改稿済み。
「この劉邦には志と責任がある!背を向ける恥を晒そうと生きねばならん!!」
劉邦と名乗りを上げた女はそのまま華奢な女の手を引っ張って走り出した。
俺は思わず舌なめずりをした。
目標が見た目も良く肉付きも良い女で、その連れていた少女もこれまた美しかったからだ。捕まえた後が楽しみで仕方がない。
あの新参の男、名前を何と言ったか……まあ名前なんて重要じゃない。ともかくその新参の男が持ってきた情報に乗っかって良かったと心底思った。
今朝の事である。
あの武力だけは高い新参が、頭に上手い話を持ってきたと言って来たのが事の始まりだった。
なんでも劉邦という沛県の県令をやっている女が、一人で近くの村に出掛けたと言うのだ。
その時点で相当にうそ臭いのだが、世話をしていた門番からの確かな情報で、新参が知る劉邦の奔放さなら有り得る事なのだと力説する。
俺は傍で話を聞きながら、新参の話を疑っていた。こいつは俺達を売って、その手柄を持って役人に舞い戻ろうとしてるのでは?と。
頭はうむ、と大仰に一つ頷き、押し黙った。
長く盗賊として生きてきた頭は国中を移動する商人に迫る情報量を持っている。恐らくその情報を整理しているのだろう。
しばらくして頭は新参の話を信じる判断を下し、今出せる中で最大限の戦力を新参に貸す事を決めた。
新参は百人を超える仲間と馬を貸し出されてご満悦の様子。傍に控えていた俺に実際の指揮を預けると言われた時はむすりとしたが、新参のお前にそこまでの権限を与えられるわけないと正論をかざせば、渋々ながら引き下がった。
奴はふてくされたように、早速準備をすると言って頭の前から足早に去っていった。
俺は奴に対する疑念が拭えず、頭に本当に大丈夫なのか?と聞く。
頭は本当だった時の旨みを考えれば当然だと言った。しかし、本当にそれだけか?更に突っ込んで聞くと頭は嬉しそうに、
お前が信頼できると思った者で半数を固めて指揮を取れ。馬と弓もお前の指示を聞く奴で組み込め。残りはあの新参を筆頭に消えても良い奴らを入れろ。それで、あいつが裏切ったり下手を打ったらさっさと始末して逃げてこい。
なんと頭は裏切られても良いと思ってるようだ。いやむしろそっちの方が、処理の難しい身内の始末ができ、軍の動向も探れるから良いと言う。
そういう考え方もあるのかと感心する。
頭は念のために拠点を移動すると言い、俺にだけ拠点の場所を教えてくれた。
期待されている、ここで活躍すれば褒章もたんまりだろうと否応無しに意気が上がる。俺は頭の目論見を成功させる為、信用の置ける古参連中を誘いに行くのだった。
そうして集めた古参仲間は四十人程。全体の半数を割ってしまうが、倍の相手だろうが処理できるだろう手練を集めた。馬もある、万が一逃げる場合には少数の方が都合が良い、まあ妥当な人数だろう。
襲撃場所として沛県寄りの森を選出。その森の外周から見て回り、待ち伏せ等の罠が張られていないかを慎重に確認。
何も無いようなので森の中を探索する。
森の中には山も谷もなく、人が潜める場所はない。
ここまでくると新参の話が真実味を増す。
軍が後からやってくる可能性もあるにはあるが、森を包囲するにはかなりの人員を割かなければいけない。今慌しく動いている軍にそんな余裕はないだろう。
新参が俺達を騙そうとしているという線は消していいか、と判断する。
襲撃に都合の良いの場所に潜み、新参の奴らの後方でしばらく様子を伺っていると、馬が一頭だけ走ってきた。
情報は本当だったのかと改めて内心で驚きつつ、俺は矢を番えて、放つ。
矢は馬の足付け根部分に上手く当たり、馬は転倒。しかし乗り手はすぐに跳び退り、道のすぐ脇に避難した。
……凄まじいな。
暴れる馬の背を蹴った判断力と軽業。着地する隙をつくように他の弓手がすぐさま追撃をしたのだが、的確にその全ての矢を避けた身体能力。弓手の射線を把握し、それを完全に塞ぐ木を選んで隠れる察知能力。
大した根拠もないのに無駄に傲岸不遜な新参が、劉邦に対するならば百人は欲しい、と強く推した理由が垣間見えた。
そして新参が馬鹿みたいに自分の正体をばらして時間を稼いでいる隙に、俺達は沛県を阻むようにじわりじわりと展開を始める。あんな化け物染みた反応を見せる相手に隙を晒す訳にはいかない、ここは半包囲に留めて様子を伺う。
「この劉邦には志と責任がある!背を向ける恥を晒してでも生きねばならん!!」
逃げ出す前の啖呵は本物の覇気を持っていた。
そんな中身も伴った美人と、情報にはなかった美少女が森の中へと逃げ出す。
少女の方は相当にどんくさいようで、時折こけかけたりもしているようだ。
……さてどうするか。
後々の利用価値を思うなら殺す訳にも行かない。
出来るのなら弓か剣で手足を狙い、動けないようにするのが最上だ。
しかし剣を振るうにも近付かなければいけない。少女と言う足手まといがいる今、追いつくのは簡単だが、手痛い反撃を食らう事は明白。
数で押せば制圧は出来るが、切り込む人間はただでは済まないと誰もが分かっているし、手加減ができないだろうから殺してしまうかも、と二の足を踏んでしまっている。
ならば弓なのだが、殺さないようにと狙いを定めようにも、森の中で動いているとあって非常に狙いにくい。そもそもあの反射神経があれば剣で切り払う事も出来るのではないだろうか。
試しに一射してみる。振り返ることすらせずに避けられた。
おいおい、後ろに目でもあるのかよ。これは矢の無駄になる。精神を削る目的で時たま射る程度に留めよう。
圧倒的に有利でありながら膠着状態。
だがそれでいい。先に疲れ臥すのは確実に向こうである。今は手を出さずに追い詰め続けるだけでいい。
新参すらもそれを理解して突出を自重している。
はてさて、いつまで追いかけっこが続くのやら。
時たま矢を仕掛けたり、包囲しようと動いて見せたり、気勢を上げたり、三十分も揺さぶれば……木々が少し拓けた場所で、少女がついに倒れ込んだ。
劉邦が少女を起こそうとするが、どうにも動けないようだ。三十分も極限状態に置かれたのだ、心身ともに疲労困憊だろう。
劉邦は少女を起こすのを諦め、一際大きな木の傍まで少女を抱いて移動し、木と少女を背にして前に出てた。
剣を抜き、構える姿は堂に入っている。その姿に呼応する様に新参が前に出た。
奴に目を引かせている隙に包囲を進める。少女ほどではないにしろ、劉邦も疲れを隠しきれていない。もはや薄い囲いでも突破する力は残っていないだろう。
「おやおや、逃走劇もここで終わりですかな?」
「この娘を置いていく事は出来ぬからな」
「どのような身分の娘かは知りませんが、その娘を捨てていけば逃げ切れたかも知れませぬぞ」
「はん!思ってもいない事をぬかすな。森の外に馬をそれなりの数待機させているのだろう?それに二百には届かんが、百と少しか?お仲間も随分といるようではないか」
ほう、逃げている最中にそこまで掴んだのか。本当に侮れん奴だ。
「そこまで理解されているのなら、投降しては如何か?さすがの貴方もこの数の手練を相手にするのは不可能でしょう?」
取ってつけたような敬語とねっとりと湿り気を感じるような声が気持ち悪い。身内とはいえ、心底気に食わない奴だ。
「……劉邦様、私を置いて逃げてくださいまし」
「それは出来ぬ!!」
「ならば、私を殺してください。あのような者達の慰み者として生きるぐらいなら、貴女の手にかかって死ぬ方が私にとっては救いです」
少女は劉邦の服の袖を強く握り締め、訴えた。
くそ、この流れは良くない。
「白……分かった、私もお前が他の人間の手にかかると思うと腸が煮えくり返る」
これをさせない為に新参に散々挑発させていたというのに……。
残しておいた矢にとっておきである麻痺毒を塗り、すぐに番えて放つ。他の弓手も続々と矢を放つが、
「ちっ!」
やはり剣で切り払われる。
だがこれで、
「ええい鬱陶しい!」
新参共が近づく為の目眩ましにはなったようだ。
乱戦になれば弓の出番はない。ゆっくりと観察に回ろう。と思っていたのだが、
「私と白に近付くな!」
不用意に切りかかった四人が一振りで胴を真っ二つに切られ、
「下がれ下郎がぁぁぁっ!!!」
圧力すら感じる咆哮によって完全に流れが絶たれてしまった。
遠くにいた俺ですら鬼気に呑まれて身体が震え、呼吸が止まった。近くにいた奴らの中には意識を飛ばしてしまった者もいるようだ。
「はぁはぁ、すまない白、ここまでだ」
だがそれまでだ。劉邦から覇気が消え、血塗れた剣の切っ先が微かに震えていた。
随分と驚かせてくれたが、あれは最後の力を振り絞った悪あがきだったらしい。
それに目敏く気付いた古参連中は早速立ち直りつつある。だが新参共はまだ意識をやっているらしい。
ちっ。
奴らの気の弱さと、微妙に奴らが射線に被って狙いがつけられない事に強めの舌打ちが出る。
用心の為、古参の歩兵連中を完全に下げていたのが裏目に出たな。
「謝らないでくださいまし劉邦様、最後に貴女の雄姿が見れて私は満足しております」
「本当にすまない、白。私もすぐ後を追う」
そう言って少女は震える身体を晒し、微笑んだ。
劉邦は少女に向き直り、剣を突き出した。
少女は貫かれ、血が吹き出る。
ゆっくりと倒れる少女。
劉邦は少女を抱き止め、静かに地面に横たえた。
劉邦は遺体に背を向け、高らかに声を上げた。
「この命、志と責任の為に使うと誓った。だが私が仲間の躓きになってしまうのなら、今ここで散らしてしまおうではないか!」
劉邦は血に濡れた剣を逆手に持ち、自分の腹に勢い良く突き刺した。
膝をつき、うつ伏せに倒れる劉邦。
皆が動けず、その自害をただ眺めているだけだった。
他の奴らが動けなかった理由は分からない。
だが俺は、そのあまりに美しい有り様に、完全に呑まれていたのだ。
奇妙な余韻に呑まれて、どれだけの時間が経ったのかわからない。
とはいえ、そこまで長時間ではないだろう。頭を振って意識を覚醒させ、視線を二人の方に向けると……再び俺達の時間が止まった。
「あれ、私……劉邦様に……」
いつの間にか少女が体を起こし、刺されたはずの箇所を触りながら首を傾げていたのだ。
夥しい血に塗れながら、少女は平然としている。
その差異からくる違和感は、少女の姿を不気味なものにしていた。
「そうだ、劉邦様?」
少女は傍に倒れている劉邦に気付き、すぐさまその身体を揺さぶった。
「劉邦様?」
しばらく揺すり続けて、息絶えているのを理解した少女は、
「ああ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
魂が裂ける様な悲鳴を上げた。
その声に心胆が震える。
「貴様らが、劉邦様をっ!!」
気品があり、か弱いただの少女が、”何か”に豹変した瞬間だった。
少女は目の前に立つ新参者達を睨み付け、憎悪を叩き付けた。それは劉邦の覇気とは別の迫力を伴って周囲を飲み込み、縛った。
ゆっくりと立ち上がり、劉邦に切られた誰かが持っていた剣を拾い上げる。
目の前の少女が分かりやすい脅威を持った所で、目が醒めたのか、それとも恐怖が振り切ったのか、意識を取り戻した新参の一人が悲鳴のような大声を上げた。
狙ったのかは分からないが、それは少女の不気味な雰囲気を払うのに一役買った。身体を縛る何かを完全に払拭出来たとは言い難いが、多少動けるようにはなったようだ。
「おいおいお嬢ちゃん、そんな細っこい身体で剣が振るえる訳ないだろう?劉邦も死んじまったんだ、もう大人しく俺らに付いて来な」
動けるようになったらまず口を動かすというのが如何にも奴らしい。しかし軽口が少し震えている。恐怖を誤魔化しきれていないのが丸分かりだ。
少女はゆっくりと歩を進めながら、呟く様に答えを返した。
それは囁く程度の音量であったはずなのに、遠く離れている俺の耳にしっかりと届いた。
「他の者も憎い、だけど殊更貴様が憎い。劉邦様の温情で見逃されておきながら、仇を返した貴様だけは絶対に……許さない」
「ははっ、劉邦の奴に俺の事を聞いたのか?まあ聞けよ、俺はあいつが憎かったが、それでもやっぱり生かしてくれた事には多少なりの恩を感じてたんだぜ?殺すつもりはなかったんだ、本当だって」
奴の口上は止まらない。
目の前にいるのは見掛けただの少女なのに、大の男が何をそんなに震えながら多弁を弄しているのか。
それはこの空気の中にいる人間にしか分からないだろう。
「だからな、あいつが大事にしていたお嬢ちゃんの待遇を良くするぐらいの事はするぜ?そうだよ、元々憎かったのはあいつだけだ、お嬢ちゃんは客人として持て成すからよ、だから、ちょっと話し合おうぜ!!」
混乱と焦燥から支離滅裂に言葉を走らせる奴に、少女は一切の反応を返さず、歩を進める。
気のせいだとはわかる、が、少女が一歩進む毎に、何かの呪縛がきつく身体を縛るように感じる。
少女をなんとかしなければと、さっきから弓に矢を番えようとしているのだが、こうも手が震えてしまっては逆に危ない。
湧き上がる恐怖に情けなさを感じるが、その情けなさが俺を助けた事をこの後思い知らされる。
「おい、お嬢ちゃん、だから、止まれよ………止まれって…………止まれぇぇぇぇっ!」
ふらふら揺れながら、ゆっくりと歩を進めていた少女があと数歩の所に迫った時、新参の何かがとうとう切れた。
雄叫びを上げて少女に切りかかる。
そこからは俺の正気を疑われても仕方ない光景の大盤振る舞いだった。
少女の手がぶれたと思ったら、新参の首が飛んでいた。
俺の口からも、周囲にいた連中の口からも、は?という声が零れた。
持ち込んだ計画が上手く運び、もう一歩で成功という所まで漕ぎ着けた男の人生は、呆気なく終わりを迎えた。
驚愕は続く。
あまりの驚きに目を剥いていた俺達の前から少女の姿が消えた。次の瞬間、新参の後ろに付いていた五人の首が落ちた。
首がなくなり、血を噴出しながら倒れる身体。その血しぶきの向こう、少女はいつの間にか劉邦のすぐ傍に立っていた。
いつ動いたのか分からない。
弓を使っているだけあって、俺の目はかなり良い。だが自慢の俺の目は、今全く機能していない。
「貴方達はどうします?直接の原因は殺しましたから、私の復讐心は最低限収まりました。いずれ貴方達にもけじめをつけて頂きますが、それよりも今は劉邦様の埋葬してあげたいのです。
ですが、私の復讐心を満たすお手伝いをして頂けると言うのなら、さほど時間もかかりませんし、先にお相手いたしますよ?」
先ほどの憎悪に満ちた声から一転、少女は底冷えするような平坦な声で語りかけてくる。
逃げたい、と心底から思った。
が、動けないのだ、少女の瞳と声が周囲を凍らせている。
「この化け物めっ!!」
俺の隣にいた、古参仲間である弓手が悪態を吐きながら矢を放った。
弓に関する勘は俺以上にある人物であり、矢は真っ直ぐに少女の皮を被った何かに飛んでいく。
そいつの悲劇は、団一番の弓の腕前を誇っていた事と、弓以外の勘が壊滅的に悪かった事だ。
少女は飛んできた矢を平然と素手で掴む。
驚くべき光景だが、少女ならそれぐらいしてもおかしくないと、思考が麻痺していた。
「貴方の答えはこれですか」
そう言って少女は地面から何かを拾うと、軽い投擲動作でそれを放った。
放ったと思った瞬間、隣から聞いた事の無い鈍い音がし、少し遅れて後ろから異音が響いた。
恐る恐る隣を見ると、頭を無くした仲間の姿。振り返れば拳程度の血塗れの石が木にめり込んでいる。
その光景を見て、少女は鬼になったのだと知った。
「さて」
少女はとても軽い声を出して、
「他の皆様方も、彼と同じ答えと受け取ってよろしいですか?」
と問うて来た。
その言葉の回答は行動ですぐさま返された。
恥も外聞もなく、誰もが叫び声を上げ、助けを乞いながら少女に背を向けて逃げ出した。勿論俺もだ。
微かに残った理性で、古参の連中にだけわかる符丁で合図を出した。
森を抜けた所で集合し、次は笛を吹いて、騎兵を呼び出す。
すぐさま騎兵はやってきた。
俺は騎兵十名の中で確かな腕を持つ2人を選び、森と沛県の間を見張るよう指示を出す。
事情は話さない。あれは自分の目で見なきゃ信じれない代物だ。その代わりに森には近づかないように、何か出てきても決して手を出さないように、日が完全に沈む頃に撤退して情報を持ち帰るように、と強く念を押す。
最低限の役目を果たした俺は、震える足と心を叱咤して、すぐさまその場を離れるのだった。
以降はこういったダイジェスト風味が多くなります。