劉弘さんは手術が終わると同時に眠りについた。復調した身体と気脈を無駄なく整理する為に脳が眠りを欲したのだろう。
隣で手術を見ていた劉備ちゃんが手を叩きながら大きな歓声を上げた。
「すごくきれいだったの! とーめいな気がゆっくりと進んで、終わりはパーッとなっておかーさんの身体がきれいになったの!」
「すごいな、劉備ちゃんはその年で気を見られるのか。けど流石に五時間も暇じゃなかった?」
「んーん、すっごくおべんきょうになったよ。あたしにもあれ、出来るかな?」
「練習すればきっと出来るよ。それじゃあ劉備ちゃん、村の人を呼んできてもらえるかな? 私はちょっとすぐには動けないや」
手術を始めて二時間後くらいに村長や村人が来たのだが、俺は施術に精一杯で対応できなかった。
しかも問題が二つ程あり、今回の施術がただひたすらに手を当てているのみという普通の医者ではあり得ない方法だった事、また俺と劉弘さんが微動だにしていないのに滝のような汗を流している事が皆の不安を煽ってしまった。
途中で村人達が俺と劉弘さんを心配して休ませようと動き出したが、劉備ちゃんがしっかりと止めてくれた。
村人達も劉備ちゃんの只ならぬ様子に一旦様子を見るとして引き下がってくれた。
もし強引に引き離されたのなら、その時点で劉弘さんは死亡、俺は殺人の罪に問われていただろう。
泣きながら大人達を止めてくれた劉備ちゃんの奮闘で俺も母親も救われた。本当に有難う。
しばらくは見張りが立っていた筈だが、いつの間にかいなくなっていた。
五時間も動きがないし、夕飯の準備などがあるからそっちを優先したんだろう。
「うん! わかったのっ」
そう言って劉備ちゃんは走って外に出て行った。
治療前は日が昇り切ってもいなかったのに、今ではすっかり夕暮れ。
「あーなんか作るか、でも動きたくねぇ……とも言ってられないか。劉備ちゃんの為に米を炊く準備だけでもしておこう」
だるい身体を叱咤し、道具箱から米と火打ち石を取り出して台所に向かう。
米を洗い、釜に米と水を入れて蓋をする。そして傍にあった薪や小枝を空気が通るように組み上げ、火を点ける。
ぼーっと火を見ていると、人の気配が近付いて来た。
俺は居間に戻り、座って彼らを待つ。
「失礼するぞい」
「おねーさん、そんちょーさんつれて来たの!」
そう言って劉備ちゃんと白髪の老人が居間に入ってきた。
劉備ちゃんは俺の隣に座り、村長さんは対面に座った。
「劉備ちゃん、ありがとね。
村長殿、今回は唐突の来訪申し訳ありません」
「謝るような事じゃあなかろ。儂としてはこの閉ざされた村に人が来訪することは歓迎するべき事じゃと思っておるでな。
しかも来訪者が医者とあっては村をあげての歓迎をするべきじゃろうて。今日は色々あって出来なかったが、劉弘の調子が戻ればそれと合わせて宴を開こう。
して、劉弘の調子はどうじゃ?」
「治療は成功しました。現在は体力、体調を戻すために寝ていますが、明日の朝には目覚めるでしょう」
「近隣で最も大きな都市の名医に密かに診てもらい、しかしお手上げと言われた難病が一日で治ると言うか。
すまぬが、確かめても構わんか?」
「ええ、どうぞ」
そう言って村長さんは劉弘さんの元に向かい、顔色を見る。
「血色が大分良くなっておる。これは本当に本当じゃったか?」
小さく呟いた声が耳に入る。
まあ俺の見た目は十代後半から二十代前半で止まっているし、普通は侮るよね。
村長さんが戻ってくるが、座る前に声をかける。
「村長殿、よろしければ貴方の事も診ましょうか? 実際に腕を確かめるにはそれが一番でしょう?」
村長さんは難しい顔をしたまま逡巡し、しばらくして頷いた。
「もし腕前の確認が取れたのなら、劉弘の治療費は儂が出そう。
とはいえ出荷時期を大分過ぎとるから、貯蓄に余裕がある訳でもなくての、幾らかの特産品を渡すという形にしてもらえんか? 皇室専属で卸しとるものの一部じゃ、価値はかなりのものじゃよ」
「お金で渡されるよりもそちらの方が有り難いので、特産品で構いませんよ」
「助かるわい。建前上は皇帝陛下以外口にできん事になっとるから、一応内密に頼むぞい」
「分かりました、誰にも漏らしません。
では治療を始めましょう。多少痛みがあるかもしれませんが、決して悪くはしませんので」
そして村長さんにずいっと近付き、診察開始。
体内には特に異常なさそうなので、曲がった背骨と腰を治療しよう。
村長さんに寝転がってもらい、施術開始。
患部に気を流し、周辺を揉みながら圧しながら肉と血管と神経を解し、ゆっくりと骨を矯正していく。
三十分ほどで悪い部分の大体をやっつけたので、最後に大物たる骨盤を正位置に戻すためパンと強めに叩く。
「終了です」
「おぉお、気持ちよかったが、最後のは響いたわい」
そう言って腰をさすりながら起き上がる村長さん。
四十五度傾いで固定化されていた背が地面と垂直になっている。
「おお、起き上がっても腰が痛くならんわい。それに何時もより目線が高いような?」
「目線が高くなったのは気のせいではありません。
骨の矯正と神経系の調整を行いましたから、無理をしなければ以前のように動けますよ。
とはいえ一日二日で完治するものでもありませんので、何日か続けてゆっくり治していきましょう」
それを聞いた村長さんは確認するように小さく動き、次第に大きく腰を回したりする。
しばらく身体を伸ばしたりと実験し、徐々に疑いを晴らしていって本当に治ったという実感を得た瞬間、彼は小さく震え、泣き出した。
「奇跡じゃ」
何をするにも痛みを伴う症状を患って数十年。
しょうが無い、老いれば当然の事と受け入れつつ、しかしずっとストレスに感じてきた苦痛、それが綺麗サッパリ消え去った。
それは同じ年を生きた老人にしか分からぬ感動がある筈だ。
「医師様、有難う御座います。これで後二十年は戦えますじゃ」
いや、さすがにその前に確実に寿命が来ると思います。
とは言わず、良かったですね、と微笑んでおく。
「宜しければ同じような年寄り共にもご慈悲を賜ればと思いますじゃ。対価は払います故、何卒何卒お頼み申しますじゃ」
村長さんの対応が変わり過ぎて困る。
村長さんにとってはそれだけの事だったんだろうけど、俺にとっては三十分ほど整体をしただけなのだ。
数十年の苦痛と二十分の施術が気持ち的に釣り合う筈もないのは分かるが、気まずいったらない。
「私としては全然構いせんよ。しかし今日は劉弘さんの施術もあって疲れていますので、日程の調整は後日という事で」
「おお、そうでしたな。それでは我が家に是非とも」
「いえ、劉弘さんの経過も見ておきたいので、こちらに泊まります」
「そうですか、ならばせめてもの礼に馳走を持ってこさせますぞい」
「それは助かります」
村長さんと別れ、劉備ちゃんとお米が炊きあがるのを待つ。
そして炊きあがったタイミングで村長さんがおかずを色々と持ってきてくれた。
ご飯を食べていると劉備ちゃんに旅の話などをせがまれたので、光武帝の話などを聞かせてあげた。
それにテンションを上げた劉備ちゃんは寝るという段階になっても話をせがんできたので、灯華様の話をしてあげた。
最期を話してしんみりさせるのも何なので、皇帝になる所を大団円とした。
途中で寝るだろうと思っていたのだが、彼女は皇帝になる所までしっかりと話を聞き終え、電池が切れたかのように寝てしまった。
随分と楽しそうに聞いていたと思っていたが、寝てしばらくしてから悲しげな表情で涙をほろりと零していた。
灯華様の話は有名なので、もしかしたら最期を聞き及び、それを夢に見たのかもしれない。
翌日早朝、俺は朝食と病人食を兼用した雑炊を作っていた。
昨日村長さんが色々と食材を持ってきてくれ、またその中に卵があったので混ぜる。
病人食なのでドロドロになるまで弱火で煮込み続ける。
ご飯の匂いに釣られたのか、二人がほぼ同じタイミングでアクションを起こした。
「うにゅーぅ、ぐぅ」
「んんーっと」
劉備ちゃんは一瞬意識が浮上したが寝ぼけ眼で再び微睡みへ。
劉弘さんはすっかり意識が覚醒している様子で、いつもの癖だろう寝起きの身体伸ばしをしている。
するとそこで身体の異変に気付いたのか、首を傾げる。
「軽い、何だこれ、痛くもないし」
「おはようございます、調子はどうですか?」
「絶好調さ。ってアンタ誰だ?」
あれ、寝惚けてる?
「いや、ちょっと待て、昨日見たような……駄目だ、最近の記憶が朧気になってるな」
「そうですか、それも仕方ありません。貴方はもう少しで死ぬ所まで行ったのですから」
「あー大分前にそんな覚悟を決めたような気がする……ああそうだ、思い出してきた。
死ぬ覚悟を決めて、阿備に色々教えて、そろそろ死ぬと思った所でアンタが来たんだ。
それで治療を……ってアンタ凄いな。意識こそほとんど無かったが、身体はアンタの絶技を覚えているようだ。
ともかく、状況は理解した」
彼女は姿勢を正し、叩頭した。
「感謝します。貴方のおかげで私は生きている」
「感謝は受け取ります、ですので叩頭はやめて頂きたい。劉備ちゃんが起きた時に誤解されますので。
それとまだまだ身体も気脈も弱ってますので、出来るだけ自然体でいてください」
「そうか」
劉弘さんは身体を起こし、娘の方を愛おしげに見て、真摯な瞳をこちらに向けた。
「死ぬ覚悟は出来ていたが、それでもやはり未練だった。貴方のおかげで未練を残す事は無さそうだ。
貴方に最上の感謝を、そして最大限の礼を尽くす事を劉弘、真名を瑠花がここに誓う」
「私、名を謙信が劉弘の真名を受け取らせて頂きます。ですが礼も感謝も程々に願います。
医者が人を救う事は当然であり、救ったから礼を尽されるのが当然と思えば医者として資格を失います」
「恩人の考え、承知した。
だが私の心の中では常に感謝を抱き、恩を返したいと思っている事を知っておいて欲しい」
「はい、何かあれば遠慮なく頼らせて頂きます。
ではそろそろ二度寝を起こしてあげてください、朝食は準備出来ていますので」
「世話になる。
ふぅ、ここ一年は私より先にこの子が起きていたから、久々だな。
こほん。阿備! 何時まで寝てんだいっ!」
「あふっ! ねてましぇんよ!」
微睡みに居た劉備ちゃんが言い訳をしながら跳ね起きる。
その様子を見て瑠花さんが微笑みを浮かべている。
そしてそれを見た劉備ちゃんが一瞬ぽけーっとし、現実と受け入れると同時に満面の笑みを浮かべる。
「ごめんなさいおかーさん! わたしねちゃってた!」
「この馬鹿者め、これは久々に怒ってやらないと駄目だね」
多分瑠花さんはとても厳しい人で、普段から良く怒っていたのだろう。しかしここ一年は怒る事すら出来なかったのだろう。
だから劉備ちゃんは嬉しくて仕方ないのだ。大きな声で正しく怒ってくれる大好きな母がちゃんと戻ってきてくれたという実感がそこにはある。
こつりと劉備ちゃんの頭を小突き、そのままわしゃわしゃと強く頭を撫でる。
なすがままの劉備ちゃんと撫でる瑠花さんは共に涙と笑顔があふれていた。
ある程度の時間が経ち、台所に引っ込んで頃合いを伺っていた俺はそろそろと準備を始める。
釜に入った雑炊を土鍋に移し、土鍋の蓋の上に茶碗を乗っけて居間に移動する。
今回作った料理は雑炊に卵と滋養のある数種の薬を混ぜたシンプルな物だ。
豪勢な料理を振る舞いたい所だが、朝だし瑠花さんは身体が出来てないしでこれぐらいしか食べさせられない。
「失礼します、ご飯できましたよー」
「おう、すまないね」
「あ、おねーさんおはよーございます!」
「はい、おはようございます」
元気いっぱいの劉備ちゃんに挨拶を返し、茶碗によそった雑炊を二人の前に出す。
「もっと凝った料理を出したい所なんですが、数日はこの手の料理で我慢してください」
「まだ身体が起きてない感じがするから、こればかりはしょうが無いね。
けどただの雑炊にしては良い匂いがするじゃないか」
「色々手は加えましたけど、それだけです。あっ、劉備ちゃんも食べられるように苦くしたりはしてないから、一緒の食べようね」
「うん、おかーさんとおねーさんと一緒のが良い!」
「そっかそっか、それじゃあ召し上がれ」
「感謝する」
「いただきまーす! もぐもぐ……もぐもぐもぐもぐ!
おねーさんこれすっごく美味しいよ! おかわりっ」
「はいはい、消化に良いとはいえゆっくり食べてね」
土鍋から茶碗に雑炊を移し、手渡す。
「はーい、もぐもぐ」
ぱくぱくと食べる劉備ちゃんと、ゆっくりと胃に慣らすように食べる瑠花さんの対比が面白い。
瑠花さんが二杯、劉備ちゃんが四杯食べた所で土鍋が空になる。
「ぷはーっ、久々に物を食べたって感触があるよ。今までは何を食べても土を食べてるみたいで空虚だったからね」
「おいしかったよーっ、おかーさんの料理の倍はおいしかった!」
「阿備ぃ? そんなに私の料理は不味かったのかい?」
「あわわわっ、ちがうよっ、おねーさんの料理がおいしすぎたのっ!」
「……まあ確かにね。こんな簡素な料理で腕前が知れるんだから大層なもんだよ。
それで、謙信さんはこれからどうするんだい?」
「治療者の責任として、瑠花さんの術後の経過を最低でも一ヶ月は見させてもらいます。
ですので一ヶ月はこの村に滞在する事になりますね」
「そうかい、一緒に居てくれた方が恩を返しやすいし、村長には私から頼んでおこう。
しかし一ヶ月というのは短いね、なんならこの村に骨を埋めてくれても構わないんだよ?」
「それは流石に。ここに居られるのは長くても一年といった所でしょう」
一年、というのは方便だ。劉備がいる時点で俺の役目はこの子の育成となるのだろう。
だが旅の医師と言っていたのに、いきなり十年ぐらい居着きますとは言えない。
「まあ修行の身と言っていたから、それぐらいかね。
とにかく、この村にいる間はウチを使うと良い」
「えっ、おねーさんもいっしょに住むの?! やったぁ! かぞくが増えたよっ」
「いえ、それはちょっと……」
「えっ……いやなの? わたしの事きらい?」
「いやいやいや、決して嫌な訳じゃないよ。
ただ私は薬師でもあるから、危険な薬の取り扱いなんかがある。誰かと一緒に住むには色々と不都合があるってだけだよ。
瑠花さん、この村で使われてない家屋等はありませんか?」
「そうなんだ、きらわれてないのは良かったけど、いっしょに住めないのはざんねんだなぁ」
焦らせてくれたお礼と可愛い事を言ってくれたお礼に頭をぐりぐりしてやる。
あぅーと嬉しそうな声を上げる劉備ちゃん。
「使われなくなった家屋ならあるにはあるよ。五年ぐらい前に桃の世話をしている最中にぽっくり逝っちまった人の家がそのまま残ってる。
けど村の主産業である桃園から正反対の位置にあってね、倉庫としても使えずに放置されていたからかなりガタがきてる」
「ガタが来ている程度なら大丈夫ですよ、こう見えて一から家造りをした経験もありますから」
「ほう、旅の医師様ってのは経験豊富なんだな。
なら交渉の際に村長が渋るようなら私が仲介して言い添えよう。それで家の補修が済むまではウチに泊まると良い」
「厄介になります」
劉親子との出会い、それが俺の第三のループの幕開けとなるのだった。
感想、誤字脱字の修正有難うございます。本当に助かっています。