誓いのハイスクール Dragon×Durandal 作:七海香波
――翌朝。
頭の側で鳴り響く目覚まし時計のジリリッ、という音で目が覚めた。
「んぁ……?」
うっすらと目を開けると、僅かに開いていたカーテンから差し込む朝の日差しが目に刺さる。いつまで経っても慣れないその感触に数回まぶたを開閉してから、俺はゆっくりと起き上がった。
……どうやらあんな事があったにも関わらず、気付けば俺は普段通り寝付いてしまっていたらしい。最後に時間を確認したのは午前一時だったから、今が七時と言うことから計算すると、たっぷり六時間は寝たことになる。これだけ寝ればまあ十分なのだろう。
色んな事を考えている内に睡魔に身を委ねてしまったとは、自分で自分の神経の図太さに驚きだ。よくも死にかけた翌日に寝られたものだ。
「さすが、と言えば良いのか。それとも、呆れた、と言えばいいのか……どっちでもいいか。俺の感覚の鈍さに感謝だな。ヘタすれば学校でそのまま寝てたかもしれなかったし、これなら大丈夫だろ」
――とりあえず朝飯の準備、するか。
俺の感覚はどうでも良いとして、今日から新たな同居人の分まで用意しなければならないのだ。手間は変わらないが量は増える。内容を考えないと、直ぐに仕送りの食費分が底をついてしまう。
「よいしょっ、と……ん?」
頭の中で朝食のメニューを組み立てながらひとまずベッドから降りようとして、ふと、右腕が動かないことに気付く。何かが絡まっているらしく、マシュマロのように柔らかく不思議と暖かい感触が手の中に伝わる。
……なんだ、これ?
振り解こうと手を動かすが、妙にしっかりと絡みついているらしく、外れる様子がない。それどころか、柔らかい感触がむにむにと感じられる。ベッドの上にこんなものは置いた覚えはないのだが。
仕方無く、腕の方へと目を向ける。
俺の右腕を包んでいる何かは毛布を被っており、何故かもぞもぞと動いている。その大きさは大体人間一人分と言った所だろうか。その辺りだけが不自然に盛り上がっていた。
確認のために毛布を引っぺがそうとすると、それは俺の腕を離さないまま、ゆっくりと起き上がった。薄い毛布がゆっくりと剥がれ落ちる。
その中からまず現れたのは、黒く滑らかな長髪。続いて首の辺りから肩、腰へとかけて艶めかしいラインを描く生肌。俺の腕を掴んでいる辺りは一際大きく膨らんだ部分であり、黒髪が上手く一部の部分のみを覆い隠している。
ふとそれが左右に頭を動かすと、髪の隙間から猫のように丸く、柔らかい熾火のような赤の瞳が顔を覗かせる。
「んー、あともう少し、にゃぁー……」
開かれた淡いピンクの唇から、甘い吐息と共にそんな一言が紡がれる。
……新たな同居人となった女性、ティアは“あー、私は自前の寝袋を持ってるからそれで寝るよ”と言ったので、机を片付けた部屋の俺のベッドの横で寝ていたはずだが。
つまり、これは幻だということだ。初めての美人との二人きりの同棲で、変な夢を見ているに決まっている。そうだ、ティアがまさか同棲初日から俺のベッドに潜り込むなんてそんな変な事をするわけが――。
《ふん、良い目覚めだな和真。朝からティアを抱いて起きるのは良いが、色ボケも大概にしておけよ》
――余計なお世話だよ!そんな事を言うせいで、現実逃避出来なくなっただろうが。
仕方無く、俺は自由な方の手を額にやりながら大きく溜息をついて、起き上がった彼女の方へと意識を戻した。
そう。
呆れたことに、俺の腕を握る何者かの正体は、別の場所にいるはずのティアだったのだ。昨夜隣で自前の寝袋に入って寝ていたはずなのに、それがいつの間にか、俺の腕を抱いて隣に寝ていた。
しかも、見た限りでは下着などを一切身につけていない。
とりあえず、息を胸一杯に大きく吸って――叫ぶ。
「ティア!お前何でこっちにいるんだよ、しかも裸で!寝る前にはあの桜色のパジャマ着てたよな!?一体あれはどこへやったんだよこの恥女が!」
「にゃ?……あれなら、そっち……」
ティアがそう寝ぼけながら片方の手でベッドの下を指さすので、そちらへと目を移動させる。フローリングの床の方を見てみると、そこには本来あるハズのティアの姿はなく、その代わりに中途半端に開いたチャックの開いた寝袋と、その上に無造作に脱ぎ捨てられた淡いピンクのパジャマと、黒の下着一式があった。
「そういうことにゃから、私はまだ寝るにゃ……」
……。
「――とりあえず、さっさと起きろこの寝ぼけ吸血鬼!」
清々しいハズの朝の狭いアパートの一室に、俺の心からの叫び声が響き渡った。
☆ ★ ☆
「お前明日から寝袋の上からロープで縛るからな」
「いやホントにゴメンって言ってるだろ?だから和真、さすがにそれは勘弁してくれ。もう入らないから、な?」
現在時刻、七時四十分。テレビの中でリポーターが『駒王町で行方不明となっていた十人近くの方々が――』と話しているのを聞きながら、俺とティアは部屋中心のテーブルに対面に向かって食事を取っていた。
ちなみに今日の朝メシは白米と味噌汁と卵焼き。後、納豆だった。
洋食も作れないことはないのだが、今日はこれしか作れそうなモノがなかった。
『彼らは何故か駒王学園校門前に山のように積み重なっており、放課後にランニングをしていた駒王学園野球部の方々が発見したそうです――』
「まったく、大体何だって俺のベッドに潜り込むようなことになったんだよ。しかもご丁寧に下着まで脱いで。一瞬心臓が止まるかと思ったぞ」
普段は気分が悪くなるからこういうことはしないのだが、今朝の一幕の実行犯であるティアに文句を垂れながら俺は味噌汁の椀を取る。中の具はワカメと豆腐で、味噌は赤。ゆっくりと汁と具を口に含み、味わいながら咀嚼する。うん、美味い。
そんな感じに箸を進めながら、目を細めて正面のティアを睨み付ける。
肝心の彼女は悪びれもせず小さく笑いながら、謝罪を口にしつつ卵を摘む。
「いやまあ、泊めてくれるお礼の一環って事で。年頃の男の子にとってこういうのは嬉しいかなー、なんて……ハイ、スミマセンデシタ。もう二度と致しませんので許して下さい。なんか怖いぞ」
急に殺気と額に十字が浮かべた俺にティアは本気の怒りを悟ったのか、急に片言になって冷や汗を浮かべ敬語で謝罪を繰り返し始めた。当たり前だ。俺はどこぞのエロ三人組とは違うんだ。据え膳食わぬが一般常識だ、ティアの馬鹿野郎。
そんなの実際にやられたらどうしていいのか迷うだけに決まってるだろ。
「いやしかし、お前の飯は美味いな、うん」
「話をずらすな。……ま、懲りてくれればそれでいいんだがな。明日から入ってくれなければ、もうこれ以上は何も言わない。っていうか、お前、納豆食えるんだな。西洋人はそんなの食べないと思っていたんだが」
「ああ。今は私達悪魔の中でも日本が人気なんだ。今の魔王様の眷属にも日本人が居るし、極秘のルートとやらで少なからず食材を輸入していたしな。私は前の主が納豆が嫌いだったらしく嫌がらせで私に食わせてきたが、その時に妙に気に入ったのを覚えてる」
「……ふーん」
どうやら冥界では日本が人気らしい。
味噌や醤油、そして納豆なんかも、人間界から密かに輸入してたりするとは。日本人でも食べられない奴が多いのに、そこまでやりますか。悪魔って不思議なものだな。
「……そういや今言ってたが、魔王ってなんなんだ?今更だが、西洋に悪魔はあっても魔王とかはいないだろうし、どこからそんな存在が湧いて出たんだ?」
「ムグムグ……、ああ。ルシファー・アスモデウス・レヴィアタン・ベルゼブブの四人からなる冥界の悪魔のトップでな?基本的に単純な強さから選ばれる。正直かなり強いぞ。一度闘うチャンスがあって闘ったが、今の私じゃあ多少怪我させるのがやっとだった」
「いや、普通の悪魔が怪我させるだけでも十分すごいんじゃないのか?」
「ああ、まあな。でも、お偉いさん方はそういうのが気に入らないんだよ。後が面倒だったし、噂も広まらなかった。全く、条件が重なれば勝てるのに」
「条件?」
「吸血鬼だからな、そうだなぁ。新月の夜に魔力の篭もった濃密な血の杯でも飲めば、まず
そこで突然、俺の神器の中の龍――八岐大蛇が話に割って入ってくる。
ちなみにこいつは昨日からずっと顕現したままだ。ティアの悪魔の気配を聖剣の気配で打ち消すために、ずっとティアの側にいた。一晩近く擬似的に憑くことで、悪魔の気配を隠す聖剣の加護を付けられるそうだ。
《――だがその点、和真は問題無いな。人間なのだから、魔王を倒せば嫌でも一躍有名人だ》
「いや、そこまで鍛えるのにどれだけかかると思ってんだよ?」
「大丈夫だ。寝るときにコイツと話してたんだが、お前は才能は十分あるらしいぞ。しっかり鍛えてやれば、いずれ魔王を超えられるんじゃないか?それに才能など無くとも実力者はいる。安心しろ、私とコイツの修行でそこまで引き上げてやる」
《当たり前だ》
「怖いわ!!お前ら人のことだと思って好き勝手決めるんじゃない!やるなら精一杯やってみるが、んな無茶をやるつもりは無いからな」
「よく言った!男ならその意気だ、一気に上級悪魔クラスには育て上げてやる!」
「どう見ても話聞いてないよなお前!?」
ティアが嬉しそうに顔を綻ばせるが、俺に取ってはそれは不幸のサインでしかない。
明らかに、危険なスイッチを押してしまったような気がする。何しろ今の彼女の表情はと言えば、昨日見たとおりの
顔から血の気が引いていく俺とは裏腹に、神器の八岐大蛇が楽しそうな声で話す。
《まあ、今日の夜のことを心配する前にそこの時計を見てみるんだな。ククッ》
「ん?……八時四分か。ならまだ大丈――はぁ!?いや、や、やばっ!?」
俺が通う駒王学園高等部は八時十五分に授業開始のベルが鳴る。
それでもって、俺の通学時間は少なくて十分はかかる。
つまり残された余裕は――後、最悪でも一、二分だ。
時間が、ない!
慌てて残りの飯を全てかき込むと、俺は床に放り出してあったズボンとワイシャツを羽織り、机に畳んでおいた破れかけの上着と鞄を掴む。
「出てってろティア!」
「はいはいっと」
言うまでもなく、ティアは素直に出ていった。感情的には年頃の女の子なのか、俺が口にする前に行動を始めていた。普通にそうやってくれれば良かったものを。なんで昨日はあんなことをしでかしたんだろうか。
そんなことを思いつつ、テキパキと着替える。ズボンにベルトを通し、シャツのボタンを留め、ポケットに本棚から一冊適当に文庫本を突っ込む。
手に鞄を持って、俺は部屋を出て玄関近くの洗面台へと足を向ける。蛇口を開いて手で水を掬い、顔を洗って近くのタオルで拭く。その間約三十秒。
ついでに持ってきていたパジャマを洗濯機の中に放り込み、準備完了である。
「よし、それじゃ行くか!って後もう九分!?」
「あ、和真ちょっと待て」
「ぐえっ」
靴を履いて玄関の扉を半分開けた俺の首元を、後ろからティアが掴む。
一体なんだと振り返ってみると、彼女は片手に持った包みをこちらに差し出した。
「ほら、さっき着替えてる間に残ってた分を美少女直々に詰めといてやったぞ。卵と後冷蔵庫にあった梅干しとご飯」
……どうやら、先ほどの間に買っても全然使っていなかった弁当箱を見つけて昼飯となる弁当を詰めておいてくれたようだった。一応きちんと包んであり、綺麗に端を結んである。
時間が無いから購買のパンで済ませようと思っていたため、これはありがたい。だから今回は別にいいんだが……勝手に家を捜索するなよ。
「後、血も貰っとくぞ」
「あ、そうだったな。どこから吸うんだ?」
「首元で」
「そうか。じゃ、ほらよ」
シャツの上を引っ張って首元を開けると、そこにティアが噛みついた。彼女の腰まで届く黒髪が、一拍遅れて顔にかかる。甘い香りがふと俺の鼻をかすめ、心臓の鼓動が僅かに早くなるのを感じた。
彼女は十秒ほど俺の血を吸うと、口を外し、最後に残ったりを舌でなめ取った。その艶めかしい感触が、またも俺の血流を促進する。
「んー、もう良いぞ。にしても、やっぱお前の血は美味いなぁ。人間の物とは思えないほどの極上な味わいだ。例えて言うなら、年代物のワインのような……」
「いや、そんな感想はどうでも良いから。終わったんならもう行くぞ。弁当ありがとうな。じゃ、行ってきます」
「ああ。行ってらっしゃい――ア・ナ・タ?」
「誰がアナタだ!」
……これだけ見ると、新婚夫婦のようなやりとりだよな。
まあ、付き合ってるわけがないんだけど。
ちなみに、今日の彼女の予定はウチの魔術防壁の構築らしい。寝る前に、時間があれば迎撃用トラップなんかも仕掛けておくとか呟いていた。いやまあ、簡単な防犯装置とかなら別にいいんだけどさ。対悪魔用の聖域結界とやらも、百歩譲ってまあ良いとしよう。しかし話はいつの間にか、侵入者対策にレーザーを配置するとか、凶悪なキルトラップとか、明らかに危険そうなものにシフトしていたハズだ。
一体帰ってきた時にはどうなっているのやら、今から不安で仕方がなかった。
――さて、普段は健康のため徒歩と決めているが、今日ばかりは自転車だな。
アパート下の小屋の中から久々に自転車を取りだし、俺は全速力でペダルをこぎ始めるのだった。