今昔夢想   作:薬丸

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78話に文章を大幅に追加しました。
回想導入部分の強化です、回想そのものに変化はありません。
手間を取らせてしまい、申し訳ありません。


85.変わり続ける変わらぬ故郷

 最寄りの村から四日と少し、私の嗅覚が桃の香りを捉えた。

 多分もう三十分ほどで着くだろうと関羽さんと張飛ちゃんに伝え、馬の歩みを少し早くする。

 

 出会ってからここ数日、私達は多くの言葉を交わした。

 内容の多くを占めたのは彼女達への授業と時代の推移予測と私達の展望だ。

 授業の内容は様々。直近で必要なのは字と計算、護衛の旅をするなら礼儀作法も必須だ。

 関羽さんは学べる全てに興味を示して貪欲に知識を吸収し、張飛ちゃんは興味のある事はするりと覚える。学がない、武一辺倒だと言っていたが、才能はとても豊かだ。まあ関羽さんは礼儀作法を教えた途端、私に対してとても堅くなってしまったし、張飛ちゃんは興味の引かないものに関しては触れようとも思わない、と少し懸念する部分もあるが、概ね良い成果を得られたと思う。

 

 

 ここまでの歩みを振り返って満足をしていると、桃の香りがより強くなる。

 そして、

 

「あっ」

 

 一枚の桃の花弁が私の元までやってきた。 

 まだ桃園には遠いが、その色がはっきりと映る所までやって来られた。

 桃色に染まる視界に私は嬉しくなり、気付けば馬の腹を蹴っていた。

 

「やぁっ」

 

 そのまま飛ばして家屋の近くまでやって来る。

 桃園から最も遠いその家屋、桃園から遠い立地にも関わらず妙に立派な家屋、実家の次に長く過ごした……いや物心ついてからというなら私が最も長く過ごした家屋だ。学び舎部分も居住場所もどちらもが思い出深い。

 馬を降り、居住用の家の前に立つ。それだけの事なのに私は急激に胸が締め付けられ、涙が出そうになる。

 

 村での思い出や郷愁、大きかった学び舎が思ったよりも小さい事、いつも綺麗にされていた学び舎が少しくたびれている事、何よりも先生との全てが鮮明に思い出される。

 もう誰がいる訳でもないだろうに、私はその郷愁に突き動かされて扉を開けようと歩を進めて、耳に微かな音を聞き、目の端に真新しい足跡が残っているのを捉えた。

 心臓の鼓動が跳ね上がる。

 元々ここは桃園から最も遠く、倉庫としてすら使えないと判断されていた家屋だ。先生が色々と改築していたとはいえ、誰かが住むなどして再利用している可能性は低い。

 物盗りという可能性も低い。先生が引き上げる際に家具類は村の人に、薬の類は最寄りの医者に全て配ったのだ。それに村の方も長閑な気配しかせず、盗賊が村を襲っている訳でもなさそう。

 という事は……という事は!

 

「先生っ?!」

 

 バタンと扉を開け放ち、中に入る。

 中には一人の人物が仁王立ちで待ち構えていて、にやりと笑ってこう言った。

 

「謙信さんじゃなくて残念だったねぇ。にしても阿備、五年ぶりに会う実の母に対して何故そこまでがっかりした表情が出来るのか、そこの所を詳しく教えておくれよ」

 

「あ、あはは、えっと、ごめんなさいお母様。壮健な様子で何よりでございます」

 

「ああ、病気の一つもなく壮健そのものだったよ。

 それで馬鹿娘、あんたはどうだったんだい?」

 

 にやりとした顔のまま、しかし母の視線と気配が恐ろしく鋭くなる。私は今試されているのだとすぐさま理解した。宮廷にて権謀術数で殺し合う奴らのような考えを見透かすやり方とは違う、武官特有の違和感を見抜く事に長けた眼が私に向けられている。

 それを感じた私は心胆から気を練り直し、母の目を見返して応える。

 

「多くの人から多くを学び、心身ともに成長したと確信しています」

 

 言葉を尽くして多く語るより、本当にそうだと思える一言に感情を込める。

 そして返ってくる沈黙と重圧を、身動ぎも揺らぎもせずに受け止める。

 

「うんうん、ふむふむ、なるほどなるほど、見栄えだけ良くなった訳じゃあ無いようだね。気も研ぎ澄まされてるし、動作も仕草も洗練されている。我が恩人と我が友は、大事な娘を上手く育ててくれたようだ。

 我が家では無いのが格好つかないが、あんたの成長と帰郷を誰よりも嬉しく思うよ。

 おかえり、桃香」

 

 自身の真名を教えられてから、母に初めて真名で呼んでもらえた。

 それは認められた証。本当に真名を呼んで欲しい二人の内一人に呼んでもらえた嬉しさと、母が健康でいてくれた喜び、尊く美しき故郷に帰ってきたのだという実感が生まれてとうとう頬が濡れる。

 

「ただいま! お母さん!」

 

 母に抱きつき、母もしっかりと私を受け止めてくれる。

 

「成長したとは言え、まだまだ甘えん坊だねぇ。しかしまあ、今だけは良いかね」

 

 それから一分ほど、私は母に思いっきり甘えるのだった。

 

 

 外に気配を感じ、そっと母から離れる。

 先を急いだ私を追ってきた関羽さんと張飛ちゃんだろう。

 

「お母さん、今回はとても素敵な二人が付いてきてくれてね、紹介しても良いかな?」

 

「うん? お仲間さんかい?」

 

「きっとそうなる人達」

 

「そうか、桃香が言うなら大丈夫かね。なら精一杯おもてなししなきゃだね」

 

「うん。二人共、入ってきて良いよ!」

 

「む、それでは失礼致します。劉備殿、帰郷が喜ばしいのは分かりますが、護衛である我らの立場も少し考えて頂きたい」

 

「あはは、ごめんね、ちょっと感情が極まっちゃって。二人共、この人は私の母で、この桃花村で用心棒をしてるんだ」

 

「名を劉弘と言う。娘が世話になったね、感謝するよ」

 

「いえ、護衛という立場にありながら、逆に世話になる始末でした。三人でいる時には盗賊なども出ませんでしたから、仕事をしたと言って良いのか分からない有様で……」

 

「劉備お姉さんな、すっごく賢くていっぱい物を知ってて、道中ぜんぜんつまらなくなかったのだ!」

 

「ふふ、そうかい。まあ護衛ってのは何かあった時の備えだからね、何がなくても居てくれるだけで心強いもんさ。ともかく野宿と馬上の生活は堪えただろう、今日はゆっくりと休むと良い」

 

「泊まる所ってどうしよう? 家に来てもらう?」

 

「ここに泊まってもらうさ。謙信さんの住居は来客用の住居として、学び舎部分は村の会議場として再利用させて貰ってるからね。ああ、勿論謙信さんの許可は貰ってるよ」

 

「そっか、ならそうして貰おっか」

 

「こんな立派な家を貸して頂けるとは……忝ない」

 

「かたじけないー」

 

「ふふっ、なんだか堅い言葉遣いをする子達だねぇ」

 

「本人の希望で礼儀作法を教えたばかりだから、早く馴染ませるために練習してもらってるの。もし気になる所があったらお母さんも指摘してあげて」

 

「気になる所があったらね。と、勝手に話を進めたけど、ここを使う許しを村長に貰わないとね。桃香、挨拶がてら村長の家に行ってきな。私はここの掃除を終わらせて、家でご馳走を用意しておくよ。

 用事を済ませたら……その子らに村の案内でもしてやりな。そうしたら丁度良い時間になってるだろうさ」

 

「うん、そうする。それじゃあ行ってきます!」

 

「失礼致します」

 

「行ってくるのだー」

 

 そうして私達三人は村長宅に向かうのだった。

 

 

 昔と変わらない一切変わらない様子で……いや、今ではあらゆる物が昔よりも小さく見える。村長宅に着いてその感覚が正しいと確信する。昔はあれほど大きく見えた村長宅だが、身体的成長ともっと大きな建築物を知った私にはとても小さく見えてしまう。

 そんななんとも言えない感覚を引き摺りながら、私は伺いの声を上げた。

 

「劉弘の娘、劉備です。帰郷の挨拶に伺いました」

 

「はーい、少々お待ちくださーい」

 

 返ってきたのは若い女性の声。

 しばらく待ち、扉を開けてやってきたのは声の通りの若い綺麗な女性。

 

「お待たせしましたぁ。あら、見たことのない美人さんが三人も」

 

「お初にお目にかかります。劉弘の娘で劉備と言う者でありまして、本日は帰郷した折ご挨拶に伺いました」

 

「これはご丁寧にどうもー、私は村長の妻です。劉備さんとは初めましてなんですよね、劉弘さんに娘さんがおられてもうすぐ帰って来られるとは聞いていたので、お会い出来るのを楽しみにしてました」

 

 邪気もなく、笑顔での対応をされるのだが、私は少し不安な表情になる。

 きっと村長が代替わりしたんだろうけど、つまりそれは、

 

「……あっ、違いますよ。前村長様は二年前に息子であり私の夫であるあの人に家督を譲られて、今では桃の新しい育成法をつきっきりで研究をしてらっしゃるんですよ。謙信さんという方にご指導頂いた方法を色々と試しているらしいです」

 

「あ、そうだったんですね、良かったぁ。あのそれで、村長は……」

 

「夫も今の時期はお義父様と付きっきりで実験をしています。夕方には帰ってくると思うのですが、呼びに行きましょうか?」

 

「いえ、この後久しぶりの故郷を散策しようと思っていたので、行先で出会った際に挨拶します。しかし入れ違いになる可能性もありますので、帰ってこられた際に一言だけ私の事を話しておいてくださると助かります」

 

「分かりました」

 

「では失礼します」

 

 

 そうして村長宅を離れた私は二人を案内する為に桃園へ向かう。

 一応その前に衣服と靴についた付着物を出来るだけ落としておく。花園や果樹園に入る際の常識として叩き込まれた事だ。

 

「何というか、圧巻ですね」

 

「すっごいのだ、甘い匂いがするのにお腹が鳴らないぐらいすっごいきれいなのだ」

 

「改めて見てもとても綺麗。うん、やっぱり、すごく綺麗なんだよ。ああ本当に、何て……何て尊いんだろう」

 

 遠くに見えていた時から綺麗だとは思っていた。

 けれど中に入り、四方八方に澄んだ桃色の美しい空間に入り込んだ時の感動は途方も無い。

 世界に私達だけしかいないのではとか、この世界の外までもが綺麗になったのではとか、そんな錯覚を感じてしまう程の非現実感。

 私は涙を流す。ここに来てから涙の大安売りだが、これはもう仕方のない事なのだ。

 郷愁だとか、想い出の想起だとか、そういう個人的な物もある。

 だがこの素晴らしき光景が村の皆の努力の結晶であり、奇跡の積み重ねで生まれていると、今の私は知っている。その尊さに、世界との乖離に、涙が流れてしまう。

 

「劉備殿?」

 

「大丈夫か劉備お姉ちゃん! お腹痛いのか?!」

 

「ううん、大丈夫、大丈夫だよ。ただ、覚悟と決意を据えただけ」

 

 私は涙を流しながら、固く誓った。

 

「それはどういう……ん、誰か来ますね」

 

「ああ、この気配は村長さんとその息子さん、じゃなかったや、代替わりしたんだもんね。

 ……関羽さん、張飛ちゃん、明日、私の話を聞いて欲しい。一緒に旅をする仲間として、同じ志を持つ同士として、私の理想と決意を知ってほしい」

 

「……分かりました。その時には私も私の全てを話しましょう」

 

「二人がするなら張飛もするのだ! 何を話せばいいか分かんないけど、とにかく頑張るのだっ!」

 

「うん、それじゃあ今日の所は村長さんに話をして、お母さんの手料理を食べて宴会だね!」

 

「ご飯っ! 目一杯ご飯食べれるっ?!」

 

「あーうん、何分いきなりの帰郷だったから、張飛ちゃんに本気出されると食料が足りないかもしれない。お母さんも見た目の容量分で作ってるだろうし……けど旅の時よりは豪勢だろうし、お母さんの料理は美味しいからそこに期待しておいて!」

 

「わかったのだっ」

 

 そして張飛ちゃんはるんるんで家に帰っていこうとしてたけど、挨拶がまだだからと引き止めた。

 その後は村長達に挨拶をして、一帯の案内を続ける。そして念のために道中で食べられる野草や野生動物を探しながら歩く。しかし野草は山ほど取れど、母が巡回しているであろう場所に動物の類が出てくる筈もなく、全体の収穫としては今ひとつ。

 女の子三人だと考えれば十二分、けれど張飛ちゃんの胃袋の許容量からすれば心許ない。

 張飛ちゃんはその小さい体の何処に入るのかと言う程に食べる。盗賊と戦った後の食事は私の三倍の量を食べていた気がする。とはいっても平常時なら私や関羽さんと同程度か少し多いぐらいなのだが……まあ身長差体重差を考えればそれもまたすごい量なんだけど。

 

 ともかくそんな脅威の食欲と胃袋を持つ張飛ちゃんがここ最近は粗食しか食べておらず、先程宴会などと私が口走ったものだから、それはもう楽しみにしてお腹を鳴らしていらっしゃる。一応前置きはしておいたが、きっと食事の量を見たらがっかりするに違いない。

 とはいえ出せるものには限りがあるのだから、もし満足出来ないようなら謝ろうと思いつつ家に帰るのだった。

 

 

「お母さんただいまー」

 

「おかえり、準備は大方できてるよ。仕上げはあんたも手伝いな」

 

「うん、それじゃあ二人は居間で待ってて」

 

「いえ、私も手伝います。劉備殿だけに負担をかける訳には……」

 

「護衛の仕事は村に着いた時点で終了、今の二人はお客さんなんだから、ゆっくりしてて。それに家族で料理を作るのも久しぶりだから、少し楽しませて欲しいかな」

 

「それも、そうですね。では居間でゆったりと待たせてもらいます」

 

「居間には先生から貰った本が沢山置いてあるから、暇ならそれで潰すと良いかも。字は読めたよね?」

 

「はい、簡単な物を少しだけですが」

 

「なら絵本を張飛ちゃんに読み聞かせて上げると良いかな。関羽さんの勉強になるし、張飛ちゃんの暇も潰せるし」

 

「ご助言感謝します」

 

「あはは、さすがに家の中までやるのは疲れない?」

 

「慣らさなければ、というのもありますが、なんでしょう、劉備殿にはこうして接したい。

 貴方は知れば知るほど魅力的で、もっと距離を縮めたいと心の底から思うのです。けれど格好つけたいという訳でもないのに、こうして礼儀を弁えたいとも思うのです。距離を縮めたいのに距離を置くような事をしたいとも思う自分の気持ちが不思議でならないのですが……」

 

「あはは、面と向かって魅力的と言われると照れるね。まあそれじゃあ関羽さんのやりたいようにやって、関羽さんの気持ちに無理やり干渉するのも変な話だしね」

 

「愛紗! これ、これが良いのだ!」

 

 張飛ちゃんは早速本を物色しており、気に入った物を見つけて関羽さんに催促している。

 

「分かった、ん、白き者の物語か。お前はこればかりだな」

 

「間違いなく格好いいのだ! 愛紗も好きでしょ? 私達の目指す姿だなって格好つけていつも言ってたのだ」

 

「確かにそう思っているが、格好つけて言ってなどおらん!」

 

 そんな賑やかなやり取りを後ろに聞いて笑みをこぼしつつ、私は母の手伝いに行くのだった。




空いた時間を見つけては書いているので、隔日二話だったり一日一話だったりします。
どうにか新恋姫革命が出るまでに蜀ルートを終わらせたいので無茶苦茶なスケジュールになりますが、ご了承ください。

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