今昔夢想   作:薬丸

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同日二話投稿です。


82.引き伸ばした門出

 絶望的と言われていた母の命が救われた、短期間に旅医者が二人来た、村に数十年ぶりの盗賊が襲ってきた。私が村にいた期間で特筆する三つの事件後、私達家族を含め村全体でごくごく平凡な日常を送っていた。

 

 私は毎日を先生の元で学び、先生と母と共に鍛錬をこなし、日が暮れれば部屋の灯火を頼りに内職をする。

 時折桃の収穫を手伝い、近隣の村に筵や草鞋を売り歩いたり、けが人を治療したりと、変わりない日を過ごしていた。

 そんな折、一通の便りが届いた。差出人は盧植先生、内容は入塾のお誘いだった。

 

 母の友人である盧植という人がとても高名な人だとは知っていた。

 商人の人や見回りしている兵士さんの話を聞くに、帝の側近に意見を求められる程の人物らしい。

 その時の私からしたら雲の上の話で、とりあえずすごいって事しか分からなかった。

 

 そしてそんなすごい人から私塾に入らないかと誘われた私は実感のないまま母と先生にどうしようかと相談をした。

 母も先生も私塾入りには大賛成といった様子で、私が頷けばすぐにでも村を出られてしまいそうな雰囲気で、思わず私は大声で待ったをかけた。

 そんな反応をした事に驚かれた。

 

 盧植先生は世間的にも有名な人で、その私塾には毎年大勢入塾の希望を申し入れる。そして私は誘われた側なので、審査など無く入れる。

 母の古くからの友人で、その人となりも善良だと分かっている。

 母のような用心棒か先生のような医者を私が志している以上、外に出て経験を積む事は必須。

 この四年で十分に学び、十分に鍛えた。年齢的にはまだ早いが、もう村を出て独り立ちが出来る実力は備わっている。

 と、ここを出る理由は数あれど、出ない理由が皆無な状況だったので、二人の反応は当然と言えた。

 

 正直に言うと、覚悟がまだ出来ておらず、甘えていた。阿陀兄さんが出ていった時から何も成長していなかった。

 だから準備がまだ出来ていない、まだ先生から教わりたい事があると言い、駄々をこねたのだ。

 そうして私はわがままを受け入れてもらって村を出るのを先延ばしにし、更に二年を村に留まるのだった。

 

 

 が、四年という年月が一瞬だったのだ、二年間など瞬きの間よりも短い。

 平穏で温かい、先生漬けの日々もとうとう終わりが来た。

 もう教える事がないというお墨付きを貰った翌朝に、そろそろ資格試験でも受けに行きます、と最後通牒のような別れを切り出された。

 

 本当は二年前に一度別れを切り出されている。盧植先生からの誘いが来た時、私が決断を下しやすいように、もう十二分に劉備ちゃんを鍛えたし、村の周辺にある街や村に患者は一人もいなくなったからそろそろ旅に戻ろうかと思う、と言われたのだ。

 だけれども、私は教わりたい事がまだまだあると言って無理やり引き止めた。あれもこれもと言って、しかし二年で本当にもう何も無くなった。

 二年引き止めて、それでも別れを思うと悲しかったが、もう打つ手が無い。

 二年前から精神的にも成長した私は、好きな人を前にして無様に駄々を捏ねる事も出来なくなっていた。

 

 

 村の人は告げられた別れに対し、とても穏やかな反応だった。

 先生を惜しむ声は多かったが、近隣の村にも医者が常駐してくれるし、恩人の未来を閉ざすような無理な引き止めなどは一切行われなかった。

 一週間後に送別会の日取りが決められ、村人は準備に奔走した。

 村の皆が先生から受けた恩は多大だ。

 村人を健康にしてくれた、村人を美しくしてくれた、赤子の出生率を上げてくれた、草木の管理方法を教えてくれた、桃の品種改良方法を教えてくれた。他にも数えきれないほどの恩義があった。

 だからその分盛大に送別会を開こうと村人一同の考えが一致し、あれもしようこれもしようとどんどん規模が膨れ上がり、一年に一度開かれる豊穣祈願の祭り並の準備となってしまった。

 

 送別会当日、『これ、私を理由に騒ぎたいだけでしょ』と言って先生は苦笑いをしていた。

 勿論それもあるが、基本的には先生への恩返しです。

 

 この恩返しのお祭りに私は参加できなかった。

 私が行ったら、きっと泣いて和やかな雰囲気を壊してしまう。

 その日は祭り囃子を遠くに聞きながら、ずっとずっと覚悟を固めていた。

 早い時間に帰ってきた母にその覚悟をぶち撒ける。

 母は私の覚悟を知っていたかのように、笑って受け入れてくれた。

 

 

 送迎会翌朝、私は先生の家の前に居た。

 先生は早朝に出るという事で見送りを固辞したらしいが、私は無理やり見送りに来た。

 日が昇る前から先生の家の前に陣取って待機する事三十分、空が白み始める頃に先生が出てきた。

 荷物を背負い、白い上衣を着込んだ先生は六年前と変わりない姿だったけど、私の視点が高くなった事で時の経過を知る。

 私が外に待機している事は分かっていたようで、先生の顔に驚きはない。ただ苦笑だけ浮かべ、おはようと挨拶をくれた。

 私もおはようございますと返し、しばし見つめ合う。

 先生からは授業の最終日に別れの言葉も何もかもを貰っている。だから先に切り出すべきは無理やりやってきた私からである。

 だから先生は黙って待ってくれている。

 だけど私は中々言葉を発することが出来なかった。私の覚悟を拒否されたらどうしようと頭の中で考えてしまった。

 怖くなって喋れない、喋れなくて間が空いてしまうから感情が零れそうになる、感情が零れそうになるから喋れないと、悪循環が続く。

 先生は根気強く黙ってくれている。

 ああ、ここに来ても先生は先生でいてくれている。そう理解すると深い喜びと、何故か少しの寂しさもこみ上げてきて泣きそうになる。

 けれど泣けない。二年間引き止め続けた負い目があるのに、ここで涙を流すのは無様が過ぎる。

 私は意を決して言葉を発した。

 

「母を救ってくれて、村を良くしてくれて、多くを教えてくれて、先生が居たから私の人生はとても豊かになりました。

 そしてそんな恩人である先生を長らく拘束してしまい、申し訳ありませんでした。

 今までいっぱい有難うと御免なさいでした」

 

 私はそこで頭を深く下げる。

 そして体を起こし、先生の目を見つめ、話す。

 

「そしてお願いがあります。

 先生の旅に私も連れて行って貰いたいんです」

 

 私の決意を込めた言葉を聞いて先生は、

 

「私も瑠花さんも何時切り出してくるのかと思ってたよ。ここ迄ぎりぎりとは思ってなかった。

 良いよ、断っても無理やり付いて来るだろうしね。二つばかり条件を飲んでもらうけど」

 

 と少し苦みの混じった笑みで答えてくれた。

 えっ、と驚くが、当然の事だった。私を私以上に知っている二人だ、こう言い出すなんてとうの昔に知っていたのだろう。

 私は気が抜けて膝から崩れ落ちそうになるが、これから旅に出るのだ、ヘタっている時間はない。

 

「ちょっと物を取ってくるよ。

 劉備ちゃんが来なかった場合に書き留めた手紙が部屋に置いてあってね、処分しなくちゃいけない」

 

「えっ、捨てちゃうんですか? 私貰っていいですか?」

 

「駄目、別れないのに別れの手紙を渡すとかおかしいだろうに」

 

 そう言って先生は家に戻っていった。先生が私の為に書き残してくれた手紙は非常に名残惜しいが、先生の言う通りなので仕方がない。

 そして数分ほどして先生が表に出てきた。

 

「お待たせ、じゃあ行こうか劉備ちゃん」

 

「はい! あの、けど、私はいつまで劉備ちゃんなのでしょう?」

 

「言ったでしょ、私の生徒でいる間はお子様扱いなの」

 

「うぅー」

 

 不満気な顔を隠さないでいると、先生はわしゃわしゃと私の頭を強めに撫でる。

 子供扱いは気に食わないが、こういう親愛表現が嫌いじゃないので板挟み。

 

「条件について言わせてもらうと、期限は半年。これ以上はもう無い。そして期限が来たら盧植の私塾に入ってもらう」

 

「半年……ですか?」

 

「もう教える事はないが、旅の中で実践し経験を積む事は多い。それを教え終わるのが大体半年になる。

 塾に通わせるのは人間関係の構築の練習」

 

「それは必要ですか?」

 

「絶対に必要。以前劉備ちゃんの将来を聞いた時、母のような用心棒になるか、私のような先生または医者になりたいと言っていたけど、今も変わりない?」

 

「はい、誰かを守る立派なお仕事だと思いますから」

 

「教師や医者になるには近隣都市の役人と顔を繋げておく必要があるし、用心棒なら交渉術が必須だ。

 それらを補うのに塾というのは都合が良い」

 

「先生が仰るなら、そうなんですね」

 

「まあ今は私の言う通りにしているだけでいい。旅の中で、塾に通う中で自己を確立していきなさい」

 

 そう言って先生は優しく頭を撫でてくれた。

 

 

 私が家に戻ると、全てを悟ったような母がいた。

 

「塾を卒業したら一度戻っておいで。そしてあんたがしっかりと大人になっていたら、私がこの村に来た理由を話して、家宝を渡す」

 

 と言って大きな旅行鞄を渡してくれた。

 

「あんたが裏でこっそり準備してたのは知ってるけど、あんなのじゃまだまだ足りないよ。本当に必要なものも含めてこれに詰め替えおいたから、持ってきな」

 

「お母さん……うん、ありがとう!」

 

「あんたの夢が叶うかどうかは分からない。けれど失敗して挫けても、あんたには帰ってくる場所がある。それだけは忘れずに、行ってこい」

 

「うん、行ってきます!」

 

 多く語る事はなかったが、それで全ての思いが伝わった。

 ああ、絶対にここに帰ってこよう。胸を張って帰ってくるのだと、固く誓うのだった。

 

 

 二人の旅はとても面白かったし、全く面白くない物でもあった。

 知識と経験は別物であると知れたのは非常に為になったし、先生と二人きりで毎日を過ごすのは気分が高揚した。

 けれど世間という物を知り、これ程までに世は荒れているのかと愕然とした。

 悪が蔓延り、悲鳴が遠くに聞こえ、罵声が飛び交う。

 先生は手の届く範囲でそれらを排除し、救ったが、誰も褒めてはくれなかった。

 私はその事を抗議しようと思ったが、先生に黙って首を振られた。

 何故だと思い、彼らを観察して気付いた。そんな余裕が無いのだ。

 礼を言えば見返りを求められるのが普通だと思っているから、誰も弱みである感謝の言葉を発しないのだ。

 

 ここに来て私は桃花村は綺麗な場所だったのだと、その綺麗な場所を村長や母は懸命に守っていたのだと知った。

 世界の荒廃、桃花村の尊さ、母達の努力を知って泣きそうになる。

 

 そうして私は決意した。

 この状況は絶対に間違っているから、正さないといけない。

 だから私は守るためじゃなく、正すための道を選ぼうと。

 

 半年間、私は先生から学んだ知識を最大限活用して経験を得た。

 先生の手解きや補助を受けながら、失敗した時は泥を被ってもらいながら、なりふり構わず成長した。

 先生には色々と迷惑をかけたが、私は君の先生だから、と言って全てを受け入れてくれた。

 本当に先生には頭が上がらない。何時か必ず恩をお返ししますから。

 

 そして全てを修め終わった半年後、私は盧植先生の弟子となった。

 そこで私は知る。正すべきは民ではなく、人の上に立って率いる人間達こそなのだと。




誤字脱字の修正と感想、有難うございます。
日曜日にゆっくりと時間が取れそうなので返信させて頂きます。

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