幌筵の小さな警備府   作:蛍火おぼろ

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警備府に不吉な風が吹き始めました。

 明朝、電は寝床から這い出て大きな伸びをする。窓へと視線を向ければ、水平線から日が昇り始めていた。同室で眠る姉の雷は、うつ伏せで眠りについており、起きる気配がない。息苦しくないのだろうか。姉が起きないよう慎重に、かつ迅速に着替えを済ます。

 秘書艦なのだから、誰よりも速く起きて仕事をせねばと、電は強く意気込んでいた。

 

 無事に起こすことなく部屋から抜け出し、食堂へと向かう。この警備府にはまだ、間宮も伊良湖もいない。だからといって、来たばかりの皆に料理当番をさせるのも忍びなかった。

 

「美味しい食べ物を作るのです……!」

 

 資材は現状を考えれば充分あるといっていい。各々の補給に必要な量は、優秀な妖精達が寸分の狂いもなく、きっちりと計ってくれる。問題はそれらを料理へと変化させる技術だ。電はそういった物を持ちあわせていない為、秋窓が着任するまで資材のまま補給をしていたのだ。

 

「妖精さーん! 起きていますか……?」

 

 食堂全体に届く声をあげても返事はない。どうせなら秋窓から教わっておくべきだったと、両手で頭を抱えて考え込んでしまう。彼以外で料理が出来る人物を、電は知らなかった。

 しばらくそうしていると、誰かが食堂の戸を開く音がする。恐る恐る振り向けば、姉の雷が見えた。

 

「朝からいないと思ったら、こんな場所にいたのね……って、どうしたのよ。暁ねぇみたいに現実逃避して」

「はわわわわ…………。料理が、料理が作れないのです……」

「あれ、出来ないんだっけ? しょうがないわね、お姉ちゃんの私も手伝ってあげるから任せなさい!」

 

 親指を立て、満面の笑みを浮かべる姉がとても頼もしく見えたのです、と数日後の電は顔を青白くして語ったという。何の疑いも持たない彼女は、姉の指示通りに料理の準備を始めた。

 

 

 

 一方その頃、秋窓は電よりも早く起床し、釣り道具を持って警備府の防波堤まで来ていた。海は静かで、騒音とは無縁の存在と化している。それも深海棲艦との戦いが始まれば、そうとも言えなくなってしまうが。

 

「人数分、釣れれば良いんだが」

 

 釣り針に餌を付け、軽く竿を振った。すると、針はそれなりの距離まで飛んでいき、揺れる波に溶け込む。しばしそれを眺めていると、秋窓は次第に船を漕ぎ始める。そうはさせまいと、後方から足音が近付いてきた。くっつきたがる目蓋を離れ離れにする。同じ釣り仲間だと思い、そちらへ振り向こうとするが、それは叶わなかった。

 

 彼が行動するよりも速く、誰かが抱きついて来たのだ。背中に当たる柔らかい感触がやけに心地いいのだが、徐々に体重を掛けて行くのだ。重さに耐え切れない上半身は、徐々に前のめりになっていってしまう。

 なんとか振り向けば、至近距離に見覚えのある女性が笑顔を作っていた。

 

「ども、お久しぶりです! 新天地ではどうお過ごしでしょうか?」

「……青葉か。そうだな。お前の胸が当たって、釣りに集中出来ないかな」

「おや、これは失礼しました! なんなら青葉が夜戦の相手になってあげましょうか?」

「心にもない事をよく言う」

 

 素早く離れてくれた青葉を一瞥し、視線を釣竿に戻す。秋窓が釣りに集中しようとすれば、来客がこれでもかとちょっかいを出してくる。呆れながらも、普段通りだと気持ちを切り替え、しばらく青葉の話相手になる事を決意した。

 彼女は待ってましたと言わんばかりに彼の傍でしゃがみこみ、ペンと手帳を取り出す。彼女の持つペンは、秋窓が電に渡したペンとそっくりだ。

 

「子供の頃みたいに、たまには狼狽えたりしてくれた方が、こちらとしては面白いんですけど。あと、そろそろ御面を取りませんか? 上に立つ人間らしくするべきかと」

「俺だって常に付けてる訳じゃないぞ。そんな事より、今度は何の用だ。また従兄弟に迷惑かけたのか?」

 

 彼女は秋窓の従兄弟が管理する、鎮守府所属の艦娘なのだ。秋窓が幼い頃からの知り合いなのだが、細く長い付き合いが続いている。そして、彼女が秋窓に会おうとする時は、何かあった時だけだ。

 

「そんな事って……貴方がいいなら別にいいですけど。ただ、遠征のついでに寄っただけですよ?」

「来るなら遠征任務を終えてからにしてくれ」

「確かにその通りなんですが、この遠征が終わったら別の鎮守府への異動が待っているんです。結構遠いみたいなんで、今のうちに会っておこうかな……なんて」

 

 頬を掻き、苦笑する彼女の表情はどこか暗い。秋窓の知っている青葉は、もっと明るく、それでいて道を照らしてくれていた。彼は握り締めている釣竿を何度か動かしながら、言葉を紡ぐ。それが彼女の求めている言葉なのか、秋窓には分からないが。

 

「まだ何かあるなら今のうちに言ったらどうだ。当分は会えなくなるんだろ?」

「ははは、そうですね。……二つほど質問してもいいでしょうか」

「姉貴に聞かれるなら、答えないと駄目だな」

 

 彼が学生時代にだけ使っていた呼び名が、青葉の耳に届く。彼女は何度か瞬きを繰り返すと、頬を緩ませて嬉しそうに微笑んだ。青葉は弟分の秋窓から『姉貴』と呼ばれる事がお気に入りなのを、彼は今でも覚えていた。

 ハッと我に帰った青葉は首を振り、軽く咳払いをする。

 

「……では、まず一つ目ですね。この警備府に配属された艦娘達ですが、揃いも揃って艦娘として問題があるという噂を聞きました。何か理由でもあるんですかね?」

「言うほどの問題があるとは思えないが、ここに配属される理由までは知らないな。仮に知っていたとしても、俺みたいな新米には拒否できない事だ」

「ふむふむ、なるほど……」

 

 釣り竿に手応えを感じ、秋窓は持つ手に力を込める。青葉はそれを見つめながら、彼の発言を手帳に書き記す。それを何度か読み直し、彼女はペンと手帳をしまう。そして秋窓の耳元で囁く。

 

「次の質問です。どうして『あの時』から御面を外さなくなったんですか?」

 

 釣り上げると同時に、手から釣竿がすっぽ抜けた。それは青葉の言葉に驚いたのか、釣り上げた獲物がイ級だったからなのか。秋窓には解らなかった。

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