静謐な空間だった。等間隔に仄暗いこの場を照らし出す青白い炎は儚くも雄々しく、見る者の瞳に浮世の俗事を隈なく焼き払う鬼火のごとき幽玄さを焼き付ける。
場の穢れの無さ、犯し難き神聖さと荘厳さは、意図して『そうあれかし』、と整えられていた。
そらは朝から夕方まで定職に勤め、家に帰れば恋人や家族とのひと時を過ごし、週末や休日には屋外へ羽根を伸ばすといった、およそ一般的な社会的生活を送る者には到底考えられない、熱狂的妄執による手間と、人力を雇い従える莫大な金銭、そして入念で充実した時間がかけられた結果である。
その真実をこの世の誰よりも知悉している者が居る。この場に佇む唯一人の人間であり、ローブを目深に着用して容姿の詳細は見て取れないが、その体格や肉付きから女だと解る。彼女の名前はシャナン=メリダスと云った。
当人にとっては主観時間の半生も共にしていない姓名で未だしっくりとした実感の無い名であったが、戸籍上はその名が揺るぎない真名であったし、国債人民データ機構にもそう登録されている紛れもない事実だった。
それを否定する心算もないし、『前世』の名前に殊更に執着があるわけでもなく、そしてそれを名乗ったところでさしたる満足も得られないとあっては、拘泥するのは心の贅肉もいいところである。
シャナンは巨大な円形石柱が幾百本も室内を支える、ともすれば無間と錯覚するほどの広大な地下神殿を睥睨する。
彼女がいるのはアイジエン大陸南東部に位置する小国の古代遺跡の一つであり、彼女が『霊地』にふさわしい場所を探して世界中の入国可能な土地を回った時に偶然発見し、即座に目的のために採用を決意した建造物だった。
「レッツビギン」
己の裡に向けて告げられる宣言に応え、彼女の体表から溢れ出る膨大な生命エネルギー『オーラ』に神殿そのものが共鳴し、床面、壁面、天井面、石柱表面と至る所に刻まれた電子回路を彷彿とさせる幾何学模様が発光する。
それらの模様は『神字』と呼称され、彼女が修めた『オーラ』を自在に操る技能である『念』を補助する役割を持つとされる。
彼女の『オーラ』が神殿内部に刻まれた『神字』によって励起し、『神字』そのものが発する光の性質を神々しく、そして禍々しく、相反する二面性を得ながら、より高位の輝きへと昇華させ、この場が地下とは思えぬ燦然とした純白の空間を創り出してゆく。
それが呼び水となり、大地そのものから企図した通りにただの人間が一生掛けても生み出せない、甚大な超自然の『オーラ』が神殿内の基盤に蓄えられていく。
基盤に蓄えられた『オーラ』は想定通りに儀式を構築する術式の集積回路を駆け巡り、その機能を十全に発揮するべく回転しながら燃焼・精錬し、より純粋な『力の塊』として高密度に圧縮される。
全てにおいて思い描いた過程を経て、それが希った結果へと集中してゆく。
今まさにその様を五感その他もろもろの感覚で自覚するシャナンは、掌握した『力の源』が眼下の石畳に描かれた魔方陣へ収斂する段になって、淡く口角を吊り上げて甘い吐息を放つ。
(ようやく、ようやく『力』が手に入るっ! こんな命の価値がティッシュペーパー以下の軽さしかない巫山戯たパラダイスから逃れる日も近いっ!!)
魔方陣から光と共に溢れ出る強風と化した力の奔流に煽られ、彼女が被っていたフードが吹き飛ばされる。
風に翻るのは、眩い光にさらされてぬばたまの艶色を誇る長い緑髪。揺らめく前髪の隙間から覗くのは爛々と興奮に彩られる黒曜石の双眸。少女から娘へ女の色香が滲み始めた玲瓏な容色。当人が鏡を見る度に自身の容姿でなかったらと幾度となく嘆き、最終的には鏡が恋人と哀しい結論に行き着かされた美貌が零れ落ちた。
「素に銀と鉄、礎に石と契約の大公。さらなる礎に名も無き我が契約者たち。
降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ――」
それは言霊だった。これは彼女の希望を叶える呪文である。
シャナン=メリダスが現世で誕生する以前、前世の『彼』だった『彼女』がのめり込んだサブカルチャー作品における、主(マスター)の盾となり矛となる守護者(サーヴァント)を召喚するための呪文。それを声高に詠唱する。
「閉じよっ(みたせっ)、閉じよっ(みたせっ)、閉じよっ(みたせっ)、閉じよっ(みたせっ)、閉じよっ(みたせっ)。
繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却するっ!」
死因も思い出せず、第二の生をあてがわれた彼女が目覚めた世界は貧民街と云う名の地獄だった。
少なくとも、平和ボケと評されて久しい現代日本人だった彼女が生き残るには、過酷に過ぎる環境だった。
平然と実の娘を奴隷と断じた娼婦が母親だったというのも、状況の劣悪さに拍車を掛けた。
幸い幼すぎるという理由『だけ』で操は無事だったが、未成熟な幼いシャナンは何度死の淵を彷徨うような直接的な暴力を注がれたことか。
孤児院や教会の門を叩くなど論外である。遠目からでも中の実態は容易く看破できた。あの中へ助けを求めても地獄は変わらない。シャナンのように容姿の整った幼い少女など性的暴行を受け入れるだけの惨めな肉便器として飼われるか、またそういった趣味の里親(顧客)に多額の寄付金を対価に売り払われるかのどちらかである。
地力が付くまで耐え難い屈辱に晒され、尻尾を振って進んで辛酸を舐め啜ったものだ。
字を覚え読み知識を蓄え、この世界が『HUNTER×HUNTER』の世界であると気付いた日には、歓喜とさらなる絶望で涙を流した。
「――――――告げるっ!
汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣にっ!
聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよっ!」
二週間に渡る瞑想によって、念法の基礎四大行が一つ【纏】を覚えられた。
――どうやらボクには念の『才能』があるようだ。その点だけはあのアバズレに感謝しよう。
そこからは早かった。実母とその情夫から受ける暴力も【纏】の防御力で効果を受けず、身体を傷めることもなくなった。
原作知識と創意工夫で修行し続けた。トントン拍子とまでは行かずとも、無難と言えるペースで【絶】を覚え、【練】を経て、【発】は後回しにして【凝】、【周】、【隠】、【堅】、【流】まで修得した。
【硬】と【円】は比較すると難易度が高いのか相当に手こずった記憶がある。
さらに順調にオーラ量も増やしていき、護身としては過剰なまでに地力を得たと実感したシャナンは、今まで己が受けた暴力のツケを母親とその情夫(合計八人中二人は既に死亡済)の七人に払わせ、シャナンは有り金をふんだくって魔窟を後にした。
その後は一時的に心源流の下で念の基礎と実践的な武術を血肉にし、天空闘技場にて目的のための資金稼ぎを始める。
その当時、既に入手した『神字』の書物によってある程度の効果をもたらすことを可能としており、『HUNTER×HUNTER』と同作者の作品『幽遊白書』にて主人公が短期間で劇的に力を付けた『呪霊錠』を参考にしたリストバンドを拵える。
これは装着した者に常時『オーラ』と同時に物理的な負荷をかけ続ける修行道具であり、装着者の実力が上がれば上がるほど負荷も強まる仕様となっていた。
さらに常に『練』を強制され、他の念能力者から見ても装着者の『オーラ』が垂れ流し状態にしか見えないという優れもの。
おかげで見咎められることなく堂々と選手として参加し、純粋な格闘技における実戦経験を積む上に、雇った代理人に不自然にならない周期で稼いだ資金を自身へ、または対戦相手に賭けさせて異常なまでに資金稼ぎが捗った。
「誓いを此処にっ。
我は常世総ての善と成る者っ、我は常世総ての悪を敷く者っ!」
ある程度、己の実力と資金に納得が行ったシャナンは、目標に設定した『この世界の最強クラスと敵対した場合、実に斃すか回避する力』へ届きうる、その前提条件である【発】――固有能力の開発に踏み出す。
シャナンは自身の才能がある程度高いであろう自信を持っているが、自負と言えるほどに盲信はしていなかった。
頂上クラスの怪物ぶりは原作を通して熟知しており、そんな連中と交戦に陥った場合、十中八九死ねる自信は砕けないダイヤモンドほどの固さを持っていた。
そもそも、である。原作で最も反則な存在と言えるキメラアントなど、生まれながらにして人間以上の生命体であり、同じレベル1の時点でも人間と比較すれば馬鹿げた差が生じている本物の怪物なのだ。
王にこそ届かなかったが、直属護衛軍ならば条件次第で一対一で屠れたであろうネテロ会長という極端例は話にならない。
あの狂的な執念でもって一生涯、老境に差し掛かってなお純粋な戦闘力を研ぎ澄ませ続けるなど、真似しようとは到底思えない。
ビスケのようにシュワちゃんも真っ青の筋肉魔人に転生する気も流石にない。というか護身の域を超えている。
「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ――っ!!」
とまれ、シャナンは幾通りかの『無茶をしないで強大な力を得る』といった都合の良い方法を模索し続けた。
難易度の高い順から、
『シャーマンキング』のハオのように生まれ変わるごとにパワーアップする転生方式
『ダイの大冒険』のミストバーンの様により強い個体の肉体を乗っ取る憑依方式
『Fate/staynight』の魔術師のように子々孫々に『成果』を受け継がせる継承方式
原作の爆弾魔のように複数人の才能資質を使用した複雑高等能力方式とその応用
の四つである。
転生自体が特質系なので一つ目はアウトである。四つ目で能力を開発すれば或いは、とは思うも、転生など一度で十分である。即座に却下した。
憑依は操作系能力で可能となりそうだが、肉体を代えるなどという行為には耐え難いものがあった。売春窟で生き抜く娼婦の娘だけあって類稀な美貌をもっていた自身の容姿は、幸いにも母に似ず今ではそれなりに愛着が湧いていたのが理由である。
三つ目は自我も受け継がせなければ意味はなく、憑依方式と大差ないことに気付いて没案確定。よくよく考えれば子や孫の肉体を乗っ取るとかどんな外道だと自嘲するハメになった。
消去法により、四つ目の案に確定した。そこからの手順は簡単だった。
「――告げるっ!
汝の身は我の下に、我が命運は汝の剣にっ!」
シャナンは各地の貧民街を巡り、資金提供と念法教授によって恩を売った孤児たちにヒソカ流に云う容量(メモリ)の提供を契約させた。
塵も積もれば山となる。この言葉がどれほど現実味を帯びるのか、今彼女の眼前に具象する常軌を逸した奇跡が厳然と現していた。
実に十年。甚大な手間暇と莫大な資金の後押しで、高々十年でそれを実現した彼女の執念の勝利か、または念という技術の深淵無辺な可能性の賜物か。
いずれにせよ、今シャナンは『HUNTER×HUNTER』の世界にいながら、『Fate/staynight』の世界で英霊となった存在をサーヴァントとして召喚する儀式を敢行していた。
「聖杯のよるべに従い、この意、この理に従うのなら――っ!」
詠唱を完遂する最後の言葉が紡がれる。
その瞬間、世界が軋む音が響いた。波紋に視界が撓んだ。光が歪曲した。空間が悲鳴をあげた。
視界がズレる。世界がズレる。知覚がズレる。奇跡がズレる。ズレるズレる次第に致命的に、崩壊が約束されたと錯覚した。熱した鉄板の上の砂糖菓子のごとき儚い気分だった。
「これは――……んなァっ!!?」
そして、生じた孔に、彼女は吸い込まれた。
『HUNTER×HUNTER』の世界に『Fate/staynight』の英霊をサーヴァントとして召喚する儀式は結果を見るに失敗した。
ただし、当初の目論見においては――。
彼女の右腕に宿した三画の『擬似令呪』。それに牽引された英霊は、サーヴァントとして彼女と共に異界へ飛んだ。
彼等が召喚されるに相応しい世界へ、相応しい時期へ、相応しい場所へ。そこが彼女の新たなる舞台となる。