雷雨の中、正史世界にはない遺跡に足を踏み入れたユリウスたちは、そこにルルの姿を見つけた。
「……ルル? お前、どうしてここに……?」
ユリウスは、濡れた様子のないルルの身体を撫でた。その手触りは慣れたものだったが、しかしルルは、分史世界に入るときは一緒に居なかったはずだ。
ユリウスの手を大人しく受け入れていたルルだったが、やがてその手から逃れると、遺跡の奥に向かって歩き出した。
「ルル? 待って、どこ行くのー!?」
「あ、エル、一人は危ないですよ!」
「私たちも追おう!」
「……もう、仕方ないわね」
ルルを追って走り出したエルを追いかけて、エリーゼとレイア、ミラも進む。
「…………」
そしてユリウスもまた、歩き出した。
いくつかの角を曲がって辿りついた先には、洞窟の壁にもたれるようにして座っている、一人の若い男が居た。その男の足元に、ルルが擦り寄っている。
「! あそこに居るのって……まさか!」
顔が見える位置まで近づいて、ミラが声を上げた。
「え……ルドガー……です、か?」
「でも、何、あれ……」
エリーゼとレイアは、ルドガーの顔半分以上を覆っている黒い痕のようなものを見て困惑した。
黒いものは、分史世界に侵入できるクルスニク一族が纏う骸殻かとも思ったが、それにしては、見慣れた、ユリウスが駆使する力とは様子が違う。
ユリウスが纏う骸殻は鎧のようだが、目の前のルドガーは、纏うというよりは、侵食されているような気がしてならなかった。
「……っ」
息を呑んだユリウスは、ルドガーの下に駆けつけると、黒く覆われた頬にそっと手を寄せた。
「誰……?」
ルドガーは、どうやらあまりよく目が見えていないらしい。頬に寄せられたユリウスの手に触れた後、焦点のあってない、赤い目を彷徨わせた。
「えと、私たちは……」
自己紹介をするべきか、レイアは迷った。
このルドガーは分史世界のルドガーのはずだ。
正史世界と最も違うものが、この分史世界のタイムファクター。
レイアの知るルドガーは、骸殻能力者ではない。
ならば、彼がこの世界のタイムファクターであり、だとしたら――このルドガーを倒さなければいけないのか。
「……あの……」
迷ったレイアの視線が己に向けられたのに気付きながらも、ユリウスの注意は目の前のルドガーから逸れなかった。
ルドガーの全身を覆う、黒い、火傷の様な痕。意識的に纏う骸殻ではなく、押さえきれなくなって身を侵食するそれは――限界が近いことの証だ。
「…………ルドガー」
「…………兄さん……?」
囁くような、搾り出すようなユリウスの声に、ルドガーは反応した。
目の前にいるユリウスを、ぼうと見上げる。
「兄さん? ユリウスが?」
「……でも、よく見えていないみたいですし……」
「勘違い、してるのかもー」
「……ルドガーのお兄さんって、ユリウスさんに似てるのかな……」
一歩引いてひそひそと話し合うミラたちを他所に、ルドガーは、寄せられたユリウスの手を握り締めた。
「どうやって、オーディーンから逃れたの? はは、やっぱり兄さんは凄いや……」
「……ルドガー。俺は……」
「……でも、ごめん。……俺、もう限界が近いみたいだ……っ」
「……っ」
小さく呻いて痛みに耐えるルドガーに、ユリウスは唇を噛み締めた。
「……足手まといになってごめん。兄さんに庇ってもらったのに、俺一人の力じゃオーディーンを倒せなくてごめん」
ルドガーが話しかけているのは、自分じゃないユリウスにだとわかっている。わかってはいても、ユリウスはこのルドガーにその事実を告げる気にはなれなかった。
気休めでしかないとわかってはいても、ルドガーの苦しみが少しでも和らげばと、言葉を紡ぐ。
「……いいんだ。いいんだルドガー。オーディーンは俺が倒す。お前はもう……これ以上力を使わなくていいんだ」
果たしてルドガーは、弱々しいながらも、微笑を見せた。
「……ごめん。……ありがとう、兄さん。……ちょっと……休んでも、いいかな……」
「……ああ。安心して、ゆっくり休め……」
ルドガーの頭を肩に寄せて、ユリウスはその髪を優しく撫でた。
耳元で囁くようにハミングすれば、ルドガーが全身を預けてきた。
「……うん……」
――どれくらい、そうしていただろうか。
「……ねえ、ちょっと。……大丈夫なの? その……彼」
ユリウスがハミングを止めたのを機に、ミラが躊躇いがちに訊ねた。
「……今は寝ているだけだ」
「そう……」
ユリウスの返事に、ミラはほっと息を吐いた。そうした後で、気を取り直したのか、腰に手を当てて問う。
「――で? これはどういうこと?」
「……このルドガーは、分史世界のルドガーだ」
ユリウスは、眠ったルドガーをそっと壁に預けて立ち上がった。
「じゃ、じゃあ、やっぱりルドガーを倒さないと……?」
怖気づくレイアに、ユリウスは頭を振った。
「――いや。タイムファクターはこのルドガーじゃない。この世界のタイムファクターは、恐らくオーディーンだ。ルドガーとその兄は、分史世界を破壊するためにやってきて、返り討ちにあったんだろう」
「……ルドガーも、骸殻能力者だったんですね……」
「それじゃあ、コックのルドガーも、もしかしてー」
「――行くぞ」
エリーゼとティポの推測を断ち切るようにして、ユリウスは踵を返した。