「すれ違うことは今まで幾つもあった。
これからもそうなのかと思うのか、それとも思わないのか。
今の俺の考えはそこに帰結する」
------------------------------
――フィーニス・ソキウスの自爆から数時間前。
ホンコンに集った者たちはそれぞれの時間を過ごしていた。
------------------------------
トールにともに観光を持ち掛けられたディアッカは連れ立って歩き出した。
「ガイドマップ見てるけど、お店が多すぎてわかんないのよね」
「タクシー捕まえても言葉が通じねーしな」
あまりに雑多な人々が集う香港では、却って共用語が通じない場合もあった。
トールとミリアリアが、思うように観光できないという愚痴をこぼすとディアッカは笑って、
「そんなら、昔親父と一緒に行った店に連れてってやるよ! まぁ、腹減ってんなら、とにかく屋台でなんか食っとくか?」
と、慣れた様子で香港の道なりを案内した。
幼少のころから父に連れられ諸国を歩いたため、街の歩き方、というものを分かっている。
「オニーサン! バッグドウ! オカネモチスキ! バッグバッグ!」
気が付くと、怪しい風貌の中年女性が片言の共用語で、トールの手を取り露店に引き込もうとしている。
「ちょ、ちょっと! 結構です!」
「アラ、カノジョニプレゼントヨ!」
「ぷぷ」
ディアッカはそれを見ておかしそうに噴出した。
その後、三人はディアッカのオススメの酒家で広東料理を食べた。
オーブの育ちであるディアッカは、箸を器用に使って、料理を食べる。
ミリアリアとトールは最初用意されたナイフとフォークを使っていたが、ディアッカがコツを教えると、あっという間に箸の使い方を覚え、料理を食べ始めた。
「ミリィ、そのシューマイとってくれ」
「はい、トール、あーん」
「あーん……ンッ」
いつものように、ミリアリアがトールに料理を取って差し出す。
しかし、
「ハッ……」
ミリアリアは気が付く、今日はもう一人いたのだ。
「ンフフ……うらやましいね」
「んぐっ……んぐっ……だろ!?」
「……」
ミリアリアは赤面する。
「あ、あんたチャーハンだけでいいの?」
話を紛らわそうと、ミリアリアは言った。
「お二人さんの熱いサマを見てたら、これで十分だっての?」
ディアッカはニヤニヤして、烏龍茶を啜った。
「んー? じゃあ、ミリィのあーん、一回くらいなら、OKだぜ?」
トールはあっけらかんとしていった。
「ばかっ」
ミリアリアは隣席のトールを肘で突いた。
食事を終えると、時刻も夕暮れを越え、夜が迫っていた。
三人は、観光の最後に、小輪(フェリー)に乗った。
ホンコンシティの摩天楼が、船上からは輝いて見える。
さすがに、ロマンティストとはいいがたいミリアリアも、その光景には見入っていた。
「素敵……」
建物の、夜景の輝きなど、見え透いた虚飾でしかない。
プラント出身で、現実的な価値観を教育されるコーディネイターである彼女は最初はそう思っていた。
だが、それはどこか星々を――そして、宇宙に輝く人の営みである、故郷のプラント、コロニーたちを想像させた。
「ほら」
ディアッカは、船上で買ったジャスミンティーを二人分、トールに渡した。
「あっと……」
「デートのシメだろ……行って来いよ」
トールにウインクして、ディアッカは自分のジャスミンティーをストローで啜った。
トールは微笑むと、飲み物を二人分持って、ミリアリアの元へ向かった。
ディアッカは遠くで邪魔しないようにそれを見ていた。
二人は、先刻までの通り、しばらくの間はにぎやかに笑いあい、小突きあい、ふざけあっていたが、やがて、静かに夜景を眺めて……ミリアリアはトールの肩に頭をもたれた。
寄り添う二人の影は、夜景に照らされ、黒い、一つの影になる。
「……くく、お似合いじゃん」
自分は何をしているのだろう。
しかし、ディアッカは久しぶりに、戦争を忘れていた。
「……それじゃ、邪魔にならない内に消えておくかな」
そっと、その場をあとにしようとするディアッカ。
だが、
「おーい! エルスマン!」
トールが自分を呼ぶ声がした。
「ええ……?」
「この子がさ、写真を代わりに撮影してくれるって、来いよ!」
「おいおい。折角のいいムードだったってのに……」
トールは最後に、記念撮影するつもりなのだ。
三人は、香港の夜景を背後に、一列にならんだ。
トールが、妹を連れた12歳くらいの少年にデジタルカメラを渡す。
「いいのかね、俺まで写って?」
「何言ってんだよ、今日は本当に……ありがとな」
トールが笑顔で言った。
トールは、ミリアリアと腕を組んで、ディアッカの肩にも手を置いた。
ディアッカはふと、ミリアリアの方を見た。
ミリアリアは、とても柔らかい表情をしていた。
――そういえば、街で見かけた時には、もっと険しい表情をしていた。
これが、本来の、彼女の表情なのかもしれない、とディアッカは直感で思った。
「可愛い顔するじゃん」
――ディアッカは、その言葉を口にする直前で飲み込んだ。
(……って、それ言わない方がいいっつーの)
すこし残念そうな笑みを浮かべて、ディアッカはトールたちに合わせ、カメラのレンズの方向を向いた。
「君たちは旅行?」
「いえ、妹と疎開する途中なんです……」
「そっか、旅の無事を祈るぜ、ありがとな!」
少しばかり年下の少年からカメラを受け取るトール。
ディアッカの持っていた携帯端末にも、写真のデータをリンクで送る。
と……。
「お兄ちゃん!」
少年の妹が街のはずれの方を指さす。
カッ!
――夜空が一瞬、赤く染まった。
「爆発!?」
ドォオオン!!
ホンコンシティの港のはずれあたりで、大きな爆発が起きたようだった。
パニックになる、船上――。
それは、フィーニス・ソキウスのゲルフィニートが自爆した光だったが、フェリーの人間たちは知る由もないことだった。
『皆さま落ち着いてください、最寄りの港に入港いたします、皆さまお荷物を持ち、係員の指示に従い落ち着いて行動してください』
船内のアナウンスが鳴り響く。
フェリーは、港に向かって反転した。
「な、なんだよアレ!? ホンコンシティで戦争だってのか!?」
ディアッカが叫んだ。
「ミリィ……!」
「……うん!」
トールがミリアリアの方を向く。
ミリアリアもそれにうなずく。
「エルスマン、俺たち行かなきゃ……」
「ええ!?」
「……助けてくれてありがと……元気でね!」
二人は、港にまもなく入港するというアナウンスを聞くと、人であふれかえる搭乗口へと降りて行った。
「俺は……」
戻るのか、あの船に。
あの爆発、アークエンジェルと無関係ではないのではないか。
戻ればまた、戦争が、自分を包み込むのではないか。
はたまたは友が巻き込まれていくのを――この目で見ることになるのではないか。
ディアッカはふと、携帯端末を開いた。
今しがたの写真――。
トールと、ミリアリア。
このまま、オーブに戻れば、あのような出会いもまたあるかもしれない。
戦争が終われば、この二人とも再開できるのでは……。
しかし、そのすぐ隣のフォルダには、イザークや、アスランらと撮ったスナップも残っていた。
「くそ……! 無事だろうな、アークエンジェル!」
今はまだ、決められなかった。
ディアッカは友を捨て置けないのだ。
-------------------------------------
「シャニ……大丈夫? 落ち着いた?」
楽器屋の中、突然、頭痛を訴えたシャニを、公園まで連れていき、ベンチに座らせたニコル。
依然、苦しむシャニに手を伸ばすと……。
「触るんじゃねぇ!」
「あっ!」
その手をはねのけるシャニ、その眼光は凄まじく血走っている。
その異様に、足が引くニコル。
「ああ……」
だが、シャニの瞳は、一瞬で悲哀を帯びた、虚空を感じさせるものに変化する。
――それが、ニコルにとって、妙に印象に残った。
「……」
シャニは沈黙したまま、首にかけていたヘッドフォンを耳にはめて、ニコルを眺める。
「……悪い、でも聞こえる」
「……?」
シャニが聞こえる、とつぶやいたことの意味を分かりかねるニコル。
ヘッドフォンで、耳を封じた直後にいう言葉ではないだろう。
「お前との音楽が……」
「あっ……シャニ……」
ニコルはシャニが、ほんのわずかに、無表情そうに見える口元を、柔らかに曲げた気がした。
と、コーン、と虚空に何かの音が響いた気がした。
花火? とニコルは思ったが、にわかに喧騒が激しくなってきた。
「……あ……」
とシャニは、何かに気づいたように、ヘッドフォンをしっかり支えるようにすると、ニコルに何か言いかけたが、視線を背け、どこかに歩き出した。
その背中は、どこかニコルを拒絶するようにも見えた。
ニコルは、声をかけられなかった。
シャニとは、そのまま別れた。
「……どういう人だったのかな」
ニコルと共にシャニを介抱していたジュリがつぶやいた。
「わからないけど……あの音楽が見れたから」
ニコルは、どうしてよいかわからない顔をしていたが、その表情は優しげだった。
ジュリはそういうニコルを好ましく感じていた。
「優しいのが一つ……重いのが……一つ……」
ふらつく頭を抱えながら、シャニは港の船を目指した。
それは今しがたゲルフィニートが発進された、連合の擬装船だった。
-------------------------------------
「……ずいぶん遅かったな」
イザークは駆けてきたフレイに声をかけた。
食事の約束の為だ。
当のイザークも、キングとの鍛錬の為汗だくになったので、一度着替えに戻り、時間ギリギリに到着していたのだが。
それにしてもフレイが待ち合わせに遅れたことなぞ、滅多にないな、とイザークは思った。
「整理に時間が掛かっちゃって……」
「……まあいい、どこに行く?」
イザークにしては、素直に遅刻を受け入れた。
彼もまた、戦争を受けて、時間の尊さを学んだ。
折角の食事の時間をそんなことで潰したくないのだ。
「……イザークの行きたいところでいいわ」
フレイは、そんなイザークの気を知らずか、すべてイザークに任せてきた。
「でも、この街、アルスターさんと住んでいた所だろ? お前の行きたいところで……」
「いいの、わたし、この街好きじゃないから」
「フレイ?」
イザークはちらりとフレイの目を覗き込んだ。
瞳は何も語らなかった。
-------------------------------------
「よう、アンディ、物資の用意はできたぞ、時間をかけてすまなかったな」
「どうも、ゴルディジャーニ社長」
ゴルディジャーニ商会で待たされること数時間、すでに時刻は夜に差し掛かっていた。
アンドリュー・バルトフェルドは形だけの礼をすると、その場を後にしようとした。
「アイシャは元気か?
ダンテ・ゴルディジャーニがニヤリと笑っていった。
「元気ですよ……僕の最愛のレディだ」
「フ……じゃあ早くベイビーが生まれるのを祈ってるよ。 そうすれば、あのプログラムも無駄じゃなかった。遺伝子調整技術を禁じられた権力者たちは、我が子を直接調整することは叶わなくなった。 そのため、理想の子を産む
「……!」
思わず、バルトフェルドは怒鳴りたくなったが、相手の術中にはまる事は望むところではない。
「まあ、イヴが産んだのはアベルとカインだ……人類最初の殺人の当事者の、な。 ……そういえば、港でひと騒動あったらしいぞ……早く戻った方がいい」
「なんですって?」
「くく、やはり、我らはカインの子か?」
――バルトフェルドは、ダンテへの怒号を飲み込んで、息を深く吸い、気持ちを落ち着かせる。
そのまま戯言を続けるダンテを放って、バルトフェルドは部屋を後にした。
-------------------------------------
――そして現時刻。
-------------------------------------
「……自爆されちまった。 だがあれは、
『ふむ……軍の上層部は、とことんこの戦争を利用するつもりだろう』
――ホンコンシティの自治警察から解放されたネオが、現場近くに置かれているアッシュの通信機で何者かと会話している。
暴走したモビルスーツを止めた身でもあるので、報道管制は敷かれるはずだし、あまり人目にさらしたくない新型機だが、やむを得ないだろう。
「まあ、手は回してくれたようだな、助かる。 ……しかし、ザフトのモビルスーツと守秘回線までつなげるように手回ししているとはやりすぎじゃないか?」
『言うなよムウ。私と君の仲ではないか。……いや、ネオ・ロアノーク隊長とお呼びすべきかな』
「おいおい……」
『後は任せてくれたまえ、なんにせよ、奴らが動き出した以上”遺産”の在処はいずれわかるさ、君はステラを失うんじゃないぞ』
ネオは通信を切ると、帰艦手続きの続きに取り掛かった。
中立地域でモビルスーツを乗り回したのだ。
便宜を図られても、すぐに放免というわけにはいかなかった。
そして……。
(……キラ)
”偶然居合わせた”部下の分の手続きも行わなければならなかった。
-----------------------------------
「気が付かれましたか?」
「ン……ミーア?」
アスランが意識を取り戻すと、周囲は自治警察の車両と警官らしき人だかりに囲まれていた。
自分たちは屋根だけの簡易的なテントの中にいるようだった。
ミーア……ラクスはシートの上に座り込み、眠るアスランの頭を膝に乗せていた。
そして、彼の顔を濡れた布でふいてやった。
「ああ……無事だったのですか、良かった……何が、どうなって……?」
「……どうやら、テロリストが、わたくしを狙った、それがこの顛末のようです」
「君を?」
そこで、アスランは思い出した。
あの追跡者たちは、自分のことを知っていて、ミーアのことを、別の名前で呼んだのだ。
「わたくしも、事情聴取に向かわねばならないようです……ごめんなさい、”アスラン”」
”ラクス・クライン”と。
「ミーア、君は……!」
ミーア……ラクスはアスランの半身をそっと立てた。
と、アークエンジェルにも乗艦していた赤毛の少女――マユラが、ミーア……ラクスの手を引き、自治警察の元へと案内していった。
「……アスラン、ごきげんよう、また後程」
ラクスがアスランにほほ笑みかける。
手を伸ばせばまだ届く位置に彼女の頬はあったが、その笑みはアスランにとても遠く感じた。
アスランは呆然として、去りゆく彼女の背を目でおった。
「待ってください、ミーア――私は」
だが、彼女が進む先には――
(……キラ!?)
視線の先にいたのはキラ・ヤマトだった。
アスランと、ラクスの事が気になって様子を見に来たのだ。
キラは、海に濡れたため、ネオの持ってきた赤いザフトの制服に着がえていた。
キラを見た、アスランは、震えていた。
乾いていた口が、さらに乾く。
「お前が……ラスティ……!」
その胸に、戸惑いと、悲しみと、怒りともつかない張り裂けそうな気持がこみ上げてくる。
「あ……」
一方キラも、沈痛そうな表情でアスランを見た。
三度目の再会だった。
なんでだろう。
会うたびに、こんなことを望んでいるのではなかったのに。
キラは、口にはできない思いに、爪が掌の皮膚を破るほど、強く手を握り締めていた。
「――ッ!」
アスランとキラは、互いに何かを語ろうとした。
だが、それは声にならなかった。
「アスラン」
そんな中、アスランに背後から声をかけるものがいた。
――クルーゼだった。
騒ぎを聞いた彼は、連合の少年兵が巻き込まれたと聞き、駆けつけたのだ。
アスランは返事もせずに、キラを見ていた。
と、クルーゼがアスランに向けていた視線を前に向けた。
――感じたのだ。
キラを迎えに来た、ネオ・ロアノークを。
「ネオ・ロアノーク……!」
「……ラウ・ル・クルーゼか!?」
戦場では何度も相対した、が直接顔を合わせるのは初めてのはずだった。
が、ネオには目の前の男がクルーゼだと、確かに感じられた。
ホンコン自治警察の巨大なライトが、昼のように、ゲルフィニートの自爆現場を照らしていた。
アスランとクルーゼ、キラとネオ。
――そして、その間に挟まれるラクスという形になった。
キラとアスラン、その二人の視線に挟まれたラクスは、感情の読み取れない表情で沈黙した。
-------------------------------------
やがて、事態の収拾と事情聴取のため、ホンコン自治警察が当事者となる面々をそれぞれのテントに連れて行った。
「ラクス様……折角のホンコンでしたのに」
聴取へ向かうラクスを出迎えたのは、側近の一人マユラだった。
「貴方こそ、デートの途中だったのでしょう?」
「いえ、私は……」
「収穫はありました……ふふ、母が生まれ、父と出会った場所なだけあります」
ラクスは、ネオと共に連れ立って歩くキラを見た。
そして、自身の唇をなぞってみた。
唇は、知っている。
そして、饒舌に彼女に語っていた。