○マルツ・デラードサイド
「…………」
知らなかった。『
だって、普通は想像しないだろう。世界を創った全知全能の存在なのだと思っていたものが、実は人間と同じように悩んで、苦しんで、なんとか答えを出しながら生きている存在なんだ、なんて。
そしてなにより、『
ニーネさんが僕の様子は気にした風もなく、唐突に口を開く。
「ファルカスくん、サーラさん。ニーナ、どうも思ったよりも苦戦してるっぽいよ。やっぱり戦ってる場所が悪いのかな。『
「『
それは『
だとすると、この世界に帰ってくるときに感じたあの敵意の正体は――。
いや、でも――。
「なんで!? なんでそんな凶悪な奴らが地球に!?」
僕がここに戻ってきたのは、地球に魔族が行かないようにするためだ。ケイたちにそういう危険が及ばないようにするためだ。いや、もちろんそれだけが理由ではなかったけれど。
それにしてもなんで――
「キミが地球ってところに行ったすぐあとぐらいにね、ダークマターと『
「そんな……、だからって……。それで、ケイは? ケイたちは!? みんなは無事なの!? ニーナさんと一緒にいるんだよね!?」
「――なるほど」
その声に振り向くと、ファルカスさんが「やれやれ」と頭を掻いていた。
「その『ケイ』って奴らのことが心配で戦闘に集中できてなかったってわけか」
「う……」
「…………。行ってこい」
「え……?」
いま、なんて……?
僕の肩に手が置かれた。柔らかい、女の人の手が。
「マルツ、行っておいで。そして、ちゃんと納得できるかたちで帰ってきて。でないと最悪、いつまでも悔いが残るだけだから。――ニーネちゃん。『刻の扉』、頼めるよね?」
「いや、反対できないって。この雰囲気じゃ……」
そう言って『刻の扉』を作りだすニーネさん。
「まあ、ニーナにも助けが必要だろうしね。ボクからも頼むとするよ、マルツくん。――ニーナをよろしくね」
「あ、ハイ……」
なんか、妙な気分だ。『
「あ、わたしも魔法力が回復したらすぐ助けに行くよ。だからそれまで頑張っててね、マルツ」
「え? 師匠も来るんですか?」
「そうだよ。なにか問題ある?」
「えっと……」
僕はファルカスさんとニーネさんを交互に見やる。
口を開いたのはニーネさんだった。
「大丈夫。『
「そ、そうですよね。……って、え……? 『黒の天使』?」
――『黒の天使』。
それは七人いる『聖戦士』たちのひとりが持つ二つ名だ。『黒の天使』だけは本名が明らかにされていないんだけど……。
「ほ、本当に……?」
「もちろん。さあ、行った行った」
僕の背中をグイグイと押してくるニーネさん。そんなに押さなくてもすぐ行くって……。
気を取り直し、三人に告げる。
「――それじゃあ、行ってきます」
そして僕は再び地球へと向かった。事故によって、ではなく、自らの意志で。
○神無鈴音サイド
ニーナさんが憑依を解いてユウさんの中から出てきた。その顔には焦りの表情が色濃く貼りついている。
私にだって分かった。状況は最悪だって。この事態をどうにかすることは――少なくとも私には出来ないって。
それなのに、ニーナさんは私に目を向けてきた。
「鈴音さん。ダークマターの『力』は取り込んだ悪霊の力がほとんどなんだ。だから、ダークマターの取り込んだ悪霊をどうにかして引き剥がせないかな? それが出来ればどうにかなりそうなんだけど」
私は一瞬、返事をするのを戸惑った。出来ない、なんて残酷な現実をニーナさんに突きつけたくなかった。そう思わせるほどにニーナさんは私の
でも、やはり出来ないものは出来ない。そう言うしかなかった。
「ごめん、私には……。感づかれずに少しずつ干渉できればあるいは可能かもしれないけれど、一気に引き剥がすとなると……」
「要するにダークマターが自分に干渉されてることに気づかなければなんとかなるんだね?」
「理屈の上ではそうだけど……。私の除霊法は相手に不快感を感じさせるものだから、どうやっても気づかれると思う……」
自分の力のなさを口にするのは正直、辛い。蛍たちも隣で聞いているし。でも、出来ない以上はそう言うしかなかった。
ニーナさんは私が不可能だと言っているのに、なおも言い募ってくる。
「じゃあ、気づかれても鈴音さんが集中を切らさずに干渉し続けられれば――ダークマターの邪魔が入らなければ悪霊を引き剥がすことは出来るんだね?」
「それは――確かに時間をかけて徐々に干渉できれば可能だろうけど、でも、そんな状況でダークマターが私を無視してくれるわけが――」
と、そこで蛍が口を挟んできた。
「鈴音の与える以上の不快感を同時に与え続ければいいんじゃないか? ほら、痛みはより強い痛みでごまかせるっていうし」
「でも蛍、どうやってそれをやるの?」
「う……、それを言われると……」
「ボクもあんまり残ってないしねぇ、魔法力」
「もう一度ユウに憑依してみるとかは?」
「やめてよ、ケイ!」
「ケイくん、ユウさんの魔法力はもう、まったくといっていいほど残ってないんだよ」
「う~ん、そうか……」
「ちょっと! 無視!? 私の発言無視!?」
ちょっと会話が混乱してきた……。
そこに、ねちりっ、とした声が割り込んでくる。
「さて、ではもう終わりにしようか」
言うが早いか、ダークマターがこちらに――蛍に掌を向けて黒い波動を放ってきた。
やられる――!
思わず目を閉じかけたそのとき、ゆらりっ、と蛍の目の前の空間に揺らぎが生じた。
刹那の間をおいて現れた緑の髪のその人は、なんと腕の一振りでダークマターの黒い波動をはじき散らす!
「ずいぶんと強気じゃない、『ダークマターの欠片』さん。弱いものいじめがそんなに楽しい?」
「あ……」
その人が誰であるかをようやく脳が認識し、私は思わず声を洩らした。
『彼女』はそんな私を一瞥すると、すぐにニーナさんに視線を移す。
「思ったよりも手こずってるじゃない、貴女らしくもない」
長い緑の髪が風に揺れる。
年の頃は二十四、五。
「なんだったら、手伝ってあげましょうか?」
そのありがたいとしか思えない申し出に、しかしニーナさんは固い口調で返す。
「へえ、どういう風の吹き回し? 高位魔族のひとり、『
その言葉を聞いて、私は絶句した。
――高位魔族のひとり、『
ニーナさんにそう呼ばれた女性は今日、遊園地でたまたま出会った人だったから――。
○同時刻 アメリカ某所
フィッツマイヤー邸、と呼ばれる豪華な屋敷の一室で。
老人と少女がテーブルに向かい合わせに座って、しばしの平和な――祖父と孫娘という関係に戻れる時間を過ごしていた。
たゆたうように流れている時間は、なんとも穏やかで和やかなものである。
「なにやら、この世界にはあってはならぬ『歪み』を感じるな……」
老人がそうポツリとこぼした途端、穏やかさも和やかさもあっさりと霧散したが。
少女は全身を少し強張らせてうなずいた。
「『歪み』の源は――日本にあるようですわね」
老人の名はレグルス・フィッツマイヤー。
それに向かい合っている金髪
悪霊の退治を――より正確に言うのなら、世界の『歪み』を正すことを
テーブルに置いてあったカップを手に取ると、レグルスは中に入っていた紅茶を一口飲んだ。
「スピカ、シリウスに伝えてくれ。すぐに日本に飛ぶように、と」
「お兄様に? 必要ありませんわ。わたくしひとりで行ってまいります」
シリウスという名が出た途端、スピカの声に険が込もる。明らかに不機嫌になっていた。彼女はそれを隠そうともせずに手にしていたカップの中身を一気に飲み干した。ちなみに入っていたのはミルクティーである。
「明日、一番の飛行機で向かうとしますわ」
カップを少々乱暴に置いてスピカは席を立った。かるくウェーブのかかった肩くらいまである金髪がふわりと揺れる。
レグルスはそれに心配げな表情を浮かべた。
「お前がひとりで、か? しかし日本では神無か
「お爺様はわたくしが神無家や九樹宮家といざこざを起こすと、そうおっしゃりたいのですか?」
レグルスとて、そんなことは言いたくなかった。しかし孫娘の性格からして、神無や九樹宮と接触があった際、問題を一切起こさずにことを収めるのは無理があると思われた。なので老人はその辺りを正直に口にする。九樹宮のほうはまだしも、神無家といざこざを起こすことはしたくなかった。
「そう思っているからこそシリウスを向かわせたいのだ。あいつなら上手く立ち回りそうだからな」
スピカの沸点はかなり低い。普段ならそろそろ怒鳴りだしている頃だ。しかし、そうはならなかった。おそらく、神無家には自分と同年齢の少女がいるという事実が彼女の負けん気を刺激しているのだろう。
「っ……! とにかく、お兄様に向かっていただく必要はございません。わたくしだけで充分ことは収められます」
「……だと、いいのだがな」
思った以上にねばるスピカにレグルスは嘆息した。
スピカは苛立ちまぎれに、日本にいる同業者に文句を言いだす。
「まったく……神無や九樹宮はこのような大きな『歪み』が生じているというのに、なにをやっているのか……」
「なにもやっておらん、ということはないだろう。だが、法律に縛られ、動きが遅くなっている可能性はあるな」
「ともあれこの件、わたくしがなんとかしてみせますわ。もし『歪み』を起こしているのが人間だった場合でもきちんと処理してまいりますから、ご心配なく」
そこまで言われて、レグルスはとうとう折れた。もちろんこの場合の『処理してくる』というのは『殺してくる』という意味である。スピカは状況をそこまで想定していて、なお自分が行くと主張しているのだ。折れるしかない。
「うむ……。神無や九樹宮とのことで不安要素は尽きぬが、お前がそこまで言うのなら仕方がない。だがシリウスにも一応伝えていくのだぞ」
「承知していますわよ」
憤然として言い、スピカはシリウスの部屋へと向かうのだった。
「まったく、なにかある度にシリウス、シリウスと……。わたくしだってもう充分に一人前だといいますのに……」
そんなことを不機嫌そうな表情のまま呟きながら――。