今昔夢想   作:薬丸

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65.はじめてのおめかし

 そして本番休日、俺は城の前で待ち合わせをしていた。

 部屋にでも寄ればいいのだろうが、雰囲気作りの一環でやってみた。

 太陽が中点に差し掛かる前という約束で、俺は後四十分もすれば刻限になるというタイミングで待っていた。

 十分もするとそわそわした様子で張遼がやってきた。

 

「おはよう」

 

「ああ、おはようさん。ごめんな、待たせた?」

 

「いや、今来た所……って、張遼」

 

「なんや?」

 

「出来れば私服で来てくれって言わなかったっけ?」

 

「言われたな、だから自慢の一張羅で来たやん」

 

「えっ、張遼ってその服しか持ってない?」

 

 袴、羽織り、サラシという何時もの格好。それはつまり訓練なんかで過ごす服と同じという事。

 

「いやいや、そんな訳あらへんよ、寝間着とか用途別の羽織りも持っとるよ。基本がこれなだけや。

 あっ、同じ奴、似たような奴はいっぱい持っとるから、一昨日のと同じ服やないで?」

 

「そうなのか。うん、それじゃあまずはお洒落からだな。今日は町娘のように過ごす日にしよう」

 

「えっ、ウチのカッコあかんかった?」

 

「張遼に滅茶苦茶似合ってるけど、普段と違う事をするんだから、普段と違う衣装にしようってだけ。だからさっさと行くぞー」

 

 服装が似合ってると褒められてテレテレしている張遼の背を押し、俺は歩き出した。

 目指すは阿蘇阿蘇という情報誌に乗っていた衣服店や化粧品店等がずらりと並んでいる通称女の子通りにでも行こう。

 

 

 そしてやってきた女の子通り。陳留随一のファッションストリートである。

 華琳を筆頭に曹軍上層部には女性が多く、また美意識の高い者が多い。その手の商品はかなり売れる。

 なのでここは女性向けの商品で一攫千金を狙う商人達にとっての激戦区となっており、良質な商品が価格競争によりそこそこ安価で手に入るのだ。

 良品が町娘にも届く値段付けになっていて、毎日黄色い声で盛況なのがこの場所だった。今も日が中点にある昼時にも関わらず、結構な数の婦女子……女の子達がいる。

 

 

 俺はその人波をかき分け、張遼の手を引いてどんどん進む。

 

「ここ初めてきたけど凄いな、圧倒されてまうわ」

 

「そうか、陳留在住の懐に余裕のある女性でここに訪れた事がない人間は張遼ぐらいだろうな。あの凪ですらちょっと前に初めての買い物を済ませたし」

 

「えっ、あの真面目一徹な凪も来とるん?」

 

「友人二人に連れられて仕方なくって感じだったけどな。何着か可愛いのを買わされていたよ」

 

「へぇ、っていうか、なんでそんな事知ってんの?」

 

「以前不意打ち気味に酷いことしてしまって、その謝罪として買い物に付き合って全部奢ったんだよ」

 

「ほぉ、そない事がなー。んで、今どこに向かっとるん?」

 

「華琳と春蘭秋蘭が贔屓にしている店があってね、そこは可愛いのから格好いいのから質の良い物が総合的に揃ってるんだ。

 だからそこで色々と試着しながら今日の服を決めよう」

 

「はぁー、ウチにはそーゆーの全く分からんから、ぜーんぶ謙信に任せるわ」

 

「まあ色彩学なんかの知識もあるし、任せてくれて良いよ。ただ要望とかがあれば随時言ってくれ」

 

 程なくして店についた俺達は、本気の服選びを始めるのだった。

 

 

 

「嫌や! こんな服絶対似合わん!」

 

「ぜーんぶ謙信に任せるわ、と言ってくれたのに、舌の根も乾かぬうちに翻すのか?」

 

「ぐっ、せやけど、せやけど……」

 

「意地悪な聞き方をしてすまんな。んーそうだな、これは実験と思ってくれ。

 あらゆる服を実際に着て、張遼には何が似合うのかを模索していく。それに見るのは俺だけなんだから、そう恥ずかしがる事もないだろ?」

 

「うぐぅ、謙信の言葉は正論過ぎて嫌いや……」

 

「正論結構。反論がなければ強制執行だ。

 取り敢えず極端な方向性で選んで、そこから二人で着地地点を探っていこう。

 という訳で、これどうぞ」

 

「ウチも理屈は分かるんやで、けどその服は……ふりふりで可愛すぎるっ! ウチには絶対に合わん。分かりきってるのに試着するのは時間の無駄やろ?!」

 

「取り敢えず着てみれば、フリフリがどう見えて何処が駄目なのかが分かるだろ。正直こうして口論している方が時間の無駄だ」

 

「あーまた正論言ってくれてからに! 分かった! 着る! 女に二言はあらへん!」

 

 こうして一時間ほど着せ替え人形&お化粧人形と化した張遼は、終わった時にはすっかりぐったりとした様子になってしまったのだった。

 

 

「あーあかん、落ち着かん。なあ謙信、これほんまに似合っとる?」

 

「何自信なさげにしてんだよ、滅茶苦茶可愛いじゃないか。やっぱり地力が良いと服も化粧も映えるし、やりがいのある仕事だったよ。

 その証拠にさ、すれ違う街中の女達、男達が張遼を見てるじゃないか」

 

 先ほどの一時間で、二人の間にあった微妙な距離感は見事に無くなっていて、結構好き放題言い合える空気が出来上がっていた。

 

「そりゃウチのカッコが可笑しいからで」

 

「張遼の観察力なら分かるだろ、女性からは羨望、男からは欲望を向けられてるってさ」

 

「羨望も欲望も慣れとる視線やのに、男女逆やとこうも居心地の悪いもんなんか」

 

「普通はそれこそ逆なんだが……まあそれが綺麗な女性に対しての正しい反応って事だよ」

 

「難儀や……」

 

 周囲の反応からして、俺のコーディネートが大成功を収めたのは間違いない。けれど初めて着る類の衣装に張遼が萎縮してしまっている。

 

「綺麗になったのは実感できたって、さっきは言ってただろ」

 

「別人みたいやとは言ったよ、そやけどなぁ」

 

 結局のところ、先程言った通りに容姿端麗、背が高い、均整の取れたしなやかなシルエット。文句のつけようのない美人である張遼にはどんな服でも似合ってしまった。逆にどんな方向性で行こうか選択肢が多過ぎて悩むほどに。 

 似合わないと拒否していたフリル極盛りの衣装ですら、黙っていれば完成されたお人形さんみたいに見える程似合うのだ。

 

 一時間行った喧々諤々の協議の結果、下はホットパンツ、上は淡い青色でタイトめなブラウスを合わせ、元が良いので最低限の化粧、軽くチークと口紅なんぞ差せば完成だ。

 肌が艷やかで長く引き締まった足を持つ張遼には絶対にホットパンツが似合うと思ってたので強く勧めた。

 健康的であり色気がある、というのはこの服でしか実現しない。そしてタイト目なブラウスは敢えてチャイナボタンを上まで閉めて清楚感をプラス。そうすれば最強の張遼の出来上がりだ。

 

 さあ、この最強張遼を連れて何処に行こう?

 きっと何処に連れて行っても楽しいに違いない。

 

 

 はてさてそれで、張遼を連れてどうしていたのかと言うと。

 

「あ、いや、何処の店で買ったとか聞かれても、謙信、これ何処の……えっ、化粧法? いやウチに聞かれても……」

 

 女子通りを練り歩かせて自信を持ってもらおうとしたり、

 

「ちょ、な、ナンパかこれ、ナンパかこれー!」

 

 茶店のテラスでわざと長時間待たせてナンパを経験させてみたり、

 

「この格好で働くの?! えっ、ほんまに?!」

 

 その茶店で給仕の真似事をさせてアタフタさせたり、

 

「このカッコで何時もの場所行くのは恥ず過ぎるって!」

 

 何時もの酒屋や居酒屋にお披露目に行ったり、

 

「絡み酒ってこんなに面倒なんか! くそっ、落ち着けお前らー! 次ウチに触ったら問答無用でぶっ飛ばすからな!」

 

 居酒屋で給仕をさせてセクハラを体験させてみたり、

 

「謙信、もう許してーっ」

 

 と泣いて懇願してきたので、今日の所は終了。

 

「今日はこれで終わり? ありがとーな……じゃないわ! 全部アンタの差金やないかっ!

 あっ、ごめん、何でもない、何でもないからもう正論突きつけんといて、筋通そう思て身体と意地が反応してまうから、もう許したって」

 

 俺はにっこりと笑って許し、翌日再び会う約束をして今日は本当に終了。

 

 

 

 そして翌日の早朝、ぐったりとした様子の張遼と合流し、とある商人の家に向かった。

 

「こんな朝早くから何やんの? あっ、昨日買った服やなくてもええやんな?」

 

「まあ今日は商人の手伝いをしようかなと思ってるから、動きやすい何時もの服で大丈夫。

 けど折角何着か方向性の違う衣装も買って送らせたんだから、適当な機会に着てくれ。張遼は美人だから目の保養になる」

 

「目の保養って、アンタに言われてもなーって感じやわ」

 

「なんだそれ」

 

「なんでもあらへんよーだ」

 

 そんな軽口を叩きながら、約束をしていた商人の家についた。

 

「えっ、めっちゃ大きいとこやん、こんな所で手伝う事って何かあるん?」

 

「華琳の御用聞きだからかなり儲けてるのは確かだな。

 まあ今回は手伝いというか、見学するだけ。けど間違いなく面白いよ」

 

「まあ、昨日も楽しいといえば楽しかったし、ここは謙信を信じるわ」

 

 張遼と共に戸をくぐり、待っていた男性の中年商人と対面する。

 互いに挨拶を済ませ、早速動き出す。商人の時間は単価が高い、行動の一切を無駄にできないのだ。

 

 俺達はただ彼の後について回り、帳簿のつけ方、仕入れ等の商人としての説明を聞いたり、また商談の席に相席させて貰ったりする。

 勿論交渉中は一切口を挟まず、彼と商談相手の激しい舌戦と駆け引きに舌を巻くのみである。

 幾つかの交渉を見終わり、次は彼の元で修行しているという若い男性が近くの村に食材の買い付けに行くのに付いて行く事にした。

 馬を駆ってとある村に着くと、村長と農家の人間を交えた交渉が始まる。

 だが交渉事は大元締めと若い彼とでは練度が違うので、詰めの部分で長引いた。

 これ以上見ていてもしょうが無いと、俺と張遼は農家の見学に出掛けた。

 若い商人には交渉が終わっても俺達が戻らないようなら先に帰って大丈夫だからと言い残し、村へ行く。

 そこでは何人もの人間が野菜を収穫していたり、空いた畑を耕したり、牛を世話したりしている。

 俺達は商人の元締めの名前を出し、働いている様子を見学させてもらったり、実際に混じって土いじりをさせて貰ったりした。

 

 農業体験に汗を流し、日が頂点を過ぎてしばらく経った頃に陳留に帰還し、商人に挨拶をしに行く。

 張遼が「今日はお邪魔してすまんかった。色々と勉強になった、有難う」と言うと、

 商人は「張遼様と謙信様の威光を借り受ける事が出来ました。私もですが、修行中のあ奴も意見を通しやすかったでしょう」と朗らかに笑った。

 俺と張遼は目を合わし、「まんまと良いように利用される自分達に商人は無理だな」と笑いあった。

 

 

 次に向かったのは寺子屋だ。

 張遼は書類仕事も多少出来るので、簡単な授業なら初めてと言えどやってやれない事はない。

 だが子供達というのは大人の思い通りには動いてくれない。

 武官の中ではかなり温厚な張遼もあまりの脱線具合に切れたり、それで泣かれておろおろして宥めたりと、見事な新任教師らしい働きを見せてくれる。

 休憩を入れつつ一時間程座学を行い、次いで外に出て体育的な授業を行う。

 ここでは張遼の独壇場だ、生意気言ってた子供達も張遼の凄まじい身体能力を魅せつけられて目を輝かせている。一気に打ち解けた子供達と張遼は、追いかけっこ等をしながらとても楽しそうに一時間を過ごした。

 そうして三十分ほど子供達と外で過ごし、その子達との授業が終わった。

 名残惜しそうにしている子供達と手を振って別れる。張遼の目の端に光る物が見えた気がした。

 

 しかし、間もなく次の子供達がやって来た。この時代子供も立派な労働力として扱われている。なので長時間の拘束は難しく、一日二時間弱ずつ時間を割り振って教えているのだ。

 えっ、まだやんの?! という表情の張遼に、俺はしっかりと頷いて返した。

 

 二回目の授業を行い、張遼はすっかり子供達の扱いにも慣れたようで、立派な教師として子供達に接していた。

 夕暮れになり、最後の子供達と手を振って別れた俺達は城に向かった。

 今日はまだやることがある。


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