その後、ミラの問題が解決したのかどうかは、ルドガーは聞いていなかった。
問題解決の話し合いにはルドガーも参加してみたいと思っていたのだが、ユリウスから急用を頼まれたので、どういう結果になったのかを知らないのだ。
ミラはGHSを持っていないので、会わないと聞けない。ジュードに聞こうかとも思ったが、やはりミラから聞くのが筋かとも思ってそのままだった。
そんなある日、仕事を終えたルドガーは、ジュードから連絡をもらった。
ミラのことで報告があるので、食事を一緒に、とのお誘いだった。
勿論、ルドガーに否やは無い。GHS越しに道案内を受けて、レイアのアパートまでやってきた。
「いらっしゃい、ルドガー! さあ、入って入って!」
「ごめんね、ルドガー。急に呼び出したりして」
「いや、大丈夫。仕事も終わったところだったし」
レイアとジュードの出迎えを受けて、ルドガーは勧められるがままにソファに座った。
「今、ミラとご飯作ってるんだ。もうちょっとで出来るから、待ってて!」
「手伝おうか?」
「ああ、いいのいいの!」
立ち上がりかけたルドガーを、レイアがソファに押し戻した。
「ルドガーは主賓の一人なんだから! ゆっくりしてて」
「主賓? 俺が?」
「そ。ルドガーのおかげで、色々助かったんだよ! ありがとね、ルドガー!」
「あ、ああ……どういたしまして?」
心当たりのないルドガーは、困惑しながらも、レイアから手渡されたジュースを受け取った。
「あはは、そんな困らないでよ! みんなで楽しくご飯したいだけなんだから」
「――そうか。まあ、そういうことなら」
みんなで楽しくご飯、というのならば細かいことには拘るまい。
ルドガーは、とりあえず参加者の把握をしようと、部屋を見回した。レイア、ジュード、エル、それにキッチンで動いているミラの後姿――
「初めましてだな。ルドガー」
「……んん?」
横手からミラの声が聞こえて、ルドガーは首を傾げた。もう一度キッチンを見てみるが、やはりそこにいるのはミラだ。
しかし、ルドガーの右手側にいる、白いぴったりとした服装の女性もまた、ミラと同じ顔している。
「初めまして……ああ、もしかして、精霊のミラ?」
挨拶を返してから、ルドガーは思い至った。
「ああ、そうだ」
「……前から思ってたんだけど、貴方って、順応早すぎじゃない? 普通、信じないわよ? なのにあっさり信じちゃって……」
呆れた声でいいながらキッチンから出てきたミラが、サラダをテーブルに置いた。
「――いや、でも、あの時ミラ本気で悩んでいただろ?」
「……そりゃ、まあ……そうだけど」
「なら信じるさ」
確かに信じがたい設定の話ではあったが、あの時のミラは本気で悩んでいた。
友人が本気で悩んでいるのなら、本気で相談に乗る。
ルドガーにしてみれば、そんなのは当然のことだ。
「…………」
しかし、言われたミラのほうは、何故だか酷く驚いたようだ。
代わって、精霊のミラが暖かく笑う。
「――ふふ。ルドガー。君もなかなかに人がいいな」
「そうか? 普通じゃないか? ……ところで、ミラが二人揃っているってことは、問題は解決したってことでいいんだよな?」
「うん、そうだね。ルドガーが帰った後、僕たちも話し合ってみたんだけど、やっぱり、精霊と人間の違いっていうのがポイントだったみたいでね。同一存在とは言いがたくて、二人とも存在できたんだ」
良かったよね、と笑ってジュードがあっさりというが、実はそんなに簡単な話でもなかった。
特に、ミラにとっては衝撃的な事実が明らかにされた話し合いであった。
精霊であると信じていた自分が、実はただの人間であったこと。
正史世界のミラは、一度死んで精霊に生まれ変わっていたこと。
それは、自分の存在が否定されたようなものであったが、不思議とミラは、それほどショックを感じていなかった。
何故か。
その理由を探して――ミラの視線は、ルドガーのところで止まった。
笑いながらジュードに頷き返すルドガー。
ミラの視線に気付いたのか、不意にルドガーの笑顔が向けられた。
「っ」
弾かれたように、ミラは身を翻してキッチンに戻った。
少し早い鼓動を自覚しながら、ぐるぐるとスープをかき混ぜつつも、意識はリビングのルドガーの声に向く。
「じゃあ、結局何が原因で帰ってこられなかったんだ? ミラがこっちにいるからっていうのは違ったんだろ?」
「うん。僕も、ミラさんの話を聞いて、ミラさんが栓になってるからって思っちゃったんだけど、よく考えたら違うんだよね。だって、正史世界と分史世界のものが出会って消えちゃったっていうことは、とりあえず、分史世界のものは正史世界に入ってこれて、同時存在出来ていたってことでしょ?」
「だな」
「それに、過去の事例から、ある程度距離を保っていれば、消えることはないだろうっていう予測も出来たんだ。……それはそれで、また別の問題が出てきたんだけどね……」
最後のほうは呟きとして、ジュードはそっとエルを窺った。エルは今、テレビを見ていて、こちらの会話には注意を払っていないようだった。
話し合いの席で、ユリウスは、列車内でのエルの時計を例に出した。
ユリウスが距離を詰めたところで、エルの時計は――ヘリオボーグで、弾みで分史世界に入ってしまって以来、ユリウスが所持することになったのだが――異変を見せた。ユリウスは、あれも正史世界と分史世界のものが出合った反応であると告げた。
つまり、エルのパパのだというあの時計は、分史世界の時計であったということで――
「……ジュード? どうした?」
「――あ、ごめん。ルドガー。つい、考え込んじゃって……」
「いや、いいんだけど……大丈夫か?」
「うん、平気。ごめんね。僕の悪い癖なんだ。……ええと、どこまで話したんだっけ?」
「何故私が帰ってこられなかったか、だ。一言で言えば、それは能力の問題だったのだ」
ミラが、ジュードから説明を引き取って答えた。
「私と四大精霊たちは、時空を操るクロノスという大精霊によってこの世界から追い出されてしまった。世界を越えるには時空に干渉する力が必要なのだが、私と四大には、その力が無い。出来たのは四大の力で身を守り、待つことだけだった」
「で、ミラを召喚する陣がこっちで発動したら、ミラの前に道が出来て、帰って来れたんだって」
ミラとジュード、二人の説明を、ルドガーはしばし脳内で咀嚼して。
「……つまり、家を追い出されて鍵もかけられて締め出しくらって、力尽くで鍵を壊すことも出来なくてドアの前で待ってたら、他の人に内側からドアを開けてもらえた?」
纏めてみた。
「…………」
微妙な沈黙が、室内を支配した。
「……う、うん。間違ってない。合ってるんだけど……」
「分かりやすい例えではあるのだが……」
ジュードとミラが、困ったように笑っている。
ルドガーの纏めは間違ってはいないのだが、内側からドアを開けてくれたのが、和平調印に集まった人の命だと言うことを、彼は知らない。その犠牲を知っているジュードたちからしてみれば、いくら分かりやすい例えでも、明るく「そうそう、その通り」と頷く気には、ちょっとなれなかった。
「――さあ、出来たわよ。テーブルあけて」
微妙な空気を変えるきっかけを作ったのは、スープ鍋を運んできたミラだった。
それを見たエルが、目を輝かせる。
「あ、ミラのスープだ!」
「ふふん。今日はちょっと手間をかけたわよ」
「そうなの? 楽しみー! でも、絶対パパのスープには敵わないけどね!」
「食べてからいいなさい」
ミラが早速スープを盛り付け、食事会は始まった。
「やっぱりパパのが美味しいよ」
「……ちょっと。嘘は言ってないでしょうね?」
自信作のスープでもまだまだだといわれたミラは、胡散臭げにエルをみた。
「嘘じゃないもん! あ、でもルドガーのスープは超えたかも?」
「は? それは俺が聞き捨てならないぞ」
確かにミラのスープは美味しかったが、ルドガーとて、食堂で働くコックさんである。自分が負けているとは思いたくなかった。
「あ、ルドガーのやる気に火がついた! じゃあ次はルドガーのスープだね! 台所、好きに使っていいよ!」
「――よし、やってやる」
レイアに煽られたルドガーは、腕まくりをしてキッチンに立った。
本当はじっくりことこと作りたいところだったが、流石に空気は読んで、手早く出来るレシピにした。勿論、手早く出来ても味に自信ありの一品である。
「…………悔しいけど、美味しいのよね……」
ルドガーのスープを食べたミラが唸る。
「……ねえ、ちょっと、貴方の秘訣教えなさいよ」
「……じゃあ、ミラのと交換な」
お互いの秘訣を交換し合ったところで、ルドガーはジュードが黙り込んでいるのに気がついた。
「……? ジュード、口に合わなかったか?」
「……あ、ごめん。ううん。そんなこと無い。凄く美味しいよ。ちょっと、研究のことで考え込んじゃって……ごめんね」
「いや、構わないよ。大事なことなんだろ」
ジュードのオリジン研究が行き詰っているのは、ルドガーも知っていた。
心底申し訳なさそうにするジュードに、ルドガーは気にするなと笑いかける。
「……ありがと」
「でも、頭使ったら糖分補給はしたほうがいいぞ。まあ、パレンジパイでも食べて」
スープを煮込む間、ついでにつくったパイをジュードの前に置いた。
「ありがとう、頂くよ。……うん、美味しい。ルドガーはお菓子も得意なんだね」
「基本は一緒だしな」
「そっか……。うん、基本は大事だよね。僕は、その基本が間違ってたんだ……」
落ち込むジュードに、ルドガーは言うか言うまいか迷った末に、切り出した。
「……なあ、ジュード。俺は精霊には詳しくないから、馬鹿な質問かもしれないけど」
「何?」
「ジュードは、精霊に協力してもらって、オリジンってやつを完成させたいんだろ?」
「そうだよ」
「で、リーゼ・マクシアにある精霊術って言うのは、精霊が協力してくれているんだろ?」
「うん。……え、あれ?」
ジュードが何かに気がついたようだったが、とりあえずルドガーは自分の考えを言い切ってしまおうと続ける。
「それって、精霊術と同じ方法じゃ駄目……てか、駄目だったから、ジュードが苦労してるんだよな。ごめん、わかりきったことを、」
やはり初歩過ぎか、と撤回しようとしたその時、ジュードが大声を上げた。
「っそうだよ、なんでそれに気付かなかったんだろう!?」
「うええ?!」
驚くルドガーの手を、ジュードががっしりと掴んだ。
「ありがとう、ルドガー! 今の、凄いヒントだよ! これで研究が進むかもしれない……ううん、きっと進むよ! 本当にありがとう!!」
「あ、う、いえ。どういたしまして?」
「こうしちゃいられない! すぐにバランさんに話さないと! ごめん、ルドガー! またね!」
「お、おう、いってらっしゃい……」
常は穏やかなジュードの、いつにないはしゃぎっぷりに呆気に取られつつ、ルドガーは半ば条件反射的に彼を見送った。