七話連続投稿です。
皆との休日はとても楽しい日々だった。特に真名を交わしていなかった相手との距離がぐっと縮まった事が喜ばしい。
張遼とは何気ない日々を実践させ、いろいろな経験をさせた。そして一緒に小さな旅をし、将来の展望について話をした。
典韋とは料理の腕を競い合い、華琳や皆に料理を振る舞って皆の笑顔を見れた。そして最後に再戦の約束をした。
程昱とは街を巡り、今後の計画を飲み食いしながら話し合った。そして日が陰るまで日向ぼっこをした。
郭嘉とは華琳自慢の蔵書に埋もれて議論した。鼻血が出そうになる度体調を整え、ずっとずっと話し合った。
勿論それまでに仲良くなっていた人間とも交流を深める事が出来た。
夏侯姉妹とは再会した当初に華琳を一人にした事で怒られてギクシャクしていたが、買い物に付き合ったり、とある人形の関節部などを調整したりしていると、嫌な雰囲気はいつの間にか吹き飛んでいた。
荀彧とは花嫁修業に付き合ってやり、ひたすらに女子力を高める手伝いをした。
許緒とはご飯を食べ、戦い、食べ、戦いを繰り返した。彼女の笑みと才能の開花が止まらぬ日々だった。
三羽烏とは以前した意地悪のお返しに付き合わされて随分散財させられたし、更には各人の我儘に振り回された。
張三姉妹とは歌に踊りに練習に付き合わされ、また買い物などに連れ回され、彼女達のファンに追い回された。
曹操とはただ日常を過ごした。十分の一に減らされた仕事をゆっくり片付け、終わったら料理を作り、酒を作り、詩を作りと、とにかく趣味に埋没する。最後の日にはお墓参りもした。
幸せな日々だった。誰もが輝き、成長した日々だった。
だがそれも今日で終わり。明日には今まで以上の闘争の日々がやって来る。
願わくば、こんな日が無事、この子達にやって来る事を願う。
……見届けられないだろうからこそ、願うのだ。
翌日、何時も通り仕事漬けの日々が始まった。
しかし誰もが心身ともに充実し、効率は増すばかり。国内だけでなく、涼州に手を出しつつ多面的な作戦を行う余裕が生まれていた。
涼州の取り込みは裏側からゆっくりと、しかし着実に進み続け、そしてついに馬騰が倒れた。
そこからは急転直下に一気呵成だ、ものの十日で涼州は華琳の手に落ち、馬騰の後継は蜀に逃れた。
……行けるなら後で馬騰の墓参りに行こう。そして酒とつまみを持って昔話に花咲かせよう。
彼女もまた、愛しい教え子の一人だったのだから。
全てが順調、曹魏を止められる者は誰も居ないかに見えた。
だがしかし、天が曹魏に順風満帆を許す筈がなかったのだ。
涼州併呑後の雑多な仕事に皆が忙しく動きまわる中、予想よりも早く終結した涼州併呑に医者たる俺の出番は少なく、五日ほどで部下に丸投げをしても大丈夫になってしまった。
午前中に仕事を終わらせ、寺子屋か街の診療所にでも行こうかと思った矢先、華琳が部屋にやって来た。
俺を呼び寄せるでもなく、開店休業中の医務室にやって来た事に嫌な予感がした。
彼女は無言のまま室内に入って来ると同時に鍵を閉め、一枚の紙を取り出して俺に手渡した。
なんだろうと受け取って中身にざっと目を通すと、それが派兵の計画書だと分かった。
現状ではただの揺さぶりにしか見えぬ消極策、しかし八手先の有利を取る為に放たれた絶妙の一矢。
この計画書がどうしたのかと尋ねようとして、彼女の顔を見た時に気付いた。彼女は痛みを堪えるように表情を歪めている。
鍛え抜かれた鋼の精神力を持つ彼女が痛みを表に出す。その異常事態には見覚えがあり、途端に悪寒が背筋を震わせる。
俺は受け取った計画書を改めて読む。
計画書には派兵場所が定軍山、担当者は秋蘭と流琉、実行日時は明日という情報が書かれていた。
もう細かい三国志の歴史は覚えていないが、この二人が道半ばで死ぬ将だとは覚えていた。
だから、ここがきっと彼女達の死に場所になるのだろうと予想がついた、ついてしまった。
華琳がここに来て、苦痛に顔を歪めている理由をようやく理解した。
「……どうする?」
俺は端的に聞いた。
「どうすればいい」
彼女は誰ともなく呟き、内心を吐露した。
「私は天の意志を見逃さぬよう、常に思考してきた。天の意志に逆らえば頭が痛くなるという私の特性を存分に活かす為に。
全ての国の動向を把握し、我が国全ての作戦を決め、在り得ない事態も考慮しながら膨大な作戦を頭の中で練り続け、破棄し続け、全ての可能性を調べ続けてきた。
そうして痛みを見つけたなら、そこを煮詰めに煮詰めて天の意志を探り、自身の被害が最小限になるよう腐心してきた。
そうしてようやく、小さい穴を穿ち始めた感覚があった。天の意志と私の感覚が繋がり始め、どの程度なら許されるかが理解出来てきた。
一度きりならば、大逆であったとしても身の消失まではないだろう所まで塵を積み上げた。
けれど、けれどこれは……」
華琳が天を見上げ、睨みつける。
「どうにか出来ぬかと、何日も掛けて思考を錯誤したわ、そして今日どうしようもなく答えに至った。
この二人を生かすのは、難しい」
今までにない強い痛みにこの作戦が天の意志を秘めていると華琳は気付いた。
本来天の意志は人という矮小の身では決して覆せないものだ。だが天下の傑物曹孟徳は、思考と試行の果てに積み上げた物によって二人を助ける事が出来てしまう。
しかし助けてしまえば、近くやって来る運命の為に行ってきた全てが徒労に終わり、水泡に帰す。
勝算を、完全に失う。それを理解している。
「天と戦った者などいない、これはあくまでも私の予感。
けれどもう長く付き合い続けた頭痛と感覚が、これは確信に近い予感であると告げてもいる。
運命を曲げられる機会を得ている私は、どうすれば……」
選択を迫られている。大事な身内か、国の将来か。
俺の知る英傑である曹操ならば、身内を切り捨てて国の礎としただろう。
だが俺の知る華琳という少女は、情に厚く、欲が深い。そして何より失う事に慣れていない。
今生において耐え難き別れの経験などは少なく、墓参りをした人物、慕っていた祖父ぐらいのもの。覇王の記憶の中には多く存在するのだろうが、それはあくまで他人の感情と言えた。
だからこそ、どうすればいい、なのである。
勿論失う覚悟はしていただろう。けれどこうして向き合った時、決意が鈍った。
自身の才と努力によって全てを得てきた少女に、失うかもしれないという恐怖は重すぎたのだ。
しかし、
「分かっている。どうにかするのは私で、切り捨てるべき選択肢も分かっている」
その恐怖に屈する程少女は弱くなかった、ただ一人で抱え込むほど強くなかっただけだ。
決断はもうなされている、最後の最後に弱さを誰かに吐き出したかったのだろう。
けれど、
「そうだな、じゃあ秋蘭と流琉を助けに行こう」
俺は身勝手な選択肢を提示する。
「……えっ?」
「何だ、それを俺に頼みに来たんじゃないのか?」
「……馬鹿言わないで、それじゃあ積み上げてきた物が」
「分かってる。けれど天の意が及びにくい俺が手を出せば、何とか成るかもしれない」
「かも知れない、でしょう? 博打は打てないわ」
「そうだな、博打以外の何物でもないな。
勝負相手は天で、勝てば身内二人が助かり、負ければ魏が消えるという極端な対価だ。
しかも分の悪過ぎる賭けなわけだが……勝てば全てが手に入るぞ?」
魏の総大将を唆す甘言である。
管理者の一員として、ここで華琳が非情を決断し、運命の赤壁決戦で天の思惑を超えられると非常に困る。
故に天の御遣いの利になる行いを推奨し、大一番でのどんでん返しを厭う気持ちから出した発言……であったのなら、
「恐ろしい甘言ね」
華琳の鋭く重い視線が俺を貫く。
管理者としての立場で発言していたのなら、俺はきっと目を逸らしてしまっていただろう。そして俺は全ての信頼を失い、彼女は非情を決断し、赤壁で彼女の勝利は確定していたかもしれない。
それほどまでに華琳の目は透き通り、窮まっていた。
だが俺は目を逸らさない、熱を持った目で彼女の冷たい視線を押し返す。
そう、俺は熱を持っていたのだ。
華琳と再会を果たした際のあの熱を、俺は未だに抱えている。
「前に言った通り、俺は俺の出来る限りを尽くして華琳の傍にある。
だから華琳も、最善を尽くして勝利を目指してみてくれないか」
これは管理者云々ではなく、俺が心の底から望む未来を欲したが故の発言だった。
もしこれで俺の使命が終わり、続きがあった場合の最善を掴むための言葉。
一緒にいると誓った少女と、その少女の元に集った皆。その誰も失わずに続きを見たい。
そんな熱が俺の胸の中に存在していたからこそ、華琳の視線を真っ向から受け止められたのだ。
しばし視線を交わし、華琳は何も言わずに目を閉じた。
そして深く深く熟考し始めた。
幾ら揺れていようと、信頼する俺からだろうと、甘言をそのまま通す程に彼女は弱くない。
だから精査する、俺の言葉とその可能性を。
思考の海に沈む華琳と華琳の判断を待つ俺、二人の間に沈黙が重く流れる。
華琳の醸し出すプレッシャーに時間の感覚が狂い、どれだけの時間が経ったのか分からなくなり始めた頃、彼女は決断した。
「……そうね、私は何を血迷っていたのかしら。
白、失わぬまま全てを手に入れるわよ」
彼女は傲然とした声と表情で言い切った。
自身の才能と周囲の人間の才覚を信じて、彼女は分の悪い賭けに乗った。
「ああ、それでこそ我が友だ」
俺の甘言は成った。
天はこちらのミスを見逃すほど甘くはない、一度きりの些細なミスでさえ取り返しの付かないものにしてくる。
けれど彼女を見て思ってしまう。
稀代の天才である華琳ならば、積み上げたものが消え去ったとしても、天への大逆を成す奇跡を見せてくれるのではないかという不安と期待を抱いてしまう。
もし彼女が事を成し、それ故に管理者の仕事が失敗してしまったとしても、その時は素直に帽子を脱いで彼女を称賛しようじゃないか。
華琳と作戦の確認をする。
天の意志を完全に挫いて積もらせた勝算を完全にゼロにせぬよう、魏の負け戦にする。
敵味方に魏の者だと認識されなければ天の目を誤魔化せるかもしれないので、正体が分からぬようにする。
この二つを決め、俺は出立の準備を始めた。
翌日、秋蘭達の出立を見送った俺は仕事を片付け、闇夜に紛れる装いと仮面で変装し、吹雪に跨って後を追いかけた。
そのまま距離を取りつつ後をつけ、無事に定軍山に辿り着く。
まだ戦闘そのものは始まっていないと確認し、吹雪を適当な場所に待機させておく。吹雪がいると魏軍に俺がいるとバレてしまう。
準備を整え終わり気配を探る、すると定軍山には既に戦場の気配が静かに漂い始めているのを感じる。戦いこそ始まってはいないものの、向こうの兵達の気が漏れ始めているのだ。
その気配にいち早く秋蘭が気付くが、時既に遅し。
秋蘭が兵に指示を飛ばそうとしたタイミングで黄忠と名乗る美女が現れ、戦端は一方的に開いた。
すぐさま激しい戦闘が始まるが、俺はまだ動かない。
魏軍の敗戦が濃厚であると両軍が認識し、秋蘭から撤退の指示が出るまでは歯を食いしばって待機する。
しばらくの攻防の後、隙を見つけた秋蘭は撤退の指示を出した。
だがここまで用意周到に待ち受けていた蜀軍に隙などあろう筈もなく、意図して創りだされた虎口に秋蘭は飛び込んでしまった。
いや、秋蘭はそこが死地と知りながらも飛び込まざるを得なかったのだ。限りなく低いとはいえ、そこにしか勝機は無かったのだから。
そこで俺はようやく動く決断を下す。
最早敗北は確定、ここで暴れた所で大勢は変わらない。
俺は懐から火薬玉を三つ取り出し、火打ち石を打って導火線に火をつける。
タイミングを図り、投擲。
蜀軍の多くの兵が魏軍包囲の為に外から内に向いているので、外から飛んで来た火薬玉に気付いた者はおらず、その大音量と衝撃を油断の中で浴びた。
馬が暴れ、また多くの兵が倒れ伏し、撤退の道ができる。
あまりの混乱に場は混沌と化しているが、追い詰めて油断していた蜀軍と追い詰められて神経を張り巡らせていた魏軍では意識が全く違う。混乱具合は蜀軍の方が遥かに上だった。
姿勢を低くして走ればそれだけで見つからずに渦中に飛び込む事が出来た。
目立たず、しかし動き回る。敵味方問わず、しかし蜀の兵と指揮官を多めに狙い、兵や馬の背を蹴ったりして、ひたすらに混乱が大きくなるように行動する。
混乱が大きくなる中、意識を最も早く切り替えたのは魏軍の将である秋蘭だった。自身に残っていた戸惑いを全て払拭して芯ある声で指示を出した。
将が惑えば兵も惑う、将が進めば兵も進む。
秋蘭と流琉の部隊は誰よりも素早く立ち直り、戦線を離脱した。
次いで早く立ち直った黄忠が魏軍の背を剛弓で射ろうとするが、致命的なものは出来るだけ飛礫などで逸らす。磨き続けた隠形でもさすがに居場所がバレそうだと焦れつつ、その場を後にする準備をしながら必死にさり気ない邪魔をしまくる。秋蘭達が完全に敵の包囲網を抜けたのを確認した瞬間、形振り構わず走り出す。追手の気配を背後に感じつつ、吹雪を呼び寄せて何とか場を離れる事に成功したのだった。
作戦を成功させた安堵はあったが、そこで立ち止まる訳にはいかない。
俺は吹雪を酷使して駆け、追手を振り切った事を確認し、魏領にある昔使っていた学び舎まで至り、倒れた。
天の流れに逆らった事で起きていた意識の断裂を無理矢理に無視していたのだが、華琳の元に戻る前に限界が来た。
意識が浮上する感覚と共に、近くに誰かがいると気付いた。
俺は慌てて跳ね起き、自分や荷物に変化がないかを確認し、特に変化がないと知ってホッとした。
次いで誰がいるのかを確認しようと気配のある場所、以前は教室として使っていたスペースへと足を向ける。
扉一枚挟んだ状態で気配を探ると、完全な一般人だと分かる。
俺は扉をノックし、ゆっくりと開ける。
中には一人の妙齢の女性が掃除をしていた。
その人物に話を聞くと、彼女はとある生徒の孫らしく、定期的にここを清掃するようにとその生徒に頼まれていたようだ。
一室に鍵が掛かっているのを不審に思っていたが、鍵を持っているという事はここの卒業生の誰か、またはその誰かの子なので放置していても大丈夫と判断したらしい。
俺は彼女に今が何時なのか、陳留はどうなっているのかを聞いた。
そうして今が定軍山の戦いから十五日程経っていて、魏が呉を攻めていると知った。
女性に礼を言い、慌てて外に飛び出す。
草を食んでいた吹雪は俺の姿を見るなり駆け寄ってきて、首を擦りつけて甘えてくる。
心配をかけた彼女に撫でながら謝り、もう一走りを頼む。
疾く疾く駆けるが、それでも間に合わなかった。
魏軍は敗走していたのだ。
魏と呉の折衝地、その近くで敗残兵たる魏軍の姿を見つけた。
俺は運ばれる負傷兵達の治療をしつつ、軍の中心へと向かう。
中心には険しい表情で馬を進める華琳がいた。
俺が傍に駆け寄る前に彼女が俺に気付いた。
目を見開いた後、きつく瞑り、歯を食いしばるような仕草をした。
俺は彼女の前で跪いた。
「駆け付けるのが遅れてしまいました。申し訳ありません」
彼女は小さく、
「心配したんだから、馬鹿」
そう零した。