「…………」
オーディーン討伐成功後、ユリウスは複雑な思いを抱えたまま、マンションまで戻った。
「あ、お帰り、ユリウス」
先に帰宅していたルドガーが、笑顔でユリウスを迎えた。
「……ただいま、ルドガー」
正史世界の、弟。
その存在が変わらずあることに心の底から安堵しつつ――しかし、分史世界のルドガーの最期を思えば、胸は塞がる。
分史世界のルドガーは、最後の力を振り絞ってユリウスの危機を救い――そして、タイムファクター化してしまったのだ。
骸殻能力者が、己の限度を超えて力を使い続ければ、その果ては自身のタイムファクター化である。
一体、今までにどれほどの骸殻能力者が力尽き、新たな分史世界を生み出し、そして消されてきたのか。
――一体いつまで、これが続くのか。
クルスニクの鍵たるエルが現れ、今、ユリウスは変動期の真っ只中にいる。
最後まで、ルドガーを巻き込まずにいられるだろうか。
そして――全てを終えて、ルドガーと共に穏やかに暮らせる日が、来るのだろうか。
「……何かあったのか? ……顔色悪いぞ?」
そんな葛藤が態度に表れてしまえば、当然、ルドガーの目に留まる。
心配そうに顔を覗き込んでくるルドガーに、ユリウスは緩く頭を振った。
「……いや、なんでもない。……ちょっと、忙しくて昼を抜いたからな。そのせいだろう」
「――そうなのか? ……わかった。それじゃあすぐ支度する。ユリウスは風呂でも入ってきなよ」
何か隠されている、と感じたルドガーではあったが、ユリウスは話したくなさそうなので踏み込まないことにした。風呂場を示し、包丁とトマトを手に取る。
優しい弟の気遣いに、ユリウスは感謝した。
「……そうだな。それじゃあ、お言葉に甘えようか」
「ん」
台所に立ったルドガーの背中を眺めた後、ユリウスは、無言で自身の左手を見下ろした。
黒手袋の下には――タイムファクター化進行中の痕跡がある。
エルと行動を共にするようになってからはその進行が止まっているが、これが治ることはないだろう。
また、ユリウスは今、骸殻化の代償をエルに負わせている。つまり、エルのタイムファクター化が進んでいるということだ。
エルには申し訳ないと思う。あんな小さな子に、と。
しかし――それでも、ユリウスは。
一番大事なものを守るためには、あんな小さな子でも、利用すると決めたのだ。
「……ルドガー。お前は、俺が守る。俺の世界の中心である、お前だけは、絶対に――」
「? 何かいったか? ユリウス?」
ユリウスの決意の呟きは、既に調理に取り掛かっていたルドガーには届ききらなかったようだ。
「いや、何も。なあ、ルル」
「ナァー」
聞き返されたが、ユリウスは足元のルルとの秘密にした。
ユリウスを元気付けるために予定外にトマトを消費したので、翌日の非番に、ルドガーは買い物がてら散歩に出ることにした。
「……ミラ?」
マンション前の公園に、一人肩を落として佇むミラを見つけた。
昨日のユリウスといい、今日のミラといい、どうやら世の中には問題が溢れているらしい。
「どうした? ミラ」
「あなた……な、なんでもないわよ」
声をかけられるまで、ミラはルドガーの接近に気がつかなかった。
なんでもない、とは思えなかった。
「……」
ルドガーは、迷った。
昨日、同じような状況で引いたのは、ユリウスは聞いても話さないだろうと思ったからでもある。
だが、ミラはどうだろうか。
話すのは辛いだろうか。話したほうが、気持ちが楽になるだろうか。
迷って――ルドガーは、選択した。
「……ミラ、暇ならちょっと付き合ってくれないか」
「……暇じゃないわ」
そっけなく拒絶するミラに、しかしルドガーはめげなかった。
「何か煮詰まってる感じだろ。散歩でもしたほうがいいアイディアも浮かぶんじゃないか?」
「……それが、新メニュー考案の秘訣? でも生憎と、私のはそんな手軽な悩みじゃないの」
「手軽じゃないなら、なおのこと、一人で悩んでないで相談しなきゃだろ」
「…………」
ルドガーの言葉に、ミラは虚をつかれたように目を瞬いた。
「ジュードたちに言いにくいことなら、俺でも。俺に言えないことなら、ジュードたちにでも」
「…………あ、あなたとあいつらしかいないんなら……あなたにしておくわ」
恥ずかしげに頬を染めて、そっぽを向くミラ。
不承不承というポーズではあるが、それが照れ隠しだということはルドガーにもわかった。
「決まりだな。じゃあ……港のほうにいってみるか」
「任せるわ」
ルドガーの提案に、ミラは反発することなく頷いた。
港について、ルドガーはまず屋台でソフトクリームを買った。
「ほら、ソフトクリーム」
「……ありがと。……美味しい」
「だろ? ここのは評判なんだ」
二人してソフトクリームを食べながら、海沿いを歩く。
どちらも核心に迫ることは口にせず、他愛も無い会話を気が向いたときに交わした。
「――ねえ、ルドガー。貴方、お兄さんはいるの?」
「? ああ、いるけど……どうした、突然」
今日の会話に、家族構成に繋がりそうなネタはなかったはず、と思いつつ、ルドガーは首を傾げた。
「べ、別に。ちょっと、気になっただけよ。……どんな人?」
「どんな? えっと……」
「……ユリウスに似てるの?」
「ユリウスって……」
説明するよりも早く、予想外の名前を突きつけられて、ルドガーはどきりとした。
「……クランスピア社のエージェントの、ユリウス。有名人なんだから、顔くらい知ってるでしょ?」
知っているも何も、そのものずばりな名前である。
が、一応、ユリウスには口止めをされている。ミラが信用できないわけではないが、昨日のユリウスの様子を考えると、念には念を入れておいたほうがユリウスのためになるのではないかと、ルドガーには思えて。
「……まあ、そうだな。似てるかな。体格とか」
曖昧に頷いておくことにした。
「……元気にしてる?」
「ああ」
「そ。……良かったわね」
「ん? まあ、うん」
それきり、兄弟の話題は終わった。
そしてまた沈黙が少し続いた後――
「……聞かないの?」
俯いたミラが、震えた小声で、呟いた。
「――聞きたいけどな」
無理には聞かない、というルドガーの優しい声に、ミラは困ったような、少し泣きそうな顔を見せ――やがて、告げた。
「…………私は、この世界の人間じゃないの」
「?」
それだけの言葉で理解できるとは、ミラも思っていない。ルドガーが置いてけぼりになるだろうと分かってはいても、いや、むしろその方がいいとすら思いながら、ミラは畳み掛けるように、一気に己の心情を吐露する。
「なのに、こっちに来ちゃって……そのせいで、こちらの世界の私が、帰ってこられないのよ。私が消えれば、こっちの世界の私が帰ってこられる……はっ。誰に聞いても、こっちの私のほうを選ぶのに……なのに、私は……」
かき消えるような言葉尻。
話すうちに、ミラは強い自己嫌悪に襲われていた――