ここからは特に大きく文章を変えていません。
私自身は面白みのない人間である。
生まれは閉じた村だし、私塾に入れたのは縁故だし、義勇軍を成してここまで来られたのは周囲の力が大きい。多くの他人からすれば波乱万丈なのだろうが、曹家孫家の登り詰めた人達からしたら凡庸で、もっと劇的と言える人生を送っている人は多い。私の調査報告なんかは受け取ってると思うんだけど、貴方から見ても多くの面で普通だと判断するんじゃないかな。
でも私、劉玄徳は他の人間と決定的に違う点が一つだけあった。
生を受けてから母と恩人の薫陶を受け、塾に通って見識と友を得、何物にも代え難き義姉妹を得、志を共にする将と兵と出会い、私に付いて来てくれる民達を率いて国を成し、比類なき覇王と剣を合わせた。
濃密な人生経験をなした上での理解なので、間違いはない。
私、劉備玄徳は世界に馴染んでいない。
ふふ、口まで開けてポカーンとしてる。まあ私も何も知らずにそう言われれば同じ反応をしたに違いないけど、覇王様の良い表情を見られました。
ああ、からかうつもりで言ったんじゃないよ、これは完全なる事実。
ともあれ、まずは私の始まり、齢五歳の時から話していこうか。
ある人に出会い、ある人に母の病を治して貰い、ある人に学び始めた年だ。
それまでの私は始まってもおらず、ただ母の期待に応えようとする童でしかなかった。あまりにも普通の子供で、そのある人と出会わなければ自身の持つ異常にも気付かなかったかも知れない。
まあこういう話し方をすれば、そのある人って言うのが私の人生の根幹っていうのは分かるよね。
名を謙信。白いお伽噺の原点だとか、私達の一世代上の偉人を育てた人だとか、色々逸話はあるけれど、まあそんな事はどうでも……良くないって側近の人は思ってるみたいだけど、逸話の詳細についてはここではあまり関係がないから省くね。
大事なのは、その人もまた世界に馴染んでいなかった人だという事。
謙信さんに出会っていなければ『他の人間ほど』等と比較すら出来なかったに違いなく、そして謙信さんという同類、同胞と出会えたから、私は世に馴染もうと思えたのだ。
あはは、顔が赤いって? 謙信さんの事はずっと先生って呼んでたから、姓名で呼ぶのはすごく照れくさいんだよね。あーうん、あれだよ、恋する乙女だよ。
こほん、話が逸れたね。
ともかく、貴方が聞いてくれると言った私の物語は、世界に馴染んでいなかった私が如何にして始まり、世界に馴染もうとどんな努力をしてきたか、それに尽きる。
では最初から全て思い出しつつ、その中から要所だけを抽出しながら話していこう。
私が私を始めたのは五歳の時。
私の記憶には父がいないが、その分大好きな母が居た。
母は私を産んでからずっと肥立ちが悪く、私はそれを何とか出来ないかと身体に良いとされる薬草や虫を探して集める事を日課にしていた。
薬集めは一年近くやっていた日課だ。
一年もやっていたので見回る順路は大まかに決まっていたのだが、その頃は母の様態が目に見えて悪くなる一方で焦りが募り、禁止されていた領域にも足を踏み入れてしまっていた。
私の行動範囲内で立ち入りが禁止されていた場所、それは村の大事な収入源である桃園の中だった。
桃園は大人の同伴無しで子供が立ち入る事を禁止していた。当然の処置であり、破れば厳しい罰則が適応されるのだが、居ても立ってもいられなかった私は桃園中を探索しまくっていた。
よくよく考えれば桃園は毎日手入れがされていたので何かが残っている筈もなかったのだが、幼い私には分からなかったのだ。
だから私はその日も大人達に隠れてこっそりと桃園に入り込んでいた。
ありもしない漢方を探している最中に声を掛けられた。
気付けば目の前に桃の木があり、私は口と目を見開いて驚いた。
お礼を言わなきゃと思って声の聞こえた方を見て、桃の木が目の前にあった時の百倍驚いた。
こんな綺麗な人が存在するんだ、という単純な驚き。
私の認識は村の中で完結していたから、基準は狭かった。
だが彼女(正確には彼だけどこの時は女性だと思っていた)を見て私の認識は拡大した。
私は彼女の事が気に掛かり、村の外の人であったにも関わらず、普通に話していた。
外の人間を見つけたら村に戻って大人に言う事。そんな母からの言いつけに背いた事に罪悪感を抱きつつ、しかし話さずにはいられなかった。
その絶世の美しさに当てられたのではなく、心の奥底から溢れたその人と話したい触れたいという願望が私を突き動かしたのだ。
まずは彼女が誰なのかを聞いた。
謙信と名乗った彼女の名に聞き覚えはなかったが、その声には聞き覚えがある気がした。
次いで彼女の目的を聞いたが、彼女の答えに明瞭さはなく、迷子である、医師であり薬師であるという言葉だけが信じるに値すると思った。
私の感覚は彼女の言葉を信じていたが、大の大人が迷子という不可解さに疑問を感じた私は彼女の懐に一歩踏み込んだ。
私の感覚が正しいという確証が欲しかった私は彼女の目を覗き込んだ。
元より嘘等を見抜く力に長けていた私だったが、目を見ればほぼ外れなく人の感情を見抜けたからだ。
目を合わせ、その瞳を見通そうとして、理解した。
私の感覚は全て正しく、この人は嘘をついていないと明確に理解し、私の心の奥底から溢れた感情もまた正しかったのだと理解した。
この瞬間から私という存在は始まったのだと、今になって思う。
その時に抱いた感情の名前を私は知らなかったが、胸の奥に大事に仕舞いこんだ。何かは分からないが、それがとても大切なモノだとは分かっていたから。
とにかく『この人は大丈夫』という確信を得た私は彼女が医師であるという情報に食いついた。
この人なら母を救ってくれるのでは? と思い、その手を強く引く。
彼女はされるがままに付いて来てくれた。
彼女の手を引き、母と対面して貰う。対面してもらうまでは気にならなかったが、二人の気を対比出来る余裕が生まれた途端に愕然とさせられた。
その頃から気が色として見えた私は淀んだ気が普通だと思っていた。母の気は病からとても淀んでおり、村の人達も高齢が祟って気が淀んでいる人達ばかりだったからだ。
だからおねーさんの真っ白な気を見て驚いたのだ、健康であるならこんなにも気とは光り輝く物なのかと。
彼女は治療を始める前に私に頼み事をしてきた。
母の病状はとても酷く、今すぐに治療を開始しなければいけない。村の人に説明はしたが、信頼してもらう時間も無かったから万が一がある、もし村の人が治療を中断させようとしたら追い返して、と。
こんな子供に真剣に頼み込むんだ、きっとそれはどうしても必要な事なんだと幼心に理解できた私は大きく頷いた。
そして治療が始まり、彼女と母の気がゆっくりと重なり、母の気がゆっくりと白くなっていくのが見えた。
この段階で、ああ、本当に母は助かるんだ、と実感した。
だから大人達がやってきて彼女を引剥そうとしているのを必死になって止めた。
大声を出して体当たりをし、涙を流して鼻水をすすりながら説明した。
私の必死な様子が伝わったのか、村長さんが様子見の判断を下してくれて本当に助かった。
私は村長に感謝をし、彼女の治療の続きをじっと見続けたのだった。
その治療がとても重要な物だと感覚的に理解していた私は、長時間の治療にも関わらず無心の集中を続ける事が出来た。
お蔭でそれまではぼんやりとしか分かっていなかった”気”というものの本質を理解する事ができた。
気で何が出来るのか、何に影響を及ぼすのか、使い方、使った時の反応などなど、超高等技術から見て学んだ事は私の人生において非常に役立つのだが、この時の私はそれを知らない。
母は治療終了と同時に意識が落ちたが、淀んだ気が真っ白になったのを見て治療が成功したのだと知り、特に混乱もなかった。
私は溢れだす喜びに居ても立ってもいられず、大きくお礼の言葉を言おうとして、母を起こしちゃ駄目だと気付く。
この感情をどうしようかとあたふたするが、彼女が用事をくれたので、感情の発露の為にも外へと駈け出すのだった。
心の高まりは収まることを知らず、ご飯の用意をし始めていた村長を無理やり連れ出す暴挙を躊躇いなく行う。
村長は仕方ないという様子で私に引っ張られ、すぐに家に着いた。
村長と彼女がしばらく話し、何故だか彼女が村長を治療する事に。
村長が治療を受けている時も私はひたすらに彼女と患者である村長さんを見続けた。
彼女の白くて美しい気が村長の身体中を細く長く伝っていき、淀みを駆逐していく様は見ていて面白かった。
治療はものの数十分で終わり、村長の身体から淀みがほぼ消えていた。
その後すぐに村長の態度が変わったので、少しぽかーんとしてしまった。
大人の急激な変容に驚いてポカーンとしていた私だが、気付けば彼女と一緒にご飯を食べていた。
そのご飯の美味しさに意識が戻ったのだ。
先ほどの事は一切忘れて、彼女の料理に舌鼓をうつ。
そして気付けば布団に入って彼女の話を聞いていた。
遠い昔の、けれど何処か他人の話とは思えない物語だった。
皆が幸せになった所で話が終わり、私の気力も限界を迎えた。
今日は良い夢が見られそうだと思ったけれど、その日見た夢は悲劇で、悲恋の内容だった。
翌朝私は怒声で目が覚めた。一年前に完成されていた反射神経で言い訳と共に身体が跳ね起きた。
焦りを感じながら目の前に立つ人を見上げて、それが母だと気付いて、私は目頭が熱くなった。
母は良く怒る人だったけれど、ここ一年もの間は怒られなかった。
母の教育方針が叱るから褒めるに変わったからだ。
それは最後の最後は優しくしたいという母の願望と、最早怒る体力も無くてそうせざるを得なかった母の実情があった。幼かった私ははっきりと分からなかったが、何となくもう大声で怒られる事はないのだろうなぁと寂しく思っていた記憶がある。
だから今ここで怒られているという事は、最後が最後では無くなり、怒る体力が戻ったんだと理解できた。
怒られるのは好きではなかったが、怒れる母を見て嬉しくならない筈が無く、泣かない筈が無かった。
その後彼女の今後について話をしていたが、どうやら一ヶ月ほど居てくれるらしい。
私は出会った当初から彼女の好感度は最大だった。最大だったのに、母を救ってくれたからもう大変。好感度は最大を超えて振り切っていた。
家に泊まってくれると思い、喜びの声を上げた私に待ったをかけた彼女。驚き泣きそうになるが、ちゃんとした理由があって一安心。
彼女は母とのやり取りの後、村長の家に小屋を貰い受ける許可を取りに出向こうとした所、丁度村長が私の家にやってきてくれた。
母の様子を見に来てくれ、また改めてのお礼をしに来たと話す村長。その手には快方祝いの桃が入った籠が握られていた。
私達は礼を言い、皆で桃を食べた。生産者の私達でも食べる機会はない甘味であり、皇帝への献上品に選ばれる程の品質に間違いはなく、皆が蕩ける笑みを浮かべる。
桃を食べ終え、彼女は改めて村長に話を通した。
村長としては守護役の治療と村人の治療による報酬及び待遇がその程度で良いのかと逆に渋っていたが、彼女は煌めく笑顔で頷いた。
けれど最後に『ああそうだ、物を教えたいのですが、生徒を募集してよいですか?』と付け加えた。
訝しがる村長に彼女は『上級と特級資格者は後進を育てる事が義務付けられているのです。一時的とは言え一箇所に留まるのですから、その義務を果たそうかと。とはいえ薬の知識は門外不出なので、教える内容は算術などの一般教養になりますが』と言う。
明確な理由を述べられて渋い表情のまま深く悩む村長。
生産者として労働力が取られるのは困る、しかし学があれば商人との交渉が有利になるかもしれないと悩んでいるようだ。
彼女は『報告の義務等がある訳ではないので、あくまで形だけで構わないんです。暇な人が話を聞きに来るなら開講するとか適当で構いません。なのでとりあえず教室を開く許可だけ下さい』と言った。
村の皆も一日中働いている訳じゃないので、良い暇潰し、鬱憤ばらしになるかも知れないし、学が増えるのは基本的に良い事であると村長は首を縦に振った。
危険思想を教えない事、村の外へ出る扇動をしない事だけ確約し、彼女が塾を開く許可が降りた。