ユリウスとルドガーが公園に出たところで、坂道を登ってくるミラの姿が見えた。
「…………ミラ?」
「……ルドガー……ユリウス、貴方も一緒なのね」
ミラは、ルドガーとユリウスの前で足を止めると、弱々しい声で言った。
いつものミラらしくない。
戸惑うルドガーに代わって、ユリウスが尋ねた。
「何か問題があったのか?」
「…………エルが、食事をとろうとしないの」
「エルが? 何か、あったのか?」
「…………エルのパパが……亡くなったの」
「っ」
ずっと探していた父親が死んだ。そのことを聞かされたルドガーは、まるで我がことのようにショックを受けた。思わず数拍言葉を失ったが、心配なのはエルだ。
「……それで、エルは……?」
「……部屋に、引きこもっちゃって……スープを作ったんだけど……」
そこでミラは言葉を止めた。
宿屋の部屋に引きこもってしまったエルを何とか食堂に呼び、ミラが作ったスープを食べさせようとしたのだが、「こんなのパパのスープじゃない!」とひっくり返されてしまった。
ミラもショックだったが、エルもまた表情を強張らせ――そして再び部屋に引きこもってしまったのだ。
それでもめげずに傍にいようとしたのだが、エルにも余裕はない。「会いたくない、話したくない、どっか行って!」と追い払われてしまった。
それに動揺したミラはふらふらと宿屋を出て、気がつけばトリグラフ行きの列車に乗っていて――そうして無自覚のまま、ルドガーのところに来ていたのだ。
「――ミラ。大丈夫だよ」
「……ルドガー……」
優しい声と共に肩にそっと手が置かれ、ミラは俯けていた顔を上げた。
ルドガーが、優しい微笑をミラにむけていた。
「今は、ジュードたちが一緒なんだろう? 一人じゃないなら――大丈夫。きっと、乗り越えられる。俺も、そうだったから」
そういって、ルドガーはユリウスを見た。
「ルドガー……」
ユリウスは胸が詰まった。
ルドガーは、自分の母親の死を、一人じゃなかったから――ユリウスが傍に居たから乗り越えられたと、そういってくれているのだ。
その気持ちが嬉しいと同時に――ユリウスの罪悪感が刺激される。
ルドガーの母親が亡くなった頃は、まだユリウスは自分のことで手一杯で、己の不甲斐なさに自暴自棄になっていた頃でもある。ルドガーに感謝してもらえるほどルドガーの面倒を見ていたとは、どうしても思えないのだ。
むしろ、ユリウスのほうこそ、その時ルドガーから貰った優しさで救ってもらったのだ。
どこまでも優しいルドガーは、ユリウスに微笑みかけてから、再びミラに向き直った。
「だからミラは、またスープを作ってあげるといい。食べなかったのを後悔するくらい、とびっきり美味しいスープをさ」
そして茶目っ気を見せて片目を瞑って見せれば、ミラもつられるように微笑んだ。
「……ええ。そうね」
頷いて――そこでミラは、ふと考えた。
エルの父親であるヴィクトルは、十年後のルドガーである。ならば、ルドガーも十年すればヴィクトル並みの腕前にはなるはずで……現時点でも、ヴィクトルのスープに一番近いのではないかと。
「――……ねえ、ルドガー、あなたが……」
「――いや、それはやめておいたほうがいいんじゃないか」
ミラの言葉を、ユリウスが遮った。
「それは、酷かもしれない」
「……そう、ね。……そうかもしれないわ」
ミラも頷いた。ヴィクトルのスープに近いことが、エルを喜ばせるのか、悲しませるのか、予測が出来ない。
「……? 二人とも、何分かり合ってるんだ?」
ユリウスとミラの以心伝心ぶりに、ルドガーは蚊帳の外の気分で少しばかり不貞腐れた。
「……ふふ、秘密」
存外子供っぽいルドガーの反応に、ミラは笑みをもらした。
そして――ようやく、気持ちの切り替えが出来そうに思えてきた。
腰に手をあて、胸を張る。
「――いいわ。私が、一番のスープを作ってみせるんだから!」
ミラの決意表明に、ルドガーが拍手を送った。
「おう、その意気だミラ。何か必要なものがあるなら、俺も協力する」
「あら、頼もしいじゃない。……そうねえ、それじゃあ、熊がどこにいるか知らない?」
「は? 熊? 熊って、もこもこの?」
「もこもこって……まあ、そうね。その熊よ。熊の手って、高級食材で、いい出汁が取れるのよ。貴方だってコックなんだから、聞いたことくらいあるでしょ?」
「確かに、聞いたことはあるけど……実際どんなものかは……」
「なら、いい機会じゃない。ちゃんとおすそ分けしてあげるから、とっとと答えなさい。知ってるの? 知らないの?」
「ええー……ユリウス?」
ミラに詰め寄られたルドガーは、困ってユリウスをみた。
ルドガーのSOSを受けたユリウスが、GHSを操作してさくさくっと情報を集める。
「……どうやら、街道に目撃情報があるらしいが」
「街道ね? よっし、それじゃあ行くわよ!」
「……行くって、俺も?」
「当然でしょ。今、協力するっていったばかりじゃない」
「いや、そうだけど……」
何だか釈然としないルドガーが、どうしてこうなった? と首を傾げれば、ユリウスが口を挟んだ。
「熊狩りくらい、一人で出来るだろう」
「出来るわよ。でも、移動時間が退屈じゃない。折角だから料理の情報交換でもしたほうが有意義でしょ?」
「…………はあ、わかったよ」
抗弁は無意味だと悟ったルドガーは、溜息と共に頷いた。
「じゃあユリウス、俺ちょっと行って」
「――まて、ルドガー。俺も一緒に行こう」
行ってくる、と言い切る前に同行を申し出られて、ルドガーは目を瞬いた。
ミラ探しの同行といい、熊狩りの同行といい、今日は珍しいことが続く日だ。
「ユリウスも? なんで? ……熊の手食べたいのか?」
働かざるもの喰うべからずの精神かと、ずれたことを言い出すルドガーに、ユリウスは苦笑した。
「お前が作る料理なら、何でも食べたいが……一応ギガントモンスターの情報だからな」
弟の身を案じる優しい兄の言葉は、しかしミラの癇に障ったようだ。
「……何よ。私が一人で行く分には構わなくて、ルドガーが加わった途端不安なの?」
「ああ。君一人ではルドガーを守りきれないんじゃないかとね」
喧嘩腰に睨み上げてくるミラに、ユリウスはノータイムで返した。
「……言ってくれるじゃない」
その言葉を侮辱と受け止めたミラの声が低まる。
「いや、ユリウス、そもそも俺がミラに守られるって……」
両者の間に火花を感じたルドガーは、場の雰囲気を変えられないかと、とりあえず突っ込みをしてみた。
「守れるわよ! 連れに怪我させるほど素人じゃないわ!」
「って、守る気満々!?」
「戦場に絶対は無い。一人で出来るというのなら、一人でやればいい。俺はルドガーを守るだけだ」
「~~っいいわよ。なら好きにすればいいじゃない! ついて来たけりゃ来なさいよ!」
「ああ。そうさせてもらう」
腕組みをしてぷい、と顔を背けるミラに、淡々と頷くユリウス。
「……このブラコン」
「たった一人の弟を大事に思って何が悪い」
悔し紛れの言葉にも大真面目に返されては、お手上げだ。
ミラはもう、ユリウスには構わず、ルドガーを見遣った。
「……ったく。……大事にされててよかったわね」
「……守られるのは確定なのか……俺、腕にはそこそこ自信があるのに……」
「? 何ぶつぶつ言ってるのよ? ――さあ、行くわよ、熊狩り!」
何故だか暗い影を背負った感じのルドガーを急きたてて、ミラは街道目指して歩き出した。