どうしようもない僕がブリュンヒルデに恋をした   作:のーぷらん

9 / 17
6

千冬はドイツに行く。

それは分かっているけど、僕には止められないことだ。だから、忘れられないように勇気を出してデートに誘った。そのおかげでまた会いに来るという言葉が聞けた。

そして、今日はその前日。僕と少し離れた席にはモスコミュールを飲んでいる千冬。きついが癖のないウォッカにジンジャーエールの琥珀色とライムの爽やかなグリーンが映えるこのお酒は千冬のお気に召したらしい。目を細めて喉を上下させている彼女は初対面のときのような凛とした空気が緩んで、気だるげで無防備だ。

そんな彼女を見ながら、僕もお酒を煽る。

(ドイツに行っちゃう前にもう一度会えるとは思ってもみなかったなぁ…)

ラッキー。

その一言に尽きる。

たまたま千冬の弟である織斑くんがこの店でバイトをしていたから。

たまたま織斑くんがここを貸切りして、千冬の送別会を開きたいと言ったから。

(本当にラッキーだなぁ…)

だが、この会の為に磨き上げたグラスにはお世辞にも良いとは言えない顔色をしている男の顔が映っていた。

「あら、英くん。酔っちゃった?」

僕は、声の主を直接見ずに、コップの左端を見た。そこには僕の顔と同じくらい赤い髪をした女性が見える――五反田食堂の看板娘・五反田蓮さん。ああ、看板娘と言ったが、実際には僕の向かいに座っている赤毛兄妹の母だ。「28から歳をとっていない」そうだが、中学生の子どもがいるということはそこそこの

「ん?英くん?何考えているの?」

鋭い視線を感じて慌てて首を振り、コップのアルコールを煽った。背筋が冷える思いがしたよ。ええと、蓮さんは娘さんだ……彼女の左隣に鎮座している五反田厳さんの実の娘さんだ。厳さんは五反田食堂の大将にして一家の頂点。タンクトップで剥き出しになっている浅黒い腕は筋肉の形が皮膚の上からでも見える。僕にも少々分けていただきたい。彼は今無言でご飯を食べている。彼の孫の弾くんいわく、「じいちゃんは、食べながらしゃべるのはマナーが悪いって、いっつもなら中華鍋を……いってー!」。ちなみに最後に痛いと言っているが、それは厳さんの重量感ある拳が振り下ろされたからだ。中華鍋をどうするのか、僕が知ることは今後ないだろう。

そして、その隣には緑の髪の女の子、山田真耶さん。千冬の友人のようだけど、年が随分離れているようだ。一体どこで知り合ったのかな。あと、僕の向かいには五反田さんの息子さんの弾くんと娘さんの蘭さん、その隣に千冬、織斑くん、鈴さんの並びで5人が座っている。

こちら側に4人、あちらに5人。少々アンバランスな並びだ。

元々4人、4人座ってもらって僕は参加しないつもりだったのだから、仕方がないだろう。

そもそも僕がこの送迎会に同席しているのは。

 

「本当に大丈夫?英くん」

 

「だいじょうぶです……」

……なんでだっけ……えーと、たしか、いまが10時だからえーと2時間前だっけ?

 

 

 

 

 

午後19時。

 

「ぃらっしゃいませ……」

入ってきた人たちを見て挨拶を出来た僕は相当強くなったのではないかと思った。千冬の前で逃げ出すわけにもいくまい。恋は人を強くする。

始めに入ってきたのは千冬、織斑くんだった。6日ぶりに会う彼女はやはり僕の目を惹きつけてやまない。それにしてもこういうふうに姉弟で並ぶとやっぱり二人は似ているなぁ。

しかし、そんなふうに悠長に考えられていたのは少しの間だった。

……だって、こんなにたくさんの人が。

まず、緑の髪の女の子。次に炎のように赤い髪の4人組。最後に入った女の子は普通の茶色い髪ではあるが、その髪についている黄色のリボンが無視できないほど大きい。

目の前がちかちかし出したのは、色彩のせいだ……と思いたい。

僕は「こんにちは」と口々に発する面々を出来るだけ見ないように深くおじぎをし、きびすを返して「こちらの机になります」と案内した。各テーブルをつなげて8人座れるようにしておいたのだ。机の長い二辺に4人ずつ座れるようになっている。さて、僕は飲み物を聞かないと。落ち着いて聞けば大丈夫。「お飲み物は、どうしますか?」という言葉を今日は練習してきたのだから。飲み物を聞いたら、料理をのんびり運んでいけばいい。あとは普段と一緒だ。キッチンにひきこもる。すると、普段と違い、今日はキッチンの中で千冬の声や普段の会話が聞けるというわけだ。ラッキーだ。

全員が座ったようなので、ドリンクメニューのリストを手に取った。

そのときだった。

「私たち手伝うわよ」

振り返ると赤毛の女性がいた。赤毛の女性は二人いるが、年長の方だ。僕が予想外の切り返しに固まっていると、女性がさらに言い募った。

「私たち…ああ、私は五反田蓮。そしてこっちは私の息子と娘の五反田弾と蘭。このおじいちゃんは私のお父さんの五反田厳。名前からしてわかると思うけど、隣町で五反田食堂を経営しているの。小さいころ、英くんに会ったこともあるのよ」

まぁ、君は泣いてばかりだったけど、と苦笑しつつ、彼女はちらっと千冬の方を見た。

「あなたも千冬ちゃんのお友達みたいだし、参加しなさいな。料理や飲み物を運ぶくらい手伝うわ。幸い今日のメンバーには食堂の店主と看板娘、その子ども、中華店の娘、この店のバイト君がいるんだし」

「そうよ、貸切なんだしそんなに気にしないでもいいわよ。私、鳳鈴音って言うの。中華店の娘は私のことね」

「もちろん私も手伝えます!あ、山田真耶と申します!」

会話の濁流に飲み込まれた僕は、言葉を発することもままならなかった。何この展開?

何とかこの奔流に抗おうとしている僕の進退を決めたのは、千冬だった。

「私も……英さんに参加してもらえればうれしい」

一声だけだ。その一言で全員が動いた。

「そうと決まれば、一夏!行きましょ!」

「はいはい」

「飲み物何にしようかな」

彼女の声で僕の同席が決まった。ラッキーだ。だけど、何故か喜べない僕がいた。

 

だって彼女が堅い口調だったから。

僕を織斑くんの同僚として見ているから。

この人たちの前で以前二人で海に行ったときの呼び名で呼べなかったから。

 

僕は千冬のことを好きなのは変わらない。けど、こんな僕から好かれてそれに少しでも応えるような行動をとった千冬のことを他の人に知られると、……彼らの千冬への対応が変わると思った。確実に悪い方に。

(僕が、千冬を貶める)

 

 

「一夏ー、早く!」

「急がなくってもいいだろ」

「ちょ、何腕組んでるんですか!」

 

鈴さんが猫を彷彿とさせる動きで織斑くんの腕をつかんだ。胸が『当たってるんじゃない、当ててんのよ』というくらい引っ付いているのだが、それに反応したのは織斑くんではなく、蘭さんだった。それをいかにも慣れた光景というようにそのままキッチンに行くメンバー。

あんなふうに『千冬が好きだ』って表現できたら。

それが出来るような人間だったら、立派な男なら良かったのに。

 

織斑くんを挟んで飛び交う火花と困ったような真耶さんの声、「そんなことはいいから、飲み物どうする?」と聞く能天気な蓮さん、さっさとキッチンに行く男性陣……

僕は近くにいた千冬を見た。

「お飲み物は、どうしますか?」

これが今の僕の精一杯だ。従業員として彼女と接触する。それが普通なんだ。

彼女は幾分戸惑ったように「私も行くが…」と言うが、「主役でしょう?」と押しとどめる。

「私は、…そうだな。任せる」

「はい」

少しの沈黙にキッチンににぎやかな声が混ざる。全員がキッチンに集まったようだ。狭いだろうによく入ったなんて感心しつつ、料理の盛り付けをしないといけないので数歩歩いたときだった。

 

「英」

 

「……なに?」

足が止まった。あの海の日と同じ呼び名。同じ、二人だけの空間。

僕は振り返った。そこにいたのは椅子に座って、立っている僕を見上げながら少し眉根を下げている千冬。

(なんで困っているの?)

千冬は僕を呼んだきり、彼女は迷っているように目を少し泳がせている。

「……急に押しかけてすまない」

「ぜ、ぜんぜん。いつでもみなさんには、きて、もらいたい……」

僕の反応をじっと見ている彼女を安心させてやりたかったが、返した僕の声には自分の正直な感情が明らかに出ていた。いわく、「みなさんには来てもらいたくないです」、と。IS導入直後の僕と比べれば、この喫茶店で仕事をして織斑くんと話して幾分マシになったつもりなのだが、何人も人と、キッチンの扉を介さずに面と向かって話すのはまだ難しいのだ。

千冬を見れば肩を落とし、悲しそうにうつむいている。

……あ、しまった。僕には言葉が足りない。それは常日頃から感じていたけど、さっきの言い方だと千冬にも来てほしくないというようにも受け取れるよね。

「本当は千冬だけがいいけど」

誤解しないでほしい。僕はうつむく彼女の反応を見ようと首を傾けて覗き込もうとして、

 

「英さーん!料理どこですかー?」

 

「あ、いま、行く」

織斑くんの大きい声がキッチンから聞こえた。キッチンは僕の活動できる範囲。生きる場所。聖地。そこを勝手にいじられたらたまったものではない。

急いでキッチンに向かった僕が見たのは、何かを待ちわびているような、妙に輝いている表情の面々だった。そんなにお腹がすいているのかな。悪いことをした。

「えっと、いまから、出します……」

菜の花とささみの辛し和え、春菊とホタテのスープ、炊き込みご飯、竜田揚げをよそって持って行ってもらう間、僕は蒸し器のふたを上げた。これが、本日のメインだ。蒸気がぶわっと立ち上ると同時にかぼちゃの甘い匂いが狭いキッチンいっぱいに広がる。

 

「わー、おいしそう!これ、何ですか?」

 

女性の声だ。僕の頭2つ分ほど下から聞こえる。

恐る恐るそちらを見ると、緑色の頭がぱっと上を向き、きらきらとした目がこちらを……しっかりしろ、僕。これは喋るかぼちゃだ。このキレイな緑は、熱が通り過ぎず、通らな過ぎず、ちょうど良いタイミングで蒸せたということ。野菜が自分の手で鮮やかに発色するのを見る瞬間が僕はとても好きなんだ。本当ウマクデキタナー。

蒸し器から出したかぼちゃに僕は説明をした。

「かぼちゃの宝蒸しです……わたをくりぬいて、代わりにきくらげ、鳥肉と白身魚、ねぎ、にんじん、グリンピースなどを今回はいれました……」

この料理なんだけど、縁起が良く、祝いの席に出されるとされる(無論ソースはインターネット)。千冬がドイツで教師をわざわざしに行くってことは多分昇進?とかだよね?行った先に、幸があるようにという意味でも今日はめでたい料理を作りたかったんだ。

「へぇ、私初めて食べます!」

「私もよ。おいしそうねー」

「英さん、日本料理もおいしいんだよな」

何故かかぼちゃではなく、離れたところから複数の声が聞こえたが、全力で気にしない。皿にうつすとかぼちゃ丸々一個と中身の重さでなかなかの迫力だ。鍋にだしや薄口しょうゆを入れて煮立ったところに片栗粉を入れてあんを作った。黄金色のそれをケーキのように切れ目を入れた宝蒸しにかけると、電気に反射してきらきら光る。

「運ぶ」

横から筋骨隆々の腕が伸びた。本当にその筋肉うらやましいです、厳さん。

しかし、幼いころ僕が会うと泣いてばかりだったというのも分かる。小さい僕がこの人の圧迫感に耐えられたわけがない。今でも正直この圧力に負けそうなのだ。それに。

千冬用のモスコミュールと熱いお茶、自分用のお酒を運びながら、ちらりと厳さんを窺う。その目は僕の料理にじっとそそがれていて、その場を逃げ出したい気分になった。

彼は、五反田食堂の店主なのだ。ただでさえキッチンと部屋にひきこもっていた僕は、自分の目の前で自作のご飯を食べてもらう経験なんてない。千冬は優しいからどんな料理だろうとおいしいと言ってくれたけど、このいかにも厳しそうでしかも自らも料理で生計を立てている人にご飯を食べてもらうなんて。

逃げ出そうとしたが蓮さんの隣に強制的に座らされた。「乾杯」の声を聞きながら、僕は腹をくくる。撤退不能なら、いっそすぐ寝てしまおう。ぐっと一気にお酒を飲みこんだ。冷たい喉ごしに反して、少し遅れてお酒が通った部分が熱くなる。冷たいのに熱いって変なの。というか、僕ってお酒強いのか弱いのか分からないんだよね。一緒に飲む人もいなかったし……とりあえず厳さんの持ってきた日本酒にした(きっと料理と合うだろうから)けど、僕っていつ寝れるんだろ。とりあえずもう一口

 

「うまい」

 

声が聞こえた。

「じいちゃん、料理に手つけるのはやっ!」

厳さんがこちらを見ていた。

それに続いて、「おいしい!」という声が続く。

 

「英くん」

 

隣を見ると蓮さんが笑っていた。その目は一人立ちをしようとしている子どもを見るような母親の目で……やっぱり娘さんじゃないよ。お母さんっていうのがしっくりくる。

「あら、英くん。酔っちゃった?」

意地悪そうに聞かれて僕は照れで赤くなった顔を隠すように首をふった。それはそれで子どもみたいだから素直に「滅多に人の反応見ることないんで……嬉しかっただけです」と答えたけど。

「ああ、ここってキッチンと食べる席が完全に隔てられているから見えないですよね」と蘭さんが勘違いをし、みんなが「ああ、そっか」と頷く。そう思っていてくれると助かる。

だって、馬鹿みたいだろ。

キッチンにひきこもっているから反応を見られなかっただとか。

自分の料理を食べる人の反応を見るのに5年かかったとか。

「おいしい」って言う他人の顔を見るのが嬉しいとか。

そんな簡単なことに今気づくなんて。

千冬においしいって言ってもらえれば良かった。けど、たくさんの人に言ってもらいたかったんだな、食べてもらいたかったんだなって初めて知ったんだ。

「さすが喫茶『はなぶさ』の大将ね」

「……大将というか、料理人、です」

からかう蓮さんに言葉を返しながら、何かがすとんと胸の中に収まるのを感じた。僕は、自分をひきこもりだし、人前に出るのが苦手で、どうしようもなくて人に言えないことばかりだった。唯一僕の中で確かなことといえば、千冬が好きなことだけだった。それだって、他の人の前ではまだ言えないけど。

だけど。

……僕は『料理人』なんだな。

そう、言ってもいいんだな。

日本酒をもう一口飲むと、ぽかぽかした。目元も何だか温かくなってきた気がするけど、きっとお酒のせいだと思ってもう一口飲みこんだ。

 




かなり間をあけてしまい、申し訳ありません。どうしても続きが書けなかったんです……久々に書くと、表現力がっがががが。

作者がアニメに出るキャラ好きで五反田兄妹、真耶さん、鈴に出演してもらったわけですが、芋づる形式に親、祖父登場になってしまいました。ただ、次話にもアニメのキャラに出てもらうけどね!自重しない!あと、人前だと主人公と千冬はどうやらイチャつかない模様。……どうしてくれよう。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。