一体何度目の事だろうか。彼のことを忘れるのは…
油断するとすぐに記憶の片隅から零れ落ちていく存在。私の能力を持ってしても中和するのが精一杯の彼の能力。
一体何度目の事だろうか。博麗の巫女が彼の事を訪ねてくるのは…
何度無害だと説明しても彼女はその足を運ぶ。そして自分自身で無害だと感じた、とまで言うのだが、それすらも忘れて彼の事を聞いてくる。
一体何度目の事だろうか。彼の住処に足を運ぶ私を人々が怪訝な目で見るのは…
いくら人里に連れてきて彼の人の良さを証明しても変わらない。
彼は、忘却を司る妖怪…忘れ忘れられ生きている存在。
「で、一体そいつは何者なんだ?」
「そうですね、彼は酷く臆病で繊細な存在ですよ」
幻想郷縁起を閉じ、目の前の女性へと視線を向ける。里の代表である上白沢慧音はその眉間を怪訝そうに寄せてため息を吐いていた。
大方里の人間達に頼まれたのだろう。彼の正体と危険性を教えてほしいと、その瞳は語っている。
彼女自身忘れているが、彼の資料を彼女に見せるのはこれで12回目程、その都度危険性と人間友好度の低さを見せているが、恐らくは今回も無意味に終わるのだろう。
「人間への友好度が低いとの評価は何故つけたのだ?」
「彼は自分から人に関わろうとしないので…もし関わったとしても彼から手を出すことはまず無いでしょう」
通常、妖怪とは少なからず人間にとって危険な存在といえる。妖怪側に悪気が無かっても、唯の遊びで殺されたり、生きるための餌にされるなど人間にとっては面白く無い存在といえるだろう。
まあ、里内ならば原則として妖怪は人を襲ってはいけないという決まりになっている。これは妖怪の賢者であり幻想郷の創造主である八雲紫による取り決めだが、無論これを守る知能のない妖怪も存在している。そう言った存在は博麗の巫女や八雲紫により退治されるが、それでも被害が出るまで彼女達は動かない。
そう言った人里を襲う妖怪から人間を守っているのは目の前の女性である上白沢慧音だ。彼女がどの妖怪が危険であるかを気にする事は分かるし、人間達が彼女を頼って危険要素を排除しようとするのはよく分かる。
だがしかし、何故そこまで彼について怯えるのかは私自身わかっていない。
人間とは知らないものを恐れるとは言うが、いくらなんでも度が過ぎるのでは?と何度考えただろうか。
勿論彼自身を連れ出して人間へ彼を紹介したりもしたが、次の日にはそんな出来事を覚えているものは誰一人としてはいない。何度説明しても次の日には忘れている…
これは妖怪も同じで、烏天狗の射命丸文に彼を紹介して、怒涛とも呼べる取材を彼に行っても、彼に関する新聞が作られることも無く、彼女自身彼の存在を忘れてしまっていた。
理由はわかっている。私の能力と対を成す位置に存在している能力。忘れる程度の能力のせいだ。私自身度々彼の事情の一部を忘れてしまうため、詳しいというわけではないが、その能力のせいで彼は人間や妖怪に忘れられてしまっている。私の能力、一度見たものは忘れない程度の能力はその効果を中和し、少し彼のことを忘れっぽくなる程度に抑えられている…
ではもしも私がいなければ彼はどうなっていただろうか。
誰にも知られずにひっそりと暮らすのだろう。彼の性格から言ってそれは苦ではないだろうが、一友人としてはとても胸が痛む。
「そいつは人を食うのか?」
「食べませんね…人だけでなく、何も食べません」
「そんな馬鹿な話があるか」
食…全ての生物が必要とする行為。食事を行わないといくら不死であろうと何かしらの弊害は起こる。しかし、彼には起こらない。また、彼は死ぬこともない…
食事の必要性を忘れ、自身が死に進む存在であることを忘れ、そして自身の成長も忘れたのだ。
彼の身体はそれに呼応するかのように、嘘が誠になるように忘却に適応するように変化し、本当にそんな身体になってしまった。
彼の能力は忘れることは出来ても思い出すことは出来ない。一度忘れてしまえば取り戻すことの出来ないもの。なんと不便な能力だろうか…彼自身は何も思ってはいないようだが、その能力は悪い意味で常軌を逸してしまっている。
能力の都合上、危険視はされても真実を見抜けはしないが、その能力が危険であることは私自身感じている。
それでも妖怪辞典に彼の危険性を記さないのは、彼自身による。一度彼に何故自分の事を忘れさせているのかを問うた事がある。返答は随分と明確なもので返ってきたのに当時の私は少し拍子抜けした覚えがある。
彼が忘れられる理由。能力の暴走などではない。いや、寧ろ暴走を起こさない為である。
彼の能力は肥大していく物。故に彼が能力を使用せずに関わりを増やし、忘れさせる事が出来るものを増やしていくと、やがてとんでもない忘却の能力に周囲が巻き込まれてしまう。
実際、彼はそれにより現実世界から幻想郷へと辿り着いてしまったらしいのだが、それはまたの機会に話すとしよう。
「しかし、阿求殿がそこまで言うのだ。その妖怪を心配する必要は無いのだな?」
「はい。心配ありませんよ」
私の答えに満足したように頷いて立ち上がった上白沢慧音はそのまま出口の方へと歩いて行く。彼女の背中を見守り、また来るのだろうという予感を頭に残し、ため息を吐いて、幻想郷縁起を開き、資料を纏めた物を記していく。
そう言えば、彼はなんという名前の妖怪だったか…一度彼から聞いたような覚えはあるが、どうにも思い出せない。近い内に彼の所に赴き、聞いておいたほうが良さそうだ。
早い内に行っておかないと彼自身が忘れてしまう可能性もあるので、急いだほうが良さそうだ。
「失礼するわよ」
「………」
幻想郷縁起を閉じ、来客へと視線を向ける。紅白の肩出しの巫女服に包まれた少女、博麗の巫女、博麗霊夢が立っている。その顔は少し面倒だということを隠してはおらず、彼女は頭を掻きながら口を開いた。
「人里から離れた場所に住んでるという妖怪が人里付近をうろついていたらしいけど、その妖怪はどんな奴?」
「……温厚で、繊細な存在ですよ」
今日もまた、何度目かの分からない説明を彼女達に行う。
それが私の日常…