今昔夢想   作:薬丸

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二話投稿です。


76.第一村人発見

 消失していた感覚が蘇る。

 耳は木々のざわめきを、目はまぶた越しに光を、鼻は甘い桃の匂いを、肌は優しく吹く風を、口は目から溢れる涙の味を感じ取る。

 目を閉じたまま感情の整理……などすぐさま出来るとは思えないので思考を放棄する。今は胸中と眦にだけ温かいものを満たし、頭は空っぽにして考えない。多分それこそが最善。

 そう結論づけてゆっくりと目を開くと、そこは見渡す限りに桃色の花が咲き誇る桃園の中だった。

 濃い桃の香りから桃樹が近くにあると予想は付いていたが、まさかこれほど立派なものだとは思わなかった。

 

「木々の間隔も完璧、数の厳選もしてる、実も袋掛してある、剪定もきっちりしてあるのか。これは相当良い桃園だな」

 

 ぱっと見ただけでも手入れが行き届いているのが分かる。

 

「これだけの数を丁寧に手入れしてるとなると、村全体で管理しているだろうな。という事は近くに人がいるはず……と、早速引っかかった」

 

 周囲の様子が何となく分かった所で、一人こちらに近付いて来る気配があった。

 ふらふらと彷徨うようにして近寄ってきているので、俺の気配に気付いてやってきたという訳ではなさそうだ。周囲を見回した所でここには桃の木しかないし、捜し物でもなさそうだが……。

 人や獣の気配は他にないので危険は少なそうだが、ふらふらしてて危なっかしいのですぐさま気配の元に向かう。

 

 気配を消して近付き、目標の様子を木陰から伺う。

 するとそこには愛くるしい容姿の幼女が下を向きながら何かを探すように歩を進めている姿があった。

 その様子は真剣というよりも必死な様子で、幼い子供がするには重々しい雰囲気を感じさせた。

 しばらく幼女を観察していたのだが、余裕が無く、集中しすぎているのだろう、見始めた時よりも木を避けるタイミングが段々ぎりぎりになっている。

 幼女の服装や独り言の抑揚から大体ここがどこらへんか、どの程度の生活水準の村なのか目処は立ったので、そろそろ桃の木の回避が出来なさそうな幼女に声をかける。

 

「お嬢ちゃん、木にぶつかっちゃうよ?」

 

 幼女は俺の声に反応して立ち止まって顔を上げ、間近に迫った木を見て驚いた。

 

「えっ、あっ、あぶなかった! おねーさんありがとう!」

 

 幼女はこちらへ向き直り、元気にお礼をしてくれる。

 ……おねーさん呼びはすぐに訂正したいけど、同性だと安心するだろうから少し騙しておこう。

 

「どういたしまして。ねえお嬢ちゃん、一つ聞きたいんだけど、ここって何処かな? ちょっと迷子になって困ってるんだ」

 

「そうなんだ、えっと、たしかたくけん? のはしっこだった気がする」

 

 琢県、少女の方言から大体の場所は分かっていたが、また良く分からない場所に飛ばされたなぁ。

 今が何年なのかも知っておきたいが、それを直接聞くのはまずいので後々探ろう。

 

「そっか、ありがとう。それでお嬢ちゃんは何でこんな所にいるの?」

 

「あのね、おかーさんのたいちょーがよくないの、だから元気になるかんぽー? をさがしてたの!」

 

「おー偉いなー、だったら任せて、私お医者さんだから。ここが何処か教えてくれたお礼に診てあげる」

 

「ほんと?!」

 

「ほんとほんと、だから村まで連れて行ってもらえる?」

 

「えっと、んー、おねーさん、ちょっとあたしと目をあわせて」

 

 ん? と首を傾げながら、幼女に言われた通り目を合わせる。

 幼女の瞳はとても深かった。何がと言われるとはっきりとは分からないが、こちらの全てを覗き込まれているような感覚があった。

 

「なんか心があったかくてうれしくてかなしくなるの、こんなの初めて……」

 

「どうかした? どっか痛い?」

 

「ううん、大丈夫! よくわからなかったけど、おねーさんがすっごくきれいなのは分かったの! だいじょうぶだからつれて行くの!」

 

 何か分からないが合格したらしい。

 幼女は俺の手を引いてこっちこっちと言ってはしゃいでいる。どうやらこのまま村に連れて行ってくれるらしい。

 というかいつまでも幼女呼びじゃ都合が悪い。

 

「私の名前は謙信って言うんだけど、お嬢ちゃんの名前を教えてくれる?」

 

「あたし? あたしはりゅうびだよ! よろしくね!」

 

 ああそうか、つまりはそういう事か。

 何故この場所に飛ばされたのか、その名で全てがわかった。

 

「よろしくね、劉備ちゃん」

 

「うん!」

 

 とても元気に返事を返してくれた劉備ちゃん。

 どうやらそこそこの信頼を勝ち得たらしい俺は、劉備ちゃんに手を引かれて村まで案内されるのだった。

 

 

 案内された先、そこには何処にでもありそうな、しかしかなり裕福そうな村があった。

 家の作りはどれもしっかりしているし、ちらほら見える村人に痩せ細った人がいない事から、桃の事業で相当儲けているのが分かる。

 

「劉備ちゃん、その人は誰だい?」

 

 水桶を持っていた恰幅の良いおばさまが問いかけてきた。

 劉備ちゃんに見せる表情は柔らかいが、誰かと聞いた時にこちらに向いた視線は鋭かった。

 うーん、もし劉備に手を引かれていなければもっと荒々しい対応をされていたかもしれない。

 

「おねーさんはおいしゃさんなんだって! おかーさんを見てもらうのっ!」

 

「こんな所にお医者様がねぇ。劉備ちゃん、他に誰か居なかったかい?」

 

「んーん、よーく見たけどいなかったよ」

 

「そうかいそうかい、劉備ちゃんは目が良いからね。ねぇあんた、こんな何もない所に何用で来たんだい?」

 

 かなり不躾な視線と言葉にこの村の現状を知る。

 このご時世に旅医者はとても貴重だ、医者や薬師と名乗るだけでもかなり対応が柔らかくなる。

 それがないという事は常駐の医者か薬師、または近隣にいる医者にすぐさま診てもらえるという余裕があるのだろう。

 そして医者を名乗る者をすぐさま疑うという事は、この村は外界と交流が相当に乏しいと推測できる。

 ちなみに医者を名乗って高待遇を受けたにも関わらずその分の治療などを行わないと、期待させた分かそれ以上のしっぺ返しを執拗に食らう。なので医者の詐称はかなり命懸けである。

 

「私は漢中出身の医者でありまして、謙信といいます」

 

 医術と薬師の国家認定上級試験合格の証である医術上級免許を懐から取り出して見せる。

 

「ああ、確かに隣村のお医者様が持ってるのと同じ……じゃないね。もっと上等な……えっ、こりゃ上級って書いてないかい?!」

 

 二枚とも正式に発行された物で、しかも特に偽造が難しいとされている医術免許を見せた事でおばさまの目が明らかに柔らかくなる。

 特級の免許も持っているが、俺の外見年齢からしてそっちを見せる方が疑われるので、旅途中はあえて上級免許を見せる事の方が多い。

 そして上級という字が読めたという事は、この村の識字率も悪くはないようだ。

 

「これはこれは、上級のお医者様なんて初めて見ましたよ!」

 

「現在特級資格合格の為に国中を回って修行をしております。特級資格試験には治療の実績を積む事は勿論、各地の風土病についての見識も必要なのであちこちを彷徨うように旅しているのです」

 

「それでこんな桃以外何もない村まで辿り着かれたんですねぇ。

 免許も持ってて、劉備ちゃんが信じるなら大丈夫ですかね。

 村長は今出てるから、戻ってきたらちゃんと話を通しておきますので、劉備ちゃんのお母さんを診てやってくださいな」

 

 周囲で徐々に包囲網を狭めて話を聞いていた人達の表情から幾分かの険が取れる。

 俺は頼みますと一言添えて劉備ちゃんの家へ向かうのだった。

 

 

 

「阿備、誰だいそいつは?」

 

 俺を出迎えたのは青い顔をして横たわりながらも覇気を滲ませて威嚇してくる妙齢の女性だった。

 窶れているが、それでも分かる美貌の持ち主だった。

 

「おいしゃさまだよ! おかーさんを助けてくれるって!」

 

「医者? こんな辺鄙な所に何用だい?」

 

 先ほどのおばさまよりも鋭い視線。ふむ、これは嘘を言っても見抜かれそうだ。

 

「私の名は謙信、医者をしています。

 特級試験の為に流浪の身でして、ここにはたまたま、迷い込むようにやって来ました。桃の香りに誘われて彷徨っている所に劉備ちゃんと出会い、貴方を診て欲しいと頼まれてここに来ました」

 

「……嘘は言ってないみたいだね。しかし私の家に差し出せる物は何もないぞ」

 

「いえ、お金などは特に要りません」

 

 その言葉に女性の眉が上がる。怪しく感じたか?

 俺は懐から免許を出して見せる。

 

「先程も言いましたが特級資格合格の為に修行中ですから、病気を診る、治す事自体が目的です」

 

「ふん、資格の為とはいえ今時金を要求しない奴なんて有り得ない……いや、もしかしてアンタ五斗米道の者かい?」

 

「五斗米道の者ではありませんが、共に医聖の教えと志を汲む同士ではあります」

 

「ははっ、なんたる僥倖だい。

 どうやら身体だけじゃなく、気脈関係にも異常があるらしくてね、並の医者じゃあ太刀打ちできなかった。

 色々と回って金も尽きちまって、後は死を待つばかりだったってのに、そこに必要以上を求めず、そして気術に長けた医者である五斗米道の同士たるお医者様が訪れるとはさ」

 

 彼女は無理矢理身体を起こし、叩頭した。

 

「是非に治療を願います。差し出せる物は限られていますが、恩義には必ず応えます故」

 

「承りました。しかし治せなかった場合は平にご容赦を」

 

「お医者様としての腕前は分かりかねますが、研ぎ澄まされた気と体術を持っておられる貴方が並の医者ではないとは分かります。

 もし失敗して私が死んだとしても恨まぬようにと劉備に言い含めますので、何卒お願い致します」

 

「任されました。まずは診察からですが、気脈の損傷が特に酷いと思われますので、自然体で私と向き合ってください」

 

「自然体とは?」

 

「楽な態勢、楽な姿勢、楽な心の在りよう、楽な口調、とにかく楽をしてください。でなければ気の同調は難しいのです」

 

「ああ、分かったよ。私の名前は劉弘、この命、謙信殿に預ける」

 

「しかと承ました」

 

 そうして診察を開始して愕然とする。

 彼女の病状が気脈の欠損だと気を操る者として察していた。だがここまで酷いとは思わなかった。

 彼女の言っていた通り、並の医者に太刀打ち出来る症状ではなかったのだ。

 体中に細かく、そして子宮を中心にして甚大な気脈の欠損が生じていた。

 

 病気の原因は劉備ちゃんを産んだからだろうと予想がつく。

 劉備ちゃんが持つ巨大な気の器に母体が持つ気の多くが吸い込まれて衰弱し、その上産む段階で劉備ちゃんに気を引っ張られて気脈が引き千切られるように傷ついてしまったのだ。

 普通の女性なら産後半年もせずに衰弱死しているが、この女性はかなりの傑物だったから死にまでは至らなかった。

 とはいえ恐ろしい勢いで衰弱していったのは想像に難くない。

 正直数年間もたせた事に感嘆せざるを得ない。

 

 俺は慌てて方針を変える。

 衰弱している様子ではあったが、しかし出会い頭に鋭く威嚇してきた彼女には多少の余裕があると思っていた。

 でもこれは幾ばくの猶予もない。半月は絶対に越せないだろう。

 今なお命はこぼれ落ちているから、今すぐに大手術をしなければ可能性は低くなるのみだ。

 

 俺はそれを劉弘さんに伝え、今から手術を行う事に了承を貰う。

 

「注意してもらいたい事があります。今回の治療は長時間の辛い施術になるでしょう、先程言った楽な在り方をしてもらいながら我慢を強います。また寝られてしまうと淀んだ気が予想外の反応をする可能性があるので、決して眠らないでください。相当難しい対応ですが、出来ますか?」

 

「ふむ、子を産む痛みに耐えた女ならやってやれない事はないね」

 

「心強いお言葉です。では準備に入ります」

 

 そして劉備ちゃんに向き合い、頼み事をする。

 

「劉備ちゃん、これからお母さんと先生は長い時間手術をしなくちゃいけないんだ。そこでちょっとお願いがあるんだけど良い?」

 

「うん、何? あたしなんでもするよ!」

 

 劉備ちゃんは正座して、その手を強く握って応えてくれる。

 その様子に心強さを感じる。

 

「私はこれから治療に入るんだけど、多分一切動けなくなる。

 お母さんの病気はすごく重いから、私もすごく慎重に手術しないといけないんだ。

 失敗したら手術する方もされる方も只じゃ済まなくなるからすっごく集中しなくちゃいけない。

 だから絶対に邪魔しないで、それに邪魔をさせないで」

 

「えっと、良く分からないけど、おかーさんとおねーさんを守ればいいの?」

 

「うん、頼める?」

 

「うん、ぜったいのぜったいのぜったいに誰にもじゃまさせないよっ!」

 

「有難う」

 

 多分、俺が来なければ彼女は死んでいた。彼女を治せる腕前を持つ者はこの大陸に数人しかいないからだ。

 こんな状態にまでなってしまうと彼女は動かせないし、彼女を治せる腕前を持っている者は旅などしない。

 何か奇特な理由でたまたま大陸に数人しか居ない腕前をもった医者がここ数日中にやって来る、という奇跡が起きない限り彼女は死んでいた訳である。

 

 準備を終えて本格的な治療に入る前に、こっそりと様子を伺っていた表の人達に彼女の様態と施術の方法を説明し、また長時間の治療に入るので心配をしないよう、邪魔をしないようにと頼んでおく。

 

「では治療を開始します。お母さん、劉備ちゃん、頑張りましょう」

 

「おうともさ」

 

「うん!」

 

 二人の強い返答に気合が入る。そうして俺は治療を始めるのだった。

 

 気を極限まで細くしてゆっくりと気脈に通し、彼女と俺の気を同化させる。

 欠損が一部だけならばその箇所だけ治療すれば良いが、彼女の場合は全身に傷がある。

 しかも彼女はかなり衰弱しているので、普段なら気にする必要のない気の反発による些細な気力の消費が命取りになる。

 なので治療に俺の気を使う為、また気の反発を招かぬために彼女と俺の気を中からゆっくりと、完璧に同調させていかなければいけない。

 恐ろしく繊細で遅速な作業に集中力がどんどん削られる。

 だが数百年で養った技術と集中力は数時間程度の手術でブレたりはしない。

 俺の長きに渡る医者生活においてトップクラスに難しい治療だったが、五時間に渡る大手術の末に無事治療を終える事が出来たのだった。


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