大空に啼く(ソラ ニ ナク)   作:源十郎

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出来る限り全員に出番を与えたいです。
シャーリー&ルッキがまだですが、ハブは無いと期待してください。

……てかハブりたくない。


3話

大浴場。湯気に視界も遮られ、広い湯船に浸かる人物もよく見えない。

肺に溜めた空気が漏れる音。ふぅ、と言う声。そして――

「なー」

 ――猫の啼き声。

伸びをするその人物を観察すると、白い靄に浮かぶ色は大まかに二つ。黒と白。髪の色と、肌の色。そして、その胸に黒い「何か」。

よくよく見てみると、その「何か」は「猫」だった。

黒い猫。顔は丸く、大人しく目蓋を閉じて湯に浸る。猫にしては珍しい。嫌がるどころか、寧ろリラックスしているとしか思えない。扶桑猫は他国の猫の種類に比べ、些か顔が丸く、尻尾が細く長い。そめはその尻尾が二つあるのだが、大凡扶桑猫と合致する姿をしている。

「そめ~。気持ちいい~?」

猫に語りかける人物は、黒岩だった。黒岩は猫――そめ――を胸に抱き、共に湯浴みを楽しむ。右腕を回してそめを抱きかかえ、左手でその首筋を優しく梳く。そめは更に気持ち良さげにしていて、されるがままになっていた。

大凡、猫の習性として有り得ないが、そめは余程湯浴みが好きらしい。

そんな猫と人。そめと黒岩はゆったりと時間を過ごす。

「はぁ――」

「なぁ――」

 普段の黒岩には見られない程に緩い。無防備すぎるその姿を見れば、付き合いづらい感じもなく、友好的な交友も築けるだろう。

 その他の隊員と言えば、もうすでに湯浴みは済ませていた。

 何故黒岩一人なのか、と言えばミーナの指示による。

 元はといえば黒岩が「使い魔の猫と一緒に風呂に入りたい」と進言したからに他ならない。

 それに対し、ミーナは「使い魔とはいえ、猫と湯船に浸かるには他の隊員の意見も必要」、更に「皆のあとに入れば特に問題はないだろう」とのことによる。

 黒岩にしても、すぐに了解が得られるとは思っていなかったので、特に気にしてはいないが、ミーナは悪いことをしたと思ったのか、少々気の毒そうにしていた。

 エイラやサーニャ、バルクホルンとハルトマン、宮藤と坂本――などは一緒に入るのも気にもしなかったが、ペリーヌがことさら反対する。

 獣と一緒に入るなんて出来ない、なんて野蛮な、と。

 黒岩はそめが可哀想とは思うが、あくまで「そめが湯浴み出来るかどうか」が気になるだけで、「皆と一緒に」という考えは端から無かった。つまり、ペリーヌに詰られたところで話の焦点がズレているのだから、その矛先を向けられても全く気にしていなかった。「皆のあとに~」と了解を得られているのだ、そのほかは瑣末事。

 特に反応の見えない黒岩より、エイラや宮藤のほうが「別にいいじゃないか」とペリーヌに当たるくらいだ。

 そのことで他人に火種が飛び散りそうになり、面倒事が増えると判断した黒岩が「問題無い」と執成したことで収まるが、そのことでペリーヌとの溝が開いた。尤も、それは黒岩以外の視点から見た場合になるが。

 そんなことがあったが、無事そめは湯浴みが可能となり、こうして――猫としてはどうかと思うが――至福の時を堪能していた。

 

 

 

 

 黒岩が湯浴みする少し前のことを思い浮かべる。

 強い雨音が聞こえる窓の外、その雨雲の上で戦闘があった――らしい。

 サーニャが単独で行ったネウロイとの戦闘。だが、肝心のネウロイをサーニャ以外が確認しておらず、取り逃がしたことになっていた。

 取り逃がしたネウロイが同じ条件で再度出現するだろう、とのミーナの判断により、夜間専従班としてサーニャ、宮藤両名を指名。それに、エイラが乗った。

 エイラはサーニャが心配なのだろう。昼間の占いから、サーニャの動向が気になっており、警報がなった時に誰よりも早く反応、飛び出して行く有様だ。

 戦闘が終わった、との報告を受けて皆が一安心している中、一人不安げな様子で居た。サーニャの姿を見た瞬間に、編隊から飛び出てすぐさま駆け寄る程に。

 そんなエイラが、大人しくしているはずもなく――当然のように夜間専従班に立候補するのだ。

 自分に関わりの薄い人間に対して冷淡な黒岩は、エイラが挙手しなければ特に反応することもなかったし、好きにしろと思っていたことだろう。

 逆に言えば、エイラが気にするサーニャに、少しばかり興味が湧いてきていた。

 黒岩は気付かない。その「他人に対する興味の連鎖」が、友好の輪を広げる切欠だということに。

 そう、僅かにだが、501に来たことで黒岩の人間性に変化が現れていた――

 

 

 

 

 翌日、早朝に黒岩に連絡が入る。

 なんのことはない、昨日約束していた「エンジン換装」の連絡だ。早速整備員詰所に移動する。バルクホルンと一緒だった。

「早朝に申し訳ありません」

「気にするな、私も少々興味あるしな」

 あまり済まなそうには見えない黒岩の言葉に、特に気にする風でもなく返すバルクホルン。

 興味がある、と言うバルクホルンの言葉は間違いでもない。

 バルクホルン自身、多種多様なストライカーを扱う実力を持っており、新型のテストなどもこなしてきていた。

 当然、他国とはいえ、ストライカーの性能など気になるところは多い。

 それと、黒岩自身にも多少なりとも興味はある。

 先ずはきっちり身に付いている規律。他人はどうか分からないが、バルクホルンにとっては非常に付き合いやすいモノだ。

 厳しいながら、軍規に忠実であれば円滑に物事が進められる。つまり、仕事の効率が上がるのだ。それは戦闘のみならず、隊を運営するにあたって重要なのだ。

 それとは別に、祖国に残したと言う黒岩の妹。その妹に見立てたのか、エイラを可愛がる姿に、色んな意味でショックを受けた。

 どこまで件の妹がエイラに似ているのか分からないが、大凡バルクホルンの妹感に合致しないエイラが、黒岩と仲良く「まるで姉妹のように」している姿は微笑ましく――同時に良くわからない敗北感を覚えてしまった。

 ――未だその「芽」は蕾んだままだが、着実にバルクホルンの中で芽吹かんとしていた。

 そんなこともあり、バルクホルンの黒岩に対する興味はそれなりにある。

「それで、どうして換装に自分も立ち会おうと思ったんだ?」

 バルクホルンの興味の一つ、「何故黒岩もエンジン換装に立ち会うのか」を問う。

 整備などは整備士の仕事で、開発は開発、自分たちはあくまで戦場だけを見ればいい。何故ならば、他の部門の者が口出しをして、余計な手間や拗れが起きてはいけないから。テストの際には手を貸すし、その運用状況を報告、進言はするが、口やかましく出来上がったことにアレコレ言うことはない。尤も、あまりに不満点が多ければ話は別だ。自分たちが命を預けるユニットが、使い物にならないなんぞ恐ろしくて仕方ない。

「そうですね。テストも終え、完成して運用状況も問題無いのは知っていますが、一つだけ調整に際し言っておきたくて。

 あとは、『搭整一体』……ですかね」

「『搭整一体』?」

 聞きなれない言葉に首を傾げるバルクホルン。それは何かと問う。

 だろうな、と内心思っていた通りの反応。それに苦笑しながらも詳しく話す黒岩。

「早い話が、『搭乗者も整備士も、共に同じ機械に携わる一人である』と言う考えです」

 詰まる所、百偵と云う機械に搭乗者と整備士が居るのは当然だ。

 だが、それぞれが個別に意志の疎通も無く運用すると、何れ軋轢が生まれる。

 一生懸命整備したユニットがある。そのユニットに整備時に欠陥はない。だが、搭乗者がそれを確かめていないとする。

 ある戦闘で、異物がユニットに紛れ込む。ユニットの構造を熟知していれば、それが整備不良では無く、何かのトラブルだと気付く。異音、駆動部の縺れ、オイルの漏れ――なんでもいいが、そう云った症状が起きたとして、それに照らし合わせて判断も出来よう。

 それが何も知らなく、それを整備士の所為にすれば――自ずと分かるだろう。

 あくまでこれは一例だが、そう云った事は少なからず起きる。

 もしくは、ユニットの性能に不満があって、何も知らずに「零戦は百偵と同じ時期に採用されたのだから、調整すれば零戦と同じ性能に出来る」などと勘違いする輩が出ないとも限らない。

 要は「搭乗者も整備士も、自身の携わるモノに対し、同様に向き合うこと」とする考え。搭乗者、整備士が一方的に接することもなく、搭乗者も整備・ユニットの知識を、整備士も命を預けるユニットに真剣に向き合うこと。

 その点、黒岩は整備士上がりの為、整備の重要性、搭乗者が知るべき知識の両方に見識を持っていた。

 つまり、黒岩はその換装に何か文句を付けるではなく――

「整備の要点、注意点、性能と問題点などの知識を仕入れたいのです」

 ――より深く識ることに熱心なだけなのだ。

 呆れたものだ、とバルクホルン。関心を通り越す。

 確かに、そのスペックを知るのは重要だ。それを知識だけでなく、その体で体感すればそのユニットに合った戦い方も構築できる。

 だが、黒岩は「自身でも整備する」ことの知識を以て、そのユニットを通して整備士に語りかけようとする。

「整備が完璧である、と言うのは当然と考える人も居ます。ですが、その整備も一筋縄では行かないのです。

 消耗しやすいところ、要らぬ負荷を掛けて壊すと修理が困難なところ――

 そう云ったところを予め知っておくこと、それを確認しておくこと――

 それが生き延びるコツになるんです。

 それに、搭乗者である私たちが、その整備について詳しく識る事で、トラブルの回避も当然ながら、ユニット自身の延命も出来ます。つまり、稼働状況の向上が望めるんです」

 至極真面目で、嘘のない真っ直ぐな視線。

 それを向けられたバルクホルンは、その迫力に圧されていた。

 そう、「迫力」だ。

 ずい、と顔を近づけて巻くしてたる黒岩。真剣な姿も、熱のこもった言葉も素晴らしい。考えも、姿勢も素晴らしい限りだ。――行き過ぎなければ、だが。

 まだ日が浅いので、その為人を深く理解したつもりは無いが、ここまで熱く語るタイプには見えなかった。淡々としており、エイラが絡まなければ軍規に忠実な模範的軍人にしか見えない。

 それが、この「迫力」。何か自分が悪いことをして怒られているような気分にすらなる。

 傍から見れば、ハルトマンに説教するバルクホルンに似ている。

 熱くもないのに汗が流れる。始めてネウロイに殺されそうになった時も、こんな嫌な汗が流れたな、と場違いな思考に囚われた。

 言葉を返せず黙しているバルクホルンに、さらにずい、と詰め寄る黒岩。気が付けばバルクホルンは壁に追い詰められていた。より大粒の冷たい汗が流れ、なんでこうなったと自問する。

 そんな場面に一人紛れ込む。

「そうだね! 『搭整一体』――いい言葉だ!」

 場違いに明るい声。それは女性の声で、ハスキーな良く通る声だった。

 その声のする方に振り返る黒岩とバルクホルン。その先にいた人物は、若く十代半ばの扶桑人に見える。バルクホルンより多少背が高い。170cmに届くかどうか。

 整備士らしく、紺色のツナギを着ており、はだけた胸元にサラシの白い布地が見えた。残念ながら、その胸部は細い。

「よ! 久しぶり、鈴!」

 片手を挙げて、白い歯を覗かせながら爽やかに。黒岩のことだろう、「鈴」と愛称らしき名前で呼びながら挨拶。

 そんな闖入者に、訝しげな視線を向けるバルクホルン、知り合いなのか? と黒岩を見ると、先程までと打って変わり、完全にフリーズしていた。

 ――詰め寄った姿勢のまま、フリーズしているので顔が近い。

「お、おーい。黒岩?」

 堪らずその両肩を揺すりながら、バルクホルンが声をかける。

 暫く揺すると漸く覚醒したのか、ゆっくりとその片手をゆっくり相手に向ける。

「と、と」

「『と』?」

 わなわなと震える指先が、件の人物に合わせられ――

「何故此処に居る、『東海林(とうかいりん)』!」

 ――大声で叫んだ。

 

 

 

 

「申し訳ありません、大尉」

「い、いや、気にするな」

 廊下で大声を出し、気が付けば何事か、と近くの整備詰所から人が集まった。

 良くわからない展開に、整備員たちは混乱するも、詰所に案内し今に至る。

 軍人としてあるまじき、と思ったのか、殊更殊勝に謝罪する黒岩。その大声にバルクホルンも吃驚はしたが、ここまで低姿勢に謝られては怒る気も起きない。

「そうだ、気にすんなよ!」

「……オマエは黙れ」

 そんな黒岩に爽やかな笑顔で言う『東海林』。返す黒岩の言葉はあまりにぞんざいだった。

 バルクホルンとしても、黒岩の反応から、この『とうかいりん』なる人物が茶々を入れるのは勘弁願いたい。内心黒岩と同じような言葉を並べていた。

「で、どうしてオマエが此処に居る」

 湿った空気のような、重い気配を漂わせ問う黒岩。あまりにも重い。視線も、言葉も、だ。

「もう、大体わかんだろー?」

 それに対し、正反対の軽い言葉と、気安い雰囲気。

 親友だ、とでも言いそうな感じだ。言葉の中に「長い付き合いだし」と云ったニュアンスも取れる。

「……まぁ、何となくは察せるが」

「だろ?」

 当の本人たちは何やら納得、と云った感じではあるが、周りに居る者たちはさっぱりついて行けない。

 一体この二人の関係はなんなのやら。

「もしかしなくても、4型換装の専属と言うのは――」

「――はい、正解。このあたしだー!」

 どうやらそういうことらしい。盛大に溜息を吐く黒岩と、坂本ばりに豪快に笑う『東海林』とやらの落差が激しいのが印象的だ。それだけは他の誰でも理解できることだった。

「で、『とうかいりん』だったか?」

「私は『東海林(しょうじ)』だ! ……で、なんすか?」

 バルクホルンが『とうかいりん』に声を掛けるが、『しょうじ』は適当な返しをする。

 思わずバルクホルンの顔が引き攣る。周りに居た者たちの心は穏やかではない。

 ミーナの副官とも言われ、軍規に五月蝿いバルクホルンにこの態度、豪雷が落ちても致し方なし、といったところか。

 黒岩と言えば、頭に幻痛を覚えて蹲る。

「バルクホルン大尉。こいつは『東海林 昌子(とうかいりん まさこ)』曹長。自分の名前をネタにする変人です」

 あまりにあんまりな紹介にも関わらず、当の『東海林』は無駄に胸を張って偉そうにしている。

 ――確かに変人だ。

 バルクホルンも、他の整備士たちも、一瞬で『東海林』を変人と認定する。

 もはや揺るぐ事はないだろう。

 東海林について――嫌々ながら――語る黒岩。

 元は同じ地方出身の同世代。一度は同じ整備隊に所属していた過去がある。

「東海林」と云う苗字は二人の故郷では「とうかいりん」と読むことが多い。寧ろ、それ以外読んだことがない。

 だが、他の地方では「しょうじ」と読むことが多いのだ。黒岩は当然、『とうかいりん』と呼んだのだが、これにより二人が同郷の者だと判明する。他にも細かい遣り取り――「しょうじだ!」とボケた東海林に、至極真面目に「そうか、私の地元ではそう呼んでいたので」と返したり――があったが。

「同じスペルで扶桑ではそこまで読み方が変わるのか?」

 純粋な驚き。バルクホルンでなくとも、他の整備士たちも同じように思っていた。

 これまた扶桑語の難解さを広めているだけのような気もするが、幻痛に耐えながら更に詳しく語る。黒岩が語るのを誇らしげにしている当の本人の思考は全く読めない。

 さて、その『東海林 昌子』だが、その「まさこ」もまた、苗字として存在し、これを「しょうじ」と読むのだ。

「む? ファーストネームなのに、ファミリーネーム?」

 混乱の極み。バルクホルン以下整備士一同を表す言葉は、これで全てと言っていいだろう。疑問符だらけの頭の中が容易に想像できる。

 そう、そしてそれを面白がっているのが『東海林 昌子』なのだ。趣味が悪いとしか言えない。

 今回は自業自得と諦めもつくが、毎度こうやって黒岩を巻き込んで、自身を紹介させる東海林に頭も痛くなる。この腐れ縁をいい加減断ち切りたいと、真剣に悩んだこともある。

 だが、それでもあと一歩のところで取り止めているのは、その腕の良さに尽きる。

 付き合いが長いので、黒岩の特性を誰よりも理解しており、調整も完璧だ。

 普段は「こんな」だが、技量は自身を超えていると黒岩は思っていた。

 自身の頭のネジを何本も落としているような奴ではあるが、整備に於いてはネジ一本落とすどころか、少しでもダメと判断すれば徹底する程熱心だ。

 その腕前を以て、黒岩との腐れ縁を持続させる「自称:相棒」。

 頭痛の種でありながら、その命を預けるに値する人物。頭痛で済むなら、と諦めた黒岩は既に退路を絶たれているのかもしれない。

「どうだ? あたしが居るんだから安心だろー?」

「それは、まあ……そうだが」

 結局、黒岩はそうやって納得するしかなかった。諦めも付けば、もうどうにでもなれ、だ。

 

 

 

 

 朝食。食堂に集まる隊員達の中に、憔悴しきった黒岩がテーブルに突っ伏す。

「大丈夫か? 起きてるかー?」

 隣のエイラが心配げに声を掛けるが、朝の出来事でごっそり削られたその精神では反応も芳しくない。

 処置なし、と判断したエイラに非はない。大人しく食卓に出されたブルーベリーでも食べようと思うのは仕方ない。

「あ、あのー……美味しくないですか?」

 そんな黒岩に声を掛けるのはリーネだった。

 昨日までと打って変わって、どうにも調子の悪そうな黒岩を心配してのことだ。

 気の弱いところはあるが、根が優しいリーネはそんな黒岩が心配で堪らない。

「あ、ビショップ軍曹……。いえ、ちょっと調子が悪くて」

「大丈夫ですか? なんなら食べやすいモノでも作りますか?」

 そんなリーネの優しさに、やはりこの娘は良い子だな、と思いながら何とか体を起こす。

 ここまで心配されると、さすがの黒岩も相手に悪いと思う。

 それに腹が減っては、とも言うし、朝食を抜こうとも思わない。

 一つ、その紺色の実を口に含むと、その甘酸っぱい味が、疲れた身体――主に頭――に心地よい。

 あまり食に対し、どうこうと言わない黒岩だが、この時は素直に美味しいと感じた。

「あ、良かったです。まだまだ有りますから、どんどん食べてくださいね」

 感じたばかりか、どうやら声に出していたようだ。ま、いいか、とそのまま食事を進める。いつの間にか隣のエイラと更に隣のペリーヌが席にいないが、そんなことを考えるより食事に集中しよう、と。

 そんな黒岩を暫く眺めると、満足したような笑顔をするリーネ。「本当に良かった」と小さく零し、そんな笑顔のまま自分の食事に戻る。

 少しずつ、リーネは黒岩との距離が近付いたな、と思っていた。

 

 

 

 

 漸く本調子を取り戻した黒岩。

 予定が消えた今日と云う日をどう過ごすか思考する。

 エイラと言えば、夜間哨戒の為に昼夜逆転した生活習慣のために、再び睡眠を取ろうと部屋に戻ってしまった。尤も、寝室として提供されるのはサーニャの部屋らしいが。

 こうなるとエイラに何かを頼むのも出来ない。本来なら自分も夜間の行動の為に昼夜逆転した生活をするところなのだが――肝心のストライカーが修理・改修の為に使用不可能なので意味がない。

 やはり整備員と共に過ごすか、と結論づける。

 ただし、誰かと同伴でなければならないとしたら――どうしたものか。

 うーむ、と悩んでいるとミーナが近付いて来た。

「どう? ここには慣れた?」

 声を掛けてきたのがミーナとわかると、反射的に席を立ち、敬礼。

 そんな黒岩に、ミーナは苦笑。「まだ、慣れてないようね」と呆れ顔に。

「そんなに畏まらなくていいわよ? ここはそんなに軍規に煩くないから」

「はあ……」

 バルクホルンより堅物かも、とミーナは内心思ってしまったが、昨日の発令所のやり取りを見たら、考えも変わっていただろう。尤も、ソレを見てないのだから、そう考えざるを得ないのだが。

 所詮、たられば、でしかない。

「で、どうしたのかしら? そんなに悩んで」

「はい。やはりストライカーがないので、早く復帰するためにも整備室に行こうか……とも考えたのですが――」

「――いいわよ? 行っても」

 は? と聞き返してします黒岩。悩んでいたのがバカらしくなるくらい簡素な答え。

 ニコニコと笑顔を絶やさないミーナに、幾分訝しげな視線を向けてしまうのも致し方なかろう。

「多方、一人で行けないのだろう――なんて思ってるのでしょうけれど、トゥルーデに聞いた限り、その整備に対する熱心さは評価出来るもの。ちゃんとした理由がある限り、訪問にケチを付ける気はないの。

 ただ、やはり他の隊員の手前、安易に行動されてはイケナイから、事前・事後の行動報告は義務付けさせてもらいます」

 ミーナの言葉に、なるほど、と思う。軍として当然ではあるが、この基地に来て以来特に何の報告義務も言い渡されていなかった事に気付く。

 それだけ自由な風紀であり、逆にこの隊の隊長に掛かる負担は大きいのではないか、と疑問も生まれる。

 規律を厳しくすれば、個人に対するストレスも増えるが、統制が摂りやすく一個の群体として機能しやすい。総じて軍隊として、複数の個人が一定の姿勢を保てるので、一定の方向に強い。指針に統一感があるのだから、マニュアル的ではあるが、その範囲ならばめっぽう強い。

 逆に、ここまで自由であれば、個々が好き勝手に動き回るのだから、ストレスは少ないが全く統制は取れないだろう。群体ではなく、それぞれが長所にそって行動するのだから、長所が噛み合えば強いが、短所を攻められると群ではないのですぐにボロが出る。各個撃破、なんていうのは定石だが、その危険性が一番高いのがコレだ。

 些か脱線したが、ミーナと云う隊長と501の戦果を見れば分かる。皆バラバラであるはずなのに、それぞれが長所を発揮して戦えているのだろう。それを指揮できるミーナと云う隊長の力量が必然的に分かるというものだ。

 つまり、そんな「ばらばら」を上手くまとめるのが「規律」ではないのだから、自とその負担が隊長のミーナに掛かるのは見ずとも分かると言うものだ。

 一体どれだけ苦労しているのか、と可哀想に思う。

 尤も、思うだけでその負担を減らしてやろうと、積極的に関わろうとは思わないのが黒岩だが。黒岩自身に危害が及ばなければ好きにしろ、といったところだ。

 ただ、行動報告に関して言えば、これは黒岩にとってもプラスになる。

 黒岩はもとより整備に携わっていたので、報告義務の重要性は理解している。

 面倒であっても、確認表を作り、一々確認した部分に印を付ける作業にも慣れていた。違和感があった際、自身が気が付かなくても誰かが気が付くかも知れない、と備考欄に何度も記載したこともある。そう、複数人が一つの機械に携わる際に、互が同じように機械を解し、それぞれ違う視点で多角的に視ることで問題をクリアしていく。

 軍規と云うものとは違うが、整備士達は「群体」としての準規を持つ。人の命が架かっているので、その水準が高い。ストレスも溜まり易いが、個々が自由にして成り立つモノではない。そんな中で慣れればこのような事など面倒事にもなりもしない。

 行動報告は謂わば「自身の予定、または完遂した事項の報告」になる。こうして事前に予定を報告すれば、トラブルの回避に繋がる。所在証明として、または他者の干渉抑制として。「本当に用があるなら此処に来てください」、だ。

 事後報告なら、ユニットの状況を詳細に伝えられるので、「自分が生き残るために手を尽くしてくれる」ことだろう。ユニットが常に同じ状態とは限らない。その都度に足りない部品も出るだろう。そういった時に、この報告が役に立つ。「部品が足りず、本領発揮できない」となれば、何れはその部品の納入も検討せねばならず、そうやってユニットを万全に仕上げれば、元より能力的に他者に劣る黒岩の安全性が増す。ユニットの状態が悪ければ無理な命令も控えるだろう。

 生き意地汚いのだろう。強かと言えば聞こえは良いが、そんなこともしなければ払う代償が自分の命になるのだ、「腹に一物」と言われても仕方あるまい。命令に従う事で得られる利益を最大限に利用する。自身に出来ないことを、然りげ無く他人にやらせる。一人ではどうしようもないことなど、とうに理解している黒岩 五十鈴の処世術。

 尤も機械弄りが好きで、行動報告だけで済むならば易いモノだ、とも思っていたが。

「一応、今回は私が同行します。ただ、職務があるので行きだけですけれどね」

 そんな黒岩の内心など露知らず、ミーナは人の良い笑顔を黒岩に向けていた。

 

 

 

 

 エンジンオイルの鼻をつく匂いが漂うハンガー。揮発性は低いが、それでも夏の暖かい空気で熱せられ、少なからず空気にその匂いが混じる。

 何よりエンジンオイルは駆動部分の消耗品の中でも、比較的交換頻度が多い。それだけ使用率が高ければ、当然匂いも漏れるだろう。

 破損したユニットはその限りではないが、駆動部は多種多様の金属が高速で動くので、その摩擦熱の冷却、機関の気密性保持、金属の摩耗により生じたスラッジの洗浄――それらを一手に引き受けた重要なモノがエンジンオイルだ。交換もせずにいればたちまちユニットの性能を落とすので、ある意味一番重要かもしれない。

 そんなエンジンオイルを真新しいモノに交換した、二段二速魔導エンジン。そんなエンジンに換装するのは百偵こと「一00式司令部偵察脚」。

「二段二速エンジンねぇ。扶桑も漸く、と云ったところかな」

 ふむ、と腕を組んでソレを眺め、考え込むのは東海林 昌子。朝の様子からは考えられないほどに、その瞳は真剣味を帯びている。

 二機の過給器と、二速可変構造のエンジン。高高度でのエンジン性能向上を目指して作られたエンジン。大気の薄い高高度で、エーテルを大量に吸気する為に二機もの過給器を備えた。

 ただし、過給器を動かすのも魔力なので、二機も揃えれば損耗はより増していく。

「ぶっちゃけ、扶桑軍部の見栄丸出しだよね」

 はあ、と溜息。肩を落とし、やれやれと云った感じに首を振る。

 東海林の知りうる限り、この百偵を駆る魔女は魔力消費を極端に嫌う。

 戦時中でなければ、己の限界の為に、高く羽ばたこうと全魔力を一瞬の為に注ぎ込むのも躊躇わない。戦中であれば、より長く翔ぶために魔力を抑える傾向がある。

 だが、より高く、早く飛びつつ、長時間行動するならばどうするか。黒岩 五十鈴の今までの調整パターンを記憶の底から読み込み、そこからシミュレートする。

「……やっぱ、“アレ”だよなー」

 再び溜息。今度は先ほどより重い。

 軍部の見栄より気を重くするシミュレーションの結果。どう考えても良いものではない。

「どうせ鈴のことだし? 『シールドへの供給と、武装への供給は最小限で良い』とかだろうし? ホントはそんなことしたくないんだけどなあっ!」

 大口開けて、天を仰いで両手で忙しなく髪を掻き毟る。くしゃくしゃに乱れた髪も気にせず、再び盛大に溜息を吐いては、同じように盛大に肩を落とす。

 東海林の裡に秘めた葛藤も、その大きさ故か口を突いて出てしまう。

「――全くだ、それでは戦場に死に行くようなものだぞ!」

 そんな東海林の独り言に返す言葉があった。背後から聞こえるそれに振り返る東海林。その視線の先に、カールスラントの軍人が見えた。軍人はバルクホルンだ。

「おや? これはこれは大尉。乙女の独り言にツッコミ入れちゃダメ、ってミーナ隊長に言われなかったのかい?」

 先程までと打って変わって、ケラケラと小馬鹿にしたように笑いながら、小馬鹿にしたように言葉を紡ぐ。

「……言われたことはないし、ミーナが他人に言ってるのも見たことはない!」

 過剰に反応すれば、黒岩の二の舞になると分かっていても、このやたら人を馬鹿にしたような口調にムッとするのは仕方あるまい。先程の一人芝居を見てなければもっと頭に血が上っていても仕方ない。

「……ゴホン。そんなことより、先程の話は本当か?」

 場を取り繕う為に一度咳をするバルクホルン。刺すような鋭い視線を東海林に向ける。紡いだ言葉に、繋ぐように意味を乗せて。曰く、「嘘や言い訳なら聞かんぞ」。

 視線を向けられた東海林も、その視線が持つ意味を察したのか、こちらも真面目な顔つきで視線を絡ませる。寒気がするような沈黙を数秒。ふ、と短く息を吐く東海林の口元。

「……ですから乙女の独り言にツッコミは――」

「――ええい! 話を聞かんかあっ!!!」

 真顔でボヤく東海林に、沸点を超えたバルクホルンの盛大なツッコミが炸裂した。

 

 

 

 

 穏やかな波と、晴れやかな空と、心地よい暖風が501基地の中を吹き抜ける。

 夏の沿岸都市は、潮の香りを運ぶ風に気温を左右されやすい。薄雲が所々に浮かぶだけの快晴。年間を通しても、降水量が平均的で集中する時期が無い為、日中にじめっとした湿度の高い扶桑とは違って、気温が高くとも過ごし易い日が多い。

 青臭い若草の匂いも、基地とは思えないくらいに感じる。それは不快ではないし、瞳を閉じて、そんな空気を肺いっぱいに吸い込むのは嫌いではない。

 鼻腔に感じる緑の香りに、また違ったヒトの香りを感じる。

 黒岩は歩きながら時折そんな事をしていた。

 癖、と言えばそうなのだろう。ほんの数秒ではあるが、頻繁に目を閉じてそうやって深呼吸する。特に匂いを嗅ぐのが癖、と云う訳ではない。寧ろ、幼少から油臭い所で作業をするのが常で、ゆっくり深呼吸出来るときに頻繁にしていたのが癖になっていた、というのが実態だ。瞳を閉じるのは、また違った癖ではあるが。

 そんな黒岩を背後に感じ、時折気にするように振り返るミーナ。

 ある種の奇行ではあるが、特に何を言うでもない。

 小首をかしげる程度には疑問に思うが、態々口にする程ではない。ただ、ミーナの黒岩に対する人物評価は「良くわからない」に傾くことになるが。

 ハンガーに向かって歩き続け、黒岩は歩きつつ深呼吸を数度。そうやって目的地に向かって行くと、黒岩の10回目の深呼吸にて変化が現れる。

 眉根を寄せ、一瞬ではあるが立ち止まる。再び歩き始めた時には何事も無かったかのようにしていたが。

 微妙にテンポの崩れた背後の足音に、気になったミーナが振り返る。

「どうしたの?」

 少しペースを落として横に付く。顔色を伺うように横から覗き見るミーナ。

「いえ、そろそろハンガーか、と」

「あら、なんで分かるの?」

「……モリブデン特有の鼻につく匂いがしたので」

 そう言われて鼻を啜ってみたが、そもそもモリブデンの匂いなどわからないミーナには、精々向かう先と油の匂いから何となくで判断する。エンジンオイルか何かの匂いのことだろうと。

 ミーナの人物考察、黒岩五十鈴。流石元整備兵、「よくわからない」。

「どうせ東海林あたりが整備してるのでしょう。エンジンオイルの添加物によく使うので」

「『とうかいりん』さん?」

「…………はい、同郷の腐れ縁です」

 嫌そうに渋い顔で、絞り出すように「同郷の腐れ縁」と言う黒岩。

 腐れ縁、と言うだけに件の人物を、それなりに深く知っているのは理解できる。匂いで中りを付けるくらいには。ミーナにしてみれば、バルクホルンが口やかましくアレコレ小言を言うのを影で聞けば、その先にハルトマンが居る、と中りを付けるのと一緒なのだろう。

 尤も、ミーナは同郷の二人に嫌そうな顔はしない。二人共大切な「家族」のようなものなのだから。

 ハンガーに至る通路の先、扉一枚の所に来た時に二人の耳に入る大声。

「――ええい! 話を聞かんかあっ!!!」

 明らかにバルクホルンの叫び声だ。まるでハルトマンに言っているのか、と思えるような台詞にミーナは、はて、と小首を傾げる。

 隣では、頭痛を抑えるように眉根を指先で摘むようにしている黒岩が居た。

 はあ、と溜息一つ、扉を開ける黒岩。

 潜った先には二つのヒト影。バルクホルンと東海林だった。

 東海林は黒岩を目にすると、片手を小さく挙げて、「よっ」と気軽な挨拶。バルクホルンは場を取り繕うかのように小さく咳払いしていた。

「あまり大尉を揶揄うなよ? 階級も年齢も上なんだから」

「あはははは。いやさあ、大尉ってば鈴みたいだからさあ」

 再び黒岩は溜息を吐く。言いたい事が何となく分かってしまう。短い時間だが、共に過ごして少なからずバルクホルンを知った黒岩には分かってしまった。それ以上に、「そんな東海林の考え」自体が分かるのが妙に悔しい。言葉少なくとも互が理解できることは、家族や親友に近い所にこの腐れ縁が居る証左だった。

 黒岩は東海林が嫌いではないが、何時もペースを乱されるし、良く揶揄われたり、振り回されたりで苦手な部類に入る。身長差があって、抱きつかれると振りほどけないし、何時も見上げるのが少しばかり恨めしい。その身長を少しでも分けて欲しいと密かに思ってもいた。

 黒岩にとってエイラが話し易い相手であるように、東海林にとってバルクホルンは揶揄い易い相手であるようだ。

 黒岩と東海林の「仲が良い」様子を見ていたミーナとバルクホルン。

 ミーナは純粋に「仲がいいのね」と微笑ましそうに見ていたが、バルクホルンは違っていた。

 断片的な会話内容から、自分が黒岩の二の舞になることが確定してしまったのを理解した。この変人「東海林」に今後も良い様に弄られると思うと気が重い。少しばかり黒岩の気持ちも分かろうものだ。

「ところで、東海林。エンジンオイルを交換していたのか?」

「ん? やっぱり分かる?」

「オマエは特にモリブデン添加エンジンオイルを使うからな。この硫黄臭さは古いオイルだろう?」

「正解。いやあ、流石扶桑と違ってモリブデンの供給安定してていいね。鈴が使うユニットに、テキトーなオイルとか使いたくないし、助かるよ!」

 あっはっはっは、と豪快に笑い声で会話を締める東海林。黒岩はなぜが微妙にムスっとしている。ミーナには良くわからないが、黒岩は東海林が嫌いなのだろうか、と。会話の内容もイマイチ理解に苦しむが、所々の理解できる範囲で考えてみると、黒岩はこの東海林と言う女性の整備能力を買っているように見える。

 ただエンジンオイルを交換したくらいで確認はしないだろうし、その種類に問題があればとっくに駄目出しをしていても可笑しくはない。それに古いオイルが匂いで分かるくらいに、嗅ぎ分けられるほどの付き合いである。

 バルクホルンからの簡単な伝聞では、「搭整一体」を尊んでいるようで、その内容を聞く限り、もしも問題があれば絶対に整備について容喙するはずだ。

 それがないとなれば、その方針自体は黒岩の方針に合致しているのがわかる。「腐れ縁」と言うだけあって、付き合いも長いのだから本当に嫌なら、もっと剣呑な雰囲気であっておかしくない。

 東海林はどうか、と言えば、扶桑では供給の安定しないオイルを態々使う。話を聞く限り、随分このオイルの種類を信頼いるようだ。本当に嬉しそうに笑う姿からそう読み取る。

 それに、ぶっきらぼうな黒岩の会話も気にしていないし、ムスっとした黒岩の顔が分からないでもないだろうに、それも気にした素振りはない。

「すまんが、さっきから話しているモリブデン……とやらはなんだ?」

 バルクホルンが然も不思議そうに問う。ミーナにとっても聴き慣れず、オイルの添加剤だ、と言う事までは理解できるが、効能まではわからない。そもそも、オイルに然程違いがあるとは思えないのだが。

 そんなバルクホルンの言葉に、渦中の二人は一瞬見合わせたあとに、ここに居るのが全て整備に詳しい人物では無いと漸く気付いたらしい。こほん、と小さく咳払いしつつ黒岩が説明を始める。

「モリブデンと言うのは、元々鉱物の一種なのですが、オイルに添加剤として細粒化したモリブデンを配合すると、硫化して潤滑剤の役割を果たすんです」

「? 鉱物なのにか?」

「はい。硫化モリブデンは対加熱、耐荷重性に富んでおり、非常に低い摩擦係数を持っている為、高回転に強いんです」

「へぇ、優秀な添加剤なのね」

 関心しながらバルクホルンとミーナは黒岩の講義を受ける。確かに、これならば東海林が信頼するのも頷ける。硫化する、と言うだけあり、確かに匂いも独特だ。

 だが、そんな優秀であるモノにも、何かしらの欠点はある。

「しかし、元々が鉱物なので、不純物も入り込んでいたり、加工そのものもそうですが、産出自体が扶桑では行われていないくらいでして。

 リベリオンでは比較的産出が安定しているらしいのですが、細粒化の問題もあります」

 比重から沈殿しやすかったり、オイルの循環ラインに詰まり易かったり、鉱物故に吸着性は皆無で四散し易い。

「代りに、気圧が低い状態の方が摩擦係数が低くなるから、高高度での潤滑性能は向上するんだけどねー」

 自身のお気に入りが批評されたくないのか、東海林がさらっとフォローを入れる。思わず苦笑するミーナ。バルクホルンは「どうだか」と言いたげに半眼を向けていたが。

 他にも均等にオイルを行き渡らせるのに、直接掛けてやらねばならない事もある。沈殿する、と言うことは、オイル内の添加量にバラ付きが出てしまい易いと云うこと。先に添加した状態で垂れ流しても、思ったように流れ落ちない、ないし満遍なく行き渡らない。その為、先にモリブデンを注入せず、後から添加する場合が多い。

 つまり、何かと面倒で、意外と制約が多く使い勝手が悪いと言える。

 通常、モリブデンが潤滑剤として機能するのは「二硫化モリブデン」と呼ばれる状態だ。二硫化の通り、モリブデンの原子一個に、二つの硫黄が化合している状態。これがさらに硫化すると三硫化モリブデンとなる。文字通りに硫黄が三つ付いた状態だ。

 潤滑作用も落ちて行くが、一番怖いのが金属の硫化を促す恐れ。エンジンギアが硫化してしまっては意味がない。

 幸い、硫化が促進されるのは高温状態であり、匂いである程度判別可能なことだ。三硫化に達してしまっても、長時間使用しない限り、早々に金属の硫化が起きることもない。

 だが、逆に言えば、硫化が進んだと判断されれば、オイルの交換も致し方なくなってしまう。

「ああ、それでオイルの交換が判断できたのね」

 なるほど、とミーナ。「古いオイル」の判断なんて出来るのか疑問であったが、多少なりとも判断可能な材料はあったらしい。尤も、ミーナ、ひいてはバルクホルンには未だ判断出来るモノではないが。あくまで使用に慣れ親しんだ二人だからこそ、判断出来るだけなのだから。

「三硫化したからって言っても、摩擦係数はそれほど急激に落ちるわけじゃないから、タンクにでも保管して他の用途に使ったりするけどねー。勿体無いじゃないか、安くもないんだしさー」

 扶桑では潤沢に用意出来なかった為か、東海林がこせこせとした事を言う。確かに、どれくらいの交換頻度で、どれくらいの量が消費されるか分からないが、無駄遣いはして欲しくない。そうミーナも思っている。使い道があるなら限界まで使って欲しい。経費にゆとりは無いのだ、こせこせしようが構うまい。

 後頭部と腰に手をやり、胸を反ってけらけらと笑う東海林。口元に手を当て、上品に笑うミーナ。少しとは言え、互いに分かり合えた瞬間でもある。

「……臭いから、開けようともしないくせに」

 そんな東海林に、聞こえるか聞こえないかの小さな声で黒岩が返す。

一瞬、場が凍る。東海林もミーナも、笑顔は変わらない。

 ただ、不思議と空気は冷たく感じて、そのくせに嫌な汗は止まらないバルクホルン。

 東海林と言えば、夏の猛暑に充てられたかのように、だらだらと汗を流している。どことなく笑顔も引きつってる気がしないでもない。

 ミーナも笑顔に変わりはないが、何故だろう、その眉尻はひくひくと微かに揺れている。どことなく眉根も寄っている。

 機嫌の悪い――有り体に言って怒っている――ミーナの様子を敏感に感じたバルクホルン。何度か経験したこと故に、嫌な汗の正体を突き止めるも、肝心の打開策が見つからない。そこでことの発端である黒岩に視線を向ける。

『なっ!? 居ないだと!?』

 目を向けた先、直前までいたはずの黒岩の姿は無かった。慌てて辺りを見回すと、ちゃっかりとバルクホルンの背後に居て、何かの仕様書らしきものを読んでいた。位置的には完全にバルクホルンを盾にしたような状態だ。

「うふ、うふふふ……」

「あは、あははは……」

 尚も乾いた笑いを続ける二人。分かり合えたハズの二人。

だが、何故だろう。これほど荒んだ雰囲気もそうは無い。

 結局――諦めて間にバルクホルンが割って入るまで、木枯らしのような笑いは収まらなかった。

 

 

 

 

 ゲッソリとしたバルクホルンと、いつもどおりの穏やかな表情のミーナは二人、基地内を並んで歩いていた。

「ねぇ、トゥルーデは黒岩さんをどう見る?」

「ん?」

「正直ね、あまり接触してなかったから、その為人が把握しきれてないのよ」

 腕を組んで、一頻り言ちるように云うミーナ。

 顎を引いてその下唇に指先を当て、思考する容貌は悩み、と言うには些か趣が違っていたが。

「なんだ? 何かあったのか?」

「いいえ、ちょっと性格が良くわからないのよ。物静かな性格ではあるのでしょうけど、サーニャさんとはまた違った感じだし、そう言う意味ではエイラさんに似ているわね」

 エイラに似ている、と聞いて少しばかりバルクホルンが表情を変える。

「扶桑人とスオムス人って、気質が似ているって言うでしょ? 最初に案内役を指名するとき、宮藤さんよりエイラさんの方がいいかな、って思ってたのよ。

 宮藤さんは来たばかりだし、同じ扶桑でも美緒は左官で案内には向いてないし。リーネさんが候補だったけど、最初の挨拶があまりに硬かったから、引っ込み思案な彼女ではちょっと心配だったし……。

 同じ階級ではルッキーニさんも居るけど、彼女は――正直案内人には向いてないわね。

 その点、エイラさんは面倒見がいいところがあって、割とどんなタイプの人間でも自分を変えないニュートラルなところが安心出来るから」

 そんなミーナの独り言つるような物言いに、バルクホルンはどこか納得顔。

 最初にエイラを指名した理由はちゃんとあったんだな、と。

 他の者も、階級を抜きにすれば案内役として適任者が居ただろうが、バルクホルンの視点で見れば適任者は自分かシャーリー辺りだと判断する。

 ハルトマンは意外と、とは言っては難だが、面倒見は良い方だ。暇を見つけてはサーニャと話をしていることがある。夜間任務が大半のサーニャの話し相手は少ない。エイラ以外ではハルトマン以外に名前が出ないくらいだ。

 逆に言えば、ハルトマンが積極的に話しかけてくれているので、サーニャが孤立していない、とも取れる。

 最近まであまり気にも止めていなかったが、良く良く考えてみると、それはハルトマンなりの気遣いだったのかもしれない。

 少し前の向こう見ずな行動ばかりだったバルクホルンにも、ハルトマンは常に傍に居てくれた気がする。ミーナもそうだ。彼女たちが居なければ、バルクホルンがこうして此処に居ることも出来ず、戰場の中で一人朽ちていたのかも知れない。

 その意味で言えばハルトマンが適任者にも思えるが、普段の様子が様子だけに不安が完全に拭えない。自分が好きなところを勝手に案内して、散々振り回してる姿しか想像出来ない。そう思うと、サーニャに話しかけている姿も、どこか一方的にハルトマンが喋っているだけに思えてきた。

 そんな脇道に逸れた思考を元に。シャーリーが案内役立った場合を考える。

 自由人と書いてリベリアンと読む。そんな諷刺が頭を掠めていくが、そんな風評とは別に、彼女の面倒見の良さは特筆すべきだとも考える。

 最年少のルッキーニが問題なく(多少はあるが)多種民族混合の軍事基地で生活出来る最大の要因が彼女だ。

 おおらかな性格が人間関係の複雑さを緩和している。普段の態度や些か軍人らしさの無い行動が肌に合わないところはあるが、戦闘や集団生活に於ける全体を見る視野の広さは、正直なところ、バルクホルンも評価している。

 ただ、彼女が案内に立つと、当然のようにルッキーニも引っ付いてくるので、常に爆弾を抱えた状態に等しい。完全にシャーリーが安全弁なので、ある意味薄氷を歩く、に等しい。

「トゥルーデは、彼女と話してみて、どんな風に思ったのかしら?」

 いつの間にか深い思考に陥っていたバルクホルンを、ミーナの柔らかな声が引き上げる。

「――そうだな。淡々としていて、掴み所はないが、割と生真面目な性格なのだろう」

 これはバルクホルンに限らず、恐らくほぼ全ての出会った人間が感じることだ、と思いながら話す。ミーナも特に何も挟まず、目線で続きを促す。

「ただ、ある物事――そうだな、『興味』と言うか、そう云った『特定の事柄』に対しては多少なりとも反応が過敏になる印象だ。

 研究者タイプ――とでも言うのか? 興味の対象以外には淡々としているが、いざ興に触れると熱を持つ。そんな感じだ」

 普段の印象と、彼女の『興味の対象』に於ける反応の違いは如実に現れる。昨日の発令所でのやり取り、今朝のやり取り。途中から急に人格が変わったかのように饒舌になったり――その緩急の激しさを体感しなければわからないが、本人も整備に心得があったり、一々邪険に扱いながらも、一定の信頼を置く東海林の存在を鑑みると――性格的にも研究者タイプの人間なのだろう。

「なるほど――ありがとう、参考になったわ。ところで、その『興味の対象』って、どんなのがあるのかしら?」

 ふむ、と腕組しつつ、顎に手を当て考えるバルクホルン。

 所詮一日二日の間柄――とは言え、濃厚な時間を共有したのである程度は把握できた。

「先ずは、“妹”だな」

 ふむ、と納得顔のバルクホルン。黒岩と言ってバルクホルンの中で一番最初に結びつく言葉はこれになるのだろう。

 腕を組み、うむ、と力強く頷くこと二回。そこで肝心のミーナの反応が薄いことにようやく気付く。

「……トゥルーデ、貴女いくらなんでも見境がなさすぎよ。貴女の願望ではなくて今は黒岩さんの話で――はっ!? まさか黒岩さんのことを――」

「――って、違う! そうではなくてだな!」

 哀れみに憂いた顔を向けられ、漸く自分の発言がミーナにどのように受け取られたのかに実が付いたバルクホルン。

 顔を真っ赤に染めながら懸命に弁解する。

「黒岩の家族のことだ! 扶桑に残した家族。その妹のことだ!」

 黒岩曰く、エイラに似た妹。その話題や、エイラを可愛がりしていた姿をどうにか自分の失態に上書きするように話す。

 初めは胡乱げに見ていたミーナも、漸く普段の表情に戻っていく。

「エイラさんに似ていたのね。仲良くやれていて結構なことだわ」

「……まったくだ」

 ミーナ言葉に、今度はバルクホルンが釈然としない顔で。そう、バルクホルンもわかってはいる。エイラは姉がいる”妹”で、黒岩は妹がいる”姉”で。二人が仲良く過ごすのに不満はない。喜ばしいことだ、と客観的にも思えるし、態々その仲を裂きたいとも思わない。

 なにが釈然としないのか――と問われれば、それはバルクホルンにも明確な答えを返せない。ただ、その思考に紛れ込むのは、やはり発令所のやり取り。仲睦まじい姉妹に見える二人。エイラが妹に見えるのはショックだった。どこまでもバルクホルンの視点では妹らしさの欠片も見えない、あのエイラが――だ。

 それを見せられた時の、あの妙な敗北感はなかなか忘れられそうに無かった。

「エイラさんから、次第にこの基地の人達とも仲良くなって欲しいわ」

「まぁ、そうだな。ただ、本人も言っていたが、人付き合いは苦手なようだ」

 そこで、二人の脳裏に浮かぶのは、そんな黒岩に『腐れ縁』としてだが、確固たる立ち位置を確保している存在。東海林のことだ。

 正直なところ、黒岩と東海林、二人の関係を正しく把握できたとは思えない。

 黒岩は東海林をどこか鬱陶しそうにしながらも、一方では信頼に値する人物として接している節がある。

 東海林の方は、黒岩に対しても物怖じせずに、気難しい友人に怖じ怖じした態度ではなく、むしろ強引に自分の居場所を黒岩のテリトリーに作っていく――そう見える。

 黒岩との付き合い方として、参考にはならないだろう。黒岩の様子では、そうやって無理に自分の”内側”に入り込もうとするのは、あまり好きではなさそうだ。

「『腐れ縁』……ねえ。私には、東海林さんのように黒岩さんと、ある意味対等に付き合えるビジョンが浮かばないわ」

「同感だ」

「出来れば、『腐れ縁』なんて言わずに、友人や仲間として見られたいわね」

 その点、エイラは友人として、黒岩に認知されているのだろ。そのエイラから、興味の対象を移していけば、他者との付き合い方も上手くなっていく、と期待を籠めて言葉を締めるミーナ。

 夏の日差しで温められた強い風が、肌を掠めていく。思わず瞳を閉じる二人の眼前を、マリーゴールドの花びらが舞う。聖母の花が、そっと送る言葉は――

 

 

 

 

 夜間哨戒の為に日中を睡眠で費やしたエイラ・サーニャ・宮藤の三人は、月夜に照らされた雲の上を飛んでいた。

 滑走路で、ただ立っているだけでも暗くて、先の見えない闇に怯えていた宮藤。いざ、月光を一身に浴びれる雲の上まで来ると、一人はしゃいでいた。

 夜に慣れていなければ、薄らと明かりが射している程度では、本能的に来る恐怖になかなか抗えないものだ。月、星、海面に反射している僅かな光、辛うじて判断出来る地表の人口建築物。それだけが指針で、闇の中を飛ぼうと言うのだ、それに恐ろしさを感じない者は少ない。

 ナイトウィッチの資質があろうと、それは変わらない。

 サーニャとて、はじめから夜間専従員ではなかっただろうし、他のナイトウィッチにしてもそうだ。

 ただでさえ少ないナイトウィッチ。それが今回のようにケッテを組んで飛ぶことは希少な経験と言えた。

 尤も、宮藤がそこまで理解してるかは分からないが。

 だが、宮藤の「ひとりではこんなところまで来れなかった」と言う、その一言が、ナイトウィッチの資質を言い表していた。絶対数の少なさ故に、長時間孤独な飛行を続けなければならないのだから。

「あ、そういえば、黒岩さんもナイトウィッチなんだよね?」

 ふ、とも思いだしたかのように宮藤が言う。何を突然、と言いたげなエイラとは裏腹に、サーニャは暫し呆けていた。

「ん? そういえばサーニャ。五十鈴と会ったとき、『はじめまして』っていったよな?」

「? ええ、そう言ったわ」

 サーニャの答えに、何やら考え込むエイラ。流れに付いて行けない宮藤。黙ってエイラが考えをまとめるのを待つサーニャ。

 三者三様に数秒。腕を組んで、右手の人差し指でこつこつと頭部を数回ノック。それで一先ず考えをまとめ終えたようだ。

「いや、さぁ。五十鈴にサーニャのこと紹介したとき、『QSLカードを交換した』って言ってたからさ。確かに、実際に会ったのははじめてだろうけど……」

 どこか釈然としないエイラ。宮藤は相変わらずわたわたとしていて、会話についていけていない。

 そんな二人を余所に、サーニャと言えば何かを思いだしたかのように腰のポシェットを弄る。

 数枚のカードを取り出し、そこから一枚のカードを抜き取る。

「エイラ、これ」

 そっと差し出された一枚。それを受け取り何かが書かれたソレを見る。宮藤も気になるのか、こっそり二人の間から見ていた。

「あ、これ扶桑語だ」

「みたいだな。なんて書いてあるんだ?」

「つきにうたえど あなたはかえらず されど あなたはつきにうたう」

 黒く表面を塗りつぶされたカード。そこに月らしき絵と、花弁のような白い絵。そして宮藤が読んだ一文が、やはり白く書かれている。

 その下には、整然と並んだ文字群。文字群はQSLカードに一般的に記載されるコールサインや交信状況などだろう。

「なんだ? さっぱりわかんないぞ」

「さぁ……私に言われてもさっぱりですよ」

 エイラも、扶桑語が読める宮藤もさっぱりだ。どうなのか、とサーニャに目線で問う二人。

「宮藤さんが読んだ部分は、私にもわからないわ……でも、他は大体わかったの」

 大凡一般的な交信内容と変わらない。時間帯は欧州との時間差故に、恐らく扶桑ないしオラーシャ東部などであろう事、しかし、肝心の交信者名が――

「――サインではなくて、何かの文様のような――」

「あ、これ、印章ですよ」

「インショー? なんだそれ?」

 扶桑では一般的ではあるが、実は印章――印鑑、判子――と云った文化を持つ国は、意外と少ない。押し印一つで自身を表す習慣がないからだ。

「この人と交信に成功したとき、丁度交戦中だったみたいで、暫く経った後に向こうから再交信してきたんだけれど……」

 時差故なのか、それとも相手の通信能力が不足していたのか、肝心の相手側の名前が分からずじまいだった。

 そんな時に、ひょっこり送られて来たのがこれだ。

「これ、甘い香りがするでしょう?」

 そうサーニャが言い、二人はカードに顔を寄せる。すると確かに、なんとも言えない甘い香りがしてきた。

 香水か? と疑問に思うが、その意味が分らない。

「何の匂いか分からなくて、色々聞いてみたら『チューベローズ』の花の匂いに似ているって。

 それに、ほら、ここを見て」

 サーニャの細く白い指先が指し示す場所。そこにはやはり扶桑文字。

「『月下香』? これが、どうしたの?」

 宮藤が読む。しかし、チューベローズとは書かれていない。

 謎ばかりで、全く解決に結び付きそうになく、二人の表情も同様に難解さを増していく。

「月下香って云うのが扶桑名でのチューベローズなんですって。で、交信ポイントと所属はちゃんと書いてあったから、『月下香さんへ』って」

「なるほど、コイツが――」

「――うん、黒岩さんじゃないかしら。他に思い当たるふしがないもの」

「それにしても、月下香ねぇ。コイツが五十鈴の通称かなんかか?」

 例えば、ハルトマンなら『黒い悪魔』。その史上稀に見る撃墜数からそう呼ばれていた。尤も、普段の様子を知る人からすれば、とても悪魔には見えないが。

 花をモチーフにした通称としては、サーニャの『リーリヤ(百合)』がある。だが――

「――あいつって、撃墜数0だよな? 普通、通称ってないだろ?」

「えっ? そうなんですか?」

「おいおい、こういうのって普通、後から付いて回るもんなんだよ。あ、でもパーソナルマークとしてならアリかもな」

 謎は解決したが、また一つ謎が生まれた。彼女と月下香にどんな意味があるのか。

 まだ、この時は、誰も知らなかった――

 

 

 

 

 明くる朝。黒岩は再びハンガーに来ていた。

 東海林の整備士としての能力か、それとも501の整備班全体の質が高いのか、百偵は予想を上回る速さで修理と換装、そして調整が完了していた。

 細かい調整はまだと言うが、東海林の調整ならそれほど問題はないだろう、と黒岩は考えていた。

 しかし、前日に見た仕様書では、出力上昇の弊害として、二基の過給器が曲者だった。

 高空域でのエーテル吸気効率を上げる為に、二基にも及ぶ過給器により、通常より魔力消費が上がった為だ。

 救いは高空域での使用はターボチャージャーであること。十分に魔導エンジンが駆動すれば、増幅された魔法力と、呪符回転による排出エネルギーにより、出力に対して消費エネルギーが小さいこと。

 元々、百偵は戦闘機動を前提としていないため、高空域での高荷重の掛かる旋回を必要としない。遠心力がかかれば、それだけ推進力に対する前進速度が低下する。当然、急旋回などすれば失速も危ぶまれる。

 最大速度と高空域での安定性が売りの百偵に、態々減速させるような不安定な機動をさせる意味は無い。

 よって、低空から高空域への上昇に、どれだけ早く、そして低魔力でたどり着くかに収束される。もしくは――

「――逆に、低出力のまま、時間を掛けて劣角を維持してゆっくり上昇するか、か……」

 前者は上昇時間に反比例して魔力消費量が変化する。前半に消費して、後半に消費量が減る。後者は緩やかな上昇線を描くように消費量が変わるが、常に一定以上の比率で魔法力を消費するので、時間を掛けすぎると予想以上に消費してしまう恐れがある。

 そこで思い出すのが、『二速可変式』であること。

 低回転・高回転でギア比を変更するので、当然トルクが変わる。立ち上がりに必要な力を得る為に、ギア比を小さくして、高回転に至った時にギア比を大きくする。ギア比が等倍での等速に近づいた時、エンジンがいくら駆動しようと、大きな加速力の上昇は得られない。この時、単純にギア比を倍化すれば、ギアの回転数も倍化する。尤も、他にも色々な力が加わるので、単純に倍化されることはないが。簡単にいえば、大きなギアで小さなギアを回せば、大きなギアが一回転する間に、小さなギアは複数回回転する。その回転比がギア比だ。

 だが、そもそも大きなギアを回すにはそれなりに力がいる。故に、最初からギア比を大きくは出来ない。ならば途中から変えれば? それがこの可変式の特徴だ。

 そこへ、低空の吸気率の高さで、回転率と比例する過給器であるターボを使うと、エンジンに過剰にエーテルを送り込んでしまう。ならば、その過給器も常に一定の吸気率であるスーパーチャージャーを低空で使い、高空域でターボチャージャーに変更する――と言う野心的な発想で生まれたのがこの『二段二速エンジン』だった。

 しかしながら、ジェットストライカーの開発の目所が立つと、この二段二速機構も意味が薄れてしまう。黒岩もジェット機構に対する知識は少ないが、早い話がエーテルを吸気、圧縮し、排気する事で推力を得る仕組みだ。エーテルを効率よく圧縮出来るかに焦点が行くので、ある意味レシプロストライカーより構造は簡単らしい。

 しかし、吸気・圧縮の為の魔力消費や、規定の推力を得られるエンジン開発が難航しているようだ。少なくとも扶桑は難航している。

 しかし、『回転』と言う力の使い方をしないので、ジェットストライカーの開発が進めば、何れ音速に達するのではないか、と言う期待が寄せられていた。

 それを思うと、少しばかりこの百偵が哀れにも思えてくる。その特徴である高速性能などが簡単に塗り替えられてしまうとなれば、苦笑も堪えない。

 されど、黒岩にとって、それは大事なことではない。より高く、遠くへ――それが黒岩の望み。自身を遥か高みへと押し上げてくれるモノがあれば、他に望むべくものなど無い。戦う為の力も、速さに固執することも無い。

『月にでも届くストライカーが出来れば、喉から手が出るほど欲しいけれど』

 黒岩はいつも上しか見ていない。そして、遥か高みから全てを見下ろしたい。

 幼少から同年代と『遊ぶ』ことをしなかった黒岩。

 

――『楽しむ』と言う気持ちを知らなかった。

――『愉しむ』と言う心を知らなかった。

 

 そんな黒岩が始めて知った『愉悦』とは、大空に舞うこと。

 大空は果てなく――どこまでも広く。

 幾ら跳んでも尽きない。幾ら飛んでも尽きない。そんな大空に魅了された。

 黒岩 五十鈴の根源とは、つまり――そういうことなのだろう。

 じっと、百偵を見つめる黒岩の表情は、愛情を注ぐように、優しい眼差しと小さな微笑みに染まっていた。

「翔んでみるかい?」

 そんな黒岩の背後から声がする。黒岩にとっては聞きなれた声。

 溜息を一つ、振り返る。

「翔んでみたくはあるが、許可は得ていない」

 振り返った先には、案の定、東海林の姿があった。

「堅苦しいなぁ、相変わらず。じゃ、許可取っちゃえばいいじゃないか」

「簡単に言うが、果たして許可を貰えるか……」

 いくら規則の緩い501でも、ストライカーユニットの個人使用は認められまい。

 ユニットも黒岩も、戦線にいつでも復帰出来る状態だが、作戦行動でもないのに飛ぶための理由があるわけでもない。

「別に試運転でいいんじゃないか?」

「そうは言うが、それで許可が得られるのか?」

「いやさ、百偵ってばエンジン換装したし、二段二速エンジンなんて今まで調整したこと無いから――あ、言っとくけど『鈴用』って意味だぞ?――稼働状況も知りたい」

 確かに、と黒岩。理屈では分かるが、挙動などいくらか変わるだろうし、知識と体感では大きく異なる場合もある。

 おそらく自分以上に十分に知識を仕入れた東海林でも、ある程度稼働したエンジンの整備はまだなのだろう。戦地で損耗したユニットを、ぶっつけ本番も同然に整備するより、試験稼働の時点で、試行錯誤(試して壊す)したほうが良いに決まっている。

「……そうだな、最初からダメだと決め付けるくらいなら、ダメ元で掛け合ってみるか」

 そうとなれば早い。久しぶりに翔ぶと思うだけで、浮かれてしまいそうになる。

 こういう時は自分でも『子供だな』と感じて苦笑も禁じえない。

 そんな黒岩を見る東海林も、ただでさえ細い糸目をさらに細め、笑顔で見つめるのだ――

 

 

 

 

 ペリーヌ・クロステルマンに暇な時間などない。

 正確に言えば、無為に時間を過ごすことを、自身に許さない。

 故郷のガリアは、いまだ敵性体であるネウロイに占拠されている。

 多くの避難民と共に、ドーバー海峡を渡り、このブリタニアの地に辿りついた。

 海峡を挟んだ先に見える故郷。何故、自分は生まれ故郷を離れなければならないのか。多くの避難民が想う心。怒り、哀しみ、そう云った感情に囚われて、一歩も動けない者も少なからず居る。助かったことに感謝しつつも、敵を恐れ、故郷を忘れようとする者も居る。親しい者を失い、跡を追おうとする者も――

 そんな中、ペリーヌは自身に課した『ノブレス・オブリージュ』を元に、行動している。

 高貴な者は、その気高さに釣り合う義務が生じる、と言う考え。ペリーヌはただ逃げたのではない。ガリア――ひいては、クロステルマン家が治める領地であるパ・ド・カレーを取り戻す為に。

 ネウロイに対抗するには力が無かった。侵略者が領地に迫ろうと、ペリーヌにはその時、抗う力が無かったのだ。

 彼女にとって、領地に住まう者の命を守れなかったことは、その気高い精神では耐え難いほどの苦痛であっただろう。どうにか民を逃がすことが出来ても、『領地を追われる』と言う失態を冒した――そう感じてしまうのだから。

 ブリタニアに赴き、自由ガリア軍として、戦線に参加しようにも、一向にガリア奪還の認可は下りず、軍務を淡々と熟すだけの日々。焦ってもどうにもならないと、頭では分かっていても、焦燥に身を焦がすだけの時間が過ぎていく。

 ペリーヌは賢く、人を導くだけのカリスマも持っている。只の貴族の令嬢と言うだけではない。『貴族の令嬢であるからこそ』その位高い者故に、徳の高さを求められ、その貴き命には等量の義務が生じるのだ――と、それを常に心掛けている。

 そうして、その強い克己心で、己を律している姿は、人々を惹きつけて止まない。それがペリーヌと言う女性のカリスマ性だ。

 だが、そんなペリーヌにも限界はある。

 故郷を侵略され、奪還の機会を得る為に耐え忍ぶ日々。それはじわじわとペリーヌの精神を蝕むかのように、重石のようにペリーヌに伸し掛る。

 何時の日か、ペリーヌの精神には余裕が無くなっていた。そんな時だ、扶桑人『坂本 美緒』に出会ったのは。

 彼女との出会いは、ペリーヌに転機を齎した。彼女の言葉は、ペリーヌに安らぎを与えた。

 ガリア奪還の最先鋒、501統合戦闘航空団「ストライクウィッチーズ」への勧誘。

 それはペリーヌが求めて止まない、彼女の『ノブレス・オブリージュ』を体現する舞台。

 だが――

『本当に、こんなんでガリア奪還が叶うのでしょうか……』

 ――ペリーヌの不安は増すばかりだ。

 周りの者を見ていると、本気でガリア奪還を考えているのか疑いたくもなる。特に、あの新しく入った扶桑人の『宮藤』。彼女は紹介の時も、その普段ののほほんとした態度も、素人同然の技能も、知識も――何もかもが『足りていない』。

 ペリーヌの苛立ちは、日を増すごとに募って行くばかりだった。

『そこへ来て、また扶桑人!? しかも、優秀とは言えないにも関わらず、特務がある、ですって!?』

 別に扶桑人全てに不満があるわけではないが、宮藤と言う前例がある為に、自身でも気付かぬ所で『扶桑人』と一括りにしてしまっている。坂本も扶桑人だが、既にペリーヌにとっては『特別な個人』としてカテゴライズされている。

 そんな『坂本以外の扶桑人』である宮藤以外の者、と言えば、黒岩に他ならない。

 彼女から見ても、黒岩は異様だ。普段感じる魔法力はからっきしで、一番不満がある宮藤ですら、その強大な魔法力は認めることも吝かではないのだが、黒岩には全くと言っていいほどに魔法力を感じない。無い、と言う訳ではないが、少なくとも、この501のメンバーではぶっちぎりの最下位だとはっきり言える。

 そして、戦果はこれまた『ゼロ』。敵を多く倒したからと言って、その優劣を付けるモノではない、とは知っていても、数値として公に表される撃墜数がゼロでは考えざるを得ない。501に来るまで一般人だった宮藤なら、戦果がゼロでも致し方ない。だが、黒岩は列記とした軍人だった。それが戦果ゼロでは笑い話にもならない。

 こうして見ると、何故か宮藤が優秀な人物に見える。それだけ黒岩の存在が異常なのだろう。

「全く理解できませんわ」

 そう、そんな黒岩を、どこか認めている節が、彼女の敬愛する坂本にはあった。

 それとは別に、ペリーヌは黒岩が苦手だ。

 先日の食卓に於ける出来事、使い魔の入浴の問題。

 扶桑食に馴染みの無いペリーヌには、生魚を食せずに済み、粗雑な感じはあったが、素朴ながらも美味しい料理を戴けたのは助かっている。

 軍料理という肉料理も、甘味が強く、不思議な味わいに評価もしよう。

 だが、自身の発言が発端であると思うと、複雑な想いもする。

 あまりにも淡々と物事をこなしていた為、何か自分が酷く我儘に当たり散らしていただけのような気持ちになるのだ。

 使い魔入浴のときも同様に。獣を浴槽に浸けるにも、他者の使い魔と同じ浴槽は御免被りたい。ペリーヌとて、獣が浴槽に浸かること自体は否定しない。ただ、ヒトと獣が同じ浴槽に浸かる、という発想がない。ヒトはヒト、獣は獣。そういうことだ。

 だが、そんな自分の意思を伝えたのだが、特に表情も変えず――まるで、ミーナ中佐の『皆のあとで』と言う発言にしか興味が無いように。

 実際そうだったのだろう、と後で思うも、場面だけみれば、やはり「我侭を言う自分」という姿に見えたに違いない。宮藤やエイラなども擁護するような発言をするが故に、余計に、だ。

 あくまでニュートラル。坂本少佐とは違った意味で、物事に動じない姿。少佐も黒岩も、そういった姿勢が似ているとも言える。それが余計にペリーヌの精神を揺さぶる。

 自分ばかりが滑稽に踊っているだけで、酷く空回りしている。そう感じてしまうが故に。

 そう、「ピエレッテ(女性道化師)」。己の本当の名前。好きにはなれないその名前を思い起こさせる。だから――苦手なのだ。

 

 

 

 昏い思考に詰まりそうになり、気分を変えようと基地の中庭へ出る。

 軍基地として使っているが、初めから軍用基地として設立されたわけではないので、一角に庭があるのも不思議ではない。

 ドーバー海峡に面した『表』に対して、基地裏側には比較的人工物よりも自然が多い。

 上空から見ると、敷地面積に対して緑が多いのが伺える。

 小島に城を立てたような状態であるために、周り一面が海面である。そうなれば、必然的に潮風にさらされやすく、植物もそう多くの種類が育つ訳ではない。

 だが、手入れを怠らなければ、それ相応に鮮やかな花や実をつけてくれる。

 ペリーヌ自身、ハーブなどに造詣があり、専ら基地内の花壇などはペリーヌが面倒を見てると言っていい。

 無駄は好まないし、余裕も無いが、生来培ってきたものが無くなる事はない、と言うことだ。

 日差しは些か強いが、海面が近いので気温的にはそこまで高くはない。日が昇り始めて数刻、朝というには些か遅いが、南天には至らない、そんな時間帯。

 目当ての花壇に向かうと、そこに見慣れない人の姿がある。

 後ろ姿故に、顔は分らない。しかし、その特徴的な『黒髪』はペリーヌの識る人物にはいない。坂本少佐は、後ろに一つ縛り。件の人物は肩に掛かるか、と言うくらいの短さ。勿論、宮藤程に短くない。ついでに言えば、そんな黒髪は扶桑人しか知らないし、残るは黒岩だが、髪を切りさえしなければ、長さがあまりに違うのでこれも違うだろう。

 件の人物は、花を一つ一つ観察しているような、何かを探しているような仕草で、あっちへこっちへキョロキョロと頭を動かしている。

 イマイチ挙動から目的が伺えない。不審人物ではあるが、曲がりなりにも軍基地にそう易易と侵入されるのも考え難い。となると、一応基地所属なのだろうが、やはり該当者が居ない。出で立ちはツナギ姿なので、もしかしたら自分が知らない内に入隊した整備員なのだろう。さすがに整備員の顔までは覚えていない。

  生真面目なペリーヌに、無視すると言う選択肢は無く、必然的に声をかけることとなる。

「何をなさってますの?」

 声をかけると、動きを止め、左右に頭を振り、辺りを見回す件の人物。

 左右に見えないとなれば後ろ、と体の向きを変える。

 比較的身長の高い『女性』。開いてるんだか閉じてるんだか分らない糸目。表情が読みづらくて仕方ない。笑ってるようにも、惚けてる様にも見える。

 じっとこちらを見たあと、一つ頷きを入れる黒髪の女性。

「これはこれは、中尉殿。いやぁ、ちょっと花を眺めていてねー」

 坂本がそうするように、右手を後頭部へ、左手を腰に充てがい笑う。困ったときや、照れ笑いのような時に見られるものだ。同じ扶桑出故なのか、判断に迷うところではある。

「貴女は――扶桑の方ですの?」

「はいはい、扶桑出身ですよ。つい先日ここに着任してきたばかりでしてね。東海林 昌子。階級は軍曹すわ。あ、一応整備員。

 ただ、鈴――ああ、鈴ってのは黒岩 五十鈴のことでしてね――のストライカー専属なんですわ」

 専属? ただでさえ、色々と特殊な人物に、ユニットまで専属とは――

 そこまで考えて、ペリーヌの表情は酷く硬いものになる。怒る、とまでは言わないが、あまり気分の良いものではない。そんな気持ちが表情に出てしまう。

 それを見ていた東海林は、僅かながらいつも以上に目蓋を開く。元が糸目なせいか、あまり目立たないが。ペリーヌ同様に表情が硬くなっているが、やはり糸目のせいか変化に乏しい。

 少しばかり口の端を上に釣り上げると、にんまり笑ってるように見えるのが東海林だ。実際に笑っているのか、それとも「嘲て」いるのか。東海林本人でなければ、その内面は分らない。ペリーヌの反応を楽しんでいるのか、思うところがあって慰めに微笑んでいるのか。

「ま、専属って言っても、別に鈴が偉いわけでもユニットが繊細なわけでもないから。中尉がどう思ってるか分かんないけど、気にするこっちゃねぇっすよ」

 ケラケラと笑う東海林。小馬鹿にしたような態度はペリーヌにとって気分の良いものではない。

「――ふん。それで? 一体何をなさっていましたの?」

「? さっきも言ったでしょ? 花を見てた、ってね」

「それはわかりますわ。ただ、それにしては不審な動きでしてよ」

 そう、花を見ていた、とは言うが、それにしてはあっちへこっちへと散漫な感じがしていた。見ていた、というより「探していた」と言ったほうが様になる。

「ああ、見ていたのは本当。ただ、目的の花が無いかなー、ってさ」

「つまり、何かの花を探していた?」

「正解。あたしは、イマイチ花に詳しくなくてさー。知ってる花も多くないんだよね」

 頭を掻きながら笑う東海林。どうやらその言葉に嘘はなさそうだ、とペリーヌは結論づける。特定の花を見に来たが、いつまでも見つからず、探しつつも鑑賞会の呈を晒していたのだろう。

「……それで? 何の花を探していますの?」

 元来面倒見のいい性格をしているペリーヌだ、些か呆れを含んだ感じだが、共に探そうとするのも吝かではない。

 ただ、何の花を探しているのか分からなければ、どうすることもできない。まさか、名前も知らない、見たことだけある、と言われたらお手上げだが。

「んー、月下香って言うんだけど、知ってる?」

「ゲッカコウ……? 扶桑の花、ですの?」

「あー、いや、和名は知ってるんだけど、こっちで何ていうのか分かんなくてさ」

 これは困った。下手に知ってる分だけタチが悪い。

 だが、少なからず造詣はあるようで、幾らかヒントがあればペリーヌの持ちうる知識に解があるかも知れない。

「せめて原産国などは?」

「んー? 原産国は不明だね」

「不明? 原産国も知らなければ、成育環境も整わないでしょう?」

「あー、そうじゃなくってさ。ホントに『不明』なんだよ。」

 これまた困った。原産国すら分らない。比喩でもなく不明となれば、本当に『不明』なんだろう。そうなると、普通に考えてこんな基地の片隅にこっそり生えてるようなモノでもあるまい。

 そうなると、同じ緯度の自生域があるのかもしれない。もしくは、寒暖の影響をあまり受けないか。だが、寒暖の影響を受けない強い花は、花壇で管理されるようなものでもない。一概にそうとは言わないが、そう言った強い花は群生するので、開けた所に園を置く。

「扶桑に入ってきたのは、ネーデルラントかららしいから、このへんでも咲いてるかなー、っと」

 なる程、確かにそう考えるのも分かる。つまり、緯度的には近い所にも成育可能な品種なのだろう。ネーデルラントはガリア・ベルギガよりも北側にあり、幾分こちらよりも寒冷地寄りだ。バルトランドに近く、風が強い。風車が至るところにあるように、風力を活用することが昔からあった国だ。それを考えると、少々寒気の強いところでも育つのかも知れない。

 しかし、あくまで「入ってきた」と言うように、流通の過程で入荷しただけなら、そもそもネーデルラントにて成育されているのか分らない。やはり、参考にはならないようだ。

「……せめて、特徴は?」

 こうなると、あとは特徴を聞くだけ。余程に珍しい特徴でもあれば、探すのも容易だろう。

「あ、それなら。漏斗みたいな蕾で、開花すると穂状に咲くんだよ。色は――白しか見たことないから、多分白。背丈は2尺から3尺――ああ、60~90センチメートルだよ――花弁は厚みのある六枚で、鐘の口を割いたような咲き方だね。

何より、特徴的なのはその匂いだね! 凄く甘い匂いがするんだよ。特に夜」

 随分詳しい。甘い花で、夜間に咲く花などは結構多い。それでも、ここまで特定できる程に細く説明されれば、知識にさえあれば自然と思い浮かぶものだ。

「……チューベローズ」

 そう、まさに特徴的な花だ。花は匂いが良いものも多く、香辛料として葉や茎を使う物もある。ハーブに造形があるペリーヌにして、ハーブでなくとも匂いの良い花は知るところだ。

 薬用、香辛料――そして、香水。貴族として、香水に関する知識はそれなりにある。

 香水と一言に言っても、用途によりその種類は非常に豊富だ。

 一般的に、香水には複数の花草を用いる。揮発性が高く、長持ちしないモノ。揮発性が低く、付けた瞬間にはあまり香らないモノ。

 そういったモノを複数混ぜることで、長期的に香りたち、同じ香りで飽きさせることがなくなる。

 そんな花草の中に、チューベローズはある。比較的揮発性が高く、甘い香りは非常に強く印象に残るのだ。香水としては、第一印象を決めるトップとして。

 チューベローズと勝手に断定したが、恐らく間違っていないだろう。

 開花時期も夏。今が見所。だが――

「残念ですが、チューベローズだった場合、自生していないとなれば見ることは出来ません。寒さに弱いので、春に誰かが植えなくてはいけませんし、乾燥にも弱いのです。虫にも弱いので、成育が難しいですし……」

「ま、そんなことだろうと思ったよ。花壇なんかあるから、もしかしたら誰かが――なんて思ってたけどね」

 半ば諦めだったのか、ペリーヌの申し訳なさそうな答えに、あっけらかんとしていた。

 ペリーヌも戦時中でなければ成育くらい出来たかもしれない。だが、悠長に成育できるような優しい種でもなかった。

 東海林も成育に優しい種ではないだろう、と思っていたため、残念と言うより「しょうがないか」と言った感じではある。

「しかし、そこまで詳しい――と言うには些か中途半端な気もいたしますが――それでいて、何故、その花を探していまして?」

 ただ眺めたい、と言うには熱心である、とペリーヌは思えたのだ。

 少なからず、一度は見ているのだろう。形状や香りは細く知っている。それでいて、原産国や成育環境などの栽培については、全くと言っていいほど知らない。

 鑑賞専門なのだろうが、それにしては特定のものに固執し過ぎている気がしないでもない。

「いや、さ。スケッチ撮りたかったんだよ」

「スケッチ? 手ぶらですのに?」

 言ってから確認するように、その両手を見る。やはり、どう見ても手ぶらだった。

「見つけたら、と思って。それに、ホントは偶々外に出たら花壇があるからさ、もし見つけたら~……って」

 言ってることに嘘は見受けられない。しかし、どうにも腑に落ちない。

 少し考えて、思い至る。

 偶々、見つけたら――そう言ってはいるが、その「偶々」が発端とは言え、「見つけたら」スケッチを撮ると即行動しようとする。その花の何に魅せられたのか、興味が出てしまう。

「仕事もあるでしょうに、思いつきでスケッチするほど、一体その花に何がありますの?」

 少しばかり嫌味ったらしく聞いてみる。会話の印象から、繊細な感じより、シャーリーのような大雑把な印象が強い。こせこせとしない様ながら、余程にその花に“何か“を懸けている。ある種、偏執的な様にさえ見えるものだ。

 弱みを握る――と言うのは行き過ぎだが、多少困った顔も見ものだな、という程度の「悪戯」だ。

 そんな軽々しい気持ちで問うたペリーヌに対し、問うた事を後悔しそうになる沈黙が数秒。困った、と言うには些か違った趣だが、腕組みしつつ頭を傾いで、その唇に人差し指を当てる様は、端的に「思考中」と東海林が無言で発していた。

 そんなに考えるほどに重要だったのか、悪いことを聞いてしまったのか。何やら沈黙の時間と共に、ペリーヌの思考も重苦しい方へ流れ始める。ついでに少々の胸痛も。

 そんな数秒を以て、漸く東海林から言葉が溢れた。

「んー……はっきり言うと“あたしには”無いんだよね。どっちかってーと、鈴に関係ある」

「鈴? ああ、黒岩さんですわね」

「そうそう」

「花と黒岩さんにどんな関係が?」

「パーソナルマークってあるだろ? それだよ」

 パーソナルマーク。主に機体に描かれたりする、個人を示す標章。例えば、ペリーヌならば、青い盾にシャルトリューと花をあしらったパーソナルマークがある。ペリーヌは自由ガリア軍において、「青の一番」と渾名されており、一部とは言え諸外国にもその名が知られていた。

 だが、ペリーヌ本人を見ていなければ、いざ目の前にペリーヌが居ようと気が付きはしないだろう。

 しかし、「青の一番のパーソナルマーク」として、「青い盾に猫」と簡素ながらも情報が伝われば、その標章を見ただけで個人が特定できる。

「眼鏡、金髪」と人の特徴を伝えるより、「青い盾、猫」と絵的な特徴を伝えたほうが直ぐに判別できる。

「眼帯をしたドーベルマンの絵」と言えば直ぐに「扶桑皇国の坂本」と分かる。現実には眼帯をしたドーベルマンなど居ないし、眼帯をした扶桑人と言ったところで個人など特定しようにもない。つまり、そういうことだ。

「あら、彼女にもパーソナルマークなんてあるんですのね?」

 理由を聞いて不機嫌になるペリーヌ。パーソナルマークは個人の自由だが、やはり「エース格」でないと、その存在意義も危うく見える。逆に言えば、エース格でもなければ気取って見えるし、やけに自己顕示欲が強いな、と捉えられかねない。囮作戦でもないのに、素人が派手な塗装で戦場に出るようなものだ、自信過剰と捉えられても仕方ない。

「ああ、鈴はパーソナルマークなんて眼中に無いよ。あたしが勝手に考えただけだからさ」

 ペリーヌの内心を悟ったのか、苦笑いと共にフォローするかのように返す東海林。

「少尉に暫定的とは言え成ったわけだしさ、一応501に、最前線に来たわけだし、鼓舞する為にもそういうの――いいんじゃないかな」

 すっきりした笑顔で己の考えを真直ぐ伝える。

 そんな東海林の言葉に、ペリーヌは衝撃を覚えた。

『友人の為に、そんなことを――』

 思えば、自分を慕っていた者と離れ、此処へ来た。

 それに後悔もしていないし、仕方なく来たわけでもない。

 でも、気が付けば、自分は一人になってしまった気がする。

 勿論、坂本少佐が気にかけてくれるし、自身も尊敬し、慕っている。

 だが、気の許せる、自分を想い見返りを求めずに手を取り合える友人は――未だにここには居ない。

 ふと、アメリーという少女を思い出す。

 501出向前の別れの時、彼女が自分の為に淹れてくれたカモミールティーを思い出す。

『ああ、そういうこと、ですのね』

 彼女の友愛が、ここに来る最後のひと押しになったことを。

「ふふ、ふふふ……」

「?」

 いきなり笑い出した自分に、怪訝な表情でもしてるだろうな。そう思いながらも自虐半分、想い出に半分、思わず笑いが込上げてしまうペリーヌ。

「ふふ。ええ、それならパーソナルマークをお祝いに贈るのも良いかもしれませんわね」

「お、おう。なんで笑われてるか分かんないけど、パーソナルマークは贈るよ」

「ええ、きっと喜びますわ」

 このところめっきり見なくなったペリーヌの笑顔。東海林はそんな希少なモノが見れたことすら気が付かない。それでも、少しばかり複雑だった笑が、朗らかな笑顔に変っていたペリーヌを見て、東海林も自然と頬が緩んでいく。

 正直、初めは只の思い付きだ。それでも黒岩の為に、と思い出すと、月下香を探すのをやめられなくなっていた。

 そして、ペリーヌとの会話で、やはりパーソナルマークは早いか――とも思い始めていた。

 しかし、今のペリーヌを見ていると、なんだか本当に黒岩が喜んでくれそうな気がしたのだ。

「そうだね。うん。きっと鈴も喜ぶよ。えっと――」

「?」

「中尉、なのは階級章で分かるけど。あたし、名前知らない――」

 あ、と声を出して自分の迂闊さに顔も赤くなってくる。なんだか相手をぞんざいに扱ってしまったような気がして、爵位持ちとして恥ずかしく想うペリーヌだった。

「申し訳ありませんわ……。私、ペリーヌ・クロステルマンと申します」

「うん。改めまして、東海林 昌子(しょうじ しょうじ)だ!」

「えっ!?」

 堂々と胸を張りながら、盛大なボケを咬ます東海林。勿論、ペリーヌには全く通用しない。

「……滑った?」

 黒岩が居ないと、どうにもこの手のネタは使い勝手が悪い、と気付かない東海林がそこにいた。

 

 

 

 薄暗い部屋。ぴっちり閉められたカーテン。それでも隙間を縫って入り込もうとする光は、鋭く細い針のように、闇に突き刺さる。暗い闇に在って、それを直視すれば、実際に瞳は痛みも感じるであろう。

 それほどに光は強いが、隙間から差し込む光が強いということは、それだけ光源に対して水平に近いという事。人工的な明かりでなければ、それは日光であるし。日光であるなら、それは日が昇る時間と、日が沈む時間に限る。しかし、どちらも「間際」であれば、光量的には「弱く」なる。ならばそれよりは僅かに「高い」位置。赤みがかった光であれば「夕刻」と言える。

 そんな部屋には三人の少女が、ひとつのベッドで眠っていた。

 その中の一人、エイラが寝惚け眼を擦りながら起きる。

「――」

 じっと見る先、そこに眠るはサーニャの姿。ぼやけた視界が、焦点を合わせ始めるまでじっと。

 ついで見る先はカレンダー。8月の日割りを眺め、じっくりと何かを確認するように数秒、何か決め事を見付けた様に頷き一つ。

 一連の仕草を以て、彼女は颯爽と部屋を出ようとし――

「あいたっ!」

 ――何かに身体をぶつけた様だ。左足を抱え、口元を必死に抑え、数度小さく跳ね回る。目線は頻りにサーニャとぶつけたであろう左足を行ったり来たり。

「―~っ! ~~ッ!!」

 涙目になりながらも、必死に声を押し殺す様は、ある意味尊敬に値する。それと言うのも「サーニャを起こさない為」。それに尽きるからだ。

 あまりに献身的すぎて、それを知る第三者が見れば、微笑ましさに知らず知らすにも、エールを送り、だらしなく頬も緩んでしまう。

 落ち着きを取り戻しながらも、やはりサーニャを気にしつつ、今度こそ部屋を出るエイラ。勿論、その足運びは慎重に慎重を着した、石橋に蝋を塗りたくって匍匐前進するかの如し、だ。

 

 

 

 そんなエイラが向かった先は食堂だった。

 サーニャの姿が遠くなれば、遠慮なんて言葉は塵紙同然に投げ捨てて、何事も無かったかのように廊下も走る。サーニャを起こさないために使った時間を、ここで取り戻すかのように。

 勿論、そんなつもりはエイラにはない。「サーニャの為」なのだから、「時間を取り戻す」なんてことは無いのだ。如いて言えば――「サーニャの為に早く行動した」だろう。

「リーネ、居るかー?」

 三つ編みに大きなリボン。501では特徴的な後ろ姿を見つけると、そちらに向かって歩き出す。さすがのエイラも食堂で埃が舞うような荒い行動はしない。まあ、清潔にしているのだから、そうそう埃が積もることも無いが、無意識にそうするものだ。

 ある程度近付くと、そこにもうひとりの後ろ姿を認める。

 こちらも特徴的な長い黒髪に、二点縛りの素っ気ない結び紐。それをみると、何故か残念な気持ちが湧いてくる。曰く、「勿体無い」。

『リーネみたいにリボンでもすりゃ良いのに』

 溜息一つ、気分を変えて。

「何してんだー?」

 二人に声をかけるエイラ。いきなりの声に一瞬身体を震わせるリーネと黒岩。リーネはそういった姿を良く晒すが、黒岩がやると妙に可愛く見えたのは、エイラだけの秘密だ。

 振り返る二人。リーネはいつものエプロン姿。黒岩は、宮藤がするような、手術中の医者が着てるような白衣――割烹着だが、エイラは名前まで知らない――を着ているので、物珍しげに見てしまう。

「あ、お早う御座います。エイラさん」

「お早う、イッル。見て分からない? 料理中」

 そんなことはわかるよ、と言いつつ、気になった黒岩の手元を見る。

 そこには大きな焼く前のパンのようなモノが、オレンジ、黒混じりの白、薄緑と三色三つ並んでいた。

「なんだこれ?」

 パン――にしては色的に見慣れない。横に視線をずらすと、人参を始め、複数の野菜が見える。パンを思い浮かべると、接点が見つからない。

「蕎麦だよ。扶桑の麺料理」

「ソバ?」

「まあ、これは少し普通のとは違うけれど」

 言いながら、パン――のようなものを、腕くらいの太さ、長さの丸太で引き伸ばし始める。

 結構な重労働なのか、体全体を使って薄く引き延ばしていた。

「あー……ま、ガンバレ」

 とりあえず、応援はしておこう。投遣り感漂う応援の言葉だが、黒岩は律儀に「うん」と返事してくれた。なぜだか少し嬉しい。

「ところで、エイラさんは何か用が?」

「ああ、思い出した、今日はサーニャの誕生日なんだよ」

「えっ? そうなんですか!」

 それを聞いて、黒岩の手が止まる。興味が出たのか、はたまた違った理由からか。

 どちらにしろ、エイラの話を聞こうと身体を向けるまでしたのだ、無視されるよりは断然いい。

「それでな、誕生日を祝ってやろうと思ってさ。ただ、今は任務中だし、夜間哨戒前だから盛大にも出来ないだろ?

 ちょっと遅れちゃうけど、夜間哨戒が終わる朝に祝ってやれないかな、ってさ」

「あ、それいいですね! サーニャちゃんもきっと喜びますよ!」

 リーネは提案に賛成のようだ。祝い事はやはり大勢の方がいい。

 しかし、黒岩は何か釈然としない表情だった。幾ら黒岩でも、他人を祝うのに否定的とは思えない。否定的、というより、何か困惑した雰囲気だった。

「ん? どうした?」

「あ、うん。やっぱり、他所ではそうだよね」

「『?』」

 リーネと二人、顔を見合わせて疑問符を浮かべる。

「私の家――というか、近所もなんだけど。誕生日に祝う、と言うか……自分が誕生日だとして、それを祝ってもらう、っていう風習がないから」

 えっ、とこれまたリーネとエイラは同時に声を上げてしまう。

 自分たちにとって、そんな場所が存在するとは思わなかった。

 物心ついた時にはそうだったし、年を重ね、友人知人が出来たらその人たちも祝っていた。

「逆に、――今は居ないけど――私の祖母とかは、自分の誕生日に美味しいもの買ってきて、それを振舞ってたりしたな」

 これまたびっくり、と顔を見合わせる。そんな習慣、見たことも聞いたこともない。

「うん。確かに、扶桑でも『誕生日おめでとう』って言うのはあるみたいだよ? 軍に入って一回だけ他人がやってるの見ただけだけど。

 私が『そう言う習慣がある人もいるんだ』って思ったのも、それが初めてだっけ」

「そうなのか? じゃ、なんだ。オマエんとこじゃ、『自分の誕生日に周りに施す』ってのか?」

「別に、施しってわけじゃないんだろうけど……いや、そうなのか? 誕生日というと、『今まで生きて来れました、ありがとう』って祖母が言ってたから」

 へー、と二人で相槌。処変われば、習慣も変わる。色んな国の人間が集まる統合戦闘航空団故に、とでも言おうか、他所の国を知る機会は多い。今回の事も、そうそう知る機会の無い事柄だった。

「じゃ、丁度いいじゃないか。一緒にサーニャの誕生日祝ってやって、そしたらこんどはオマエの誕生日を祝うんだ」

 然も名案、と言わんばかりのエイラ。リーネも賛成と、笑顔を向ける。

 黒岩は少し考えて、首を縦に振る。まさかこの歳で誕生日を祝うのが初めてだ、という人間に出会うとは思わなかったが、それならばサーニャにも黒岩にも良い思い出になって欲しいと思うのは、リーネもエイラも黒岩、サーニャに友愛を感じている証拠だろう。

「あ、そろそろ部屋に戻るよ。リーネ、悪いけど――」

「――はい、明日は豪勢に行きますよ! ミーナ隊長にも話しておきます」

 リーネの返事を聞くやいなや、頼んだぞー、と言葉を残して急ぎ足で食堂を出るエイラ。

 どこか浮かれた姿に、今度は黒岩とリーネが顔を見合わせる。

「『コラー! 廊下は走るなと言っておろうが!』」

 廊下から響く、バルクホルンの声に、思わず吹き出してしまうのも仕方ないだろう。

 

 

 

 

 夕食時。食堂に珍妙な料理が並んでいた。

 皿に盛られた三色の麺。野菜を盛った皿もあれば、黒いスープの入ったカップもある。

 大多数が疑問符を浮かべるその料理。勿論食べ方も分からない。

 大多数がそうであるが、勿論少数は逆だ。

「わー、今日はお蕎麦なんですね!」

 少数の内の一人、宮藤が嬉しそうに声に出す。

「オソバ? なにそれ?」

 ルッキーニが興味深そうに聞き返すと、宮藤が説明を始める。

 扶桑では珍しくない麺料理。つけ麺と呼ばれるタイプのモノで、めんつゆ――大多数がスープと思っていたもの――に浸して食べるのだ、と。

 盛り合わせの野菜も、麺と絡ませて一緒に食べると説明、実践。

 麺を啜る姿にペリーヌが反応するも、坂本が「扶桑では啜るのが一般的だ」と説明した上で、別に決まりごとではないと執成す。

 豪快に啜る坂本を見れば、あれこれ言うのもバカらしくなる。

「でも、この緑のとかはなんですかね? 美味しいけど……リーネちゃん分かる?」

「うん。これはほうれん草を練りこんだみたいだよ? それとこっちのオレンジ色のは人参」

 ほうれん草、人参。そう聞いて何人か反応する。もしかしたら苦手なのかもしれない。

「人参は目にいい、と聞きまして。ほうれん草も同様に。夜間哨戒にどれだけ貢献するか分かりませんが」

 なるほど、と納得しつつ食事を再開。パスタとは違った味わいに、興味もそそり扶桑人以外の者も満足げだった。

 冷たい麺料理、というのも拍車を掛けたのかもしれない。暑い夏にはピッタリだった。

 黙々と蕎麦を啜る黒岩は、ふと視線を感じて手を休める。横合いから感じるソレに、少し視界をそちらにずらすと、そこにはこちらをじっと見つめるペリーヌが居た。

 怒ってるでも、笑ってるでも、悲しんでるでも、泣いているでも無く――睨む、には遠く、呆けにも遠い不思議な雰囲気で。

 訳も分からず、首を傾ぐしかできない黒岩だった。

 

 

 

 

 日は陰り、夜の帳が降りてくる。

 闇に覆われた大空には、真円の月。

 

 ――円は縁。元を担ぐ時、音を合わせる。

 

 それぞれの音が、重なり合う。歌、唄、詩――

 西欧の大空に、幾人もの心の音が重なり合う。

 未だ、ソレは統制の執れない楽曲。何時か、それも一つになって、壮大な音楽を奏でる日が来るのかも知れない。

 

 ――そんな、夏の一幕――

 




実は誕生日の話、割と実話です。
少なくとも実家は誕生日にもクリスマスにも祝い事はしません(質素だったわけではない)。
そして婆様は五十鈴祖母のモデルで、実際に自分の誕生日にケーキとか買って、みんなに振舞ってました。毎年です。そういう物だと思ってました。

『小学校高学年になるまでは』

……いや、なんかそれが当たり前すぎて、誕生日もクリスマスもなんで嬉しそうなのかさっぱり理解出来ない子供でしたよ。
おかげで、逆に今の仕事に不満が全くないわけで(誕生日だろうがクリスマスだろうがどんな祝日だろうが仕事です)

つーわけで、なんの脈絡もなく「誕生日は祝ってやる」話が出たわけではありません。「実話として存在し、丁度モデルたちの生きた時代にあった(であろう)こと」なんですよね。
自分的には不思議ではないんですが、不思議に思う人も多いだろうと思いまして…
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