「お師匠様! 失礼します」
慌ただしく廊下をかける音と共に、叫び声が飛び込んでくる。お師匠様と呼ばれた人物――八意永琳の目に入ったのは、肩で息をする鈴仙だった。ここはめったに来訪者のない、幻想郷のなかでも比較的穏やかな場所……永遠亭である。穏やかであるが故に、鈴仙の慌てようは緊急事態と取れるはずなのだが。
「どうしたの? そんなに慌てて」
永琳の態度はまるで、昔話を懐かしんでいるように和やかであった。そう……永琳は鈴仙の状態について尋ねてはいるが、おおよその見当がついているのである。
「いや、そんなに慌てるつもりは無かったのですが……」
鈴仙の言葉を聞くと、得意げな笑みを浮かべて「じゃぁ今回は白黒の魔女でも来たのかしら?」と返した。
「えぇ、そうなんです。柄にも無く慌てていたのでつられてしまいました」
ようやく呼吸も落ち着いてきた鈴仙は、余計に吸ってしまった空気をため息として吐き出した。その直後に、目線を永琳に合わせるなり首をかしげる。鈴仙の目に映った永琳は、危険人物の訪問にあせることも無くただただこみ上げた笑いを精一杯抑えている姿だった。
「そ、そんなことより大変です! 急患ですよ。魔女が妖怪の患者を」
――
ここは迷いの竹林。人間も妖怪も、春先以外はわざわざ立ち入ることはないといっても過言では無い。もし人影を見つけたのならば、妖怪兎の可能性が高い。
「ここにいる竹林の案内人。出てきて出てきていますぐにー」
侵入者が無いということは、必然的に面倒事が起こらないということでもある。特に昼間は、妖怪の活動も活発でないので竹林内は平穏な時間が流れている。妖怪兎の巣窟と化してはいるものの、そもそも兎は騒がしい動物ではない。
「出ないと住処を丸焼きだー」
「ほぅ。こんな場所に好んで住み着いてるやつが他にいたのか、それとも」
妙な音程を持った叫び声の主は、いうまでも無く妖怪兎ではない。八目鰻だけでなくドジョウや蛇、さらには住処までも焼いてしまうという焼き八目鰻屋店主のミスティアだ。しかしその背後に現れた人影も妖怪兎ではなかった。これでは先ほどの説明が台無しである。
「で、誰の家を丸焼きにするんだい? なんなら手伝ってやってもいいぞ」
妖怪兎の住処を分布図で表すのは無粋なことである。竹林が真っ黒になるのが目に見えているからである。そんな竹林に住むのは、健康マニアの焼き鳥屋と名乗る藤原妹紅だ。実際焼いているのは竹林ではないかと、もっぱらの噂である。食材を焼くことを生業としていると、何でもかんでも焼きたくなってしまうのだろうか……場合によっては迷惑な話である。
「じょ、冗談よ。逆に焼かれたら大変だし」
ミスティア本人が妹紅を呼び出したはずなのだが、どういうわけか腰を抜かしていた。その後立ち上がるものの、会話をするには不自然な距離をとっている。
「んで? 私にいったい何の用さ」
妹紅は不自然に空いた間など、気にもせずに話を切り出した。しかしミスティアは『竹林の案内人』として妹紅を呼んだのだ。今さら聞くのも野暮なことだ。
「そ、そうよ……私を薬屋のところに連れていって。早く!」
その答えは妹紅の予想通りだった。しかしミスティアは答えるなり、妹紅の背中を押して急かしてきた。先ほどまでの態度からは予想もできない行動に、妹紅は釣瓶落しにでも会ったような面立ちになった。その勢いに負けてしぶしぶ「こっち」と進行方向とは逆側を指差した。するとミスティアは鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、背中を押すのを止めた。千鳥足でうろたえているミスティアを見て、少し笑みを零しながらもばつが悪そうに「またあそこに行くことになるとはな」と小さくぼやいた。
――
「何か面白そうな薬とかないのか?」
部屋いっぱいにある引き出しを見て、興味心身な魔理沙。今にも喉から手が伸びそうである。
「ん? そこら辺を開けてみればいいじゃない。私がしっかり効能をラベルに書いておいたよ」
この答えだけを聞けば、安心して薬を拝借できる。しかし問題があった。それは魔理沙の目の前にいるのが、因幡てゐであること。それだけで魔理沙の手癖は充分抑えられる。魔理沙は絵に描いたように肩を落として、そして大きなため息をついた。
ここは、永琳が簡単な診察を行う部屋だ。もちろん永遠亭には客間は存在する。しかし魔理沙といえば蒐集癖、永遠亭にはたくさんの貴重な宝がたくさん仕舞ってある。それを汲んだ永琳の考えで、ここに案内されたのである。
魔理沙は曇った表情のまま、出されたお茶をすすった。その姿を確認すると、てゐはすぐさま魔理沙の足元に座り込みながら相手の顔を見上げた。
「ねぇ、そのお茶どう? 淹れたのは鈴仙だけど、葉っぱは私が選んだんだぁ」
そう言っててゐは満面の笑顔を作る。しかしその笑顔は、魔理沙の表情を快晴にするような輝きは持っていなかった。むしろ体温を奪っていったようで、魔理沙は顔が青ざめていった。力が抜けたように湯飲みを置き、そのまま全力でこの場を後にしようとした。しかしその行為は「お師匠様に、決してここを出してはいけないと言われててねぇ」という言葉と共に、扉の前に立つてゐによって阻まれてしまった。
「ちょっとあなたに聞きたいことが」
永琳が診察を終えて戻ってきた。外に出ることと水を要求する魔理沙、それを妨害するてゐとどこから湧いて出たのか……たくさんの兎たち、そしてその乱闘の所為で引き出し以外が荒れた部屋を目の当たりにし、永琳の「あるのだけれど」という言葉はため息に変化してしまった。そして永琳が出てきた扉から一番近くで、ちょうど自分の目の高さの場所にある引き出しに手をかけた。
「く、薬屋……いいところに戻ってきた。何でもいいから、どんな毒でも解毒できる薬をくれ!」
よろよろと懇願する魔理沙の顔は青ざめたままで、さらに暴れためか汗が滝のように流れている。息も荒く、この分だと拍動も早い。それを確認すると「正気ね」と呟き、引き出しにかけた手を戻した。
「何か飲まされたの?」
永琳が問診すると、「あいつに得体の知れないお茶を飲まされたんだ!」と指をさしながら必死に訴えた。「お茶という得体が知れてるじゃない」と顔色も口調も変えずに答え、魔理沙と同じ方向を指さした。その指の先ではてゐがお茶を飲みながら、まったりと饅頭をほおばる姿があった。
「鎮静剤じゃなくて、ハーブティーを用意しておくんだったわ」
永琳の呟きに対して「コーヒーでもいいぜ」と、魔理沙はすっかり正気に戻ったようである。そのまま箒を手に取って振りかぶろうとしていたが、振り落とす目的はすでにいなくなっていた。
「そんなことより、あなたがあの子に飲ませた得体の知れないものの正体を教えなさい」
「私は得体を知ってるし、これに全部書いてあるぜ」
先ほどまでの切羽詰った表情はどこへやら、いつもの調子で帽子の中から一冊の本を出した。
「あの子の体から人間だったら十人はあの世に召されるほどの毒が見つかってね。物が分かってたほうが解毒剤を作りやすいのよ」
永琳は魔理沙の本に手を伸ばしたが、予想通り逃げられてしまった。そして素兎がいなくなった扉を背にし「一応簡単に見せられるものでも無くてな……悪いけど、自力でどうにかしてくれ」と言った。言っただけで逃げない。さすがの魔理沙も、患者に対して少なからず責任を感じてるのだろうか。
「こんなことなら睡眠薬を用意しておけばよかったわ」
そのままこの部屋を後にしようとしたときだ、魔理沙が背にしている扉が静かに開き始めていた。永琳が身構えると魔理沙は本を後ろに回し、もう片方の腕を帽子に突っ込む。帽子に突っ込んだ腕、本を持っている腕、扉を開ける腕……魔理沙には腕は二本しかないはずである。扉の向こうにいるのは素兎か、はたまた侵入者か。
「とった!」
「うわっ、何だ後ろから!」
扉から出てきたのは後者――侵入者のミスティアだった。目の前の身構えた永琳に気をとられていたのか、魔理沙はあっさり本を奪われてしまった。一瞬ポーズ状態に陥ってしまった魔理沙だが、すぐさま取り返そうとする。しかし今度は永琳によってその行動を阻まれてしまった。「その本を貸しなさい!」と永琳が叫ぶと、先ほどまでのやり取りを聞いていたのかミスティアは素直に手渡した。はれて毒物の詳細を手に入れられたのである。
「カリンは大丈夫なの?」
「あのハーピーのことかしら」
「ぜんぜんハッピーじゃないわよ!」
この状況は確かにハッピーではない。同時に永琳が言ったのは、ハッピーではなくハーピーである。落ち着きのないミスティアは、人の話を聞くことなく自分の意見ばかりを押し付けていた。特に落ち着いていてもあまり変わらないが。
「カリン? だっけか……あれはお前の連れなのか」
「ま、まぁ……そんな感じ。てかあんた! いったいカリンに何したのよ。黒い魔女がカリンを倒すのを見た妖精がいるのよ」
引きつった表情のミスティアをよそに、魔理沙はなぜか感心したような表情だった。「家の中だったはずなんだけどなぁ」と頭をかくばかりだ。しかしミスティアは訴え続ける。
「それで永遠亭に向かったって言ってたから……ちょっとあんた! 様子はどうなの」
ついにミスティアの金切り声は、永琳にも飛ばされた。しかし永琳は、引き出しから出したものだと思われるビンを机に並べていた。魔理沙も目線を合わせると、永琳は「ものすごく分かりやすかったわ」と言葉を添えて本を返した。
「入ってるキノコの種類が分かったから、大丈夫よ。いま解毒剤を調合するわ」
その言葉を聞いて、ミスティアは胸をなでおろす。魔理沙もそっと撫で下ろしたが、「すぐここに連れてきて正解だったな」とすっかり余裕な表情になった。すっかり温まった雰囲気に一閃を放ったのは、ミスティアではなく駆け込んできた鈴仙だった。
「お師匠様! 大変です」
雰囲気と共に空気が音を立てて凍りついた。
「何だよ。大丈夫じゃないのかよ」
「急変かしら?」
魔理沙は思わず立ち上がった。永琳は取り乱してはいないように見えるが、その額にはうっすら汗がにじみ出ている。さっきまでのミスティアであれば、留処なく叫び声をあげていただろう。しかし息の詰まるような空気に、ただただ鈴仙の第二声を待っていた。
「んもー、逃げないで案内してよね。……あれ、ミスティアがいる?」
鈴仙によって半開きとなった扉が開かれた。そこに立っていたのは、青いワンピースのようなものを着ていて、肩から直接大きな翼が出ているカリン本人だった。
「た、大変です。患者が勝手に直りました」
とぅーびーこんてぃにゅーど...