○マルツ・デラードサイド
鈴音さんとニーナさんがようやく追いついてきたのは、蛍とユウがお化け屋敷に入ってしばらくしてからだった。それにしても、さっきからここに入る人たちはなんで男女のペアばかりなんだろう。
「……お待たせ」
鈴音さんがどことなくボンヤリとした感じで言ってきた。はて? 何かあったのだろうか?
一方のニーナさんは変わらず元気だった。
「お待たせー! あれ? ケイくんとユウさんは?」
「お化け屋敷に――あ、出てきた」
グッドタイミングだ。おかげで説明する手間が省けた。
それにしても鈴音さん、やっぱり妙だな。さっきまでの彼女なら、ケイとユウが一緒にお化け屋敷から出てきた段階で何か言いそうなものだけど。
「よし、じゃあボクたちも入ってみようか、マルツくん」
「……ええっ!?」
「ほら、早く早く」
ニーナさんに引っ張られてお化け屋敷の中へと進んで行く僕。
「やだっ! 僕、すぐに戻る!」
「なんでさ」
「いや、だって……」
言っておくが、僕は決してお化け屋敷が怖いわけではない。怖いのは隣にニーナさんがいることだ。
「分かった。お化けが怖いんでしょ?」
「そういうことにしておいていいよっ!」
「よし、じゃあお化け恐怖症克服のためにもレッツゴー!」
ああ、逆効果。
しかし参ったなぁ。ニーナさんが隣にいるというこの状況が何より落ち着かない。
そもそもケイたちは気づいていないだろうが、昨日コンビニ強盗に向けて彼女が放った<
まず彼女はあのとき、呪文の詠唱をしなかった。それ自体が脅威以外の何物でもない。
それに、彼女はあのとき<
もし仮に、この世界に来たせいで黒い矢の本数が一本に減ってしまっていたのだとしたら、矢の出現位置はランダムで決まるはずだから、あんな正確に強盗の顔を捉えられるはずがない。やはり、彼女は意図的に<
別にそれ自体は脅威ではない。それくらいは僕にだって出来る。自分が住んでいた世界でなら。けれど、この世界で同じことをやるのは至難の業だ。というか、僕には不可能だ。そして、ニーナさんはそれをあっさりやってしまったのだ。
呪文の詠唱もせずに、いつでもフルパワーの魔術を使える存在。それがニーナさん――『
そう。今この瞬間にも彼女はあっさりと、いつもの笑顔を浮かべたまま、僕を殺すことが出来るのだ。そんな存在の隣を僕は歩いているのだ。これを恐怖と呼ばずしてなんと呼ぼう。
もしこの考えをケイたちが聞いたら、ずいぶんと物騒な思考をしていると思われることだろう。ここはそういうところだ。そういう、安全な世界だ。
僕はそんなこの世界を、実は嫌いじゃなかった。そりゃ、最初は早く元の世界に帰りたいと思っていたけれど、ニーナさんに帰れると言われた瞬間、あんまり元の世界に帰りたくないと思っている僕に気がついた。
ケイたちは僕が元の世界に帰ると思っているようだ。それはそうだろう。あの世界こそが僕の親や師匠、友人の住んでいるところなのだから。
でも、僕の友人はこの世界にも出来てしまったのだ。そして僕は、この世界の居心地の良さに気づいてしまったのだ。だから、別に『お別れ』といわんばかりにこんなところに連れてきてもらわなくても……。
僕には正直、自分の世界に帰ろうという気持ちはもう、ないのだから。そりゃ、永遠に帰れなくなるというなら話はまた別だけどさ……。
――そう。僕はこの世界に留まる。それが僕の選択だ。もし永遠に帰れなくなるというのなら、そのときにまた考えればいいさ。
「ねぇ、マルツくん。ひょっとして、この世界に留まろうとか思ってない?」
ギクリ、と思わず身体を強張らせる。
「この世界はまあ、それなりにいいところだよね。魔術を使うのがシンドくはあるけど、なにより平和だもん」
「……?」
ニーナさんがなにを言いたいのか、僕にはよく分からなかった。
「『
「え……? じゃあ、今は……?」
「みんなの前で言うわけにはいかない気がしてね。……黙ってた。そもそも、なんでキミを『
そういえばそうだ。仮にも『
「キミは相当優秀な魔道士だよ。それこそ、この世界でも多少は魔術を使えるくらいの、ね。だからこそ、キミを連れて帰る必要があるんだ」
「一体、どういう……?」
「いま『
「…………」
「なにが原因かは分からない。ただ、時を同じくしてキミがあの世界から消え去った。だからボクは原因を調べに来た。そしてキミを連れ帰りに来た」
「でも、僕はこの世界に――」
「今、『聖戦士』たちがことに当たってくれてる」
「師匠たちが……?」
「そう。それにミーティアさんもフロート公国に来てくれてる」
「……あの『虚無の魔女』が?」
まさか、そんな事態が起こってたなんて……。
「魔族がこの世界にやって来られるようになるのも、時間の問題だと思う。もしそうなったら、キミはこの世界でどうする? 魔術もろくに使えない、この世界で」
「もしかして、モンスターの凶暴化も、魔族がこの世界に来るかもしれないっていうのも、ケイの
「おそらく、ね。それで、どうする? キミは自分の生まれ育った世界を放棄して、この世界でいつ魔族がやってくるか分からないまま過ごす? それとも、今の状況をなんとかするために『
そんな風に訊かれたら、答えは決まってるじゃないか。だって、この世界に魔族がやって来るってことは、イコールでケイたちの死を意味するんだから。僕の、友人たちの――死を。
それに、師匠たちが僕の力を必要としてるのなら、無視することなんか出来るわけない。
……ああ、でも。本当は、もう少しだけ、この世界に――いたかったなぁ。
平和な日常を――楽しんでいたかったなぁ。
まだ、あの世界には――『戦場』には、戻りたくなかったなぁ……。
でも、それはワガママ。
ワガママなんだ――。
◆ ◆ ◆
夕闇の忍び寄るケイのアパートの前で。
「……それじゃあ」
僕はケイたちに別れの挨拶を済ませた。
涙は――流さなかった。ぐっとこらえた。
きっと――きっとだけど、僕には僕の、彼らには彼らの居るべき場所があって。それぞれの――戦いがあって。それぞれの――物語や役割があって。だから、そんな僕たちは、もう関わるべきじゃないんだって、そう、思った。――そう思い込むことにした。
もちろん、悲しくはあった。寂しくもあった。でも、この事態を放っておくことは――僕には出来ないから。
ケイたちが魔族と戦うハメになるところなんて、見たく――なかったから。
だから――。僕は彼らに『お別れ』を、した。
「――じゃあね」
「ああ、またな」
そう返すケイ。
……違うんだよ。もう、会えないんだよ。なのに、なんでそんなセリフを選んで――。
いや、僕には分かっていた。また会えると――信じるとまではいかなくても。
せめて、また会えると願っていたい。思っていたい。
彼はそう思ってその言葉を使ったのだ、と。
「さ、マルツくん。準備出来たよー」
ニーナさんの声に導かれるようにして、僕は彼女のほうを向いた。ケイたちに――背を向けた。
そこには、薄っぺらい光の壁があった。それそのものが白光を放っている光の壁が。
「これは『
言ってケイのほうをちらりと見るニーナさん。そして、『刻の扉』をくぐるようにと僕にその瞳を向けてくる。
僕は――ただ無言で『刻の扉』へと足を踏み出した。
やがて周囲が光に包まれる。それでもなお歩き続け――
――不意に。気配がした。どうしようもなく邪悪な、敵意に満ちた気配が。
しかし、それもすぐに消え去った。
そして、僕の目の前に――見渡す限りの草原が広がる。
「やっと戻ってきたようだね。まったく、ニーナったらのんびりしすぎだよ……」
声の聞こえたほうに目をやると、そこには三人の人間の姿。
ひとりは今、口を開いた少女。
ひとりは、僕の師匠のパートナーの男性。
そして最後のひとりは、僕の師匠。
少し目をこらせば三人の立つ方向に、僕の住んでいた町、カノン・シティが見える。
とりあえず僕は声をかけてきた少女――茶色がかった髪に赤いヘアバンドをしている少女に戸惑った顔を向けた。
「えっと……?」
一見すれば、彼女はニーナさんのように見える。というか、ニーナさんにしか見えない。
しかし、目の前の少女とニーナさんには違うところがふたつあった。
まずひとつ、服が違う。ニーナさんが着ていたのは『
そして、もうひとつの違う点。ニーナさんに比べて明らかに髪が長い。ニーナさんはショートだったけど、彼女はセミロング。肩にかかりそうだ。
ちなみに、年齢は同じくらいに見える。……双子かな? いや、『
「あ、そういえばキミとは初対面だったね。ええと……ボクはニーネ。ニーネ・ナイトメア。ニーナとは同一にして別個の存在。まあつまりは、ボクもまた『
ええと……。要するに、彼女とニーナさんは本当に双子――のようなもの?
僕の困惑をよそに「あはは」と笑うニーネさん。
「いやー、ニーナからキミの情報受け取ってたから、ついついキミもボクを知ってるものと考えちゃってたよ~」
「情報を受け取ったって……いつ? そもそも――って、ニーナさんがいない!?」
「え? ああ。すぐ帰ってくるんじゃない? あっちで後始末を終えたら」
「後始末?」
「え? あ、う~んと……。あ、ほら、話し込んでないでキミの師匠と感動の再会でもしたら?」
「感動の、って……」
そう言いつつも、僕は師匠たちのほうに向きなおる。
男性のほうはファルカス・ラック・アトールという名の魔道戦士だ。そうそう、かつて『
金色の長髪に、強い意志をうかがわせる茶色がかった瞳。さらに額には赤いバンダナ。
よく鍛えられた身体にまとうのは、特殊な魔力が付加されているという黒い鎧だ。そして、その腰には夕闇をも吸い込むような透き通った剣――
「お帰り、マルツ。大変だったでしょ?」
そう声をかけてくれたのは、ファルカスさんではなく、僕の師匠――サーラ・クリスメントだった。
腰まであるまっすぐな青い髪を少し揺らし、奥の深さを感じさせるふわりとした青い瞳が僕の瞳を正面から覗き込んでくる。つられるように師匠が胸元に下げている銀色のペンダント――『まもりのペンダント』がかすかに音を立てて揺れた。
僕はその師匠の行動に思わずドキリとしてしまった。そう、僕の師匠はなにを隠そう女性である。それも、かなりふんわりおっとりとしていて、無防備な。このふんわりおっとり具合で『聖戦士』だというのには正直、僕も恐れ入る。ちなみに二つ名は『地上の女神』である。
それはそれとして、いくら相手が師匠だとはいっても、二十二歳の女性にそんな行動に出られたら誰だってドキリとしてしまうだろう。十七歳の少年である僕ならなおさらだ。それも師匠はかなり造形がいい部類に入るし。本当、弟子入りした頃の五年前とは違って、僕も健全な少年に成長したのだということを、そろそろ彼女にも認識してもらいたいものだ。
……まあ、師匠のこの行動が、純粋に僕のことを心配してくれてのものだということは理解できるのだけれど。僕、きっと……いや、間違いなく元気ない表情をしているだろうし。
元気のない理由なんて明白だ。誰がこんな心境で元気にふるまえるだろう。いや、師匠ならやりそうな気はするけど。
泣き出しそうになるのを必死にこらえている僕を見て、師匠が少し首を傾げた。師匠の髪の匂いが僕の鼻をかすめる。
――限界だった……。
瞬間、僕は師匠の薄緑色のローブ――『
胸の中に――あるいは脳裏に浮かぶのはケイたちとの楽しい思い出ばかりで。
少なくとも、今この瞬間に溢れ出したこの涙は、元の世界に戻ってこれた嬉しさで流れているんじゃないことだけは確かだった。これは、悲しみの涙だった。
師匠はそんな僕の頭に手を添えると、まっすぐな青い髪を揺らして、ただ、そっと抱きしめてくれた。そう、それは僕が彼女に弟子入りしたばかりの頃。ちょっとした悪ふざけをして、ファルカスさんに怒られて泣きじゃくっていた僕に、師匠がそうしてくれたように。彼女の持っていた
きっと、師匠の中では僕はまだまだ子供なんだろう。十二歳のあの頃と変わっていないんだろう。なぜか、そう思った。
ちなみに師匠は<
僕はただただ泣いた。あのときと同じように泣きじゃくった。
そして、悟る。
ああ、僕はまだまだ子供なんだ、と。
師匠の胸の中で、実感する。
その匂いを感じて、実感する。
ああ、僕は自分の住む世界に――師匠たちと過ごしていた世界に帰って来たんだ、と。
自分の本来いるべき場所に帰って来ただけなんだ――と。
そう実感しても、やっぱり涙は止まりそうになかったけれど。
それでも。
僕は――ここに、帰って来たんだ……。
○???サイド
『
そろそろ『
さて、私も彼――式見蛍にちょっかいをかけてみるとしよう。
その結果、どういうことになるかは私にも分からないけれど。
とりあえずは――楽しければそれでいい。
――そう、とりあえずは……。