放置してた短編を掲載してみる。

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三毛猫の原風景

 1 響き

 

   ●

 

 ああ、まだ僕は生きているんだ。

 そういう思考で、僕の朝は始まる。

 空を見上げれば、宙返りしながら飛び去る烏がいる。

 その烏の鳴き声でさえ、僕にとっては目覚まし代わりのアンビエント・ミュージック。

 僕の聞く音が、僕にとっての音楽。

 僕が見ているものが、僕の世界。

 地を踏んで歩く僕の足は4つ、僕の体を彩る模様は3色。

 だから僕は、人間には三毛猫と呼ばれる。

 でも、僕自身は三毛猫なんていう名前じゃない。

 まして、人間が区別の為につけたつまらない名前も僕の名前じゃない。

 僕だけの名前がもしもあるのなら、それは間違いなく「僕」、きっと、ただそれだけ。

 この世界には色んな名前がある。

でも、結局は全部「僕じゃない」という名前に落ち着くことを、僕は理解している。

 人間が僕たちを首輪でしか区別できないように、僕も世界を区別できない。

 なら、「僕以外」に纏めてしまえ。

 そんな世界の中に、僕は独りで放り出されて、行くあてもなくふらふら彷徨う。

 首輪をつけてもらえば? だって?

 そんなのは嫌だ、人間の世界なんて見たくもない。

 僕が見たいのは僕の世界だけだ。

 だから僕は、僕の頭の中で響く音に従って歩き続けている。

 僕の頭の中に響くのは、迷宮の中でゴールを教えてくれる、優しい導きの声。

 生まれて、考えていく自分の中に、いつのまにか生まれていた、僕の中のもうひとつの声。

 その声に従って去っていく僕を、誰も止めなかった。

 誰も、僕が何を考えているかを理解しようとはしてくれなかった。

 覚えている限りのスタートラインは、赤い布が敷かれた、屋根なんてない箱の中。

 僕の前を、何人もの人間が、来る日も来る日も通り過ぎていく、そんな風景。

 でも、僕はその風景に触れない。

 最初はそう思って、ただ諦めた。

 でも、僕は頭の中の声を聞いて、それがただ甘えているだけなんだ、と思い知った。

 一緒にいた兄弟らしい黒白の雄猫は、僕の話を聞いても、馬鹿にしたみたいに笑うだけで、ただ箱の中で見る世界に満足している、そんな様子だった。

 でも、僕は箱の中だけが世界だと思いたくなかった、だって、声がそう教えてくれるから。

 声は僕に世界の広さを教えてくれた。

 だから箱の底を強く蹴って、外の世界へと飛び出した。

 箱さえも僕を止めなかったから、振り返らないで歩き始めた。

 響く声は僕に繰り返し繰り返し語りかけてくる。

 君は何処にいる? 君の身体じゃない、君の心は何処にいる?

 考える僕の心は、間違いなくここに存在している。

 僕は心で考えているから、こうしていつまでも歩いている、歩いていられる。

 「考える僕の心は、僕の胸の中にある?」

 いや、それはただの心臓だよ、と頭の中の声は否定する。

 「じゃあ、考えてるのは僕の頭の中?」

 いや、それはただの脳だよ。

 声はまた、僕の答えを否定した。

 じゃあ、一体僕という「僕」は何処にいるんだろう。

 だから、僕は僕を探す。

 行くあても、寝床もない、でも、それこそが自由って奴じゃないのか。

 今、この世界で僕は自由だ。

 

 一体僕は、何処にいるんだろう。 

 僕は自由だからこそ、天を仰いで考える。

 そういえば、何で僕はこんなにも空を見上げるのが好きなんだろう。

 僕の疑問の種は尽きない。

 別に、尽きてくれなくたっていいけれど。

 

   ● 

 

 2 笛吹き 

 

   ●

 

 僕は未だに思考とそのリセットを繰り返しながら、独り歩いていた。

 自分のこと、他人のこと、それから、今立っている世界のこと。

 そんなことを考えながら歩いていると、何かに足を引っ掛けて、転んでしまった。

 傷はなかった、でも驚きで心が痛んだ。  

 この痛みが何処から来れば分かれば、僕の居場所もきっと分かるんじゃないか。

 また立ち上がって、歩いて、そして考えればいい。

 そう思ったとき、僕の左側にあった茂みで何かが音をたてながら動いて、声を発する。

「……懲りない奴、馬鹿みたいに考え続けてさ」

 何処の誰かと思えば、そいつも僕と同じ猫だった。

 そいつは僕を見て、笑っていた。

 でも、口で言っていることとは違って、僕のことを馬鹿にするような、そんな悪い笑いではないように見えた。

 きっとそれは、喜びの笑い。

 僕は、他人のそれを初めて見た。

「だけどお前は馬鹿じゃない、馬鹿は考えても忘れるだけか、考えても言葉にできないからね」

 灰色の毛並みと、長い年月と同じように長く伸びた髭が、風を受けて寒そうに揺れている、きっとこいつも雄猫だ。

 僕が「考えている」ということを、こいつは不思議に思わないのだろうか。

 どうしてこいつは、僕が考えているって分かるんだろう。

 僕の中の声に聞いても、答えは返って来ない。

「歩くときはさ、そう深く考え込まないほうがいい、そんな感じでぼんやり歩いてて、そのまま車に轢かれて死んだ奴を俺は少なくとも3人知ってる、お前は4人目になりたいのか?」

 躓いて転んだだけで、この言われよう。

 でも、それを悪意には感じなかった。

「独りきりで随分歩いてるみたいだけどさ、どうなんだ? そういうのって、面白いのか?」

「面白いかどうかは分からない、でも確かめたいから、僕はそれを続けるだけ」

「だったらさ、俺が楽しくしてやる、考えを纏めたってさ、誰にも話せないんじゃ、退屈だし、不満だろ?」

 妙にフレンドリーというか、人の心の中に平気で上がりこんでくる奴だ。

 頭の中にいる誰かは、きっと僕の頭の中に最初から住み着いていたはずだ。

 似ているけど、少し違う。

「楽しく……何をするんだ、君は?」

「簡単だ、考えすぎる馬鹿の頭を叩いて、現実に目を向けさせてやるだけさ、考えてるっていっても、命まで失くしちゃ全部無駄だからな、考えたものを言葉にするまで、お前を手伝ってやる」

「何で……そんなこと?」

「お前が歩き続ける中で聞くのは、お前の声だけじゃない、ってこと、お前は誰かと一緒にいることを知るべきだ」

 彼の一方的に自分の言葉を投げかけてくる所は、ピエロや旅芸人の口調に似ている。

 全体的な印象としては、「笛吹き」が一番近かった。

 自分の好きなことだけをやって、気が済んだら消えるように何処かに行ってしまう。

 鼠を追っ払って、子供を何処かに隠して、自分はさっさと世界の中に消えていく、それが笛吹きという奴だ、でも嫌いじゃない。

 僕みたいな考える奴以上に自由な、そんな雰囲気を持っている奴だから。

 なので、僕は心の奥底で、彼を笛吹きと呼ぶことにした。

 彼は笛なんか持っていないのに、だけど。

「なぁ、お前の名前はなんていうんだ? 三毛猫だからミケ、なんて言うなよな?」

「僕の名前……『僕』以外に何があるんだろう……僕は、僕じゃないか……」

「じゃあ、お前に名前をやる、俺だけが呼べる渾名みたいな奴さ、こういうの友達っぽくていいだろ?」

「友達って、そういうものなのか?」

 そうなのか、僕はてっきり見返りとか求められるんじゃないか、と思っていたのに。

「そうさ、大まかにやるなら大体はそういうものさ」

 何か悩むような顔をしたあと、そんな悩みは何処かへ飛んだかのような声で、彼は提案してきた。

「お前の渾名さぁ、レシェ、でいいか?」

「何処の言葉で、どんな意味なのさ?」

「きっと何処の言葉でもないし、どんな意味もない、男性名でも女性名でもないんだよ、ただ頭の中にパッと浮かんだ名前を、お前にやるよ」

 レシェ。

 どうやら、それが僕の名前代わりらしい。 

 

「あー、レシェ、じゃあさ、まず手始めにこんな話をしようか? 準備はいいか?」

 一緒に歩き始めて、5分もたたない頃に、笛吹きは僕に話し始める。

「薔薇色の人生、って言葉があるじゃないか、人間がよく言う奴さ、アレって何色なんだ? 薔薇って沢山種類があってさ、色も違うじゃないか」

「自分の理想の色が薔薇色なんじゃないの?自分がこうありたい、って思う色さ」

「じゃあさ、もしもそれが黄色とかだったらどうするんだ? 一生他人を妬んで生きるなんて俺は嫌だね」

 いかにも作ったような表情で笛吹きは語りかける。

「別に良いんじゃないのかな、そういう生き方も自由の一つだし、何より人を羨ましく思わない人生なんてないと思うんだ、何だって自分が一番、じゃ他人から嫌われるし、何よりそこから前に進めなくなるじゃないか」

「だからお前は歩いてるのか? ずっと前に進みたくてか?」

「僕は一箇所に留まる生き方はしたくない、そういう生き方が、きっと僕にとっての薔薇色の人生って奴だと思うんだ」

 僕の「生きる」は、きっと歩くことだ。

「お前は手段と目的を履き違えちゃいないかい?」

 ふいに、笛吹きは僕にそう聞いた。

「お前は考える為に旅してるのか、旅してるから頭の中に疑問が浮かぶのか、なぁ、一体どっちなんだよ、レシェ?」 

僕が旅を続けている理由は、そこに留まることで世界を知った気になりたくないからだ、世界を見て、そして知りたいからだ。

 じゃあ、何で考え始めてたんだ、僕は?

 最初の疑問に、理由はあるのか?

「僕は、考える『僕』が何処にいるかを知りたい、だから旅をしてるんだ、僕の頭の中で考えても、僕の脳にも心臓にも『僕』はいない……だからさ、僕は『僕』を探すんだ」

「なるほどねぇ、考える自分、を探す旅、かぁ……」

 笛吹きの表情は、何かを思い出しているような、そんな表情。

「……なぁレシェ、お前はモーリス・メーテルリンクって人間を知ってるか?」

「ごめん、知らない……誰それ」

「だったらいい、自分で知るのも立派な経験だしなぁ、ちょっと気になっただけなんだ」 

 笛吹きの知識は一体何処から生まれてくるんだろう。

 笛吹きは僕の知らない世界を知っている。

 もしかして、笛吹きなら『僕』の居場所を知ってるんじゃないだろうか。

「ねぇ、君は何処まで僕についてくる気でいるんだい?」

「別に何処まででも? お前が答えを見つけるまでは、暇潰し程度にはいてやるよ、いつまでも頭の中の自分とお話するのはもう御免だ」

「そういう経験、あるの?」

「昔に……少しだけな」

「今も、声は聞こえる?」

「いや、聞こえないよ、俺はもう立派な大人だからね、自分を探し終わったのさ、だからもう考えたり悩んだりせずに、俺は現実を生きてるんだ……今目の前にある道を」

 自分の探し方を、僕にもどうか教えてほしかった。

 でも、それじゃあここまで歩いてきた意味はない、そんな気がして、怖くて、聞けずじまい。

「で、どうする? 次は何処に行く?」

「君が決めてくれよ、僕以外の考えも必要なはずなんだ、こういうのってさ」

 

   ●

 

 3 自由人の言葉

 

   ●

 

 僕の長い歩みは、いつしか「彷徨い」から「旅」へと変わっていた。

 頭の中で声を聞いて、話し続けて、そんな歩みも嫌いじゃなかったけど、今のほうが好きになっていた。

 僕は生まれて、「自分」を得てからも独りきりだったから、きっとこういう環境には興味があるんだろう。

 だから、「他人と話す」っていう行為が僕は好きなんだ。

 僕の問いと、それに対する答えは、もう立派に言葉の遣り取りに変わっていた。

「なぁレシェ、珍しく俺から質問させてもらうけどさ、お前は自分に与えられた役割っていうのが、この世にはあると思うか?」 

 いつも飄々としている笛吹きにしては、本当に珍しい問いだった。

 僕はずっと、彼は百科事典みたいに答えを教えてくれる存在だと思っていたから。

「与えられた……役割? あるのかな」

「例えばさ、好きだからマタタビを集め続ける、とかそういうのでもいいんだ、ただ自分が生きる上で何をすればいいのか、っていう疑問は誰にだってあるだろ?」 

「確かに、僕は何処に自分がいるか分からないから探してる、でも、それが与えられた役割なの? 目標じゃなくて?」

「俺はね、それがきっと運命、っていう言葉の正体なんじゃないか、って思って過ごしてきたんだな」 

 それが運命なんじゃないか、っていうのはまぁ分かる、でも。

「与えられる、っていうけどさ、それは誰が僕らに与えるのさ?」

「それは……、俺も知らない。きっと死ぬときに分かるさ、俺も、お前もね」

 だとすると、気になることがもう一つ。

「もしもさ、何も結果が残せなくても、それが役割なの? もしも君が最期にそれに気付いても、君は受け入れられるの?」 

「受け入れられる、って格好良く言いたいけど、それは無理だね、どんなに死ぬのは怖くない、って言っていても、死ぬときには泣きいて叫ぶのが俺たち生き物なんだよ、そういうやつを俺は何人も見てきたから、知ってるんだ」

 笛吹きの言葉は、まるでその場に立ち合ってきたかのように、妙な現実感と説得力を含んでいた。

 まるで、自身もそうであるかのように。

 事実、彼の表情は懐かしさに染まっていたし、その眼差しは過去を見つめていた。

 

 そして事実、その言葉は現実になった。

 ある朝のことだった、僕と笛吹きは、適当な寝床を探して、寒くなってきた、季節の風を凌いだ。

 心まで凍るんじゃないか、ってぐらいに寒い朝だった。

 だから、少し笛吹きが心配になって、彼の名前を呼んだ。

 でも、返事はなかった。

 彼の身体はまだそこにあったし、毛並みだってで出会ったときと同じように風に揺れていた。

 あぁ、どうしてしまったんだろう?

「なぁ、どうしたっていうんだよ?」

 

 顔は、思ったよりも苦しんでいなかった。

 でも、笛吹きの前足は地面を引っ掻いて、小さな傷を遺していた。 

 きっとそれは、運命への最期の抗い。

 彼がこの世界に遺したものの一つ。

 僕の心には、その傷と、彼の言葉しか残らない。

 彼らしい最期ではあった。

 悲しいなんて感情は僕の中に生まれなかった。

 また、一人で旅をするだけだ。

 また、自分の中の声を聞くだけだ。

 答えを、自分の手で探すまで、ずっと。

 君となら何処へだって行ける、そう思っていたけれど、目の前の現実はそう優しくはないらしいから。 

 

 僕は笛吹きと別れて、初めて気付いたのかもしれなかった。

 考えていた彼は、ずっと彼の身体と一緒にいたんじゃないのか?

 だったら考える僕も、ずっと僕の身体と一緒に歩いて、旅をするから、考え続けてきたんじゃないのか?

 僕の旅は最初っから、これに気付くための旅だったのか?

 笛吹きの声は、もう聞こえない。

 僕の頭の中にも、もう声は響かない。

 僕に誰かが与えらた役割は、結局はそういう「考え続ける」ことなんじゃないのか?

 答えは出なくても構わない。

 誰かが答えを考えてくれなくても構わないんだ。

 僕は思考するために歩いて、それを喜んでいる。

 それが何処にいるか、なんて難しいことは考えなくてもいいんだ。

 ただ、自分の中にある「思考」を信じればいいんだ。

 笛吹きはそういうことを言いたかったのかもしれない。

 笛吹きが何を思って僕について来たのかなんて、彼にしか分からなくてもいい。

 世の中にはそういう「分からない」があってもいいのかもしれない。

 笛吹きだって、最期は「何も残せない」という結果を残して、僕の前から去っていったじゃないか。

 そう思うと、少し心が軽くなる。

 考える僕はもう、ここにいることを知っている。

 考える僕はもう、ここにいてもいいことを知っている。

 僕は考えて、それが無意味でもいいことを知っているんだ。

 今なら、兄弟たちにだって会ってもいいのかもしれないな。

 なんて思った。

 今更になって、あの箱から見た世界を懐かしく感じている。

 だったら、帰ってみようじゃないか。

 僕の最初の世界に帰って、僕の心を見せてやればいいんだ。

 よし、また旅をしようじゃないか。

 そしてあの箱に戻ろう。

 この道を歩き続けて、あの原風景へ。

 僕の役割は、まだ終わってはいないんだ。

 だから空を見上げて、また考える。

 笛吹きはこの世界の中にいるから、きっと空でも見上げればいつかは見つかる。

 だから、空を見上げる。

 

 ……僕の頭上で、また烏が鳴いた。

  


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