彼女、趙雲さんとは少しだけ関係が拗れていた。
私ではなく愛紗ちゃんと鈴々ちゃんとの間、もっと詳しく言えば彼女側の問題ではある。
私は文官として使われていたので趙雲さんとの直接的な繋がりは薄く、妹二人と周囲の人達からの又聞きになってしまうのだが、順を追って語っていこう。
白蓮ちゃんの所に勤め始めて二ヶ月ほどが経ったある日、趙雲さんから愛紗ちゃんと鈴々ちゃんに一対一で実戦形式の試合をやろうという申し出があった。
鈴々ちゃんも愛紗ちゃんも腕が立つのは一目見た時から気付いていたが、二ヶ月待ったのは幾つかの配慮があったからだと思う。
状況が落ち着いてからでないと実力が発揮できないだろうし、早々に腕試しを申し出て芳しくない結果を残させた場合、幼さの残る二人のやる気を削ぐ結果になり、周囲の者に負ける姿を晒しては軍でやっていくのが難しくなる。そんな年長者らしい気遣いだったに違いない。
そうして誰もいない昼下がりの訓練場で行われた試合。初戦はわっくわく顔で自分の名前を連呼し続けた鈴々ちゃんに。そして試合の結果は趙雲さんの敗北だった。傍から見ればほぼ拮抗していたそうだが、本人は惨敗だと言い張ったらしい。
しかもそうして勝敗が決した後、鈴々ちゃんが言ってしまったのだ。
「やっぱり初めて会った時のいんしょーと同じだったのだ。趙雲お姉さんの槍は軽いのだ」
それは初めて会った時に言い淀んでいた印象だったらしい。武器を交えて確信したからこそぽつりと溢れた一言。何気なく、悪意なく出た言葉。しかしだからこそ本心の言葉であると気付いた趙雲さんは烈火の如く闘志を燃やした。
続いて愛紗ちゃんに挑み、これもまた惜敗。似たような試合内容であり、これもまた本人曰く惨敗の出来だったそうだ。
そして趙雲さんは聞いた。
「関羽殿から見て、私の槍は軽かったか?」
圧を感じる視線で問われた愛紗ちゃんは、同じ武人として嘘偽り無く簡潔に答えた。
「貴方の槍は軽いです」
それから一週間、二人は空いた時間がある毎に趙雲さんから試合を申し込まれたそうだ。
それに二人が喜んで乗るものだからついには三人の仕事に支障をきたし始めてしまい、白蓮に怒られて一日一回ずつという制限が設けられる始末。
それから一日一回という約束を守ってくれていたが、彼女は仕事と生活習慣以外を鍛錬に打ち込み始める。
しかしそれだけ鍛錬に勤しんで対策を練っても、勝率は一年を通して三割程度にしか上がらなかった。
趙雲さんは問題や困難を自分一人で抱え込む性質で、しかも今までは全て一人で解決してきたそうだ。なので誰にも頼る事無く、ひたすら自己鍛錬を積み重ねては二人に挑みかかった。
だが結局別れの日まで満足な戦いに行き着かず、彼女は私達の出奔に合わせて無理矢理に理由を付けて同道を頼んできたのだった。
これにて彼女が今目の前にいる現状説明は終了。
今までは仕事場も離れていたので深く関わる事も無かったが、一緒にいる間は私に出来る範囲で手助けしたいと思っている。
白蓮ちゃんも言っていたが、この人は真っ直ぐで清廉だ。迷いを抱えたまま戦乱に突入し、道半ばで朽ちる所など見たくはない。
だけど難しい事に彼女から頼ってくれなければ、関わりの浅い私の助言なぞ鼻につくだけだろう。
今は一日一回妹達に挑む様子を見守りながら機会がやってくるのを待つしかない。
問題が拗れ続けて彼女の心と槍が折れない事を祈りつつ、私は門出を迎えるのだった。
それからの私達はずっと黄巾討伐と村々の慰撫に精を出していた。
襲われている村を助けては義勇兵を募って選別する。選別するなんて随分と余裕があるな、と思われるかもしれない。
だが長子や幼子や男女数の偏った村での少数側など、連れて行かれると村や家が困りそうな人は弾かねば禍根を残してしまうから致し方ない。
とはいえこの時代に立ち上がる民は多く、始まりは十数人だった仲間は何時しか百人を超え、しかも勢いは止まらない。
その勢いに比例して狙う賊の規模を大きくしていっては倒して行き、影響力は飛躍的に増していった。
しかしそれも限界が来る。
義勇兵が減って軍の形態を維持できなくなるのではなく、名を高めすぎて希望者が増えすぎたのだ。
私達はあまりにも不足している物が多い。物資諸々、名誉権威、経験、そして何より指揮官級の人材が足りていない。だからはっきりと適正人数が決まっており、今の段階では兵五百人が限界だった。
無理をすれば倍の千人はいけるだろうが、完全掌握が出来なくなって規律を守らせる事が難しくなる。
今は戦力確保と秩序維持の天秤を気にしつつ、表面張力めいっぱいの器を皆で成長させている状態なのだった。
そんなこんなで昼は戦い続け、夜は方針などを話し合う日々。
今も妹二人と白蓮ちゃんから引き抜いた数人とで話し合いをしつつ、方向性を決めたばかりである。
「それじゃあ今日は解散、皆ゆっくり休んでね」
私の号で皆それぞれの場所に散っていく。
私はそれを見送った後、軍のど真ん中に設置された就寝所近くに灯された焚き火に当たりつつ決定の再確認を行っていた。
するとそこに趙雲さんがやってきた。
「劉備殿、少し宜しいか?」
「趙雲さんが私に用とは珍しいね。何かあったのかな?」
「まあそうですな、一杯付き合ってもらいがてら相談の一つでもと思いまして」
「そっか、なら付き合わせてもらおうかな」
趙雲さんが持ってきたお酒だけじゃ寂しいと思い、私はすぐそこにある自分の天幕からメンマの入ったツボを二つ持ってくる。
「これ、趙雲さんが来たら一緒に食べようと思って取ってたんだ」
「む、この匂いは……メンマ、ですか?」
「お見事」
「なんと! メンマは手間隙がかかって流通しづらい上に今の世情で更に入手は困難を極めるというのに……。
今日この時に相談をしようと思った自分を褒めたい。
なによりも劉備殿に感謝を。有難うございます」
「あはは、鈴々ちゃんに気付かれないよう頑張って死守した甲斐があったってもんだ」
「それでは酒とメンマと相談事を肴に、しばしお時間頂戴します」
相談の内容は予想通りで自分の槍について。少し予想外だったのは二人の妹には何の確執も抱いていないという事。
「二人は自分の至らなさを気付かせてくれたいわば恩人。羨む事はあれど恨む事など出来ますまい」
普段の様子からそこまで強い確執はないだろうと感じ取ってはいたが、全く無いとは思わなかった。
趙雲さんは飄々とした雰囲気を一切崩さないから感情の読みにくい人ではあるが……少し自分の感覚を過信していたかもしれない。
「そっか、それを聞けて安心したよ。でも羨むって?」
「己が武器を預けるに足る人物を見出し、その元で十全に力を奮っている。それは武人として一つの到達点です。真なる主を見いだせぬまま根無し草で放浪する者、主を妥協して仕える者の多い中、幸せな事だと思うのですよ」
「あの子達は私の理想の共感者だから、主従という関係性とは少し違うんだけどね」
「それもまた羨ましい。武器を預けながら手を携え合える関係なぞ、そうはありませんよ」
「そうだね、得難い二人と理想の関係であれているのは凄まじい幸運な事だと思う。
でも主従っていうなら、趙雲さんは天の御遣いに会いに行く為に白蓮ちゃんの所から出奔したんだよね?」
「……敏い劉備殿は気付かれているでしょうが、あれは名目や建前の面が強い。
あそこは居心地が良過ぎてついつい長居をしてしまった。槍を預けるには足らぬが、肩を並べるにも背を預けるにも足る人がおりましたからな。
しかし劉備殿達を見て、ここは我が本望の果たせる場所では無いのだ、と思い出す事が出来ました。
だから早急に飛び出す必要があったのです、あそこは理由をかこつけなければ出られぬほど良き場所でしたからな」
私と同じ考えだった。
白蓮ちゃんは仲間や友とするには最上の人だけど、戦乱の主とするには物足りない人だ。白馬長史と呼ばれる程の資質があるのだから乱世向きの人である、はずなのに何故だか治世向きの気質をしているのだ。
「彼女を至上の主と仰ぐ人間がいるのは不思議ではない。だが私の求める理想ではなかった、それだけです」
「そっか。白蓮ちゃんの事は納得したけど、主を探してはいるんだよね? 天の御遣いを建前と言ったのは何故?」
「天の御遣いを囲ったのが曹操だったからですよ。
あそこは一度見に行ってますからな、私はこれっぽちも曹操に仕えようとは思っておりませぬ」
「なんで? 噂を聞くに曹操は傑物の中の傑物だよ。陳留での施策、陣営の戦力、時流の見抜き、あらゆる能力がずば抜けてる。まさに時代の寵児、今生の上限たる人物だ」
「劉備殿は彼女を随分と買っているのですな。確かに纏う雰囲気も尋常ならざるものを持っておりましたな。
ですが彼女は私の理想とは違うとはっきり感じ取りました」
「何を感じ取ったの?」
「彼女の元では我が槍が必要になる場面が生じぬのですよ」
「うーん、趙雲さん程優秀な人なら必然的に必要な人材になると思うんだけど?」
「私もそう思っていたのですが、彼女は彼女が優秀過ぎるゆえ、私よりも一段二段劣る才覚の者だろうが采配によって等しい結果を生み出させるのですよ。私がいるかいないかで変わるのは結果ではなく効率だけなのです。
それは安定ですから、悪いとは言いませぬ。むしろそれこそ最高の環境と言う者は多いでしょう。我が友も曹操の覇気とその組織運用に惹かれておりました。
ですが私は腕の振るい甲斐がない場所と思えて仕方がないのです。
あそこは曹操が作る世界を見たい者しかいられぬ場所。例えるなら曹操という画家が仲間や部下という筆を使って世界を描く場所なのですよ。そして彼女は筆を選ばない。
と、少々熱くなってしまいましたな。漠然と抱いていた印象を元に語ったので伝わり辛かったでしょう。
ともかくそんなこんなの理由がありまして、天の御遣いが余程面白き人物であるか、天の御遣いによってあの場所の有り様が変わっていなければ彼女に仕えようとは思えぬ、という結論に至った次第です」
「そっか、話が聞けてよかった。趙雲さんの心の在り方も聞けて嬉しかったけど、曹操の考察の参考にもなったからすごく助かったよ。
でも曹操の元が駄目なら後は何処だろうね。戦力的には涼州馬騰、袁家、劉家かな。個人的資質なら孫家が熱いって聞いたかな」
「ふむ、孫家は聞いた事がありませんな。各地を渡り歩いた私が知らぬを知るとは、劉備殿は凄まじい情報網をお持ちですな。ともあれ、目星は付けておりますのでそちらの気遣いは無用です」
「そうなんだ、誰って聞いて良い?」
「それは今しばらくお待ちを」
「ちょっと残念だけど、しばらくしたら話してくれるって言うなら待つよ」
「それでですな、本題に戻りますが、劉備殿から見て私の槍は軽いですか?」
あっ、その事について相談を受けてたんだったっけ。