「お帰り、エル」
「パパ……パパー!!」
カナンの道標を求めて入った分史世界で、エルは父親と再会した。
感動の親子の再会を、ジュード、ミラ――分史世界の、である。正史世界の精霊ミラは、四大を分史ミラに預けて精霊界に戻っている――とローエン、そしてユリウスらが見守る。
黒の衣装に身を包み、仮面をつけた細身の男。
「…………」
その男の姿を見たときに、ユリウスは、嫌な予想が当たってしまったことを知った。
一頻り娘を労った男――ヴィクトルは、同行者に目を留めて目を瞠る。
「! ユリウス……」
「…………っ」
仮面越しに見える、ヴィクトルの緑の瞳。
それは、ユリウスがよく知る瞳。
何よりも大切に思うものの色。
どうして、何故こんな、とユリウスが考える間に、ヴィクトルにも色々思うところはあったのだろう。
――ふう、と息を吐いた。
「まさか……ここに来るのがユリウスとは……」
「……ユリウスさん、お知り合いですか?」
「……あいつは……」
「――まあ、話は後にしよう。エルを連れてきてくれたお礼に、食事でもどうかね?」
ジュードの問いに答えようとしたユリウスをヴィクトルが遮って、皆を家に招いた。
ヴィクトルの料理は絶品であった。エルが、パパのスープが一番、と事あるごとに言っていたのは、贔屓ではなかったのだ。
好物でお腹が膨れ、久しぶりに家に戻ったことで気も緩んだのだろう。エルはソファで眠り込んだ。
エルを寝かしつけたヴィクトルは、険しい表情を崩さないユリウスを見て、口端をゆがめた。
「……ユリウスは食が進まなかったようだな。口に合わなかったかね?」
「――……ルドガー……」
ここまで沈黙を守ってきたユリウスの口から、ようやくその名前が搾り出された。
「え……ルドガー? 何言ってるのよ。彼がここにいるわけないじゃない」
「……ユリウスさん、もしや、ヴィクトルさんが……」
「ルドガー……!?」
「――ふふふ、やはり見破られていたか……いつからかな?」
驚くミラたちを他所に、ヴィクトルは嬉しげに尋ねた。
「初めからだ」
苦い表情と声で、ユリウスが答える。
エルの時計がルドガーの時計と同じだと知ったときから、可能性の一つとしては考えてきた。
だが、そうであって欲しくなくて。
あの時計は、自分と同じように、人手に渡っただけなのだと――そう、信じ込もうとしてきた。
「ははは。流石は兄というわけか」
ヴィクトルが笑う。
「……っ」
が、ヴィクトルの――ルドガーの笑顔を見ても、ユリウスの気持ちは晴れなかった。
ヴィクトルの笑顔は、ユリウスが知っているルドガーの笑顔では、なかった。
「兄……え、ユリウスさんが、ルドガーの、お兄さん!?」
「そして、分史世界のルドガーさんが、エルさんのお父さん……なんと……」
「ちょっと、なんで黙ってたのよ!」
「…………」
ヴィクトルがさらりと漏らした爆弾発言に、ジュードたちが驚いた。ミラはユリウスに食って掛かったが、しかしユリウスはミラたちを無視して、ただただ、ヴィクトルを見据える。
「……エルが起きてしまう。外で話をしようじゃないか」
ユリウスの険しい視線に小さな笑みを漏らしたヴィクトルは、そういうと外へと出て行った。
「……」
ヴィクトルを追って出たユリウスは、湖を眺める彼に歩み寄り、そして確認のために――聞きたくない気持ちを押さえつけて、声を絞り出す。
「……ルドガー。お前は……ビズリーを」
「……ああ。殺したよ。私からエルを奪おうとしたからな」
「…………」
予想通りの答えに、ユリウスは拳を握り固めた。
有り得て欲しくない可能性が、成ってしまった世界。
してほしくなかったことを成してしまった弟――それが、今目の前に居るヴィクトルなのだ。
「……聞かないのか? こちらのユリウスはどこかと」
「…………」
ユリウスは唇を噛み締めた。
「――ふ。聞かなくてもわかるか。そう。ユリウスは、私に父親殺しをさせまいと、ジュードたちと一緒にやってきた。私は彼らを殺した」
「っじゃあ、この場所での殺戮の犯人は……!」
「ヴィクトルさん、貴方が……!」
「そう。私はヴィクトル。この世界、最強の骸殻能力者。この世界のタイムファクター。そして――カナンの道標だ」
「!!」
全身、顔すらも覆う骸殻――クルスニク一族の中でも、特に秀でたものにしか纏えないフル骸殻。それを、ジュードたちは初めて目の当たりにした。
「さあ、ユリウス。どうする? 私を殺すか? いや、正史世界に帰るためには、殺す以外の選択はないぞ」
「……っルドガー……!」
ヴィクトルの挑発に、ユリウスは――葛藤を押し込め、時計を構えた。
「っパパー!」
起きてきたエルの目の前で、ヴィクトルはユリウスの槍に貫かれた。
槍に貫かれたヴィクトルが膝をつく。
「っルドガー!」
槍を消したユリウスは、支えをなくして前のめりに倒れるヴィクトルの身体を抱きとめた。
「……はは……っ今度は……俺の負けだな……ユリウス……」
ユリウスの肩に頭を預けたヴィクトルが、苦しい呼吸の中、囁いた。
「っルドガー……お前は……っ」
「……いいんだ。これで。……俺は、ずっと……ずっと後悔してきた。あの日、ユリウスを手にかけたことを……」
「…………っ」
ユリウスは、ヴィクトルを抱きしめた。それしか、出来ることが思いつかなかった。
「……ユリウス。今の俺が、ユリウスの知る俺とは違うというのなら……そのきっかけは、間違いなく、ユリウスを手にかけたことだ……」
「!」
ずっと考えていた。どうして、あの優しいルドガーが、ヴィクトルのようになってしまったのかと。
その原因が自分だといわれて、ユリウスは目を瞠った。
「……これだけは、知っておいてくれ。ルドガーという人間は、ユリウスを失うことに耐えられない。まして、その命を自らの手で奪うなんて……はは、その結果が、俺だよ。ユリウス」
「ルド、ガー……」
ルドガーが、仲間を殺し、愛娘を利用するほどに冷酷な――ある意味、クルスニク一族らしさを持ちえてしまったのは、他ならぬ自分の死がきっかけだという。
そのことにユリウスは、深い悲しみと……そして、紛れもなく、喜びも感じていた。
ルドガーにとって大事な存在になれているのだと――喜んでしまった。
「……ユリウス……最後に……」
「……なんだ、ルドガー」
ヴィクトルの声は、いよいよ弱々しくなっていた。
聞き逃すものか、と、ユリウスはヴィクトルの頭を優しく抱え、その口元に耳を寄せる。
「……歌を……」
「……ああ」
辛うじて聞き取れた願いに、ユリウスは応えた。
ルドガーが大好きな、ユリウスの歌。
証の歌のハミングを――目を閉じ、涙を堪えながら、ユリウスは歌う。
「……エル……」
ユリウスのハミングを聞きながら、ヴィクトルは――弱々しく、エルに手を差し伸べた。
「パ、パパ……、パパ――っ」
エルの悲痛な叫びを聞いて。
差し伸べられたヴィクトルの手が、力なく落ちたのを感じて。
――ユリウスの固く瞑った目の端から、涙が一粒、滑り落ちた。