視点が第三者(三人称)からカリンちゃん(一人称)になってます。
「ここは、どこかしらね」
誰もいないことは分かっているのに、言葉は勝手に零れ出る。長年独りで暮らしていると、どういう訳か喉の制御が利かなくなる。取るに足らない心の声が、いつの間にか私――カリンの声として表に出てしまうのだ。
「それにしても空気悪いわね」
私が『げんそうきょう』という地に降り立って二日目の昼は、淀んだ空気に包まれた奇妙な森にたどり着いた。
朝……というよりも、私が目覚めた時既にミスティアの姿はなかった。枕もとの紙切れのおかげで、例の八目鰻を仕入れに行ったということだけは把握している。
仕入れということは、どこかに町があるはずだ。しかしミスティア自体妖怪なのに、人間の町に行っても大丈夫なのだろうか。それとも妖怪だけの町があるとか。人間が妖怪に気づかないほど鈍感なのか。そんな事を考えていたら、いてもたってもいられなくて今に至る。
とにかく私は、町らしきものを求めて歩いている。そんな私の目に入ってくるのは、異様な量のキノコ、木、そして少し霞んだ空気だ。町どころか小屋のひとつもない。そもそもちゃんとまっすぐ進んでいるのかも疑わしい。
「よぉ、鳥が一匹で何してんだ?」
ふいに声がした。私やミスティアの様な気配はしなかったから、多分人間のはずである。しきりに周りを見回してみるが、目に映るのはやはりキノコと木と霧だ。
「上だ上。お前はどこに目玉を付けてるんだ」
一瞬耳を疑った。『うえ』という単語が理解できないまま、私が知っている『上』という方向に視線を移した。そして私は自分の目までも疑い、ただ息を呑むことしかできなかった。しかし呑みこんだ息はすぐに私の声となって外に吐き出された。
「ひ、人がっ……空を飛んでる!」
――
今私の目の前には、暖かそうに湯気を出している、お茶というにはあまりにも鮮やかさに欠ける飲み物が置かれている。
「どうしたどうした。寒いだろ? 遠慮しないで飲めよ」
「道に迷ったなら」と急に案内した人間が、何の違和感もなく語りかけてくる。その手には人間自身のために注いだであろう私のそれとは明らかに違う、色鮮やかな紅茶を持っている。
「なんで私にはそっちのお茶くれないのよ」
私が訴えると、何の悪気もなく「人間には飲んじゃいけないものがあるんだぜ」とだけ答えて紅茶をすすっている。つまり私のこれには、毒でも入ってるということか。妖怪といえども、毒は飲んではいけないのに。
「まあいいけど。というか何で私、妖怪を家に招いて毒を飲ませようとするのよ。……後なんで飛べるの」
私が飛べる理由を尋ねたあたりで、どういうわけか私は大笑いされた。私の常識では、人間は飛ばない。それなのに、私はまるで至極当たり前のことを聞いてしまったような感覚に襲われて、顔を中心に熱が出た。
「お前にだって、そんな馬鹿でかい羽があるじゃないか」
人間はまだ笑ってる。目に涙まで浮かべて。私は恥ずかしさと腹立たしさが混ざり合って、なんともいえない感情が頭をぐるぐる回っている。今私がどんな表情をしているかは分からない。とりあえず目の前の人間には滑稽に見えるのか、まだ笑っている。
「そんなに笑わないでよ。というか貴女には羽が生えてないじゃない。それに私は……私は飛べない」
また大笑いされるかと思ったが、もう笑い疲れたのか、人間は涙を拭きながら息を整えていた。
「ここじゃ鳥、虫に限らず犬、猫、狐とか……仕舞いにはメイドも飛ぶ始末だぜ」
もう私の耳は本格的にいかれてしまった。そうだとすれば、これからの私生活に大きな支障をきたすだろう。でもいかれていてほしかった。私たちトリが苦労して得た飛翔能力を、ここ『げんそうきょう』では持ってて当たり前のことだなんて。
「人間のあなたはどうやって飛んでるっていうのよ」
結局答えてもらえなかった質問を、もう一度聞いてみた。それにしてもこの人間は、黒い服に身を包み尖がった黒い帽子を被っていた。いかにもアレを連想させる格好だ。極め付けには箒に乗って空を飛んでいるときてる。
「私は普通の魔法使いだからな。魔力でちょちょいって感じだぜ」
魔法使いの普通と異常の定義はよく分からなが、人間として考えるならこの人は充分異常だろう。そして案の定アレ――魔女だった。
「本当にここでは何でもありなのね。魔女も妖怪も……普通に存在してるなんて。この分だと幽霊もいそうね」
そんな事を呟いたら「朝から晩まで、年中無休ででてるぜ」と魔女は得意げに答えた。元々いた世界のことは、ほとんど忘れた。ただはっきりいえることは、魔女は絵本の中のもの、私のような妖怪は化け物。そして何より、トリ以外に空高く飛べる生き物はいない。「私の中でありえないことがここでは当たり前」心の中で呟いたはずだが、私の耳からも聞こえたところからまた口に出てしまったのだろう。その時私の中で何かが光った。
「魔力を使えば私も飛べるってことじゃない!」
『げんそうきょう』なら私のような妖怪も魔法が使えるはずだ。ただ魔女にとっては取るに足らないことなのか、「だろうね」とだけ答えた。そんな冷たい返事も、否定的でなければ私には救いの声だ。
「魔力というより妖力だと思うけど。魔法が使いたいなら、道は長く険しいぜ」
「空が飛べるなら」
私は即答した。ただ私は魔法使いになりたい訳ではない。私がほしいのは空を飛ぶ力。ただそれだけ。
「んー。……でもなぁ」
魔女はそういって顔をしかめている。やはり一筋縄ではいかないようだ。簡単に自分の手の内を明かすはずないだろう。だからといって私も、諦める訳にはいかない。
「そもそも妖怪に魔法を教えたって言ったら霊夢の奴に怒られちゃうからな」
魔女は頭を掻きながら、新しい人間の名前を出してきた。その人間について聞いてみると、身の羽がよだつ話になった。それは妖怪退治の話。
「ちょっと、聞いてないわよそんなの。その人間が同業者なら貴女も退治屋じゃない」
血の気が引いているのが自分でも分かる。この魔女に対して身構えると「お、鳥頭でもやればできるな」と茶化してきた。
「馬鹿にしないでよ。やっぱりこの飲み物は毒が入ってるのね?」
「おいおい、落ち着けよ。それはちゃんと飲み物だぜ。もっとも毒が入ってるなら私は飲み物とは言わずに盛り物というな」
私はしばらくこの魔女が注釈した台詞の意味が分からなかった。しばらくして、この魔女は少し前に『人間には飲んじゃいけないものがある』と言っていたことを思い出した。『毒は飲まずに盛るもの』と、おおよそこういう意味だろう。この魔女との会話を思い返すと、このようなあからさまにわざと遠回しな表現ばかりだ。
「おい、大丈夫か? でもおかげで温かくなったろ。それとも……」
「熱暴走なんてしてないわよ!」
魔女は変な言い回しをするときは、だいたい薄笑いを浮かべている。でも私がすぐに返した今、私の目には魔女が少し悔しがっているように見えた。と同時に、私の中に「してやったり」という優越感が湧いて思わず頬が緩む。
「ぐ……とにかく頭は大丈夫か、働くか? 私たちは何も、そこらの無抵抗な妖怪をあたり構わず退治するわけじゃない。大きな異変を起こしたヤツとか、それを退治に行くときに邪魔してくるヤツを倒すだけだ。もっとも、ここでお前が私を倒そうとするなら別だけどな」
してやられた魔女が、この空気を必死に取り繕うように話しているのが私でも分かる。この魔女も今までトリのことを『鳥頭』だとか言ってずっと馬鹿にしてきた口だろう。そんなトリにオチを読まれたのだから、きっと心底悔しいに違いない。
そんな感情に酔いしれていると「まぁ飛ばせるくらいいいか」と言う声と共に、頭に衝撃が走った。どうやら箒で叩かれたらしい。
「叩かなくてもいいじゃないっ。でも、教えてくれるのね、やった!」
頭の中はもう空を飛ぶことでいっぱいになってしまった。すると私の体は勝手に踊りだした。もう体中すべての制御が利かない。そもそも制御しようなんて思ってもいないけど。
「そのかわりちゃんと成功したら報酬払えよ。……って聞いてなさそうだな」
とぅーびーこんてぃにゅーど...