大空に啼く(ソラ ニ ナク)   作:源十郎

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なんかスト魔女3期がどうとか……

やべぇ、全然終わらないよこの話。


4話

 薄暗い部屋。真夏の昼間の例に漏れず、”こんな場所“であっても、肌に触れる空気はじっとしていても汗ばんでくるほどに暑い。

 それを差し引いたとしても、“こんな場所”は薄ら寒い。

 五感に訴える暑さ。それと対比するように、精神に伸し掛る重圧が、エネルギーとしての熱量を奪い取って――精神的に寒い思いをさせるのだ。

 部屋には三人の男女が。二人は壮年の男性。相対すように一人の女性。

 女性の名は、ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ。今最も重圧を受けている者の名だ。

 男性の内の一人、トレヴァー・マロニーは言う。

「それで? “積荷の一つ”の戦果はどうかね?」

 明らかな挑発。それと分かるように、態とらしい尻を上げた口調で問う。

 挑発と言うのは、立場がはっきりしているほど、状況が有利である程効果が高い。格下が挑発し、格上が挑発に乗ることはあっても、早々過敏に反応しないものだ。程度も同様。例え確信を突くようなモノであれ、激昂には中々に至らないものだ。その観点から言えば、挑発に直様過敏に反応するのは低脳とさえ言える。

「さぁ? 積荷、と言われましても、何分数も多く、一体どれを指しているのか返答に困ります」

 果たしてミーナは、と言えば、確かに言葉に思うことがあるのかもしれない。ぴくり、と背中に腕組みした手は多少なりとも動きはしたが、その表情は傍目には微動だにしていないように見える。

「ふん。扶桑の役に立つとも限らん、限定用途の欠陥ストライカーと、その装者のことだ」

 その様子に、詰まらなそうに鼻を鳴らし、流し見ることで自身の立場が上である、と意思表示するマロニー。

 マロニーに限らず、軍に居る者にとって、隊列を作さずに単騎運用が前提になる専用機など、欠陥品と言っていい。改修して多目的に使える訳でもない、ワンオフ紛いの“使い捨て”だ。偵察など、高速機に任せればいい。態々生産ラインを割いてまで、汎用性低い機体を作る意図が分からない。特化するのも良いだろう、偵察は重要だ。だが、使い回しが出来ない限定用途で且つ、部品の共有化による生産性の効率化も得られない。単騎運用となると撃墜率も高いだろう。それでは只の“使い捨て”と同義であり、扶桑以外に偵察専用機を作る意欲が無い理由でもある。

「それは先に送った報告書にある通りです。彼女は着任前の戦闘で負傷、現在療養中です、と」

 ――故に、そもそもの“限定用途”すら熟す前に負傷した、では話にならないのだ。戦争は過程ではない、結果が全てなのだから。

 尤も、本気で限定用途とは思っていないが、スペック上では多用途とするには中途半端なのだ。速力と上昇能力に秀でていて、航続距離が超大な“だけ”。ペイロードも旋回性能も低い。積載力が低いのだから爆撃も苦手、旋回が不得手では格闘戦も苦手。精々一撃離脱の先鋒くらいがいいところ。最初の一手で決められなければ、あとは逃げるだけ。結局のところ、偵察が主任務である、と答えが落ち着く。百偵が偵察機である事実は変わらぬが、偵察しか出来ない訳でもない。装備次第では普通に戦闘も出来るが、逆に言えば普通の戦闘主眼の機体でも偵察が出来るのだから今現状での百偵の評価実績は低い。

 事実、扶桑皇国以外には偵察用に生産ラインなど設けない。同じような海洋国家のブリタニアでも、だ。これにはワケがあるのだが、扶桑皇国でなければ分からないだろう。激戦地域から遠く離れ、迎撃ではなく、攻勢に至るためには敵地の情報が欲しいからだと。眼前に敵地と敵性体が迫る欧州と、その立場が違う故に。

「そんなことは分かっておる。だが、時間は無限では無いのだ。その程度で使い物にならぬと言うなら、檻にでも入れて扶桑に返してしまえ」

「お言葉ですが、彼女を“モノ”と言う様な発言は謹んで頂きたく――」

 流石にミーナも続く暴言には腹に据えかねるモノがあった。声色は落ち着いたソレだが、幾分硬い表情と、はっきりと物言う言葉に顕われている。度を超え、人間性を蔑ろにした様な発言には怒りも覚える。ましてや生死を共にする戦友、同じ基地の“仲間”に対する侮蔑の言葉だ。故意に戦線に投入せよと投げかけた挑発ではなく、ただ忌々しげに吐き出された礼節に欠く言葉の謗り。ミーナにとってそれは耐え難いものだった。

「――二人共落ち着き給え」

 額の汗を拭いながら、周囲の空気より熱く熱を持ち始めた口論に割り込む声。三人のうちの一人、現ブリタニア首相のチャーチルだった。

「ミーナ中佐。私たちは結果さえ出してもらえれば、それでいいのだ。かと言って行き勇で早計な行動からブリタニアを危険に晒す訳にもいかん。しかし、時間も資材も、人材も金銭も――それほど余裕があるわけでもない。

 私個人としては、501は良くやっていると思う。だが、目に見えた形での成果が欲しいのも事実。

 件の少尉、回復はどれほどかかるのかね?」

「はっ、当人自身の回復は問題のないレベルであります。ユニットの方も、修理、改修も今朝の時点でほぼ完了との報告でしたので、調整を含めても一両日中に終わる見込みです」

「ほう? 報告での予定より幾分早いな」

「部下が優秀ですので」

 実際のところは、今朝の時点では完了していると報告を受けていた。だが、マロニーがそれを受けて即刻の任務復帰を強要する恐れがあった。調整も完了しているが、新型換装を盾にすれば“一両日”の時間を捩じ込むのも無理ではない。せっかく復調した部下に、早々無理をさせるつもりはない。黒岩は自身はリーネ同様、実際には直属の部下――とするには些か事情が異なるが……それでも、だ。

「ふん。ならば、早急に任務に復帰してもらいたいものだな」

 その黒岩の所属がリーネと同じブリタニアなら、恐らくマロニーもここまでの発言はしなかったのかも知れない。

マロニーは権力志向の人間ではない。目的を達するが為に、権力が必要だったタイプだ。その目的も、あくまで自国繁栄の為で、あまり良くない噂がある人物だが権力に胡座を掻くような為人をしていない。

 だからこそ、黒岩のような他国民の活躍は目障りなのだろう。しかし、役立たずと言外に匂わせておきながらも、直接的に妨害に出ないのは、やはりなんだかんだと言っても全体を見通して、国益を取るより目前の驚異を払う為に必要と分っているからだ。

「では、下がりたまえ。中佐、次回は良い報告を期待しているよ」

「はっ、では、失礼します」

 敬礼、退室。重苦しい分厚い扉を背に、重苦しい空気から解放されたミーナは、盛大に重苦しい溜息を吐くのだった。

 ――夜間哨戒組が、ネウロイと交戦する日、宮藤とサーニャの誕生日の日中の出来事である。

 

 

 

「中佐? 少しお疲れ気味のようですが……」

 その声にはっとするミーナ。いつの間にか耽っていた回想から現実に戻る思考。急速に裡から外へ向いていく意識。視界に映っていても、認識できなかったその声の主を漸く知覚する。

「あら……ごめんなさいね、ペリーヌさん。少し、物思いに耽ってしまっていたわ」

 ミーナは内心、ペリーヌが積極的に話しかけるとは思っていなかった。どこか自分に対し、一歩引いた感じがしていたからだ。尤も、坂本以外には似た様なものではあったが。

 そこかしこから笑い声が聞こえる。それもそうだ、501のウィッチ全てが此処に居る。

 12人も一つの場に居て、しかも祝いの席だ。笑い声の一つもなければ、「宮藤・サーニャの誕生会」などと言う催しごとを認可した意味がない。

 皆気の良い人ばかりで、祝いの席をを盛り上げるのに否定的な人間など居やしないだろう。ましてや戦中。何時果てるとも分からぬ戰場で、目出度く歳を一つ増やせることは平時よりも貴重なのだ。「無駄なこと」と言う者がいるとしたら、人の命を何とも思っていない輩だろう。余程切羽詰っていても、精々「慎ましくやれ」がいいところ。催し自体を却下する者は少ないと思いたい。そうでなければ、皆「人で無し」となってしまう。

 ひとつのチーム、その中の二人も同時に誕生日を迎えたのだ、一チームの小さな集団が、多少羽目を外して楽しんでもいいだろう。ネウロイ出現の予測は当てにならなくなってきたが、それでも撃破から数時間しか経っていないし、有事になれば直ぐにでも出撃は出来るようにはしている。

 ――と建前は良いとして、純粋に仲間を祝いたいと言ってきた部下を蔑ろにする気は更々無いミーナは、この誕生会を許可し、自身も楽しんでいた。所詮、建前なんぞ後付けだ。

 ふと、隣を見ると、黙って飲み物を煽りながらも、視線をこちらに向けている坂本が見える。何となく気遣わしげに見える。大丈夫か、と問うように見えたのは気のせいではないだろう。深刻な時は直ぐさまにでも声を掛ける坂本だが、原因が分かっていること、解決方法が明確で、自身が関わらずとも自と解決することには一切手を貸さない。それでいながら、遠くで近くで――そっと見守るのだ。そういった所が、どこか父親じみた雰囲気に拍車を掛けている。

 今回も、いつもの軍部のアレコレなので、坂本も追及する姿勢は取らない。しかし、こうして傍らで寄り添ってくれるのが嬉しくもある。

 そう思うと、自然と微笑みが零れてしまうのは当然だろう。その笑に意味を乗せるなら――そう、「わたしは大丈夫」、と。

 それを見て、坂本も「そうか」と笑みを返す。こうして言葉にしなくとも、意思の疎通が出来ている感じがすると、どこか心が温かく感じるのだ。少なくとも、ミーナにとってはそうだった。

 そんな二人を見るペリーヌの内面は荒れていた。一歩間違えれば崇拝の対象ともとれる、その坂本への態度、それを見てきた者達なら――何となく今のペリーヌの心境が読み取れただろう。

 酷く悔しげな顔。嫉妬、と言ってもいい。ミーナの立ち位置が自分なら、そんなふうに考えているのかもしれない。

 どこか切り離されたセカイの住人を眺めているように、触れられず、声も届かない檻篭の外の住人は、小さなそのセカイに入っていけないものだ。もしかしたら、逆にペリーヌが小さな篭の小人で、外のセカイに出て行けないのかもしれない。どちらにせよ、二人のセカイに入り込めない、そんなふうにペリーヌは感じてしまっていた。

 それは悔しいし、己が情けなく惨めに思えてくる。“立場”と言うモノが双肩に乗って生まれてきたペリーヌは、“立場”故に己を自ら縛ることが多い。もし、この場の三人とも、同じ“立場”であれば、また違った展開になっていただろう。

 しかし、たらればでしかなく、現実はこうして“立場”が邪魔をする。

 どんなにペリーヌが想おうと、上官に翻意と思われるようなことは出来やしない。きっと二人なら笑って許してくれるだろうとは分かっていても、やはりどこかで自分を律してしまうのだ。それは美徳でもあり――損な部分でもある。

 ただミーナと同じように、坂本と共に在りたいと願っているだけ。それが傍目には空回りで、大袈裟に見えてしまうのが、損なペリーヌの性格とその環境のせいだった。坂本が絡むと盲目的で、視野が狭くなりがち。その坂本は「皆公平に」と“分け隔てが無い”が故に、ペリーヌの気持ちに気が付かない。一番公私ともに近しいのがミーナで、二人は上官。一人歯がゆい思いをするのはペリーヌ。

 傍から見れば、そんなペリーヌが面白いネタの対象になっているのは、あまりにも憐れである。最近では宮藤も混じり、更に場が混沌とし始めているが、やはり余人には面白可笑しい旨いネタ、だ。ペリーヌ本人にバレたら憤慨間違いなしだが。

『分かり合っている』二人を眼中に収めるのも、そろそろ限界とばかりに視線を外す。意図してか、無意識かはペリーヌ本人にも定かではないが。

 ともあれ、そんなペリーヌの視界に収まるのは、皆に祝福を受けている主賓二人。宮藤とサーニャだ。

 普段は接点の無いサーニャ。物静かで、存在感に乏しい人物。宮藤は坂本と妙に親しげで、ついこの間まで赤の他人と思えないほどだ。501創設以前から坂本と知り合ってるミーナならまだしも、自分どころかどの隊員よりも真新しい人間関係にもかかわらず、誰よりも親しげなのが――正直、気に入らない。ペリーヌにとって――自覚の有無は別として――宮藤は最大のライバルだった。

 しかし、主賓二人の誕生日故に、さすがのペリーヌも接点がなくとも、ライバルであろうとその生誕の日を祝うのは吝かではない。二人の誕生会に出席したことに対し、驚いた顔をした人物が複数いたのはペリーヌにとって心外だったが。

 次いで、テーブルに並べられた料理を見る。

 国際色豊かな、良い意味で混沌とした国籍多様な料理。舌の肥えたペリーヌでも、物珍しさに少々箸が進んだのは内緒だ。

 主な料理は相変わらずリーネが調理していた。ブリタニアは料理がマズイ、と言われる傾向があるが、全てが粗雑な料理と言う訳でもない。事実、リーネは「軍人と言うよりコック」と言われれば納得しそうなくらいに料理が上手い。多国籍軍な501故に、それぞれの国の料理に付いて聞くことはできる。作れるかは関係ない、アイデアが貰えるかが重要だ。真面目なリーネはそう言ったところにも勤勉さが出るのか、他所の国の料理も多少心得がある。完全に同じものとはいかないのだろうが、それ相応には作れるあたり、自分で調べるなり教わったりしているのは間違いない。

 こと、最近は扶桑料理が多い。新人の宮藤、そして黒岩が得意なのが原因だろう。特に宮藤とは仲が良く、共に調理場に立つのが目に付く。

 こうしてみれば、テーブルの料理も二割くらいが扶桑料理なのが目に付く。宮藤は主賓なので、必然的にリーネか黒岩のどちらかが料理人なのは明白だ。他の者は大半が料理が不得意なのは既存の事実。例外が居るかもしれないが、どの道扶桑料理は作れないだろう。

 その扶桑料理のうち、色合いがシンプルで、少々辛味の強いものが幾つかある。黒岩が来るまで宮藤も作らなかった料理なので、自と料理人が知れるというものだ。

 赤白い細切りの野菜料理、緑の葉菜料理、恐らく魚のものであるだろう肉のフリッター……地味だ。物凄く、地味だ。赤いものは兎も角、他は見た目に反して辛い。魚のフリッターは、切り身にしては妙に大きいし肉質が独特だ。一体何の魚なのか……。

「なんだ、ペリーヌ。小難しい顔をして」

 不思議な扶桑料理を前に、考え込んでしまうペリーヌに声をかけたのは坂本だ。

 普段なら小躍りしそうな雰囲気で返事をするペリーヌも、この時は謎料理に頭がいっぱいだった。

「少佐……。少佐は、この料理を知ってますの?」

「ふむ。料理についてはそれほど詳しくないが、大体分かる」

 ペリーヌの質問に対し、坂本も分かる範囲で答えた。

 一つ、辛子大根。二つ、葉菜の辛子和え。三つ、何かの紫蘇揚げ。後になる程、不鮮明になる答は、妙な得体の知れなさを過剰演出する。“何か”と言う不明瞭なモノを差す言葉で、口にするものを表すとロクな事にならない。知らず知らず腹と口元に手を添えるペリーヌに非はない。

「まぁ、美味ければなんでもいいがな。はっはっは!」

 豪快に笑い飛ばす坂本に、さすがのペリーヌも些か呆れた顔つきになるが、確かに今更ではあるし黒岩も本当に得体の知れないモノを食わす訳でもない。溜息一つで忘れることにする。

 そこへ何やら盆を抱えた件の人物、黒岩が通りかかった。

「少佐、中尉。お一つどうですか」

 いつもの淡々とした口調で、その盆に載せられた品物を差し出す。

 鼈甲色の丸みを帯びた菱のような容。薄らと中に黒い珠のような何かが見える。

 香りはそれほどせず、やや甘い匂いがするが、欧州では嗅いだことがない不思議な香り。いや、少しは似たような香りもあった気がするが、何かまで思い至らない。どの道、嗅ぎ慣れないことに違いはなかった。

「ん? 饅頭か何かか?」

 同じ扶桑人の坂本も分からない。饅頭はペリーヌも知っている、扶桑のお菓子であると。丸い形のものしか知らないが、坂本もそうなのだろうか……そう思いながら、ソレを見る。

「饅頭に近いですが、実は私も正確な名前を知らないんです。柚菱だったか、そんな名前でした」

「名前を知らない? その割にはちゃんと出来ている気がするが……」

 坂本にしても、ペリーヌにしても、見た目に綺麗に出来ているし、祝いの場に試作品擬いを作らないだろうとは思っていた。失礼とは思うが、黒岩がそういったチャレンジ精神旺盛な人間とは思えない。ましてやそれの試食に上官を使うとも思えない。

「私としても、なかなかに本物に近いものが出来たと思っています」

「……ということは、試作品ですの?」

「いえ、実は――」

 ――そうして語り始める黒岩。仮称柚菱は何やら黒岩の地元近くの茶菓子らしい。らしいと言うのも、黒岩自身が親戚の祝い事に呼ばれた際に口にする程度。高級菓子か? と問われればそうでもないが、特定の場所でしか購入が出来ないそうだ。

 名産品と言うには知名度が低く、一地域にすら広まらない。しかし――

「――妹たちが非常に気に入ってまして」

 普段甘いものを食べない黒岩にしても、そのお菓子は興味をそそられた。美味い、というのもあったが、何となく味付けがどういったモノか理解すると、興味深かったのだ。

「ふむ? 美味いな。……しかし、不思議な味わいだ」

「そうですわね。さくっとした切り口にして、弾力のある食感……中は甘いのに、いえ、外も甘い? ん?」

「中は普通の餡だが……はて」

ふむふむ、頷きながらも美味そうに食す坂本と、小首を捻りつつ考え込むペリーヌ。

 ペリーヌの言葉と様子に、黒岩も思うところがあった。そう、この茶菓子の魅力は、餡を包む皮にあった。料理に自身のアレンジなど加えない黒岩。だが、一度興味をそそられるとどうにもそれを知りたくなってしまう。研究者気質な黒岩のそんな琴線に何気なく触れてしまったのだった。

 我に返って何をしているのだ、と思う頃には皮の方の研究はあらかた終わっており、必要な時以外に調理場に立たない黒岩の様子に、困惑した上の妹が固唾を飲んで見守っていたのは――黒岩にしても些か予想外の出来事であった。

 料理をしている黒岩を珍しがって弟が試食を買って出ると、普通の粒あん――本来はこし餡」――にて急造の試作品を作る。それなりに上手くできたのか、弟が「あれだ! あの味!」と騒ぐと妹も興味に負け、食し――気に入ってしまった。もう作らない、と言うと弟は兎も角、普段自己主張しない上の妹ですら猛反発。それ以来、時折作っては改良している、ある意味黒岩スペシャルとも言える茶菓子だった。

 これを共に作ったリーネに言わせると、「えっ? そんなの入れて塩っぱくないんですか!?」と酷く驚かれた。それは驚くだろう、黒岩自身も、食べた時に「おそらくこれが使われている」と思い、驚いたからこその今なのだから。

「となると、名前が分からないのが痛いな」

「そうですか? 私自身はこれしか菓子が作れないので構いませんが」

 そう、黒岩は菓子を作れない。そもそも、これが例外で、基本的に”作らない”。

農家故に稲作の傍ら、田圃のある山間には斜面と水路にに沿って色々と野菜なども育てている。勝手に身を拵える栗、柿を別にすれば、比較的平らな面を耕し、畑として葱や白菜、芋なども作っている。

 父親と共することの多かった黒岩は、家裁よりも稲作などの肉体労働が多い。そこで父に習っては、近場の水源で洗った瑞々しい生の食材をその場で食していたりする。勿論調理法などはある程度母親からも習ってはいるが、労働の合間に小腹を満たすのは、決まってそう言った生の野菜など。精々焼ければいい、芋の芽は毒、程度の気持ちでしかない。

 そんな黒岩が料理に傾ける情熱もなければ、「生に付けるなら辛子か味噌」のような男のような大雑把な志向になれば――自ずと知れよう。なにせ、黒岩の甘いもの感で言えば、「衣に包んで熱した玉葱」がすぐ浮かぶ程。精々団子に餡子、その程度である。

 料理は些か辛味が強かったり、さっぱりしたものを好んで覚えた。多少手の込んだものもあるが、作業工程自体は少ないものが多い。練り合わせて焼いたりする菓子など早々に覚えようとしなかった。団子など食すには易いが、餅も餡子も大量に作る気もなければ論外だ。

 件の仮称柚菱だが、見た目の色合いは焼き菓子に見える。その実、生菓子の類だった。餅のような弾力があるが、張力はそれほどではなく意外とさっくりした切口。うどん等の麺類に近いかもしれないその食感。餅と汁の付いてないうどんの中間か。麺と菓子ではあまりに在り方が違うので、何とも奇妙さが前に出てしまうが、逆に言えば黒岩にして興味をそそられる奇妙さがあるのだろう。

 見た目は形が独特なこと以外はシンプルで、形自体も餃子の口が円の二つ折な所を三方から中心に織り込んだような形。変わってるな、とは思いこそすれ、大仰で奇抜な造形をしているわけではない。金平糖のほうが余程奇妙だ。

 本物はどうか分からないが、黒岩のモノは中の餡も普通のモノ。精々こし餡が合うな、程度で特に拘りもない。結局のところ、皮以外に何かある訳でもなかった。

 珍しい事を除けば、実は至ってシンプルなのだ。実家に帰れば、採れたての玉葱を輪切りにして、すり胡麻と醤油などで作った調味料を少量付けておかずにするくらいに、手間は掛けない。そんな黒岩がほかの菓子を作れるわけがなかった。

「私は、もっとお料理上手な方かと……」

「?」

 よって、ペリーヌの勘違いのように、「意外と料理できる」程度の黒岩を誤解する者が居たりする。この場にいる者以外の501メンバーは、大凡が勘違いしていることだが、黒岩は未だにそれに気が付いていない。

「あらあら。三人で楽しそうにしていないで、私も仲間に入れてもらえないかしら?」

 そんな三人に横合いから声が掛かる。茶目っ気を含ませ、からかい半分に話しかけてくるのはミーナだった。

「はっはっは。すまんすまん。私たちだけで盛り上がってしまって」

「ほんとう、私だって少しは寂しい思いしていたんですからね?」

 全然すまなそうに豪快に笑う坂本。寂しそうには見えない悪戯っ子のようなミーナ。

 言葉と態度がちぐはぐなのに、何故かそれを楽しんで、喜んでいる二人。はっはっは、くすくす。そうやって互いを笑い合う。失点に嗤うでもなく、滑稽さを呵うでもなく。これより共に楽しむ為に笑い、心に満る喜色が咲う。一頻り笑って、互を見詰めれば、短い吐息と微笑みがそこに。番鳥のように飛ぶも一緒、とばかりに特別な何かが必要でもなく、共に何かを共有出来る事を嬉しむ。

ミーナはこの見えなくてもどこかで繋がってるような、ちょっとした事でもそんな絆を感じている。カールスラントから共に居る二人とはちょっと違った、自分にとても近しい距離に坂本が居ることに喜びを感じる。

 そんな坂本、ミーナの二人とは違い、ペリーヌはまたしても要らぬ疎外感を受けて面白くない。坂本は特別誰かを優遇するようなこともせず、皆平等と公平に見ているのは知っている。だが、時折こうして違った「何か」を見てしまうと心が苦しくなる。おそらく、本当に、坂本は誰しもに公平であるのだろう。ミーナにも、ペリーヌにも、黒岩にも公平だ。優劣もなく、ただ、時間の長さや距離感と“当量に付き合って”いる。つまり、それだけに、差を感じると言うことは、等しくその差分の時間と距離がそこに横たわっているのだ。

 そう思うと、坂本の一番で在りたい、そう願うペリーヌにとって、距離感の差異にはコンプレックスを抱いてしまうのも仕方ないだろう。

 ふと、同じように二人のやり取りを見ているだろう黒岩に目を移すペリーヌ。内心複雑な感情を以ての興味の対象――これもまた、コンプレックスである、と言うべきか――そんな彼女の様子を盗み見る。その表情は――困惑。

 ただ“困惑”と言っても、“どれ”に対して困り、惑っているのか。そんな内面までは読み取れない。それもそうだろう、ペリーヌは黒岩を“知らない”のだから。

 表面的なソレではなく、内面的なソレ。識るべきは名前や生い立ちではない、趣向や性癖などの目に見え難い、ヒトの個性を成り立たせるモノ。勝手に苦手意識を持って、勝手に当たり散らして――そうして黒岩と言う個を知ろうとする事を、どこかで放棄していた。そんな時に出会ったのだ。まるで自分とは違い、黒岩を気にかける友人であろう人物、東海林に。

 まだ友人と呼べるかは、ペリーヌにもよく分からないが、それほど嫌悪感は湧かないし、何より――優しく暖かい、カモミールの思い出を思い起こさせる出会いは、件の人物を嫌いになれない出来事だ。

 だからこそ、ペリーヌの黒岩に対する感情は、酷く絡まりあった複雑なものになってしまったのだが。

 ペリーヌに自覚は無いが、確かに黒岩に対する興味はある。知りたい、そう無意識下による行動が、困惑の表情をした黒岩を眺める結果になったのだった。

 

 

 

 

 黒岩の目には不思議な光景が映っていた。

 他者の生誕を祝い、それに対して自身も喜び、楽しむ多数の人間。

 大多数の人間が、普遍と認知していても、黒岩五十鈴にとっては不思議な光景だったのだ。

 そんな不思議な光景は、必ずしも初めてではなかったが、その輪に自身も入っている、となるとそれは初めての経験だった。

 他者の誕生日どころか、自身の誕生日ですら、年を数える目安にしか思っていなかったし、それを嬉しいと思う気持ちなど未だかつて感じたことすらなかった。

 場の中心ほど、楽しく笑う声と顔に満ち溢れて、みんながみんな楽しそうだ。

 中でも主賓の二人、サーニャと宮藤は本当に嬉しそうだった。

 未だに自身の誕生日に大勢で祝われたことなどない黒岩には、自分が宮藤やサーニャの位置にいた場合を想像しても、何が嬉しいのか理解に苦しむ。

 だが、そんな宮藤とサーニャ――どちらかと言えば(かなり)サーニャ寄りだが――に「おめでとな」と頻りに言葉を送るエイラを見ると、少しばかり思うこともある。

エイラもまた、主賓の二人同様に、本当に嬉しそうにしていた。

 自分が祝われるのは理解できずとも、他者を祝うのは何となく理解できそうだ。

 他者といっても、それほど交友関係が広くない黒岩。サーニャや宮藤の位置に、それぞれ違う人物を想像してみる。

 一番初めに浮かんだのは、このところ頻繁に思考によぎる家族――その中でも上の妹だった。

 きっかけは些細なことだったが、我武者羅に“大空(うえ)”だけを見てきた黒岩が、今まで蔑ろにしてきてしまったような気がして、可哀想に思うと同時に、急に今まで感じなかった寂しさを覚えた。それでもやっぱり大空(そら)を見続けるし、頂こうと足掻き続けるのだ。哀も寂も、大木のように大きく育った憬れに隠れ、小さく芽吹いた小さな種のようなものだ。

 それでも、小さく芽吹いた以上、それは確かに存在する。ふと、見下ろせば懸命に育たんと、大きく伸びをする。それを己のエゴで消そうとするには、躊躇いを持つほどに黒岩に訴え掛ける何かがあった。

 余分を持つほどに心にも身体、魔法力にも余力がない黒岩。そんな黒岩が大空だけを見て生きるのは、至極当然のことだった。栄誉も何も要らない。ただ、己が満足するまで大空を夢見て、大空の彼方を目指して。

 他者にしてみれば、酷く馬鹿げた事。他を蔑ろにしてまで、ただ一つに固執する生き様なんぞ、理解しろというのが無理な話なのだ。ましてや戦中に於いて、だ。

 だからという訳ではないが、そんな黒岩の心に、小さな確固たる存在を樹立させたソレは、誰しもが持つべき心であって尚、その存在は異彩を放つ。

 それが明確に黒岩の目標の邪魔をしたなら、こんなことにはならないだろう。自分の意識下に何が起きてるか、それを黒岩は知覚できない。しかし、現に彼女は他者に違う何かを重ねてみている。それだけ願望、または――

「よっ! なーにこんなとこで小難しい顔してんのさっ!」

 肩に回した腕で、黒岩を胸元に引きずり込みながら、裡に埋没した黒宮を無理やり引っ張り上げる人物が居た。シャーロット・イェーガー大尉(実は昇格してたらしい。本人が知らぬ間に昇格してたらしいが――軍か本人か、“どちら”が忘れてたのか、と)だった。

 黒岩自身は、こう言った強引な絡みはあまり好きではないが、東海林と言う身近な人物がいる為――遺憾であるが――慣れていた。多少不愉快な思いをした、程度で済んだのは、黒岩の成長と取るべきか、東海林を偉大と称えるべきか。

 人の良い笑顔で豪快に笑う様は、坂本とは違うが、親しみと魅力に溢れている。黒岩にして憎めない、と思わせるのだから、その人好きのする大らかさはそれだけで多民族集合体の501に欠かせないと言えた。

「こんなとこで寂しそうにすんなよ! 気になるんなら一緒に楽しめばいいじゃないか」

 余計なお世話。そう言葉にしそうになって、危うく押し止めるに成功する黒岩。口調がラフなので、上官だと言うのも忘れて素で返すところだった。

 確かに、エイラの様子を見ていると、とても楽しそうだった。だが、だからこそ、黒岩本人は酷く場違いな気がしていたのだ。

 親しい者と共に享楽に耽る様すら思い浮かべない。そんな黒岩が、他者を祝う催しに参加するのですら希だ。皆で興じている中で、自分はどこまでも異質だ、と。

 元より、“たのしむ”と云う心が、“そら”に支配されている黒岩。

 他者が“たのしい”と思う気持ちに、終ぞ理解が及ばぬのは、黒岩自身、どこかそういった事を理解することを諦めているからだった。いや、諦めではなく、“切り捨てて”いるのかもしれない。

 たった一つのことに全てを注ぎ込む情熱がある。だが、その情熱はあまりに熱く、他を溶かしてしまう程に危険なモノだった。ただそれだけ。それだけで――他が入り込む余地はなくなってしまった。

 故に、黒岩は意識の有無を問わず、催し事に積極性はなく、居ても一人になることが多い。

「それとも、あたしとバースデーソングでも歌うかい?」

 バースデーソング、と言われても、そもそもが誕生日を祝ったことすらない黒岩だ。なんのことか付いて行けない。

「シャーリー! 飲み物持ってきたよー」

 そんな傍から見たら「酔っ払い上司と絡まれた部下」な二人に近付く者が居た。

 ルッキーニである。

「おっ、サンキュー! 気が利くなールッキーニ」

「でしょでしょ!? 褒めて褒めてー」

「おおう。愛いやつ愛いやつ~」

 母親に甘えるが如く、ルッキーニがシャーリーに擦り寄る。そんなルッキーニの頭を手馴れた様子で撫でるシャーリー。似てるところは見た目にあまり無いが、仲むずまじい様は、どう見ても母娘か姉妹か。年齢的には姉妹だが、雰囲気的には母娘で通じそうだ。

 そんなルッキーニとシャーリーを見る黒岩の内心は――酷くざわついていた。

 ほんの少し前まで、妹の事を考えていた。バルクホルン達との出来事で、どうにも不憫な思いをさせてしまったのではないか、という罪悪感。それと同時に、芽生えた愛でる心。二つがせめぎ合う内面は、“大空(ソラ)”を映した湖面に小さな波紋を広げている。

 今まで見えてなかった周囲。“大空(ウエ)”ばかりで、隣に立つ者など気にも止めてなかった。きっと、上を見る視線を隣に移せば、そこにも二人と同じような笑顔が待っていたのかもしてれない。ちょっとしたことで笑い合い、喧嘩も、仲直りも――

 思えば、住み分けた壁のように、何か不文律のように――距離感、遠慮。勿論黒岩のではない、妹の方だ。そう、どこか遠慮している。そう思う。

 多方、「姉の邪魔はしたくない」と云ったところか。実際にどうか分からないが、間違ってもいない気がする。どちらにしろ、“今更”黒岩が気付いたところで後の祭り、他者から見れば妹を蔑ろにしている姉に違いあるまい。互いに口数が少ない質だが、弟はそんな姉を慕ってすらいるのだから、言い訳にもなるまい。

『あ、そうか――“理想”、なんだ……』

 大空を見上げた時の、悠然と舞う鳥達。その遥か上空を舞う魔女達――

 そう言った羨望を抱く対象。“羨ましい”と思う気持ちとは、則ちソレが理想のカタチで或るに他ならない。

 サーニャとエイラ。ルッキーニとシャーリー。

 国も人種も違うが、どことなくその在り方が――“羨ましい”。

 そう、だから、大空で埋め尽くされた心の湖に、小さくとも震える波紋が立つのだろう。カタチは違えど、心に何かしらの影響を与えたのだから――

「どったの?」

 あまり良くない思考に埋もれた黒岩を引き上げる声。下唇を指先で押し入れるように啄きながら、ルッキーニが上目遣いで見上げていた。

「あ、いや、なんでもない」

 咄嗟に出てきた言葉は、やはりぶっきらぼうで。少しばかり言葉が足りなかったような気持ちになるも、過ぎたことと訂正する気もなくなる。ルッキーニの方も首を傾げるだけで、気分を害した風でも無いのが後押ししているのだろう。

「なんだ~そんな言い方もないだろう? ルッキーニも心配で声かけたんだしさ~」

 そこへすかさずシャーリーが言及する。傾げたルッキーニの肩に顎を乗せて、背後から回した手で、その頭を撫でながら。

怒る、とまでは言わないが、大人気ないぞ、と言外に目線が物語っていた。

「あ、その……ごめんなさい」

 己は優れていない、という感覚故、どこか目上には逆らわない黒岩。荒波を立てたくはないのは、大空の為。能力に恵まれなくとも、翔びたいと云う願いの為。出来る限り、自身に有利な条件を得たい為。そう言った思惑から、謙った態度で今まで来た。

 劣等感ではない。投げ捨てれる程にプライドなんて無い。

 人によっては、酷くつまらない生き様かも知れない。実際には、たった一つのことに全てを投げ売ったような、酷く歪な生き様なのだが。

 そんな黒岩の内面を知ってか知らずか、じっと見つめるシャーリー。幾分か、怪訝さを滲ませた顔は、何を思っているのか伺い知れない。

「んー? なんのことかワカンナイけど、ゆるしてしんぜよー」

「……ま、いっか」

 年齢と資質故に、狭いコミュニティでしか生活していないルッキーニと、信ずる“速さ(チカラ)”の為に、色んなところを渡って来たシャーリー。どこか対照的な二人だが、細かいことに拘らず、日々を邁進する姿は似通っていた。

 

 

 

 外装を外した剥き出しのエンジンと、外装(衣服)を脱いだシャーリー。

 互いに身軽になったのには訳がある。単純に暑いし、動作が楽だからだ。

 片や機械で、片やヒト。姿形には一点も似ている所などないが、共に速さに通ずる。

 

 速く、どこまでも速くと願い――

 速く、どこまでも速くと願われ――

 

 今日も今日とて、その一点を究めんと邁進する。

 だが、広い工場の中でも、外装と云う壁が取り外されたエンジンは、只でさえ自然界に存在しない爆音を撒き散らしているのに、抑えなど無いのだからその騷しさと言ったら“音が食われる”と形容しても良いほど。つまり、“ほかの音は聞こえない”、だ。

 シャーリー本人は良いだろう。趣味であるし、集中している。寧ろ、少しでも調子が狂えば音にも影響が出るのだ、ソレが明確に分かるように他の音など聞こえない方が良いに決まっている。

 だが、そうもいかないのが世の中。自らが良くても、他者が認めてくれなければならない場合もある。そう言う意味では、趣味に寛容な501ではあるが、全員が全員寛容とも言い難い。

 その急先鋒とも言えるのがペリーヌだった。本人がそう思っていてもいなくても、そう周りは見ている。勝手なことかもしれないが、事実、風当たりが一番強いのがそうなのだから仕方あるまい。

 そんなペリーヌが、このハンガーに来ることはあまりない。出撃なら兎も角、態々嫌味を垂れに来るような殊勝な性格はしていない。

 だが、事実、彼女はここに居た。

 事の発端は気紛れ。大凡彼女の習性として、用事がなければハンガーに来ないのは周知。気紛れで行動するような性格にも見えないし、ペリーヌ自身も、そんな余分を持つことはしない。正確には、そんな余分を持つ余裕がない。だから、余裕が少しでも生まれれば、気紛れにハンガーに来ることも有り得なくはない。

 そんな希な現象が、後日にとあるウィッチにて「槍が降る確率ってどのくらいでしたっけ?」と形容されるように、希少現象が起こっていた。勿論、言われた本人は大層ご立腹であったし、言った本人は無自覚に口を滑らせていたのは想像できよう。些か天然気味ではあったが、口は禍の元を体現しなくても良いだろうに、と思わざるを得ない。恐ろしいものだ。

 ――閑話休題。

 ペリーヌとて、「さあ、ハンガーに行きますわ!」と声高らかに、気紛れとは言え何の用事もなしに行きはしない。元よりハンガーが目的地ではない。

 本当は、昨日知り合った扶桑人に会いたいが為。正確には、その扶桑人が探していた物の進展を聞くためだ。

 そして、その扶桑人に会うには整備員詰所などの、整備員が立ち寄る場所が最適だった。

 問題は風紀上に有り、必要以上のウィッチとの接触を禁ずる――逆に言えば、ウィッチ側もそれ以外との接触に制限がある――ことにある。

 そうなれば根本的な問題として、そもそも整備員に会いに行くために態々“居そうな所”に赴くわけにも行かない。

 ハンガーも例には漏れないが、そもそもハンガーないし滑走路は、整備員のみならずウィッチ隊にも要所になる。自身のユニットがあるのだ、ウィッチが近付かない意味はない。

「様子を見に来た」とでも言えば、十分な理由になる。

 そんな建前を頭に浮かべ来てはみたが、早くもペリーヌは後悔していた。

 どちらにしろ、規則に抵触するような行動をして、さらには言い訳がましいことすら考えてしまったのだ、彼女の性格にしてみれば、顔を覆いたくもなる。

 さらにはこの騒音。エンジンにもシャーリーにもそんなつもりがないだろうことは明白だが、残念でした、と煽っているように聞こえてしまう。

 それもこれも、相手がシャーリーであるのが大きい。ひいては常に一緒にいるルッキーニも。

 二人には良くからかわれており、険悪な関係ではないものの、何かと翻弄されっぱなしだ。

 空(うえ)での力量は、互いに認めるところがあるので、他人を馬鹿にしたような物言いも無いのが幸いであった。ただ、近所の友人と遊ぶような感覚なのだ、嘲る事もないし、邪険にしようところもない。

 積極的に関わるではないが、多方が向こうからの茶々入れ状態なので、こうも間の悪い場面で嫌な気分に追い討ちを掛けるような状況を作っているのがシャーリーなのだ、邪推してしまうのも致し方ない。只のめぐり合わせと知っていても、だ。

 頭(かぶり)を振って、気落ちした思考を振り払う。精神に根差したモノなど、物理的にどうこうなるものではないが、それもまた気分、だ。そうでもしなければ簡単に意識を切り替えるのも難しい。そうだろう、そもそもが普段とは違う行動、その理由からなのだ。

 そんな一人芝居のペリーヌに誰も気が付かないのは救いなのか。シャーリーは相も変わらずエンジンを回して悦に入っているし、視界の片隅では坂本とミーナが何やら話をしていた。

「って、坂本少佐!?」

 終ぞこの時までハンガーに二人がいることに気が付かず、何を思ったか反射的に近くのコンテナに隠れてしまうペリーヌ。

 どうして隠れているのかと自問して数秒。小さな咳払いを一つ、身嗜みを整えて自然に――あくまでペリーヌ視点では――コンテナの影から出てくる。

 場の騒音故に、近くまで来ても二人の会話は聞こえない。何やら困った表情のミーナと、口元を拳で隠すようにして真剣に物事を考えてる様子の坂本。

 もしや何やら重要な幹部間での会談か、とも考えるが、ハンガーと言う所属も階級も違う人間が出入りする場所でそれもないだろう。いっそ何か悩みに答えを返せるならば、と意気込みすらしながら更に近付く。

 微かに二人の声が聞こえるくらいに近付くと、坂本がペリーヌに気付く。丁度そんな時にシャーリーもエンジンを切ったようで、激しい騒音も、急速にその音量を下げていった。

「おお、ペリーヌ。ユニットの整備でもしに来たのか?」

「あら、ペリーヌさん。ごきげんよう」

 先程の真剣な顔を崩し、いつものように豪快に笑う坂本。如何にも貴婦人、と言った対応のミーナ。二人の様子は至って普通で、先程の様子は何だったのか、と思わせる。

「い、いいえ。私はその……た、ただの通りすがりですわ」

 別に隠すことではないだろうが、理由が理由だけに、少々躊躇ってしまい、どこか上擦った声で返してしまうペリーヌ。何より坂本を差し置いて、他の扶桑人に会いに来ました、と敬愛する坂本の前では言辛い。坂本は気にしなくても、ペリーヌ的には非常に気不味い。

「そ、それより、お二方ともどうなされたのです? 何やら真剣な相談事のようでしたが……」

「……うむ。ま、ペリーヌならいいか。実はな――」

 そうして語りだす坂本。それは黒岩についてだった。

 普通なら、それほど気にも留めていない事柄だ。ペリーヌも、他の隊員なら坂本の危惧するところも問題無いと一蹴するところ。

 ミーナが坂本に相談したのも、同じ扶桑人で軍属ゆえ。しかし、これが黒岩となると、坂本も答えに躊躇する。初めこそ「いつも通りで良いではないか、はっはっは」だったが、ミーナが呆れながらも詳しく話を進めれば、それが如何に難しい問題か察してしまう。

 ペリーヌも、話を聞いて頭を抱え込みそうになった。確かに自分では良い答えを見つけられそうに無い。同じ扶桑でも宮藤は無理だ。軍属では無かったし、未だに軍属になった意識もなさそうだった。

 扶桑独特で、軍属にしか分からず、かと言って坂本にも答えが見つからない事柄――

 三人で唸って考え込んでいるところに、第三者の声が聞こえた。

「よっ! アンタが言ってた通り、プラグギャップを狭くしてみたよ。今のところ失火も無いし、低回転でも高回転でも問題なさげだ」

 シャーリーの声だ。プラグというからにはエンジンのスパークプラグのことだろう。

 エンジン自体の能力が、そのまま速度につながる訳ではないが、単純に考えてエンジンパワーが高ければそれだけ早いのも事実。かと言ってプラグ自体にまで調整を加えるとなると、素人にはさっぱり分からない域になる。全くの素人ではないが、基本装者でしかないこの場にいるミーナ以下三名には既に意味不明な域に来ていた。

「お? 本当に? ネジ長調整しなくても大丈夫そうだね。失調してエンジン停止になるのはここだけにしとかないと。空中じゃ調整なんて出来やしない。自由落下中に調整出来て復調し直せたら、あたしはアンタを神と崇めるね」

 今度は違う声。シャーリーでなければ、誰か?

 ミーナとペリーヌは、その声に聞き覚えがあった。しかもここ最近。それこそ昨日今日と言った、極々最近のこと。

 振り返って、声のする方を見ると、シャーリーとツナギ姿の扶桑人が二人同じように腰に手をやって上体を逸らすようにして笑っていた。実に気分良さそうに。然りげ無く怖い事も言っていた気がするが、本人たちにとってはあくまで日常会話だったようだ。

「あれは……東海林さん?」

「知ってるのか? ミーナ」

「ええ。扶桑から来た、黒岩さんの百偵の専属整備員――だそうよ」

「ほう? アイツがそうだったのか。しかし、やけにシャーリーと仲がいいな」

 ペリーヌも昨日会ったばかり。シャーリーとて大して変わらないだろう。ウマが合うのか、それとも他の理由か。それは分からないが、旧来の友人と言わんばかりの雰囲気だった。

「いやー、でもマーリンはいいなぁ。液冷は扶桑じゃ開発遅れてるから、結構参考になったよ」

「そうなのか? じゃ、黒岩の……えっと、百偵、だっけ? あれってエンジン空冷なのか?」

「そ、空冷星型。いっそ、百偵にもマーリン積んじゃおっかねぇ」

 何やらエンジンについての話になってきていた。大凡、航空機に拘らず、動力の性能が全てと言っても過言ではない。

 偵察主眼の百偵なら、速度も重要だが、何よりも高高度性能と航続距離が重要だ。その点、シャーリーの駆るP-51Dに積んでいるエンジンは、非常にバランスよくまとまっていた。パワー(出力)も効率(排気量)も良い。無駄なくシリンダーに伝わる力が、呪符を高速回転させる、その音が心地よい。そんなマニアックな話だ。

 音云々は兎も角として、女二人の会話としては些か敷居が高い。色気でも食い気でも無い。物言わぬ機械に付いて熱く語る様は、どこか男の子のような印象すらある。

戦中故に、ユニット性能云々を語らうのは解らんでもないが、より細かくシリンダーがどうとか、エーテル吸気と排気効率がどうとか。機体の総合的なスペックと言うより、限界を究めんとするポテンシャルに重きを置いている会話。

 こうなってくると、内容が深いところに行き着くため、入り込む余地が無くなってくる。当然、所詮は使う側でしかない3人は置いてきぼりだった。むしろ、整備員と対等に会話できるシャーリーが可笑しい。伊達にユニットを弄りまわしてはいない、ということか。

『まったく……類は友を呼ぶ、と言いますか……』

 呆れに溜息一つ、ペリーヌは無意識に口から重い吐息を零す。

 昨日の進展を聞こうと思っていたが、これでは話し掛けづらい。幾ら百偵の専属とは言え、暇ではあるまいし、扶桑軍部に百偵に積むエンジンを勝手に変えたらどう報告するつもりなのやら――

『――お待ちなさい、百偵専属の、扶桑……軍属?』

 何かに思い至ったペリーヌ。一瞬の硬直、続いて視線を東海林に固定。

 そんな周りから見たら変な挙動をするのだ、知り合いでもあれば心配になっても不思議ではない。坂本が声を掛ける。

「どうした? ペリーヌ」

「もしかしたら……先程の問題のヒントを持ってる人物、見つけましたわ」

 ペリーヌの言葉に、思わず顔を見合わせる坂本とミーナだった。

 

 

 

 城の外廊下と見間違うような、501の日差しの良い一角。そこを二人の人物が並んで歩いていた。

 眼鏡に金髪、青を基調としたその衣装は、どこか気品すらある。

 言わずもがな、ペリーヌその人だ。

 もうひとりは黒髪を綺麗に切り揃えたセミロング。切れ長の目は、開いてるのか閉じてるのか判断に悩む糸目。ツナギ姿がペリーヌと対照的だった。

 こちらは東海林と言う変人だ。

 ぱっと見、とても接点があるように見えない二人。しかし、事実として、彼女たちの間に流れる雰囲気はとても穏やかで、仕方なく、といったところは見受けられない。

「先程は助かりましたわ。ミーナ隊長も喜んでいましたし」

 ペリーヌが微笑みながら、東海林に御礼を述べた。ヒントだけでも、と思いミーナ、坂本と共に悩まされた案件について聞いてみれば、東海林の発言から一足飛びに解決まで行ったのだ。素直に礼を述べるべきだ、と思ってのこと。

「いやいや、そいつはお互い様、ってところ。こっちも“コレ”のことは助かったし」

 ペリーヌの御礼に、此方こそと両手で抱くように抱えたスケッチを、“コレ”と軽く挙げながら返す東海林。

「しっかし、元々が軍基地じゃなかったとは言え、まさか書庫があるとはね」

「ええ、まぁ。出会った時にそのことに思い至らなかったのが、恥ずかしい限りですけれど」

 東海林の言う通り、元が軍基地じゃないのと、一見城のように見える程に派手な外観をしている501基地。良く良く見てみれば書庫もあったのだ。軍基地が後付けなら、先に置いてあったであろう諸本は、必然的に軍関連では無いものが多い。

 花に関する図鑑と言ったモノも、少なからず存在していた。

 月下香の細密画も調べてみればあっさり出てきたので、それが返ってペリーヌにとっては痛恨のミスに思えてしまい、申し訳なさに身を縮こませたくなる。

 そんなペリーヌを、身長差故に見下ろす形で、横目に見る東海林。数秒そうしていたが、早歩きでペリーヌの前に出て、相対するように向き直る。

 少し屈み込み、真顔で覗き込むように顔を寄せて。

 びくり、と一瞬身を縮ませるペリーヌ。糸目故に若干表情が読めないが為に、どうしていいか分からず見つめ合うこと数秒。先に口を開いたのは東海林だった。

「別に、ペリーヌさんのせいじゃないさ。寧ろ、ホント感謝してるんだよ? あたしが勝手で始めたことに気にかけてくれて、手伝ってくれた。だからさ、寧ろこういう時は『あたしに任せな!』くらいに堂々としてればいいんだよ」

 こんなふうに、とばかりに胸を逸らしながら、然も偉そうに。

 それを見ると、不思議と恥ずかしがってたのが馬鹿みたいに思えてきて、ペリーヌは知らず知らずに吹き出してしまった。咄嗟で、身構える術すら無しに、否応無く見せ付けられたのだ、許容量なんて一気に振り切って、頭の中が空っぽになったんじゃないか、と思うくらい、何でもないそんな仕草に笑ってしまった。

 傍から見れば、本当に何でもない、何処にも可笑しなところも見付からないソレ。

 それはそうだろう、ペリーヌだってそれが面白可笑しいワケじゃない。

 張り詰めたモノが、逆ベクトルに一気に向かい、零点を振り切って真逆のところまで行ったのだ。気が楽になって、そのまま全身が弛緩してしまえば、“申し訳ない”気持ちが反転、大きな差分そのままに“笑って許せ”と口を吐いて出てしまう。まるで風船が割れたように、裡に籠めた感情が破裂して大きな音(こえ)になって出たように。

 身を捩って、息を切らすまで笑って。笑って。滲む涙を指で掬うほどに笑って。滑稽な自身を笑っていると、雲が晴れた空の様に、頭の中がクリアになっていく。

 そんなペリーヌを見て、何とか釣られずに笑いを堪える東海林。宛ら我慢大会の体を為してきていた。

「――はぁっ、はぁっ、笑い死ぬところでしたわ」

「ふふん。これで笑い死んだらそれこそ恥ずかしいっしょ。ほら、そう考えればなーんもやましいことも無いんだ、天狗になってもいいんだよ」

「テング? 良くは分かりませんが――コホン。……私が手伝ったんですもの、これくらい当然でしてよ」

 東海林同様に、胸を逸らして、優雅に髪を手で梳くうペリーヌ。互いに胸を張った姿勢で向き合っているのだ、傍から見れば自慢大会か何かに見えよう。

 数秒そうしていると、我慢できずに同時に吹き出す。

「『……ぷっ!』」

「あはは! そうそう、それそれ! なんだ、やけに様になってるじゃないか」

「酷い言いようですわね、まるで私が自尊心の塊のような言い草ではなくて?」

「いいんじゃない? 自尊心が高くても、ペリーヌさんはペリーヌさんだし。寧ろ、あたしに付いてこいっ! ってくらいに王様気質で居てくれてもいいんだよ。あたしさ、あんまりそういうの得意じゃないから……」

 笑い合った時と違い、気落ちしていく様に、東海林の言葉に影が差していく。暗く、空気に隠れてしまいそうな声色。その様変わりにペリーヌは驚きに目を見開く。

 ペリーヌの勝手な印象ではあったが、どこかシャーリーやルッキーニのように、ムードメーカーのような印象を受けていた。もっとグイグイと引っ張り込む強引さを持っていて、先程の自分のように、周りを笑いに満ち溢れさせるような人物に思っていた。

 それが、どこか自身なさげで、小さなことで悄気ている子供のような雰囲気だった。

「あたし、何も自慢できることもないからさ。鈴みたいに何か一つのことに全力で挑む気概もないし、ペリーヌさんみたいな気品もない。

 精々、ほかの人より整備に自信があるだけ。それに縋って、なんとか生きてるだけの、惨めな存在なんだよ」

自嘲気味に吐き捨てるように吐露する東海林。突然のことで、上手く言葉に出来なくて、唇を震わすことしかできないペリーヌ。

「そんなこと、ありませんわ」

「いんや。あたしさ、実は『ヒトを笑わせられるように』って、今みたいに振舞うようになったのって、鈴に出会ってからなんだよ」

 何か大事なことを告げようとしている。まだ出会って間もない二人だが、どこか直感的にそう感じるペリーヌ。先にも告げていただろう、「あたしに付いてこいっ! ってくらいに――」と。

「――拝聴しますわ。吐露なさい。私が、ペリーヌ・クロステルマンが、貴女の裡から溢れる思いの丈を全て受け止めて差し上げます。――打ち明けなさい。」

 そうだ、彼女は望んでいる。自分を強引にでも引き連れて、引っ掻き回して、それでいて尚、鮮烈にして豪気、そんな王のように導いてくれる存在を。

「うん……うんっ!」

 涙でくしゃくしゃになりながらも、微笑む東海林。

 それは、いつも自身なさげな、優しく愛らしいあの娘に似ていて――

 

 ペリーヌの持つ気高さ、その徳性を否が応にも引き立てる。

 

 ――ノーブレス・オブリージュ――

 

 嗚呼、これが、私の、ペリーヌの――貴き者を仰ぎ見る民を導く、その義務の一つである、と。

 生まれも、住まう地も違えど、導きを求めるならば示そう。

 ペリーヌ自身は皇帝のように、先駆者として民草を統べる力はないのかもしれない。権威も、故郷を逐われては失墜したようなものだ。他を支配する程に、傲慢でもない。

 だが、聞く耳はある。見る為の目もある。諭すための口もある。物質的な施しは出来ない。だが、精神的な施しは与えられるだろう。力を示す父性ではなく、心を慈しむ母性で以て――

 

 

 

「うーん……“2”、か」

 エイラは自室に篭って占いに耽っていた。占う相手は黒岩。占いの内容は――

「漠然とした占いだったから、あんま当てになんないけどさ」

 気紛れで黒岩の内面を占ってみた。ヒトを指し示すのに本来は用いないが、カード一枚一枚にそれぞれの意味がある。それに当て嵌めて、個人の性格を見てみようとしたのだ。

 本来、占いに於ける重要なモノと云うのは、その意思にある。自身でもない者を占うなら尚更だ。強く――先の見えない暗闇から、可能性の一つを掴み取ると云う、その意思がなければ占いにはならないのだ。結果に対しても意志がモノを云うし、結局は意思次第――ともなれば、人によっては意味の無いモノに感じるだろう。

 だが、それが違うのだ。強い意思で無限の可能性の一つを垣間見て、可能性を確固たるモノにする。

 

 ただ闇に呑まれ、流されてゆくだけになるのか――

 出口と定め、そこを指標に自らの力で邁進するのか――

 

 その意味の隔たりは大きい。少なくともエイラはそう思っている。だが、それを他者に強要しようとは思っていない。信じる信じないは人それぞれだし、やはり結局のところは本人の意思に拠るのだ。最初から強い意志で、自らの人生を最良のモノにしようと生きるモノには足枷にならないとも限らない。

 要は縋るか、理解するか。宗教と変わらないのかも知れない。ただ神に縋って祈るだけの者に、真の意味で救いがあるとは到底思えない。ただ神の言葉を理解しようと、その教義を実践する者には救いがあっても良いと思える。占いの真意を理解し、それを実践、または忌避する。理解、と言うと語弊があるかもしれないが、そんなところだ。

 占いそのものをどう捉えるか――に依るが、結果を信じない、占い自体を信じない、と云うのもまた、ある種の指標に他ならない。一番いけないのは、何よりも「縋る」と云う行為。これだけは頂けない。

 そう言う意味で、漠然とした占いそのものは、あまり好ましいモノではないのだ。

 まあ、エイラとしても、黒岩の内面を垣間見ようとした“意志”はそれなりにある、と思っているのでそれはそれでこの結果を無視出来ていないのだが。

 今度はもう少し意識を一つの方向に絞ってみる。黒岩の近い未来での出来事。

「今朝ミーナ隊長が言ってたもんな。五十鈴の模擬戦について」

 

 

 

 夜間でのネウロイ撃破の報告、再び宮藤が夜間から昼間へ転換すること。

 それらを事務的ながら、いつもの幼年学級の教員か何かと間違いそうな口調で報告するミーナ。朝のミーティングの出来事だった。

 そんな折に突然の爆弾発言。

「あ、それから黒岩さんとの模擬戦を企画しています」

 反応は様々。だが、模擬戦と言う言葉に食いつきそうな坂本、ペリーヌの両名が妙に反応が薄いのが気になるエイラ。

 エイラ自身は、黒岩の実力も気になるものの、単純に獲って獲られての空戦では黒岩は勝てないと思っている。黒岩自身も言っていたし、撃墜率0%は誰もが知っているのだ、曲がり間違ってハルトマンなんぞと構えたら勝負になりそうな予感は欠片もない。宮藤辺りなら勝負になりそうな気もするが、それもそれでどうだろうか。もしも宮藤に負けてしまったら、エイラは兎も角、他の者は黒岩を落伍者扱いするだろう。それはエイラにとっては我慢ならないことだ。

「ほら、静かにせんか! いいか、今回は少しばかり特別でな――」

 そう“特別である”内容を、ミーナの代わりに話し始める坂本。

第一に、チーム戦であること。これはよくあるので特段変わったこと、とは思わない。

 第二に、演習時間は正午から夕刻までの時間帯に一回だけの演習。肝心の時間自体は不明瞭。

 第三に、演習空域も場合によること。これは当日に発表されるとかそう言った意味ではない。

「――と言う訳だ」

「坂本少佐、それはどういった趣きなのだ? 後半になればなるほど演習目標が不明瞭に過ぎる。具体案が無いのか、それとも当日の監督役の趣向になるのか?」

 坂本の説明に、全く以て同意出来る質問をバルクホルンが投げかける。監督役が当基地の人員ではなく、他所から来るのであれば解からんでもない、と云うこと。軍高官で、演習命令はするが、肝心の内容など適当で、ミーナも逆らえず了承したのか。それならそれで致し方ない。面倒ではあるが、命令が出たのであれば全うするしかないのだから。

「まあ、そう思うわよね。でも、別に監督役の趣向とかではないの。具体案がない訳でもない。ちょっと変わった演習ではあるけれども」

 あとで判明することだが、やはり軍上層が絡んでいたらしいが、発案自体はミーナによる。黒岩の実力と、組織内での連携強化が主目的。ここである程度「黒岩は使える」と言う印象を上層部に持ってもらいたい、というのがミーナの本音。

 その為にも個人ではなく、集団での演習を組んだのだが、そもそもの黒岩自身の能力には疑問が残る。悪い意味ではなく、戦闘員でも整備員でもなく、偵察員だからだ。単騎で群に吶喊するのが目的の黒岩に、能力が各国でもトップレベルにあるウィッチ数名で迎え撃ってしまっては結果が見えきっていた。かと言って小隊同士での多対多の模擬戦では偵察としての訓練にはならないし、初めからぶつかり合うことが決められていては先に偵察として出向いても大して意味はない。百偵、牽いては黒岩の主任務の「戦略偵察」にはならないからだ。故に――

「――501基地をネウロイの巣と見立てて、黒岩さんが明日に偵察に来る、と云う想定内容で演習を行います。

 つまり、黒岩さんのAチームはここから離れたポイントより、黒岩さんが501(ネウロイの巣)に偵察に。基地に残るBチームは、Aチームメンバーをネウロイ強襲部隊と想定しての迎撃。黒岩さんは出来うる限り仮ネウロイの巣情報を得た上で、Bチームより逃走、ないし陽動、攪乱をしてAチームの残りメンバーと合流すること。これが内容です」

 確かに変わった内容ではあった。しかし、これならば黒岩の「戦略偵察」に近い形で演習を行うことができる。他のメンバーとしても、迎撃任務や攻勢として演習に参加出来るので、非常に効率的ではある。ただ、決められた時間に行うのではなく、「黒岩が仮設ネウロイの巣に偵察」してから始まるようなものなので、いつ起きるか分からないのがある意味「効率的な演習」であり、「非効率的な訓練」でもあった。Aチームは黒岩の連絡が来るまで浮き足立った状態になりかねないし、Bチームは「いつ来るか分からないが、いつか来ることが確定している」のでこれも落ち着きが無くなるだろう。

 実戦に近いが、想定内容が自由過ぎて、繰り返し行う訓練としては下策だった。タイムを競うでも無いので、目標に値する具体的なモノが無いのも大きい。

 例えば、「○○にて火災発生、直ちに消火活動に当たれ」と言った訓練ならば、如何に早く消火出来るか、また場所などが指定されればそこにどうやって行くか、など具体案と目標値――この場合速さ――が生まれる。目標値を0とした場合、それ以下なら要訓練、以上なら及第点、ないし次回の目標値引き上げ等が挙げられる。

 その点、今回の演習はそう言った目に見えた目標値が特にない。あえて言うなら黒岩が逃げきれるか、完全に殲滅出来るか、と言ったところ。それ以外はどうにも不透明である。

 軍上層部では認可が下りなそうな内容だった。

「それで、肝心の振り分けですが、Aチームには坂本少佐、黒岩少尉、クロステルマン中尉、ユーティライネン少尉が。Bチームにはバルクホルン大尉、ルッキーニ少尉、宮藤軍曹が。残りは万が一ネウロイが現れた場合の迎撃班として、演習不参加の待機組になります」

 ミーナが努めて事務的に配置を通達する。黙って聞いていたが、内容の割にアンバランスな気がする。エイラは内心そう思っていたが、どうやら一人だけでは無かったようだ。

 バルクホルンが挙手し、発言を求めていた。

「幾分気になったことがあるのだが、いいだろうか?」

「どうぞ。発言を許可します」

「振り分けに偏りが見受けられる。Aチームの方が人員が多いし、バランスがいい。その点、Bチームは些かバランスに欠けるところがある」

 そう、Aチームは坂本とベテラン且つ能力的に高い人物が。エイラ・ペリーヌは若手では実践も熟し、能力に不安がない。BチームはAチーム同様バルクホルンが居るが、素人の宮藤と、些かチームワークに欠けるルッキーニの配置。

「うむ。そう思うのも仕方ないだろうが、黒岩に当てる相手として、ハルトマンを当ててしまうと簡単に迎撃されてしまう恐れがあった。同様に速さで勝るだろうシャーリーでもダメだ。直ぐに追いつかれては最初の演習にして難度が高すぎてしまう。サーニャは広域感知が出来てしまうし、予知が可能なエイラもダメ。長距離精密狙撃が可能なリーネもな。

 他所からの襲撃と云う想定内容故に、Aチームには私かミーナが入るのは必定。ミーナは統括になるから必然的に残った待機組に。そうなると私がAチームになるだろう。

 こうなってくると振り分けは在って無いようなものだが、Bチームは集団演習として、編隊での練度が低い者の引き上げを目的とすることで決定した。よって年少のルッキーニと、素人同然の宮藤にこちらに回ってもらった」

 坂本の説明に、バルクホルン以下の内容に疑問を持った者は粗方納得したようだ。今回の演習は、今後の演習に於ける目標値の選定も含めているのだろう。その為、些かバランスに欠けるものの、黒岩に対する難易度を抑えるのにはそうするしかなかったのだ、と。

 変に個性が強く能力の高い者が多い501。こう言った特殊な状況下だと、途端にバランスが悪くなる。ネウロイの陽動に掛かって、最終的にリーネと宮藤が迎撃に当たった時など、その典型とも言えた。あの時はリーネの偏差射撃が当たったが、本来の能力が発揮できずにいたらどうなっていたことやら。

「決行は明日、Aチームには私から追って詳細を伝える。Bチーム、及び待機組はミーナからだ」

 一先ず概要を伝え終える。こうして出来上がる一時だけの即席チーム。エイラはサーニャの傍に居れないことに若干不満げである。

 そんなエイラは、隣で相も変わらず寝こけているサーニャを見て、溜息一つ。「仕方ないな」と言いたげな仕草ではあったが、どこか満更でもなさそうに、優しげな表情で見ていた。

 殆ど聞いていなかったであろうサーニャに、ことのあらましを説明しようと思い、ふと渦中の黒岩を横目で覗く。普段通りの表情、と思ったが違っていた。

 どこがどう、とは言い難いが、何故かそこはかとなく嬉しそうに見えたのだ。

 気のせいか、と思い込もうとも思ったが、何故か気になって仕方ない。

「う、ん。……すー、すー……」

「あ、おい、こら。サーニャ、こんなところで寝るな!」

 ――気になって仕方ないが、このまま放置してしまうと、完全に寝てしまいそうなサーニャが居た。

 とりあえず、サーニャを送り届けてから考えよう。そう結論付けて、その場をあとにする。

 これが、エイラが黒岩を占う動機になっていた。

 

 

 

 

 黒岩参加の初の模擬戦、その当日。東海林はブリタニアのある場所に来ていた。

 輸送船を使い、ブリタニア南西50海里離れた海上に居る。

 船揺れはあまり得意ではないが、なんとか耐え切った自分を褒めてやりたい。そうやって自賛すると同時に、甲板に腰を下ろす。日に炙られて熱くなった甲板を尻に、背にはストライカーユニットが入ったコンテナを感じて、瞳を閉じる。これで幾分か船酔いも沈んだ。

 張った身体をだらしなく寝せて、弛緩する四肢を、再び動かす気力を溜め込む為と自分に言い聞かせて、呼吸を整えることだけに意識を向ける。

 眉根を寄せるくらいに不快な気分だったのが、波の音と、鳥の声を黙して聞いて、時折肌を撫で行く風を感じていると、都度に和らいでいく。

 

 波の音、一つ。心音が重なる。

 鳥の声、一つ。大空を目指す者を想う。

 風の唄、一つ。心に巣喰う不安を凪いでいく。

 

 ここに来て、漸く自分が不安を抱いていたんだな、と気付く東海林。船揺れに酔っていただけではなく、不安からも気が傾いていたのだと。

 軽く右腕を起こし、背後のコンテナに拳を当てる。コンコンと鈍い音を響かせて。

 まるで中に居る何かに合図を贈るかのように。

 ――すると、申し合わせたかのように音が聞こえてきた。コンコンと離れたところから。

 一瞬ギョッとしてコンテナの影を覗き見る。近くには誰もいない。

 少し気味悪くなってきたが、何も自分一人ではないのだ、他の船員ないし501のメンバーだろうと気にするのをやめて、再び楽な姿勢になって目を瞑る。

 ふう、と一息、長い溜息を吐いて、このまま寝てしまおうか、と気を緩めた瞬間だった。

「うっひゃぁッ!?」

 頬に冷たい感触を受けて、飛び上がらんばかりに驚く東海林。

 思わず後ずさって元凶をその視界に収めると、そこには必死に笑いを堪えているペリーヌが居た。

「……ちょっと、酷いだろー。びっくりするじゃないか、ペリーヌさん」

 本当に吃驚した――内心、表情に出ている以上に吃驚していた東海林。確かにいきなり冷たい感触を頬に受けてのこともあったが、何より相手がペリーヌであったことが大きい。

 昨日の恥ずかしい思い出もそうだし、実はこうして東海林に悪戯擬いの行為をする者が居なかったりする。出会って間もないペリーヌに内面の弱さを曝け出してしまった事、今まで受けなかった行為とまさかの相手であったこと。幾つものことが重なって、東海林自身が今までで一番驚いたのではないか、と思っているほどに吃驚していた。

「こんなところでサボって居る方が悪いのですわ! まったく……何やら気分が悪そうでしたからお水でも、と思ったのですけれど――まさか気持ちよさそうに寝ているとは思いませんでしたわ」

「ごめんごめん。気分悪かったのは本当だよ。ただ、ちょっと横になったら眠くなっちゃってさ」

 結局サボリではないか、とペリーヌは呆れを滲ませながら吐息一つ、それで忘れることにする。弱い部分を曝け出した相手だが、今はこうして落ち着いてるのだ、今朝もそわそわしていたのを知っている、だらけるのは論外だが適度に気を緩めることに異論はない。まあ、自分が居る間はサボり厳禁だが――内心そう思いながら、ペリーヌは持ってきた水の入ったコップを手渡す。

 ありがとうと殊勝に礼を述べて、コップの水を呷る東海林。完全にとは言わないが、それなりに顔色が良くなっているように見えた。

「そろそろ時間でしてよ?」

「あ、そうなのか? んじゃ、コイツを展開す――」

「――おお、ペリーヌ。ここに居たのか」

 二人に割って入るのは坂本だった。見れば他の501メンバーが居た。模擬戦Aチームのエイラと黒岩だ。

「他の者は兎も角、黒岩は一足先に飛ぶからな。……東海林と言ったか、黒岩のユニットは――」

「――はいはい、こっちですよ」

 坂本の問に、東海林が先程叩いていたコンテナを指し、展開用の引手を引く。

 何の注意も入れず、いきなり展開されたコンテナ。当然、展開時に倒れてくる蓋に気付くのが遅れてしまう。被害者は東海林の近くに居たペリーヌだ。

「ちょっ!? 危ないでしょう!」

「あっははー、ごめんごめん」

 当たらなかったから良かったものを、普通なら怪我では済まない。

 顔色を変えない坂本は兎も角、含み笑いするエイラはこの際同罪であろう。

 ひとり違う者が居るとしたら黒岩だ。他者を危ない目に合わせた事への、元同業者としての憤り。危ない目に在って、東海林の軽い謝罪にも拘らず、険悪な雰囲気にならない事への疑念。漸くと、自身が大空へ羽ばたく為の力が、翼が――言葉に尽くせない程に湧き上がる喜悦。それらが複雑に混じり合った心が、その表情も複雑にしている。

 待ちかねた。いつもそう、ユニットが破損し、修理が完了するまでが異様に長く感じるのだ。

501では色んなことがあった。それでもやはり、大空を見上げるだけの日々に変わらず。

 毎日が忙しない日々でも、東海林がアレコレと絡んでくる日々でも――やはり、見上げる日々に違いはなく――変わらない。

 大空を見上げるのはうんざりだ。何度も悔しい思いをした。これからは、今日からは、また大空を翔ぶ。

 コンテナからか出ずる濃緑色のユニット。腹は白。配色は扶桑では標準で、上空からは草木に同化し、地表からは日照や雲に紛れると、そう言う意図の元に塗られているからだ。

 黒岩、東海林以外の者も、初めて見るユニットに興味津々で、食い入るように見ていた。

 細身だが、美しいラインを持っている。力強さはあまり感じないが、風を切る猛禽類のようなシャープさがある。尤も、獰猛さには欠けるところがあるが、極限まで絞られたラインは扶桑刀のような優雅な曲線でありながら、スマートな「何かに特化している」様を呈していた。こと百偵に於けるなら速さ、と云ったところか。

 あれもこれもと欲張らず、本懐は何か? と問うようなその出で立ち。それが百偵にはあった。

「これ、は……?」

 小さな疑問の声。黒岩が発した言葉に、エイラはその目線を追う。

 そこには扶桑のマークを背にした黒い猫と、白い花が描いてあった。

『三日月を背にした白い鐘型の花を咥えた黒猫』

 それがシンボルマークとして書いてある。そう、誰が見ても、それはパーソナルマークであると分かった。

「これは、昌子さんが描かれたのですわ」

 皆が注目する中、ペリーヌが言う。何故ペリーヌが知っている? そう当人たち以外が思っていた。

「そう、なのか? 東海林」

「ん? ああ、まぁ、その……勝手だとは思うけど、さ。ほら、なんていうか……」

 顔を真っ赤にして、頬を指で掻きながら恥ずかしそうに言う東海林。ここまでやっておいて気恥かしさを覚えるとなると、本当に勝手にやったことなんだろう。

「……ああ、もう! 要領を得ませんわね! 普段の強気な態度はどこへ行ったんですの!?」

「あ、いや、だってさ……」

「だってもケッテもありませんわ! ……いいですこと? 昌子さんは、黒岩さんがこの501での活躍に期待、そして暫定的に少尉任官したこと……そういった事へ対してお祝い、激励としてこれを描かれたんです!」

 やけに詳しいペリーヌの説明で、大凡の背景は理解できた。それが黒岩に届いているかは分からないが。黒岩本人は、未だそのシンボルマークを凝視したままだ。その胸の裡は分からない。

 だが、勝手ではあったが、そのマークを嫌う素振りはなかった。優しく指でなぞるその様子からは愛おし気な雰囲気すらあった。

 一頻りそうしていると、漸く黒岩が言葉を発する。

「……その、ありがとう。東海林」

 些か逡巡した様子だが、はっきりと伝えていた。「ありがとう」と。嬉しかったのだろう、その表情は普段より柔らかく、その微笑みは見惚れるほどに綺麗だ。少くともエイラにはそう感じていた。

 いや、エイラだけではないだろう。坂本やペリーヌも、その心温まる光景に笑みを浮かべていた。

 肝心の東海林は――それこそ黒岩に「見惚れて」いた。

 表情の読みづらい糸目だが、口を半開きにしてポカンとしている様は、その染めた頬と相まって判断に困らない。噛み締めるように口を閉じてみるが、興奮で頬の緩みが抑えきれていない。嬉し泣きでもしてしまいそうなそんな印象すら受ける。

 事実、東海林は嬉し泣き手前で鼻はむず痒いし、涙腺も緩んできていた。

「どう、いたしまして、さ。調整は完璧だけど、鈴はこれが四型初飛行なんだから、何かあったら絶対に言っておくれよ? ――絶対だぞ。そしたら、こっちも全力で答えるから、さ」

 もう言う事は言った、とばかりにユニット固定具を取り外しにかかる東海林。未だ引かない頬の熱を隠すように、そのどうしても緩んでしまう口元を隠すように――作業に没頭する振りをする。本当はもっと言いたいこともある。だけれど気恥ずかしくて言葉にできなかった。

「うん。ありがとう。でも、東海林の調整なら信頼できる。だから細かいフィッティングは、帰ってきてからになると思う」

 ありがとう、もう一度そう言った黒岩の言葉に、そして信頼出来ると言い切った言葉に――一瞬、ほんの僅かに、その動きを止めてしまう。『もう抑えきれない』。その瞳から溢れる涙は、けっして哀しみから来るものではないだろう。

 その涙を見て、ペリーヌはまるで我がことのように嬉しく思っていた。

 やはり間違っていなかった。もし、黒岩が勝手なことをするな、とでも言おうものなら間違いなく自分は憤慨していたに違いない。それほどまでに東海林と黒岩のこの光景に、自身の想い出の一コマを重ね見ていた。

「なんだ、ツンツンメガネも隅に置けないな。いつの間にコイツと仲良くなったんだよ」

 いつの間にかこっそりとペリーヌに近付いていたエイラ。小声で人の悪い笑みでペリーヌに囁く。

「ちょっ!? ビックリするから止めて頂けませんこと!?」

「ナンダー? 少佐のことはもういいのカー? ミーナ隊長に言っちゃうゾー。整備員に手を出したって。うりうり」

「か、勘違いしないでくださいまし!? これは、その……」

 肘で小さく小突きながら尚も悪ガキの悪戯のようにニヤニヤ笑い、ペリーヌの耳元で囁くエイラ。顔を真っ赤にしながら何とか窮地を脱しようと試みるペリーヌ。その二人を疑問符を浮かべながら呆けと見ている黒岩。

 場が混沌としてきたことで、坂本は眉根を抑えながら溜息一つ。だが、どこか嬉しそうに口元を緩めているのは、気のせいではないだろう。

「よっ、と。さ、これで準備完了。いつでも出れるよ」

「そうか、ご苦労。では、黒岩。発進シークェンスに移れ」

 はっ、と短く発声。敬礼。緩んだ空気も、黒岩のキビキビとした、軍人らしいやり取りで引き締まっていく。

 ユニットを装着。猫耳と二股の尻尾が発現、魔導エンジン・イグニッション。

「大空は、どこまでも高く、遠く――」

 ――黒岩は、歌う。

 

 

 

 ――大空は、どこまでも高く、遠く。

 その歌を初めて聴いたのは、あの美しい月夜だった。

 そめは使い魔になる前は、ある霊泉に住まう猫だった。ただの猫ではなく、所謂猫又、歳を重ね、霊泉の魔力で長らえた命が昇華、霊的存在になったモノだ。

 幾千もの月日を重ね、一度は主を求め三日三晩啼き、一度は主を求め都に趣いたこともある。

 主は詩が好きだった。

 猫のそめには理解出来なかったが、詩を謡う主が好きだったし、その声を聞くのは心地よかった。

 産湯が霊泉だったためかは分からないが、魔法力と云った資質も高かった。それは猫又になったあとに気付いたことだが、主の近くは過ごし易い、程度には感じていた。

 文に明るく、聡明で、しかし猫のように気儘であった。歌を読むことが好きで、その歌が度々評価されることはそめにとっても嬉しかった。

 そんな主が都へ行くことが決まった。

 そめを置いて去ってしまったのだ。

 哀しみに暮れ、飼い猫のそめは都を知らず、主を探そうにも途方に暮れるだけ。

 なんと無しに主の波長らしきものを頼りに行き着いた先は、産湯に使ったとされた霊泉。

 そこでそめは三日三晩啼き続けた。

 それからのことはよく覚えていない。気が付けば霊泉に浸かる自身に変化が起きていたことくらいか。

 主の波長に似ていたせいなのか、霊泉から湧き出る力に馴染んで行く。

 普通なら衰弱していて可笑しくはないが、生き存えていたとすれば、それは霊泉に浸かっていたそめ自身が変化したためとしか考えられない。

 そうして気が付けば魔女が浴びる霊験あらたかな入浴場の主となっていた。

 そうしてどれだけの時を過ごしたか忘れて久しい頃、尼僧が霊泉に訪れた。その尼僧は主を知っているのか、聞き覚えのある詩を謡う。

 そめは既に猫又と化していた。人語を解し、話せる。居ても立っても要られず、尼僧に問う。

「主を知っているのか」

 結論から言えば、尼僧は主を知らなかった。ただ、主の残した逸話、詩は知っていた。尼僧は言う。「もはやあの方は現し世に居りませぬ」と。

 嘆き悲しんだのは、やはり月の夜。月出づる国は、こんなにもそめには辛い想いをさせるのか。

 それからは尼僧と各地を回った。勿論、主が居たと言われる都にも。

 尼僧が病に伏し、別れを待つだけになったとき、再び霊泉に戻る。霊泉に浸かれば尼僧も自分と同じく生き長らえるのでは? と信じて。

 実際はそんなこともなく、月を眺めるだけの気力と体力しか残らず、そめを置いて逝った。

 それから幾数年。霊泉の主となりながら、訪れる者とは一切接触を図ることはなかった。

 ――そう、黒岩が来るまでは。

 

 

 

 黒岩五十鈴にとって、大空とは自分が居るべき場所である。そう望み、それだけの努力をした。だが、現実は非情で、翼を持たない黒岩は自分の居場所と定めた場所にたどり着けない。

 挙句、無茶をして足を捻り、ヒトとしての普通の生活にすら支障を来たす始末。怪我は何時か治るし、普通のヒトとしての生活さえするのなら何も問題はない。

 だが、黒岩にとっては大空が全てで、こうして地表に居ることが嘘にしか思えない。

 分かっている。分かっては、いる。

 所詮自分はヒトで、鳥のように飛べず。しかし、ヒトの中でも一部の者は、確かに翔べるのだ。

 魔女。その身に魔法を顕現する力を秘めた者の総称。

 黒岩にも若干ながらその力の片鱗はあれど、大空を飛ぶには至らない。だが、諦めるなら初めから憧れなどしなければ良かった。諦めきれないから――こうして自分は“此処に居る”。

 霊験あらたかな温泉がある。その源泉は傷を癒し、魔法力を高める。そう言われた温泉に浸かっていた。

 月夜に浸かり、猫が啼けばその眠る力を引き出してくれる。そう曰くつきの温泉。

 眉唾でも、黒岩にとっては縋るに値する。駄目で元々、案ずるより産むが易し。痛みが引かなければまともに歩けぬのだ、傷も癒えるし魔法力が上がるなら試すだけ試してみよう。

 初めはそれだけだった。月夜を眺め、猫が啼くまで待とう、と。

 だが、猫の声はせず。痛みは和らいで来ているので、もしかしたら――そう言う思いがしていただけに、尚更不安がってしまった。

 急(せ)く様に、痛みの引いていく患部。あとは猫啼きだけだと言わんばかり。

 そうして居ると、我慢できず、言葉が口を吐いて出てしまうのだ。

「大空は、どこまでも高く、遠く――」

 謳う。己の心を。

 

 誰とも知らぬ、君よ。ただ一目見たいのだ。

 我が背に翼は無く、されど、高く、貴く、月に届かんとこの手を伸ばす。

 嗚呼、焦がれる心に巣喰う君よ。共に羽ばたかんと力を授け賜ふ。

 

 そう、謳った。泣きそうになるくらい、必死に手を伸ばし、月を捕まんと手を伸ばし――謳った。

「……なー、なー、なー――」

 そんな時だ、猫の啼き声が響いたのは――

 

 

 

 “共に羽ばたかん”。

 一人と一匹が、大空に舞う。

 ある扶桑海軍の上官は言った。「使い魔と一体化が進めば、その魔法力は強大になる」と。事実、そのヒトは固有魔法での使い魔との一体化により、他者を凌駕する力を見せた。

 黒岩にはそれが出来ない。そんな固有魔法なんぞ、無い。

 だが、一体化するのに魔法は要らない。一体化がほんの僅かしか進まないとしても、だ。

 故に歌う。高らかに、清らかに。ただ、己の裡を謳う。

 

 心の声を謳い、使い魔に問う、「其は、何ぞ?」

 使い魔は――そめは応える、「我、汝の使い魔也」

 

 使い魔はただの愛玩動物ではない。生涯、苦楽を共にするパートナーのことだ。

 力無き主であっても、その心と一体化して、我が力を授けん。そう、そめは答えた。

 固有魔法にはどうやっても届かない。だが、それでも此の身に出来る精一杯のこと、それを以て、使い魔と同調する。

 たとえ小さなことでも、全力で以て高みに至る――

 

 

 

 エイラは、初めてその歌を聴いた。

 必死に足掻く少女の唄。大空に恋焦がれ、貴い憧れに手を伸ばす詩。

 ほんの僅か、エイラや他の501メンバーからしたら大した違いでもないだろうが、確かに黒岩の魔法力は上がった。

 事情も知らない者が居たら、鼻で笑うかもしれない。だが、エイラはそう思わない。

 ストライカーユニットを履いて、大空に飛ぶことが当たり前になってきてしまったが、この少女は、エイラの友人の黒岩は、大空への原初の憧れを持ったまま、果て無き憧れに挑まんと歌い上げる。

 それがどれだけ尊いか、エイラには計り知れない。誰よりもどうとか、そんな物差しで測ることこそ馬鹿げているのかも知れない。これは大空に憧れる、一人と一匹が奏でる歌。誰と競うでもなく、ただ己の全てで駆ける抜ける――そんな矜持詩。

 

 

 

 ヒトは、考える動物だと言う。

 考える。その言葉だけでは言い表せないと思う。

 ヒトは、意志を以て他者を凌駕する。

 意志の力はどんな苦境にも立ち向かえると、誰かが言った。

 欧州の戦線で、意思を以て立ち向かう少女達。

 それぞれに異なり、だが強く願い、想い、憧れ――大空に舞う。

 例え小さな存在でも、眩く映える姿に、人々は惹かれるのだ。

 

 

 ――これより、非力な魔女が、大空に舞う。

 




ペリーヌさん回……そんな気がした。
もうちょっとペリーヌに焦点当てた話とか誰か作ってくんねーかなー(他力本願)
一期の時系列だけど、我慢できずにペリーヌさんに頑張ってもらいました。
と、同時エイラと中学生の日常へ。

今回もおさんどん主人公でしたが、よく考えたら原作でも芳佳はおさんどんでした。違和感ないわー。

漸く主人公、大空に舞う。スト魔女らしくなってきた?
ほんと漸く。元からこうなる予定だったとしても、みんな飽きちゃうころだと思う。ごめんよ、みんな……
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