「大輔、好き―――」
呆然とその言葉を受け取った。いや、受け取るとは間違いかもしれない。俺は目前の彼女の言葉を受け取れたわけではなかったのだから。確かに自分に告げられているのだが、俺は聞きたくなかったのだ。彼女が嫌いというわけでもなく、知らない間柄でもなかった。けれどもそれを全うに受け取れないのは、自分がひねくれているから。
「ねえ、大輔。付き合って」
知らぬ間に頭を抱えるのだ。分かっていた好意も俺にはもう受け取る権利なんかない。苦しくて苦しくて、辛かったのに、俺にはもう彼女を泣かせることしかできないのだ。
ごめんなさい、と頭の中で声がする。心の中でも声がする。何度も、何度も、何度も。総てを締め付けるのは
「………聞いてる、大輔?」
聞いてはいる。聞いてはいるのだ。ただ喉がへばりついて、声があげられない。思考が焼き付いて何も考えられない。壊してしまう。壊れてしまう。知ってはいたのだ。けれども、自分は馬鹿な方へと足を向けたのだ。
少しづつ彼女が涙を流す。俺はただそれを見ることしかできない。拭うことも、声をかけることも何もできない。自分はここでへばりついた、汚い何かだった。それを見る俺の目はひどく歪んでいて、何もかも捨ててしまえばいいと思っていた。そう、思っていた。
けれども―――ギターを捨てることだけは出来なかった。
響く高い弦の音。適当なコードを鳴らしてみれば部屋中に響き渡る和音。反響して二重になって俺の耳へと吸い込まれる。七色とまでは言えなくても四色くらいには聞こえてくる。長く聞いていなかったその部屋独特の音は心地もよく、同時に得体のしれないものを感じさせた。
「どう、もうちょい絞っとく?」
小山が目前で声を上げる。すでに俺がライブに参加するとはクラスの皆に伝わっており、他のリハーサルは済んでいる。言い出しっぺの小山が俺の面倒を見てくれているので、現状この部屋には二人しかいない。
目前で機材をいじる小山の手つきは慣れており、もうずいぶんと経験したのだなと感嘆する。場数を踏んできていないわけではないが、もう数年も前のことだ。忘れてしまった。感心していると彼女が顔を上げて促してくる。
弾いてみろ、そういう意味だろうか。
「おお…っ」
キチンと調節のあったその音は室内をびりびりと満たした。音は波となり、空気となり体に入る。知らず混じる血液と流れる電流。何度でも言えるだろう懐かしいあの感覚だった。こみあげてきたえも言われぬ言葉はすんでのところで飲み込んだ。
ゆっくりとその余韻を飲み込む。長年吸っていなかった酸素の様に十全と体を駆け巡って俺の糧となる。心なしか相棒の艶もよさそうに輝いている気がする。気のせいだろうが。こみあげる笑いも、どうしようもない涙もどうにか心で飲み込んだ。
”戻ってきた”。
思わず立ってしまった鳥肌を手で撫でながらステージを下りる。
「どうですか」
満足顔の俺に、さらに満足気な小山。
「どうって、まだ調整だからなんとも―――」
「嘘はいけないなあ」
そのまま喜んでしまうのが恥ずかしかったのですましては見たが意味はなく。なんだかさっきよりもにやにやした小山の顔があった。分かっているくせにと視線を送るが彼女のにやけ顔は治らなかった。
「なんかさ」
「うん?」
「結構、良い顔で笑うんだね」
そう指さして笑われると、こちらは気恥ずかしくなる。頬を指で掻いたり、頭を撫でてはみるがいまいちそれは消えない。まあ、なんにせよ小山が良いやつだって分かったのはリラックスできると思った。
知らず指が少しづつ震えだす。武者震い、だといいのだが体はどうなのだろう。知ったことではないだろう。踏み出した足はもう止まることは出来ないから。できることなら、そのまま走り抜けろ。
「アニメーション学科の―――」
「…ん?」
二人教室隅に座り込む。開演三十分前まだ人は来ていない。そもそも仲間内でやるだけのものなのでどこで集まっても同じだろう。もしかしたら俺に気を遣ってできる限り人を集めないようにしているのかもしれない。
右手には缶コーヒー、床に置いて水滴が垂れてキラキラと光る。暗いその室内はまるで夜のようで扉を開けると広がる世界との対比が美しいと思ってしまうのは俺だけだろうか。
「金髪の子さ」
「うん」
「大輔くんと仲良いよね」
「………まあ」
思わずどきりとはする。前日に告白なんてされたらそりゃ意識はするだろう。答えは出せずにいる糞ではあるのだが。けれども暇だったし、あまり話したくはなかったが、世間話に彼女がその話題を出すのなら付き合わなければならない。
「………付き合ってるの?」
「…え。あ、いや」
「なにそれ。どっちだよっ」
どっちだよと言われても、どっちだろうか。気持ちの上ではきっと。いや関係はないか。答えは出ない。ずっとでない。きっと一生ではしない。俺は糞だから。ゴミだから。泥だから。あの時何もできなかった俺にそれを語る資格なんてないのだろうな。
「片思いかー」
「なにが」
「いや、だって恋してる顔だよ」
思わず呆け顔になる。顔をペタペタと触ってみても違いなんて分からない。鏡なんて見たって関係ないくらいに顔はいつも通りの仏頂面のはずだ。小山は笑う、いや微笑む。愛おしそうに慈しむように。大人がガキに向ける視線によく似ていた。
扉が開かれる、時計を見るとすでに十分前だった。なだれ込む十数人の後ろにはエリカたちが見えた。久光が手を上げる。大輔がにやりと笑う。エリカはしょうがなさそうに俺を見るだけだった。どきっと胸は高鳴ったがかみ殺して手を上げて答えた。
「恋してるって。女じゃないんだから」
息を吐きながら小山は立ち上がる。見下ろすように視線を俺に向ける。やれやれと声には出さないが顔は語る。
「わかるよ」
そうして彼女は歩いていく。トップバッターだからだ。主役であるしそもそもの使用時間が三十分ほどでしかない。それぞれ一曲づつ。俺も入って占めて時間は三十三分。曲数は五曲。入れ替わりに一、二分。まあ妥当な時間のミニライブ。
振り返って彼女は言う。
「ちゃんと、見ててね」
その顔は決意に満ちていた。明るく笑うが、重く苦しかった。右手を上げて答える、あたりまえだろと。寂しそうに笑う彼女が前に向き直ると同時に右隣にエリカが座った。
床に座って汚れることも厭わずに彼女はそこに座った。じとっとした視線を一瞬向けてすぐ小山を見つめていた。喋らない彼女に昨日のこともあって気まずい気持ちを感じながら俺も小山を見た。
もう一度横からの視線を感じたが、気のせいだろう。
「どうだった!?」
息を切らせて小山は横に駆け込んでくる。むっとしたエリカの顔が見えたが彼女の興奮具合は少し高すぎて気づいてはいないだろう。左右に女子に固められた居場所を窮屈に感じながらそれに応える。
「よかったよ。随分昔の話だから知らなかったけど専門学生ってこんなレベル高いんだな」
絶えず前方からは音の嵐が吹く。心地よいベースの音が腹の底に沈んでいく。少しだけ聞き取りにくい空間で小山の興奮した声が響く。
「でしょー? 気合入れて作ったからね今回の曲は」
オリジナルの五曲。歌う曲はオリジナルが今日の条件らしく、彼女たちは盛大にその持ち曲を歌い終えた。女性だけのガールズバンドならではの恋というかメタルというか曖昧ではあるが、それでも訴えかけるものを持ってきた。エリカたちが素直に拍手するほどには完成度も高く、俺も感嘆する。
「うん、すっげえよかった」
「あはは、ありがと。みんなもありがとねー!」
エリカたちい手を上げると、彼女たちもそれに笑顔で答える。目前の音を聞いている皆を邪魔しないように彼女はゆっくりと俺の左に座り込んだ。ゆっくりと、体を俺の方に倒し、肩に重みが伝わる。
たとえ一曲でも疲れはする。汗はかくし、声も掠れる。それだけに気持ちを込めるからだ。よく知っているそれに嬉しくなって、たまらなくなった。
すでに四組目に入ってる演奏は総てが素晴らしいものだった。だから自分の出番があと少しだと分かって手のひらに汗が染みついてくる。湿ってピックも持てなかったらどうしようか。思いのほか落ち着いているが手は震えている。何年ぶりだ、そんなにではないが数年のブランクは本当に息が止まる。
本当はブランクとかそういうのが怖いんじゃなくて、気づいているものがある。あの日からずっと怖いものがある。乗り越えていると信じたいが本当にまだわからないのだ。トラウマを昨日抉られることにより奇跡の復活。マイナスにマイナスをかけたらきっとプラスになるから。だからと、そう信じたい。
右のエリカは聞き入っている。震えはばれてはいない。綺麗な顔、綺麗な瞳。いつも俺を捉える。全然わかってる。エリカは魅力的な女性だ、言葉で言い表せないくらいわかってる、それを悩む俺が馬鹿なんだってことも分かってる。
けれども、どくんと音がする。
心臓が何度も脈打つ、這いあがってくる胃液は何度も飲み込んだ。
なんども拭った手汗は気づくといっぱいになっていて、頭がおかしくなる。
逃げてはいけないから。エリカが語ったアニメの主人公が言っていたから。あんな子供でも頑張るから。このまま逃げなかったら、乗り越えられたら、彼女の想いにもこたえられると思ったから。だから、逃げちゃダメなんだ。くさいことを考えているがきっと大丈夫。エリカが見ててくれるから大丈夫。
「さっき分かるって言ったけどさ」
音がいっぱいに響いてる。走るドラムの音がうるさくてよく聞こえない。
「恋してる人の顔」
耳に手を当てて彼女の声を何とか拾おうとする。切なげな彼女はきっと俺に激励でもしてくれるのだろう。だから精一杯に彼女の声を捉えようとする。
「そりゃあ、毎日鏡で見てたら分かるようになるよね」
声を上げて聞き返す。うまく聞こえない。響くギターの音。決して大きくはないのに教室が教室だけに端の方でも聞こえてしまう。ゆっくりと、終わりの、最高潮の音が上がる。
二つのギターが、ベースが、ドラムが、そしてボーカルの声が一様に盛り上がる。最後の音を響かせようとゆっくりとゆっくりと声を出す。響く、跳ねる。彼女の声は続かない、まだだと止まったその声。
少しづつ音が小さく和音になって、響いてる。あと数秒もすれば俺は止むだろう。
行かなくては、ゆっくりと預けられた肩を押し返しながら俺は立ち上がる。もう残り二秒、楽しげなバンドマンたちがゆっくりと、両の足で飛び上がる。相棒を掴んで俺もその足を出す。
一歩出すの瞬間、左足がズボンの裾を引かれ止まる。着地を決めたバンドマンたち。綺麗にぴたっとその音は止まった。視界の端のエリカが俺を見てる。頑張れと出そうとした声は俺の姿を見て止まる。音が止んだバンドマンたち。歓声に包まれたステージを下りる。
後退の番だから、どうしたと小山に声をかける。ゆっくりとゆっくりと、まるでエリカの時のように大きく息を吸った。繰り返すようにもう一度顔を赤くして息を吐いた。上げた顔は林檎のようで、ちらりと右を一瞥。少しだけ罪悪感。それでも彼女は俺を見る。
声を出そうとして息が詰まった。もう一度深呼吸。その息を吸う。バンドマンたちはもういない。もうステージには俺のための席があった。俺はバンドマンじゃないから。ソロシンガーだから。
もう待てない。そうして一歩掴んだ手ごと足を踏み出した。音はない。もう教室に響く音はない。歓声は止んだ。みんなは俺を見る。後ろの彼女もきっと。
そうして二歩目を出したそして――――――。
「ずっと、君が好きだったんだよ」
重なるような記憶のノイズ。あの日が忘れられない。
もう一度彼女は、声を出す。
「好きでした」
響く声音、俺だけに聞こえた。その声は俺だけに聞こえた。
思ったよりも長くなりそうな予感がしてきました。