どうしようもない僕がブリュンヒルデに恋をした   作:のーぷらん

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最近の僕には歯止めが効いていない。

 

 

「こうして振り返ればドライイーストの袋も3袋目か。私がケーキを焼けるようになるだなんて思ってもみなかったな」

「千冬は覚えがいいし、きちんと分量量るから。今日のも美味しそうだね」

「食べられないのが残念だろう?」

「う……図星です」

僕の恋人であるところの黒髪の麗人は、通信機を持ってキッチンからリビングへと移動をした。もう片方の手には一切れのケーキがある。今日のメニューはドイツの定番ケーキであるシュトロイゼルクーヘンだ。余ったケーキは生徒に分けているそうだ。うらやまし過ぎる。

席に着くと、千冬は長い指を丹念に1つ1つ折り曲げて虚空に視線を預けた。

「作ったのは、……わっかのケーキに、ドライフルーツやナッツ入りのケーキにさくらんぼジャム入りの揚げケーキ、カスタードクリーム入りのバターケーキ、今日のケーキ」

「クグロフ、シュトレン、ベルリーナー、ビーネンシュティッヒ、今日はシュトロイゼルクーヘン」

「……英はよくすらすら言えるな」

「料理人ですから。千冬は相変わらずケーキの名前言うの苦手だね」

「長すぎるのが悪い」

拗ねたように彼女はスプーンで皿の上に落ちた欠片をつついてケーキの上に戻した。今彼女は5種類のケーキを作れるようになったことになる。

彼女は知らないだろう。

イーストを使い切るため、と言いながらも、僕が彼女にイーストを利用するケーキを作ってもらっている理由は2つあるのだ。それも身勝手な理由が。

「5種類か。まだ作るのか?」

「えっと、きりよく7種類とか?」

「きりよく?」

「……ラッキーセブンってことで」

1つはドイツの言い伝えだ。

古いものだが、イーストを使ったケーキが7種類焼ければ立派な嫁になれると言われているのだ。もちろん、最近ではそんなこと出来ない女性が多い。ただでさえ、女尊男卑の世の中だ。焼けない女性を責められたものではない。それに千冬は、今でも、良妻になれると思う。けど、験担ぎというか。お嫁さん、っていう言葉にうっかり反応してしまったというか。

「そうか」と腑に落ちない表情を浮かべながら、軽く手を合わせていただきますのポーズをする千冬。

さくっと大きめに切ったシュトロイゼルを口の中に入れて咀嚼している。

イースト生地のケーキは出来上がるまでに時間がかかるから。

これがもう1つの理由だ。生地を膨らませる方法はメレンゲだったりベーキングパウダーだったり色々あるけど段違いに膨らませる所要時間は長い。その分一緒にいられる。

千冬は昼食を一応とったと言っていたが、お昼前からこのケーキを作り始めていたため空腹もあるのだろう。「太りそうだな」と言いながら、また大きめの塊を口の中に入れた。

「千冬は、もっと太ってもいいと思うけど」

「ふん……まぁ、全部は食べないがな。残りは仕事場で配る」

千冬の仕事場は女性か女の子の割合が多いそうで、ケーキを持って行くと非常に喜ばれるそうだ。

「例の子は、どんな感じ?」

「私が作った物なら食べるようだ」

「……じゃあ、次は栄養あるポトフとか作る?」

例の子とは千冬の教えている子の一人。イースト生地を膨らませている間、色々話をしていた中で、千冬がふと漏らした存在。個人情報の関係があるだろうから、僕は「あの子」「例の子」と呼んでいる。

彼女は千冬の重い口から聞いた話から察すると、食事は最低限しか取らない拒食症ぎみの少女のようだ。おまけに周りの生徒とコミュニケーションをあまりとらない。ただ、千冬のことを尊敬しているらしく千冬の作った物なら食べるという信奉者……――話を聞いた瞬間ウサギの耳のついた女を思い出したが、そのへんは全力で忘れようと思う。あの夜には何もなかった。なかったったら、なかった!

「汁物はさすがに持って行く気になれないな」

「あー……そっか」

「だけど、色々考えてくれて……嬉しい」

「!あ、うん……」

(可愛いなぁ)

自己暗示よりも千冬の言葉動作一つの方がよっぽど効果があった。僕の思考回路からウサギ女は即時退散し、千冬一色になる。

ぼおっとなる頭ではもちろん良い反応も出てくる訳がなく、千冬も困ったようにまたシュトロイゼルをついばんだ。中に入っているクランベリーが酸っぱかったのか目を細めて口元を引き締める。鮮やかな朱が唇に灯り、その仕草がどうにも僕には、

「英?」

「え、あ、口に」

「ん?……ああ、クランベリーか」

さっと指で辿ると指先には甘い香りのする自然の朱がついていることに気付いたようだ。気恥ずかしげに指を唇につけ、ぴたっと止まり、今度は指先を手近な布巾に伸ばした。

(近くにいなくて良かった)

布巾にクランベリーが赤黒くついたあたりでようやく僕は暴走する脳内を落ち着けることができた。

その手をとって口づけたい。

性懲りもなくキスしたい。

同じ味を共有したい、なんて。

キスしそうになったときのように無意識に僕の体は千冬を求めている。むしろあの時よりももっと強い衝動を自分の中に感じて、怖いのだ。あんなに後悔して怖がらせてしまったと思ったのにどうしてもそう思うことを止められないのが怖かった。

「そんな目でまじまじ見るな……食べづらいだろう」

「え。ああ、……僕も食べたいな、って」

何をかは言わないけれど。

笑いながら通信機に見せつけるようにシュトロイゼルのついたフォークをちらつかせた。そっちじゃないんだけどなぁ。

(ああ、歯止めが効かないな)

今はドイツと日本の距離があるから大丈夫だけれど。

そう思っていた僕は千冬の次の言葉に瞠目した。

 

「今週、日本に帰れるようになった。一緒にどこか行かないか?」

「え!」

「一夏とも会いたいから悪いが月曜の昼から、…夜にかけて。…嫉妬するなよ?」

「し、てない!……今のところ、嬉しいだけ。いつ、どこで、会えそう?」

 

会う時間、場所を決めて、通信を閉じた。行く先は僕が決めることになっている。目を閉じてゆっくりと考える。今でさえ見ただけで抑えきれない感情がある。

(自制しないと)

人目があるところに行くこと。二人きりにならないこと。……しっかり対処してデートに臨もう。

 







短いですが、投稿。週末はたまに投稿できそうです。

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