無事に列車を停止させた後、押し寄せる記者たちを適当にあしらって、ビズリーたちは本社まで戻ってきていた。
適当にあしらって、とはいうものの、事はテロ。大事件である。そしてそれを収めたのがクランスピアのトップエージェントともなれば、そう簡単に解放してもらえるものではない。
クランスピア社に戻ってこれたのは、午後も遅い時間であった。
「――さて、それではざっと説明しよう。この世界には、我々の住む正史世界のほかに、分史と呼ぶ世界がある」
社長室の椅子に座ったビズリーは、ジュードとエルに向かってそう切り出した。ちなみにこの場には、ビズリーと秘書のヴェル、ユリウス。そしてジュードとエルの五人と、猫一匹がいる。
「ぶんし、世界……?」
「ああ。現実とは異なる可能性から生まれた世界だ。例えば、今ここではクランスピア社の社長は私だが、他の世界では、そう、ここにいるユリウスかもしれない、そういうもしもの世界だ」
「…………」
仮に社長とされたユリウスは、無表情ながらもどこか不機嫌な様子を滲ませて沈黙を守っている。
ビズリーは、ユリウスの様子には頓着せずに話を進めた。
「だが、そのような世界が増えすぎると、魂の循環に影響が出る。魂の浄化が追いつかなくなる。そうなれば、待っているのは滅亡だ」
「……では、どうすればいいのですか」
この世界が滅亡すると聞いては、ジュードには放っておくことは出来なかった。
この世界は、ジュードの大切な人に託された、大切な場所だ。手をこまねいて滅亡を待つなんて、出来るはずが無かった。
「分史世界を破壊するのだ」
「破壊……? 世界を破壊するなんて……どうやって」
「分史世界には、この世界と比べて、特に変化したタイムファクターという存在がある。人でも物でもありえるが、先ほどの例で言えば、クランスピアの社長がユリウスだという可能性。そこではユリウスがタイムファクターだとしよう。ならばこのタイムファクターを破壊すれば、分史世界は崩壊する。そのための機関が、我が社の分史対策室であり、分史対策室室長が、ここにいるユリウスだ」
「……っ」
再びユリウスに注目が集まり、エルもまたユリウスを見上げたが――変わらぬ厳しい眼差しに、ジュードの背に隠れこんだ。
「さて、この分史世界には、こちらの世界では失われたものが存在することがある」
「……失われたもの?」
「例えば、絶滅した動物。例えば、こちらでは存在しない技術。違う歴史を辿ったが故に、存在するものがある。それが、カナンの地へ向かうための鍵だ」
「――じゃあ、それを手に入れればいいの?」
「そうだ。お嬢さんには、分史世界から鍵を持ち帰ってもらいたい」
「どうしてエルなんですか。プロがいるんでしょう」
そもそも、こんな小さな子供に一体どんな力があるのか。ジュードにはまだ納得できていなかった。
「残念だが、分史世界はタイムファクターを破壊した時点で、全てが消滅する。分史世界のものを持ち帰ることは出来ないのだ。――普通はな」
「……エル、普通じゃ、ないの……?」
「何世代かに一人、クルスニクの鍵と言う力を持つものが現れる。私はそれが君だと確信している。分史世界からカナンの地への鍵を持ち帰れるのは、君だけだ。さて、どうするね?」
「……わかった。やる」
「よろしい」
エルの決断にビズリーは満足げに頷くと、傍に立つヴェルに視線で合図をした。
「では、連絡用のGHSを渡しておこう。まずは手ごろな分史世界で慣れてもらうことになる。用意が出来たら、連絡をいれる」
「こちらがエル様のGHSになります」
ヴェルはエルにGHSを手渡すと、淡々とした声で説明を始めた。
「エル様の分史世界侵入には、ユリウス室長が同行することになります」
「ええ!?」
予想外の言葉に、エルは弾かれたようにユリウスを見上げ――そこに不機嫌な顔を見つけるなり、またしてもジュードの背に逃げ込んだ。
「やだ! エル、このおじさんとは嫌!」
「ですが、ユリウス室長は我が社のトップエージェントです。分史世界破壊に関して、室長より優れた方はいらっしゃいません」
「…………」
それでもエルは不満顔であったが、どうにか内心の折り合いをつけたらしく、「うん、わかった……」と頷いた。
「次に、エル様のお住まいですが、ひとまずホテルにお部屋をご用意いたします」
「ホテル? エル、ホテルって泊まったときない」
「待ってください。子供を一人でホテルに泊まらせるんですか?」
それまで成り行きを見守っていたジュードは、これは見過ごせないと口を挟んだ。
十歳程度の女の子を、一人でホテル住まいさせるのはかわいそうだ。
「もちろん、ボディーガードは手配します」
「そうじゃなくて……そう、ユリウスさんと仕事をするのなら、ユリウスさんのお家とかは、駄目なんですか」
エルは親とはぐれて心細いはずだ。一人にするのではなく、どこかの家に居候させてもらうほうが望ましいだろうとジュードは提案したのだが。
「――駄目だ」
「……エルも、やだ」
その提案はユリウスとエルの反対によってあっさりと却下された。
「……なら、僕がヘリオボーグで預かってはいけませんか。勿論、エルがよければなんだけど」
「……うん。じゃあエル、ジュードと一緒にいく」
「では、準備が整いましたら、ご連絡いたします」
話は纏まったとみたヴェルが、淡々と締めくくった。
社長室を辞したジュードとエルは、ユリウスと共にクランスピア社のエントランスまで出てきた。
「……えと、それじゃあ、僕たちは、これで」
ユリウスがついてきたのは見送りなのだろうと考えて、ジュードは入り口でユリウスを振り返り、頭を下げた。
「ああ」
「失礼します」
浅く頷き返されたのに、もう一度挨拶を返して、ジュードはエルと歩き出した。
「……あれ?」
少し進んで、エルは足を止めた。ここまで一緒だった猫が、ついてきていないことに気付いたからだ。
「あなたは来ないの?」
振り返ってルルに呼びかける。
「ナァー」
ルルはユリウスの足に擦り寄って鳴いた。
「この子は俺の猫だ。俺がつれて帰る」
「え、そうだったんですか!」
エルのお供だと思い込んでいたジュードは驚いた。険しい表情しか見せないユリウスが猫を飼っていることもまた、驚きだった。
「……ねえ、その子、名前なんていうの?」
「……ルルだ」
「ルル……。ねえルル、眼鏡のおじさんじゃなくて、エルのうちの子にならない?」
「ナゥー?」
エルの誘いに、ルルはちょっとだけ首を傾げた。
「――ルル、行くぞ」
「ナァー」
さっさと歩き出したユリウスに、ルルは迷うことなくついていった。
「あ……ルル、またねー!」
エルの呼びかけには、お愛想程度に尻尾をゆらめかせて。