今昔夢想   作:薬丸

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69.最後の晩餐

 出陣の前日、俺は一人で宴の準備をしていた。

 将官の皆は出陣前という事で担当箇所の最終チェック並びに兵への労い、景気付けの為に朝から城内街中を巡っている。

 戦場での死を恐れるから、大事な人との別れを恐れるから、その恐れを払拭しようと出陣前には兵も住人も大いに騒ぐのだ。

 あくまでも出陣前。普段なら兵をしっかりと休める為に昼過ぎには騒ぎも鳴りを潜め始める。

 

 普通なら、そうなる。

 しかし今回の戦いは兵も民もほぼ全員が勝ち戦だと認識している。前回の手痛い敗戦があったにも関わらず、どこか楽天的な空気がそこにはあった。

 だから昼を過ぎて空が赤くなりだしても城内外のざわめきは止まらなかった。

 規律に対する意識の高い曹魏の兵がそうなるのだ、今現状は異常である。けれどそれを異常と知覚している者は少ない。

 そして異常だと理解していてもどうしようもない。ここで変に水を差せば士気は目に見えて落ちてしまう。

 

 きっとこうした抗いようのない小さな歪が積み重なり、決定的な破滅に繋がるのだろう。

 華琳が運命に抗う為に小さく積み立て続けていた逆の事が今まさに起こっているのだ。

 きっと華琳や桂花は歯噛みしながら対策を講じているに違いない。

 

 

 対策を練っている、兵に混じって士気を高めている、騒がしい街に繰り出す、騒ぎを収める、仲間達は個々に自分の成すべき事をやっているだろう。

 皆が忙しく動き回っている中、医者の仕事も無く、会議に参加する事もなく、鍛錬に付き合う事も無く、俺は暇を持て余していた。

 今の俺は将達を料理と酒で労う事ぐらいしか出来ないので、華琳が作ってくれた将官専用の調理場で食材と自作した酒類を準備している訳である。

 

 暇だったら来てくれ、程度の誘いだったので正直何人集まるか分からない。

 通常よりも長く続く前夜祭のような騒ぎに疲れてしまい、明日に響かないようにと部屋に戻る者もいるだろうし、晩ご飯に付き合う者もいるだろう。

 このまま誰も来ないという可能性は十分にあるのでまだ料理は作り始めず、準備だけをして待っている状態だ。

 もし誰も来なくても、明日管輅と卑弥呼がこっちにやって来るので彼女らと居残る侍女達に料理を振る舞う算段である。

 

 器具などの準備を済ませた俺は調理場に併設された食堂で一人お酒を嗜みつつ、窓の光景が徐々に赤み掛かる様をぼーっと見ていた。

 街の人や兵の様子から、今日は城内外のざわめきは中々止まないだろうと予想はついていたので、特に焦る事もない。

 ただ仕込みに時間がかかりそうな料理は既に作り始めているので、それらは作りきって食べてしまわないと食材を無駄にしてしまう事になる。

 なのでもう少し待って人が来なければ、俺が食べる分だけ別け、後は一般兵用の食堂にでも寄付しようと決める。

 

 腰を上げ、今日中に作り上げなきゃいけない汁物なんかを仕上げる。

 もし誰も来なかったら、このカレー、シチュー、豚汁等の汁物は食堂に寄付する事になる。仕方ないとは理解はしていても、食べて欲しかった人達に食べてもらえないというのは少し寂しいものだ。

 

 大きめの寸胴から小さい鍋に汁物を移したり、保冷所の食材を見に行ったりしていると、窓から差す赤色が闇色に変化しつつあるのに気付く。

 さすがにここまで来ると城内外のざわめきも小さくなり始めている。城や街で騒いでいた者達が帰るべき場所に戻り始めたのだろう。

 徐々に小さく、遠くなるざわめきに、この場の静寂がより一層強くなったのを感じる。

 俺はその感覚を厭い、少し大きめに声を発した。

 

「そろそろ持っていくかね」

 

 街や家で夜を明かす兵も多いだろうが、夜に待機を命じられている兵は一般兵用の食堂を使うだろうから、夜食として食べてもらおう。

 何人に行き渡るかは謎だが、ここに置いていても仕方がない。

 それじゃあと食堂に持っていく為に寸胴を持ち上げ、

 

「美味しい匂いの所に許緒一番乗りっ!」

 

「こら季衣! 廊下は走らないのっ!」

 

 元気いっぱい笑顔いっぱいの声とともに、少女二人が現れた。

 のだが、二人の顔が俺の持つ寸胴に向けられ、途端に表情が曇ってしまった。

 

「あれ、お鍋どうするの? えっ、壮行会もう終わっちゃった?!」

 

「そんなぁ、白様の料理すっごく楽しみにしてたのに……」

 

 息を切らしてやってきた季衣と流琉は、とても残念そうな顔でその場にへたり込んでしまった。

 

「急いで仕事片付けてきたのにっ! 隊の皆の二次会を断って来たのにっ! こんな事って無いよっ、酷過ぎる!」

 

 この世の終わりのような表情をしながら床を叩く季衣。おいおい、床石がひび割れるって。

 

「あー大丈夫だ、まだ始まってもいないから」

 

「えっ、じゃあその寸胴は?」

 

「一般食堂に寄付しようと思ってな」

 

「そうなんですか? けど今日は一般食堂に人は集まらないと思いますよ。

 華琳さまが街の料理店なんかに兵や文官の方達が飲食する分を先払いしているんです。だから皆さん遅くまで街で食べてくると思います。

 夜勤の人達も交代で街に出掛けるそうなので、わざわざ一般食堂で食べる人はいないんじゃないですかね」

 

「そうだったのか、それは知らなかったな」

 

「今日の朝に発表されましたからね。指揮系統が独立している白様は知らなくても仕方ないと思います。

 そういう訳でして、食堂も一応開いてはいるんですが、作りおきの物が適当に置いてあるから勝手にどうぞ。って感じですよ」

 

「ならこれを持って行っても持て余すかな」

 

「そうだよ! だからそのすっごい良い匂いの豚汁は置いていくべきっ、そして今から三人で壮行会をしようよっ」

 

「誰が食べてくれるかも分からない所に料理を出すのは確かに気が乗らないな。

 そうなると三人での壮行会も悪くないか……けど二人は色々と誘われたんじゃないか?」

 

「はい、親衛隊の酒盛りにも呼ばれたんですけど、辞退しました。上役の私がいると皆さん心の底から楽しめないでしょうから」

 

「っていう建前だよね、白さんの料理が食べたいからさっさと抜けてきちゃった」

 

「まあ、季衣の言う通りだけど」

 

 二人とも俺の料理を優先して来てくれたのか。なら最大限の礼でもって持て成そう。

 

「それじゃあ、三人で始めちゃうか」

 

「はいっ」「うんっ」

 

「白殿、少々お待ちをー」

 

「流琉と季衣の食べる速度と食べる物を調整する人員がいないと料理が無くなってしまいます」

 

「いかなお兄様といえど、この二人の勢いを抑制するには厳しいでしょう。

 ですからこの栄華めに、可愛らしい二人のお守りを御任せ下さいませっ」

 

「白さんの料理がいくら美味しいからって、そこまで無茶に食べたりしないよ!」

 

 親衛隊二人だけじゃなく、文官勢の皆も来てくれたようだ。

 

「本来ならもっと早く来れたのですが、桂花ちゃんに策の練り直しを頼まれまして、今まで掛かってしまいました」

 

「悪かったわよ。けどここまで話してもまだ足りない気がしてならないの……」

 

「さすがにもう話すべき事も尽きた気がするのですよ。もしかして何か気がかりがあるので?」

 

「……私は完璧を求めたいの、それだけよ」

 

「準備にも戦場にもこれをもって完璧などという事は有り得ませんが、その考えには私も賛同しますよ。

 どうにも華琳さまも此度の戦には入れ込んでいるようですし、念には念を入れるべきでしょう。

 ですが我々が二ヶ月も考え尽くしたのです、机上では最早語ることはないと断言できましょう」

 

「そう、だけど」

 

「お姉様の様子を見るに、今回ばかりは戦費にも糸目をつけるべきではないと理解しておりますから、血反吐を飲み込んで戦費に口出しはしておりませんのよ。

 お金の心配もなく、兵の質も問題なく、将官の士気も意識も高い。何をそこまで心配する事があるのか、私めには分かりかねますわ」

 

「と、こういった感じで議論が白熱したのですよ。遅れてしまって申し訳ないのです」

 

「魏の勝利のための会議だったんだろ、だったら何を謝る必要があるんだ。

 ともかく来てくれたのはすごく嬉しいよ。それじゃあ中に入って待っててくれ、料理を仕上げてくる」

 

「はい、心よりお待ちしておりますわ」

 

 そうして皆が食堂に入っていく。

 その一番後ろ、険しい表情をする桂花に礼を言う。

 

「ありがとう、桂花」

 

 彼女は口惜しそうな表情をして立ち止まった。

 

「貴方が何を伝えようとしていたのか、華琳さまが何と戦っておられたのか、微かながら、朧気ながらに理解しました。

 ですがその程度の理解では、何かが足りていないと分かっていても、何が足りていないかが見えてこないのです。

 それが、とても悔しい」

 

 唇を噛み締めて言う彼女だが、

 

「現状話せる事は話し尽くし、打てる手は打ち尽くしました。

 後は戦場で対応する他ありません」

 

 この子は悔しさに沈むだけの柔な少女ではない。

 

「ですから、天の思惑は戦場にて打ち払って見せましょう」

 

 悔しさをバネとし、毅然と天を睨む少女。

 本当に、どんどん華琳に似てきたな、この子は。

 

 

 

 ちびっ子二名と文官四名が料理に舌鼓を打って三十分ほどが経ち、お腹も落ち着いてきた頃、外はもう暗くなっていた。

 料理を食べる時間から会話の時間へと流れがシフトしていく。

 ちびっ子二人は文官に可愛がられ、あーんをされ、たまに少し真面目な話をしてと、基本ほんわか時折締めるみたいな感じで見ていてとても和む。

 そのまま少しの間会話に参加せずにぼーっと六人を見ていると、新たな参加者が走りこんできた。

 

「えらい遅れてもうてすんません!」

 

「お菓子残ってるっ? あっ、あるっ! という事は間に合ったのっ」

 

「どうしても部下の誘いを断りきれず今まで掛かってしまいました。申し訳ありません」

 

 慌てて入ってきたのは三羽烏。

 

「いや、強制と言う訳でもないのだし、謝られると逆に困るよ。

 何か食べたい物はあるか?」

 

「ウチは餃子! 水餃子はさっき食べてきたんで、次は焼餃子で!」

 

「沙和は果物いっぱい洋風月餅!」

 

「おい二人共、遅れてきてるのにそんな注文……というかさっき結構食べてなかったか?」

 

「前に警備を担当した役満姉妹曰く!」

 

「白様の料理は別腹っ!」

 

「……まあ腹を壊さん程度の量にしような。凪も要望があるなら気にせず言うと良い、その方が俺は嬉しい」

 

「そ、そう言われると断り辛いです……あの、でしたら、麻婆豆腐を」

 

「分かった、凪仕様で作るよ」

 

「有難う御座いますっ!」

 

 こうして三羽烏が輪の中に加わったのだった。

 

 

 三人はバランスが良いのか、親衛隊組とも軍師文官組とも上手い具合に会話が噛みあう。

 凪は真面目で遠慮しがちな気性から居ても決して邪険にされない。意見を求められたら正直に答えるのも好かれるポイントだ。

 沙和は女子の好きな話題を多く持ってるし、持ち前の明るさと実は割合空気が読めるので場が華やぐ。

 真桜は勢いの良さと各種ギミックの話など、話題が尽きない。

 言い方は少し悪いかもしれないが、どのような隙間にも入り込むような気軽さと隙間を埋めてくれる安定感によって周囲に溶け込んでいる感じだ。

 

 女子特有の飛んでは戻る会話を聞きながら、俺はその様を面白可笑しく眺めるのだった。

 

 

「舞台疲れたー、白ぅ抱っこして食べさせてー」

 

「今日は一段とちぃ頑張ったんだから、だっこであーんはちぃの物だと思うんだけどっ」

 

「えーわたしだよー、もう一回の声で二人よりも一曲多く歌ったもんっ!」

 

「歌ってる間もちぃ達は舞台の上を大きく踊ったり呪術で演出したりするんだから、大変さはこっちの方が上!

 それに天和姉さんは十箇所ぐらい歌詞間違えたり踊り間違えたりでちぃも人和も埋め合わせが大変だったんだから!」

 

「あれはアドリブ? だっけ。即興性の流れを大事にした演出だったのっ」

 

「白の言葉を借りたって言い訳できないから!」

 

「あっ、白さん、次はその練乳がけのぷりんが食べたいです」

 

「ん、これか。はい、あーん」

 

「あーん、はむ。もぐもぐ……すごく美味しいです。やっぱり大陸中のどの料理より、貴方の料理が一番美味しい」

 

 木のスプーンを握ったままの俺の右手を優しく包み、人和は蕩けるような笑顔でそう言った。

 うーん、あざとい。しかし嫌いじゃない。

 

「あー人和ちゃんずるいっ! 抱っこされてないけどその新婚さんみたいな雰囲気作りは卑怯だと思いますっ」

 

「人和それ抜け駆けし過ぎだからっ、あーんと好感度上げを両方達成するとかあざとすぎ!」

 

「天和姉さん、ちぃ姉さん、そういうのは当事者だろうと観客だろうと分かっていても言わないのが礼節よ」

 

 なんというか、また姦しいメンバーが増えたものである。

 

 三姉妹は城に呼ばれる事が多く、一応全員とは顔見知りである。

 だが軍師や文官は顔見知りであるというだけで、人和以外はあまり会話した事がなく、そちらの輪にはあまり入っていけないようだ。

 その分ちびっ子と三羽烏との仲はとても良好で、話の弾み具合が五割増しになっている。


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