真・恋姫†無双 飛信譚   作:しるうぃっしゅ

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蛇足之8:白象の王

 

 

 

 

「随分と久しぶり(・・・・)だな、李信」

「そうか? 黄巾の乱に出陣する前に会っただろう」

「馬鹿め……それは数ヶ月前の話だろうがっ!!」

 

 洛陽が宮中。その地の一画にある執務室にて、部屋の主である張譲と李信は対面していた。黄巾の乱が終結し、落ち着きをようやく取り戻しつつあるこの頃、たまたま宮中の廊下で会った二人は腰を落ち着けて話し合うために張譲の執務室を利用しているところであった。

 

 嫌味も通じんのか、とぶつぶつと独り言ちている張譲。だが、李信ばかりを責めるのも間違っていることは彼女は理解している。何せ黄巾の乱は漢王朝未曾有の反乱であり、それを平定させるために随分と李信達のみならず多くの漢王朝の人間が苦労させられた。ここ数ヶ月戦場暮らしだったことを考えれば、ぬくぬくと洛陽で生活していた自分とは時間の流れの感じ方も異なってくるであろう。それはわかるのだが理屈では納得できるとも、心はそれを拒絶するのが恋する乙女というモノである。

 

「まぁ……いい。ところでお前は昼食は食べたのか? まだだったらどうだ、一緒に」

「あー、悪いな。少し前に食べたばっかだ」

 

 徐晃と、と付け加えた李信の空気の読めなささはある意味大層なものだ。何故そこで他の女性の名前を出してしまうのか。ピキリっと頬を引き攣らせた銀髪紅眼の年齢不詳の見た目詐欺師三号……いや、初代見た目詐欺師は、ふぅっと一度大きく深呼吸をする。

 

「あぁ……最近お前の軍に入隊した奴か? 徐公明……確か盗賊討伐で名を馳せた騎都尉だったか」

「おう。よく知ってるな、お前。まさか官僚全員の名前を覚えてたりするのか?」

「いや……流石の私も全員は無理だ。それなりに優秀な働きをしているものくらいだな」

 

 それでも張譲は他の官僚に比べれば驚異的な人数を把握している。もっとも徐晃に関しては口に出したとおり優秀な人材ということもあるが、李信軍に入隊したからという理由も挙げられる。何といっても徐晃公明という少女はここ最近では李信ともっとも多く食事をともにしているという情報もあるからだ。一度眼にしたことがあるが、あの少女の輝く瞳には愛や恋などの浮ついた色を感じることはなかったが、張譲としては用心するに越したことはない。 

 

「それでわざわざお前の執務室で話をするってことは……何があった?」

「……何のことだ、とは言わん。よく気づいたな」

「お前も少し緊張しているからな。なんか重大な内容の話でもあるんだろ」

 

 李信の問い掛けに、張譲は隠すことなく頷いた。盗聴対策が完璧な張譲の執務室まで連れて来て、当の本人に僅かな緊張が見られる。それを考慮すれば他の人間に聞かれたくはない、かなり重要な話があることは見当がつく。もっとも、張譲の緊張は李信と二人っきりになっていることに関してなので、彼の判断は微妙に間違ってもいた。

 

「実は劉宏陛下が崩御された」

「……」

「先日の話だ。黄巾の乱の影響を考えて発表は見送られているが、近いうちに国葬が行われるだろう」

「滅茶苦茶重要な話だろうが、それ」

 

 漢王朝の皇帝である劉宏の死去。優秀な皇帝とは言いがたい人物であったが、仮にも王朝の頂点だ。彼女が死去したとなると流石に国に動揺が走るだろう。まだ黄巾の乱が終結した後で助かった、と考えた李信であったが―――それに一瞬の直感が否と突きつける。

 

「……おい。本当に陛下が崩御されたのは先日だったのか?

「鋭いな。ああ、正確に言うならば黄巾の乱の最中に亡くなられた」

「宮廷で秘匿していたのか」

「ああ。お前達には悪いと思ったが……上層部のみで秘匿することに決定した」

「そうか。まぁ……その点に関しては仕方ないな」

 

 皇帝の崩御について秘密とされたことについて、李信は仕方なしと判断した。黄巾の乱と言う大規模な反乱の途中で皇帝が亡くなったと発表されるほうが最悪の状況へと陥っていた筈だ。官軍は混乱の極みに達していただろうし、黄巾は天意を得たといわんばかりに勢いを増していたに違いない。もしもそんなことになっていれば未だ黄巾の乱は続いてしまっていたのではなかろうか。

 

「だが我らにとっては朗報だ」

「張譲。あまり滅多なことを言うなよ」

「この部屋ならば外に漏れる心配はない……それに事実に相違なかろう?」

「まぁ、そうなんだが」

 

 皇帝崩御という大事件を朗報という張譲を李信が嗜めるものの、彼女の言うことは全くもって正しい。劉宏が亡くなったと言う事は、皇帝の座が第一皇女にして第一継承者である劉弁に引き継がれることを意味する。これによってようやく劉弁が漢王朝の皇帝として正統な権力を奮うことが出来る。さすれば漢王朝の建て直しもこれまで以上に進むはずだ。

 

 現在は皇女という立場にいる劉弁は、洛陽の官僚はほぼ掌握しているといっても過言ではない。彼女の圧倒的な皇帝としての格。それに触れて頭を垂れずにいる者が在ろうか。だが、あくまでも彼女は皇女。病気がちだったとはいえ皇帝である劉宏が表に出ていたため、洛陽以外の地方の豪族貴族官僚にとっては劉弁はあくまでもただの皇女としか見られてないのだ。だが、彼らは知るであろう。皇位継承の儀が行われるその時に―――劉弁という三皇五帝を超えた超越者が自分たちの主になるのだと。

 

「で、実際に煌が皇帝の座につくのは何時ぐらいになるんだ?」

「……劉宏陛下が亡くなられて暫くは喪に服さねばならない。その間に準備は整えるとして……一年程度は見ていたほうがよいだろうな」

「まぁ、そんなもんか」

 

 もしも劉弁でなかったならば、もっと継承の儀は厄介な状態となっていたのは間違いない。恐らくは劉弁と妹の劉協。二人の後ろ盾となっている多くの者達の思惑が絡み、漢王朝を割るような事態に陥ったかも知れない。だが、現状は宮廷は劉弁一色に染まった状態である。ここから他の継承者を持ち出してきたとしても有無を言わさず叩き潰されてお仕舞いというのが目に見えている。 

 

()の憂慮がないってのは有り難いな」

「うむ。まさかあの趙忠までもが殿下に忠誠を誓うとはな。あの爺と肩を並べることになるとは夢にも思っていなかったぞ」

「まぁ、そりゃなぁ……お前も昔は相当やりあってたしな」

 

 しみじみと語る李信と張譲。二人が知り合って既に十年以上の月日が流れているが、李信らが宮中にて趙忠と敵対していたのがもはや随分と昔のことのように思い出せる。そう考えれば、今の宮中の状況は劉弁の下で一本化されているのだから到底昔の自分達では信じられないような現状であった。

 

 と、その時―――キュルッという小さな音が部屋に鳴り響く。

 

 シンと二人の間の空気が一瞬静まり返った。じっと見つめる李信から逃れるように張譲は視線をあさっての方へと向ける。ほんのりと彼女の頬は赤く染まっていた。

 

「おい、張譲―――」

「気のせいだ」

「お前、腹が―――」

「幻聴だ」

「―――減ってるのか」

「ええい、聞いてない気遣いくらい見せてみろ、この唐変木め!!」

 

 椅子から立ち上がった張譲が声を張り上げるものの、それを気にするような相手ではない。李信は懐を漁ると袋を取り出し、中に入っていた干し肉を張譲へと手渡した。

 

「……何だこれは?」

「むかし戦場で時々食ってた保存食だ。今は軍にも料理が上手い奴がいるからな。こういうのを食べる機会が減ったからか時々無性に食べたくなるんだよな」

「……見るからに硬そうなんだが」

「まぁ、騙されたと思って食べてみろ」

「お前がそういうなら……」

 

 十常侍の筆頭の地位に先祖代々在った張譲である。こんな如何にも安そうな肉……しかも保存食を口にしたことはないのであろう。クンクンと干し肉の匂いを嗅いだあと、恐る恐る口に含む。そして味わうこと数秒―――。

 

「……滅茶苦茶硬いぞ」

「まぁ、硬いな」

 

 ガジガジと両手で干し肉を持って噛り付く見かけ美少女の姿を眺める李信。まるで小動物のような彼女は普段の凛々しい姿との差異が凄まじい。必死になってようやく一部を齧り取ることに成功したのか、何度も口の中で咀嚼しながら飲みこんだ。天井を見上げながら思案すること数秒、視線を李信へと戻した張譲は首を捻りつつ難しい表情で言い難そうに言葉を発する。

 

「……はっきり言っていいか、李信」

「ん? ああ」

「まずいぞ、これ」

「正直俺も美味しいとは少しも思わん」

「―――ならば何故渡した!?」

「いや、それしか持ってなかったからな」

 

 李信の発言に、何とも言えない顔となる張譲。確かに李信は美味いとは一言も言っていない。騙されたと思って食べてみた結果、騙されただけだ。だが、はっきり言って上流階級育ちの張譲にとって、これを食べきるのは至難の技だ。一口しか食べていない干し肉をどう処分するべきか悩む張譲の姿に、李信は彼女へと近づいていく。

 

「あー、悪かったな。冗談が過ぎた」

 

 李信はヒョイっと張譲が持っていた干し肉を取り上げるとそれを食べ始める。張譲とは異なり、戦場育ちの李信にとってはこの程度の硬さは気にするまでもない。張譲とは異なり。まるで柔らかい肉を噛み千切るように、あっさりと干し肉は李信の腹へと消えていく。

 

「ちょ、ちょっと待て!? お、お前なにをして―――!?」

「なんだ? お前食べたかったのか?」

「い、いや……そういうわけでは……」

「じゃあ、いいだろ。捨てるのはもったいないしな」

 

 最初は困惑。やがて羞恥に顔を染め上げる張譲に、忙しいやつだなと全く検討外れの感想を抱きつつ李信はあっさりと干し肉を平らげた。やがて恨みがましい上目遣いで李信を睨みつけてくる張譲に、やはり干し肉が食べたいのかこいつは……と思ったのかもう一個の干し肉を差し出した結果、おもいっきり腹をぶん殴られる李信であった。

 

「……ぐ、ぐぅ。お前の身体は一体何で出来ている……」

 

 だが殴ったはずの張譲は右手を押さえながら蹲り、殴られたはずの李信は平然とその場に立っている。もっとも完全な文官である彼女が、戦場で鍛え上げられた金剛石の肉体の怪物を殴れば、こうなるのは自明の理であった。涙目になりながら荒い呼吸を繰り返す張譲に、流石の李信も歳を経るごとに段々とポンコツになっているんじゃないか、こいつは―――と奇しくも趙忠達と同じような評価が下してしまった。哀れ、張譲。

 

「で、煌が皇帝になるってことは……例の計画を実行するのか?」

「例の計画……?」

 

 ふと何かを思い出した李信が、頬の赤みが消えない張譲へと真剣な表情で問い掛ける。彼が口にしたのは宮中でも極一部の者にしか伝えていない機密情報。それについての確認をしたというのに、肝心の張譲はキョトンとした顔で聞きなおす。こいつは本当に大丈夫か、という呆れの視線を真正面から受けた張譲は、真面目な表情となって頷いた。口元が僅かに引き攣っていたことには李信は気づいたが、もはや突っ込むことに疲れたのか敢えて見ないことにして話しを続ける。

 

「……あ、あぁ。少し予定より早いが殿下が継承の儀を終えられる機会で実行に移す予定だ」

「結局、白羽の矢は誰に立ったんだ?」

「まだ決定ではないが……今のところは馬騰に話を持っていく予定だ」

「劉宏陛下の崩御も計画より早まったしな。間に合いそうか?」

「間に合わせるのだ。殿下が継承の儀を行うその時が計画実行の絶好の機会なのだからな」

 

 それでだ……と張譲が一度会話の流れを止め―――そこから話を続けていく。

 

「その計画について、李信……お前から馬騰へと話を通してくれないか? お前ほど馬騰に大きな貸しがある人間はいないはずだ」

「韓約……とっ、韓遂が生きていることがばれたら俺も結構まずいから、あまり貸しとは思えんが……まぁ、真面目そうな奴だったし。そこは貸しと思ってくれてそーだな。まぁ、わかった。休暇が一息ついたら涼州に向かうことにする」

「出来るだけ早めに頼む。もっとももしも馬騰以上に相応しい人物がいるならば、そちらに話を持っていっても構わんがな」

「俺が知る限りは……いないな。で、計画についてどこまで馬騰に話していいんだ? 相手からの要求について譲歩の限界は?」

「一切お前に任せる。お前が必要とあらば全てお前の判断で行っても構わん」

 

 それが一番困るんだがな、と頭を掻く李信。戦場が本職の自分にそこまで重大な任務を任されても、実に困るというのが本音であった。分野が違いすぎて、これならまだ北方で異民族と戦っていたほうが気楽である。あまり過度な期待をされても、十全にこなすことができるかなかなか怪しいと自分自身で思ってしまう。

 

「……相国(・・)の座を引き受けてくれるか怪しいもんだがな。俺が見た感じ、馬騰はあまり地位や名誉には拘らないと印象だったしな」

「そういう人間だからこその抜擢だ」

「任せるに足る人物ってのは認めるが……」

 

 二人の話題にあがっている計画の主となれば、間違いなく地位と引き換えに馬騰が築き上げてきた名声は地に堕ちるであろう。勿論名誉回復の方法は考えているが、李信達の誘いに乗るということは明らかな貧乏くじを引くということ。相当な漢王朝への忠誠と、これからの十年、百年、数百年の平和を考えることが出来る器の大きな人間でなければならない。果たして馬騰はそれに値する人物なのか。ガリガリと頭を掻き毟る李信の姿に、張譲は珍しいものを見たといった様子で眉を顰めた。

 

「お前が即断即決をしないとは……そこまで悩む姿は随分と久しぶりに見たぞ。何か気になる点でもあるのか?」

「いや……なんとなくなんだがなぁ」

「なんとなく……か。存外お前の直感は馬鹿にはできん。だが、馬騰では不足か?」

「不足ってか……何て言ったら良いのか、俺にもよくわからん。他に相応しい人間がいるのかと聞かれたら答えに詰まるんだけどな」

 

 李信が口に出したとおり、馬騰以外に計画の要となる人物は思いつかない。単純に優秀なだけであれば、曹操孟徳然り、孫堅文台然り、候補にあげることはできる。だが、彼女達では今回の計画の主となるには不足となる部分が少なからずある。それを考慮すれば、李信が知る限り本命となるのは馬騰だけなのだが―――何かが心のしこりとなって引っかかっている。長年戦場を生きた将軍としての直感が、馬騰で決定することを後一歩のところで推し留めていた。

 

「とはいってももう時間もない、か」

 

 劉宏崩御が予定外のこともあり、時間が少ないのも事実。何もしないことが今は悪手となるならば、最善といえないまでも行動することのほうが重要だ。

 

「ああ。それに市井で広まっている噂話の件もある」

「噂話……? なんだそれ」

「なんだ、李信。お前は耳にしていないのか? 管輅なる占い師がしたというとある予言についてだ」

「……聞いたことがあるな。確か世が乱れる時、天の御使い(・・・・・)が……ってやつか」

「それだ。下らない予言ではあるが、張純、黄巾の乱と大規模な反乱が続いている今、その予言にうつつを抜かしている者も少なくはないと聞く」

「好きにさせておけばいいだろ、そんなもん。第一世間に広まっている噂話をどうにかしようなんざ難しいだろ? もう何年かして民の暮らしが落ち着けば自ずとその手の噂は消えていくと思うが」

「……だが、何かが引っかかるのだ」

 

 張譲の疑念を気にも留めず、李信は話はこれで終わりだといった様子で背を向け執務室の扉へと手をかけた。そこで張譲は気づいた。普段と変わらないように見える李信だが、どこか不機嫌そうな―――いや、明らかに隠し切れない不穏な気配が滲み出ている事に。

 

「天の御使いか……俺にとってはどうでもいい話だ」

 

 ぽつり、と李信は呟く。言葉通り心底僅かたりとも興味も関心も持っていない男の空虚な言葉がそこにはあった。確かに天命というものはあるのかもしれない。いや、この果てのない中華の中で出会うこと事態が天の計らいであることは否定できない。だが、そこからの道筋は自分次第だ。人は天に全てを左右されている訳ではなく、この中華の地に自分の足で立って戦い、進んでいく。この世界は天の意思で創られている訳ではない。数百年、千年、それだけの途方もない年月と人の命で、願いで、想いで形作られてきた。

 

「……今更(お前)が口をだすか」

 

 漢王朝は確かに滅びの危機に直面している。それの後押しとして天の御使いなる者を送り込んでくるのかもしれない。それが天の決断ならばせいぜい抗わさせて貰おうか。滅びを受け入れるのも、拒むのも人の意思だ。何が相手であろうとも、誰が相手であろうとも最後の最後まで漢王朝の―――劉弁の為に戦い続ける。それが李信の決して揺るがぬ鋼鉄の意思。何より、誰も知らない。わからない。得体の知れない天の意思など誰が信じるものか。李信にとっての天はただ一つ。

 

「俺にとっては、劉弁こそが唯一無二()だ」

 

 それを侵すようなら、否定するのならば。

 全てを壊そう。全てを穿とう。全てを飲み込もう。天の意志とやらの全てを、全てを、全てを、全てを、全てを、全てを、全てを、全てを、全てを、全てを、全てを―――。遥か遠い過去。永劫にも感じる遠い過日の誓いに一切の揺らぎはない。何故ならば俺はあいつの金剛の剣なのだから。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、なんで漢陽に寄っていくんだ? 用でもあるのか、高順」

「いや、僕は別にないけど。董卓や賈詡に随分と会ってないでしょ? 馬騰のところにいくついでに顔くらい見せときなよ」

 

 李信と張譲との密会より暫しの時が流れ、新しく入隊した部下の練兵を華雄達に任せて李信と高順、龐統と騎馬隊を引き連れて涼州へと到着した姿があった。本当ならば時間も惜しいためそのまま馬騰のもとへと直行する予定だったが、高順の提案もあって以前世話になった傅燮がおさめる城塞都市へと立ち寄っていた。

 

「……全く。自分でも馬鹿だと思うけどね。敵に塩を送るなんてさ」

 

 ぶつぶつと独り言を呟く高順を不審に思いながら、ここまで来てしまったら仕方なしと言った様子で李信は傅燮達がいる城へと足を向けた。街並みも、城も何もかもが懐かしく感じられる。涼州で過ごした年月は長くなかったが、その殆どをこの街を拠点としていたのだから郷愁を感じるのも仕方ないだろう。

 

「李信ー!!」

 

 既に話が通っていたのか、城の門から飛び出してきた少女がいた。息を切らせながら駆け寄ってくるのは、賈詡文和。今や涼州一とも噂されている文官の頂点に立つ県丞を勤めている少女。北方を転戦していた李信だったが、賈詡と会うのは実に三年振りにもなり、ほんの僅かな身体的成長を見せている。もっとも重ねて言うことになるが、本当にごく僅かの成長である。

 

「本当に久しぶり。元気だった?」

「大事はないな。お前のほうはどうだ、賈詡」

「ボクも全然問題はないかな。うん、怪我一つないよ」

 

 もしもこの場に、賈詡文和という人間を知る者がいたならば驚いたに違いない。普段の彼女は、以前よりは遥かにマシとはいえ、常に厳しい顔つきをしているからだ。そんな賈詡がニコニコと笑顔を振りまいているのだから、偽者ではないかと疑う者もでてきてもおかしくはない。

 

「ところで、突然どうしたの? 何か用事でも?」 

「いや、そういう訳じゃないんだが。馬騰のところへいくついでに顔を見に寄った―――」

「馬騰様のところへ? うん? どうかしたの、李信?」

 

 会話の途中、突如として李信の発言が止まった。呆然とする李信を見て、ここまで驚いている李信も珍しいと思いながら、彼の視線を追って振り返る。李信の見つめる先にいたのは、自分の愛しい上司でもあり、友である董卓仲穎の姿があった。李信と賈詡の凝視を受けて、董卓は顔を赤らめながら首を傾げた。そんな董卓に、賈詡は何故李信はこんなに驚いているのかと不思議で仕方なかったのだが―――。

 

「……見つけた」

 

 見つけたとは何か。李信は一体何を言っているのか、賈詡が疑問をぶつけるよりも早く、李信は董卓の前へと進み出て膝をついた(・・・・・)。この場にいるすべての人間が驚愕と疑問に教われる中、李信は言葉を紡いでいく。

 

「董仲穎。お前に頼みがある。漢王朝を立て直し、新たな数百年の平和の為にお前の力を貸してくれ」

 

 李信は見た。董卓仲穎という少女が内包する純白の意思を。如何なる色を垂らしたとしても染まることない眩き輝きを確かに視た。馬騰のことは既に頭の隅からもきえており、理由も理屈も一切合財を無視して、李信は董卓を心の底から欲していた。これはただの直感だ。だが、戦乱の世を生き抜いてきた李信の第六感が確かに囁いている。この少女こそが、董卓こそが―――李信達が探していた最後の一欠けらであるのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 クチャクチャと肉を頬張る音がする。ピチャピチャと血を啜る音がする。バキバキと骨を噛み砕く音がする。然程大きいとはいえない城壁に囲まれた街の中が眼を覆いたくなる生き地獄となっていた。大型の犬が、巨大な虎が、獰猛な狼が、人を生きたまま貪り喰っている。助けて、やめてくれ、いやだ、自分が喰われていく感触と激痛、音を聴きながら必死になって助けを請うているが、野生の獣たちはそのような助命の願いなど理解するはずもなくただただ人を喰らうことに夢中であった。

 

 また野生の獣だけでなく、人として最低限の衣類しか身に纏っていない顔を仮面で隠した人とは思えぬ蛮人達が、次々と街にいる民たちを斬殺していた。漢民では理解できないまるで呪文のような雄叫びをあげて、女子供も躊躇いなく斬り殺し、射殺し、殴殺していく。抵抗しようが、無抵抗であろうが、一切合財を無視して屍の山を築いていく悪鬼達の集団が街の中を蹂躙していった。

 

 街が崩壊しつつある中央に位置する広場にて、生き残った民達が肩を寄せ合うようにして密集しているおり、そんな彼らを守護するべく円形の陣形を保ちっている兵達が、周囲を囲っている獣や蛮兵をそれぞれの武器を向け牽制していた。ここにはいない、だが生き残っている民の断末魔の声が響き渡り、それがこの場にいる多くの人間の心を鑢のように削っていく。恐怖で震える民達を背に、兵達は同様の恐れで身体を強張らせながらも逃げ出す者は一人もいない。ここに残っている彼らはみなが褒め称えられる勇気ある漢であった。

 

「いいか、無駄に突っ込むな!! このまま陣形を保て!! 奴らに付け入る隙を与えるな!!」

 

 兵達の隊長が声を張り上げ部下と民を鼓舞する。応、と叫ぶ部下を誇りに思う隊長であったが、このままではジリ貧となるのは目に見えて理解している。この街は漢の南西に位置する益州のさらに南方にある分、かなりの人数の兵と城壁によって守られていた。それがある日突然数え切れない猛獣と蛮族の強襲にあい、一刻もかからずに陥落の憂き目にあっているところであった。街のあちらこちらで家屋が焼けているため、それを不審に思った近場の町から援軍が来ることを願っているが―――半端な数ではこれだけの敵と対抗するのは難しいであろう。だが、もはや援軍が来ることを期待するしか今この状況を覆すには方法がないというのが事実である。

 

 その時、地が揺れた。最初は気のせいかと考えた兵達を否定するが如く、ズンと連続して響く音と揺れ。それが徐々に近づいてくることに言い知れぬ不安を抱く彼らを尻目に、遂に大震の正体が姿を現した。

 

 建物を次々と破壊し、粉塵を舞わせながら、石壁をまるで紙くずのように粉砕して広場に現れたのは巨大な、あまりにも巨大な生物。想像もつかぬ巨躯と長い鼻、ゴツゴツとした真っ白な固い皮膚。益州のさらに南方、未開の地にのみ生息すると言われている巨獣―――人はそれを象と呼ぶ。

 

 白象というに相応しいそれが現れた瞬間、兵と民を囲っていた猛獣と蛮兵達がその場で平伏した。一体この白象は何なのだ、と考えたこの場の全ての人間が考えたその時、彼らは皆現状を忘れた。忘れさせられた。全ての人間の視線を一身に集める、存在の格が違っている生物がそこにいた(・・・・・)

 

 白象の上に胡坐をかいて座っているヒト(・・)。自身の背まで伸びる綺麗な白髪。顔には奇妙な造型の仮面をかぶり、獣の皮で作られた粗末な服を着た―――女性。衣服の隙間からは美しく焼けた健康的な小麦色の肌が露出している。本来であれば、とてつもない巨躯を誇る白象に注意を払わなければならないのだが、人間としての本能が警鐘を鳴らし続けている。あれは、目の前にいる巨獣よりも遥かに危険な生物である、と。

 

「―――まだ生き残りがいたか」

 

 それは鈴が鳴るような声だ。他の蛮兵が発する理解不能な言語ではなかったが、ビクリっと反応をするのは平伏している蛮族のみならず、地に伏している猛獣達も同様であった。怒っているわけでもないのに、彼女の放つ言葉はまるで首筋に刃を突きつけられた幻を見させてくる。恐怖に震えていた民達のほとんどが、それだけで腰を抜かし中には意識を手放す者もいた。ガチガチと何かが震えていると思えば、兵達が持つ武器の手が小刻みに揺れている。一切隠す気もない女性は、純粋たる力の違いを問答無用で叩きつけてくるそれは、この場にいる全ての漢民の希望を圧し折るには十分な圧力を秘めていた。

 

「何をしている。さっさと片付けろ、我が兵達よ。王の進撃を止める事は何人にも出来んことを教えてやれ」

 

 鼓膜が破れんばかりの狂声が木霊する。獣達の咆哮が、蛮兵達の喚声が街中に響き渡った。獣も蛮兵も立ち上がるともはや敵対する人間の命を許さぬという絶対の覚悟を持って襲い掛かろうと身体が沈んだ。

 

「―――お前に、一騎打ちを申し込む!!」

 

 それよりもはやく声を上げた人間がいた。この街の守備隊の隊長である男。彼は剣を白象に騎乗している女性へと突きつけながら敵のあげる雄叫びに負けじと声を張り上げたのだ。もしも後一瞬でも遅ければ、蛮兵達が攻勢を仕掛けてきたであろう実に絶妙な機縁であった。

 

「……妾に、だと?」

「そうだ。お前にだ。もう一度言わせて貰うぞ。お前に一騎打ちを申し込む」

 

 女性から返ってきたのは些か戸惑った返事であり、もう一度隊長は繰り返した。状況を見るにこの獣と蛮兵の連合隊の頭は女性だと推測が出来る。このままでは圧倒的な数の前に一瞬でここにいる兵と民は殺されて終わるであろう。ならば、万が一の可能性に賭けて女性と戦い勝利して、彼女の命と引き換えに撤退させる。格の違いは理解しているものの、どこまでも可能性の低い賭けとなるが、もはやここまで詰んでいる盤上をひっくり返すにはそれしかない。決死の覚悟を示す隊長の宣言を前にして、白髪の女性は暫しの間沈黙を保っていたが―――。

 

「くっくっく。はーはっはっはっはっは!!」

 

 高らかに笑った。馬鹿にするような嘲笑ではなく、本当に心の底から楽しげな様子の姿を見せる彼女に、隊長は一瞬とはいえ毒気を抜かれる。周囲を囲っている獣や蛮族は我らが主に何と不遜な、と怒気を見せていたが突然笑い出した王を理解できないといった様子が身体から滲み出ていた。

 

「許せ。何せ妾に戦いを挑む愚か者などここ最近とんと見かけなかった故に、感情を抑えられなかった」

 

 白象の上に立ち上がると、そこから軽々と跳躍し地面へと着地する。ゆっくりと隊長へと歩み寄ってくる白髪の女性へと剣を向けながら、心臓が痛いほど胸を打って来ることを自覚した。剣を向けられてなお、悠然と、泰然と歩く姿は誰よりも美しく、何よりも眼を奪われる。そして白象の上にいたため遠近感が狂っていたのか、随分と長身痩躯のようである。少なくともそこらの男よりも頭一つ分は大きな肉体。だが、すらりっとした肉体はただ痩せているという訳でなく、どこまでも絞り鍛え上げられているのだと遠目にでも理解できてしまった。両手を覆うのは黒曜石らしき物で出来た黒色の手甲。それ以外に武器を持ち合わせていないのを見るに、徒手空拳が彼女の武器なのであろうか。

 

「一騎打ちの申し出を受けてくれたことを感謝する。我が姓は……」

「いらぬ」

 

 風が吹いた。いや、それは質量をもった烈風そのものが自分の横を通り抜けた感覚が全身を撫で付ける。同時に誰かの悲鳴があがった。水風船が割れた何とも言えない音が響く。何が起きた、と叫ぼうとした隊長の声は喉から発せられることはなかった。ぐらりっと視界が揺れる。ずるずると身体が倒れていき、気がつけば視界は蒼天を見上げていた。隊長の背後に何時の間にか移動していた女性が掴んでいた何かを地に落とす。びちゃりっと生々しい音をさせて転がったのは男の腹部。血溜まりに伏すのは別たれた上半身と下半身。そして女性の驚異的な握力が握り潰し、引き抜いた腹部。三部分に分割された隊長だったものは自分がなにをされたのかもわからずに、冥土へと送られた。

 

「妾に立ち向かった勇気は見事。だが決定的に力が足りぬ」

 

 ほんの僅かな賞賛を口に出し、死体を一瞥。それだけで女性の興味は男から消え失せた。何がおきたかわかっていない残った兵士と民を視界に入れて、彼女が浮かべるのは嘲笑だ。

 

「行け、妾の兵よ。全てを蹂躙せよ」

 

 女王の命令が下される。もはや止める手段も方法もない獣と蛮族の集団が、漢の子らを殲滅せんと動き出した。僅かな躊躇いもなく巻き起こるは殺戮の宴。響き渡る恐怖と畏怖と怨嗟の声。それを聞きながら白髪の女性は愉しげに満足げにこの地獄の前で佇んでいた。

 

 男が斧で頭を叩き砕かれていた。女が腹部を槍で突き刺されていた。子供が虎の爪に切り裂かれていた。赤ん坊が狼の牙に噛み殺されていた。地獄。地獄だ。常人ならば気が狂ってもおかしくない正真正銘の地獄であった。だが、笑っている。白の女性は高らかに笑っている。面白くて、愉しくて仕方がない。人では理解できない、したくない人の姿をしただけの怪物がそこにいた。

 

「……やりすぎだにゃ」

 

 その時、あらゆる獣や蛮兵に気づかれずに女性のすぐ後ろへと姿を現した少女がいた。白髪の女性に比べれば半分近くしかない小柄な少女。翡翠色の長髪に、くりくりとした大きな瞳。頭の左右には何やら虎のような大きな獣耳が二つあるのが特徴的だ。普段は人懐っこい天真爛漫な少女ではあるが、今は狂暴な光を隠すことなく宿して女性へとぶつけている。

 

孟獲(・・)か。何がやりすぎだというのだ?」

「幾ら何でも皆殺しは、酷すぎるにゃ」

 

 孟獲と呼ばれた少女は、女性の行為を非難する。この街の民は一体どれだけいたのだろうか。千ではきくまい。数千にも及ぶ漢の民を全滅させる。確かに自分達を南の蛮族と蔑む相手ではあったが、それでもこれはやりすぎだ。

 

「何を言うか。これはお前が望んだことであろう?」

「確かにみぃが望んだことだじょ。でも、ここまでしなくてもよかったにゃ」

 

 話の発端は実に単純なものであった。何不自由なく暮らしていた孟獲達、南の蛮族と呼ばれる彼女達は、ある日ふと思ったのだ。もっと領土が増えればより多くの食料も手に入り、今よりさらに贅沢な暮らしが出来る。その程度の浅い思いから益州へと侵攻を開始した。孟獲はただ土地が手に入れば良かっただけだ。漢民を追い出せばいいというのが彼女の想いで、このような殺戮の果てに手に入れるような考えまでは持っていなかった。

 

「愚か者め。富とは有限だ。限りあるモノを手に入れようと思えば、持つ者から奪うしかあるまい」

 

 土地から追い出す? 馬鹿が。そのような甘い考えで妾達南方の民を蛮族と蔑む漢の者達から富を奪える筈がない。

 

「漢を敵に回してしまうじょ……それでもいいのかにゃ」

「構わん。敵対する者は皆殺しだ。それがもっとも我らが富を独占するのに手っ取り早い方法であろう」

 

 漢の民が減れば減るほど土地を得ることが出来る。富を得ることが出来る。ならば漢の人民の命など気にする必要はあろうか。

 

「……お前は強いにゃ。いいや、強すぎるにゃ……それでもお前より強い者がこんな行為を許さないにゃ」

「ならば連れて来るがいい。妾よりも強き者を。妾を力で止めることができる者をな。この木鹿(・・)を超越するような怪物を目の前に招来せよ!! せねば妾は止まらぬぞ!!」

 

 仮面を手にかけ外した女性―――木鹿と名乗った彼女はギロリっと孟獲を睨みつける。あらわになった木鹿の顔は死地においてなお見惚れる美貌であった。同じ南蛮の民ということもあってか、容貌自体は孟獲と瓜二つ。異なることと言えば髪の色と、ギザギザに尖った牙のような歯。

 

「……」

「去れ、孟獲。もしも妾の邪魔をするというのならば、例え汝であっても許さぬ」

 

 木鹿は白象へと飛び乗ると、孟獲に背を向けて猛進を開始した。彼女は宣言どおり、決して止まらぬであろう。それは長い付き合いである孟獲が一番理解していることだ。木鹿に付き従う猛獣と蛮兵達。その数はゆうに数万を超える。もしも益州が迅速に対応しなければ、瞬く間にこの州を席巻する怪物達の行進となるであろう。果たして彼女はそれでとまるか。いや、止まる筈がない。その魔の手は益州のみならず他の州へと伸びるかもしれない。

 

「みぃ様……どうするにょ?」

 

 木鹿が姿を消した後、彼女の姿をじっと見つめていた孟獲の背後に跪くのは蒼い髪の少女。孟獲と同程度の身長と幼さと良く似た容姿。蒼髪の少女の問い掛けに、しばらく黙っていた孟獲だったが、溜息を漏らしつつ首を横に振った。

 

「木鹿はもう止まらないにゃ。言葉では絶対に止めることができないじょ、ミケ」

 

 ミケと呼ばれた蒼髪の南蛮の少女は頷いた。もはや木鹿は同じ南中の民である孟獲やミケの言葉でも決して止まらぬ覚悟を持って益州へと進撃してしまっている。ならば力尽くといいたいところだが、単純な戦闘能力では孟獲やミケ達でも絶対に勝てないと言い切っても良いほどの力の差が存在していた。

 

「……探すにゃ」

「……にょ?」

「木鹿は、みぃ達が生み出してしまった災厄にゃ。南中に天より落とされた怪物にゃ」

 

 ならば漢という国にも存在するはずだ。木鹿同様に、人という種を超越した文字通りの怪物が必ずいる。怪物に対抗できるのは怪物のみ。漢が滅びる前に、その怪物を見つけ出し木鹿にぶつけるしか方法はない。

 

「いくにゃ、ミケ。木鹿と同等の怪物を見つけに。それがみぃ達に託された使命にゃ」

 

 数多の部族が住み着いている南中の中でも最強最悪の王。あらゆる部族の王を凌ぐ白象の王。万象を跪かせる怪物の中の怪物。南蛮の八納洞の頂点に座する木鹿大王を止める為に、南蛮の王孟獲は未だ知らぬ希望を探すべく、広大な漢へと旅立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

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