか。
……大陸一番と名高き勇士とそれに迫る万夫不当が相手にならぬなど、何かしらの制限が無くては説明がつきません。
漢中のどこぞの薬師一族には命を削って力を増幅させる秘薬などが伝わっているそうですし、そういった理由から次のない物と理解しておきます。
しかし、向こうが勘違いするのを利用するのは構いませんでしょう?」
「ええ、存分に振り回してやりなさい」
艶然と華琳が笑い、
「うふふー」
「うっふっふ」
追従するように二人がとても悪い笑みを浮かべている。
うん、これでここはもう安泰だな。
最近慌ただしいので見直しが甘い部分があると思います。合間を見て修正します。
もしかしたら来週は更新が遅れるか出来ないかもしれません。