人生とは苦く苦しく己の理想通りに上手くは行かず、長く険しい苦行のようなものである。
例えほんのいっとき上手く行っているように見えたとしても、輝く時間などはほんの瞬き程で、残酷に有限だ。
盛者必衰と過去の偉人は云う。驕れる者の栄光の寿命はかくも短く無常である。
昨日の敵は今日の友。であるならばその逆もまた然り。昨日まで仲良くやっていた者同士の関係が些細なきっかけで瓦解する事などままあることである。
俺は今、目の前にいる依頼人である女子生徒を辟易とした目で見ながら、ふとそんな思いにふけっていた。
× × ×
6月。新年度になり、俺たちがお気楽な二年生から気楽ではいられない受験生へと駒を進めてから、二ヶ月程経ったある日の放課後の事だ。
奉仕部の部室はその日も依頼人が来る事もなく、いつも通りの時間が流れていた。
まだ少し早いが、今日も依頼人が来ることも無いのだろうと思っていた所で、ちょうど雪ノ下が部活の終了を告げるようにパタンと本を閉じる。
数ヵ月前までと少し違う事と言えば、雪ノ下が閉じた本が文庫本から参考書へと替わった事くらいだろう。
最近の活動は、ただの読書から受験勉強へと様変わりしていた。
まあ雪ノ下の場合は主に由比ヶ浜へのご教授なのだが。
「今日も依頼人が来ることは無さそうね。今日はこれくらいにしておきましょうか」
「ふいぃぃ……今日も疲れたぁ……。なんか最近勉強ばっかじゃない!?久しぶりになんか依頼とか来ないかなー…」
「由比ヶ浜さん…。主にあなたの為の勉強なのだけれど……」
たはは〜…と苦笑いする由比ヶ浜を見て雪ノ下は頭痛を抑えるかのようにこめかみを押さえた。
あまりにもいつも通りの平和な光景に、思わずニヤリとしてしまう。
「比企谷君。あまり卑猥な目でこちらを見ないでくれるかしら?あなたの視線はただそれだけで女性にとっては性犯罪の対象になるのだから」
「ヒッキーまじキモい!」
戦慄の表情でこちらを見据える雪ノ下と由比ヶ浜。
え?俺ってちょっと見ちゃっただけでも迷惑防止条令違反とかに引っ掛かっちゃうんですかね?
やべーわ。駅とか歩けねえじゃん。
駅員と鉄道警察に囲まれたら、それでも僕はやってませんとか言えなくなっちゃうよ?
やだ!八幡、盲目にならなきゃ電車にも乗れない☆助けてモルボルさんっ!
「へいへい、視姦しちゃってすいませんでしたね」
「しかん……?」
アホの子はほっとくとして、早めに部活を切り上げる事には賛成だ。
早めに退散出来る時はしとかねえと、いつ可愛い(笑)後輩の生徒会長様が面倒ごと持って来るかも分かったもんじゃねえからな。
「それじゃあ今日はお終いにしますかね」
「流されたっ!?」
コンコン
机に広げた参考書やノートを鞄にしまっていると、不意に部室の扉をノックする音が聞こえた……。
くっ!なんでいつもそろそろ帰ろうかという所で客が来んだよ、めんどくせえ…。
まあもう最近の一色ならノックなんてしやしないから、生徒会の雑用の心配は無いが。
「どうぞ」
雪ノ下がノックの主に一声掛けると遠慮がちに扉が開き、依頼人とおぼしき女子生徒が二人入ってきた。
「し…失礼しまーす…」
なんだ?なんかカースト上位に居るっぽい見てくれの割には、なんかモブモブしい連中だな。
モブモブし過ぎて、見覚えがあるのか無いのかも分かりゃしねえ。
「あ……、ユッキーとさおりん……」
なんだユッキーって。ゆきのんとヒッキーがハイブリッドしちゃったの?良いとこ取りなの?
あ、ヒッキーには良いとこどころか圧倒的なマイナス面しか無いから、ハイブリッドどころかせっかくのゆきのんが大幅に劣化しちゃいますね!
やはり俺の存在は害悪でしか無いのか……。
とりあえず由比ヶ浜が知り合いのようなので、説明を求めてみるか。
「なんだ?知り合いか?」
「ヒッキー!?去年のクラスメイトじゃん!覚えてないの?」
「え…?そうなの?」
えー?まじですか。
まあ去年のクラスメイトなんて、葉山グループの連中と川なんとかさんくらいしか覚えてないからな。
覚えてないじゃん。
え?戸塚?だって戸塚は所属が天使ですから。
クラスメイトなんてちっちゃい枠にとらわれるような矮小な存在じゃ無いんですよ。
ちなみに性別も天使な。男か女かなんて、あまりにも考えが小さいぜ。小っちゃすぎてポケットに入っちゃうレベル。
あ、ポケットに入れて持ち歩ける戸塚とか超可愛くね?やべー、速攻お持ち帰りしてえわ。
持ち帰ったら茶碗風呂に入れてやらないとな!
「由比ヶ浜さん。比企谷君の悲しい過去の記憶に付き合っていたら話が進まないわ。知り合いなのなら紹介してもらえないかしら?」
「う、うん…。分かった…。えっと、この子がユッキー…あ!結城由紀ちゃんで、この子が折澤早織ちゃん……」
うん。名前聞いても全然覚えてねえわ。
しっかし由比ヶ浜はなんで元クラスメイトを紹介すんのに、こんなに浮かない顔してんのかね。
こいつって相手が誰だろうと、みんな仲良くをモットーに上手く調子合わせんじゃねえの?
雪ノ下も同じ事を考えてるのか、俺と同じく訝しげな表情を由比ヶ浜に向けた。
その視線で俺たちの言わんとしている事に気が付いたのか、そいつらの紹介を続ける。
「えっと……、さがみんと仲が良かった……」
……あー、そう言われりゃ見たことある気がするわ。
去年の夏に由比ヶ浜と花火大会に行った時、相模と一緒に居た連中か。
まあ所謂相模の取り巻きってやつね。
その取り巻きが、ボスも連れてこないでうちに何の用だ?
「さが…みん?ああ、文実や体育祭の委員長の相模さんね。……その相模さんの友人の貴女たちが奉仕部にどういったご用かしら?」
雪ノ下が普段よりもさらに冷え冷えするような声色で尋ねる。
こいつも相模にはあんまり良い思い出がないからな。
ろくな依頼じゃないと思ってるんだろう。
すると、ユッキーだかさおりんだか分からん女子が、苦しげに話を切り出した。
「あの……。南ちゃんを……、助けてあげて欲しいんです……」
× × ×
「それだけじゃまったく伝わらないんだが。一体どういう事だ?」
そういう俺に、意外にも由比ヶ浜が答える。
「あ……。ヒッキーは知らないんだ……。ゆきのんも知らない…かな……」
は?なに言ってんだコイツ。俺や雪ノ下が何を知ってるってんだ?
なんか知ってて当たり前みたいな流れやめて欲しいんですけど。
雪ノ下も俺と顔を見合せ首を傾げる。
あ、今は目が合っても通報されないんですね。八幡安心。
「……あたしも詳しくは知らないんだけど……、さがみんさー…、三年に上がってからクラスで上手くいかなかったみたいで……、クラスでハブられて学校来れなくなっちゃってるんだって……」
「は?まじで?あの相模がか?」
正直ちょっと驚いた。相模って言ったらカースト上位のクラスの中心的なやつじゃねえか。
そりゃ一皮剥いたらどうしようもないヘタレで使えないやつだったけど、ことクラス内での人間関係に悩むような印象は無い。
それがハブられて不登校になるとか、あまりにもイメージがわかない。
俺の疑問にモブ子が答える。
「その……、うちのクラスって、去年の文実とか体育祭の委員メンバーだったのが多くて……」
「……ああ。なるほどな…」
その答えだけで納得がいったわ。
つまりあの時の相模の失態を近くで見てた連中を中心として相模をハブり始めたってわけだ。
それがクラス中に広がるのは時間の問題だわな。
「その……、その中でも特に遥ちゃんとゆっこちゃんが南ちゃんにムカついてて……」
「そうなの…。それでハブるだけじゃ無くって、軽い虐めにも発展しちゃって……」
虐め?あれ?うちの学校に虐めはないはずですが……。
それにしても遥ちゃんとゆっこちゃん?
なんか聞き覚えあんですけど。
「遥とゆっこ……。ああ、理解したわ。あの時の二人ね……」
雪ノ下のその反応で俺も理解した。
あの元祖モブ子とモブ美か。目の前の二人は新人モブだな。いや、こいつらは元クラスメイトらしいから、どっちかっつーとこいつらが元祖なのか。
「はぁ〜……、なるほどな……。……だが相模がハブられてたと言うが、その間お前らはどうしてたんだ?ハブられてるっつったって、仲良しなお前らが一緒なら、そこまでハブって訳でもないんじゃねえの?」
そうは言ってはみたものの、そんなに上手くはいかない事くらいは分かるけどな。
クラス中の空気っつーバケモンが相模を悪意で包んでる時に、こんななんでもないような普通の女の子達が、そのバケモンに孤軍奮闘抗える訳がない。
つまりは自分たちまでもが悪意の空気に包まれないように、仲の良い友達を見捨てたのだ。
そんな事くらい分かってる癖にとでも言わんばかりに、俺を憎々しげに睨んでくるモブ達。
はぁ〜……
人生ってのは苦く苦しいもんだな。そうそう上手くはいかない。
盛者必衰の理をあらわすとは良く言ったもんだ。
カースト上位者としてあれだけ素敵な青春とやらを送ってきたはずの相模が、昨日の友は今日の敵よろしく、味方にまで裏切られて本当に最下層の住人になっちまうんだからな……。
× × ×
「それで、貴女たちの具体的な依頼内容はどういったものなのかしら」
「……え?いや、だから南ちゃんを……」
「相模さんをどうして欲しいと言うの?学校に連れてくればいいのかしら?それとも仲間外れにしている他のクラスメイト一人一人と話をして、みんなで仲良くしてくれと説得しろとでも?」
うわぁ……、なんか今日の雪ノ下厳しくね?
まあコイツだってハブられたり、もしくはそれ以上の事だって、もっとガキの頃から散々されてきたハズだ。
でも雪ノ下は逃げもせず頼りもせず、自分自身の力で跳ね返してきたのだろう。
だからこそ、たかだかひと月やそこらハブられたくらいで、とっとと逃げ出しちまうような相模に対して思うところもあるんだろう。
そもそも自業自得だしな、相模の場合。
ただ、この冷たさと突き放し方は、それだけが原因とも言い難い程ではある。
なんというか、相模だけじゃなく、こいつらに対しても、少なからずの怒りを感じる。
どうしたってんだ?どんな相手であろうと、救われたいと願ってきた者に対しては等しく手を差し伸べるのが信条の雪ノ下らしくもない。
少なくとも何かしら助けてくれるハズだと期待してきたこいつらも、そのあまりに冷たく威竦くめるような態度の雪ノ下に怯えて、どうしていいのか分からないでいる。
どうすっかな?と、チラリと由比ヶ浜を見てみる。
確かに由比ヶ浜はちょっと前に相模が苦手だと言っていた。だが友達だとも言っていた。
好きだろうと苦手だろうと、友達を大切にする由比ヶ浜の事だ。
雪ノ下の、依頼に対するらしくもない拒絶の反応に戸惑いはしても、相模を助けてやりたいと願い、なんとか雪ノ下を説得しようとするハズだよな。
そんな思いで由比ヶ浜を見たのだが………、なぜかコイツも俯いて何も言おうとしない。
確かにこの手の問題は、俺達のようないち学生がおいそれと首を突っ込んでいいような問題ではない。
しかしそれでも由比ヶ浜ならば『ゆきのん何とかならないかなぁ…』とチワワのような眼差しで、雪ノ下を見つめるもんかと思ってたんだが……。
一体こいつらどうしたってんだ?
二人共何も言わず、依頼人である結城と折澤もそんな様子に畏縮してしまい静まり返る部室。
とにかくなんか言ってどうにかしてみないとな…と身構えたちょうどその時、ノックも無くガラリと無遠慮に開かれた扉の音に、その静寂が破られた。
「失礼しまーす!お待たせしましたっ!いやー遅くなっちゃいましたよー。まだ皆さん帰ってなくて良かったですー」
いや別に待ってねえよ……。
亜麻色の髪をふわりとたなびかせ、相も変わらず奉仕部に居座るあざとい後輩、生徒会長一色いろはが、沈黙の奉仕部を不意に強襲するのだった。
今回は導入部分という事もあり、2話掲載させて頂きました。
いやー、本当にこんなの見てくれるんでしょうか?
相模南にはいろはすと違って愛はありませんが、等身大の彼女も嫌いではありませんので、こんな救済もありかな?……と、以前から妄想していたものを書いてみました。
もしこんな話も好きな方がおられたら、お付き合いいただけたら幸いです。